俺の命を救ってくれたのは人形師でした。 作:元ジャミトフの狗
★1998年 11月10日★
小川マンション、八階にて。
荒耶宗蓮は影絵のネコによって奪われた片腕を庇うようにして、見下ろしていた。
「―――誤算だったぞ」
『静止』が起源である筈の荒耶宗蓮は、明らかに
なぜなら荒耶が200年もの歳月をかけて丹念に堆積させた業の8割を、この無様に倒れている男に奪われたからだ。覚醒させた起源は余分な色が混じって濁りはじめ、魔術のキレなど十数分前に比べれば数段も墜ちている。その証拠に三重だった結界は、今ではたったの一つにしか展開できない。しかもその結界の精度は大きく劣化している。
しかしそれでも、チキンレースは荒耶の勝利に終わった。かなりの時間を要したものの橙子お手製の小型映写機を破壊し、八朝勝馬の機動力の源たる脚部も完膚なきまでに圧壊している。
故に荒耶は宣言する。
「おまえを殺せば私を阻む者はいない。仕組みを理解した以上、蒼崎も障害にはならぬ。一度死ぬだろうが、共倒れならば問題あるまい」
呼吸をするたびに血を吹き出す勝馬に、荒耶の勝利宣言を反論することはできない。せめてもの抵抗と言わんばかりに、彼は生気が薄れた瞳で荒耶を睨む。
「最後に教えてやろう。おまえがどれだけ私の業を簒奪しようとも、そこに意味はない。なぜなら―――根源に到達さえできるのなら、魔術の冴えなど不要だからだ」
荒耶の計画は完璧だ。そこには自らの死さえ最初から組み込まれており、たとえ魔術が行使できなくなろうとも両儀式の身体さえ乗っ取ることさえできればいい。そしてそのための術式は既に最終段階に移行している。
「……それは、どう、かな」
絞りだした声はあまりにも弱弱しい。まだ口を動かせたことに驚きつつも、荒耶は極めて冷ややかな眼差しで勝馬を見下す。負け犬の遠吠え、それは正にその通りだった。
「―――さらばだ」
殺すことに躊躇いはない。ただ腕を振るうだけで、この男を粉々にすることが出来る。だというのに―――
「―――が、ぐ」
荒耶は振り上げたこぶしを下すことが
彼の意識は己が内に向けられている。先ほどまで昂っていた身体は冷え切り、全身にはしびれが走っている。蒼崎橙子ほどではなくとも、人形師としては一流の域に達する荒耶は、それが自身の内臓が一つ機能停止したからであると悟る。
「―――なんだ、今のは」
内から斬られたとしか思えない現象。八朝勝馬の斬撃が概念的な代物であるとしたら、今回の斬撃は極めて物理的だった。否、概念が物理を伴って
「……はは、マジか。間に合うか」
「―――次は何をした、八朝勝馬」
「……俺は、何も。ただ、後押し、しただけ、だ」
はじめは蒼崎橙子の手による事象かと荒耶は考えた。しかし彼女は現在、荒耶がけしかけたこのマンションの全住人の対処に追われている。ならば一体誰が、そこまで思考を進めて、初めて彼は吐き気と寒気を同時に感じた。
―――音が聞こえる。
からん、と下駄の音がこちらへと向かってくる。あまりにも信じられない。けれど納得するほかない。
手にはナイフが。白く透き通るような肌に、時代錯誤な着物。雑に切られているというのに艶のある黒い頭髪。そして
少女は、両儀式は荒耶の前に現れた。
「———何故だ。何故、おまえが此処にいる」
荒耶の疑問は尤もだった。両儀式という非力な少女を幽閉するためだけに設えた結界は、確かに完璧だったのだから。
抑止力という世界そのものに悟られぬよう、両儀式がここに幽閉されているという事実を遠ざける。ただそれだけのために荒耶はこの小川マンションという異界を作り上げた。だから魔術師たる荒耶にミスなど皆無であり、最適解とすら言えるだろう。事実として、魔法の域に到達した結界は確かに世界を欺き切ったのだから。
しかし
蒼崎橙子は両儀式を『非常識に対する死神』と評した。その言葉に誤りはない、正しく式を形容しているといえるだろう。だからこれは起こるべくして起きた、避けようのないアクシデントである。
「選手交代だ、勝馬」
サムズアップして答える勝馬を尻目に、式は黒い外套の男を見据える。ナイフを水平に構え、次の瞬間には砲弾の如く飛び出すだろう。
勝算はある。ほかでもない橙子と勝馬が生み出してくれたのだ、負ける気はしない。
★
次に目を覚ました時、勝馬は夜空を見上げていた。都会だというのに、空一面の星々が強く煌めいて主張している。それがどうしてか尊いモノのように思えて、彼は穏やかにはにかんだ。
「どうした?」
