メルにアニメとドッペル解放が来たことでテンションが上がって急いで書きました。メルの魔女化騒動をメルと仲がいいモブ女子の視点から描いたものです。耳を撫でて彼岸の声の追加シナリオとアニメ12話を見る前に描いたので設定の不一致があるかもしれません。
とにかくあの日は最悪だった。朝から嫌いな納豆は出るし、教室のエアコンは故障するし、宿題は家に忘れるし、そして何より──好きな人が知らない女に告白しているのを見てしまうし。
二階廊下の窓から見えた裏庭では、なんと想い人が真っ赤な顔で女生徒に頭を下げていたのだ。いつも横顔を見ていたわたしにはすぐにわかった。あの顔はわたしがいつも彼に向ける顔と同じだ。夕日の赤なんかではなく、恋の朱色。恋する人間の顔だ。話し声なんて聞こえて来なくてもそれが告白の一シーンだってすぐにわかった。
彼が顔を上げて、その表情が見える前にわたしは走り出した。結果を見たくなかったから、知りたくなかったから。でも部活もしていないわたしに放課後の行き先なんて無くてたどり着いた自分の教室に、あの子は居た。
安名メル。クラスメイトだったけど話したこともなく、なんとなく名前と顔は覚えているくらいだった。そんな彼女は誰もいない教室で一人シャカシャカとカードを切っていた。
てっきり教室には誰も居ないと思ってたわたしが教室のドアを勢いよく開けると、当然ドアは勢い良い音を発した。何事かとメルはこちらに目線を向け、運も悪く自暴自棄になっていたわたしと目が合ってしまう。
状況が掴めずにキョトンとするメルにわたしはズカズカと近づき、話しかけた。
──それ、タロット?
するとメルは頷く。あいも変わらず状況がちっともわからないという顔だ。
──じゃあ、わたしの運勢占ってくれない?
メルは困惑しながら頷く。一方わたしは自分でもなんでこんな事言ってるのかわからなくて、内心自分に困惑していた。
メルが座っている席の隣にドカンと腰掛け、一番簡素ですぐに結果が出る方法で占ってくれとふてぶてしく頼んだ。
するとメルはわたしの態度なんて気にせずにタロットを裏向きのまま机に並べてかき混ぜ、好きな一枚を引くようにと指示して来た。わたしはなんとなくで一番右端の一枚を選んで表にした。ヘンテコな時計みたいなマークが特徴的なカードで、上下が逆だった。
メルはそれを運命の輪と呼んだ。逆位置とも。メルはその後このカードがどんな意味かをスラスラと語った。
不運、悪転、失敗、悪化、暗転、後退、降格、混沌、すれ違い、そして別れと失恋。
なんともまあ、正にピッタリなカードだ。わたしは何も出来なかった。ずっと見ているだけ。告白もアピールもせずにただ置物の如く彼を見ていたら、こんな結果だ。
わたしは失恋したのだ。
その実感がじわじわと胸の奥から湧いて来て、一緒に涙までポロポロとこぼれ始めた。
どうした事かと慌てるメルを前に、言葉が漏れる。
──初恋だったの。初めて好きになったの。
するとメルはなにかを察した様子で、わたしの背をさすり始める。
──こんな事なら、もっと早く行動しておけばよかった。告白しておけばよかった!
