▲ロリ海さんから初期海さんまでのミッシングリンクを妄想したかったようでいて、黒歴史を掘り返される女子が好きなだけな話です。
▲ttps://www.dlsite.com/maniax/work/=/product_id/RJ281792.html
これが発売されたという事は、どんな二次創作をしてもいいという事だと判断した。
1
「ええ、忘れやしませんよ。初対面は付属に上がった年です」
小料理屋の個室席。掘ごたつになった机に、私を含めて四人の小規模な女子会。
そう言えば聞いたことがなかったけど、と。奇怪な私たちのようなグループが形成される原因、奇憚そのものだった邂逅の以前から面識のある、鳥海有子と、私。平坂景子の馴れ初めを尋ねられていた。
醤油のかかっていない豆腐を舐めるように食んでいたもう一人の当人は、慌てて制止をかけていたけれど。そこそこアルコールの影響下にいる人間を、水のようなカクテルで場に着く人間が止められる訳が無いのだ。
いつだって人間関係は、先におかしくなった方が得をするのだから。
あれから十年。必要に駆られてではなく、単なる習慣となった節制に気を遣う必要は、既に無い。
ちょっと個人的な身の上話が入りますが、と前置きをし、ふわふわした頭で話し始めた。
2
「景子さん、こちら、旦那様からです。あと、無駄遣いしないように。と」
そう言って渡された色気の無い茶封筒には、一万円札が十枚、日本円にして十万円の金銭が封入されていた。
翠京学園の付属中学、その入学式の朝の事である。
それを預かっていたお手伝いさん--まあ仮名ですが、佐藤さんとしておきましょう--に、これは何かと尋ねると、今月のおこづかいだそうだ。
入学祝いではなく、今月から、毎月支給されるらしい。
困惑。
いくら箱入りの、世間知らずのオジョーサマであるとは言え、その金銭感覚がおかしい事くらいはわかる。
未だ中学生とすらなっていない少女の小さな手には余る紙幣を握り締め、立ち尽くす私の心情を察したのか。
「まあ、良いんじゃないですか。不器用でも、大切にしているってことですよ」
と、佐藤さんが声をかけてくれた。
ローテーションを組んだお手伝いさん数名が出入りしている中、こうして軽口を述べてくれるのも、事務的ではない会話をしてくれるのも彼女だけで。懐いていた私は素直に、そうですかね。とかはにかんで。
少し大切になったそれを財布に仕舞い、規定路線のようで感慨の無かった門出がほんの少し色づいたような気がして。気持ち足取り軽く学校へ向かい。
保護者に連れられて校門を通る同級生に言いよう無く心がざわつき。
父の名が添えられた、父ではない誰かが書いたであろう祝電が読み上げられた時、苛立ったような、情けないような気分になった。
何、取り立てて珍しい事ではない。いつもそうだった。
この日まで、あるいはもうしばらく。いくら今更でも、堂々と宣言するには恥ずかしいけれども。親に大切にされていたいと願っていて、それを無下にされたと拗ねた子供が居ただけだ。
形式張った学校の紹介と、距離感ある担任のホームルームを終え、帰路に付いている最中。茶封筒に入ったままの十万円が、事情も知らずに浮かれた他人を見るようで、所持している事が耐え切れず。
通学路にあった楽器屋でアコースティックギター入門セット税込み九万五千円の表記を見て、衝動的に手放した。
後年まで続く、今でこそ無許可の路上ライブをすることは無くなったけれども、今でも時折爪弾くギターはこうして手元に来た。この時の短絡をもってすれば、もしギロ入門セットだったらギロキャラだったし、カホンだったらカホンキャラだったであろう事を思うと、それらを楽しんでいる方々には心底申し訳ないけれど、ギターで良かったという所感がある。
とにかく、一転心細くなったような気がするけれど、本来中学生が持つにはそれでも大金である五千円札をポケットにねじ込み、セット内容であるケースに入ったギターを背負い、替えの弦だの、ピックだのの入ったビニール袋を片手に、家へ向かう電車へと乗り込んだ。
