俺の命を救ってくれたのは人形師でした。 作:元ジャミトフの狗
★1998年 6月3日★
「それじゃあ、行ってくるわね」
彼女は視界の変化で人格を入れ替えている。だから眼鏡を付けた状態であれば表向き優しいお姉さんとして、眼鏡を外した状態であれば無慈悲な魔術師として、そのアイデンティティを確立している。よくもまぁそんな面倒臭いことをするなと感心するが、ソレが橙子なりの社会の向き合い方なのだから文句をつける筈もなく。
「おう、行ってらっしゃい」
俺もいつも通りに見送るだけだ。彼女は今日、カウンセラーとして病院に行くらしい。恐らくは例の少女に会いに行くのだろう。
「さーて、それじゃあ仕事をするか。黒桐くんよ」
「は、はい!」
「よろしい。まぁ仕事といっても今日は掃除くらいしかする事ないが」
といって、箒と塵取りを黒桐くんに手渡す。初めての仕事が掃除というのは果たして適しているのかって話だが、彼はやる気を帯びた顔つきで掃除道具を受け取った。マジでいい子や。
「床は任せた」
「分かりました」
そうしてお互い清掃活動に勤しむ。
★三時間後★
「お疲れ様。お昼にしますか」
床掃除を終えて書類やいらなくなった道具等の片付けをしていた黒桐くんに、キンキンに冷えたお茶の入ったコップを差し出す。すると滲んだ汗を手の甲で拭ってから、彼はお茶を受け取った。
「あ、ありがとうございます」
「はいよ」
やはり長時間清掃活動に従事していたからか、黒桐くんの飲みっぷりは見てて気持ちがいい。言語化すれば「ぷはー」って感じ。
「簡単だけどチャーハン作ったんだ。一緒にどう?」
「もちろん。あ、でもお金は」
「気にしなくていいよ。どうせ橙子の財布だ」
「は、ははは」
まぁ半分は嘘である。俺、八朝勝馬は蒼崎橙子という魔術師の使い魔もといパシリである。したがって俺に給料なんざ下りないし、あるとすればそれは二食分の餌代である。
席に着いた黒桐くんの前にチャーハンが盛られた皿を置く。すると彼は「わぁ、おいしそう」と純真な目で喜ぶ。しかも俺が椅子に座るまでしっかり待ってくれるという礼儀正しさ。橙子が如何にだらしないか分かろうという物である。マジでいい奴や(二度目)。
「じゃあ、頂きましょうかね」
「はい。頂きます」
手を合わせた後、黙々とスプーンを動かして口へと運ぶ。我ながら上手く出来たと思う。実際旨い。非常にテイスティ。
「その、質問いいですか?」
無言の時間が苦だったのだろうか。己の料理の出来に大変満足していた俺に対し、黒桐くんは申し訳なさそうに片手を上げていた。
「もちろん」
「それでは遠慮なく。下衆の勘繰りで申し訳ないのですが、八朝さんと橙子さんの関係って何ですか? 先日橙子さん伺ったら、少なくとも社員ではないって」
「あーね」
かなり難しい質問である。俺と橙子の関係。あまり考えた事もなかったが、強いて言うのならば———
「橙子は俺の命の恩人で、俺は彼女のボディーガードというか。まぁニュアンスとしてはそんな感じ」
曖昧な返答になったが彼はなるほどと納得した様だった。中々話が早くて助かる。
「でも橙子なら迷う事なく俺の事を奴隷とか従僕とか宣うんじゃあないかな。独占欲すごいし。でなきゃあ人様に犬の首輪なんか付けないよ」
俺が首につけられた革製のバンドを見せつけると、黒桐くんが若干引き気味に笑う。変な職場に就職したって事は理解してほしいという俺なりの心遣いだ。因みにこの首輪は魔術的な細工が施されているらしく、無理やり外そうとすれば爆発するらしい。馬鹿だよなー。
「でも何というか、羨ましいです」
「ん?」
黒桐くんは憧憬の混じった視線で俺を見つめる。少なくともソレだけで、彼が人付き合いにおいて何らかの悩みを抱えている事は見て取れた。
「……首輪が欲しいのか?」
「いやいや! そういう事じゃなくてっ」
黒桐くんの悩みが何であれ、そういうセンシティブな内容はもう少し仲良くなってからするべきだろう。流石に彼の領域に踏み込むにはまだお互いを知らなさすぎる。だから露骨なくらいに話を逸らした。
「さーて。飯食い終わったら今度は段ボール処理するぞー」
「え、あ、はい!」
「とはいえこの調子でいけば、あと二時間くらいで終わりそうだなぁ。本当に君が来てくれて助かるよ。あ、でもそういえば――――――」
こうして、新入社員との初仕事は何事もなく進む。
また一般的な感性の持ち主である黒桐くんと会話をすることで、久々にコミュニケーションの楽しさを思い出した。それはきっと彼が聞き上手だからだろう。人が出来ているともいう。
