俺の命を救ってくれたのは人形師でした。 作:元ジャミトフの狗
凄く眠たかったんや、本当に申し訳ありません……。
★1998年 11月10日★
小川マンション。先日、橙子と黒桐くんが視察に訪れたという10階建ての建物。かつて橙子自らがその設計に携わったという話だ。
この円形のマンションは周囲にも同じ形のマンションが立ち並んでおり、ロビーに通じる道はたったの一つ。それはあからさまでありながら、びっくりするほど周囲の風景と調和している。だからこそ神秘に通じる者ならば一目見ただけで分かる、
「どうした?」
ロビーに入る前に足を止めた俺に対し、橙子は煙草をくわえたまま問いかける。いつもの飾り気のない白いスーツの上にロングコートを着ていて、右手にはちょっとした旅行なら出来そうなくらいのトランク。魔術師としての橙子が持つ
俺は手で目を覆い隠しながら、一言頼む。
「……すまん。橙子、眼鏡を貸してくれ」
「やっぱりキツイか」
「ああ。これじゃまるで地獄、いや違うな。唯々不快な場所だ」
ひどい業の集合体だ。一つ一つの
入る前だというのにこの体たらく。視え過ぎるというのも考えものだ。
「どうせすぐ外す事になると思うが、体力は温存しておきたい。いいか?」
我慢しようと思えば、我慢できないほどではない。しかし見続けていれば体力が、そして何より精神の摩耗が避けられない。例えるのなら殺人現場を否応なく常に見続けているような、そんな感覚だ。
一言「いいだろう」と、彼女は革製のロングコートのポケットからいつも身に着けている眼鏡を取り出す。『魔眼殺し』、橙子の持つ礼装でも飛び切り価値の高い代物である。
「悪いな」
「戦う前からへばられては困るぞ」
橙子はニヒルに笑ってそう告げる。これから敵地に赴くというのに、頼もしいことだ。
「お前には説明してなかったが、このマンションは回りくどい構造になっていてな。端的に言えば、二つの三日月状の建物が向き合うようにして建っている。さながら太極図のようにな」
「太極図に両儀。これはいよいよキナ臭いな」
「今更だろう」
太極図という黒と白が相克する図が道教に存在する。万物はたった一つの根源、もしくは太極につながっていて、そこから分かたれた正と負という二つの属性を表したのがソレだ。中国の国旗もその要素が取り込まれているし、概念だけで言えば有名だ。
「式は精神的にも肉体的にも女性、つまり陰性だ。ならば東棟の10階に幽閉されているとみて問題ない」
なるほど、それは道理だ。となれば俺たちがするべき事も決まってくる。
「いいね。目的がはっきりしているのは分かりやすくていい」
「良く言う。頭を使う事も嫌いではあるまいに」
「戦いはさっぱりしてるくらいが丁度いいんだよ。だいたい魔術戦なんかできないしな、俺」
俺からすれば魔術なんてあやふやモノは所詮手段に過ぎない。もしくは趣味と言い換えてもいい。橙子が目の前で浪漫溢れる人形を動かす様を見て憧れたから、俺も学んでみたいと思ったのだ。
まして俺に備わった魔術回路の質は良くない。量も12本と決して多くはないし。それでも橙子は一代の魔術使いにしては上出来だというが、理論に体がついていけないのも事実。でもいつかモビルスーツやACみたいなマシンを作ってみたい。
「そう卑下したものでもないぞ。お前のアイデアは奇抜で斬新だから私のインスピレーションにも繋がる。
橙子はオレンジのカバンを見せつけるようにして持ち上げる。確かに橙子の
しかし彼の偉人は言った。天才は99%の努力と1%のひらめきから成ると。ならば俺のした微弱な支援よりも、橙子の弛まぬ努力が認められて然るべきだ。何より俺程度で気づいた事なら、遅かれ早かれ橙子自身いつか閃く事だろう。
だから俺はただ思った事を口にする。
「でもカタチにするのは橙子だ。俺はお前の作品が好きだから、ただ思った事を口にしてるだけでね」
「作者冥利に尽きる。そうだな、正直に言って嬉しいよ」
珍しく純粋な笑みを浮かべる橙子。そうだとも、俺が橙子についていくのは何も恩義や義務感だけではない。橙子の持つ音楽性や気性、指針、そのどれもが好ましいと思えたからだ。
敵陣を前にして穏やかで普通の会話。それは八朝勝馬と蒼崎橙子というタッグにとって”いつも”の事だった。