3
午前中に終わった学校初日だったが、帰宅したのは色々あって夕方に差し掛かる頃。自宅の門を通ると、庭の掃除をしていた佐藤さんと鉢合わせた。
「あら、おかえりな……なんですか、その荷物」
軽音楽部にでも入られたので、と、尋ねられたので、既に冷静になり、気恥ずかしさはあったものの。破天荒をしてやったり、という調子に乗り方もしていたので、数秒の逡巡を経て、素直に話すことにした。
それは武勇伝を語る子供の気持ちだったのかも知れないし、咎められたい後ろ暗さだったような気もするが、今となっては本当に覚えていない。
只、そんなことをしなければ良かったという後悔が残るばかりだ。
それを聞いた佐藤さんは、当然褒めるでもなく、しかし叱るのでもなく。
「まあ景子さんのお金をどう使おうと、景子さんの自由ですけどね」
呆れるようにそう言って。
「ところで衝動買いしたはいいものの。弾くんですか、それ」
疑問を口にする。
「はい。折角買ったんですから、そのつもりですけど」
「独学で」
「ん……そう、ですね。考えては居なかったですけど、そうなるでしょう」
考えてみれば生まれてこの方、自主的に技能を修めようとした事なんてなかったから、今までは自動的に道具が揃い、指導者が付いて、環境が整えられていたけれど。そういった事に至らない辺りも、どうしたって世間とズレている。
「景子さんもお琴をやっていたからわかるでしょうけど、楽器は人に習った方がいいですよ。最初は特に、自己流だと長く残る悪癖がついちゃいますから」
そう言われれば、そうなのだろうか。繰り返すが手習いだけの人生だった身である。判断基準は無いし、長く続けるかもわからないが、信頼の置ける相手がそこまで強く主張するのだから、疑う理由は無いが。しかしだ。
「そうでしょうけど、やむにやまれぬ事情で、そうとは行かないんですよ」
この流れでお金が無くて、とはみっともなくて、とてもじゃないがはっきりとは言えなかったが、そういうことだ。
それに、先ほどの楽器店の店番をしているような、スカした奴に教わるのはイマイチ気が乗らなかった。
なんとも傲慢だが、嫌々やる趣味ならやらないほうがマシだろう。
とりあえずは一人でやってみますと報告し、荷物を置いて本屋に向かう算段を立てていると、佐藤さんが悪戯な表情で手招きし、ちょっと貸してみてと言うや否や、半ば強引に新品のギターケースを私から奪い取る。
ケースから取りだし、作業用だろうジーンズが汚れるのも厭わず芝生にどかりと座り込み、チューニングも確認しないまま(その時は疑問に思わなかったが、楽器屋では販売時に合わせるのが基本なのだろうか。一度しか経験がないから一般的にどうだかわからない)演奏を始めた。
少し昔のJ-POP。ラテンの曲調で、失恋の曲。
1番だけ、90秒少々のパフォーマンスに心奪われて、彼女のようになりたいと、強く希う。
「音楽をお金で習うなんて、勿体ないのよ」
悪い友達と遊びながら、教えてもらうの。と、彼女は言った。
それが正しい考え方なのかどうかはわからない。ただ、その照れ隠しの演技過剰な格好つけは、私の心を奪うのは十分過ぎて。
大人ぶった、こましゃくれた私が素直に教えてください、お願いしますと頭を下げると、待ってましたと快諾してくれたのであった。
4
それから、敷地の隅にある倉を整理して簡易スタジオ(とは言っても本当に、空間と椅子と机があるのみであったが)を作り、佐藤さんが勤務の日、父が不在の時、という条件で、教えてもらう事となった。
そうでない日ものめりこみ、一人で練習していたが、その場所を使うことは無かった。私にとって私だけの場所ではなく、私と佐藤さんの場所だったから。自分だけで使うのは躊躇われたのだ。
