俺の命を救ってくれたのは人形師でした。 作:元ジャミトフの狗
★1998年 11月4日★
現在、俺は『伽藍の堂』の事務所にいた。正確にはさらにその奥にある橙子の私室だ。
この部屋には贅沢にもシステムキッチンが備わっており、俺が料理をするときはもっぱらここを利用している。設備が良くても使い手がイマイチではそれ相応の物しかできないが、お小遣いが少ないのだから仕方ない。自炊するのが結局安上がりなのである。ちなみに式嬢が俺の料理を食べた時には、しかめっ面で「ふつう」という評価を頂いた。
しかし今回ばかりは自分のためだけに料理を作っているのではない。
「ん? 起きたか」
ベッドの上でがさりと何かが動く音が聞こえてくる。視点をそちらに移すと、そこにはベッドで横になっている橙子の姿があった。額に濡れタオルを当てて冷やしている彼女は、たった今目を覚ましたようだ。
「今おかゆ作ってるから」
「……ええ」
力なく頷いて、橙子は身を起こして立ち上がろうとする。そこに待ったの声をかけるのは、彼女の使い魔たる俺の役割である。
「動かなくていいから。ああ、そのままベッドで横になってくれ」
何を隠そうこの
「……これくらい、なんでもないさ」
顔を青くさせながら、そんな説得力のないことをつぶやく橙子。どうも強がっているが、こちらとしては地団駄を踏む童に等しい。
「なんでもなくない。いいから、おとなしく看病されてくれって」
聞き分けの悪い彼女の肩をやさしく抑える。と、同時に濡れタオルを新しく交換すると「……強引」とか変なことを宣う。一応また横になってくれたが、それでも無言で非難してくる。
「誰が強引か」
橙子いわく、この体には今年の風邪に対する免疫がないのだから仕方がない、とのことだ。だったら病院に早く行けよと思うが、それはそれで魔術師としてのプライドが許してくれないらしい。まったくもって面倒くさいというか、馬鹿というか。
「ほれ、できたぞ」
「……ん」
しんどそうにしている彼女の身体を支える。半身だけを起こさせると、今度は「過保護ね」とやはり面白くなさそうに橙子は言う。多分、自分が弱っているところをみられるのが嫌なのだろう。
そんな態度をひっくるめて、やっぱり馬鹿だなと思う。病人のお仕事は病気を治すことだろうに。介抱なんて過保護なぐらいがちょうどいい、そんな常識すらも忘れてしまうくらい今の橙子は参っているのかもしれない。
「食べられるか?」
彼女のベッドに腰掛けた。丁度、橙子と隣り合う構図となる。
「ええ」
力なく頷いてから橙子は口を開ける。その仕草があまりにも自然だったから、俺は一瞬固まってしまった。
口や態度では文句を示しつつも、実際に彼女は自分で食事ができないほどに力を失っている。だとすれば俺が彼女の右腕になることは当たり前の話だ。
そう自分に言い聞かせて、木製のスプーンでおかゆを掬う。そのままスプーンごと息を吹きかけてソレを冷ます。頃合いだと感じたあたりでスプーンを橙子の口元にもっていくと、彼女はそのままぱくりと食いついた。
「……あつい」
「すまん」
所感を口にしつつ、彼女はおかゆをゆっくり咀嚼する。その間、手持ち無沙汰になった俺はおかゆを載せたお盆を自分の膝に置く。そして橙子にあてがっていた濡れタオルで汗を拭いてあげた。
「いやな話」
ふーっと今度は念入りにスプーンですくったおかゆを冷ましている俺の隣で、そんな風に橙子はつぶやいた。
「何が?」
「使い魔にこんな甲斐甲斐しく世話をされて」
「それが病人の仕事なんだから仕方がない。嫌なら病院に行くべきだったね」
「……それこそいやな話ね」
「嫌なんだ」
「ええ」
よくわからない思考回路だ。橙子らしいといえばそれまでなのだが。
しかし今日の橙子は何時になくしおらしいな。眼鏡をかけている彼女はだいたい優しい口調、言い換えれば本来の性格が表れている。だが今日は風邪を患ったからかさらにその優しさというか、『素』の部分がより全面的に出ている気がする。
「そういえば黒桐くんには帰ってもらったよ。無事に運転免許とれたらしいぜ」
「……免許なんて、この国では契約書みたいなものでしょうに」
ただの報告のつもりだったが、意外にも橙子は反応してくれた。一応会話ができる程度には回復したのか、ただ単に恋しいだけなのか。
「というと?」
会話を続けたそうな橙子の気配を感じ取り、続きを促す。患者のしたいことを現実との兼ね合いを見て実現させる、それが看護の基本だ。遠い昔の友人の言葉だ。
「だって、目的が入違ってるじゃない。本当は運転の技術を学ぶことの方が大切なのに、その資格を得るために学んでいる。それって契約書と何が違うのかしら」
なるほど、意外と深い内容だった。
「確かにな。証拠に成り下がった資格は契約書のようなものってことか」
あるいはそういうシステムになってしまっただけなのかもしれないが。規定を作ると手段と目的がいれ変わってしまうという典型的な一例だ。
「堂々巡りの鬩ぎ合いよね。まったくこの国らしい」
「そうだな。でもそれだけ頑張ってるってことだ」
