もしも、簪ちゃんがSSを書いていたら。
そこに物語を変える程の大きな力はない。
しかし、1人の少女の意思1つが変われば。
また世界は新たな形を1つ、見つけ出す。

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ほんの小さな勇気の欠片

 運命なんて些細な事で変わる。そう、これは1つの切欠から始まる1つのお話。

 

 

「……何、書いてるんだろ……」

 

 

 ぽつりと、呟きを零して困ったように呆然とディスプレイを眺めて簪は呟いた。目の前にはただ文章の羅列が綴られている。それを見直して、はぁ、と再度、簪は溜息を吐いた。

 そこに綴られた文章は俗に言う“SS”と呼ばれるものだった。勢いのままに書き上げた文章の羅列は、自分の想像の中のヒーローを具現化したものだ。

 更識 簪の趣味はアニメ鑑賞である。中でも好きなのは勧善懲悪もののヒーローもの。ある日、ネットの海で見つけた“SS”というものに触れてしまったのがいけなかった。

 描かれたのは無限の可能性。完結まで見終わったアニメを名残惜しんでいた簪にとって、そこから続く物語や、またはIFの物語にすっかりと魅せられていた。ついつい自分でも書けるかも、と思い描いて文章を綴ってみたのだが。

 

 

「……どうしよう、これ」

 

 

 所在なさ気に簪は呟く。勢いのまま書き上げた文章はいつの間にか、物語の佳境まで書き終わっていた。熱中している間というのは怖いものである。読み直してみて、簪は思わず顔を俯かせた。

 なんて都合の良いヒーローだろう、と簪は思った。そう、思い描いたのは自分の思い描いたヒーローが活躍するそんなお話。

 

 

「……馬鹿みたい」

 

 

 簪には優秀な姉がいる。何をやっても勝てない、追いつく事も出来ない姉。簪も昔は必死に姉の背を追いかけようと、努力を重ねていた。だがそれでも覆らない現実と周りの声にすっかりと簪は押し潰されていた。

 お姉さんは優秀なのにね、という言葉が呪いのように耳について離れない。誰かに甘える事なんて出来なかった。だからこそ、藻掻いても意味なんてないのだと、簪の心は段々と擦り切れてしまう。

 いつからか、正面から姉だなんて呼べなくなっていた。弱い自分が嫌で、惨めで、情けなくて、その背を追いかける事が苦痛にさえなっていた。それでもまだ諦めきれない理由は一体何故なんだろう、と。

 そんな現実から逃げ出すように簪が嵌ったのはアニメに出てくるヒーローだった。自分を助けてくれるヒーロー。完全無欠で、曲がらないで、折れないで、ずっと輝いているような人。

 

 

「……どうしよう」

 

 

 自分の想像から生まれた物語。自分が好きだった物語から派生した、自分がもしもこんな風にあれたらな、というヒーロー。どうしようもなく恥ずかしくて、でも消してしまうのは心のどこかで嫌がっていた。

 これを消し去ってしまったら、本当に自分の中でのヒーローなんていなくなってしまうんじゃないか、と。

 それはひっそりと、簪のデータの肥やしとなって眠る事となる。消されぬまま、そっと。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「眠い……」

 

 

 しょぼしょぼとする目を擦って簪は呟く。ついつい、読みあさっていたSSの中に自分の琴線に触れた作品があって、投稿された話数の分まで読み切ってしまった。

 それはヒーローのお話。原作のヒーローとは別に、作者がオリジナルで出した主人公が原作の主人公達と並び立つお話。そして元々の作品にあった悲劇にすら打ち勝ってしまうそんなお話。

 言ってしまえばご都合主義にもなりかねない物語を、本来は作品にいないキャラクターを上手く盛り上げて、原作のキャラ達とも一丸となって、物語の本流から外れて新しい結末を描こうとしている。

 心が躍った。元々好きなキャラクター達だった原作のキャラ達が、最初は受け入れなかったオリジナルキャラと心を通わせ、ぶつかりあい、そして和解していく物語に思わず自分を重ねてしまった。