なので、一人の時は学校から直帰して、日が暮れるまで公園で練習していた。自宅から自転車で十分程度の所に利用者の少ない、調度いい施設があったので、そこの東屋を良く利用していた。
良くご存知の通り、学校に友達は居なかったが、苦ではなかった。今までずっとそうだったし、これからもそうだろうと本気で思っていたからだ。部活動に入らず、稽古事もサボりがちで、フラフラと出歩く事を叱られはしないかと内心怯えてはいたけれど、ある日気がついた。
気がついていない事に気がついた。
この期に及んでショックを受けるようなこともなく、気楽でいいやとむしろ喜んでいた。自発的にやりたいことが出来たとき、最高の環境だったと思ったものだ。
後々エスカレート、半ば放浪のような生活を続け、ある日極端過ぎる苦言の呈され方をするのだけれど。
閑話休題。
五月の連休も開けた頃。定番となりつつあった公園に赴くと、一人、先客がいた。
休日ならいざ知らず、平日には初めての事である。身勝手に落胆したが、まあ、むしろこれまでが幸運に過ぎたのだろう。
これから暖かくなって来たら利用者も増えてくるだろうし、何か考えなきゃいけないな。と、馴染んだ東屋へ向かうルートを逸れて、少し離れたベンチを今日は使う事にした。
その前にふと、どんな人が公園に一人で居るのだろうと気になり覗き込んでみると、以外にも同年代か、少し上くらいの少女であり。
近くの公立中学校の制服の上に、季節から取り残されたような防寒着を羽織った女学生で。
携帯も弄らず、文庫本も開かず。ただぼうっとそこにいて。生気無く存在する違和感のような人間を見て、蜃気楼か亡霊だと思ったものだったが。
後に、というか数時間後にとんでもない状況で自己紹介をされる事になる。鳥海有子、その人だ。
……いや本当に、脚色無く。腹の底まで知っちゃった後に出会うのと、唐突に出会うのはまるで違くて。
見なかったことにしたい不思議さと、眼を離せない不安感。あの人の同類であることを思えば、語るに及ばない部分もあるだろう。
とにかく、係わり合う理由も無いので気は引かれながらも立ち去り、練習を始めて集中する頃には、すっかり忘れてしまっていた。
要点を纏めたメモ帳が見えづらくなってきて、暗くなって来たことに気がつく。小腹も空いて来たことだし、この時点では夜間外出の習慣など無い。素直に帰ることにした。
道具一式をギターケースに収納し、ポケットの自転車の鍵を確認しながら公園の出口へ向かう。と、その前に。
先程の先客が気になって、点灯した該当に照らされている東屋を見ると。
人が倒れていた。
正確に描写するのならば、ベンチに座った状態、足を下に下ろしたまま上体を横にした体位であり、本来緊急性を感じるような状況ではなく。人見知り、ではないにしても没交渉を拗らせた私が関わりに行くような事でも無いのだ。寝ているのだとしたら声をかけてあげるか、お節介はやめておこうと看過するかの分水嶺に位置するが。しかし、確信があった。
境遇も、名前も知らない彼女は、間違いなく何らかの不良を起こしていると、思い込んだ。
慌てて駆け寄ると、やはり生気の無い青白い肌をしている少女は、浅い呼吸をしていて。
「あの、大丈夫ですか」
と声をかけるが、大丈夫じゃない事くらいわかっているだろうと、自分の中の冷静な部分が状況を判断する。
救急に連絡するときの手順を脳内で予習しながら、今度は体を揺すりながら二度、三度と呼びかけるも、やはり返事は無い。
いよいよ駄目かと携帯電話に手をかけ、通報をしようと目を離した瞬間。
「ありがとう、大丈夫、だから呼ばなくていい」
と、手を捕まれ、制止を受ける。
完全に不意だったこと、少なからず慌てていたこと。温暖になってきた気候に反する手の冷たさ。そして何より、こんなに体調の悪そうな人間が手を動かせる、という経験を持ち合わせておらず。
不覚にも、大きな悲鳴を上げてしまったのだ。
5
「良かったじゃないですか、大事にならなくて」
