ドフラミンゴとホーミングの話しになります。
感想いただけましたらうれしいです。
どうして?
ドンキホーテ・ドフラミンゴは、全速力で元来た道を走り抜ける。
脳裏には、世間知らずなドフラミンゴさえも知っている大物海賊の顔だ。
それが同じ島にいることは知っていた。けれど、繁華街がある反対側から出ることはないだろうと言っているのだって聞いた。
どうして、それがこの島にいるのだ?
そう思うと同時に、思い浮かぶのは、一人の女の後ろ姿。
逃げろ、逃げろ!
その言葉が、耳の奥で反響する。
どうして?
脳裏にあるのは、それだけで。
「どうして、庇ったんだよ!」
わからない、わからない、その意味を頭が拒否する。それでも、ドフラミンゴは女が叫んだその言葉のままに走る。
「ドフィ?」
その日、ホーミングはその日、船で留守番をしていた。丁度、日が傾き、もうすぐ夕方が来るだろうと時間だ。干していた洗濯物を取り込んでいたとき、町の方から走ってくる息子の姿を見つけた。ホーミングは慌てて船から飛び降りて、息子を迎えに行った。
「ドフィ、どうしたんだい?それに、メランはどうしたんだ?」
慌てた父のそれに、ドフラミンゴは荒い息のまま答えた。
「メランが、メランが!」
ただ泣きじゃくる息子をホーミングは慌てて船に連れ帰った。
「ロジャーが!?」
話を聞いたマルコが頭を抱える。もちろん、彼とてオーロ・ジャクソン号が来ているのも知っていた。だからこそ、万が一を考えてマルコは船に残ったのだ。
おそらく、主戦力は全員繁華街の方に向かうだろう。それと同時に、メラン達が向かったのはおそらく下っ端で、暴れて名が知れているダグラス・バレットは無理でも、メランならば誰に会っても切り抜けられると思ったためだ。
「・・・・メランは、帰ってないのか?」
「はい、まだ。この子だけ。」
バレットは黙り込んだまま、部屋に座っている。マルコにとって怒りのままに飛び出していかないことだけはありがたかった。
(どうする?)
マルコは悩むように顔を歪めた。
「・・・・ドフラミンゴ。」
マルコのそれにドフラミンゴは肩をふるわせた。ドフラミンゴの肩を抱きしめたドルネシアが不安そうにマルコを見た。
それにマルコは安心させるように首を振る。
「ロジャーがどんな様子だったのか、知りたいんだよい。」
「ですが、海賊として相当名前が。」
「まあ、地雷を踏まなきゃ、乱暴なことなんてしねえ。それに、あっちはメランのことを知らねえだろうからな。ただな、あの警戒心のたけえメランが帰ってきてねえのが気になる。」
そうだ、ゴール・D・ロジャーは確かに気安い方ではあるが、それはそれとしてただメランが男の興味を引く理由がわからない。
バレットならばわかる。ロジャーにとってわかりやすい、面白そうな存在だろう。
「ロジャーに会ったとき、何か言ってなかったか?」
それにドフラミンゴは肩をふるわせた。
「どうかしたのか?」
マルコの言葉にドフラミンゴの中でロジャーの言葉が反芻する。
変わったのがいるな。
その言葉の意味。メランではない。彼女はどこまでも、見た目だけならば変わったなんて言葉は似合わない。
ならば、ならば、変わった、異端者であると示されたのは誰なのか?
声が、耳の奥でこだまする。ずっと、こだまする。
それは怨嗟の声だ、それは憎しみの言葉だ、それは、それは、自分たちを害する悪意だ。
あの男が、かの海賊が狙っていたのは自分たちだ。
この世界の異端者であると、それが、自分が興味を引いた。
言えない、言えるわけがない。
ようやく、母も元気になって、弟も殴られることもなく過ごせるというのに。
いいか、けして自分の正体を言ってはいけない。それは、マルコも、そうしてバレットにもだ。
わかるな?
