ヒトと魔族が絶えず争う物騒な時代。人間の勇者と友達になった魔族の少女は歌を知り、笑顔を知って幸せな日々を送った。しかし、平穏な日常は唐突に失われ、勇者はあまりに長い眠りに落ちた。

 やがて十年の時が流れた。生命維持装置に繋がれて昏睡する勇者の傍ら、桜下で撮った想い出の集合写真に過去を回想した少女は、勇者を目覚めさせる最後の大儀式に挑む。愛した人を救い、平穏なりし日常を取り戻すため、勇者のマスクに手をかけるのだった。


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※本作は、ウミガメのスープ投稿サイト「らてらて」様の企画である「正解を創り出すウミガメ」より、「21世紀少女」の回答の一つとして投稿させていただいたものです。企画そのものにご興味がお有りの方は該当サイトを覗いてみてくださいね。


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フェルンヴェー様(@fernweh29835718)より挿絵をいただきました!あまりに綺麗…。

 また、本作の大枠になった問題文と条件もあとがきから確認できます。よろしければご留意の上お楽しみくださいませ。




十三番目の魔女の独白

「眠り姫。そんな御伽話を聞かせてくれたのはきみだったろう」

 

 きみに向けた独り言が暗闇に融けて消えた。悪いのは私なのに、言葉尻に恨みがましさが滲んで嫌になる。そもそも私は王子様ではなくて、十三番目の魔女に過ぎないのに。

 

 ──私は今日、10年越しのキスをする。

 

 きみは半透明の棺のなかで、死んだように眠っている。私はきみに縋りついていて、水銀と天然ガラスで描かれた魔法陣と七芒星がふたりを取り囲む。床全体を覆うほどの陣の中には幾何学模様と古代文字がびっしりと連なり、この一年間注ぎ続けた魔力がそこに充たされている。これを循環することで術式を持続展開しようという仕掛けだった。この儀を成し遂げた暁に、ようやくきみは目を覚まし、私たちは日常を取り戻せる。きみの水晶みたいな頬から花蕾みたいな口元までを覆う味気ない仮面(①)を、どれほど疎ましく思ったことか。そんな気の遠くなる日々も、これでようやく終わりを迎える。そう信じて疑わなかった。

 

「ねぇ、どうか、目を覚ましておくれよ」

 ──お姫様が寝坊助じゃあ、なかなか物語が始まらないじゃないか。(⑮)

 

 

 

 これは、魔女崩れの馬鹿妖魔による、あまりに大逸れた独り相撲の物語だ。

 

 

 

 有史以来続く魔族とヒトの争いはここ数十年で激化の一途を辿った。いまや魔境の片隅に位置する常夜の森、その最奥のこのラボからですら、血と硝煙の臭いが感じ取れる。物騒なものだ。

 

 かといって、昔はどうだったか、と訊かれると答えに詰まることになる。それはそれでひどいものに違いないからだ。

 

 まどろっこしくて申し訳ないのだけど、ちょっと昔話をしようと思う。具体的には十年前のこと、ちょっと変わり者の人間の話だ。そいつは並外れた力を備える女勇者で、人一倍優しい心を持っていて、一騎討ちで倒した魔女と友達になろうとするような奴だった。そして、その優しさのために身を滅ぼすような。もう分かるだろうけど、つまりはきみのことだ。

 

 きみは私なんぞと関わったばかりに、同胞であるはずの人間から疑われ、蔑まれ、憎悪の果てに火を放たれた。私が駆け付けた時には遅く、体は爛れ、喉は焼け、生命の残り香すらも感じられなかった。私が優れた魔女だったとしても、これを癒す術など持ち合わせてはいなかったはずだ。それでも諦められなかった私は、ずっときみを救う方法を探し求めてきた。片時も心が休まらなかった。そして遂に念願叶い、ようやく今日を迎えることができた。

 

「本当に、遠かった。儀式を編むのに六年、陣の構築に三年、体の再生にきっかり一年。──それから、心の準備に一時間。……遅くなって、ごめんね」

 