 元々の作品に不満があった所や、簪の心の中に残っていたシーンを別の視点で描く事によって強い共感を。そしてその光景を見て成長していくオリジナルキャラクターの心理が自分の心を揺さぶった。

 

 

「……感想、書いてみようかな」

 

 

 ずっと読み専門だったから、感想を簪は書いたことが無かった。けれどどうしてもこの感動を伝えたかった。感想掲示板なんていう手軽に感想を書き込める場もあったからだろう。

 心に残っていた、自分も好きなシーンを綺麗に、自分とは違う視点で描いてくれた感動。それを感想に綴って掲示板に書き込んでみた。他の感想を見れば、自分と同じようにあのシーンが良かったよね! や、ここをこんな風に描くとは、と称賛の声がちらほらと見えた。

 自分と同じ思いを抱いてくれる人がいる。そんな小さな事実が簪には嬉しくて、思わず簪は小さく笑みを零すのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

『髪飾り様へ』

 

 

 髪飾りとは、簪がネットで使っている名前だ。自分の名前を元にして名乗っている名前だが、その名前宛てに届いたのは例のSSの作者からの返信だった。

 感想ありがとうございます、とお礼の言葉から綴られた感想に、丁重な感想をどうもありがとう、とお礼の言葉が続いていく。簪の感想を受けて本気で嬉しかった事、丁重で綺麗な文章を描く人で、思わず面食らった、と茶化すように書かれていた。

 

 

『貴方のような丁重で優しい人に、僕のヒーローが受けいれられた事が嬉しいです。また良ければ感想をください』

 

 

 思わず簪は唇を震わせた。認められた気がした。仲間になれた気がした。そんな気がしただけでも、簪の心は確かに躍っていた。また感想を書こう、とも思った。そして同時に簪は思ってしまったのだ。

 かつて肥やしにしてしまった自分の描いた物語。改めて読み直してみて、簪は顔を上げて小さく呟いた。

 

 

「……私も、思って貰えるかな?」

 

 

 私のヒーローは、受け入れて貰えるだろうか? もし、受け入れて貰えたら。そんな小さな願いが、簪の行動を促した。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「わ、わ……!? ど、どうしよう……?」

 

 

 数日後、簪は目を丸くしていた。自分の投稿した物語への反響が凄かった為だ。簪は元々、暗部に連なる家系に育った。それ故、多くの訓練を受ける事があり、更にはいろいろな情報を扱う為に文章力も自然と身についていた。

 何より想像力と作品への愛情があった事が決め手。簪が実際の経験を元に描いた戦闘シーンや、逆境に負けじと立ち上がる丁重な心理描写を描いた物語には多くの感想が寄せられていた。

 中には“期待の新星現る!?”や“え、この人プロじゃないの?”とまでコメントがついていて、簪には身に余る思いでいっぱいだった。そんな感想に嬉しいやら、恐れ多いやらで戦いていた簪は、ふと、手を止めた。

 

 

「……ぁ」

 

 

 簪の視線の先には、自分が初めて感想を送った人の名前があった。つい、簪はそっと名前を指でなぞるように触れる。

 

 

『髪飾り様へ

 作品、拝見させて頂きましたがこんな凄い物語を見られるなんて思っていませんでした。とても綺麗な物語で、読んでいる時がとても楽しかったです。本当に髪飾りさんはこのヒーローが好きなんだな! って伝わってきて、とても感動しました』

 

 

 そこから、例えばどういったシーンがお気に入りなのかをコメントは綴っていた。そのシーンの中には特に自分が力を入れていたシーンであったり、後に繋がる伏線に対しての言及や、自分の物語を見てくれる、という達成感が簪の胸を揺らせる。

 

 

『貴方のヒーローの活躍がもっと見たいです。更新頑張ってください』

 

 

 認められた気がしたのは、気のせいじゃないと思いたかった。そう思うと、これだけの事なのに涙が止まりそうになかった。声を押し殺すようにして簪はその日、枕を濡らした。どうしようもない笑みを零しながら。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 それから簪の密かな趣味は続いたが、全てが上手くいった訳ではなかった。例えば作品の小さなミスの指摘には頭が下がる思いでいっぱいだったし、自分のヒーローは綺麗かもしれないけれど、綺麗過ぎて受け入れられない、と感想を貰った時は悲しさに胸を抉られもした。