ドンキホーテ・ドフラミンゴ、お前は賢い。己たちの存在、それがこの世界にとってなんであるのか。お前はもう理解しているのだろう。
わかっている、わかっている。
わかっているから、黙っていた。
マルコは自分たちに優しくしてくれた。きっと、母の病気を治してくれたのも、父のことを気遣ってくれたのも、マルコは優しかった。
海賊は恐ろしい。彼らは下々の民の中で、際だって下劣で愚かで、醜い。
そう、聞いた。
けれど、どうだろうか。
正体を知らないとして、それでも、縁もゆかりもない自分たちに彼は優しかった。
正体を知らせれば、どうなる?
豹変する人間の恐ろしさを知っている。狂って、歪んで、憎んで、自分を見る目を覚えている。
だから、だから、言えない。言えるわけ無い。
もう、あんな、あんなこと。
ドフラミンゴ。
なのに、母の腕の中で、震えている自分の耳には、声が、聞こえるのだ。
厳しくて、怖くて、冷たくて。
気にくわない、嫌な、奴。
ねえ、どうして?
心の中で聞いた。
いいや、ずっと、どうしてと問い続けていた。天竜人がどんな風に思われているのか十分に理解していた。
だから、その女が、自分たちにここまで心を砕くのか。
ずっと、問うていた。
哀れだった?悲劇自体が憎かった?いいや、もっと違う理由だった?
ホーミングの持った、自分たちの不幸の始まり、けれど、その女はその父の愚かさこそが自分たちを助けた理由だと言った。
意味がわからない。
なあ、どうして?
どうして、助けたんだ?
なのに、なのに、それでも。
行こう、この世界は地獄だけれど。
あの日、ゴミ溜めの中で、あばら屋を開けた自分たちに海色の髪をした女が手を差し出した。
それでも、お前はまだ悪い子じゃないのなら。
厳しくて、怖くて、冷たくて。
頬を、ぼたぼたと、暖かい何かが流れていく。
「ドフィ?」
母の声がする。父が、心配そうに己の背中を撫でてくれている。
見捨ててしまえ、黙り込んでしまえ、だって、あんなに目にあいたくなんてないだろう?
このお人好し達はこのまま黙っていたって自分たちを見捨てないだろう?
わかっている、そんなこと、わかっている。
ドフラミンゴの頬を、温かなそれが流れていく。
抱きしめた母の体は、すっかり、柔らかくて、温かなそれに戻っていた。
私は、お前に幸せになって欲しいと思う。だから、一緒に行こう。
この世界がどうして自分に冷たくて、厳しいか、わかっていたのに。
それでも、その女は、誰よりも自分たちに優しかったから。
ああ、だから、思ってしまった。愚かだと、馬鹿なことだと、思っていたのに。
それなのに。
脳裏に、サングラスの硝子に、微笑む女が、海色の髪と、月色の瞳としたそれが、これ以上無いぐらいに優しく笑っていたものだから。
裏切りたくない。あの、優しい女を、裏切りたくなかった。
「お゛れの、お゛れたちの、せいだ。」
その言葉にマルコたちの視線がドフラミンゴに向けられる。それに恐怖を覚える。きっと、その目が憎悪に濡れると、父と母たちを危険にさらすのだと、そう思っても。
ドフラミンゴはどうしても、あの女を裏切りたくなかった。
「ゴールド・ロジャーが、言ったんだ。変わったのがいるって。それは、俺たちが・・・・」
それにホーミングも、そうして、ドルネシアも何も言わなかった。自分たちのせいだと、その幼子が言ったとき、ゴールド・ロジャーが何故、メランたちに声をかけたのか理解できた。
自分たちの正体をさらすことの意味はわかっていた。
けれど、それでも、止めることなど出来なかった。