 ヒトの体はあまりに脆く、魔族の常識では捉えきれなかった。体の傷を治すにも、私達の加減では却って崩壊を早める始末だ。結局最初の四年あまりは、きみの体内時計を極限まで遅らせて、その間にヒトの医学を学ぶところから始めなければならなかった。機械も魔術も混淆の雁字搦め、思いつく限りの術式を織り込んだマスク式の人工呼吸器で無理矢理死に体を繋ぎ止める暴挙。

 

 ごめんね。

 

 もう一度、掠れた声で呟く。返事はない。

 

 なんとなくばつが悪くて棺から顔をそむけたのち、傍らの写真立てを手に取った。(⑤)満開の桜の樹の下で笑うこども達の真ん中で、まだ少し幼かったきみと変わらない私が屈託なくはにかんでいる。

 あさましいとわかっていながら、私はきみが恋しくて、赦されたくて、ただもう一度笑ってほしくて、流れ落ちる涙(⑥)で何度も思い出を汚してきた。隕鉄製のフレーム、天然ガラスのカバーは、何百何千回とそうするうちに磨り減って、一度も埃をかぶらないままぼろぼろになってしまっていた。もの云えぬきみへの贖罪の念と、楽しげなきみの写真だけが、今日までの私を支えてくれた。見返すたびに何度でも、平穏なりしあの頃、あの日の思い出を呼び起こしてくれた。

 

 

 

         ○

 

 

 

 ああ、忘れもしない。その日は街を挙げたお祭りだった。澄んだ空気に朗らかな喧騒がからからと響き、街中がどこか浮かれたようだった。綺麗に舗装された石畳の路上で風船を持った子供たちが駆け、ぶつかられた大人が笑って窘める。男たちは昼間から酒を飲み、女たちがそれを叱る。この街では──ヒトの国では、そうした呑気なやりとりがいかにも日常じみていることに、形容しがたいやるせなさと苛立ちを覚えた。

 

 魔族と人間は争うことを宿命づけられている。会えば殺し合い、会わずとも憎み合う。私にとってはそれが常識だった。

 優れた魔力を持って生まれた私は幼くして魔女の称号を与えられ、臓腑を吐くような訓練を受け、衣食住の優遇と引き換えに軍役を負った。戦いは義務であり天命であり日常だと教えられていたから、魔軍の先陣を切ってヒトの兵たちを焼き払う日々に辟易こそすれ、そういうものだと諦めていられた。

 

 けれど。先の戦線で私を打ち破った少女は、どうしてか殺すことをしなかった。魔女と知りながら私を生かし、あまつさえ匿った。

 

「これは純粋な興味だが、きみは変態なのだろうか?」

 

 斬ったその場で傷を手当しようとする彼女に、そう訊いてみた。魔女とはただの強力な兵士であって、魔軍の中枢に迫るような情報は持ち得ない。こんなのは周知の事実だった。であれば私的に捕虜として囲うなど、凌辱趣味があるとしか思えなかったから。私はヒトでいう12歳くらいから外見が成長しない幼体成熟に類するので、そのあたりの覚悟はしているつもりだった。

 

「…………………………………………はい?」

 

 どうやら違うらしかった。どうにも心外という表情で首をかしげる彼女には、劣情はおろか、私の知る限り一切の邪悪というものが感じられなかった。

 

「違うようであれば尚更不可解だ。私には利用価値があるのか?」

「さあ?でも仲良くなれたら面白そうだろ」

「理解できない。私たちは敵だろう?殺し合う以外の関係性を知らない」

「みぃんなそう言うんだ面白いよね!こっちの人たちまで。……だけどさ、」

 

 だけど、何だ。

 

「もったいないと思うね!」

「何がだろうか」

「わっかんないや!でももったいない!!」

 

 戦場で育った私はものを知らなかったから、彼女の真意が当時全く測れなかった。あれから十年と少し経った今もなお、掴めたものは僅かばかり。ヒトは脆く、賢しく、決定的に私たちとは別種の生き物だった。それでも、

 

「わかりあうことはできると思うんだ」

 

 友達になろうよ、と手を差し伸べ、少しだけ恥ずかしそうにはにかむきみは、どうしようもなく綺麗だった。(②)