 けれど、簪の密かな趣味が途絶える事が無かったのは熱心に感想を描いてくれる人たちがいたからだ。中には、簪が初めてコメントをしてくれた人の名前も残っていた。

 いつの日の事だったか。簪の作品に目を付けて荒らしがやってきた時の事だ。横暴な言い分に思わず悔しさと怒りで目の前が真っ赤になった時、自分にメッセージが届いたのだ。簪が利用していた投稿サイトのメール機能で届いたのは、同じ作者側からである皆からの助言。

 

 

『気にしない方が良いですよ~』

『初めてって聞いたので、もしかしたら反応しちゃうかも! って思って慌ててメール送りました!』

『万人に受け入れられる作品はないので、髪飾りさんは髪飾りさんの作品を描いてください。そうすれば荒らしなんて黙っちゃいますよ!』

 

 

 表では荒れてしまう、と気を使ってメールを送ってくれた人もいてくれた。たったのごく数人だけで、増え続けるアクセスに比べれば雀の涙ほどの人数。

 だが、それでも簪には満足だった。たった数人でも、自分の作品を愛してくれる人が何より、何よりも嬉しかったのだ。

 それから、密かなメールのやり取りも増えた。コミュニケーションサイトに登録して、密かにアカウントを取って個人的な付き合いもするようになったのは、これが切欠だった。少ない人数だったけれど、簪の孤独は少しだけ埋まっていた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 付き合いも長くなれば、不意にぽろりと弱音を吐いてしまう事もある。コミュニケーションサイトで、仲良くしていた1人が呟いた言葉が全ての切欠だった。

 

 

『僕はヒーローが好きだけど、僕はヒーローになれない。僕は男だから、今のヒーローは皆、ISに乗れる女の人だから』

 

 

 男という事実を、その人は初めて口にした。彼は簪が初めて感想を書いた人だった。ヒーローに憧れて、憧れてるけどもヒーローにはなれない。だってこの世界では女性こそが優位。力の象徴はISだからだ。

 男にはISは使えない。いつからか、男はヒーローなんてものじゃなくなっていた。力ある女性が主体となり、今では作品も昔良き作品は一部の過剰な女性優遇団体に非難までされるという話すらある程だ。

 その所為で自分が好きだった作品が誹りを受けた事もある簪にとって、ISに乗れるから女性優位であるという考えは受け入れられなかった。女性である、とは関わりなく、力が無ければただ虐げられると簪は知っていたからだ。

 だからどうにかして励ましたかった。諦めて欲しく無かった。自分の孤独を埋めてくれたのは彼の作品で、全ての切欠はこの人だったからこそ。こうして知り合えたからこそ……何かを言いたかった。

 けれど、何かを言う事は出来ず、簪はただ、画面を見つめる事しか出来なかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 それから簪は忙しくなり、滅多に作品を書く時間も無くなって、アカウントもログインする事は無くなった。日本代表候補生として、専用機を完成させなければならなくなったからだ。

 だが相次ぐトラブルと、見舞われる悲劇に振り回された簪は再び以前の無気力状態に戻りかけていた。何をやっても結局ダメで、自分はやっぱりダメな奴のまま、こうして流されていくだけなんだろうかと。

 そう思えば涙が出た。嘲るような幻聴すら聞こえてきて、再び心が折れそうになった時に、不意に思い出す。

 

 

『貴方の描くヒーローの活躍がもっと見たいです』

 

 

 ヒーローに憧れて、でも男だからという理由でヒーローになれないと嘆いていた彼の事を思い出す。思い出してしまった。ぎゅっ、と噛みしめた唇が少し切れて痛んだ。それでも、身を縮めるように簪は抱きしめて呟く。

 

 

「……何、やってるんだろ」

 

 

 男だから諦めなきゃいけなくて、ヒーローになれないのに。

 私は手を伸ばせばISに乗れる、日本代表候補生だから。誰かが望んだヒーローになる事が出来るのに、どうして自分はここで蹲ったままでいる?

