倫理観等はすでに消えかけていますが元気です。   作:藤猫

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そろそろ進展が欲しいような。感想戴けると嬉しいです。


その心をまだ知らない

それは、てっきり絶対に死なないものなのだと頑なに信じていた節が確かにあった。

 

 

微かに自分の体が揺れていることに、ふと気づいた。

その感触に、バレットはすぐに全ての感覚を覚醒させる。がばりと起き上がった先、見開いてすぐに感じたのは消毒液のつんとした臭いだ。

ダグラス・バレットはそれに顔をしかめた。

そうして、視界の向こう、自分がベッドに横たわっていたことを理解する。

 

「・・・・話をしとりゃあ、悪たれが起きたぞ。」

 

そう言ったのは白衣を着た、ひげを蓄えた偏屈そうな老人だ。そうして、その隣には鋭い目つきをした、ポニーテールの男が立っていた。

バレットはすぐに、そのポニーテールの男が強いことを理解した。バレットは防衛本能が如く、男を視界に移したと同時に拳を振るった。

 

「ビスタ、相手は頼んだぞ。」

「任された。」

 

病み上がりとしてはあり得ないような動作でバレットは完璧な動きを取った。だが、男はあっさりとその拳を鞘に納めたままの剣で受け流す。そうして、バレットを壁に押し上げた。

普段の彼であったなら避けることも可能であっただろう。けれど、白ひげとの戦いのダメージが抜けきっていない彼はそれにあっさりと屈してしまった。

 

「ほら、あまり暴れるものではないぞ。」

「くそが!放しやがれ!」

「騒ぐな。お嬢さんが起きる。」

 

そう言って男はちらりとバレットの隣りにあるベッドにちらりと意識を向けた。お嬢さん、という単語にバレットも反応する。

そうして、そこには馴染み深い紺色の髪をした少女は横たわっている。包帯を巻かれたその様は、非常に痛々しいものだった。

それに、バレットの体から力が抜け、少女へ意識が持っていかれたことを察してビスタは拘束を緩めた。

そうすると、バレットはまるで飛び跳ねる様に少女のベッドに駆け寄った。

 

「・・・メラン?」

 

何となく、ビスタはその声に少年への警戒心を緩めてしまいそうだった。それは、その声は、白ひげへの猛攻を考えてもあまりにも幼過ぎる声だった。

 

「おい、メラン、起きろ!」

 

バレットはそう言って少女の肩をゆすぶるが、それに慌ててドクターが駆け寄る。

 

「おい、止めんか!」

「じじい!メランは・・・・」

「外傷以外はなんもなっとらん。命の別状はない!ただ、疲労で寝とるだけじゃ。落ち着かんか!」

 

細身の老人から伝わる雷のような怒号にバレットは思わず固まった。ビスタはそれに同意する様に苦笑する。自分も、その偏屈そうな老人から放たれる怒号は苦手だ。

ドクターは動くのを止めて、自分よりもそこそこに背の高い少年に静かに声をかけた。

 

「彼女は唯体が休養を求めとるだけじゃ。少しすれば目を覚ます。」

安心しなさい。

 

厳しい声の次に飛んでくる柔らかな声にバレットは動揺する。

滅多に見ない、ベッドで静かに眠る少女の姿に心の奥底で何かがガタガタと揺れている。

落ち着かない、不安感が胸の中で膨らんだ。

 

(落ち着け、落ち着け!)

 

戦場で鍛え上げた鉄壁とも言える意思によってバレットは無理矢理に動揺をねじ伏せる。

彼はゆっくりとメランの首に指を滑らせた。そうすると、とっくんと、鼓動があった。命が、脈打っていた。

騒がしい胸の中が、その静かな鼓動にあわせて落ち着く気がした。

そうだ、まだ、これは息絶えていないのだ。ならば、ならば。

 

(自分がこれを守らなくてはいけない。)

 

そうして、ようやく、メランを庇うように背にして、部屋にいる他の二人を睨み付けた。

 

「・・・ここはどこだ。」

「ようやくか。ここは、お前さんが喧嘩を売った白ひげ海賊団だ。」

 

その言葉にバレットからぶわりと敵意と呼べる何かがあふれ出す。それにビスタは呆れたようにため息を吐いた。

 