俺が相槌を打つと、橙子は不思議そうにこちらを見てきた。普段は圧力すら感じる顔つきをしているから分かりづらいが、こうしてみるとやっぱり彼女は美人だ。
「どういうこと?」
「ん? だってそうだろう。車という人すら殺めかねない文明の利器を動かすために、この国の人はそういう契約書を取らざるを得ないシステムを作り上げたんだ。大したもんさ」
スプーンを彼女の口元に持っていきながら語る。橙子はぱくりと再度くらいつき、咀嚼を再開させる。どうやら今度はちょうどいい塩梅だったらしく、特に何も言われる事はなかった。
「例えば俺やお前のように教習所に行かずとも合格しちゃう奴は一定数いる。でもそれは全体的に見ればやっぱり少数だろう?」
「そうね」
「教習所に行って勉強すれば一定の技術を得られる。それが分かるから、他のことにリソースを割く余地があるってわけだ」
自動車の運転はある意味、必須と言ってもいいくらいに普遍的な技術だ。しかし疎かにすれば自分だけでなく他人の命にまで影響を及ぼす代物である。だからこそしっかり学ぶ必要がある。
とはいっても人の時間は有限だ。ゆえに空いた時間で学習できるのであれば、それに越したことはない。そして残った時間で自分のやりたいことをやることが出来るという寸法だ。
「リソース、か。そう考えると合理的ではあるのかしら」
「さぁ。ただこのシステムを思いついた人は現実と理想の兼ね合いを見て、落としどころを決めるのが上手だったんじゃあないかな」
適当なことを言ってみる。ただ実際、前世で大学の空きコマのうちに教習所に通っていた俺は、それだけで十分だった。しっかり指導員の話を聞いて、言われた通りにすればある程度は運転できるようになった。
「相変わらずの人間賛歌ね」
「そうか?」
「そうよ。貴方、いつも人のいいところを探そうとするじゃない」
どこか嬉しそうにして橙子は告げた。風邪のため満面の笑みとまではいかなかったが、それでも心からの笑顔であることが驚きだった。
「……あまり考えたことがなかったな」
「でしょうね。アライメントでいうなれば『秩序・中庸』と言ったところかしら」
「なんだそりゃ」
いきなり変な事を言うので、思わず口走ってしまった。しかし秩序に中庸、実によく馴染む言葉だ。
「貴方の指向性の話。秩序を重んじ、分け隔てがない。そういう人でしょう?」
どうだろう。橙子は言う事はもっともらしいが、俺自身それが本当に正しいかどうかわからない。しかし――
「そういう人でありたいとは思う」
「ならやっぱり貴方はそうよ」
自信ありげに言う。自分のことのように喜ぶ橙子は、いつもより少し幼気なように見える。それがどこかおかしくて、ちょっと笑ってしまった。
「なに?」
「いや、いつになく饒舌だなと思ってさ」
「そう、かしら。ならそれは風邪のせいね」
風邪だからおしゃべりになる。なんとも不思議な話だが、人体のプロフェッショナルたる稀代の人形師が言うのだからそうなのだろう。そういう気まぐれがあっても不思議ではない。
★
昼食が終わり、俺は器を洗っていた。ちなみに橙子の方はまたベッドで横になっている。
「美味しかった」
背中越しにそんな感想が聞こえてきた。とても嬉しいが、今日はどうしたのだろう。なんだかいつもより橙子が優しい。
いや、橙子が意外と面倒見がよくて責任をきっちり果たす職人気質な人物である事は知っていた。だがどうも今日はそれが態度としてがっつり表れている。特段悪いという訳ではないが、正直に告白すると調子が狂うのも事実だ。
「どうした。今日はえらくご機嫌じゃないか」
「たまにはいいかなって」
「そっか」
食器の片付けが終わったので、ベッドの隣に置かれた椅子に座る。そこに置かれていたのは先ほど淹れたばかりの紅茶と本である。橙子に仕込まれたので紅茶の出来は悪くない。それでもまだ満点をもらえたことはないが。
本を手に取って栞を頼りに読書の続きを始めようとすると、隣から視線を感じた。
「寝ないのか」
「寝れないの」
「なるほど」
若干うとうとしているような気がするが、恐らく寸でのところで眠れないのだろう。そういうことならと、栞を挟んで本を閉じる。付き合うぞという意思表示だ。どうせすぐ寝るだろうし。
「アルバを覚えてる?」
「ああ」
コルネリウス・アルバ。本人から名を聞いた訳ではない。一月ほど前、彼の宿業を断った後に橙子の口から知った。
妄執と呼ぶには些か中途半端で、しかし嫉妬を忘れきれない人間らしい人間だった。感傷だが、もしもっと別の形で出会うことが出来れば、或いは結末は違ったのかもしれない。
「あいつが私の学友だった話は、以前したわね」
「時計塔の話だろ」
「ええ。良い学友だった」
アルバの橙子に対するじめついた感情は、その矛先を向けられた当人からすれば存外心地の良いものだったらしい。それが蒼崎橙子という人間が生きている証だからと、以前語っていた事を思い出す。
しかしどうしてそのような話を。多分、怪訝な顔つきを俺はしていたのだろう。橙子は力なく口元だけで笑みの形を作りながら、「いいから」という。