メランのしてくれたことが、どんなことかわかっていればなおさらに。
「言うな。」
自分たちの言葉が止められたことにドフラミンゴたちは驚いた。
「おい、バレット!」
「別に言う必要はねえだろう。」
「言う必要がねえって!」
「メランは、聞くなって言っただろう。」
バレットは熱のない声でそう言った。それにマルコは一瞬だけ言葉を無くす。けれど、すぐに言葉を荒げた。
「確かに、メランはそう言ったよい!そうは言っても、今、メランが帰ってこないことはロジャーが関わってる可能性が高いよい!その理由がわからなければ、動くのは!」
「俺が行く。」
「はあああああああああああ!?」
マルコは度肝を抜かれた。
バレットは別段、どうだってないというように立ち上がった。
「お、おま!何言ってるのかわかってるのかよい!?」
「何がだ?」
「いいか!ロジャーは親父と同等の強さを持ってるんだぞ!?お前は確かに強いよい!だがな、親父に勝てねえお前に、何が出来るんだ?」
「何が出来るかじゃねえ、仲間に手え出されてお前は黙って見ておくのか?」
バレットのそれにマルコは目を見開いた。バレットはそう言った後、マルコのことをじっと見た。
「メランがいなくなった理由が、ロジャーって海賊に関係してるのか、決まったわけじゃねえだろう。それに、だ。そいつらが何者だからって理由でメランが攫われたとして、だ。理由がわかって解決することでもねえだろう。」
「・・・・この状況で。メランが帰ってこねえ理由はそれだけのはずだ。」
「わざわざあいつが聞くなって言ってんだ。なら、聞く必要がねえ。理由が何だろうと、俺たちがすることは変わらねえだろう。」
マルコは大きくため息をついた。それは確かに道理だ。
たとえ、目の前の彼らのせいでロジャーがメランを攫ったとして。
負の面で彼らがロジャーの怒りを買ったと言うことはありえない。そうであるのなら、ロジャーという男の性格からしてこんなまどろっこしいまねをしない。
ならば、良くも悪くもロジャーの興味を引くようなことがあるとして、理由を知ってもどうしようもない。
(いいや、だが!そうであるとして、ロジャー海賊団に勝てる可能性がない。自分の興味を引いた存在を、ロジャーが手放す可能性もねえよい!)
どうする?
メランが逃げだすことは、いいや、あの海賊団から逃げ出せるほどの力量がそれにあるのか?
「・・・・聞かないのか?」
悩んでいるマルコにホーミングが言葉をかけた。それにマルコは、その、怯えて、けれど、罪悪感に塗れた瞳。
「私たちは、その。」
それにマルコはああ、と頭が冷える気分だった。その表情にバレットも理解するように頷いた。
聞かないでくれ。彼らが何者であるのか、それだけは聞かないでくれ。
何故?
たった一つだけ言えるのは、私は彼らに幸せになって欲しいんだ。私を信じてくれ。
「ああ、そうだった。」
「マルコ君?」
「きかねえよい。」
「え?」
「妹が、信じてくれって言ったんだ。あいつのことを信じて、お前らが何者か聞かねえよ。少なくとも、おれあ、あんたが気の良いおっさんだってわかってるからねい。」
ホーミングたちは目を見開いた。それにマルコはバレットを見る。
「・・・行くのか?」
「ああ、行く。俺が暴れりゃ、あいつが逃げる隙はできる。」
「お前なら、逃げるぐらいの余裕があるか。失敗したらどうする気だ?」
それにバレットは少しだけ覚悟を決めた顔をした。
「・・・・白ひげのおっさんに頼る。」
それにマルコはがちりと固まった。
本音を言えば、絶対にしたくないことだった。
親父を名乗る彼が怒ったらどうなるのか?
