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ざわつく周りに、マルコはちらりと隣を見た。
そこには、この世の終わりでも迎えたかのような少女が一人。
白い肌はくすみ、群青色の髪に艶をなくし、黄金の目はよどんでいる。
しょもしょもと食事を口に運んでいるのを見ると、こちらのほうが食欲も失せるという話だ。
(バレットさえ、なんとなりゃあな。)
マルコはため息を吐きながら隣を見た。
かれこれ、ダグラス・バレットとメランとの冷戦が始まって十数日が経とうとしていた。
バレットはメランを怒鳴りつけた後、彼女を徹底的に無視した。マルコもおかしいと声をかけたが、彼もまたバレットに拒絶される。
数少ないバレットの近しい人間であるメランへの態度に、船員たちも少しの間騒いでいた。が、マルコとメランがバレットを置いて買い物に行ったことを知ると、ああ、なるほどとなんとも言えない顔をする。
別段、メランとマルコの間に甘ったるい男女的な何かがあるわけではないと察していた。けれど、バレットの複雑な男心と言えるものを想像したものは多くいた。
自分にとって一番に近しかった誰かが世界を広げて、他と繋がるという現象は確かに複雑だろう。
その、微妙で繊細なバレットの心情を想像し、兄弟分たちはできるだけそれに触れないことを互いに決めていた。何よりも、すぐに仲直りすると思っていたのだ。
だって、メランとバレットはそういうものだった。
欠けたものを互いに補い、寂しさを慰め合う。きっと、すぐに我慢できずに破れかぶれにじゃれ合っているのだろうと。
だが、二人の、喧嘩と言っていいのかもわからないそれは思った以上に長く続いた。
バレットは以前よりもずっと無言で、黙々と仕事をし、そうして鍛錬に明け暮れる。メランやマルコとじゃれ合う時間がない分、それこそ執拗に強くなることに執着するようになっていた。
メランは仕事はしても、食事もろくにせずに、バレットの後ろをずっと目で追っている。
なんとも言えないよどんだ空気ではあるが、その一歩間違えばぐちゃぐちゃに壊してしまいそうな繊細な空気に皆で触れることができなくなっていた。
が、一番に堪えているのはマルコの方だ。何よりも、なんだかんだで一番、二人に近しい人間だ。彼もなんとかして、二人の仲を戻そうと奮闘したが、バレットはマルコのことを特に拒絶した。それこそ、殺気混じりの苛立ちを当てられるだけだ。
(ほかの奴らも、どうしたもんかって悩んでるみてえだが。)
ここまで複雑で、繊細なあり方というものに触れたこともない船員たちに何とかしろというのも残酷な話だ。
マルコはうーんと頭を抱えた。
メランは、どさりと、己の寝床に倒れ込んだ。上半身だけはなんとかベッドの上にのせたものの、下半身はだらりと床に落ちたままだ。
が、そこからぴくりとだって動く気力はわかなかった。
(べっど、めいきんぐ。)
本来なら、ある程度の仕事が終わればメランは居候している部屋の主であるホワイティベイのために自主的に簡単な部屋の掃除をしていた。ホワイティベイはしなくていいとは言ってくれていたが、さすがに申し訳ないとやっていたことだ。
といっても、彼女の私物に手を出さないようにしていたため、最低限のことだったが。
が、今は何もする気は起きない。何よりも、もともとすることになっていた雑用自体、顔色が悪いから休めと追い出されたぐらいだ。
メランは、正直に言えば、ここ数日ほどの記憶が無い。
ただ、飛び飛びの記憶では、与えられた役目だけはなしていたものの、それ以外は殆ど無意識に行動していたように思う。
が、そういったことさえも、彼女にとっては些細なことだった。
(ばれっとに、きらわれた。)
じわりと、目に涙が浮かんだ。彼女にとって、この世界に生まれてから、一番の事件が起こっていた。
何が
悪かったのか、わからない。あの日、確かに良い日になると思っていた。
バレットのために用意した、たくさんのお土産。
ああ、喜んでくれるだろうか。そうだといいなあ、あの子には、たくさんのものを与えたい。
何も、与えられなかった子どもだ。世界は、何も、あの子に与えなかったから。大人たちは、あの子から搾取ばかりだったから。
だから、自分は、半端だとしても、あの子の保護者である自分だけは、あの子に何かを与え続けていたかった。
