子ぎつねヘレン ~レイとヘレンの物語~ 作:hasegawa
砂丘のピクニックから、数日が過ぎた。
あれからもヘレンの病状は、決して良くなったとは、言い難い。
「……っ。……っ」
けれどレイは、一生懸命に考える。
実験場の休憩時間や、ごはんを食べている時、夜ベッドの中にいる時……そしてこうして自室にいる時も。
もうレイは一日中、ヘレンの事を考え続けている。
「……。むむむ……」
目を瞑り、むむっとへの字口。
床に胡坐をかいた姿勢で、お坊さんみたいに手を膝の上で組む。見よう見まねで瞑想なんかをしてみる。
(たしか、一休さんという人がやってたわ。
こうすれば、いい考えが浮かぶの)
脳内で〈ぽくぽくぽく……チーン♪〉みたいなBGMが鳴る。というかさっきから頭の中でエンドレスリピートしている。
けれどこの〈ぽくぽくチーン♪〉は、もしかしたら問題があるかもしれない……。
だって私は真剣に考え事をしているのに、このぽくぽくチーンをイメージしてると、なぜかだんだん口元が緩んでくるんだもの。笑ってしまうんだもの。
もう悩み事どころか、どんどん愉快な気持ちになってくるではないか。ぽくぽくぽくチーン♪
よくわからないけれど……これってとても面白いと思う……。
「いけない、ちゃんと考えなくちゃ。ヘレンのためだもの」
レイはふるふると首を振り、イカンイカンと表情を引き締め直す。キリリとかっこよく。
……思えば座布団を敷くのを忘れてしまったので、さっきからちょっとお尻が痛い。ジンジンしてくる。
でもこのおしりの痛みが、私の気を引き締めてくれるかもしれない。役に立つかもしれない。だからあえてこのまま我慢しようと思う。
それに痺れや痛みに“耐える“のって……なんか非常に修行っぽくないだろうか? なんかこれ合ってるっぽくないだろうか? そんな気もしている。
それにこうしてがんばっていれば、なにか良いアイディアが浮かびそうな気もする。
よく分からないけれど、なんかそこはかとなく“やってる感“みたいなのも出るではないか。
なのできっと、瞑想ってこんな感じでやるんだと思う。合ってると思う。
一休さんもきっとこうしてたハズ――――おしりの痛みや足の痺れに「ぐむむ……」と耐えながらも、レイは確信するのだった。
しかしその後、約1時間ほどがんばって瞑想をしていた所、突然よちよちとこちらに遊びに来たヘレンが「わーい」とばかりに足の上に乗ってきて、レイは悶絶する事となる――――
「ファースト、出前来たわよ~。ピザよ~……って、アンタなにしてんの?」
アスカが部屋に来てみれば、そこには「~~ッ!!」と声にならないうめき声をあげながら、床にうつ伏せになって悶えているレイの姿。
なぜかその背に、「?」と可愛い顔をしたヘレンを乗っけて。
「その、なんか大変なトコに来ちゃったわね……。
とりあえず、ごはんだから。今日ピザだから。……じゃあね?」
文字にすれば「ぬぅおぉぉ~~!!」って感じで悶えているレイ。それを余所に「~♡」とじゃれついているヘレン。
そんな彼女を見捨て、アスカがスタスタと廊下を引き返していく。
「まっ、まって……! ヘレンをっ……ヘレンを背中からどけてっ……!」
そう必死に手をのばすも、すでにアスカは去って行った後だ。
いま床にうつ伏せの状態でヘレンを乗せ、しかも猛烈に足が痺れている状態のレイは、これで一体どうやってリビングに向かえば良いのかと、絶望の表情を浮かべる。
動けん、動けんぞ! ……少しもこの場から動く事が出来ん!
もしこの状態で動こうとするならば……もうレイはヘレンを背中に乗せたままズリズリと匍匐前進で進んだり、まるでホラー映画みたいに「おおぉぉ……!」と階段を這いずって降りなくてはいけない。
それはもう流石に無理なので、とりあえずはヘレンが満足して背中から降りてくれるまで、この場でじっとしておくしかない。必死に足の痺れと戦いながら。
今ヘレンは「ふわぁ~」っと大きなあくびをし、愛らしくお顔をクシクシしている。
まぁレイには、それを見る事は出来ないけれど。
「レイ! レイッ!」
「あっ、赤木はかせっ……!?」
その時、突然部屋に飛び込んできたリツコさん。
レイはその姿を、まるで神様が現れたかのように感じた。「助かった!」と。
「――――出来たわよレイ! キツネ耳型インターフェイスヘッドセットよ!」
リツコは満面の笑みを浮かべながら、床に寝そべっているレイの頭にケモ耳的な物をスポッと取り付ける。非常にプリチーだ。
「どう? これで貴方もきつねっ子よレイ!