「敵意があるならあの場で殺している。それよりも、目が覚めたんならついて来い。」

「このお嬢さんのことは任せていけ。」

 

そんな声も聞こえるが、バレットは頑なにメランの側からは離れない。それにビスタは呆れたようにため息を吐いた。

 

「ここが味方かもわからない者たちの船の中で、自分が万全でないことはわかるだろう。」

 

バレットは罵倒の一つでも吐き出したい気分を必死に抑えてメランのベッドから少しだけ歩みを進めた。それにビスタは上機嫌そうに微笑んで、いい子だと頷いた。

 

 

船の中を歩く間、ひっきりなしに船員たちはバレットに視線を向けた。それは、敵意から好奇心まで、多種多様だった。

けれど、バレットはそれに対して何も思わなかった。

彼にとって、そんな視線は慣れっこだった。それよりも、彼の脳内を閉めるのは、真っ白な中で眠る少女の姿だ。

落ち着かない。

バレットは指先をこすって、先ほどの少女の脈拍の感触を思い出そうとする。

生きていた。そうだ、彼女は生きていた

そんなことはわかっている。今、目の前の男について行くことこそが最善であると分かっている。船の揺れからおそらくすでに出港しているのだろう。ならば、この場で逆らうことこそが愚策だ。

それでも、今にも先ほどの部屋に戻ってメランが目覚めるまでずっと、彼女が確かに生きているのだと確かめ続けたいという衝動に駆られた。

バレットは、連れていかれるままに、逸る様な焦りを何とか捻じ曲げた。

 

 

バレットにとって、メランとはいつだって生きるという言葉そのままの存在だった。

作戦を終えて、拠点にまで戻ってくると意識せずとも人数が減っていることが分かる。もう、数年戦場にいるバレットでさえもよく見る顔など皆無だ。殆どが子どものうちに死に、大人になるまで生き残るものなどそういない。

何よりも、配属される場所など様々で顔見知りになるほど回数を重ねる前に大抵死ぬのだ。

いつも通り、一人だって見た覚えのない軍属の人間を眺めながら、バレットはぽつんとそこに立つ。

それに、何かを思うことはない。しょせん、こんな所で死ぬ程度の存在だ。

だから、バレットはそんなことを忘れてしまう。覚えている価値などない。敗者に価値はない。

そうだろう?

だから、忘れてしまうのだ。

バレットは、無意識のうちに、まばらになった人ごみの中に色を探す。

幾度、見回しても、望む色が見当たらない。

ああ、そうか。とうとう、あれも死んだのか。

それならば、忘れてしまおうか。そうだ、死んだ者は所詮無価値だ。生者に影響などないのだから。

いつだって、そうだった。なのに、バレットは人がいなくなる中で幾度も、その色を探した。

幾度も、幾度も、諦めることも、何も無く、その色を探す。

そうして、その中に、鮮やかな青が揺れた。

 

「バレット!」

 

騒がしい声が、耳を擽る。そのままに声の方に目線を向けると、馴染みの顔が小走りに自分に走り寄って来る。

髪が、まるで尻尾のように揺れていた。満月のような眼が自分にだけ向けられていた。いつの間にか強張った顔が、彼女の顔を見ればふっとほどける。

 

「ようっす。あれ、お前の部隊、結構前に作戦終わったんじゃあ?」

「・・・うるせえのがいるから、外にいただけだ。」

「へえ。でも、さっさと行かないとシャワーも浴びれないし、飯も食いっぱぐれるぞ!ほら、行こう。」

 

メランは、いつだって、生きるという言葉そのものの様だった。

自分を見て笑って、何かに怒って、どこかを見て涙を流し、苦しそうにそこにいた。

生きるか死ぬかの瀬戸際で、誰もが無駄なものをそぎ落とす中で、それだけは捨てられたものを大事にしていた。

その女以上に、生きるという言葉が似合うものをバレットは知らない。

メランが生き残るたびに、バレットはどこか強張った体から力が抜けるようだった。

今日も、忘れるはずだった女の記憶を握りしめることを忘れなかった。

ああ、今日も、この女は己の中に居座っているのだと眠りに落ちる瞬間にありもしない何かを抱えているような気がした。

 

 

眠る彼女を見た時、バレットはぞっとしたのだ。

分からないけれど、言葉にすることは出来なかったけれど、それでも自分にとっての生というものががらがらと崩れ去っていく気がした。

今度こそ、彼女のことを忘れてしまう気がした。

その声も、その微笑みも、その髪が揺れる様も、全て、忘れてしまう気がした。

それの何が悪い?