その間は、与続けている間だけは、きっと、何者でもない自分でも、側に居られる気がした。
シーツを掴んで、メランはぐずぐずと泣き出した。
(きらわれた、きらいって、いわれた・・・・・)
何故、あんなことを言われたのだろうか、自分は何かをしたのだろうか。記憶の上で、彼を特に怒らせたこともなければ、何かをした覚えもない。
精神的に完全に参ってしまっていた。
バレットは、メランにとって、世界そのものだった。
死にたくないから生きていた。死にたくないから足掻いていた。
けれど、心のどこかで、ああ、世界よ、終わってくれと、そんなことを願っていた。
炎が飛び散る、金属が何かを貫く。それを避けて、それから逃げて。けれど、次の瞬間に自分を襲う死というものに抵抗せずに終わることだって考えていた。
生きなければいけない。生きているのだから、当たり前のように。
けれど、そのまま地獄が続くことと、それが終わることのどちらが幸福なのだろうか。
そう思っていた。そう思っていたけれど、そんなとき、絶叫を聞いた。
バレットの暴れる音だ、まるで、怪獣みたいに暴れて、悪態をつく言葉だった。
それは、ああ、それは、どうしようもなく、少年の生きてやるという決意だった。
あんまりにも、まばゆいじゃないか。あんまりにも、全うじゃないか。
己がどれほど地獄にあっても、それでも、生きてやるという意思は、生きることに絶望し欠けたメランにはあまりにもまばゆくて、そうして、愛おしかったから。
嫌いだ。
その言葉は、まるで衝撃となってメランの体をばらばらにする。己の、何かがばらばらに砕け散る気がした。
(・・・・ばれっと。)
ぼんやりと思う。
何か、ひどいことをしてしまったのだろうか。何か、不快なことをしてしまったのだろうか。
どうしたらいいのか、わからない。
(わたしは。)
嫌いだ、その言葉が反芻して、メランの中で何かが音を立てて崩れていく。
ぼたぼたと、涙が流れる。
いつぶりの涙だろうか、流れていく熱い滴を眺めていた。喉の奥が熱く、頭ががんがんと響いた。
そういえばと思い出す。思えば、ろくろく食事も取っていなかった。このまま、水を出し切って死んでしまうのだろうか。
(それも。いいのかなあ。)
太陽がない世界で生きていけないように、希望がない日々を歩んでいけないように、醜いだけの世界をさまよえないように。
それだけのためにいきたいと思ったものの居ない世界で、この残酷な世界で、自分は、生きていたって仕方が無い。
ああ、嫌われた。どうしてだろうか、わからないけれど。バレット、ダグラス・バレット。私の希望、私の、人間性の象徴。
君の、いらない私は、きっと。
「どうしたんだい。メラン!?」
頭上から聞こえてきた声に、メランはのろのろと頭を上げた。
「・・・・べい、さん。」
掠れた声に、喋る元気はまだあるのかと意外な気分で雪色の髪をした女性を見上げた。
真白の髪に、雪のように美しい肌。
そういえば、彼女は、雪に関する名前で呼ばれていた気がする。ぼんやりと、遠い昔に紙で呼んだことを思い出す。
大声が頭の中で響くのに顔をしかめれば、ホワイティベイは全てを察したのか、努めて穏やかな声を出した。
「あんた、大丈夫かい。ひどい顔色だよ?」
「・・・・すいません。」
ぼんやりとした思考のまま、謝罪だけを口にした。ホワイティベイはひどく痛々しい表情をして、メランをそっと抱き上げた。ぽすりと、ベッドの上に置いた。メランは、座らされたベッドの上で、ぶらんと足を振った。
「だから言っただろう。今日は休みなさいって。」
「・・・・動いてないと、落ち着かないので。」
掠れた声でそう言った。変わることなく、瞬きもしない眼から、ぼたぼたと涙が流れてくる。けれど、拭うことさえも億劫で、涙で揺らぐ視界はまるで夢を見ているようだった。
ホワイティベイはそっと、少女を労るように背を撫でた。
「・・・・バレットのことだろう?」
それにメランは何も言わずに、ぼんやりと床を見つめていた。そんな彼女を見つめて、ホワイティベイはためらうような仕草をした後に、口を開いた。
「あんた、少しは怒っていいんじゃないの?」
「おこる?」
まるでそんな単語を初めて聞いたかのような声音だった。事実、メランにとって現在の状態から、
怒るという単語はもっとも遠いものだった。
