吾輩は呂布である   作:リバーシブル

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「無謀」

 テントの割り振りが(実質的な強制力をもって)無事に決まり、女子たちの間にようやく小さな安堵の空気が漂い始めた頃。

 佐伯はパンッと軽く一度手を叩き、再びクラスメイト全員の注目を己の元へと集めた。

 

「さて、長らくお待たせしたな。よーやっと、このサバイバルゲームに、俺たちCクラスが参加するお時間が来たようだ」

 

 佐伯の口元には、薄っぺらい胡散臭い笑みが再び貼り付けられていた。

 だが、その声のトーンには先ほどまでの道化じみた軽薄さだけではなく、有無を言わせぬ奇妙な圧力が混じり始めている。

 

「さっきの質問の沈黙具合から察するに、どうやら本格的なサバイバル経験者は、残念なことに俺を除いてこのクラスにはいないらしい。ってことで、素人が集まってあーだこーだと民主主義ごっこをする時間は無駄なので、今からの行動は偉そうにだが、俺が全部指示させてもらう」

 

 さらりと「俺を除いて」と言ってのけた佐伯に対し、クラスメイトたちは一瞬顔を見合わせた。

 この男にサバイバル経験がある? どう見ても、休日は部屋でゲームをしているか、椎名ひよりの横で本を読んでいるかの二択にしか見えない温室育ちの高校生だが。

 しかし、先ほどのインターハイ全国優勝のくだり(真偽はともかく、あの自信に満ちた態度は嘘には見えなかった)もあり、もしかしたらボーイスカウトなどで特殊な訓練でも受けていたのだろうか、と勝手な解釈をして自分を納得させるしかなかった。

 何より、今は佐伯の指示に従うしか道は残されていないのだ。

 

「では、早速作業に移る。まず、今からの作業は全体を大きく二つのグループに分ける。基本的には男女別だ」

 

 その言葉を聞いて、女子生徒たちの顔にはホッとしたような色が浮かび、逆に男子生徒たちの顔には「嫌な予感」という文字が色濃く浮かび上がった。

 体力差を考慮して男女で仕事を分けるのは合理的だが、この得体の知れない男が、男子に対して「じゃあ薪でも拾ってきて」程度の生易しい仕事を与えるとは思えなかったからだ。

 

「とはいえ、我らが親愛なるオウサマにいきなり汗まみれの重労働をさせることは、俺の極めてゼンリョウな精神が激しく痛むのでね」

 

 佐伯が白々しく胸に手を当てて天を仰ぐと、円陣の端で腕を組んでいた伊吹澪が、たまらずといった様子で「チッ」と盛大な舌打ちをした。善良な精神だと? どの口が言っているのだ、と彼女の険しい目つきが雄弁に語っている。

 佐伯は伊吹の苛立った視線などどこ吹く風で、言葉を続けた。

 

「ってことで、女子の方のグループには、龍園クンと、あとは男子を二、三名見繕ってそっちに回す。こちらはおもに軽作業を中心に担当してもらう」

 

「軽作業……」

「よかった、それなら私たちでもできるかも……」

 

 女子たちの間で安堵の囁きが交わされる。龍園と同じグループになるという恐怖はあったが、彼が自ら重労働をするはずもなく、おそらくは日陰でふんぞり返っているだけだろう。ならば、自分たちも直射日光の下で倒れるような過酷な作業は免れるはずだ、という打算が働いていた。

 

 しかし、残された大半の男子生徒たちは違う。

 彼らの顔面は、これから宣告されるであろう自らの運命に対する恐怖で、すでに青ざめ始めていた。

 

「そして──残りの男子共は、俺と一緒に『土木作業』に取り掛かってもらう」

 

 ピシャリと。

 佐伯の口から放たれたその単語に、男子生徒たちの時間は完全に停止した。

 

(……ど、土木作業?)

 

 幹部である石崎大地は、額から嫌な汗をだらだらと流しながら、自分の耳を疑った。

 ここは無人島だ。学校側が用意した特別試験という名のサバイバルキャンプである。テントを張ったり、薪を集めたり、良さそうな水場を探したり……そういう「アウトドア」な活動をする場所のはずだ。

 なぜそこで、「土木作業」などという、ヘルメットとツルハシが似合うようなガチの労働用語が飛び出してくるのか。

 他の男子生徒たちも同様だった。「え? キャンプじゃないの?」「土木って、穴でも掘るの?」と、パニック寸前の困惑が円陣の中に渦巻く。

 