もちろん、めちゃくちゃに怖いのだ。
理由を話せば、ある程度こちらのことも汲んでくれるだろうが。それはそれとして、叱られるのは確実だ。
おまけに、親父だけではない、年長者組に勝手に行動したことや難破して連絡が取れないと心配をかけたこと。
絶対的にひどく叱られるだろう。
けれど、自分たちの手に余ることではあると理解も出来る。
「いいか、俺が行く。それで、夜明けまで帰らなかったら船に向かえ。」
「お前、ロジャーに。」
「信じろ。」
短いそれにマルコと、そうしてバレットの視線が重なる。それに、ああ、それに。
二人はうなずき合った。
バレットはそのまま、部屋から出ていった。
「マルコ君!バレット君は!」
「・・・・ホーミングのおっさんは休んどけ。他の奴もだ。夜明けにはここを出る。安心しろ、あんたたちだってわかるだろう?あいつはつええからな。」
マルコはそう言った後、ドフラミンゴに視線を合わせるように微笑んだ。
「安心しろ。」
「でも・・・・」
「何も心配しなくていいよい。」
だから、そんな顔をするなよい。
マルコはそう言った後、そのまま準備のために部屋を出て行く。
「はーうえ?メランのおねえちゃんは?」
今まで黙っていたロシナンテが不安のために口を開く。
それにドフラミンゴはさらに泣きそうな顔で床に視線を向けた。
それに、その光景にホーミングは少しだけ、姿勢を正した。ぐっと、背筋を伸ばして、そうして、天井に視線を向ける。
そこには、今ではすっかり馴染んでしまった天井がある。
淡く笑った。
ホーミングは、それに、静かに微笑んだ。
「・・・・皆、少し、話を聞いてくれるかい?」
ホーミングは蹲った自分の家族に話しかける。それに三人はホーミングの方を見た。
ホーミングはそれに、微笑んだ。やっぱり、微笑んだ。
淡い金の髪に、赤い瞳。
愛しい存在だ。愛しくて、傲慢なことにこんな地獄に連れてきてしまった。
それを、後悔して、けれど、やっぱりここまで共に来れたことに嬉しいなんて思ってしまって。
「私はこれからバレット君を追いかけるよ。」
「あなた!」
「父上、どういうことだ!?」
「・・・・海賊、ゴールド・ロジャーのことは知っている。ひどく凶暴で、そうして、今、この海でもっとも勢いのある海賊だ。おそらく、あの島の経路で私たちのことを、いいや、ドフィのことを知ったのだろう。なら、少なくとも、目的の存在がいれば取引材料にはなるはずだ。」
「そんなことを、だって、父上が・・・・」
ホーミングはドフラミンゴの頭をそっと撫でた。あやすように抱きしめた。しっかり者の長男は、まぬけな自分のせいでひどく苦労させて、甘えてくれることもなかった。
ホーミングは自分の妻を見た。自分のせいで、ひどく苦労させて、けれど、あの地獄で、ようやく得た理解者の存在にホーミングは微笑みかけた。
「行かれるのですか?」
「ああ、すまない、とても、苦労ばかりかけて。」
「・・・・どうしても、ですか?」
それにホーミングは淡く笑うだけで済ませる。そうして、次にロシナンテが裾を引く。
「ちーうえ?どこか、いくの?」
ホーミングはそれに、ドフラミンゴと、そうしてロシナンテの肩を抱きしめた。
「ドフィ、ロシー、もしかしたら、少し難しいと思うかも知れない。けれど、よく、聞いておくれ。」
ホーミングは話をしようと思った。これが、きっと最後だから。
「お前達は、私のことを愚かだと思っているかも知れないね。私の、愚かで傲慢な考えのせいで散々に苦労をかけたね。」
それにドフラミンゴは黙り込む、その言葉は確かに事実だった。