涙は止まらないし、弱音も止まらない。友達でもない少女を前にわたしは全部全部想いを吐き出した。メルは不器用ながら慰めの言葉をかけながら、わたしが泣き止むまで背をさすり続けてくれた。
これがわたしとメルが仲良くなったきっかけだった。このあとわたしとメルはよく話すようになって、お弁当を一緒に食べ、体育の時間はいつも二人組になるような友達になるのだ。
メルが凄腕占い師として名を馳せるようになる、一ヶ月前の話だった。
わたしがメルと親しくなって驚いたのは彼女の奇怪な交友関係だ。我らが大東学院で推定一番の変人兼有名人である
他に彼女の特徴を上げるなら占いだろう。わたし達が仲良くなったきっかけも占いだったが、なによりも学校中で有名なほどメルの占いは当たる。わたしが仲良くなったばかりの頃はそうでもなかったのに暫くするとコツを掴んだのか的中率が爆上がりして今では百発百中なんて噂されている程だ。メル自身も占いの正確さには自信があるらしい。かと言って、朝の占いが悪かったからと「今日は休むので適当に先生誤魔化しておいて」なんてラインしてくるのはやめてほしいのだけど。
まあ、そんな変わった面もあるが、学年が上がって二年生になる頃にはわたし達は親友と言っていい関係になっていた。
よく一緒にお出かけした。宿題は二人で頑張った。誕生日は互いに祝った。年明け一番に電話した。体調を崩したらお見舞いに行った、来てくれた。わたし達は親友だった。
その日はあまりに平凡な日だった。いつかの失恋の日みたいに朝から不運が連発したわけではない。むしろメルが運気絶好調のラッキーデイで、一緒にいたわたしもお零れで色々幸運があった程だ。占いの結果で気分が上下する癖があるメルは朝から夕までずっとご機嫌でニコニコしてた。わたしもつられて笑っていたし、帰り道で別れた時も笑顔で別れた。赤い赤い夕焼けに消えていく彼女を、わたしは笑顔で見送った。
そしてその晩、メルは行方不明になった。
その日の夜、12時をとうに回った時間にかかってきた電話。それはメルのお母さんからで「お泊まり会でもしてるのか」なんて内容だった気がする。わたしが正直にやっていないと答えると、メルのお母さんは消沈した様子でお礼を言って電話を切った。
翌朝、メルの姿は学校になかった。わたしは猛烈に嫌な予感がした。先生は欠席だと言った。クラスのみんなは「また朝の占いの結果でも悪かったんだ」と笑った。先生は笑わなかった。わたしが寝る前にメルに送ったラインは、既読がついていなかった。
次の日も、メルは学校に来なかった。代わりにウチに警察が来た。メルと最後に別れた場所、メルと最後にした会話、メルと何時まで連絡がとれていたのか細かく聞かれた。
もう、馬鹿なわたしでもなんとなくわかっていた。
欠席三日目、メルのお母さんがビラを配ってメルを探しているのを見かけたと、学校ではメルの失踪は噂となって広がっていた。メルと仲が良かった子達の中で重い空気が流れ出す。わたしだって、胸の奥の空気が重くなって心臓を圧迫されるのを感じた。
欠席四日目、自室の勉強机の引き出しから一組のタロットカードを見つけた。昔メルと買い物に行った時に買ったメルイチ押しのタロットカードだった。紫色に金線の模様が入った裏面。メルが使ってるタロットと全く同じものだけど、わたしはタロットの意味を殆ど覚えられなくて挫折したのだ。けれど、そのタロットを見ているとわたしは一体何をしているのかと誰かに責められてるような気がした。誰に?過去の私にだ。あの日の放課後、わたしは一体なんて言って後悔したんだった?
『こんな事なら、もっと早く行動しておけばよかった』
机に飾られたメルとのツーショット写真が目に入る。まだ間に合うかもしれないのに、どうしてわたしは受け身で傍観しているの?そう考えると居ても立っても居られなくなった。とにかく街を走って、走り回ってメルのお母さんを探した。
──わたしも、ビラ配り手伝います
そう告げたわたしにメルのお母さんがどんな顔をしていたのか、ゼエゼエと息を切らし顔を上げられなかったわたしは見ることが出来なかった。