だから橙子が使いつぶさないよう細心の注意を払う事を決意する。いやマジで橙子には給料を出すように言っとこう。あと暫くの間は骨董品を買わせないようにも。
★1998年 6月7日★
今日は晴天。日曜日という事もあり、『伽藍の堂』は休日。橙子は例の少女のカウンセリングをするため外出。彼女にはついてくるなと釘を刺されていて、暇を持て余していた俺は慰みに街を散歩していた。
だからその現場を目撃したのは本当に偶然だった。
複数人の若者が一人の少女を取り囲み、暗い路地裏へと連れ去っていく場面である。『視』れば、若者らは明らかに悪党である事が分かった。
急ぎ足で彼らの後を追う。これから何が起こるのか想像するまでもなく分かってしまったからだ。
少女の腕を強引に引っ張りながら若者たちは路地裏を暫く進んでいく。そして人気が完全に感じられなくなった辺りで、彼らは古い建物に入っていく。無論俺もその中についていくと、埃の被った木製に押し倒されて衣服を乱雑に引き千切られた少女の姿があった。
少女と目が合う。彼女は無気力にこちらを見るばかりで、そこにはあるべき筈の恐怖すらなかった。
「……おい」
自分でも底冷えする程の重い声音。はっきりと聞こえるように声を出したから、その若者たちは俺の存在にようやく気が付いた。彼らの多くは軽薄に笑っており、ともすれば手馴れているようにも思える。
「あーなんだおっさん。ちょっと正義感働いちゃったわけ」
リーダーらしい男が噴き出すように笑うと、取り巻きも下品に声を荒げて笑っている。
「いいからその子を離しなさい」
警告はする。これは慈悲である。無闇に力を振るうことは許されない。
「もういいよそういうの。聞き飽きてんだわ」
そう言って若者たちは隠していたつもりらしいナイフを取り出す。見せつけるようにソレを振るったり、突き付けたりしてくるが、ソレは自ら素人であるという事実を晒しているだけである。少なくとも俺からすれば脅威を感じない。
「今なら見逃してやるから尻尾巻いて逃げなよ、おっさん」
「そうか」
話が通じないと判断する。ならば奴らは獣に等しい。そして獣は狩らねばなるまい。それが八朝の使命でもある。
★
押し倒され、服を剥がされる。いつも通りの光景。暗くじめついた部屋で、男性たちがその獣性を発露する。
幸か不幸か痛みは感じない。だから為されるがままに、ただ大人しく受け入れる。彼らが満足すれば解放されるから、数時間程度我慢すればいい。今日も耐えるだけでいいから。
でも今日はその
何処からともなく長身の男性が現れて、啓太さんと言葉を少し交わした後に
まず初めに、刃物で真っ先に切りかかった啓太さんが殴り飛ばされた。そして残りの四名が何が起きたのかを正しく認識するより先に、男性は距離を詰めてあっと言う間にその場を制圧してしまった。驚くべきことに、素手で五人の不良を仕留めたのである。
それはまるで張り巡らされた糸にかかった獲物を捕食する蜘蛛のように早く、たった一撃で気絶させていく様はさながら洗練された職人技のようだった。
己の成果にまるで感慨を抱く様子を見せずに、男性はこちらに近寄ってくる。そうして彼は羽織っていた黒い上着を被せてきた。
「立てるかい?」
優しく語り掛ける口調。表情も人懐っこくて愛らしいものと言えるかもしれない。しかしこの惨状を作り出した張本人であると考えれば、それはまた別の意味を帯びる気がしてきた。
「……はい。その、ありがとうございます」
暫く考えた末、そんな当たり障りのない返答をする。すると男性は面食らったのかぽかんと目を見開く。
「君、もしかして」
男性は何かを言おうとして、結局口を閉ざしてしまう。取り直すように笑顔になるが、それがぎこちなく見えてしまうのは気のせいではない。
「まずは通報しよう。話はそれからだ」
ぶっちゃけ事件簿は……
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漫画だけなら見たことある。
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小説呼んだぜ。
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アニメだけなら見たことある。
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見たことない。