 

 

「悪いねー、探した?」

「いや、きみは目立つからな。それより、出会い頭に抱きしめるという今のきみの行為にはどのような含意があるのだろうか」

「あっはは!私の国では挨拶みたいなものさ!(⑭)これやるとモテるんだ、女の子限定だけど」

「そうか、勉強になる。しかし、きみは既に私からモテていると思うのだが」

「うーん天然って最強だと思うね」

 

 夕方、川沿い、とだけ聞いていた。きみとの待ち合わせはいつも曖昧な時間、曖昧な場所に遍在するくせに、すれ違ったことは一度たりとも無かったのが不思議だ。

 家のある路地から一ブロック先、明かりの弱い街燈と傾きかけた電柱を過ぎると、よく澄んだ小川にさしかかる。その下流に架かる橋の上、欄干に頬杖をついたきみは、眼下で水遊びをするこども達と楽しげに話していた。仕事帰りのラフな服装がのどかな風景によく馴染んでいた。

 

「ところで、今日はどこに連れて行ってくれるんだ」

「お?楽しみかい?その顔はわくわくしてる顔だね?」

「きみが言うならそうなのだろうな」

「……あーもう、今日もあたしの友達が素直かわいい」

 

 噛み合っているんだかいないんだか判然としない軽口を交わし、私たちは街を歩いた。昼下がりから夕にかかる石造りの町並みは柔らかな色に染まり、来る者拒まずの磊落さを湛えていた。

 

 しばらくして、広場に着いた。石畳から一転して芝生が横たわるその空間の中央では、樹齢千年を超える一本桜が満開にそびえて私たちを出迎えた。その神木を囲むようにして色とりどりの屋台やテントが並び立ち、辺りは賑やかな様相だった。入口脇の自動販売機できみは飲み物を買い、その足でいくつかの食べ物を買って、私に半分ずつ分け与えた。ヒトの食べ物にも慣れてきた頃だったが、あれは常にも増して美味しかった。

 

「お、そろそろかね」

「なにが始まるんだ」

「始まってのお楽しみさ!見た目よろしくソワソワしやがれ」

 

 心なし弾んだ声のきみにつられ、食べる手を止めて顔を上げた。気付けば辺りの人はみな同じ方を向いており、視線の先ではめかしこんだこども達が手をつないで、大きな輪を形作っていた。中には見覚えのある顔がちらほら。いつの間に移動したのか、さっき話していた子たちの姿も見受けられた。

 彼ら彼女らはめいめい口を大きく開き、背後から響く音色に合わせて何か叫んでいるようだった。声の束は不揃いながらも徐々に一つの線形へと収斂し、広場を軽やかにうねり始める。その旋律は輪の外側の大人たちをも巻き込み、幾重にも層を増して辺りを埋め尽くしていた。

 

『────────────────────』

 

 身体の奥底でなにかが震えた。それは稲妻じみた烈しさで私の肌をびりびりと伝い、津波さながら流れ込んで、溶岩のごとくカタチをもって滞留した。それは何度も繰り返し興り、そのたびに言い知れぬやさしさで胸の一部分をあたためた。その潜熱が最高潮へと達したとき、私は辺りに満ちた声の波と同化していた。あたかも氷が融けるようであり、また同時に沸き立つようでもあった。

 声が、私から噴き出した。

 

 私は、うたっていた。(⑦)

 

 詞も、節も、何も知らない身でありながら、衝き動かされるように今を唄っていた。

 

 

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 唄、歌、詩。それはヒトを人たらしめる何かの一端であったのではないか。魔族にはそれが無く、ヒトにはあった。のちにこの日を想起する私は、いつもそんなことを思った。尤も、その旋律の只中にいた当時の私には思案の余裕など欠片もなく、きみに手を引かれるまま、こども達の輪の中心へと飛び込むばかりだったのだが。

 