と、いうのは翌日。佐藤さんに報告した時の一言。
まあ、そうであり、そうでしかないのだが。不思議な体験だったのは確かだ。
驚き、慌てふためき、毛を逆立てる猫のように臨戦体勢を取る私と、落ち着き払って宥める彼女。老人よりも緩慢に身を起こし、名乗り。よくあることだから気にしないでと言うや否や、夕闇の中にふらふらと消えて行った。
名乗った鳥海有子という名前が本名かどうかすら定かではないが、少なくとも、中学校の制服は本物に見えた。その身分の明らかさが、逆に怪しいというか。
都市伝説的な触感を覚えている。
「意外ですね、景子さんがそういう、オカルトみたいな話をするなんて」
「まあ、幽霊だったとか、妖怪だったとまで言う気はないですけどね。異質な体験だったってだけの話です」
それ以上広がる話でもなく、その場は切り上げた。
単純にこれ以上よく知らない人間をおもちゃにするのも気が引けたし、話していることで存在が膨れ上がっていくようにも感じて、不気味だったのもある。
妖怪や幽霊という発言まで飛び出して、佐藤さんはケラケラ笑っていたけれど。
「案外、的は外していないかもしれませんよ。人間なんて幽霊の元みたいなものですからね。」
という発言は、こちらを怖がらせてからかう為のものだったのだろうか。
6
更に翌日。
根も葉も無い推測が積み重なり、完全に怪人のような印象すら持ちはじめていた彼女と再会することになる。
同じ公園に練習しに行った時、同じ東屋で。
「やあ、この前はどうも。息災かい」
だなんて、こちらに気がついて、手を挙げつつ気さくに声をかけて来る彼女に、怪異じみた要素など一つもなく。
ただの血色の悪い中学三年生だったのだから、如何せん収まりが悪い。
ショートカットの、そう。今よりも大分短い、高校時代を想像してもらえば幾分違わない風貌の彼女は、こちらのバツが悪そうな態度が気にかかったのか。
「ああ、この前叫んだことなら気にしていないよ。驚かせてしまって悪かったと思っているくらいだ」
なんて言うのだから、なおさら居たたまれなくなり。
「いえ、そちらこそお元気そうで何よりです。実は……」
と、てっきり新手の都市伝説に遭遇したのではないかと思ってしまっていたことを白状する。
すると彼女は面食らうでもなく、意地が悪そうにニヤリと笑う。
「いいや、それこそ気にすることはないよ。狙ってやっていた節があるしね」
「……はい?どういう意味ですか」
「演出だよ、演出。何をするでもないうら若き女子が、人気のない公園でたそがれている姿、気になっただろう」
気になった。否、彼女が言うことを信じるなら、気にさせられていた、という事か。
「……じゃあ、全部、演技だったってことですか。倒れていたのも」
それなら趣味が悪すぎると、怒気を露わにしかけると、慌てて否定が入った。
「いいや、違う違う。倒れていたのは本当。――なに、内臓があちこちやられててね。今は小康の時期だから外で暮らしているけど、住所を病院に移した方が良さそうな生活をしているよ」
ほら、と手提げのスクールバックから、クリアファイルに入った縦長の紙片を取り出す。(その動作に限らず、すべての行動がゆるりとしていながら、たおやかさといったものをまるで感じないものであるのは、体調故のものか、演出か、どちらなのだろう)
その紙には特定疾患医療受給何々と書かれていて、知事の名前と角判が入ったそれは、疑う余地の無い証拠に他ならず。
さらりとそんなものを見せられて、とっさに正解のリアクションを引き出せるほど人生経験が豊富でもなかった。
そんなものに正解はないのかもしれないが。
一応社交の一環で見舞いの挨拶は勉強した気がするので、そこから類例を引き出そうと頭を回す。
「いいよ、別に。単なるネタバラシなんだ。深刻なのはボクだけで、君じゃない」
何でもないように言うので、そういうものか。と思うことにした。