別に敵を侮っている訳ではない。ただ毎日が死との鬩ぎ合いなのだから、悔いなくお互いのやりたい事をする。そして、それが自然と日常会話になってしまう。これはただそれだけの話。
「無駄口はここまでだ。行くぞ勝馬」
「ああ」
小川マンションを見上げる。酷く歪で、正気では見ていられない煉獄の棟。
二人の男女が並んで入っていく。その足取りに一切の躊躇いは見られなかった。
★
八朝勝馬と蒼崎橙子が長方形の東棟ロビーに入ると、彼らを出迎えるナニカがいた。
「凄いな」
こんなにも近い位置にいたというのに、勝馬はまるで気づく事が出来なかった。不気味としか形容できない事象に対して、「信じられない」という感想よりも純粋な賛美が口から漏れ出る。
「久しぶりだな、荒耶」
「―――互いが邂逅を望んでいたわけではあるまい」
両者が旧友であることを匂わせる挨拶。しかし決して穏やかな雰囲気ではなかった。むしろ一つ事が動けば、即時殺し合いに発展しそうなほどに緊迫した状況にある。
まるで悪魔の如き出で立ちの男は黒いコートを着ている。苦悩に刻まれた眉間の皺、暗い影が落としこまれた目元。風邪で寝込んでいた時に橙子が言っていた、『地獄のような男』とはきっと彼の事なのだろうと、直感的に勝馬は悟る。
「アルバを討ったのはその男か」
「ああそうだ。私の自慢の使い魔だとも」
橙子に荒耶と呼ばれた男の視線を感じる。なるほど、一か月ほど前に戦ったあの赤い魔術師よりも、確かにこの荒耶宗蓮という男は遥かに格上らしい。そもそも内包する
橙子から借り受けた『魔眼殺し』越しからでも、勝馬は荒耶が身に纏う業の存在を感じていた。もし考えなしに眼鏡をはずしたものなら、脳にダイレクトな負荷がかかるだろう。
「式はどうした」
「答えるまでもない」
「そうか。なら未だにお前は根源を目指しているという訳だ。丁寧に太極に太極を取り込む、なるほど本気で根源に目指すのならば形から入るのは道理にかなっている」
「そういうおまえは堕落したな。何故だ、以前のおまえは時計塔で唯一有象無象となる事を良しとしなかった。私は魂の原型を求め、おまえは肉体の原型を目指し、そして極致に達するのはおまえの方が先であるとも確信していた。認めよう、共に根源に至らんと競い合っていた時から私はおまえを好ましく思っていたのだ」
双眼に静かな憤怒を湛えて、荒耶は告げる。それは在りし日の橙子の姿であり、荒耶宗蓮の軌跡。だから山の如き肉体を持つ荒耶宗蓮が、勝馬からすれば酷く悲しく見えて仕方がなかった。
「何、別に面白くもなんともない話だよ。そも根源と『 』が近しいのであれば、脳に知恵を蓄える行為に意味がないと悟っただけだ。学べば学ぶほど遠ざかり、下手に知識が備わるのだから逆説的に証明できてしまう。そんなの疲れるだけだろう」
荒耶の怒りを真正面から受けての返答。それは嘘偽りのない橙子の本心だった。
「だから今の私は本能のままに生きている。仙人のような生活に憧れていた時期もあったし、今もそこに変わりはないが私はつくづく
「―――貴様は認め、私は認めなかった」
「そうだ。私とお前の違いはたったそれだけの、けれど決定的な違いなんだよ」
敗北を受け入れた魔術師の切ない告白を、荒耶は黙して聞き入る。だから両者は衝突するしか道がないのだろう。それが例え旧友であろうと、致命的に道を違えてしまった者同士の運命だからだ。
「ならばおまえはどうして私の前に立つ。よもやそこの男に唆された訳ではあるまい」
「おいおい勝馬は関係ないだろう。安心しろ、ここにいるのは歴とした私の意思だとも。だがそうだな、こいつとの出会いが私を致命的なまでに世俗に陥れたのか問われたら、それは強ち否定できん」
再度宗蓮の視線が勝馬を捉える。しかし今度は憎しみを滲ませた、半ば呪詛にも等しい代物に変貌していた。
「敢えて挑発する必要は」
「やりやすくなるだろう?」
勝馬が毒づいても、橙子はどこ吹く風と微笑むことをやめない。それが橙子らしいといえばそれまでだが、苦労するのは勝馬である。もっとも八朝勝間が使い魔である以上、このやり取りが損なう事は一生ないだろう。
「……とはいえだ、荒耶。私は確かに堕落し、脆く弱くなった。それこそ8年前の私が聞いたのなら怒り狂うだろうさ。けれどね、奇跡と偶然が折り重なって出来たこの日常という螺旋は、決して悪いモノじゃない。だから私がお前と相対する理由はたった一つだ」