 だが、佐伯はそんな男子たちの絶望など知ったことではないというように、背を向けたまま微動だにしない独裁者へと声をかけた。

 

「──ってなわけで、龍園くーん。女子の監視と軽作業の統括、そういうことだからシクヨロねーん」

 

 極めてフランクに、そして狂ったような軽い調子で、佐伯は事もあろうに龍園翔へ向かって「シクヨロ」などというふざけた言葉を投げかけた。

 その瞬間、クラスメイト全員の心臓がヒュッと縮み上がった。

 いくら全権を委任されているとはいえ、仮にもクラスの支配者に向かってその口の利き方はなんだ。怒りで龍園が振り返り、佐伯の顔面を砂浜に沈めるのではないか。

 全員が息を呑んで龍園の背中を注視する。

 

 しかし。

 龍園は相変わらず、地平線を見つめたままピクリとも動かなかった。

 振り返りもしないし、怒鳴り声一つ上げない。ただ、無言のまま右手を軽く上げ、ヒラヒラと二度ほど振っただけだった。

「勝手にしろ」「俺を巻き込むな」という意志表示にも見えたが、それは同時に「佐伯の指示は俺の指示と同義である」という、絶対的な肯定のサインでもあった。

 怒らないのか。あの龍園さんが、あんな舐めた態度を許容するのか。

 その事実が、クラスメイトたちに「佐伯了」という男の不気味さをさらに深く刻み込んでいく。

 

「よし、オウサマの言質も取れたな」

 佐伯は満足げに頷くと、今度は安堵で胸をなでおろしている女子たちへと視線を向ける。龍園自身は一言も口にしてないのだが、佐伯の中では言質ということになっている。

 

「龍園クンには事前に大まかな計画は伝えてあるから、細けえ指示は彼から出ると思う。だが、今ここでやってほしいことは言っておこう。女子のみんなにはまず、最初にやってほしい大事な仕事がある」

 

 佐伯の声が少しだけ真面目なトーンに落ちたことで、女子生徒たちは背筋を伸ばした。

 大自然でのサバイバル。火起こしか、それとも食料探しだろうか。

 緊張する彼女たちに向かって、佐伯はあっけらかんと言い放った。

 

「とりあえず、そこら辺の浜辺に落ちてる『ゴミ拾い』をしてくれる?」

 

「……はい?」

「……ゴミ、拾い?」

 

 予想外の単語に、女子たちは思わず間の抜けた声を上げた。

 見渡す限り広がる、美しいエメラルドグリーンの海と白い砂浜。たしかに波打ち際には、海流に乗って流れ着いたと思しき流木や、いくつかの漂流ゴミのようなものが散見される。

 だが、なぜ無人島に来て真っ先に、ボランティア活動のようなゴミ拾いをしなければならないのか。

 

「あー、別に環境保護に目覚めたわけじゃないぞ」

 彼女たちの疑問を察したように、佐伯は肩をすくめてみせた。

「ここは正真正銘の無人島だ。人工物は、学校側が用意した支給品か、海から流れ着いたゴミしかない。で、俺たちがこれから快適な生活を送るためには、その『海からの贈り物(ゴミ)』の中に、使えるもんが混ざってないか探す必要があるわけよ」

 

 佐伯は足元にあった、日に焼けて変色したペットボトルを軽く蹴り転がした。

 

「空のペットボトル一つあれば、水を汲んで運ぶ容器になるし、切り取ればスコップ代わりにもなる。発泡スチロールの欠片があれば浮きになるし、丈夫そうなロープや網の切れ端でも落ちてりゃあ万々歳だ。お前らには、とりあえず海岸線を歩いて、そういう『使えそうな人工物のゴミ』を拾い集めて一箇所にまとめてほしい。もちろん、熱中症には気をつけて、日陰で休みながらでいいぞ」

 

 その説明を聞いて、女子たちはようやく納得の表情を浮かべた。

 ただの雑用かと思いきや、サバイバルにおける物資調達という立派な理由があったのだ。しかも、ジャングルの中をかき分けるわけでもなく、比較的安全な砂浜を歩いて探すだけ。これなら自分たちにも無理なくできそうだ。

 

「わかりました。それくらいなら、私たちでもできると思います」

 女子の何人かが代表して頷き、少しだけ表情を明るくした。

 

「ふふっ。宝探しみたいで、なんだか面白そうですね」

 ひよりもくるりと周りを見渡し、ニコニコと微笑みながら賛同の意を示している。

 これで、女子グループの作業方針は決定した。安全かつ、体力をさほど消耗しない軽作業。彼女たちにとって、これ以上ない好条件でのスタートである。

 