「なら、いいんですけど。……それより、演出と言ってましたけど、なんでそんな悪趣味を。劇団志望か何かですか」
口にしてから気が付いたが、体力勝負の演劇なんて出来る訳もない身の上だろうに。失言だったと反省する。が、表情には出さない。
「そうじゃなくて、ほら。現実って最悪じゃないか」
当たり前のように吐かれた呪詛。いや、呪う意図すら無く、単なる彼女にとっての当たり前なのかもしれない。
どちらにしても、彼女の前で否定する勇気は、私には無かった。
「でも、想像の中へ、最悪は届かないからさ。空想の種を配っているんだ」
世紀の大発見をした博士のように、爛々と目を輝かせながら語る姿に、理解が追い付く。
忌避感。
期待感。
両方を持ち合わせる属性こそ、都市伝説のそれなのだと。
「長く入院をしていて気が付いたんだけどね、妄想に浸るのも案外楽じゃないんだよ。簡単に言ってしまえば、ネタが尽きる。創作物って結論ありきな所があるだろう。だから『たられば』の幅が非常に狭い。筋書きのないドラマ、と言ってしまえば安っぽいけれど、
現実から逃げるのには、現実が必要。
レトリックのようであり、しかし言っていることは至極当然である。
逃避先と元が同じならば逃避は成立しないのだから。
「だから、ボクは最悪の現実から逃げたい誰かのために、その種になってみようと思ってね。殊勝だろう。諸事情あって公園に居たかったから、ついではあるのだけれど。報告までしてくれたのはキミが初めてだ。どうだい。『意味深に佇む薄幸の少女』楽しかったかい」
休み休み、ゆっくりだったけれど、確信を持って語られたその言説に、感服すら覚える。
「……負けました。不謹慎にも、あなたで楽しんでいた事を認めます。…………平坂景子です。よろしく」
投了の意を示す低頭に、顔は見えなかったけれど、満足気な表情をしていたのではないかと思う。
「不謹慎だなんてとんでもない。平坂さんが言っていた通り、ボクが仕掛けた悪趣味で間違いないよ。改めまして、鳥海有子です。よろしくね」
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それから多少の世間話を挟んで、じゃあ私はギターの練習をするので。と離れようとしたが。
「東屋は一人用じゃないよ。ここでやって行きなよ」
名門私立と公立中学とアコースティックギター、それもまたいい演出だろう。だなんて言うものだから、断る理由もなく。
生まれて初めての友人と言える関係が成立した私が浮かれていた。という事実に気が付くのはかなり後の事、というかつい最近だったのだが。さておき。
それから一月程だろうか。いつ行っても、というのは過言だが、大抵は。放課後に公園へ行くと、鳥海さんはそこに居た。
だから一人で練習する機会はとんと減って、正直、満たされていた。
彼女は現実が最悪だというけれど、私にはそうは思えなくて。会話の最中、シニカルに笑う彼女が本当は苦しんでいて、強がりで、現実に追われているなら力になりたい。だなんて、思い上がった事すら考えていて。
直後、一人に戻った時に後悔する時間はいくらでもあった。
8
ある日、佐藤さんが来る予定の日だったのに、他の人が来ていた。
何があったのか気になったけど、無いことではないので何も思わなかった。
次の担当日も別の人が来ていた。
体調を崩したのかと心配したけれど、そうだとしたら大事にして欲しいと思った。
その次もそうだった。
何かがあったに違いないと来ていた人に尋ねたけれど、知りませんの一言であしらわれた。
次も。
佐藤さんの家どころか、連絡先も知らなかった事に気が付く。
次も、次も。次もそうで。
いつの間にか張り替えられていたローテーション表からは、彼女の名前が消えていた。
9
ノックも無しに父の書斎の扉を叩き開け、どういう事なのかと激しく問い詰める。
普段なら叱責を受けるのが怖く決してやらないが、そんな場合ではない。
