子ぎつねヘレン ~レイとヘレンの物語~ 作:hasegawa
「ヒトフタマルマル……時間よファースト、作戦を開始するわ」
そう告げて、アスカはスッと椅子から立ち上がる。レイもコクリと頷きを返し、その背中に追従する。
「対象の状態を確認後、所定の位置に。……そうね、そこらへんで良いわ。
よし、やりなさいファースト。援護はしてあげるわ」
作戦地域……というよりもレイの部屋にイソイソやってきた二人。
軽くケージ内の状態を確認後、レイはヘレンをよいしょと抱き上げ、陽当りの良さそうな場所にペタンと座る。うむ、お日様の光がポカポカと心地よい。
アスカがお皿の乗ったトレイをレイの足元に置き、少し下がった場所でカメラを覗き込む。
そして意味も無くハンドサインで「GO」の合図を出した。
……別に声を潜める必要も、気配を消してじっとする必要も無いのだが、まぁこういうのは気分だと思う。何事も楽しんでいこう。
「ごはんよ、ヘレン。おにく」
軽くヘレンをよしよしと撫でて、本日の作戦が開始。
いま二人がおこなっているのは“お肉アニバーサリー作戦“。先日よりすでに数度に渡って実行されている、ヘレンにお肉を食べて貰う為の試みである。
「ヘレン、ここよ? さぁ、たべて?」
先日、ヘレンは自分でミルクを飲めるようになった。これはヘレンにとって、そしてレイ達にとって凄く大きな出来事であった。大いなる前進と言えよう!
……しかしながら、それだけでは足りない。この子の身体の大きさを考えると、どうしても栄養的にミルクだけでなく、お肉なども食べていく必要がある。
そうでないと大きくなれないし、元気にだってなれないのだ。
それに生き物にとって、やはり“食べる事“というのは、きっと何よりの喜びだと思うのだ。
動物病院の先生いわく、たとえどんなに人嫌いで暴れん坊な子でも、ごはんを食べている時だけはとても幸せそうな顔をしているという。
あの雌キツネがヘレンにエサを与える事で愛情を示そうとしたように、やはりごはんというのは特別な物であり、きっと幸せの象徴なのだ。
だから食べる喜びを、ヘレンに知って欲しい。まごころを君に。
レイは優しく膝の上にヘレンを乗せ、食べやすいサイズに切った生肉を、口元にもっていく。
「おにくよヘレン? ほら。おいしいから」
レイのお膝で機嫌良さそうにしているものの、一向にお肉を食べようとしないヘレン。しかしレイもアスカも辛抱強く見守っていく。
よしよしと撫でて落ち着かせてやったり、安心出来るようにしっかり身体を支えてやりながら、ヘレンの口元にお肉の乗った皿を近づけていく。
いまヘレンの鼻の先に、ペトッとお肉が引っ付いた。
「あ」
「……」
さっきまで無駄に息を潜めていたアスカが、思わず声を出す。
ヘレンが「なんかひっついちゃった!」とフルフル首を振った途端、それでお肉がポーンと飛んで、レイのほっぺたに直撃したからだ。ペチャっとくっついている。
レイは暫く硬直した後、無言でほっぺのお肉を取り、そっとお皿に戻す。
「……ヘレン、おにく。たb
「あ」
プルルッ! ポーン。 ぺちゃり。
再びヘレンが大きく首を振り、お肉がレイのおでこにくっつく。
アスカはその様子を、ただただ見守っている。真顔で。
そんな空気の中……カシャリという音が辺りに響く。
「……なぜ、いまシャッターをきったの」
「いや、一応撮っとこっかな~って思って……」
おでこに肉をくっつけたままのレイが「じとぉ~」っとアスカを見る。抗議をするように。
写真に撮るべきは、ヘレンの成長記録。お肉を食べた記念すべき瞬間である。決してお肉がくっついた私の顔では無い。遺憾の意を表明する。
「ヘレンをとって。わたしはとらなくてい
「あ」
また膝元でプルルッと音がした瞬間、レイの頭にポトッとお肉が乗った。
アスカは真顔のまま、カシャリとシャッターを切る。
「……なぜとるの」
「あ……なんかこう、ついね?