「そしてもう一人。私には学友と呼べる存在がいたわ」
「そりゃあ初耳だな」
「だって初めて話すもの」
茶目っ気たっぷりの橙子を見る。それがどうということはない。ただ今日はいろいろな彼女の顔を見れて少し得した気分になる。
「彼は台密の僧だった」
「変わってるな。それで魔術師なのか」
「ええ。丁度貴方のようにちぐはぐな魔術師だった。いえ、貴方は魔術使いだから適切ではないと思うけれど。とにかく穴だらけの魔術師で、どうしようもなく地獄のような男だったわ」
―――地獄のような男。それが意味するところを俺は知りえない。恐らく出会って初めて理解できる感覚なのだろうと、勝手に推測する。
「古今東西、人は死の向こう側の世界を定めた。それは決して死を克服したという訳ではないけれど、死を尊いものとする事で死を終わりとしなかったのよ」
すごい話だなと、素直に思った。宗教の根底を紐解くような、ある意味人間について考察している。聞く人が聞けば怒り狂いそうな内容だが、自分は興味深く耳を傾けることができた。それがもしかすると橙子が先ほど言っていた、『中庸』たる所以なのだろうか。
「その中でもとりわけ地獄って奴はね、人間を否定するんだよ。ここに来れば不幸になるって設定をすることで、現世の人間に悪いことをするなって呼びかけるの。そうすれば人は悪事を働かないと考えたんだろうね。無論魔術的な意味合いでの地獄は存在するが、まぁそこまで話すとややこしいから割愛させてもらおうかな」
なるほど、とうなずく。それっきり橙子は口を開かなかったので、気になって彼女の顔を見た。すると橙子はどうやら俺の所感を求めているようで、視線だけで器用に「どう思う?」と表現してくる。
「最初は願いだったのかもな」
「続けて」
随分と食い気味な返答だった。
「素人意見で悪いが、人間に一生懸命に生きてほしいという願いが地獄にはあったんだと思う。だって悪行を為しただけで地獄に行くのなら、人間はみんな地獄行きだろうさ。酸いも甘いも経験して、人は成長していくんだから」
そう思う。まったく悪いことをしたことがいない人間など、それこそ聖人しか在り得ない。人は経験で以て善し悪しを学ぶのだから。そして俺が思うに、その聖人すら「悪事を為したことがありません」だなんて、口が裂けても言えないはずだ。
「ああ、だから良いことをしようと。一生懸命に生きて、なるべく悔いの残らない人生を送ろうと。そういう願いが地獄にはあったんじゃあないか」
うまく言語化できただろうか、ちょっと不安になる。生憎、俺は二度も死んだ身であり、こうして生き恥を晒している身の上だ。だから説得力が皆無で大変恐縮だが、それでもこれは嘘偽りのない俺の意見だ。
「……地獄という一つの観点だけで、これだけ意見が分かれるのね」
何か感慨深そうな、それでいて純粋に憐れむような。そんな雰囲気を橙子から感じとった。
「話は戻るけどね、その男はどこまでも他人を受け入れなかった。人間の醜悪な生き方を良しとせず、でもその癖して人の死に方だけには滅法興味があってね」
「それはなんとも。随分と人間に絶望してるな」
「でしょう? だが私は存外と奴のことを気に入ってね。ああ、白状すると同じ根源を目指す同志として心地よかったんだ」
橙子は懐かしそうに吐露する。きっと楽しかった記憶を偲んでいるのだろう。それを共有できないのが少しだけ残念だ。
ん? でも待てよ。そもそも橙子が時計塔に所属していたのが8年ほど前だから、ぎりぎり10代の頃か。え、橙子の学生時代とか全然想像できないな。笑える。
「首輪の事忘れてるでしょ」
にっこりとした笑みを浮かべる橙子。正直すまねぇ。
これは余談だが、彼女につけられた俺の首輪にはルーン魔術が施されている。したがって、1m以内という前置きが必要だが、俺の考えている事が抽象的に首輪を通して術者である橙子に伝わるのだという。あと外すと爆発する。
「……でもそうか。死を終わりと捉える奴と、死を生き方とするお前。ああ、筆舌に尽くしがたい因果だ」
最後にそう告げて、橙子は眼を瞑る。好きなだけ話して疲れたのか、それとも単に睡魔が襲ったのか。彼女はそのまま女性的な胸を上下させて眠ってしまった。
「お休み」
すっかり冷めてしまった紅茶を口に含みながら、本を開いた。
ふぅ、今回は特に難産だった。
……感想が頂けると更新速度が1.5倍速に上昇します(強欲感想難民
ぶっちゃけ事件簿は……
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漫画だけなら見たことある。
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小説呼んだぜ。
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アニメだけなら見たことある。
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見たことない。