俺の命を救ってくれたのは人形師でした。 作:元ジャミトフの狗
鼻孔をくすぐるのは香ばしい肉の匂い。壁越しからも聞こえるおじさんたちの喧噪さも、今日だけなら聞き心地よく思える。なんというか、そういった雰囲気がどこか懐かしいからなのだと思う。
「えーどうも。皆さんご存じでしょうが、僭越ながら幹事を務めさせて頂く八朝勝馬です。また今回、乾杯の音頭も同時に取らせていただきますねー」
そう。本当に懐かしい気分になる。こうして飲み会の幹事だの乾杯音頭役だのといった役割をこなすのは久しぶりだ。もしかすると今世では初めての経験かもしれない。
「今回の伽藍の堂による博覧会は前回を上回る好成績を挙げることが出来ました。これも偏にここにいる皆さんの頑張りの成果だと思います。さて、こうして長々とあいさつするのもすっげぇ面倒くさいのでさっさと乾杯しましょう。それでは皆さんのご健康とご多幸を祈念して―――」
———乾杯っ!
掛け声と同時に、
★1998年 11月21日★
「あのさ、勝馬さん」
挨拶を終えた俺に真っ先に話かけに来たのは臙条くんだった。彼は伏せ目がちにこちらを見ており、どうも居心地悪そうにしていた。
「どうした?」
「いや、俺がここにいていいのかよ」
彼の言っている事は何となく理解できた。
今日の宴会はつまるところ、橙子の人形の完売を祈念するものだ。そして、この場にいるのは臙条君を除けば俺や橙子、黒桐くんに式嬢といった『伽藍の堂』に所属する者たちばかりである。だからこの催しに部外者である自分が居てもいいのかという、至極当然の疑問を臙条くんは抱いているのだろう。
「おいおい。あれだけ手伝ってくれた君がここにいちゃいけない理由があるのか」
しかし前提として。今回の展覧会で臙条くんは遺憾なく彼の持ちうるスキルを発揮してくれた。
というのも、どうも以前の彼は引っ越し業者のアルバイトをしていただみたいで、人形や家具をはじめとした荷物の運搬や部屋のちょっとした改装、修理等を手伝ってくれたのである。もちろん臨時のバイトとして。
したがって、展覧会の撤退がスムーズに終わったのはまず間違いなく彼のおかげだと言えるだろう。だから、そんな彼がこの宴会に参加してはいけない理由なんて初めからどこにもないのだ。
「それにしたって。いや、あんたにこんなこと言っても無駄か」
「そうそう。俺の事分かってきたみたいじゃないか。それに今日は飲みに来たんだ、楽しまなきゃ嘘だぜ?」
「あのな、俺はまだ二十歳じゃないんだ。勘弁してくれよ」
「む。あーそこはあれだ、ノンアルで我慢してくれ。意外とうまいぞ」
「……はぁ。本当にいい加減な人だよ」
大げさにため息をつく臙条くんの顔は、言葉に反して楽し気だった。そうだとも、人生何事も楽しむのが一番だ。でも言われっぱなしは癪なので、「生意気だぞ」と頭をくしゃくしゃにしてやった。
「こら、勝馬さん」
俺と臙条くんの団欒に紛れ込んできたのは、黒桐くんだった。彼は困ったような顔つきで俺の頭をぽんとチョップする。地味にいたい。
「もう酔っ払ったんですか? 絡み方、おじさんみたいですよ」
「実際オッサンみたいなもんだぜ、俺は」
「24歳で何を言ってるんですか、もう」
俺を完全に酔っ払いと判断したらしい黒桐くんは、俺の手からビールが注がれたジョッキを奪い取る。代わりに握らされたのは冷たいお水。チェイサーのつもりらしい。
「かえせよー」
「ならひとまずお冷を飲んでからにして下さいね」
「まだ全然酔ってないぜ、俺」
「酔っぱらってる人はみんなそう言うんです」
なんてつまらない。正論すぎて何も言い返せない。でもまぁ、年甲斐もなく雰囲気に酔ってるのかと問われたら、強ち否定できないのも事実だ。ここはおとなしく黒桐くんの言う通りにしよう。
「あ、そういえば臙条君。浅上建設に入社が決まったって?」
思い出したように黒桐くんは口を開いた。それと同時に店員さんがお肉を運んできたので、向かいの座席にいる橙子が「よっしゃーっ!」と袖を捲っている。ちなみにその隣に座っている式嬢は、黒桐くんがいなくてつまらないのか箸でキムチを突いていた。
「おかげさまでな。なんつーか、就職まで面倒見てもらって悪いな」
「内定したのは君の努力の賜物さ。お疲れ様」
マジか。俺の知らないうちに臙条くんは社会人になったらしい。しかもどうやらそれは黒桐くんの根回しによるものだという。相変わらず何者なのだろう、この子は。
「高校はもういいのか?」
俺が告げると、臙条くんは「ああ、いいんだ」と答えた。その顔に一片の悔いも迷いも見られなかったから、俺から言うことはもう何もない。むしろこの質問は野暮だったと言えるだろう。