メル捜索2日目。わたしは週末の休みを活用して朝から晩までメルの捜索をすることにした。必死に声を上げて街の人に尋ねて回ったけれど情報を教えてくれる人どころか、ビラを受け取ってくれる人すら少なくて、メルの捜索は進まなかった。
メル捜索3日目。ビラ配りを一時中断して、メルの友人に聞いて回ることにした。メルの交友関係は奇妙なほど広かったし、もしかしたら警察やメルのお母さんが取り逃がした情報があるかもしれない。
和泉十七夜はすぐに会えた。同じ学校に通っていたお陰もあるが、彼女のバイト先のスーパーはわたしもよく利用する店だったからだ。和泉十七夜は言った。
「悪いが安名の居場所は自分も知らない。だが、なるべくこちらでも情報を集めてみよう」
水名女学園のお嬢様は、見つけられなかった。メルから口頭で聞いたミフユサンという情報だけじゃ見つけられなかった。わたしは名探偵ではなかった。
七海やちよとは会えなかった。連絡先も知らない。居場所もわからない。そんな有名人に逢えるほどわたしは運に恵まれていなかった。
それ以外のメルの友人にもコンタクトを取って回ったが、まともな情報は得られなかった。家に帰って集まった情報をノートにまとめる。そういえばメルの友人に話を聞いて回った際、何人かがわたしの手を見ていた気がする。そして彼女たちはみんな似たデザインの指輪をつけていた。思い返せばメルもいつも指輪をしていたし、もしかしたらメルと彼女達は指輪同好会みたいな繋がりだったのかもしれない。
いやそんな話は今はどうでもいい。明日は大人しくビラを配ろう。
メル捜索4日目。わたしは初めて体調不良以外の理由で学校を休んだ。ママもパパも話せば了承してくれた。ビラ配りをするのはもちろんであるが、場所を少しずつ変えることにした。この大東区にこだわってビラを配り回るよりも、神浜市全体に配った方がきっと可能性は大きいと感じたからだ。けれど情報は集まらなかった。むしろビラ配りをするわたしに向けられる目は、疎ましそうなモノばかりだった。だがその程度で諦める訳にはいかない。明日こそは。明日こそはきっとメルは見つかるはずだ。
それから暫くしてわたしのビラ配りも
メルのお母さんからかかって来た電話によると、メルは新西区の路地裏で倒れているのが発見されたそうだ。その体に外傷は一つもなく、本当に眠ってるように倒れていたらしい。事件性はないとか、死因は不明とかそんなことも教えてくれた。電話の向こうで今にも泣きそうな声で話すメルのお母さんが、全部教えてくれた。あの人もきっと辛いだろうに、わざわざ電話して教えてくれるのだから妙に義理堅い人だ。手元にあるビラを見る。メルを探すための唯一無二の武器は、ただのゴミクズへと成れ果てた。涙は流れなかった。ただ、ぽっかりと胸に穴が空いたような感覚。ビラに印刷されたメルの笑顔が眩しかった。
どこに行こうという目的はなかった。
なにをしようという目的はなかった。
ただ胸に空いた穴が苦しくて、家にも帰る気にもなれなくて、街の中を歩き回った。歩くたびに力なく握られた紙の束からパラパラと
わたしの足は自然とメルとの思い出の場所ばかりに向いた。
大東学院の子たちにも大人気の洒落たカフェ。メルとよく駄弁るのに使った場所。何度かここで占って貰ったこともある。指定席となっていた店の一番端っこの席に、わたし達が座ることはもう、ない。
工匠区の商店街。ここの雑貨店をメルはとても気に入っていた。占い道具の品揃えがいいらしくて、あのタロットだってこの店のオリジナル商品だ。メルに付き合ってわたしも店長と顔見知りになるほど来た。店長もメルのことを心配してて、ビラを貼ってくれた。もう意味なんてないけれど。
南凪区のミナギーシー。「今日のラッキーアイテムは海だ」なんて突然言い出したメルに連れて来られたことがある遊園地だ。どこで手に入れたのかペアチケットまで用意していたのだから彼女には叶わない。あの煌びやかだったミナギーシーも今は電気が消えて真っ暗だ。ミナギーシーのゲートに付けられた大きな時計を見ると、いつのまにかもう12時に迫っていた。けれど家に帰ろうという気持ちには到底なれない。
歩く。歩く。歩く。歩く。