 ──しかし。

 女子たちの空気が和らいでいく一方で、残された男子生徒たちの間に立ち込める暗雲は、ますますどす黒く、重みを増していた。

 女子が海岸線のゴミ拾いという「軽作業」を与えられたということは。

 自分たちに課せられる「土木作業」とやらは、一体どれほどの地獄なのか。

 男子たちの怯えた視線が、一斉に佐伯へと突き刺さる。

 

「それじゃ、これから少しの間、別作業といこう」

 

 佐伯は女子たちから視線を外し、今度は残された二十名弱の男子生徒たちをゆっくりと見回した。

 その瞳から、先ほどまでの胡散臭い笑みがスッと消え去る。代わりに浮かび上がったのは、前世から受け継いだ暴力と生存本能に裏打ちされた、獲物を追い詰める捕食者のような冷徹な光だった。

 

「さて、と」

 

 龍園と、彼に指名された三名の幸運な男子生徒、そしてひよりを含む女子生徒の集団が、砂浜を歩いて遠ざかっていく。

 過酷な労働から解放された彼らの背中には、どこか遠足に向かうような安堵の空気が漂っていた。それをただ見送ることしかできない残された二十名弱の男子生徒たちは、まるで死刑宣告を受けた囚人のような絶望的な顔つきで立ち尽くしている。

 

「そいじゃ、俺達も土木作業へと健全に汗をかきに行こうか」

 

 佐伯了が、軽い調子で口笛を吹きながら歩き出した。

 彼についていく以外の選択肢を持たない男子生徒たちは、重い足取りでゾロゾロとその背中を追いかける。容赦なく降り注ぐ真夏の太陽が、彼らの着ている真新しいジャージに容赦なく熱を溜め込み、じっとりと嫌な汗を噴き出させていた。波の音と、ザクッ、ザクッと砂を踏みしめる重苦しい足音だけが、無言の集団の中に響き渡る。

 

 だが、その不気味な行軍は、十分と経たずに唐突な終わりを迎えた。

 砂浜をしばらく歩き、ちょうど岩場がせり出して大きくカーブしている角に差し掛かった時のことだった。背後の海岸線からはすっかり女子たちや他クラスの姿が見えなくなり、完全に視界が遮られた死角の空間。

 

 パンッ! パンッ! 

 

 波の音を切り裂くように、佐伯が大きく二度、手を叩いて全員の歩みを止めさせた。

 ビクッと肩を震わせた生徒たちが視線を向けると、佐伯はクルリと振り返り、先ほどまでの胡散臭い笑みをスッと顔から消し去っていた。

 

「おっけー。女子たちとも十分な距離が離れたし、他のクラスの連中の目も届かないな」

 

 佐伯は首の骨をゴキリと鳴らし、ゆっくりと男子生徒たちを見回した。

 その瞳に宿っていたのは、道化のふりをした温厚なクラスメイトの光ではない。圧倒的な強者が弱者を見下ろす、冷酷で、ひどく暴力的な光だった。

 空気が、一瞬にして張り詰める。

 

「それじゃー……俺に不満があるやつ、前に出ろ」

 

 一瞬、波の音すら消え去ったかのような静寂が落ちた。

 男子生徒たちの顔に、困惑の色が広がる。突然何を言い出したのか、状況が呑み込めないのだ。

 予想外の言葉に、男子生徒たちは顔を見合わせた。「不満があるやつは前に出ろ」とは、一体どういう意味なのか。これから過酷な土木作業を命じられるのだから、不満がないはずがない。だが、それを正直に口に出して良いものなのか、それとも反逆者を見つけ出して粛清するための罠なのか。

 

 だが、その言葉の意味するところを、そしてこの男がどれほど危険な存在であるかを骨の髄まで理解している者が二人だけいた。

 幹部である石崎と、巨漢のアルベルトだ。

 石崎は全身をブルリと震わせ、アルベルトもまた、黒いサングラスの奥でビクリと巨体を強張らせていた。彼らは知っている。この男が今から行おうとしていることが、単なるガス抜きや話し合いなどではないということを。

 しかし、佐伯の真の恐ろしさを知らない一般の生徒たちには、石崎たちの異常な反応を読み取ることなどできず、ただ顔を見合わせて戸惑うばかりだった。

 

 そんな男子たちの反応など意に介することもなく、佐伯は事もなげに言葉を続ける。

 

(や、やめろ……! 佐伯さん、アンタ何する気だ……!)