「でも、陸上は続けるつもりなんだ」
「ん?」
言われてみれば、臙条くんの体つきは確かにスプリンターのそれだ。少なくとも黒桐くんのもやしっぷりに比べれば遥かに健康的である。
「俺、ガキの頃から走ることが好きだったんだ。色々あって諦めてた時期もあったんだけど、それでもやっぱり走りたいなって最近考えてさ。昨日、バイト代でシューズも買い直したんだぜ」
「臙条君は有名なスプリンターだったんですよ。確か神童って呼ばれるくらいに」
「へーそいつは凄いな」
「やめてくれよ恥ずかしい。本当の事だけどよ。因みにさ、俺の中学の頃のタイムは―――」
得意げに自分のことを語る臙条くんを見て、なんだか心が温かくなるような気分になる。だからというべきか、彼の話に相槌を打ちながら、俺は
黒桐くんが発破をかけたという話だが、臙条くんの様子を見る限り相当吹っ切れたらしい。心なしか二人とも仲よさそうだし。12日に、二人はいったいどんな話をしたのだろうか。
★
「よっこらせっと」
俺は黒桐くんに奪われたお酒をこっそり取り返しつつ、今度は反対側の座席に座った。つまりは式嬢の隣である。因みに赤いジャケットと着物の服装は相変わらずだ。黒桐くんの上下黒という服装と合わさって店員さんがぎょっとしていた事を覚えている。
「なんだよ」
不機嫌であることを欠片も隠さない様子で、式嬢は肉を口に運んでいる。その所作はまさに上品という他なく、彼女の隣でライス大盛と一緒にがつがつと肉を咀嚼する女とは文字通り次元が違った。
とはいえ彼女のお家柄、こういう俗な焼き肉屋とはあまり相性が良くないのではと勘ぐっていたのだが、案外そうでもないらしい。少なくとも口に合わない訳ではなさそうだ。一応ここら辺では一番グレードの高い店だったのが功を奏したのかもしれない。
「本当は黒桐くんを連れてこれたら良かったんだけど、ほら。見ての通り臙条くんと仲良さげに話してるじゃん? それを遮るのも無粋だと思ってさ」
「……臙条ならいい」
「ほーそれは意外だ」
口ではそう言いつつも、さっきからずっと不機嫌だったのはやっぱり式嬢が女の子だからだろう。でも分かる、好きな子が違う人と仲良くしてるともなんかモヤモヤするよね。
「そういえば臙条くんと知り合いだったんだってな。どういう馴れ初めよ」
「そんなの忘れたよ。ただ臙条が匿えって言ったから部屋を貸してやっただけだ」
式嬢の返答を聞いて、俺は思わず飲んでいたビールを吹き出しそうになる。それだけ衝撃的だったのである。
「え、部屋に入れたのか」
「なんだよ。文句でもあるの?」
「うわー。マジかー」
なんでもないように告げる式嬢が怖い。普通、異性を部屋に招くという行為は特別である。それをこうも色気のない話題にすることが出来る彼女は、まず間違いなく才能がある。
そういえば、以前俺が八朝の里で従事していた時、両儀の家は一個人に究極の才能を複数持たせるための業を持つとかいう話を聞いたことがある。もしかして、式嬢の面白さとこの噂には何らかの関連があったりするのだろうか。
「いや何も。でも、あんまりそういうことすると黒桐くんが拗ねるぞ」
「幹也が拗ねるだって。まさか本気で言ってる?」
「……む、改めて言われてみれば確かに」
黒桐くんが拗ねる、言葉を並べてみれば違和感はない。しかしそれが現実に起こるかどうかと問われたら、確かに少し在り得ないような気がする。むしろ誰かと仲良くしてるところを見て「式にも友達が出来たんだね、よかった」とか本気で言いかねない。
「え、お前ら面白過ぎない?」
「余計なお世話だよ。オレからすれば勝馬と橙子の方がよっぽど変だ。だいたいおまえ、橙子とどんな関係だよ」
「珍しい。式嬢が他人の関係に興味を持つだなんて」
自分にも他人にも興味がない。強いて言うのなら黒桐くんだけが唯一の例外で、どうしようもなく
「誤魔化すな。橙子から聞いてるんだぞ、おまえとは肉体関係にあるって」
「げ。ひょっとしてお嬢さん、酔ってらっしゃる?」
「まさか。それよりどうなんだ」
日頃のお返しだと言わんばかりに式嬢はニヤリと悪い笑みを浮かべる。確かに、俺は黒桐くんと式嬢の仲の良さを茶化したことが何度もある。その意趣返しなのだとしたら、この場は甘んじてやり返されるほかないだろう。
だがそれにしたって今回はちょっと話題がキツ過ぎる。こんなことなら無理やりにでも黒桐くん連れてくればよかったと今更後悔する。というか一応飲食店なんだが、ここ。さらに付け加えれば年下の女の子に逆セクハラされたのも初めての経験だ。