いつか、何時かの時は、そんなことを望んだ気もした。背負った全てを忘れて、自分のことだけで生きて行こうと思っていた。そのはずだった。

それでも、血の通っていたはずの頬の青白さを見た時、自分の中から何かがとけだしていく様だった。何かが、欠ける。何かが、喪われていく様で。

明日から、彼女がいないのだとすれば。明日から、心と言うものを自覚した瞬間から側にいた何かを失ってしまうのならば。

 

(生きるなんざ、俺は、ただ。)

 

バレットは、彼女のことを忘れてしまったってきっと強さを追いかけるだろう。けれど、違うのだ。進む道先はある。命のつなぎ方ぐらい知っている。

けれど、いき方をバレットは知らない。

 

 

そうして、白ひげの元に連れていかれたその時、バレットはようやく何とか頭を回した。

何を望むと白ひげに問うた時、バレットはてっきり自分に戦闘員として働けと言うのかと思った。

あの男のように、自分の強さが目当てなのかと。

白ひげはそれに首を振った。

 

「いや、俺がお前を船に乗せたのはそんな理由じゃねえ。降りても構やしねえよ。まあ、あの嬢ちゃんがあの状態だからな。それに、次の島までだいぶある。それまでに決めりゃあいい。」

 

その言葉を素直に本心であるとバレットは信じた。何故って白ひげの眼は、何故だろうか。あんまりにもメランによく似ていた。

彼女と同じ、夜闇を照らすように、空にぽっかりと浮かんだ、満月のような眼があんまりにも似ていたものだから。

だから、本当に素直に、男の言葉を信じた。信じてしまった。

自分を見る、静かな瞳が、どうしたってあの少女と被ってしまったから。だから、バレットはその言葉を素直に信じた。

無意識のうちに、彼が今まで理解もせずに受け取って来た何かがその男は信じていいものだと分からせたのだ。

けれど、白ひげの代価を聞くのは止めて置いた。

それは、自分たちのこれからを決めると同等だ。バレットは今まで、無意識にでも自分がメランと共に生きて、そうしてこれからもそうであると信じて疑っていなかった。

だから、それは二人で決めるべきことだとしたのだ。

白ひげはそれに頷いた。

バレットは、見知らぬ誰かの溢れるそこで、早く彼女の元に戻りたいと息を吐いた。

 

 

また、変わり種を拾って来たものだと思ったのは記憶に新しい。

ドクターは静かに医務室の隅に座る大柄の青年と呼んでも差し支えのない少年を見た。

最初に自分に殴り込みをかけてきた少年を船に乗せると言った時、反対がなかったわけではない。けれど、大半の人間が拾われてきた少年と少女に対して、自分たちと同じものを見た。

なんだか妙に痛々しくて、何かを欠いていて、そのくせ腕っぷしだけはあって。

だからこそ、二人が船に乗ることは赦されることとなった。

ドクター自身はどちらでもよかった。古参の部類に入る彼は、白ひげという男を信用している。彼が認めたものならば構わないと。

何よりも、傷だらけの子どもを二人放っておくこと自体が嫌だったということもある。

 

(にしても、これまた歪なもんを拾って来たな。)

 

普段ならば用も無い存在が医務室に入り浸ることをドクターは良しとしていない。なんといっても緊急の時にそんなものがいれば邪魔になるだけだ。ならば、普段から追い出しておくに限る。それでも、ドクターがその少年が、眠り続ける彼女に付き添う形で医務室にいることを許可をした理由はあるのだ。

バレットが船にともかく残ると決めた時、下っ端たちの部屋に寝床は与えられた。けれど、彼は寝床はいらないと断ったのだ。

自分は一時の人間になる可能性もあるためいらないと。そうして、彼が寝床に望んだのは医務室だった。ベッドなどいらないからそこにいさせろというのが彼の願いだった。

それを是としたのは、バレットがメランを見つめる拙い顔を覚えていたためだ。だからこそ、周りを諫めてバレットがそこにいることを認めた。

 