事実で、どうしようもなく、事実で。黙り込んだドフラミンゴにホーミングは淡く微笑んだ。
「・・・・私も愚かなことをしたと思った。そのせいで、お前はとても酷い目にあった。でもね、一つだけ、覚えておいて欲しいんだ。」
私はね、後悔していないんだ。
その言葉にドフラミンゴは顔を上げた。怒りだとか、恨みだとか、そういった感情ではなくて、ただ、どんな顔をしているのだろうかと。
それだけが、気になって。
ホーミングは、笑っていた。これ以上無いほどに清々しい笑みを浮かべていた。そうして、ドフラミンゴを見て目を細めた。
「海に来て、私たちは散々に酷いことをしていて。だからこそ、人々の怒りは正当だった。私はその意味を理解していなかった。でもね、後悔だけはしない。」
「どうして?」
「・・・・それでも、あの子は、私を人と言ってくれたから。」
それに、それに、ドフラミンゴはなんと言えば良かったのだろうか。
お前は人間だ。どうしようもなく、痛みを負い、飢え、苦しむ心を抱えているお前は、どうしようもなく人間だ。
頭の中で、こだまする、一人の少女の冷たい、けれど泣きたくなるほど優しい声。
「ドフラミンゴ、メランはお前に優しかったかい?」
「・・・・優しかった。」
「私たちがどんな存在であるか知ってなお、あの子は優しかっただろう?」
「・・・・ああ。」
「酷いことをしてくる人々は多くいた。でもね、それでも、私を人と言ってくれた。私たちを、人として、あの子は扱ってくれた。何の地位も、価値もない私たちを人だと言ってくれた。」
私は、これから死ぬだろう。それでもね、これだけは覚えておいて欲しい。
ホーミングは、ドフラミンゴとロシナンテ、そうして、妻であるドルネシアを抱きしめた。
「私は、けして、後悔していない。お前達に苦労をかけて、それでも、後悔は出来ない。私たちのために命を懸けてくれた、あの子のために後悔だけは出来ないから。ドフィ、ロシー、お前達は私のことを恨むだろう、憎むだろう。けれど、それでいい。でも、これだけは覚えておいて欲しい。どうか、あの子の善意に、幸せになって欲しいと願ってくれた正しさに、どうか報いる子であってほしい。」
ドフラミンゴは、それに、自分から離れていくホーミングを茫然と見送った。
「ちーうえ、どうしたの?あにうえ、かなしいの?」
意味を理解できていないロシナンテがそう不思議そうに言った。それに母がロシナンテを抱きしめて、声を殺して泣いている。
ドフラミンゴはそれに、どれほど茫然としていただろうか。
父が憎い。そうだ、だって、そのためにこんな所まで来てしまって、母までも苦しんで。
父のせいで、父の、せいで。
そう思うのに、脳裏に浮ぶ、女が笑う度に、会えてよかったと思ってしまう。
同胞であった天竜人は、結局自分たちを見捨てた。自分たちだけでも聖地に戻して欲しいという父の願いを切り捨てた。
この世界の下々の存在は、ドフラミンゴを、ただ天竜人というだけでなぶり尽くした。
憎いのだ、嫌いだ、全てが、きっと。
なのに、なのに、間違っていたはずなのに。
ドフラミンゴ。
聞こえない。
ドフラミンゴ、お前、手先が器用だな。
知らない、自分はそんなことをする身分ではない。
ドフラミンゴ、強くなれ。
違う、自分は戦うことなんてするはずがない。
ドフラミンゴ、覚えておいてくれ。
知らない、聞こえない!違う、違う!父は愚かだった!自分たちは無力だった。そうだ、人であっただろう。ああ、こんなにも権力を引っぺがされれば何の価値もなくなって落ちていくだけの我らよ!
笑えるだろう、この世界の頂点が、その名前を剥ぎ取られれば何の意味もなくなって!