街のどこに行ってもメルとの思い出に溢れていた。どこに行ってもメルはそこにいた。そう、“いた”のだ。かつてそこに居た少女が消えたというのに夜の街は知らん顔だった。なにも変わっていませんと言わんばかりの顔で街は回り、人は動く。ひとりの少女がいなくなっただけで、この街はわたしにとって居心地が悪い場所へと変わってしまった。
わたしはどうしたら良いのだろうかと考えた時、首筋がチクリと痛む。そして気づく。
ああ、そうだ。わたしもあっちに行こう。メルのいる、
中央区の端にある廃工場のドアを開ける。そこにはもう
初めに現れたのは小人だった。その小人がキーキーと耳障りな音で叫ぶと、奥の壁に魔法陣が現れる。胎動する様に極彩色に光るその魔法陣こそが、彼方側への扉だった。立ちすくんでいた先客達はぞろぞろと魔法陣へと向かう。扉付近に陣取っていたせいで少し出遅れたことを頭のどこかで後悔しつつ、わたしも彼らに続いた。そしてわたし達は魔法陣へと吸い込まれ、気づけば奇妙な場所に立っていた。
クリーム色の空には雲の様にふわふわとゲーム機が浮かび、太陽の代わりに巨大なクマのぬいぐるみが辺りを照らす。地面からは高層ビルみたいにゲームのリモコンが生えていた。リモコンの町には沢山の小人がいて、わたし達を見たら、それらはキーキーと不協和音の大合唱を始める。その大合唱がどんどん大きくなってピークに達した時、地面がゴウっと揺れて空から目が落ちてきた。或いは
残された掌は暫く動かないでいたが、びくりと震えると目で舐めつける様にわたし達を見る。こんな状況であってもわたし達は誰一人逃げようともしなかった。そんな考え浮かびすらしなかった。掌が鎌首をもたげてわたし達と向かい合う。
と、同時にソレは爆発した。漫画でよくある実験の失敗みたいにコミカルで、毒々しい色の爆発だった。始めの爆発から一拍おいて今度はもっと大きな爆発が起きる。二度目はその爆発の正体が見えた。どこからともなくフラスコが飛んできて爆発しているのだ。そのフラスコが飛んだきた方向に目線を向けると、そこには猫耳を生やして白衣を着た1人の女の子。
──……こども?
わたしがそう呟くと同時に、掌は今日一番の大きな爆発をして、断末魔とも笑い声とも言えぬ声を上げて消えていった。
掌が消えると共に世界は元に戻った。ゲーム天国な異空間から、夜中の廃工場へと景色が変わる。周りの先客たちはバタバタと倒れ伏していった。それと同時にずっとわたしの頭にかかっていたモヤが晴れる感覚。
「なんとか間に合ったようだな」
聞こえてきた声に振り向くと、そこにはさっき見たばかりの女の子がいた。ただし格好は猫耳白衣から南凪自由学園の制服に白衣を纏ったモノに変わっている。
わたしが呆然と視線を向ける中、女の子はわたしが落としていたビラの一枚を拾い上げ呟いた。
「ん?これは……七海のところの占い師か?」
──メルを知ってるの!?
突然食いついたわたしに女の子はかなり驚いた表情を浮かべた。
廃工場から少し歩いた場所にある公園のベンチにわたし達は腰を据えた。ここに来るまで話した結果、彼女のことが少しだけ分かっている。
彼女の名前は
「とりあえずこれでも飲んで落ち着けよ」
都先輩が公園近くの自動販売機で買って来たらしいホットココアを渡してくる。お礼を言って受け取ったが、開けて飲む気分にもなれなかった。ぼんやりと手先だけが温まる。
──教えてくれませんか?あの怪物のことや貴女のこと、そしてメルとの繋がりも。
「そうは言っても何から語るべきか……そうだな、まずは魔法少女についてだ」
都先輩はわたしに全てを話してくれた。キュウべえという存在と契約することで魔法少女になれること。魔法少女は契約の際に一つだけ願いを叶えてもらうこと。魔法少女は魔女を倒す使命を持っていること。魔女は人を喰らうこと。
荒唐無稽な話であったが、ついさっき魔女と魔法少女を見たばかりの身として疑うという選択肢はなかった。あの時頭にかかっていたモヤも“魔女の口づけ”と呼ばれる魔女の呪いだったそうだ。魔女の口づけを受けてしまった人間は思考を操られて自殺へ誘導されてしまうらしい。そう言われると思い当たる節はある。あの時わたしは何を言われるまでもなく何処に行けばいいのかわかっていたし、周りの先客達だってきっとそうだった。あれが魔女の口づけの効果なのだろう。
──それで、メルとのご関係は?