私も貴方たちを応援してあげたくってね……。頑張って作ってみたのよ」
赤木博士が一晩でやってくれました。
リツコは寝不足な目をパシパシしながらも、テンション高めでレイに語りかける。
「これでエヴァに乗っている時も、キツネの気持ちになれるわ!
ヘレンの気持ちに近づけると良いわね!」
そしてリツコは「いや~、いい仕事したなぁ~」みたいな雰囲気を漂わせつつ、ひとり満足気に部屋を後にする。
「まって……! はかせっ……!
ヘレンをっ、ヘレンをどけてくださいっ……!!」
そんなレイの声も、届く事なく。
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なんとか足の痺れから解放された、夕食後。
レイはいつものように、ヘレンのケージの掃除に勤しんでいた。中に敷いている汚れた新聞紙を、せっせと新しい物と取り換えていく。
ちなみに先ほどのキツネ耳はつけっぱなしだ。今日はずっとこれでいこうと思う。せっかくだし。
「……ウッ! ウッウッ!」
しかし今ふと視界の隅で、ヘレンがコテンと転んでしまったのが見えた。
レイが手を止めて観察してみると、どうやらヘレンはお散歩の途中、床で滑ってしまったのであろう事が分かった。
……ところがヘレンの方はそうだとは思わず、どうやら誰かに転ばされてしまったと、勘違いをしているようだった。
「ウッウ! ウッウ!」
怒った声をあげ、ズルズルと後ずさりをし始めるヘレン。「てきはどこだ!」と警戒しているのだろう。
そして後ろに下がっていくうち、おしりがポスンと檻にぶつかる。その途端にヘレンはバッと振り向いて、「そこだぁ!」とばかりにガブッと檻に噛みついた。
「~~ッ! ウゥ~ッ!」
怒った声を出しながら、必死に左右に首を振ろうとするヘレン。けれど檻はとても丈夫だから、小さなヘレンの力ではビクともしない。
いくら一生懸命に噛もうともヘッチャラな檻に、その敵に……ヘレンはさらに腹を立てているようだった。
「…………」
レイが見つめる中、ヘレンは一生懸命に「こんにゃろ! こんにゃろ!」と噛みついていく。
噛みつきながら引っ張ろうとしたけれど、オリの方はビクともせずに、引っ張ったヘレンの方がゴロンと後ろにひっくり返ってしまう。
するとヘレンはさらに怒って、また「こんにゃろう! えいえい!」と飛びかかって行く。
もう床に敷いた新聞紙や、ヘレンのお部屋にしているダンボールの箱なんかにも噛みつき、ぐるぐる暴れまわる。
「……ヘレン」
その様子を、レイがただ静かに見守る。
今のヘレンから感じる、怒りや、悲しみや、悔しさ……そしてなによりも「怖い」っていう気持ち。それをじっと受け止めるように。
「そうね、ヘレン……。こわいわね……」
もう「ムキャー!」と怒っているうちに、ヘレンは間違って自分の足をカプッと噛んでしまう。それにまた腹を立てて、どんどんどんどん「ムキィー!」っとなっていく。
その姿を見たレイが大きなタオルを手に取り、今そっとヘレンの上からかけてやった。
「……っ? ガッガッ!」
ヘレンは力いっぱいタオルに噛みつく。レイはちゃんと“噛みつける相手“を与えてやる事で、まずはこの子を安心させてあげたのだ。
ちゃんと怒りをぶつけられる物を見つける事で、ヘレンは見えない敵への不安から解放される。しっかりと気持ちを発散できる。
そして暫くさせてあげた後……レイはヘレンをくるっとタオルに包み、そのまま抱き上げる。
レイの腕に抱かれ、優しくゆらゆらと揺らされているうちに、ヘレンは落ち着きを取り戻していった。
「だいじょうぶよ、ヘレン。
ほら、もうこわくないわ――――」
不思議な事にヘレンは、いつもこうしてレイに抱っこをされると、まるで今までの怒った顔が嘘だったかのように消えて、すぐに大人しくなる。
そしていつも、とても安らかな顔で眠るのだ。安心しきった顔で。
こういった場合にはアスカやリツコも同じ事をするのだが、でもなんとか落ち着かせる事は出来ても、なかなか同じようにはいかないのだった。
きっとヘレンには、ちゃんとレイの事が分かるのだろう。
「ヘレン、いい子。いい子ね――――」
あの、砂場で目と耳を塞いだ時に感じた気持ち……。
レイはそれを思い出しながら、そっとヘレンを抱きしめ、優しく頬擦りする。
この子の心に、寄り添うようにして。