「そうだよ!あの馬鹿、あんたにどれだけしてもらってるのかわかってないんだよ!今回だって、メラン、あんたが何をしたんだい?」
ホワイティベイは己の抱えた苛立ちを隠すこともなく言い放った。事実、彼女からすればメランに何かしらの落ち度があるようなことなどなかった。
ズタボロになっていく少女を見ていられなかった。
だからこそ、ホワイティベイはいっそのことと思い至った。
少女は、あまりにもバレットに対して遠慮が過ぎている。ならば、いっそのこと喧嘩でもしてみればいいのではと。
たきつけるようにそう言った彼女に、メランは変わることなく涙を流しながら、首を振った。
「ちがう、わたしがわるいんです。」
ぐずぐずと、涙が流れる。ぐちゃぐちゃの思考の中で、言葉を吐く。普段の距離感など、ことごとく消え去っていった。
あのこは、やさしいこだから。きっと、わたしがきずつけたんだ。あのこを、わたしが。
痛々しい、それに、ホワイティベイの眼に怒りが宿った。
「いつまで愚図ってるんだい、あんたは!?」
ホワイティベイの怒号に誰もが呆然とそれを見ていた。
バレットがメランと、喧嘩と言って良いのかわからないが、諍いを起こしてからの定位置は甲板だった。
そこで、適当な人間の組み手に混ざり、雑用をこなしていた。雑用をサボることもなければ、組み手でやり過ぎると言うこともない。
ただ、白ひげにからむ頻度が多くなった。そうして、驚くほどに静かだった。
(どっちかってえと、あれがあいつの本来の姿なのか。)
少年は、静かだった。静かに、ただ、そこにいた。何も求めず、何も願わず、ただ、縋るように拳を振った。それだけしかないように、それだけしか知らないように。
白ひげは理解した、きっと、これがこの少年の本来の姿なのだろう。声を上げるのも、叫ぶのも、感情をあらわにするのも、全て、戦いの中だけだ。
ただ、日常の中で、その少年は、笑いもしない、怒りもしない。ただ、そこで、戦いの中の熱狂にだけ酔っている。
少年の中で、少女との繋がりを断つというのはそういうことなのだろう。
白ひげは、ぼんやりと思い出す。子どもたちの中で、きょうだいたちのなかで、家族になりきれない二人の子ども。
それでも、白ひげはかまわなかった。たとえ、家族になりきれなくても、幼い二人が、笑い合うのを見るのは好きだった。
そこにマルコが加わって、年相応に笑い合うのを見るのが好きだった。それが、愛おしかった。
だからこそ、それがなくなり、誰とも関わらなくなったバレットを見ていると、切なくなってしまった。
少女という存在が無くなった後の少年に残るのが、戦いへの熱狂だけしかないというのは、あまりにも、残酷ではないか。
古参の医者からも、どうにかしてやりたいと相談は受けていた。そのため、時期を見てバレットと話をすると決めていた。
(・・・その手間も、省けたとおもやあ、いいのか?)
白ひげの目の前に、ふてくされた顔をしたホワイティベイとバレットの姿があった。
二人は、甲板で大喧嘩をしたあげく、ほかの船員に止められて白ひげの前に連れてこられた。部屋には、白ひげと、そうしてホワイティベイにバレットの姿しかない。
「なにしてるんだ、お前ら。」
「・・・・こいつが先に突っかかってきたんだ。」
「あんたがいつまでもすねてるからだろうが!」
ホワイティベイの言葉に、バレットはぎろりと彼女をにらみ付ける。それにホワイティベイは黙り込んだ。出鼻をくじくような、冷たい殺気が彼から放たれる。が、すぐにホワイティベイはだんとバレットに一歩、歩みを進めた。
「なんだい?なら、違うってのかい?何に怒ってるのか知らないけど、メランの奴がどんな様子かわかってるんだろ?あの子、お前にひどいことしたかもしれないって、泣いてるんだよ!?」
「てめえに関係なんてねえだろうが!これは、俺とあいつの問題だ!」
「なら、せめてその理由を言ってみな!?」
それにバレットは唇を噛みしめた。何かを言いたそうで、けれど、何の言葉も出てこないように、そんな仕草をした。ホワイティベイは黙り込んだバレットに苛立ち、さらに言葉を続けた。
「この喧嘩は確かにあんたとあの子のものだ。でもね、喧嘩をするにしても、やりようってもんがあるだろうが。あんたが怒っているのなら、その理由を相手に伝えな。これじゃあ、ただの八つ当たりだろう。」
あんただって、あの子がどんな子か、わかってるだろう?