父は敗者だ。自分たちの強さである権力を放り出し、そのくせ、自分の願いである、この世は平等に人間であるなんて理想を振りかざして、結局負けたのだ。
憎んで、いたのだ。確かに、父のことを、それでも。
けれど、そう思う度に、脳裏に、ただ、優しげな声が響くのだ。
それでも、私はお前に。
海色の髪がたなびいていた。光の角度で、濃く、淡く、変わる美しい髪をしていた。そうして、月のように柔らかな瞳が自分を見ていた。
幸せになって欲しいと思うんだ。
ああ、綺麗だと、そう、思ってしまった。
そうだ、ドフラミンゴは、もう、父を真っ向から否定できなかった。
なんの価値もない自分たちに手を差し出した人。ただ、愚かな理想論を振りかざした父の善性を理由に命を懸けた女。
全てに見捨てられてなお、自分たちを見捨てなかったのは、この世のクズである人間だったのだから。
ああ、ドフラミンゴは泣いた。父のことを見送った。父は、確かに負けたのだ。その弱さによって、その素朴と言える善性は敗北した。
けれど、父の、後悔していないという言葉を、そうして、清々しい笑みを思い出す。
それでも、父の願いは穢されなかった。そうだ、父は負けたのかも知れない。けれど、父は己の願いは正しかったと証明したのだ。
一人の、少女がそれを、証明したから。
父はこれから死ぬのだろう。ただ、自分の願いを是とした少女に誠実であるために。自分の正しさに殉じて死ぬことを決めたのだ。
けれど、ドフラミンゴはそれを止められなかった。
だって、それは、ホーミングの正しさを否定してしまうことだったから。
誠実でありたかった、そうだ、自分の幸せを、なんの報いも期待せずに願ってくれた少女にそうありたいと思ったのはドフラミンゴだって同じだったから。
ホーミングは、ふらふらと、町を歩いた。なんとか、マルコにばれなかったことをほっとして、それでも、すでに夜にさしかかった世界を歩いて行く。
怖い。
ただ、怖い。
がたがたと、体が震えた。だって、それだって当たり前だ。
自分はこれから死ぬのだから。ならば、何を怖がらない事なんてあるのだろうか?
怖い、怖い、一歩ずつ死に近づいていると如実に理解できるから。
けれど、ああ、ホーミングは笑っていた。
泣きながら、それでも、ホーミングは笑っていた。
だって、怖くて、それと同時に嬉しかった。
「私は、逃げなかった!」
ずっと、逃げていた。目の前に広まる地獄の中で、響く悲鳴、虐げられる誰か、ずっとずっとそれが怖くて、逃げ続けた。
耳をふさいで、対話は無意味で、何も変わらなくて。いいや、過剰な言葉を発して、騎士団に睨まれたこともあった。
逃げていた。ずっと、ある意味で自分は逃げていた。戦うことを避け続けた。
逃げ続けた先で、家族に地獄を見せてしまった。それを、後悔していた。
ああ、人間だった。自分も、世界の人々も、きっと、すべからく人間で。
けれど、それを自分は表面的なことしか理解していなかった。
間違えていたと、ああ、こんな父親ですまないと思ってしまった。
「行こう、ホーミング。どうせ、どこに行こうと地獄なら、命を使い切るまで走るんだ!生き残って、お前の正しさを証明しろ!」
渇を入れた少女の言葉にホーミングは生きた。生かされた。彼女に報いるために必死に生きた。
己を人間だと言ってくれた彼女、自分の息子を庇ったあの子。
「私は、そうだ、私は、人間として死ぬんだ!」
ああ、それが嬉しくてたまらない。いつかに、否定され続けた願い。ずっと、間違いで、愚かだった祈り。
それでも、その瞬間、自分を人と言ってくれたあの子のために覚悟を決めた時、ホーミングはようやく家族に言えた。
後悔していないと。
そうだ、後悔はしない。後悔は出来ない。その願いのために命を懸けてくれたあの子に報いるために。
死ぬのが怖い、進むのが恐ろしい。けれど、それでもホーミングは歩いた。
そうだ、この歩みは死ぬためのものではない。死ぬために、ホーミングは歩いているのではない。彼は人間として生きるために、メランに報いるために男は歩いた。
「メラン、君ならばきっとこうするだろうから。」
ホーミングは泣いた、怖くて。ホーミングは笑った、愛しい家族にせめて己の抱いた願いを証明できたと、そう思ったから。