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胸のすくような晴天に恵まれた、風の少ない日。
今日は二度目となる、ヘレンのピクニックの日となった。
「あー。潮風がベタつく。家で大人しくしとけば良かったかしら」
遠くに見える海を眺めつつ、ここ砂丘のくぼ地に座るアスカが呟く。
どことなくぶすっとした表情をしながら。
「ま、仕方ないか。
たまにはアタシも付き合ってあげないとね。こういうのも良いモンだわ」
風に揺れる白いワンピースのスカート、大きな麦わら帽子。アスカはそれを手で押さえながら「よっ!」っと立ち上がる。
そして、いま目の前にいるヘレン達の方を、何気なく眺める。
「クゥー。クゥー」
地面にペタリと座るレイの腕に抱かれ、じっと胸元に顔を埋めている様子のヘレン。
いまそのヘレンのもとに、呼びかけるような声で鳴きながら、雌キツネのメンコが寄って行く。
「クゥー。クゥー」
腕に抱かれたヘレンのまわりをクルクルと周り、メンコが「ほら、こっちにおいで?」と呼び掛ける。
ヘレンはなにやら怖がっている様子なのか、じっとレイの胸に顔を埋めるばかりだが、それでもあきらめずに「クゥー。クゥー」と鳴き、ヘレンに呼びかけている。
どうやらメンコは、ヘレンと遊びたくて遊びたくて仕方ないようだ。
「この場所は二度目だったハズだけど、随分怯えてるわね。
前回はひと悶着あったっていうし……やっぱりよく知らない場所が怖いのね」
今日のヘレンは、ずっとレイにひっついたまま。これは行きの車の中でもそうだった。
恐らく車に乗せられた時、またどこか知らない場所に連れていかれるというのを悟ったんだろう。そこからじっとレイの腕の中で怯えているようだった。
以前であれば、たとえどこであっても無邪気によちよちとお散歩していたものだが、今日はそうじゃない。なんだかとても用心深くなっているように思える。
でもこれは、当然の事とも言える。だって本来キツネは、とても用心深い動物なのだから。
だからこれは、ヘレンがだんだん“成長している証“でもある。喜ばしい事なのだ。
「……ほらヘレン? メンコがきたわ。あそんでおいで?」
そっと地面に降ろされ、レイの手に支えてもらいながら、ヘレンが砂の地面に立つ。
ここは平らじゃなくて、とても不安定な足場だから、ヘレンは時折つんのめりそうになるのを頑張って耐えながらも、じっとその場に立っている。
きっとまだ、よく知らない所を歩くのが怖いんだと思う。
「クック。クックック」
そんなヘレンのもとに、メンコが嬉しそうに寄って行く。
そっと顔を近づけ、フッと軽く息を吹きかけ、優しくコミュニケーションをとっていく。
メンコはヘレンのまわりをパタパタくるくると回り、「いっしょにあそびましょう?」と誘っているようだ。
ヘレンの方はまだ「?」って感じで可愛く戸惑っている様子だけれど、それでも決して嫌がったりはしていない。前みたいに怒ったりもしてない。
きっとよく分からないながらも、メンコがとても自分に優しくしてくれている事を、ちゃんとわかっているのだろう。
メンコが顔にスリスリしても、鼻でチョンと軽く押されても、ヘレンは穏やかなままだった。
「あっ。あの子……」
ふとアスカは、ヘレンがフリフリと小さく尻尾を振っている事に気付く。
よく分からないながらも優しいメンコの存在を感じ、嬉しそうに可愛く尻尾を振っているのだ。とても機嫌良さそうに。
「クック! クック!」
それに大喜びしたメンコさん。また嬉しそうにはしゃぎながら、ヘレンの周りをクルクルと周る。
ヘレンの方もよちよちとゆっくりした足取りながら、メンコと遊ぼうと後を追いかけているのが見える。
そしてメンコもそれに気が付き、パタパタと戻ってきてヘレンに寄り添うようにして歩く。
時折コテンと転んでしまうヘレンを、鼻で「よいしょ」と起き上がらせてあげたりしながら、仲良く一緒に歩いていた。
「いやぁ、今日は来て良かったです。
あんなに嬉しそうなメンコは、久しぶりに見ますから」
ふと隣を見ると、そこには優しい顔でメンコたちを見つめる、あの獣医さんの姿。
彼も今日はメンコを伴い、こうしてヘレンのピクニックに付き合ってくれていた。
一番最初の印象こそ悪い所もありはしたが、今ではリツコもこの獣医さんの事をとても頼りにしているようだ。
今日もレイに暖かく微笑みかけ、仲良く談笑している姿をみかけた。アスカから見ても、彼はとても気の良いおじさんに思えた。