直用ではなく、派遣会社を通した雇用形態だったことに、消えた彼女の名前がどこかに無いかと目を皿にして探していた時に気が付いた。その会社に電話をかけて聞いた所、派遣先――父だろう――からクレームが入り、変更を要請されたとの事だった。
個人情報保護の観点から連絡先は教えられないと電話を切られ、それだけで関係が終わってしまった事が耐えきれない。
姉のように慕っていた。
母のように思っていた。
事情を聴かなければ納得ができない。いや、事情を聞いても納得なんてできない。
私の生活態度が不服なら正す、何でもするから彼女と再び会わせて欲しいと、頼み込む。
無力だ。
邪険にしている人間に頼らなければ希望を通せず、こんな時ばかりものわかりのいいフリをする自分が情けなく、涙が出てくる。
しかし、謝罪も、懇願も、父の鉄面皮を揺るがすには至らず。
むしろ反省についてはまるで的外れで、そんな事は歯牙にもかけていなかったのだから、藪蛇もいい所だった。
その理由を話すか、話すまいか。あの父にしては珍しく、数秒間だが、迷ったようだった。
中学生の娘に真実を伝えるべきか、否か。
結局出した結論は、中間に位置する半端なもので。
そういういざという時に肝が小さく、臆病で、直截を下さないような所が本当に嫌いで、受け入れ難く。
緩衝材としての役目に疲れ、実母が出て行ったあの日以来。互いに避けていた致命的な仲違いは、この日が契機だったと言えるだろう。
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「それで渡されたのがこの封筒と……中身を見ても構わないかい」
すべてを理解し、家を飛び出す際に手癖でギターケースを引っ掴み、がむしゃらに走っていたらいつもの公園まで辿り着いた。
習慣化の賜物だろうか。
そうしたら、いつもの通り。鳥海さんが居たので、恥も外聞もなく泣きついた。
限界まで息を切らせて、涙と鼻水を垂れ流しながら現れた私の方が余程妖怪に近かっただろうけど。そうか、そうかと話を聞いてくれたのには本当に感謝している。
いくらか落ち着いて、ティッシュを貰い女子として最低限の体裁を整えてから、どうぞ、開けてくださいと答える。
「うわ、なんだこの大金」
「今月の……おこづかいです」
鼻をすすりながらそう言うと、鳥海さんは少し引いていた。
「話には聞いていたけど、本当にお嬢様なんだね。……これ、いくらあるんだい」
意図せずか、それとも既にある程度予想出来ていたのか。核心を突いた質問である。
「……二十万、あります」
そういう事だ。なんてことはない。使用人が主人の金銭を横領した、だなんて話は古今東西いくらでも転がっているだろうけれど、その内の一つが私の家で起きただけの話。
三ヶ月間、三度の給付。累計被害額三十万円。
その金額を聞いて、たったそんなものでか。と思ってしまった私は、やはり感覚が狂っているのだろう。
おそらく、父が刑事罰を招来せず、内々の解雇という形で済ませたのは、一応長く付き合った相手への情でもなく。また、現金を使用人に預けてしまった、悪心を引き出した一応の引け目でもあるまい。ただ単に、外聞が悪かっただけの話だ。
怒っていない、気にしていない、もうしないでくれればいいから帰ってきてほしいと、通らないだろう駄々をこねるのは、捨てるプライドも無くなったこの期に及んでは容易い事だったが。そうではないのだ。
私はもう。私の方こそ、合わせる顔がない。
「佐藤さんが職を失う覚悟で、鞭影の恐怖に怯えてまで手にしたお金を、私は、捨てるように使ってしまい、あまつさえそれを誇らしげに語って見せたのですから」
姉だ、母だと慕っていたのは私だけで、彼女からしたら鼻持ちならない金持ちのガキだったに違いないのだ。
美しかった全ての思い出が、加害の意識で置き換えられていく。