その少年と言うのは、なんともちぐはぐな印象を受けた。

それこそ、粗野さなど海賊団に放り込んでも支障がないほどにありはした。けれど、その少年は何というか、非常にちゃんとしていた。

例えば、些細な事でも礼として会釈で反応するだとか、列が在れば割り込みをしないだとか、使ったものを片づけるだとか、掃除ができるだとか、食事の仕方が綺麗だとか。

何をそんな当たり前のことを、などと言うものがいるかもしれない。けれど、そう言った常識と言うものを知らない海賊は多い。

海賊になるような存在は大抵ろくでもない出自のものばかりだ。例えば、スラムや貧困家庭の子どもが流れに流れてなんて経歴だ。そのため、海賊団に入ってまずは風呂の入り方や掃除の仕方などを教えるなんてことは珍しくはない。

けれど、その少年はそれに比べてひどく当たり前を知っていた。

ドクターは、医務室によくいる少年といつの間にか仲が良くなり、少しだけ話すようになった。

少年は、普段の荒々しい挙動に比べて、ひどく仕草が上品だった。

例えば、食事をするとき、フォークの持ち方も綺麗で、溢しもせずにきちんと食べる。もちろん、上品と言っても貴族だとかそう言ったレベルではなく一般的なものだったが。それでも海賊家業をしている人間からすれば十分に上品だった。

だからこそ、ドクターは時折、機会を探ってそう言ったことを誰に教えられたかを聞いたことがあった。問いに答えてくれることは滅多になかったが、それでも幾度か口を開いたこともあった。

 

「メランに教わった。」

 

答えはいつだって同じだった。

ドクターは古なじみの男から聞いた少女とのやり取りを思い出す。それ故に、思うのだ。

ああ、そうか。

未だに眠り続ける少女のことを思って、考えるのだ。

お前は、この少年のことを大事にしていたのかと。

端々から理解できる、ろくでもなかった彼らの人生で、幼い少女が必死に弟分のような少年のために出来る限りのことをしてやっていたことが理解できた。

どうしようもなくて、ろくでもなくて、それでも少女が必死に少年のことを慈しんでいたことが分かるのだ。

少年はちぐはぐだ。

白ひげや船内のものと戦うその瞬間、その横顔はまるで修羅のようだった。けれど、それを抜かせばバレットは無愛想ではあるけれど、礼儀を知った勤勉な少年だった。

その、少年の零れる様な常識を見るたびに、大事にされていた過去を思う。そうして、そこまで慈しまれながら、戦いこそがすべてだと熱に酔う歪さに、苦みと悲しみを覚えるのだ。

ああ、きっと、大事にされていたのだろう。慈しまれて、くるまれて、必死に一人の少女が彼を守っていたのだろう。

少年から感じる、少しのことが少女の精一杯の愛情を示している。

それでもなお、戦うことにこそ、喜びを見出す歪さにドクターはどうしようもない苦みを覚えるのだ。

ヒーローは訪れず、けれどそのまま生き残ってしまった大人たちを知っている。

自分を慈しんでくれた誰かにさえも、大事にすることが出来ずに、ただ相手を待つことしか出来ない少年にドクターはたまらなくやるせないことだと、そんなことを感じて。

 

 

 

「あの、すいません、バレットがここに居座ってたみたいで。」

 

少女が起きた後、彼女は律儀にドクターに挨拶に訪れた。その少女も又、戦場育ちだというのにやたらと、そうだ上品で平凡だった。

背筋が伸びて、仕草自体が、何と言うか非常に穏やかだった。まるで、血の臭いなんて欠片だって知らない様に。

 

「いんや、あいつはいい子だったぞ。白ひげに喧嘩を売る以外はな。」

「あ、はははははは。それは、何と言うか、すいません。」

 

カラ笑いをして申し訳なさそうに眉を下げる少女は、何と言うか、どこまでも普通だった。

平凡で、どこかの島で、自分たちなどと縁の遠い場所で暮らしている様な、そんな匂いがした。

 

