子ぎつねヘレン ~レイとヘレンの物語~   作:hasegawa

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プロローグ。

 

 

『わたしが死んでも、代わりはいるもの――――』

 

 

 前に、そう口にした事がある。

 当たり前のように、自然に呟いた言葉。

 

 

 私は私を、とても空虚な存在だと感じる。

 

 例えば生きる喜びや、意義や、執着。

 そんな誰しもが持っている当たり前の物が、私には無い。見出す事は出来ない。

 

 ただ、エヴァに乗る事だけ。

 自分に出来るのは、すべき事は、エヴァに乗る事だけ。

 それが全てだと感じるし、それで良いと思っている。

 

 それによってのみ、私は他者と繋がる事が出来る。価値を見出されると思う。

 他には何も出来ないし、何も知らない。何も持っていない。

 

 

 だいじょうぶ、私が死んでも代わりはいるから。

 私という、綾波レイという存在は、単一の物ですら無いのだから。

 

 いくらでも代えが効く、そんな軽い存在なんだから。

 

 

 

 ……けれど今、私はその言葉を口にする事に、強い抵抗を感じている。

 

 死んでも良い。代わりはいる。

 

 そんな"命"があるなんて、認める事が出来ずにいる。

 私の心の奥の部分が、そう言ってる。

 

 

 だって、この子が教えてくれたもの。この子が見せてくれたもの。

 

 

 この子は決して"価値の無い命"なんかじゃない――――

 

 だって私は、この子をとても愛おしいと、感じるもの。

 

 

 たとえ、目が見えなくても。

 耳が聞こえなくても。

 

 それでもこの子は、自分の命を精一杯に、生きたでしょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子ぎつねヘレン ~レイとヘレンの物語~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 

「…………」

 

 カーテンから差し込む光の眩しさに、目を覚ます。

 打放しコンクリートの壁の、殺風景な部屋。そこでレイは一人朝の支度をし、いつものように学校へと出かけた。

 

 

「ねぇ! 今日帰りにカラオケ行かない?」

 

「おっ、いいねぇ~! いこいこ♪」

 

 教室では今、クラスメイト達の賑やかな声が聞こえている。レイは特にそれを気にする事無く席に座り、何気なく窓の外を眺める。

 今日の碇くんのお弁当は何だろう? そんな事を考えながら。

 

「あっ! 綾波さんも良かったら行かない? たまには一緒にさ?」

 

「……ちょ! アンタ!!」

 

 満面の笑みでレイに声を掛けようとしたクラスメイトの女の子。だが即座に彼女は数人がかりで取り押さえられ、凄い勢いで後ろに引っ張られていく。

 ワーとかギャーとか叫んでいるのも聞こえる。

 

「ごめん! ホントごめんね綾波さんっ! 気にしないでねっ!」

 

 グループのリーダーらしき女の子がレイの前にやってきて、両手を合わせて深々と頭を下げる。そして気まずそうに頭を掻きながら、スタコラ仲間達の下へ戻っていった。

 

「ちょっとアンタ……! 綾波さんが行くワケないでしょうがっ……!」

 

「分かるでしょそのくらいっ……! ほっといてあげなさいよバカッ……!

 あー焦ったぁ~……!」 

 

「え~。だってぇ~……」

 

 何やら向こうの方でボソボソと説教されているらしき、先ほどの女の子。

 

「…………」

 

 レイは暫しの間そちらを眺めていたが、やがて何事もなかったように視線を戻し、また窓の外を眺める。

 

………………………………………………

 

 

「うん! シンクロ率も安定してるわね~。上出来上出来♪」

 

「ええ。これなら何の問題も無いわね」

 

 学校が終わり、ネルフ本部。

 いつものようにプラグスーツに着替え、指示通りLCLに浸かる。

 

「お疲れ様~! 三人ともパーペキよん? いい調子じゃないのみんな♪」

 

「ホントですか? 嬉しいですミサトさん」

 

「あったりまえでしょ! あたしを誰だと思ってんのよ! ふふん♪」

 

「……」

 

 訓練が終わり、ミサトよりお褒めの言葉を貰う三人。掛け値なしの称賛にシンジもアスカも嬉しそうだ。

 そんな姿を見て、レイもほのかに胸が暖かくなる心地がする。

 

「まっ! 今回もあたしが一番だけどねっ!

 アンタ達にしてはよくやった方じゃない? まぁあたしには敵わないけどっ♪」

 

「あはは。アスカが凄いっていうのは、僕らも分かってるさ」

 

「すごいわ、弐号機の人」

 

「……ちょっとぉ! 少しは悔しがりなさいよ! 張り合いが無いでしょうが!

 いい? アンタ達もエヴァのパイロットなら、もっと向上心って物を持ちなさいっ!

 なんて言ったかしら……? そう! 意識高い系よ!