 それから、四方から照らされた桜の巨木の下で、こども達と写真を撮ってもらった。先ほど輪になって祭の開幕を飾った、文字通りこの日の主役と呼べる子らだ。それだけに、私たちは隅のほうでいいとも思っていたのだが、最前列には既に二人分の隙間が用意されていたので、落ち着かない思いでそこに座った。そこには出自など関係なく、人々はただ、私というひとりの生き物を受け入れて微笑んでいた。たぶん皆、私の隣で燦然と笑うきみにつられて笑ったのだとも思う。

 

 

 気付けば、宴もたけなわというところだった。

 

 やがて歌は踊りへと転じ、幾重もの声の調べ、人の輪は雑多に散り始めていた。

 こどもも大人も老人も、男も女も誰もかも、街中の皆で踊っていた。(⑧)それぞれが好き好きに滅茶苦茶な振りで、しかし一様に楽しげに。

 

 魔族に体力の限界などは縁遠いが、味わったことのない興奮と感動の波にうたれ、私には歌い疲れや踊り疲れといった現象が降りかかっていた。戦場で幾度となく見舞われた心と魔力の疲弊とは違う、眩むほどに幸福な疲労感。

 

「さて、と!どうだった!?」

 

 きみに伴われるまま、まばゆい夜に浮かされたように踊り狂う人の波をするする泳いで抜けていく。広場のすみはなだらかな丘陵になっていて、夜露に少し濡れた芝生に寝そべると、名残りを惜しむような祭の全容が一望できた。

 

「祭とか、歌とか、踊りとか、あと写真とかさ。魔族にはそういう楽しみがないって聞いたから、教えてやりたいと思って。だからこれは、あたしなりのプレゼントのつもり」(③)

 

 ささやかだけどな、と付け加え、きみははにかんだ。その表情が、私はとても好きだった。

 

「ああ。とても楽しかった。ソワソワしたぞ。きみの言う通りだった」

 

 頭の下で両手を組み、腕を枕に起き上がるきみに、言葉を返した。

 

「そっか──そっか。よかった!」

「?どうした」

 

 楽しかった、そう答える私の顔を覗き込むきみは、少し面食らったように見えた。それが何となく気になって尋ねると、きみは、

 

「だって、笑ってた。おまえ、初めて笑ってくれたから」

 

 心底嬉しそうに、楽しそうに、そう言った。その顔を見ていると、不意にぽつりと呟きがこぼれた。

 

「……わかった気がする。きみたちは、楽しいとき笑うんだな」

 

 聞き受けたきみは、空に浮かぶ三日月の形に笑みを深めた。

 

「違うだろ?わたしたちは、って言っとけ!そこは!」

 

 二人分の笑い声は、喧騒に呑まれずしばらく響いた。この時間がずっと続いてくれたらいいのに、と、私は強く思ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けれど、無情にも、時計の針は進み続ける。(⑨)淡々と、刻々と、故にその音が狂いゆくのを、誰に気取らせることもなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒトの街は信じがたいほど心地よかった。

 きみと出会うまで暮らした魔族の村落と比べれば、両者の有様は苦しいほどに対照的だった。時折かつてのことを思い出しては、自分だけが、とか他の同胞に申し訳が、とか考えたものだが、それでも出ていこうとは思えないほどに、私はこの街を気に入っていた。人々はあたたかく、環境も静穏そのものだった。

 なにより、この街にはきみがいた。他のすべてと秤にかけても小揺るぎひとつしないほどに、きみの存在は私の世界だった。

 

 だから、私はきみの重荷になっていないかと不安になることが増えていた。きみに与えられるばかりの身を悔しくも思った。それでも身軽には動き回れない現状が歯がゆかった。

 

 魔族の寿命はヒトより永く、百年や千年を生き続けるのが普通だとされる。この街で暮らした三年間でさえ、種族の壁はひどく顕に立ちふさがった。日に日に背が伸び、大人になっていくきみの隣で、ほとんど姿の変わらない子供のままの私はあまりにも異質だった。人々の私を見る目は慈愛から奇異へ、そして猜疑へと次第に色を変えていった。私はきみの家に籠って、なるべく外に出ないように努めた。

 

 三度目の春、三度目の祭を目前に控えたある日のこと。街に出られないなりに、庭の花壇の手入れでもしようと外に出た折、私にとって恐ろしい言葉が囁かれているのを聞いた。聞いてしまった。