ホワイティベイの諭すような言葉に、バレットは目を見開いた。
「ろくな付き合いでもねえくせに、あいつのこと、わかってるような口をきくんじゃねえぞ!?」
「わかってないのはあんたのほうだろうが!」
「何を!?」
「いい加減にしろ。」
今すぐにでも殺し合うのではないかという剣幕の二人に、白ひげの、けして大きくない声が入り込む。二人は白ひげの方を見た。そうして、彼はホワイティベイの方を見た。
「少し、バレットと話をする。」
それに彼女は何かを言おうとしたが、すぐに口を閉じた。そうして、わかったと一言言い捨てて、部屋を出る。この場を任せてもいいぐらいには、己が親と慕う男を信頼していた。
部屋に残ったバレットは普通の人間ならば倒れていても可笑しくないほどの殺気を放って白ひげを見た。
まるで、敵を見るような目だった。けれど、ホワイティベイを見送り、改めて自分を見た、その瞳にその殺気はしぼんでいく。
黄金の、瞳。きらきら、きらきら、ゆらゆら、ゆらゆら。
夜に浮かんだお月さんのような、そんな瞳。その瞳を見ていると、バレットはどこか、怒りきれない自分が居ることを理解する。
だって、それは、その瞳が、あんまりにも優しいものだとわかるのだ。
ずっと、ずっと、バレットがバレットになる前から、自分の側にあった眼と同じものだ。それを前にすると、どこか怒りきれない自分が居る。それに敵意を向け続けることを拒む自分が居る。
が、今はそんな自分のことが心の底から嫌だった。脳裏に浮かんだ、同じ瞳をした少女への怒りを思い出し、バレットはその瞳を睨んだ。
ホワイティベイのように、怒りを向けられるのだと、そう思ったから。
けれど、白ひげは変わることなく穏やかな声を出した。
「なあ、バレット。ゆっくりでいい。」
俺に、話したいことはないか?
出鼻をくじかれたような気分だった。
心というものがどれほど複雑なものか、白ひげにだってわかっている。
自分が思っていることが真実でないことさえもある。自分のことでさえも、曖昧なそれをはっきりと言葉できない人間だってごまんといる。
白ひげは、その少年にも言いたいことがあるのだと理解した。けれど、上手く言葉にできないのだろう。
そう思って、そんな声をかけた。
「めちゃくちゃでも、何が言いたいのかわからなくてもいい。話してみろ。時間はある。誰も言わねえ。お前は、今、何を思っているんだ?」
それにバレットは、そんな言葉をはねのけてしまおうと思った。五月蠅い、黙れ、関係ないだろうがと。
けれど、その黄金の瞳を見ていると、少年の甘ったれた心が、未だに大人になりきれていない自分が顔を出す。
バレットは、そこそこに甘ったれなところがあった。それも仕方がない話で、彼はそれ相応に愛されて生きてきた。
どんなときだって、側に居てくれた少女に、バレットは無意識に甘えていた。
けれど、珍しくメランと喧嘩をしていたバレットは、無意識に寄る辺なさに苛まれていた。
自分に優しい、黄金の瞳。
それにだけは、バレットはどうしても、敵意を向け続けることが出来なかった。
バレットは、口を開いた。けれど、何を言えばいいのかわからない。何から、話せばいいのかもわからない。己の心を語るなんてこと、何もしてこなかったから。
それを見て、白ひげは穏やかに言った。
「なあ、バレット。お前は、メランに何を思っているんだ?単語でもいい、怒っているだとか、そんなことでもいい。何を、思っているんだ?」
それに、バレットは、おそるおそる口を開いた。
「・・・・俺と、あいつは、ずっと二人だった。」
ぽつんと吐いた言葉に、白ひげは何も言わずに、こくりと頷いた。バレットは、ぼそぼそと、言葉を吐いた。
「二人だった、だが、それでさえも意味なんてねえ。ただ、利害が一致してたんだ。互いに利点があった、だから、一緒に居た。」
弱い奴は嫌いだ。強くなければ生き残れねえんだ。なら、弱い奴にかまけてる暇なんざないだろう?結局死ぬんだ。だが、あいつは、メランは、弱いのに、ずっと、一緒だった。