守りたいものがある、たったそれだけの理由。きっと荒耶には理解されないと承知していても、彼女はその孤高の魔術師に敬意を表して宣戦布告する。
「―――おまえも人間ということか。ならば、おまえを、おまえたちを抑止力とみなす」
もとから張りつめていた緊張感が更に高まる。
『業報の魔眼』を持つ勝馬は、このマンションがすでに荒耶の体内に等しい空間であることを見抜いていた。無論、稀代の人形師たる橙子もまた同様である。
世界が凝固し、荒耶の周囲に三つの円形の模様が浮かぶ。魔術に広い見識がある訳ではないが、勝馬はそれが高度な結界であると理解した。そして最初に気配を感じなかった要因が、あの結界にあるという事も何となしに把握する。
「アラヤ、何を求める」
最後と言わんばかりに、蒼崎橙子は魔術師として長く別れていた同胞に問いかける。
「真の叡知を」
故に荒耶も迷うことなく返答する。そして歩を進めて橙子と勝馬に接近していく。
「アラヤ、何処に求める」
既に問答は不要である。しかしそれでも礼節というものはある。だからこそ―――
「ただ、己が内にのみ」
荒耶は足を止める。それ以上近づけば、彼女の使い魔が動きだすからだ。ただ彼は片腕を持ち上げて、手のひらを橙子らに向けている。
「話は終わったな、橙子。これ返す」
静観を決め込んでいた勝馬は、眼鏡をはずして橙子のポケットに無理やりねじ込む。「うまく使えよ」と橙子が言葉を返すと、勝馬は静かに頷く。
しかしそのやり取りを黙ってみている道理など、荒耶宗蓮には存在しない。
「―――
たった一言のつぶやきと同時に、荒耶は空を握りつぶす。それと同時に空間も握りつぶされる。握りつぶされる
「―――速い」
視線の先には誰もいなかった。
荒耶が認識するよりも早く、勝馬は橙子を抱えてその場から退避していたのである。目にも止まらぬ速さという表現がこの世に存在するが、今のは正にソレだった。或いはその瞬発的な速度でいえば、神代の英雄にも引けを取らないと思わせる。
「アルバが敗れる訳だ」
それは賞賛の言葉ではない。事実を確認する上で思考が口から零れただけの事。しかしそれこそが荒耶の誤算であることを如実に示していた。
「―――出ろ」
勝馬に抱えられたままの橙子の命令に反応するように、先ほどまで彼女が手にしてオレンジの鞄が開く。中には何もなかった―――そう見えたと同時に黒い物体が現出する。
それはネコだった。しかし唯のネコとは思えないほど、ソレは大きかった。日本の女性にしては高身長である橙子よりも更に大きく、そして実体のない影絵のような平面のネコである。端的に言えば、化物という表現が適していた。
「……降ろしてくれ」
橙子が言うと、勝馬は無言で彼女を脚から降ろした。視れば彼の眼はルビー色の、燃え上がるような赤で染まっていた。しかし昂る眼球とは異なり、勝馬の表情は歪んでいる。
それもそうだろうと、橙子は冷静に分析する。このマンションはただでさえ死と正が螺旋する業の吹き溜まりで、目の前にいる男は自ら『起源』を覚醒させて200年もの間、ひたすら死の蒐集という
勝馬とは決定的に相性が悪い。しかしそれは荒耶にも言える事だ。
「―――行け」
有無を言わさぬ橙子の号令。それと同時に黒塗りのネコは荒耶を喰い殺さんと迫り行く。
冠位の人形師とその使い魔、そして200年の妄執が今ここで衝突する。
荒耶さんの口調が難しすぎて何度も書いたり消したりしたなあ。
皆さんの感想でいつも活力を頂いています、ありがとうございます!!
因みに感想が来てないか暇があればマイページを開く地底人です。
次回はチーム橙子とマンション宗蓮の戦いです。お楽しみに!
ぶっちゃけ事件簿は……
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漫画だけなら見たことある。
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小説呼んだぜ。
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アニメだけなら見たことある。
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見たことない。