何気ない日常をこそ、って」
なんか心の奥の方で、「チャンス!」という謎の声が聞こえ、思わずシャッターを切ってしまった。
これはアタシの中で、カメラマンとしての魂が芽生えつつある証拠かもしれないわ。うん、センスあるかもアタシ。
アスカは満足そうにうんうんと頷くも、レイの視線はもう氷点下だ。
レイは無言のまま立ち上がり、何故かトテトテと歩いて来て、アスカのすぐ傍に座る。そして再びヘレンにお皿を近づける。
「ちょ、アンタ! なんでそんなトコで……!」
プルルッ! ポーン! ……ぱくっ!
生肉が宙を舞い、なんか上手い事アスカの口に入る。
「 も゛っ……!! 」
何やら面白い声を出した後……アスカはペッペと生肉を吐き出し、ティッシュで口元を拭う。
その様を、レイは「じぃ~」っと見つめる。とても冷たい目で。
「…………あのね、アタシはそれ食べないの。
全部アンタのよヘレン」
若干レイの視線に居心地の悪さを感じつつ……、わしわしとヘレンの頭を撫でてやるアスカ。
ヘレンの方は「?」といった感じの表情だ。可愛いから腹立つ。
「とりあえずアンタ、アニマル駆使して湾曲的に復讐すんのやめなさいよ。
悪かったわよホント」
(こくり)
その後も二人は「わー!」とか「ぎゃー!」とか言いながらも奮闘したが、なかなかヘレンに食べて貰う事は出来なかった。
試しにミルクの中にお肉を混ぜておけば、ペロっと飲んだ時に一緒に食べてくれないかな~と思ってやってみたりもしたが、これも成果は芳しくなかった。
残念ながら今回も、ヘレンのお肉記念日はならなかった。子ぎつね道は厳しい。一日にしてならずである。
「やっぱ“飲む“よりも“食べる“の方が難易度高いわね。
嗅覚も味覚も無い、そんなこの子に食べ物を教えるのは、とても難しい事だわ」
そしていつものように……レイに抱っこされたヘレンの口に、ピンセットで生肉を押し込んでいく。
指で口をこじ開け、噛まれる痛みに耐えつつ、無理にでも肉を食べさせる。
……その作業をこなしながら、アスカはギリリと歯を食いしばる。
「覚えなきゃいけない事、やらなきゃいけない事……ヘレンには沢山あるわ。
生きていく為に必要な事が、この子には山ほどある。
この子は毎日、世界と戦ってる――――全部が真っ暗な、何も分からない世界と」
「……」
「けど、ヘレンはすごく賢い子よ? アタシでもたまにビックリしちゃうくらい。
……だから、分かってるわねファースト?
ヘレンが頑張ってんだから、アンタも気張りなさい――――
アンタこの子のママでしょ?」
やがてお皿にある生肉を食べ終わり、ヘレンの身体は解放される。
その途端テテテと向こうに走っていき、必死に「ガッガッ!」と声をあげる。
きっとレイやアスカに対し「なにするんですか!」と怒っているのだろう。
「上手くいかないのは当たり前。そんなのハナから分かってんのよ!
だから……何度もやるしかないわ。
工夫して、色んな事を試して、毎日少しづつ。
サリバン先生もそうだったでしょ?」
怒りを露わに、抗議の声をあげるヘレン。レイは悲しそうにその姿を見つめる。
けれど今、アスカがポンと肩を叩き、ニカッと彼女らしい笑顔をくれた。
レイの心に暖かな気持ちが溢れる。勇気の火が灯っていく――――
「あ、でもアンタ……そういえば肉キライじゃなかったっけ?
