何故か江戸時代の日本に迷い込んだので、博覧亭のお世話になってます 作:北乃ゆうひ/YU-Hi
杉忠が、おびびと源一郎を連れて出掛けた後、榊は見世の外へと出てとある場所へと向かう。
それは榊がおびびと出会った場所――大橋へだ。
(おびびがこの近くに居たのは、ここらが境界だから――なんだろうかね)
橋は異界へと繋がっているという話がある。
元々、川を挟んだあちらとこちら、それを繋ぐものだからだ。
そして、川とは三途。隔てているのは生と死だ。故に橋の向こうとこちらは別世界。
その在り方を体言するかのように、榊はこの大橋で怪異と遭遇することが少なくもない。
「まぁ、ある意味おびびもその一つかね」
独りごちて、橋姫の元へと歩む。
《あら、榊ちゃん。どうしたの?》
「いえ。おびび以降、他に変わった異邦人はなかったですかね?」
《そうねぇ……今のところは――って、あ》
「あ?」
何かを見つけたように、橋姫は橋の中央を指さした。
「……?」
ゆっくりと榊はその指さす方へと身体を向けると――
「……ッ!?」
そこには、古ぼけた小さな布の袋がひとつ。
何も存在しないはずの天から、ぶら下がっていた。
「ちゃ、ちゃ、ちゃ……茶袋だーッ!!」
それはそれは、大層嬉しそうな顔をして、榊は茶袋に飛びつこうとする。
だが、榊がそれに触れるよりも先に、袋はペッと何かを吐き出した。
吐き出された何かは榊の顔に直撃する。
「ぐえ」
それから、茶袋はそれを吐き出し終えると、空へと消えていってしまう。
「くそー……せっかく茶袋に会えたっていうのに」
顔を押さえながら榊がうめくと、橋姫は思わず苦笑する。
《あれって、触ると病に冒されるんじゃ……》
「茶袋の呪いによる病……体験してみたいじゃないですかーッ!!」
《…………》
顔を輝かせて拳を握ってみせる榊に、橋姫は一歩後ろへと後ずさった。
それはそれとして――
「あの茶袋……文字が書いてあったな……」
読み間違えでなければ、そう書いてあった。
どうして、その名前が書かれていたのかは、推測出来ないわけでもないが――
「ところで、茶袋は何を吐き出したんだ?」
榊は何かがぶつかった額をなでながら、周囲を見渡す。
《これじゃないかしら》
橋姫が指さすところにあったのは、
「うさぎ……?」
《かわいいお人形ね》
そう。うさぎを模したと思われる人形だ。
「何だこりゃ?」
首を傾げると、うさぎの人形はひとりでに立ち上がる。
「うわー」
榊は再び目を輝かせて、そいつを抱き上げた。
「茶袋が吐き出した
その行動を見ている橋姫が呆れているが、妖怪馬鹿は気にしちゃいない。
急に抱きしめられて戸惑っている人形に、ふと橋姫が訊ねる。
《うさぎのお人形ちゃん。あなた、おびびちゃん――えーっと、びびおちゃんだったかしら――って知ってる?》
すると、そのうさぎは激しく首を上下に動かす。
「チッ、すでに主人付きか」
《人さらいみたいなコト言わないの、まったくもう》
呆れ顔の橋姫はさておいて、榊はうさぎを顔の高さにまで持ち上げて訊ねる。
「そんでお前さん、おびびを助けに迎えに来たってコトでいいかい?」
訊ねると、人形は首を横に振った。
「ん? 違うんで?」
身振り手振りで必死に何かを伝えようとしてくるのを見ていると、不思議と内容が理解できる。
「伝言? おびびにかい?」
他にも伝言を預かってきていることを伝えようとしてくる様子で、パタパタと動く。
「ん? 俺にも伝言があるんかい?」
どうやら人目の付かない場所で、その伝言を見せたいそうだ。
「なら一度見世に戻るかね。ちょいと人形のフリしててもらえるかい?」
ピッと右手を額の上辺りでナナメにおいてから、人形のフリをしてくれるのだった。
☆
屋根の上に登ると、すぐ側の別の建物から、源一郎の部屋を狙っている輩を見つけた。
恐らくは屋根づたいに、こちらの建物へと移って、屋根から彼のいる部屋へ飛び込むつもりだろう。
(だったら……)
おびびは息を潜めて、相手の死角を位置取る。
刺客が屋根づたいにこの建物へと移ってきて、源一郎の部屋の辺りで足を止めた。
そこから、窓でも蹴破るつもりなのだろうが、そうはいかない。
こっそりと、相手の足にバインドを仕掛ける。
刺客が飛び降りようと動こうとして、足が動かないことに驚愕している気配を確認すると、おびびは息を押し殺したまま、刺客の背後に体当たりをした。
すでにバインドは解除している。刺客とともに屋根の上から身体を投げる形になるが、魔法による姿勢制御と慣性補正を行って、華麗に着地してみせた。
必要があれば刺客にも、魔法で落下を押さえるつもりだったが、相手は空中で姿勢を正して着地してみせる。
「あれで終わるつもりだったんですが」
「なかなか悪くはなかったが、な」
刺客がおびびを確認して、構える。
「気配の消し方。足に対する拘束。躊躇わず、自らを屋根から投げる胆力――
おびびは自分の失態に胸中で舌打ちをした。
背後からの魔法で意識を刈り取ってしまうべきだった。
この警戒の仕方――明らかにプロの類い。