「ヘレンちゃんも、嬉しそうで何よりです。
こんなにも元気な姿が見られるなんて、僕は思いもしなかったから……。
これも君やレイさんが、一生懸命がんばったからだ。
君達と出会えた事は、ヘレンちゃんにとって何よりの幸運だと思います」
二人で肩を並べて、嬉しそうに遊ぶヘレン達を見守る。
獣医さんは、とても優しい瞳であの子達を見つめているように思った。
「ねぇ、先生?」
そちらを向く事無く、ただ目の前のヘレン達を眺めながら。
「あの子……どうしてメンコは、
何気なく……本当に静かな声色で、アスカは訊ねる。
その表情を、変える事の無いまま。
今も嬉しそうにパタパタと駆けまわっている、あの雌キツネ。
二本の前足
「……メンコはね? 生まれつき後ろ脚が無かったんじゃありません。
無くしてしまったんです」
獣医さんも、ただ前を見つめながら、静かな声て語る。
……ふとアスカは、事故のせいなのかと思った。
車や電車による事故。人間によって傷つけられた野生動物の話は、アスカも度々耳にしている。
だからこれは、そういう話なのかと思った。
けれど――――
「メンコは小さい頃、
自分を守ってくれるハズの存在に……酷く傷つけられてしまった」
「それでメンコは、心を病んでしまいました――――
親はもとより、仲間のキツネが傍に近づくだけで怯え、
パニックを起こすようになった」
今アスカの目の前で、慈愛に溢れた仕草でヘレンに寄り添っている、メンコ。
とても優しい顔をした、美しい雌キツネ――――
「メンコは、
誰かが近寄って来たら、その度に必死で自分の脚を噛んで、傷つけた」
「きっと……怖かったのだと思います。
おかあさんに噛まれたトラウマから、また誰かに傷つけられるのが、
怖くて堪らなかったんだと思います。
……だからメンコは後ろ脚を噛んで、自分で自分を傷つけて、必死に許しを請うた」
『―――私はこんなにも傷だらけだから、どうか許して下さい。傷付けないで下さい』
「……そうやってメンコは、後ろ脚を無くしてしまいました。
仲間と共にいる事が、母親と一緒に暮らす事が……メンコには出来なかった」
…………………………
………………………………………………
「こんにちは、キツネさん。調子はどう?」
やがて空は茜色に染まり、時刻は夕暮れ時。
今日はたくさん遊んで疲れたのか、ヘレンはレイのお膝ですやすやと眠る。どこか満足気な表情で。
そんなこの子のお守りという大役を立派に果たし終えたメンコが、ひとり元気に砂場を駆け回っている。
そして今、アスカがゆっくりと歩みを進め、メンコの傍に立った。
「今日は楽しかった?
良かったわね、ヘレンと遊べて。あの子もすごく嬉しそうだったわ」
目線を合わせるようにして座り、メンコの鼻のすぐ前に、両手を差し出す。
これが私の匂いだよ、とメンコに教えてやるようにして。
「……ねぇメンコ? ちょっと、お願いがあるんだけど」
クンクンと匂いを嗅いでから、「?」とアスカの方を見るメンコ。
アスカはどこか寂し気な笑顔のまま……じっとメンコと向かい合い、静かに見つめ合う。
「抱っこしても、いいかな……? メンコ」
……地面にペタリと座り、そっとメンコの身体を持ち上げて、ギュッと抱きしめる。
お互いの頬を合わせ、慈しむようにメンコを抱きしめる。
そうしてアスカは暫くの間……涙を流す。
静かに、声をかみ殺して。
幼かった頃の自分――――そしてメンコを想いながら。
「……ん?
ちょっとアンタぁ。別に気をつかわなくて……いいのに」
今、まるで泣いているアスカを慰めるかのように……メンコがアスカの顔をペロッと舐め、その涙を拭った。
「ありがとね、メンコ」
………………………………………………
やがて涙を止めたアスカがメンコを伴い、リツコ達が待つ車の方へと駆けて行く。
帰り支度を終えた大人達が、こちらに向かって朗らかに手を振ってくれているのが見えた。
「じぃ~」
「……ん゛ッ?!」
そしてそこには、ヘレンを優しくだっこするレイの姿もある。
「なによアンタ! こっち見てんじゃないわよ!」
なにやら不思議そうにコテンと首を傾げているレイの傍を……負けじとメンコを抱いたアスカが「ふんっ!」と顔を背けつつ、スタスタ通り過ぎていく。
「弐号機の人…………メンコと、なかよし?」
その顔を、照れ臭そうに赤く染めて。