ひょこりっと、視界の端に橙子の顔があらわれた。それで勝馬は理解した。現在、自分は彼女に介抱されている真っ最中なのだと。そして認めがたいが、それが膝枕を伴っているということにも。
「いや、何も。それより式は?」
「無事だ。今はそこで寝てる。ああ無論、荒耶も消滅した」
「そうか、良かった」
冷たい口調と共に告げられた事実は、勝馬が安堵するに足る答えだった。しかし同時に、素直に喜ぶことはできなかった。
正直な話、彼はここまでうまく事が運ぶとは思ってなかった。そもそも式が荒耶の結界を脱出できるかも賭けだったのである。
しかし勝馬と橙子にとって誤算だったのは、このマンションの住民が死徒と似て非なる存在として、勝馬の援護に専念していた橙子に襲い掛かったということである。無論、影絵のネコは勝馬に貸している状態だったので橙子は自力で何とかする他になく、勝馬も魔力パスを通して活性化していた橙子のルーンの恩恵を得られなくなった。
言い訳をするのなら、そうなってしまう。だがソレは一人の少女に殺人を許した理由にはならない。
「そう気に病むな。そもそもアイツは人間というには、少しばかり永く生き過ぎたんだ。ここらが潮時だったのさ」
「だとしてもだ。式が荒耶を殺したという事実に変わりはない」
相変わらず面倒な考えだと橙子は思った。何がどうあろうとも、荒耶宗蓮という魔術師は人類にとって害為す存在である。その事実だけはどうあっても覆らない。
だからこの一連の騒動は、雑に言ってしまえば自己防衛だ。荒耶が根源に到達すれば人類史に多大な影響を与える。それを防ぐためには荒耶を殺害するしかないのだから、この結果は
ただ、それを良しとしない思想は八朝勝馬だからこそである。橙子には好ましいとはお世辞にも言えない。しかしそんな不器用で愚かな生き方で、一人の女を救って見せたのだ。ならば蒼崎橙子から言うことは何もない。無遠慮だが、勝手に苦しんでくれって感じだ。
「とはいえ今回で課題点も見れたな。今度少し弄るぞ、お前の身体」
「性能に差し障りのない範囲で頼むよ」
「もちろんだ。至高の
「……ん?」
その言葉に、勝馬は致命的な違和感を覚えた。そしてそれが確信に変わるのは、彼が荒耶宗蓮から簒奪した業と結びついてからである。
「橙子、荒耶宗蓮は魔術師と結界師であると同時に、人形師でもあるよな?」
「……その通りだ。ああ、糞、そういうことか」
悪態をつきながら、橙子も瞬時に質問の意図を察した。だからこそ彼女は勝馬の頭を膝から降ろし、そのまま立ち上がろうとする。
「待ってくれ」
それを引き留めたのは彼のボロボロになった右腕だ。どこにまだそんな力が残っているのか、勝馬は橙子のコートの裾をつかんで離さない。
「死に体で何を言う。まだ私の方が余力があるぞ」
「嘘つき」
確信に満ちた瞳で橙子を射抜く。そして、対する橙子はトランクを握る腕が小刻みに震えていた。
「まったく、どれだけ無理したんだ。お陰様でもう立てるぞ」
すっと、先ほどの傷が嘘のように立ち上がって見せた。
腕の痙攣。つまり橙子は、魔術回路が焼き切れそうになるほどの勢いで回復魔術を行使したということである。それだけ勝馬が重傷だったという証左だが、代わりに橙子が死んでしまっては意味がない。
「嬉しいけどやり過ぎだ」
「ふん、それこそ余計なお世話だ。第一、痛みはまだ残っているはずだが?」
「我慢できなくはない。どうせお前、スペアがあるからって相打ち覚悟で行くんだろ?」
「馬鹿者、どうしてそういうところだけは鋭いんだ」
「今更だろ。何年一緒にいると思ってるんだ、こちとら使い魔だぞ」
間抜けな言い分だ。しかしそれで見抜かれた訳だ。だから橙子はお手上げだといわんばかりに橙両手を挙げる。そして「さっさと
「いつも悪いな」
「お前がそうしたいと思ったんだろうが。いいからさっさと行け、この戯けが」
★
橙子が疲労困憊だったから、荒耶宗蓮と対峙させたくなかった。これは俺の嘘偽りのない本心だが、同時に後付けの理由でもある。
事実として、俺は荒耶を
他でもない俺自身の意思で、荒耶宗蓮という男を殺さなければならない。奴を殺害する役目は俺が担わなければいけないと、本気でそう考える。
もしかすると抑止力とかいう目に見えない存在による後押しがあるのかもしれない。けれど、そうだとしても、俺の意思は我が内から生じた意思に他ならない。この衝動は誰にも邪魔をされやしない。
あの男は、荒耶宗蓮は人類の敵だ。
人間の本性を臓腑の底から憎み、人間の生き汚さを性根から唾棄する。それが荒耶宗蓮という魔術師だ。