「戦場から、一緒だったんだな。」
バレットはどこか気まずくて、そっと床に目を伏せて、こくりと頷いた。白ひげは促すように相づちを打った。
「あいつと海に一緒に出たのだってそうだった。あいつは弱いから、俺が強さを提供した。あいつのことが便利だったから、俺もそれでいいと思った。そうだ、便利だから、あいつしか、いなかったから、俺が、あいつを選んだんだ。」
とつとつと、少年から聞こえてくる声は、まさしく傲慢そのものだった。けれど、何故だろうか。その声に、どうしようもなく縋るような色が混ざっていた。
「あいつには、俺しかいないんだ。だから、あいつは俺の周りに居るんだ。そうだった!そうだろう!なのに、あいつは裏切ったんだ!」
その、裏切りへの声は、まるで、子どもが泣いているようだった。
「俺しかいないはずだったのに!俺に頼ることでしか、生きられねえのに!なのに、あいつは俺以外を選ぼうとしてるんだ!あいつが、先に裏切ったんだ!俺のことを、また、あいつだけは。あいつだけは!!」
だんだんと、バレットは怒りに任せて、床を蹴りつけた。駄々をこねるような幼い仕草に、白ひげは、ああと思う。
幼い子どもがそこに居た。
強いだけの、子どもだ。寂しさを、そんな言葉でしか言えない子供が、そこにいて。
白ひげは、地団駄を踏む幼子に、そっと手を差し出した。
「バレット、こっちに来い。」
彼は一瞬だけ、拒絶するかのように体をのけぞらせた。けれど、その黄金の瞳に何かを、差し出すように近寄った。
白ひげは、そっと、自分からすれば小さな肩に手を置いた。熱い、とも言えるような体温だった。
そっと、白ひげはバレットのことを見た。
「なあ、バレット。一つ聞くぞ。お前にとって、メランは、損得だけで誰かを選ぶような奴だったか?」
それにバレットは幾分か傷ついた顔をして、白ひげを見た。そうして、また、床に眼を移した。白ひげは、それが図星であるのだとわかって、穏やかな声で言った。
「俺はな、お前やメランと過ごしたのは、本当につかの間だ。だからこそ、わからねえこともたくさんある。でもな、あの子が、自分にとって役立つか、たたないかで、誰かを選ぶようなことをするのか?」
そうはいっても、白ひげは内心では彼女がそれを出来る側の人間であることも理解していた。自分を信用せずに、一歩引いた彼女は不利益になるとわかれば突き放すような非情さがあるのだろうと思った。
けれど、目の前の少年のことだけは違う。彼女の非情さや、狡猾さは、結局の話、その少年のためだ。少年の、幸福のためだ。
だからこそ、そう言った。
バレットは、変わらず、床を見つめていた。そうして、おずおずと口を開いた。
「・・・・・役に立つから、俺はあいつを側に置いたんだ。あいつも、俺の側に居たんだ。そうじゃなけりゃあ、一緒になんている必要なんて無いじゃねえか。」
おれとあいつは、家族でも、なんでもねえんだ。
その、あんまりにも幼い言葉に白ひげは大笑いをしたくなった。ああ、なんて、無垢な言葉であろうかと。
白ひげは、その少年の背中を優しく叩いた。
「バレット、いいか。」
人が一緒に居ることに下手な理由なんていらねえんだ。
それにバレットは顔を上げた。優しい、黄金の瞳を細めて微笑んだ。
「一緒に居たから、いる。その程度でいいんだ。俺が、船の奴らを家族というのはな、わかりやすいから。それが、俺の望む形だから。でもな、あり方になんざ、名前はいらねんだよ。」
バレット、聞くぞ。
優しい声だ。メランとは違う、低くて、静かな声だ。けれど、優しい、声だった。
「お前は、メランの言葉を聞いたのか?誰が一番なのか、そうして、誰の側に居たいのか。あいつの声を聞いてこい。」
本当のことは、メランにしかわからねえんだからな。
それに、バレットはこくりと頷いた。
ドアを叩く音で、メランは眼を覚ました。泣きじゃくった瞳は腫れており、しぱしぱと重たい。ぼんやりとした思考で、扉を見た。
(・・・・ああ、そうか。雑用かな?)