どんな気持ちで、私と過ごしていたのだろう。贖罪だろうか。それとも、仲良く見せることで疑いを遠ざけようとしていたのだろうか。
できる事ならば、遊ぶ金欲しさであって欲しい。この発覚により進退窮まっていて欲しくはない。私に出せるものなら何でもするから、という気持ちすら傲慢過ぎると、脳内の彼女が傷ついていく。
「もう、どうしようもないですね。何もかも。実は鳥海さんの言う『最悪』、そうじゃないと思っていたんですよ」
自分は恵まれていて、ゼロサムのプラスに位置する存在で。底辺の不幸を享受していると標榜するような、貴女と接する際に優越感がまるでなかったとは、言い切れない。
人生に瑕疵はあっても良質であるという、自負があった。
「でも、こんなに恵まれた私で駄目なら、もう駄目でしょう。現実は、最悪です」
母親は出ていく、父親とは不仲。使用人は金を盗んで出て行って、学校に友達は居なくて、挙句社会常識の無い小娘に、生きる価値を見出せないのは誰だってそうだろう。
ふう、と小さくため息をついた。もしこの時の私を誰かが見たら。初めて会った時の鳥海さんのように、消え入りそうな雰囲気を感じるのだろうか。
諦めに支配された沈黙。
それを破ったのは、鳥海さんだった。
「ちなみにボクも家庭環境がグズグズで、指定難病を貰った娘を持ったことがない両親は距離感が分からず、家に居ると病気のせいで友達が居ないのかと泣き始めるから放課後公園で時間を潰して架空の友達と遊んだ作り話をしているんだけど、どうだい」
……何故か張り合ってきた。
「それはさておき、どうだい、現実が最悪だとわかってくれたんだろう」
配慮もなく、人の不幸を待ちわびたかのように。
悲劇を娯楽として楽しむ、ありふれた人間のように。
「一緒に夢を見せないか」
悲劇を演じる役者のように、そう言った。
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どこへ向かうのかは聞かず、彼女の案内で歩き出す。
その歩みは牛歩の如くと言って差し支えなかったが、疲れ果てた私にはちょうど良かった。
「何も、他人のためというばかりでもないんだよ」
「キミがさっき言ったように、施しの気持ちなんて余計なお世話である事がほとんどだからね。他人のお世話が無ければ、あっても生きていけないボクが言うんだから間違いないよ」
「他人に見せた夢を、掠め取るんだ」
「ボクは噂話になる事でそれを果たそうとしたけど、それは失敗みたいだね。レスポンスが遅いし、遠すぎる」
「平坂さんと同じで、ボクにも友達が居ないんだよ。噂話を聞く窓口が狭過ぎるからね……いいや、キミの他に、一人だけ居たかな。しばらく会ってないけど、何をしているやら」
「……とにかく、人に理想を想像させる」
「膨れ上がった幻想は、現実と近しくなる」
「それを見て、理想を作り、拡張させて、肥大化させて」
「多が絡まる個の理想郷ができるんじゃないかと思っているんだけど、どうかな」
「あ、今頭がおかしいと思っただろう。わかるぞ。……その通りかもしれないけどね」
「とにかく、他人を助けるふりをして、自分を救うんだよ」
「人を陥れることで国の繁栄を狙う、ピーターパンのように」
「平坂さんはちっちゃいから、ティンカーベルの方が似合うかな」
「世界に絶望して、しかし世界を捨てる度胸も無いボクらのような人間は、他の世界で生きる他に無いんじゃないかと、思ってるんだけどね」
「さあ、着いた。駅前だ。知っているだろう。翠京付属なら電車を使うだろうし」
「何って、演奏をしてもらおうと思って」
「いつも練習しているあの曲、一曲だけでいい。やってくれよ。聞きたいんだ」
「名門の制服を着て、アコギ一本、ゲリラライブ。実に荒唐無稽、面白味のある、夢みたいじゃないか」
「無理じゃないさ。キミは好きだったお手伝いさん……佐藤さんとの別れ方ですべてを失ったような事を言ったけど、思い出は汚し尽くしたけど、憧れも失ったけど。憧れたという事実は残っているんだから」