 

 石崎は知っている。この男が、どれほど理不尽で、どれほど規格外の暴力の化身であるかを。そして、彼がわざわざ人目のつかない場所を選んでこんな挑発をしたということは、言葉による説得など最初から放棄しているということを。そして言葉のトーンからとっくにおふざけモードが消えていることも。

 

 だが、石崎やアルベルトの明らかな怯えを、一般の生徒たちは単なる「暑さによる疲労」か何かと勘違いし、その異常性に気づくことはできなかった。

 

「遠慮すんなって。虎の威を借る狐の指示なんて、ウザくて仕方ないんだろ?」

 

 佐伯は事も無げに言葉を続ける。その口調は少し柔らかいものに戻っていたが、孕んでいる危険な空気は微塵も減ってはいない。否、隠す気がないのだ。

 

「まあこの場合、俺の背後にいるのは龍園だから、龍の威を借る狐、かな? まぁそれはいいとして。クラスの絶対的なオウサマである龍園クンの直接の指示ならばいざ知らず、今までクラスの隅っこで大人しくしていた俺なんかに、いきなり頭ごなしにあれやれこれやれなんて命令されて、内心やってられないって思ってるだろ? 俺が逆の立場なら間違いなくキレてるね」

 

 図星を突かれ、数人の男子生徒が視線を逸らした。

 その通りだ。なぜ自分たちが、龍園に媚びへつらって幹部気取りになっているこの男の言うことを、大人しく聞いて地獄の土木作業とやらをやらされなければならないのか。不満は彼らの腹の底で確実に燻っていた。

 

「というわけで、お前らにとってのビッグチャンスだ」

 

 佐伯は両手を広げ、無防備な胸を晒してみせた。

 

「今から、俺に一発でもクリーンヒットさせることができた奴には、俺の手持ちである『十万ポイント』をポンとくれてやる。ついでに、この試験中、俺の指示なんか一切無視して、海岸で寝転がっていようが自由にしていいぞっていう特権もセットで贈呈しよう。無論のことだが、それで1位を取れなかったとしても、サボりの対象にはしないさ」

 

「……は?」

「十万、ポイント……?」

 

 あまりにも破格すぎる提案に、男子たちの間にざわめきが起こる。

 十万ポイントといえば、彼らのような底辺クラスの生徒にとっては二ヶ月の生活費に匹敵する大金だ。それを、ただこの男を一発殴るだけで手に入れられ、おまけに無人島での地獄の労働から免除されるというのだ。

 

「ま、俺の時間は有限なんで、挑戦は一人五分としようか。もちろん、俺は防御と回避に徹する。一切反撃もしない『サービスデイ』だ。……よかったな?」

 

 どこまでも舐め腐った発言だった。

 俺を殴ってみろ。反撃はしない。一発でも当てられたら十万ポイントくれてやる。

 一般の生徒たちの耳には、それが単なる虚勢か、あるいは自分たちを徹底的に見下した挑発にしか聞こえなかっただろう。実際に、何人かの生徒の目には明らかな怒りと反骨心が宿り始めていた。

 

(ち、違う……! そいつの言うことを真に受けるな……!)

 石崎は一人、声にならない絶望の叫びを上げていた。

 反撃しない? 防御と回避だけ? 

 佐伯了を知っている石崎からすれば、そんなものは何の慰めにもならない。むしろ、龍園やアルベルトに正面から殴りかかれと言われる方が、よほど生存確率が高く人道的な行為に思える。相手は、人間の形をした別次元の怪物なのだ。

 挑発に乗れば、ただじゃ済まない。プライドはおろか、精神の根本からへし折られる。

 

(頼む……! 頼むから、誰も前に出るな……ッ!)

 

 石崎は息を詰め、クラスメイトたちの理性が誘惑に勝つことを必死に祈った。誰も前に出なければ、この悪ふざけは終わる。それでいいんだ、大人しく土木作業をさせてもらった方が、絶対に命のためになる。

 

 だが、石崎の悲痛な願いは、無情にも打ち砕かれた。

 

「──本当に反撃せず、ポイントも寄越すんだな?」

 

 ざわめきを切り裂いて、一人の男子生徒がズカズカと列の前に進み出た。

 時任裕也だった。

 クラスの中でも血の気が多く、入学当初から龍園の横暴で独裁的な支配に対して、内心で反抗的な態度を隠そうともしていない男だ。彼は龍園を直接引きずり下ろす機会を虎視眈々と狙っていたが、ここにきて、その龍園が全幅の信頼を置いたらしい「佐伯了」という絶好の標的が目の前に現れたのだ。