「あの占い師も魔法少女だったんだよ。アタシと同じようにな」
都先輩はなんでもない顔でそう言った。その後、わたしが持っていたビラに映ったメルの写真を見せてメルの手を指し示す。メルの指には都先輩がつけているのとよく似た指輪がつけられていた。
ああ、こんなこと知りたくなかった。メルがわたしの知らない世界でずっと戦っていたなんて知りたくもなかった。けれどたった一つの情報を得たことでパタパタと脳内でパズルが組み上がる。
なぜメルは広い交友関係を持っていたのか?
魔法少女繋がりだったのだ。
なぜメルの占いは百発百中だったのか?
本当に魔法だったのだ。
なぜメルは死んでしまったのか?
魔女に負けてしまったのだ
理解する。否が応でも理解する。死因不明なんて話は冗談でもなんでもなく正真正銘の、わたし達一般人にはわからない死因だったわけだ。
メルはあの怪物と戦って死んだ。安名メルとしてではなく魔法少女として。魔法少女になるというのは、そういうことなのだ。
けれどそれにも酬いがある。
──魔法少女になれば、なんでも一つ願いが叶うんですよね?
「ん? ああ、そうだぞ」
だったらもう、わたしの答えは決まってるようなものだ。死の危険があるだろう。もしかしたらこの選択を後悔する日が来るかもしれない。でも、それでも……
──わたし、魔法少女になります
命をかけてでもメルに返ってきて欲しい。
──ねえキュウべえいるんでしょ!出てきてよ。
キュウべえは声をかけたらどこに居ても現れると都先輩が言っていた。ならば今すぐ呼んで契約してしまおう。
──……あれ?おーい!キュウべえ!
しかし一向にキュウべえは姿を現さない。猫とも犬とも取れない変な小動物だから実際に見たら一目でわかるはずなのだけど。公園を見渡す。都先輩とその奥でぼんやり光る自動販売機しか見つからない。
──なんで?キュウべえ!わたし契約するよ!
もしや深夜は契約時間外なのかとわたしが考え始めた時、都先輩がわたしの名前を呼ぶ。彼女の表情は何故か酷く気の毒なモノを見るような顔だった。
「そこに、いるんだ」
都先輩はわたしの座るベンチを指差す。正確にはわたしが座っている隣の空白を。
「キュウべえはずっとそこにいるんだよ」
視線を向ける。何もない空間だ。小動物の姿など影も形もない。まさかキュウべえとは透明な存在なのかと恐る恐る手を伸ばしても、何にも触れない。ただ空を手が切っただけだった。
──からかってるんですか?
「いいか、よく聞くんだ。
都先輩の声は少し震えていた。けれどその表情を見れば声の震えはからかいの笑いなんかではないことは容易にわかる。
受験に落ちてしまったことを受験生に告げる先生のような、手術に失敗したことを遺族に話す医者のような、そんな声の震えなのだ。
つまり彼女の言葉はからかいでもなんでもなくて、純然たる事実なのだろう。
──嘘ですよね?
都先輩は黙って首を振る。
その表情の意味がわかってしまった/わかりたくない。
──嘘だって言ってくださいよ。
都先輩は何も言わない。
なぜ、そんな顔をするのか。どうしてそんなに憐れむのか、理解してしまった/理解したくない。
──なんとか言ってくださいよ!