「……まぁ、大事な人だよ」
先ほどの不機嫌さはどこに行ったのやら、俺が答えると式嬢はさらに嗜虐的な笑顔を深める。そして気持ちよさそうにキムチを口元へと持っていっては、それを美味しそうに食べる。
「へぇ、おまえにしては随分と殊勝じゃないか。じゃあいっそのこと全部話してもらおうかな。そもそもどういう馴れ初めなんだ、おまえたち」
「言わなきゃダメ?」
「いつもオレを笑いものにしてるんだ。今日くらい我慢しろ」
「……さいですか」
どうやら俺を逃がす気はないらしい。だから俺は黒桐くんが気を利かせてこちらに来るまでの間、ちょっとした恋バナを式嬢と繰り広げるのであった。
余談だがたぶんこの機を境に、俺と式嬢は結構仲良くなった。
★
「はぁエライ目にあった」
「でも楽しかった、いろいろな意味でね」
宴会は呆気なく終わった。みんな柄にもなく好きなだけ食べて、話して、飲んで。気づけば終電を逃す時間帯になってしまったのである。
まず最初に、明日にはもう新しい職場の仕事があるからと臙条くんが退席した。その次にちょっと調子にのってお酒を飲み過ぎた黒桐くんがダウンして、式嬢が「しょうがないな」と黒桐くんを連れてタクシーで帰っていった。残された俺と眼鏡の橙子は少しばかり頼み過ぎたお肉を食べきって、今は食事後の運動がてらこうして暗い夜の街を歩いている。
なんとも我々伽藍の堂らしい締りの悪さだったが、それでも橙子の言う通り楽しかった。そう、本当に楽しかったのだ。
「……ちょっと長く居過ぎたかもな」
「そうね」
感傷を口にする。どれだけ楽しくて尊いものであろうとも。俺たちが俺たちである以上、相容れない事柄が存在する。それは何でもない『日常』という、ありきたりな平和そのものだ。
俺たちは特別であるがために日常を捨てた。きっとそれは弱いからだ。弱さを認める強さがなかったから、普通であることを捨ててこんな魔術だの暗殺術だのといった『非日常』を扱う存在になってしまった。
だから、どんなに頑張っても俺たちは非日常に身を置くことしかできない。ここ数か月、俺と橙子がこれだけ穏やかな世界とかかわる事が出来たのは、数多の偶然と奇跡に恵まれたからだ。しかし、その日常にしたってアルバや荒耶、執行者といった超常の存在の影はチラついていた。
「これ以上は良くない、そう思ってるんでしょう?」
隣を歩く橙子がそのように指摘する。それはやっぱり、図星という他になかった。
「ああ。多分、協会は勘づいてる。荒耶が手引きした執行者はここよりこの街より少し遠くでやり合ったから誤魔化しも効いたが、今回ばかりはアウトだろうさ」
そう遠くない内に俺たちの所在は連中にバレるだろう。封印指定である橙子はもとより、魔術師にとって
そして何より、ここはあまりにも
「……辛いな。いざその時だと分かっていても、肝心の足が動かないんだ」
「それを柵というの。人間がどうあっても避けられない思い出。素敵だけど残酷よね」
楽しい記録を作ってしまった。それが仇となる人間を弱いと言わずして何という。そしてその思い出を振り切ることのなんと難しいことか。
橙子は幼少の頃にそうした弱さを割り切れる精神構造を作り上げた。しかし俺は少し違う。前世という名の影法師に思考が引き摺られて、どうしても離別を重く捉えてしまう。だから本当に情けない話だが、年甲斐もなく泣いてしまいそうになる。
様々な人に偉そうに講釈を垂れた俺が、その実一番弱い人間なのだ。こんな笑い話はないだろう。今日の宴会だって俺が無理やり企画したものだ。未練がましいったらありゃしない。
「貴方はそれでいいのよ」
目頭が熱くなっているところに更に追い打ちが来る。
「今更よ。さ、帰りましょう」
とん、と背中を押してくれる。それがどれだけ嬉しいことか、きっと彼女には分からないだろう。でもそれでいいと思う。
星々が煌々と輝く夜空の中、一つの物語が幕を閉じた。
空の境界編、完結。
ぶっちゃけ事件簿は……
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漫画だけなら見たことある。
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小説呼んだぜ。
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アニメだけなら見たことある。
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見たことない。