「わざわざ礼を言いに来るなんざ、律儀なこった。」

「いえ、船の上で包帯だって貴重でしょうし。それに、船にこのまま乗り続けることになったので。」

「・・・・そうか。お前たちも、家族になるのか。」

 

それにドクターは心の内で淡く微笑んだ。

その、少女と少年があの男に、優しい船長に、少しでも心を明け渡す気になったというならば、それは、少しうれしいのだと思った。きっと、二人ぼっちで生きた彼らが少しでも、他人を受け入れることができるのならば。

 

「いえ。」

 

声が、それを遮った。ドクターは声のした、少女の方に視線を向ける。

 

「家族には、なりません。ただ、あの子がそれを願ったので。」

すいません、迷惑であるのなら、出ていくことも考えています。

 

苦笑交じりにそう言った少女の顔は、本当に、なんというか平凡であった。日常のことを語る様な、そんな口調であるというのに。その声は、悲しいまでの断絶を表しているようだった。

 

 

「それで、凹んでるのか。兄弟。」

「悪いか、クソガキ。」

 

白ひげとドクターは向かい合って船長室で酒を飲んでいた。話の話題は、メランと言う少女の事だった。

白ひげよりも幾分も年上の医者は、苦々しい気持ちで酒の入ったコップを呷る。

その様を見ていた白ひげも口の中に広がる苦さを自覚してドクターに話しかける。

 

「・・・鼻たれの方が手ごわいかと思ったが。厄介なのはあの嬢ちゃんだな。」

「あの嬢ちゃんはよお、なんつうか、バレットのことを大事にしてるだろう?」

「ああ?」

「ちげえんだ。あの嬢ちゃんは、ただ、誰もあの悪たれを大事にしねえから、大事にしてるんだよ。」

守ってくれる大人がいなかったがゆえに、大人になって母のように振る舞っているのだ。

 

ドクターは少年の大事にされていたのだろうという在り方に、少女の大人への、そうして世界への失望を見出した。自分を見た、家族と言う在り方への拒絶は、明確なまでに期待をしていないというそれを示していた。

出ていきますから、そう言った苦笑した瞳の中に、冷たいまでの失望が光っていた。

 

「・・・俺はな。お前さんが、家族が欲しいつった時、なんつうか、俺もだなあって思ったんだよ。」

 

酔った男の、情けない声が響く。白ひげは無言で酒を口に流し込む。

ドクターはぼやけた思考の中で、言葉を紡いだ。

 

「帰る場所なんざ、とっくに滅びた。なら、どっか、寄る辺がなくても、どうしようもなかったクソガキどもが帰って来れればってよお。」

それでも、少女の微笑みは、まるでその在り方を嘲笑うようだった。そんなもので、救われない子どもだっているのだと。

それを求める心さえも、踏みつぶされた子どもたちの在り方に、ドクターはぐっと歯を噛みしめた。

バレットは、少女の後に医務室にやってきた。そうして、簡単にでもあるけれど、ドクターに礼を言った。メランのことを、ありがとうと。

ずっと少女に向けられていた目が、ようやく自分を認識した気がした。

ああ、それに、それに、どうしようもなく切なくてたまらなくなった。

ああ、少年のその律義さが、少女の失望から生まれたというならばそれはあまりにも寂しいのではないかと。

白ひげはそれに肩を竦めた。

 

「誰かを救えるなんざ、烏滸がましいのさ。」

 

ぽつんと、そう言った。

 

「てめえの生き方が容易く誰かを救うだとか、救えるなんて考えるのは傲慢だ。俺は何かを救いたかったわけでもねえ。ただ、家族が欲しかっただけだ。」

遠い昔、寂しい子どもがいたことを、帰る場所がなかった子どもへのせめてものはなむけとして。

 

「難儀なことを言うな。」

「あたりめえだ。俺たちは結局善く生きるしかねえんだよ。自分にとってもな。それで、変わるかどうか、救われるかを選ぶのはてめえの問題だ。」

てめえを救えるのはてめえだけなんだからな。

 

戒めのような言葉に、ドクターは苦い顔をする。

 

「難儀だな。」

「はっ!この海で、傷を持たねえ奴なんざそういねえだろう。俺たちは、やれることをするしかねえさ。」

 