だが、そんなことなどおくびに出さず、おびびは自分の拳を打ち付けあってから、構えた。
「守る為のこの拳です。
初手を
白昼の吉原の大通り。
禿にしか見えぬ少女と、吉原にあってなおまともと思えぬ空気を纏う男が、
おびびと賊とが技を交える光景をみながら、源一郎はただひたすらに、どうしてこうなったのかを考えていた。
堅物で融通が利かないからと言わえているが、だからとて頭の巡りが悪いというワケではない。
いくら父に言われたからとはいえ、杉忠と共に両国広小路まで来るのは気が進まなかった。
それでも、ここまで付き合ったのは、ひとえに自分が誰かしらに嫌がらせを受けている自覚があったからだ。
源一郎の兄弟は多い。家の跡取りになるのは長男である源一郎に半ば決まっているとはいえ、商人としての才覚があるのは次男の方だ。
父も母も、親類も、みな次男を贔屓する。
だが、世間体というものもあるからか、跡継ぎの話が出れば源一郎にする予定だと皆が言う。
身内を疑うのは嫌ではあったが、辻褄があってしまう事柄が多く、苦心していたところに、今回の話があった。
僅か数日とはいえ、実家を離れることで、状況を冷静に分析しなおせるのでは無いかと思ったのだ。
しかし結果はこれだ。
父か弟か――恐らく身内に雇われだろう刺客が、自分を襲撃してきた。
事前に察知したおびびがそれを防いでくれたとはいえ、杉忠と、杉忠の馴染みのこの見世に多大な迷惑をかけている。
「あっしなんて、いない方が世のためになったんでございましょうかね」
思わず、そんな言葉が口をつく。
次の瞬間――
「……ッ!?」
右の頬に衝撃が走り、徐々に熱を帯びていく。
見れば見世の遊女の一人が、平手を打った姿勢のまま、源一郎を睨んでいた。
その横で、振り上げた拳を所在なさげにおろす杉忠の姿もある。
この遊女が自分を叩かなければ、杉忠に殴られていたのだろう。
だが――
「なぜ?」
「旦那が何を思ってその言葉を口にしたかはわかりゃんせん。ですが――」
そこで言葉を切り、おびびを示す。
「その言葉、あの子に失礼と思わんのかや?
身体を張って、旦那を守ろうとしとりますえ」
「それが分からないんです。
あっしとあの子は昨日会ったばかりの仲。身体を張ってまであっしを守る必要なんて――」
「理屈じゃねーんだろ」
腕を組み、杉忠が告げる。
「おびびが自分で言っていただろ。
守る為の拳だ――ってさ。守りたいと思ったものを守る。彼女はその為に拳を握ってるんだろうさ」
「……なるほど。それを理解出来ないから、あっしは堅物で融通の利かない奴だと
思いこみ、決め込み、それしか考えられなくなるから、視野が狭まる。
護りたいから護る――それだけの理由で身体を張って誰かを守ろうとする。そんな人間がいるだなんて、想像もしたことがなかった。
一直線にしか進めないから融通が利かないのではなく、自分は、わき道が見えないから一直線にしか進めなかっただけだ。
横道を分かってて一直線に進むのと、横道を知らずに進むのでは大違いなのだ。
――ここに至ってようやくそれに気が付くことが出来た。
そんな時、
「杉サマ、あの……あれ、なんですか?」
遊女の一人が、何かを指さして杉忠に訊ねる。
その指が示す先にあるのは――
「
杉忠の代わりに、源一郎が答える。
「あんな何にもない場所に……どうやってぶら下がってるの?」
遊女のもっともな疑問に、源一郎も首を傾げた。
「ありゃ、茶袋って怪異だ……やばいぞ、出現場所が最悪すぎるッ!」
杉忠は身を乗り出して、おびびへと警告する。
「おびび、天からぶら下がってる茶袋には気をつけろッ! 触った奴を病に冒す怪異だッ!!」
声をあげながら、杉忠は妖怪馬鹿の幼なじみに感謝する。
あの枯れススキこと榊から、話のタネとして聞かされたことがなければ、杉忠も存在を疑問に思っていただろう。
「はいッ!」
「警告痛みいる!」
だが、あれだけの大声だ。
その警告は、おびびだけでなく、刺客に耳にも当然入る。
そして二人は茶袋の存在を駆け引きに取り入れながら、再び技を交わし合う。
「とっとと、あっしを殺そうとすればいいものを……」
「それをすれば、おびびが確実にその隙を狙うって、あいつも分かってる。だから、まずはおびびを何とかしようとしてるのさ」
故に何とか拮抗していられるのだと杉忠は言う。とはいえ、いつまでも拮抗は続かない。
なぜならば、刺客の方が僅かばかり上手だったからだ。
「しまった……ッ!」
おびびの隙をついて、刺客の膝が彼女の
「……ぁッ……!」
喉の奥から空気を漏らすおびびの頭を捕まえた。
「あいつ、おびびを茶袋に……!」
歯ぎしりをする杉忠の横で、源一郎が覚悟を決める。
「先ほど、あっしの頬を叩いたお嬢さん」
「え、あ……あの、先ほどは失礼を」
「いえ――むしろ礼が言わせていただきます。
もし可能なら、改めて吉原遊びをあっしにご教授していただきたい」
そうして、源一郎は一方的にそう告げると、地面を蹴る。
それの背を見送る遊女――粉雪の顔を見た杉忠は、源一郎は間違いなく時次郎であったと確信するのだった。