それってどうなのかしらねぇ?」
「!?」
さっきまでのぬくもりはどこへやら。レイは〈ピシリ!〉と音を立てて固まる。
「ヘレンに食べさせようとしといて……アンタは肉を食べない。好き嫌いをする。
それってママとしてどうなの? 示しが付かないんじゃない?」
「~~ッッ!!」
さっきまでの暖かいヤツじゃなく、とても〈ニッタァ~!〉って感じで笑っているアスカ。
レイはダーダー汗をかく。
「ヘレンは毎日がんばってるけどぉ~? アンタはどーなのぉ?
まっ、アタシだったら嫌かな~♪ ママずっるーい! 幻滅しちゃーう!」
…………その後、夕食時。
「あらレイ、ハムはよけなくて良いの? 食べてみる?」
(コクコク)
テーブルに着き、みんなの分のサラダを取り分けていたリツコは、レイの意外な行動に少し驚いた声を出す。
「珍しいわね、あまり食には関心がなかったのに。
……でもエライわ、レイ」
何気なく、本当に何気ない仕草で……リツコがレイをよしよしと撫でてやる。
これは考えての事ではなく、きっとリツコの心から出た行動。だからそれはとても自然に見えた。
普段リツコはこんな事をしないし、レイだってされた事は無い。
でも不思議と二人は、それを気にする事はなかった。それ程にこれは、自然な行為だったように思う。
「人によって好みやアレルギーという物があるし、仕方のない部分はある……。
でも色んな物を食べてみる、挑戦してみるのは、とても大切な事よ?
少しづつでいいし、駄目なら駄目で構わないの。だからチャレンジしてみなさい。
きっとそれが、貴方の人生を豊かにしてくれるわ」
「はい……赤木博士」
レイがコクリと頷き、とても愛らしい笑みを見せてくれる。子供のように純粋な笑顔だ。
リツコも暖かな気持ちで頷きを返し、ハムの乗ったサラダをレイに手渡してやる。
「~~ッ!」
やがてレイが「えいやっ」とお箸を口に運び、ハムをひとくち食べる。
ギュッと目を瞑り、なにやらモグモグ音が聞こえそうな必死さだが……レイは今、初めてお肉という物を口にしたのだった。
今まで“生き物を食べる“という事への嫌悪感から避けていたが……始めて勇気を出して食べてみたハムは、どこか優しい味がした。
今までずっと味気なく感じていたサラダに、突然パッと色が着いたように感じる。とても鮮やかな印象に変わったのだ。
「……っ」
――――おいしい。おいしいかもしれない……。
レイの頬にほのかな赤色が差す。その表情は少しの驚きと共に、どこか喜びの色を感じさせた。
それを眺めていたアスカが、楽しそうに「フフン♪」と鼻を鳴らす。
「まぁ肉にも色々種類があるし、またちょっとづつ試していけばぁ?
とりあえず、お肉記念日おめでとうファースト。
きっとヘレンのもすぐよ」
なにやら満足気な顔をしつつ、アスカはハンバーグを頬張り、ソーセージにかぶりつく。そしてせっせと唐揚げを口に運んでいく。もぐもぐ。
「どうでも良いけれど……貴方は少し野菜も食べなさいな。
レイを見習ったらどう?」
「んぐッ?!」
その後食卓では、なにやらバツが悪そうにモシャモシャとサラダを頬張る、アスカの姿が見られた。
※後書き、レイの肉嫌いについて
原作エヴァの設定において“レイが肉を食べない理由“は、もしかしたらアレルギー、もしくは彼女の身体的な理由もあるのかもしれません……。
レイの身体の作りは、恐らくは少し特殊な部分があると思われますので。
私は原作のアニメ、そして現在公開されている範囲の映画の知識のみで当作品を書いておりますので、公式設定におけるレイの肉嫌いの理由については存じ上げません。
ですので当作品においては、独自の設定として「生き物を食べる事への生理的な嫌悪があった」という事でいかせて頂ければと思います。
どうかご了承下さいませ。にんにくラーメンチャーシュー抜き。