 これって日本の言葉なんでしょ? そんな感じでいくのよっ!」

 

 どれだけ喚こうとも、のほほんした雰囲気で受け流され、アスカの怒りは空回り。

 終いには「あたし達3人でチームでしょうが! チルドレンでしょうが!」とワケの分からない事を言い出すアスカを、みんなで微笑ましく見つめる。

 

「それじゃあ上がって頂戴ね。気をつけて帰るのよ~ん」

 

「はい、お先に失礼します。じゃあ帰ろっかアスカ」

 

「えっ? アタシの話はまだ終……もう! 分かったわよバカシンジ!」

 

 アスカがプンプンと怒りながら、ズカズカと先に扉を出ていく。

 

「それじゃあね綾波。また明日――――」

 

「ええ、碇くん。また明日――――」

 

 

 優しくレイに微笑みかけ、シンジがパタパタとアスカを追いかけていく。

 その後ろ姿を見送っていると、二人が行くのを見計らっていたように、リツコから声が掛かった。

 

 

「……レイ、碇指令がお呼びよ。いつもの部屋へ」

 

………………………………………………

 

 

 天井にも届こうかという、巨大な楕円形の水槽。

 その中に今、一糸まとわぬ姿のレイがいる。

 

「…………」

 

 LCLの濁った視界の先、ガラス越しの正面には、こちらを見つめている碇ゲンドウの姿がある。

 何を言うでもなく、ただじっとこちらを見つめている。水槽に浮かぶ私の姿を。

 

「…………」

 

 サングラスの奥、その表情は伺えない。感情を伺い知る事は出来ない。

 ただその瞳が、"私を見ていない"事は分かる。

 

 彼は私ではなく、私を通して誰か別の人を見ている――――ハッキリとそう感じる。

 

「――――」

 

 

 目を閉じ、LCLに身を任せる。

 

 ただ時が過ぎ去るのを待つように。

 もう何も考えずに、済むように。

 

 

 レイはただLCLに身を任せ……深く深く、意識を沈めていく。

 

 

………………………

………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 退屈な学校と、ネルフでの訓練、殺風景な自室。

 学校、訓練、家。

 学校、訓練、家……その繰り返し。

 

 それに特に疑問を抱くでも無く、これが私の全てだとばかりに、ただ淡々とこなしていくだけの日々。

 

 そんな傍目から見れば味気ないであろう生活に、ほんの少しだけ変化が訪れたのは……きっとシンジがこの街にやってきてからだろう。

 彼がここに来て、そして自分に話しかけてくれるようになってから、次第に変化していったように思う。

 

 彼の声を聞くのが好きだ。

 彼の姿を見ると安心する。

 彼が笑いかけてくれると、ぽかぽかする。

 

 そう思うようになってから、レイの景色にほんの少しだけ"色"が付いた。

 何も無かったハズの日常に、ほんのりと彩りが生まれたのだ。

 

 空虚だった心に、まっさらだった白い画用紙に、一点の暖かな色が付いた。

 これはとても大きな変化なんじゃないかと、レイは思う。

 

 

「……でもここには何もないわ、碇くん」

 

 しかしながら、現在レイは少しばかりぶすっとした顔で、ひとり何もない道を歩いている。

 ここは眩いばかりの太陽の光に照らされた、のどかな田園風景の広がる美しい場所だけれど……ひとりで歩くにはどこか物足りない。

 もし隣に碇くんがいれば、きっとこの風景を「キレイだね」と言って、私に笑いかけてくれるのだろうけど……。

 

「……」

 

 綺麗だから、寂しい。

 分かち合える人がいないなら、寂しいだけ。

 

 レイはこの豊かな自然に囲まれた美しい光景を見ながら、思う。

 人込みの中でこそ孤独を感じるように、この素晴らしい景色の中にいるからこそ余計に寂しさを感じてしまうのだ。あぁつまらない。

 

『今度"旧北海道"でちょっとした実験を行う予定でね?

 それにレイとアスカには協力して貰いたいのよ~』

 

 先日そうミサトからそうお願いされ、現在レイはここ、旧北海道にやってきている。

 

 今回の作戦を統括するリツコ、そして同じくエヴァのパイロットとして実験に参加するアスカを伴って来てはいるが、ここにシンジの姿はない。

 いわく、パイロット全てを第三新東京市から離すのは、もし使徒が来た時に困るのだそうだ。シンジはネルフでお留守番なのである。

 

 今回の作戦は危険な物では無く、ただ純粋な実験だけなので、もう周りの大人達はのほほんとした物だ。ぶっちゃけちょっとした旅行の感さえある。

 参加出来ない……というか息抜き旅行に行けなかったミサトもグチグチと文句を言っていたし、シンジも少し残念そうにしていた。

 しっかり「お土産買ってくるわ、碇くん」と約束し、彼はとてもよろこんでくれたけれど。

 