 

「あの女勇者が怪しいだろうよ。見た目の変わらねぇ不気味なガキを連れ帰ってきたのもアイツ、引き取って養ってんのもアイツだ。裏で魔族と繋がりでもしてんじゃねぇか?」

「違いねぇや。噂じゃあの女、戦場で魔族に情けをかけることもあるらしいぜ」

「おいおい本当かよ!裏切り者確定じゃんよ」

 

 裏切り者。裏切り者。その一言が脳裏にこびりついて離れない。

 

 体が震え、そのまま凍り付いて動けなくなった。

 私を連れて凱旋した日、きみは街の英雄だった。それが今や、裏切り者だと謗る声すら聞こえるようになってしまった。

 

 私のせいだ。私が君と暮らしたせいだ。認め、絆され、甘えたせいだ。毒だった。私はきみを蝕みやがて死へと至らしめる一滴の毒に過ぎなかった。一緒にいてはいけなかった。望んではいけなかった。

 

 

 愛しては────いけなかったんだ。

 

 

 結局その日は何も手につかず、垣の下にうずくまったまま呆然としていた。日が暮れて、きみの帰る音で我に返り、慌てて花壇に目をやった。水もないまま晴天に晒され続けた花たちは、ひどく萎れてしまっていた。

 

 

「最近、何かあったのか?」

「……いや、特には。まぁ、あまり外に出られないせいで、少し気は滅入ったかもしれないね」

 

 きみは申し訳なさそうな顔をして、口をつけていたカップを離した。

 

「ごめんな。やっぱ見た目が変わんないのって結構目立つらしくてさ……」

 

 違う。違うんだよ。きみにそんな顔をさせたかった訳じゃない。きみが疑われている、なんて話を伝えたくなくて、咄嗟に別の理由を探しただけだ。……それでさえ、きみに気を遣わせてしまうのだから私は馬鹿だ。

 

「それでさ、おまえがよかったら、なんだけど。今度、外に出てみないか?遠くの街なら平気だと思うんだよ。あたしは顔が知れてるから付いて行ってやれないけどさ」

 

 私の塞いだ様子を察したのか、きみはすぐに明るい表情に戻り話題を変えた。その申し出はとてもありがたく、あたたかかった。だから、私は精一杯微笑んで返事をした。

 

「────うん、それがいいと思うよ」

「そっか。じゃ週末かな。……気を付けてな」

 

 そう言うときみは再びティーカップを持ち上げて、ふうふうと冷ますようにしながらゆっくりと呷った。男勝りな性格に似合わず猫舌なきみをからかうのが常だったが、今日はそんな気分にはなれなくて、結局同じように口に運んだ。お茶はとっくに冷めてしまっていた。

 

 

 翌日、無理を効かせて休暇を取ったきみは、一日私と過ごしてくれた。あまり外には出ないで、昼までベッドでごろごろした。寝ているきみの布団に潜り込むと、普段は寝返りを打ってしまうきみが、珍しく私を追い出さなかった。首に回された手が心地よかった。私はそのまま二度寝してしまって、腕が痺れたときみが音を上げるまで、ずっと離れなかったらしい。それから二人で昼食をとった。一緒に作ったのは久しぶりだった。きみに教わったはずの料理はいつの間にかきみよりずっとうまくなっていて、染まったねぇときみが笑った。染めたねぇと私も笑った。ふたりは笑い合って、それからずっと黙々と食べ続けた。口を開くとなにかが零れ落ちそうで、隙間を埋めるようにただただスプーンを口に運んだ。夕方は庭に出て、木洩れ日の注ぐベンチに並んで腰掛けて、延々とこれまでの話をした。きみと過ごした三年間はあまりにも色鮮やかで、目に映るすべてが宝物になっていた。それら全てがきみのおかげだと信じていた。そうしたことを私が拙い言葉でぽつぽつと語るたび、きみは嬉しそうにはにかんだ。私はやっぱりきみのその表情が一番好きで、目に焼き付けておきたくて、同じようなことばかり話した。話し続けようとしていた。

 