それでも、例え、ここにいていいという言葉に癒える傷があることを、遠い昔一人ぼっちの子どもであった男は知っていた。

 

 

 

その船に乗って、良いことが幾つかあったとダグラス・バレットは考えていた。

まず、小舟で漂っている以上に交戦にありつけた。そうして、忌々しいことであったがバレットよりもずっと強い人間と言うのがいた。その船員たちから学ぶことは多かった。

外に出て初めて知ったが覇気と言う力があることも知れた。今の所、それを習得することを一番としている。

 

白ひげの船で、一人で過ごす中で頭から離れないことがあった。

メランは、死ぬのだろうか。

いや、違う。生きているのだから当たり前のようにあれだっていつかは死ぬだろう。弱ければ死ぬ。その少女が自分よりもずっと弱いことなんて知っている。

それでも、今回、彼女が死にかけたのは、メランの失態ではない。

あれは、最後まで、白ひげと言う存在を前にしたって最後まで裏切ることはなかった。

彼女は、バレットを裏切らなかった。

だからこそ、死んでもおかしく無いような目に遭った。

それは、死んでいたかもしれない。

何故って。

 

(俺が、弱いから。)

 

まるで鉄の塊を飲みこんだかのような、重い何かが腹に溜まる。

そうだ、弱い奴が何を得られる?弱者が何を選ぶことなんて出来ようか。

 

昔、彼女の髪が陽の光の下で、風の中で揺れているのを見たことがある。暗闇の中ではまるで真っ黒な夜のような色であるのに。何故か、陽の光を浴びると、まるで海のように鮮やかな青に見えた。波間のように、彼女の髪が揺れている様が嫌いではなかった。

自分を見つめる黄金の目が満月のように柔らかく細められるのも、命のやり取りの中で焔のように燃え盛る様を見るのは嫌いではなかった。

 

死ぬとは、それが亡くなることだ。いつか、忘れられるものに成り果ててしまうことだ。

弱いとは、それを赦すことだ。

 

白ひげと戦うのは好きだ。自分の弱さを自覚し、そうしてどうすれば強くなれるのかを解き明かしていく様だった。そうして、死の匂いがする彼女を忘れられた。

ああ、そうだ、自分はもっと強くなくては。もっと、もっと、強くならなくては。

焦燥がバレットの心を焦がす。もっと、戦いを!もっと、狂乱を!

強さがなければ、彼女はいなくなるのだ。死ねば(忘れられれば)、皆敗者なのだ。

また、裏切られる(置いていかれる)のだ。

いやだ、いやだ、腹の中でそんな声に満たされる。

それでも、彼女が起きて、そうして陽の光の下で海の様な青が揺蕩って、満月のような黄金の目が緩むのを見た時、少しだけそのやけどのような強さへの渇望が収まる気がした。

そうだ、まだ、亡くしていない。まだ、忘れてはいない。

だから、そうなる前に、もっと、もっと、強さを。

船の人間たちはバレットを鍛えてくれた。マルコと言うそれは煩いがよい組手相手になった。

けれど、時折、船に残らなければよかったと思うことがある。

 

バレットはトイレから組み手をしていたマルコの下にかえる時、メランがいつの間にかいることを見付ける。

それに無意識に掌に力が籠った。

ずっと、少女はバレットだけを見ていた。見ていてくれた。

なのに、この船に来てから、少女は時折自分以外のことを見ている時がある。そうすると、拳に、体に、無意識のうちに力が宿る。そうして、腹の座る様な苛立ちが湧きたつ。

けれど、いつだって、その苛立ちはメランの声で終わるのだ。

 

「バレット!」

 

彼女はいつだって、バレットのことを見付ける。どこにいたって、バレットを見付けるのは彼女だ。

その声を聞くと、満月の眼が自分を見ていることに気づくと、腹の中の苛立ちも消えうせて、籠った力もふっと解けていく。

それが何かは分からない。それでも、そのこわばりがなくなると、何故かほっとした。

それが何か、分からない。けれど、その考えを今は蓋をしておこうと思うのだ。

そうだ、今は強く在らねば、強く、強く在って。

そうしなければ、奪われてばかりだと、バレットは苛立つように息を吐くのだ。

 

 


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