 本当は、代わってあげたかった。

 特に自分は行きたいとは思わないし、シンジが楽しんでくれるならそっちの方が嬉しい。だからリツコにそう進言してはみたのだが、あえなく却下された。

 服だの、グルメ雑誌だの、動物園のパンフレットだのという荷物を旅行鞄に押し込みながら「レイ、遊びに行くんじゃないのよ? 分かってる?」と怒られたが、正直あれは理不尽だと思う。

 レイは人知れず、ちょっとだけプクッと頬を膨らませたものだ。

 

 

 そんなこんなで今、レイはこの広大で美しい旧北海道の風景を眺めつつ、地平線の彼方まで続く一本の道路を辿るように、ただトボトボと歩いている。

 

 今日の予定はもう終了しているので、後は全て空き時間。

 ここは第三新東京市ではないので、いつもの殺風景な自室に帰って寝る事も、ネルフで碇くんとまったりする事も出来ない。

 ようは何もする事がないので手持ち無沙汰となり、こうしてひとり散歩をしている次第なのだ。

 

 やっぱり碇くんと代わってあげれば良かった……。

 そうは思うけれど、もし代わってあげられたとしても、きっとあまり状況は変わらないんだろう。

 

 私がネルフにいて、碇くんがここ旧北海道に居る。それなら結局は彼と会えない。離ればなれだ。

 

 結局の所、自分はこうして一人、退屈を紛らわす羽目になっていた事だろう。

 そんな事を考えつつ、レイがせっかくのこの豊かな風景の中を、無表情に歩いていく。

 ただただ、この寂しさを紛らわすようにして。

 

 

「――――?」

 

 

 そんな時、ふと目をやった道路の脇に、何かがいるのを見つけた。

 

「?」

 

 草陰にいる、とても小さな生き物らしき影。

 何気なしにレイは、そちらにトテトテと歩いて行く。

 

「きつね? きつねの子供?」

 

 ピンと尖った耳、先っぽが白いフワフワの尻尾。

 そして、とても小さな身体。まだ生まれて間もない、柔らかそうな体毛。それがお日様の光に照らされ、キラキラと輝いている。

 

 この子は、野生のキツネだ――――

 いままでレイが本の中でしか見た事の無かった、キツネという生き物。その子供だった。

 

「……!」

 

 思わずレイは、辺り一帯を見回す。

 まわりには草原、田園、山、小川。しかしどこを見渡しても、この子の他には何もいない。

 この子の親キツネの姿は、どこにも見当たらなかった。

 

「あなた、ひとり?」

 

 何気なく子ぎつねの傍まで行き、屈んで目線を合わせる。

 顔を突き合わせる程に近づいても、子ぎつねは全然逃げる様子も見せない。ただただ大人しくその場に座り、どこを見るでもなく前を向いている。

 

「おかあさんを、待ってるの?」

 

 地面に腰を下ろし、ちょこんと子ぎつねの隣に座ってみる。それでもこの子は逃げようとしない。

 前足でクシクシ顔を拭ったり、愛らしく欠伸したりしているこの子を、レイは「じぃ~」っと見つめる。

 

「……」

 

 何気なしに、そっと子ぎつねを撫でてみる。

 こんなに小さな生き物に触れるのは初めてなので、出来るだけそっと、やさしく頭を撫でてみる。

 思った通りの、ふわふわした手触り。柔らかな感触が手に伝わった。ぬくもりと共に。

 

「……」

 

 なにやら今まで感じたことの無い感情が、どんどん胸に湧いてくるのを感じる。

 碇くんといる時のぽかぽかした気持ち、それととても似ているけれど、少し違うような……そんな暖かな感情がレイを包んでいく。

 

 この子は、とても大人しい子のようだ。

 こうして触れてみても逃げる事なく、今ものほほんと身を任せている。

 決して噛みついたり、暴れたりもしない。ただただその場で寛いでいるように見えた。

 まんまるのつぶらな瞳が、とても愛らしく感じる。

 

「あなたも、寂しい? 退屈してる?」

 

 レイはコテンと首を傾げ、子ぎつねに問いかける。

 

「……わたしと、遊ぶ?」

 

 いま子ぎつねが、ふぁ~と小さく口を開いた。欠伸をしたのかもしれない。

 それを「うん」の返事だと受け取り、レイはそっと子ぎつねの身体を持ち上げ、優しく抱きかかえる。

 

「……あったかい」

 

 

 

 いま腕の中にいる、小さな小さな生き物。

 そのぬくもりをしっかりと感じながら、レイが草原の中に入り、嬉しそうに走り出す。

 

 地平線の彼方まで続く、退屈だった一本道。

 それを外れた一人と一匹が、いまお互いの鼓動を感じながら、自由に草原を駆けて行く。

 

 

 その日、レイはひとりぼっちの子ぎつねに出会った――――

 

 

 

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