 ヒーローにはなれない。自分は弱いから。でも……でも、皆が認めてくれたヒーローは確かに、この胸の中にいた。それを簪が投稿した作品は教えてくれた。忙しくて書く暇が無かった物語だけども、幾度も想像して、結局諦めきれないままでいる。

 

 

「……なれる、かな」

 

 

 ISに乗ればヒーローになれるなら、自分も、ヒーローになれるだろうか?

 そんな自問自答が簪の胸に過ぎる。そして、次に顔を上げた時には……怯え竦む少女はそこにはいなかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 簪の小さな決意を折ろうとするかのようにアクシデントは続いた。開発の凍結、難航。それは少しずつ簪の心を疲弊させていったが、それでも簪は負けなかった。

 自分を応援してくれた、ヒーローになりたくてもなれない彼の言葉が頭から離れない。そうすれば諦めるだなんて、自分にはとても贅沢に思えて、何度も泣き言を吐きそうになりながらも頑張った。

 そんな、ある日の事。

 

 

「なぁ、ちょっと良いか?」

 

 

 そう声をかけられた。そして、再び彼女の物語はズレはじめていく。

 

 

「……貴方は、織斑 一夏」

「おう。そうだ」

「……打鉄弐式の開発を邪魔した人」

「ぅっ! そ、それに関しては……何も弁明出来ねぇ。その、なんか悪かったな」

「……許さない」

「……本当にすまない。それに関して俺が出来る事があれば協力したいんだが……」

「……なんで?」

「いや、その、だな。今度、専用機のタッグマッチがあるだろ? それで俺と組んで欲しいんだ」

「……貴方は、組む人に困らない」

「そ、それはだな……皆、もう組んじゃってて――」

『一夏ァッ!!』

「なぁ!? あー、もう!? なんでこんなタイミングで!?」

 

 

 ドタバタと荒らしのように過ぎ去った時間。置いてけぼりにされた簪は、その光景を見て小さく息を吐く。

 それから次の日の事、再び一夏は簪の下へとやってきていた。そしてそのまま勢いよく頭を下げる一夏。

 

 

「頼む! タッグマッチ、俺と組んで欲しいんだ!」

「……女難で困ってるから?」

「うぐっ……く、そ、そうだ! あ、彼奴等とはどうしても組めないんだ! だから、頼む! 俺を助けると思って!」

「私の助けが、必要?」

「お、おう! その代わり俺も開発に協力する! だから、な? お互いに助け合うと思って……」

「……良いよ?」

「ほ、本当か?」

「うん。……困ってる人がいたら、助けるのが、ヒーローだから」

「? なんか言ったか?」

「……別に、何も」

 

 

 ヒーローなんていない。この世にヒーローなんていないから。

 完全無欠のヒーローなんていない。それでも、ヒーローになろうと足掻く事は出来る。

 そしたらいつか、自分もヒーローになれるかもしれない。自分が認めるヒーローに。

 だから、胸に抱くのはほんのちょっとした勇気を。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 物語の流れは変わらない。大きくは変わる事などない。だってそれは小さな少女の、ほんの小さな決意だけしかないから。

 しかし、水面に投げ込んだその小さな意思が、どれだけ小さな石でも波は立つ。やがて波は大きく育ち、いつかは全てに波及していく。

 例え、少女が過去の幻影に押し潰されそうでも、たった一言が彼女を奮い立たせた。

 例え、どうしようもない現実がそこにあっても、たった一言が彼女を諦めさせなかった。

 

 

 ――それは、ほんの小さな勇気の欠片。

 

 

「何だ……襲撃者!?」

「……ッ! 織斑くん!」

「簪、やれるか!?」

「うん……! やれるよ、私は――ッ!!」

 

 

 

 

 

 ――誰かのヒーローになりたいから!!

 

 

 

 * * *

 

 

 

 結末は変わらない。それでも、少女の未来はまた別の未来を描き出す。

 いつか、顔も見えぬ誰かに誓った、胸に宿る誓いを決して破らぬように。




思いついたけど、最後の方で力尽きたネタ。だってほぼ原作の流れにしかならないなー、って。
あぁ、でも簪ちゃんが多分、一夏に惚れない。そんなお話。


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