しかし根底にあったのは自分が思い描いた
人間という形をした己が理想を体現するために、もしくは体現した誰かを見つけるために。きっと荒耶は那由他の地獄を見てきて、そして救おうと尽力した。いつの日か、人の救済など金貨の如き不平等さで巡るものだと気づいても、決して理想だけは諦めなかった。
死を蒐集しようと決意したのも始まりに過ぎなかったのだと思う。最初は誰がどのように死んだのか、それを記憶するという行為自体に意味を見出そうとしたのだ。
しかし蒐集すればするほどに、人の醜さは露呈してしまう。恐らく本当の意味で絶望したのはそこからだ。人のどうしようもなさを再確認して、だからこそ世界の始まりから世界の終りまでの本当に果てのない死の蒐集を続け、その平均値を見つける事が荒耶の目的となった。そうすれば、誰が幸せで誰が不幸せだったのかが分かるから。
その結果がもし己が描いた理想であれば、どんなにいいことか。
もしかしたら、そんな絶対に在り得ない可能性を夢想したのかもしれない。
そうだとすれば荒耶の根底にあるのは、なんて愚かしく儚い願いだったのだろう。でも、少なくとも、偶像であったにしても、確かに彼には人を愛する気持ちがあったのだ。その事実だけは変えようがない。
「だからお前を殺す、荒耶宗蓮」
既に概念と化した彼は、不幸を振りまく
ならば生き汚さを代表する俺が塵芥も残さずに屠ろう。それが俺に出来る、精一杯の手向けだ。
直感のままに体を引き摺るようにして進んだ先は、とてつもなく暗い部屋だった。明かりと言えるものは、何やら高熱で熱された鉄板の赤い発光のみ。しゅごー、という蒸気の音と微かに聞こえる水の泡立つ音が印象的だった。
「酷いもんだ」
水の音の先には細長い管に繋がれた
それはどう見たって人間の脳みそにしか見えない。
「……死んで、生かされて。本当に吐き気がするほど業が深い」
今や荒耶の業の、その大半を簒奪したから分かる。この脳みそは小川マンションの住人の所有物だ。それがこんなところにあるのは、全て荒耶の仕業である。
「……何が実験だ」
もはや語るまでもないが、やはり荒耶宗蓮はどうしようもなく人間の敵だ。
この惨状ですら、荒耶にとっては実験に過ぎないのだ。人を人と思わない所業は、魔術師の中でも特に悪趣味で醜悪だといえるだろう。恐ろしいのが、上には上が存在するということだが。
「覚悟は出来てるか」
マンションの住民に囲まれながら、石でできた椅子に座っている人物に問いかける。
「———八朝、勝馬」
寝起きという表現が一番相応しいだろう。荒耶はゆっくりと深い影の差した眼を開く。緩慢な動作からも、彼が本調子ではない事が分かる。
それもそうだ。橙子の言が正しいのなら荒耶は式に一度殺され、それでなくともその業のほとんどが頂戴されている。加えて荒耶の
「それが
「———如何にも」
受け答えをしながら、荒耶は結界を展開する。
認めつつも微塵も諦めない姿勢に敬意を表する。しかし結界の数は一つだけであり、その強度も随分と落ちている。もし俺がベストな状態で蹴り穿てば、或いは罅ぐらいは入りそうな程に。
「
その一言で、両手の『鬼哭・三影』が燃え上がった。
二つの骨刀が炎の螺旋を描きながら、一対の『杭』を織り成す。
本当に、本当に長い時間をかけて形成された剣とも槍とも説明つかないカタチのソレは、宙に浮いたまま静止していた。
さながら持ち主の号令を待つかのように。
「———おまえが、私の死か」
「ああ、そうだとも」
その言葉が引き金となって、『杭』は飛翔する。
暗黒の部屋は燃え上がる炎によって赤く照らされ、しかし何も燃やすことなく荒耶宗蓮の心臓だけを穿った。
自分の読み込みが浅すぎて、見当違いな事を書いているかもしれません。
でも自分なりに荒耶宗蓮という人物象を表現してみたつもりです。
もちろん「ふざけんな、んなわけねぇだろ」という感想もお待ちしております。
ぶっちゃけ事件簿は……
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漫画だけなら見たことある。
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小説呼んだぜ。
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アニメだけなら見たことある。
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見たことない。