 どれくらい時間が経っただろうか。こんなにゆっくりと過ごせたのはきみにとって久々のことだったから、溜まった疲れが出たのかもしれない。私の話にうんうんと相槌を打っているうち、きみはそのままの姿勢で舟を漕いでいた。出会ってから三年、少女から大人になってしまったと思われたきみが、この時ばかりは出会った頃そのままのあどけない寝顔だった。私はなぜだか、そのことにすごく安心したように思う。

 

 変わりゆくきみと、変われない私。あまりに違う物差しで生きていた。決して同じにはなれなかった。出会ったこと、愛したことさえ罪であると知った。

 

 それでも、覚えていることくらいは。前に進んでいくきみのなかにも同じものがあるはずだと、信じ続けることくらいは。どうか、どうか赦してほしかった。

 

 私は眠るきみの頬に手を触れた。起こしてしまわないように、そっと。それから数拍の逡巡の末、柔くつぐまれた花唇に顔を寄せて──結局、キスはできずじまいだった。それはひとつの契りであって、また翻れば呪いになると思ったから。きみは笑っていてほしい。

 

 この想いは、私だけが抱えていよう。

 

 きみにはこんなもの、背負わせたくない。私でさえ持て余すこの感情は、私以外誰一人として知り得ない秘密の果実に他ならない。(⑬)そしてきっと、口にしてしまえば二度と戻ることはできないのだから。

 

 だから、さようなら。愛しいきみよ。どうか私を憶えていて。そして二度と思い出さないでほしい。ただ、底抜けに馬鹿な友達がいたということだけ、きみのこころの片隅に留めておいてほしい。

 

 ……さようなら。

 

 不意に、ひどくあたたかい液体が顔にかかった。(④)頬を伝い、未練がましく流れ落ちるそれを涙と呼ぶことを、当時の私はまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 魔女にはたいていのことができる。台風を生み、噴火を起こし、大地を揺らし、津波を喚ぶこともできる。膨大な魔力と、それを制御し具象化する術式を備えてさえいれば。街を離れ、空を飛んでいた私は、そんな言葉を思い出していた。

 

 それなのに。制御できない感情はそのまま魔力の奔流として体中を駆け巡って、紫電となって全身から迸った。結果、私は空中で体勢を崩して、成す術なく地面に叩きつけられた。

 

 痛い。痛い。焼けるように痛い。痺れるように痛い。裂けるように、凍てつくように、罅割れるように、潰されるように、真綿で首を絞めるように。なのに、痛いだけだ。死ぬことはできず、放っておいても勝手に傷は塞がっていく。ヒトとは違うんだ、と突き付けられた気分だった。

 

 やがて全ての傷が癒えて、私は飛び上がろうとした。今度こそ飛んで、どこか遠くへ。きみの知らない遠くの森で、誰とも会わずに、想い出の中で死ねるように。

 

 ──飛べなかった。魔力の充ちる感覚はある。操作の要領も体が覚えている。現に、不格好でもさっきまではできていた筈なのに。できない自分が、ひどく恐ろしかった。

 

 私は途方に暮れてしまった。人に染まり、されどヒトに成ることができず。あたたかい陽に近付きすぎて、気付けば魔女ですらなくなっていた。今や何者でもない私に、行き場などないのだと思い知った。

 

 ああ、馬鹿だ。やっぱり私は馬鹿だった。私では駄目だったんだよ。

 

 自己嫌悪の渦に呑まれて視界がかすみ、夜闇に溺れるような思いがした。このまま消えてしまうんじゃないかなんて馬鹿げた妄想に取りつかれた。魔族はそんなことで死なないとか、消えてしまえたらどんなに楽かとか、変に冷静で意地悪な声がどこかから聞こえて歯を食い縛った。とめどなく溢れる涙を断ち切りたくて目を閉じたはずが、深まる暗闇に却って心を挫かれるようだ。真っ暗闇の無間地獄には見知ったなにかの影形だけがぼんやりと残っていて、触れようとすると崩れて消える。消えずに残るのは大嫌いな自分ばかりだ。

 