 

 時任の目には、明らかな敵意と侮蔑の色が浮かんでいた。

 龍園の威を借りて偉そうに振る舞うこの小悪党を、皆の目の前で無様に這いつくばらせてやる。そうすれば、間接的に龍園の顔に泥を塗ることもできるし、自分のクラス内での発言力も上がる。十万ポイントと労働免除まで手に入るのなら、やらない理由がなかった。

 

「や、やめとけ! 時任! 早まんなって!!」

 

 たまらず、石崎が裏返った声で叫んでいた。

 彼は本気で時任を心配していた。このままでは、時任の精神が取り返しのつかない形で完全にへし折られてしまう。アレは手を出さないと言っているが、手を出さずとも人間を絶望させる方法などいくらでもあるのだ。

 だが、必死に止めようとする石崎の言葉は、時任には全く別の意味に受け取られていた。

 

「あぁ? うるせえな!」

 時任は振り返り、石崎に向かって牙を剥くように鼻で笑った。

「龍園の腰巾着が、お偉い代理サマがボコられるのを心配してんのかよ! 引っ込んでろ石崎!」

 

「ち、違う! 俺はお前のために──!」

 

「黙れ! どうせ龍園に怒鳴れるのが怖いだけだろ!」

 

 石崎の制止は完全に逆効果だった。

 時任からすれば、普段は龍園の横で偉そうにしている幹部の石崎が、血相を変えて止めてくること自体が「佐伯が実は喧嘩に慣れていない弱者である」ことの証明に他ならなかった。龍園一派である石崎が焦れば焦るほど、佐伯を打ち負かすことで龍園の鼻を明かせるという時任の確信は強まり、彼の意思をより強固なものにしてしまった。

 石崎が龍園一派の幹部であるという事実が、時任の対抗心に火を注ぎ、その意志を岩のように固くしてしまったのだ。

 

「ふふ……ふっ……あはははっ」

 

 その緊迫したやり取りを見て、佐伯は肩を揺らして笑い出した。

 

「石崎くん、彼の立派な覚悟に泥を塗ってやんなよ。可哀想じゃないか」

 佐伯は楽しげに言うと、パンッと一回手を叩き、まるでショーの司会者のように声を張り上げた。

「はいっ、視聴者のみんなも彼の勇気に拍手ッ!」

 

 当然ながら、誰も拍手などしない。ただ、これから始まるであろう暴力の予感に、息を呑んで立ち尽くしているだけだ。

 挑戦者の時任はぺっと唾を砂浜に吐きつける。

 

「ルールは聞いたぞ、佐伯。五分間、お前は避けるか防ぐかしかしない。俺が一発でも顔面を殴り飛ばしたら、十万ポイントだ。約束は守れよ?」

 

 鋭い眼光を向ける時任に対し、佐伯は構えようとすらしていなかった。

 両腕をだらんと下げ、ズボンのポケットに手を突っ込んだまま。肩の力は完全に抜け、足幅も無防備に開かれた完全な「自然体」である。

 そこには、これから殴り合いが始まろうとしているという緊張感は一切ない。まるで休日の公園を散歩しているような、圧倒的で異常なまでの余裕が漂っていた。

 

「ああ、もちろんだとも」

 佐伯は薄く笑った。その瞳の奥には、獲物が自ら罠に飛び込んできたことを喜ぶ、冷酷な光が宿っている。

「俺の言葉は、オウサマの言葉と同程度に重いと思ってくれていい。……あぁ、ついでに言っとくけど、パンチだけじゃなく、蹴りも有効だ。なんでも好きに使ってこい」

 

 佐伯はポケットに入れたままの右手の人差し指を、ズボンの生地越しにクイックイッと曲げ、時任を挑発するように手招きした。

 

「一発でもクリーンヒットできたら、だがな」

 

 炎天下の無人島。波の音だけが響く閉ざされた砂浜の片隅で、時任裕也のプライドと、佐伯了の底知れない狂気が交差しようとしていた。石崎が顔を覆って目を逸らす中、時任が低く唸り声を上げ、その場を蹴り出した。

 

「なら──貰ったァッ!!」

 

 時任の怒号と共に、灼熱の砂浜での一方的で残酷なゲームが、ついに火蓋を切った。

 






高評価と感想があれば何でもできる…
なるほど完璧な作戦っスねーッ 不可能だという点に目をつぶればよぉ~

ーーーーーーーー

不定期更新と銘打ちながらも週に一回更新できてる自分を褒めたい。
砂浜から出てるのこれ…?
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