都先輩は泣きそうな顔をしていた。
つまるところわたしは──命をかける権利すら持ってなかったのだ。
走った。ただただ走った。行き先なんてどうでも良かった。現実を認めたくなかった。都先輩を置き去りにして、逃げるようにわたしは走り出した。胸が苦しいのは走ってるせいにしたかった。どこを走ってるなんかもわからないまま走って走って走って走って。だんだん足が重くなって、息が出来なくなって、体を引きずるようになって。走ってるのか歩いてるのか止まってるのかもわからなくなるまでわたしは走り続けた。
気づけば地面に倒れて動けなくなっていた。自分の呼吸音を聞きながら視線を動かすと、ここはどこかの路地裏であるらしい。
──ねぇ、出てきてよキュウべえ…
荒くて呼吸音にしか聞こえない声でそう呟くと、視界に何か白くて動くものが横切った。ハッとして目を向けるとそれは打捨てられたコンビニ袋だった。小動物なんかではない。
力を振り絞って体をうつ伏せから仰向けに変える。大の字になって空を見上げると星がチカチカと輝いていた。酸欠ゆえか点滅して見える星々は、魔女の結界のように不気味で奇怪だ。
なんとか気力が回復してくると、わたしはもう一度呟いた。
──キュウべえ、わたしのお願いを叶えてよ。魔法少女になる。だから、出てきてよ
小動物は姿を現さない。嫌になって首を横に倒す。視界から星空は消え、鬱屈とした路地裏が映った。地面にへばりついたまま路地裏の壁を見ていると、室外機の下に何かが落ちていることに気づいた。頑張って手を伸ばせば届きそうな距離だったので億劫な腕を動かし、手を室外機の下に突っ込む。落ちていたものを取り出すとそれは安っぽいキーホルダーのペンデュラムだった。小指の先ほどしかない小さな振り子がボールチェーンでぶら下がる本当に安っぽいペンデュラムだった。それを視認した瞬間、わたしは無理やり上体を起こしてスマホを確認した。地図アプリによると、ここは新西区。
恐る恐るペンデュラムを見る。知っている。わたしはこれを知っている。だって、これはわたしがメルの誕生日に贈ったプレゼントなのだから。工匠区にあるメルお気に入りの雑貨店でわざわざオーダーメイドして作って貰った世界にひとつだけのペンデュラムだ。お金を出せなくて安っぽくなってしまったけど、メルはすごく喜んで受け取ってくれた。一生大事にすると笑っていた。これが落ちているということは、きっとそうなのだろう。
この狭く息苦しい路地裏で、あの子は死んでいたのだろう。
だとしたら、わたしも此処でこのまま朽ちてしまうのもアリかもしれない。
スマホの電源を切り、なるべく遠くへと投げつける。そしてわたしはペンデュラムを胸に抱き、ミジンコみたいに丸くなった。どうか来世でもメルに出逢えますようになんて、神様に願って。
鳥のさえずりで目が醒めると、そこは見慣れた自室のベットだった。天井を見上げて、昨日の夜空の方が綺麗だったなとぼんやりと考える。どうやらわたしはちゃんと家まで帰って来たらしい。自分では帰って来た覚えがないので誰かが運んでくれたのだろう。誰が? と考えるとなぜか都先輩の顔が浮かんだ。流石に違うだろう。きっとお巡りさん辺りだ。
ベットから起き上がって勉強机まで移動すると、ご丁寧にスマホまで回収してあった。蜘蛛の巣状に割れた液晶が昨日の出来事が嘘ではなかったと証明している。
スマホの横にはペンデュラムと、わたしが机の上に置きっぱなしにしていたタロットが並べて置いてある。わたしはスマホを取ろうと伸ばしていた手を空で一旦迷わせてからタロットに手を伸ばした。
誰もいない自室で1人、シャカシャカとタロットカードを切る。笑ってしまうほど下手くそなシャッフルだった。
その次はタロットを裏向きのまま机に並べてかき混ぜる。机がちょっと狭かったので不必要なスマホは突き落とした。ペンデュラムは端に少しズラす。
机の上に広げられたタロットを満足げに見渡し、なんとなく一番右端の一枚を選んで持ち上げる。タロットの意味を覚えられなくて挫折したわたしであったが、偶然にもそれは唯一意味を把握している一枚だった。
運命の輪、逆位置。その意味とは即ち。
不運、悪転、失敗、悪化、暗転、後退、降格、混沌、すれ違い、そして──別れと失恋。
全く嫌になる、と力なく運命の輪を机の上に戻した。今更気付くなんて遅すぎる。わたしはいつも遅いのだ。
衝動が胸の奥から湧いて来て、言葉となって漏れる。
──ああ、わたしメルが好きだったんだ。
その言葉を引き金として、涙がポロポロと溢れ始めた。いつかとそっくりな占い結果、そっくりな状況。
けれど、わたしの背をさすってくれる優しい少女はもうこの世にいない。
わたしは独りで涙を流し続けた。