「誰かの夢で、彼女みたいになれるよ」
か細い力で、しかし強引に背中を押した鳥海さんは、ここで座って見ているから、と花壇の縁に腰掛けて。
少ない通行人の中に取り残された私は、何が始まるんだという空気を感じ。
これ以上取り返しがつかなくなる前に、半ばヤケで。
いつか聞いた憧憬を、稚拙に奏で、歌い上げたのだった。
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「とまあ、演奏を終えて。まばらな、二人くらいに同情で拍手を貰って戻ったら、倒れていたんですよ。――ああ、ちょうどそんな風に」
つらつらと話し終えると、いつの間にか鳥海先輩が床に転がっていた。
いくら個室とは言え、行儀が良くないなあ。
「それで、『今度は本当にマズいやつだから、救急車呼んで』って言われて、幾度目とも知らない再入院。連日外で過ごしたのが祟ったのか、面会謝絶の期間があって。何度かお見舞いには行ったんですけど、なんとなく疎遠になって、あとは皆さんが知っている感じです」
丸まった女性からは何かもごもごと怨嗟の声が聞こえるので、寝たわけでは無いのだろう。
この話をした後に、そんな状態でいたら格好のおもちゃだろうに。知ーらない。
「大丈夫ですか……いえ、間違えました。息災かい……ぶふっ」
「息災ですかー。ユーコさーん。聞こえてますかー」
「……うがー!」
吠えて、起きた。腕を振り回しているのは攻撃のつもりかもしれないが、相変わらず基礎体力が低すぎてはしゃいでいるようにしか見えない。
「平坂景子さん!さあ!そういうの、どうかと思うなあ!隠しておきたい事だって人にはあるだろう!?それに二人も、今の話を聞いて、なんでそんなにすぐはしゃげるかなあ!?気を遣ったりはしないのかい!?」
どの口が、と思ったが、話し疲れたので焼酎のグラスを傾ける。どっちかが言ってくれるだろうし。
「まあ、今更というか。死んだ幼馴染にキャラクターを寄せていたり、その引け目で処女こじらせてたり。そういうのを共有してるから、暗いエピソードの一つや二つ追加されたところで、ねえ。というか人の過去を暴く事について何か言える立場になる事は、一生ないからやめておいた方がいいと思うわ」
「確かに。暗い話でどうこうする段階は既に過ぎている間柄じゃない。それよりもケーコ、中二病時代エピソード、他に何かないの。私のだけだと寂しかったのよね」
私としても、このくらいの出来事は想像されて然るべきな生い立ちを全仲間内に向けて公開されているので、ノーダメージなんだけど。自ら掘り返すとは、恐るべしアルコール。無敵になれるらしい。明日後悔するのは、この内何人なのだろう。
「なにかがおかしい……おかしくしたのが誰か。とかはさておいて、おかしいのは場なのか、自分以外なのか。自分なのか……」
そうつぶやきつつ頭を抱える姿が面白かったので。
「じゃあ、面会謝絶が明けた時に、入院前のハイテンションが鳴りを潜めたダウナー期の話でも……」
と、追加で燃料を投下しつつ。
この下らない現実が、続いてくれるようにと祈っていた。
了
お付き合いいただきありがとうございました。
公式から発売された ハピメア音声作品 有子編「か、彼氏のお部屋にお泊まりデートに行く、という照れくさいイベントになるのではないか、と」 を、最高だから全人類に聴いてほしい気持ちと、僕の彼女なので自分以外の誰にも聴いてほしくないという気持ちがあります。
やっぱ買い占めて流通を止めるか……DL販売ィ!?
原作をプレイする以前から「幸福な世界を見せてくるタイプの奴に八億パーセント勝てないな」と思っていましたが、上記作品の視聴中に初めて「マジで帰ってこれない」という恐怖を覚えました。
重ねてありがとうございました。またの機会がありましたらよろしくお願いいたします。
失礼します。