そんなことを思って、重たい体を引きずって行った。そうして、扉を開けた。メランは目を丸くした。そこには、散々に自分のことを避け続けた、古なじみの姿があった。
「ばれっと?」
呆然としたメランの声に、バレットは無言で、廊下の壁を背もたれにして、その場に座り込んだ。メランは、久しぶりに見る少年の姿に思考停止をしていた。
バレットは、とんとんと、自分の隣を叩いた。メランにそこへ座れと言いたいのだろうと、そこに向かった。
隣り合って、座り込んだ。女の居室が多いせいか、殆どが男である船員は滅多に廊下を通らない。だからこそ、その奇妙な二人組に突っ込むものはいない。
メランは落ち着かなくて、ちらりと、少年の顔を見た。ああ、痩せてしまったなあと言うのが感想だった。
「・・・・てめえは。」
唐突に、バレットが口を開いた。それに、メランは、ああと言った。
「てめえは、どうして、俺と一緒に居るんだ?」
何を言い出すかと身構えたその末に、そう言われて、メランは驚いた顔をした。だって、あんまりにもらしくない言葉だったからだ。
「・・・・どうして?」
「この船にいりゃあ、お前は、別に俺に構う理由もないだろうが。もっと、便利な奴はいるだろう。なら、お前は、お前は、俺と一緒に居る、いみなんて、ないだろうが。」
もっと、違うことを言いたかった気がする。けれど、バレットにとって、それが何とか言えた言葉だった。なぜ、一緒に居る。自分に構うのだ?
自分よりも強い奴は、便利なのは、たくさんいるのに。
マルコの姿を思い出した。そうだ、あれのほうがいいのだろうか、彼女は、自分よりも。
バレットの言葉に、メランは口をぽかんと開いた後、立ち上がった。
「おい?」
バレットがすっかり成長したとは言え、さすがに立ち上がった彼女なら彼のことを見上げることにはならなかった。
メランは泣きそうな顔で、それでも馬鹿だなあと言うように、下手くそな笑みを浮かべた。そうして、バレットのことを抱きしめた。柔らかな胸に、バレットは顔を埋める形になった。それに驚いて、バレットは振り払うことも出来ずに、固まってしまう。
「そんなの、言ったじゃないか。お前だけが、残ってくれたんだ。私を、置いていかないでくれたんだ。」
それだけだ、なあ、バレット。それだけだ。でも、それだけでいいんだ。
メランは、バレットを抱きしめる力を強くした。バレットは、感じる柔らかさだとか、暖かさに固まっていたが、それでも、その言葉に、そう言えばと思い出す。
そんなことを、確かに、彼女は言っていた。
「・・・・ここの奴らだって、そうだろう?」
「ううん。違うんだよ。バレット。お前なんだ。お前のことが、私は、誰よりも、大事なんだ。お前だけが、特別なんだ。お前だけは、私を一人にしないでいてくれた。」
お前だけが、私を、裏切らなかったんだ。
甘ったるい言葉だった。けれど、胸の奥ではがたがたと、振えるような何かが、それを聞くと、不思議と収まっていく気がした。
おそるおそる、自分を抱きしめる女の腰に腕を巻き付けた。
裏切らなかった、ああ、そうか。
思えば、彼女は、その女は、散々に大事にしたいと思っていた誰かに、置いていかれたのだ。
「俺が、特別か?」
「うん、そうだよ。ずっと、一緒だったんだ。これからも、お前が嫌でないのなら、私とお前は、ずっと、ずっと、一緒だよ。」
拙い声だった。拙くて、幼い声だった。けれど、バレットは己に縋り付くその女に心の底から、安堵した。
(そうだ、こいつもそうだ。こいつも、散々、裏切られたんだ。)
バレットは、その事実で、きっと彼女は裏切らないと理解した。そうだ、彼女だけが、己のことを裏切らないのだ。きっと、彼女だけは。
「メラン。」
「うん?」
「・・・・嫌いなんて、嘘だ。」
「うん。」
メランは、それに、うんうんと幾度も頷いた。わかったよ、そう言うように。
「・・・・・なんなんだよい。」
マルコはひどく納得いかないように目の前の光景を見た。そこには、ホワイティベイとメランの自室の前で眠りこけている弟妹分たち。
ちょうど、メランの見舞いにと訪れたその先で、なぜか廊下に座り込んで寝息を立てている二人を見つけた。
マルコはそれに呆れたため息をつく。どうやら、仲直りを終わったらしい。マルコは一旦、メランの部屋に入り、彼女のブランケットを拝借した。
そうして、二人にかけてやった。
(まったく、こんだけ船を騒がせといて、こいつらは。)
呆れてしまって、けれど、その事実に安堵している自分も居る。マルコは、ひょいっとメランの隣に座り込んだ。
今だけは、二人が目覚めるまで、寝かせてやっておきたかった。
(あーあ。手のかかる、弟と妹だよい。)
マルコは起きてから二人にかける言葉を考えて、にやりと笑った。