 もういいんじゃないかな。どうせ謗るのも自分だけなんだ。忘れてしまえ。諦めてしまえ。何者でもない私が消えたところで、悲しむ人などいないじゃないか。どこまでも堕ちていけばいいじゃないか。

 

 何もかも遠ざかって、次第に真っ暗が拡がって、染み込んで、何も考えられなくなっていく。もういいんじゃないかな。だって、ほら、こんなに眠くて仕方がない──(⑫)

 

 薄れゆく意識の中、ただ一つだけ、まだ光るものを見つけた。

 

 見間違えるはずもない。それがきみだった。

 

 きみと、きみに関わるものだけが私の世界だった。離れても、捨てたつもりでも、それだけは変わることがなかった。きみだった。いつだって私にとって、きみだけが無謬の光だった。

 

 暗闇はなおも拡がって、きみの光さえ侵食しようとしている。

 

 

 いやだ、それだけは、絶対にいやだ。

 

 

 無我夢中で体に鞭打ち、やっとの思いで体を起こした。目を開けても光は消えず、目蓋の裏側に焼き付いている。鈍い幻痛も残っていたが、そんなものに構ってはいられない。ただ、ただきみだけを心に描いて足を進める。行き先なんて決まっていた。 

 

 ごめん。ごめんなさい。知っての通り私は馬鹿なんだ。私では駄目なんだ。私だけでは。きみがいてくれないと駄目だったんだ。わがままを許してほしい。馬鹿な私を許してほしい。それが罪だと分かっていて、なおもきみを愛することを、どうか。私と一緒に間違えてほしい。

 

 

 

 どれくらい経っただろうか。辺りは赤みを帯びた薄明りに照らされていて、地平線のすぐ向こうにはいつもの太陽が待っているように思えた。どこをどう歩いたかも定かではないけれど、きみの待つあの家に帰る道は体が憶えていたらしい。見知った景色が遠くにあった。石畳、街燈、傾いた電柱。こども達が群れ遊んだ小川を過ぎれば、もうすぐきみの家が見える。

 

 

 明るかった。不思議なことに夜闇は晴れず、家の周りだけが不自然に明るい。その様は幻想的というよりもいっそ不気味で、私は汗が背を伝うのを感じた。そういえばさっきからむやみに暑い。何か弾けるような音もする。いやいや、まさかね。縁起でもない。だけどおかしいな、いやな臭いがする。饐えたような、噎せ返るような臭い。戦場で散々嗅いできた、なにもかもが燃え尽きる臭い。

 

 眼が、肌が、耳が、鼻が。感覚と本能のすべてが拾う情報を、その都度理性が破棄しようと足掻いて、それでも矢継ぎ早に押し込められて沈黙していく。認めたくなかった。認めざるを得なかった。気付けば、私は走り出していた。

 

 

 

 

 家が、燃えていた。

 

 私たちの日常が、想い出が焼けていた。あれはもう、戻らない。無慈悲なまで冷静にそれがわかると、次の瞬間には中に飛び込んでいた。きみさえ無事でいてくれたら。髪や肌が焦げ始めても、委細気にならなかった。

 きみの姿を探した。玄関もキッチンもリビングも空だ。きみは気付いているだろうか。勘のいいきみのことだ、飛び起きて逃げたに違いない。または悪運に助けられて、夜の散歩にでも出ているだろうか。そうであったらいい。

 まだ探していないのは寝室だけだった。一瞬だけ躊躇ってから、すぐに意を決してドアを押し開け、踏み込む。きみの姿を探す。大丈夫、きみはいないに決まっている────

 

 燃え盛る部屋には、死の臭いが充満していた。ベッドの上にはきみがいて、かろうじてきみとわかる顔をしていた。部屋の隅には一本のペットボトル(⑩)が燃え滓になって転がっていて、これが火元のようだった。反射的に窓に視線を向ければ、やはり割れていた。間違いない、誰かが火薬入りのペットボトルに火をつけて、この部屋に投げ込んだんだ。

 火傷は酷く、火元に向いていた右腕を中心に全身に及んでいた。肩から首にかけて引き攣った皮膚が呼吸を妨げて、ひどく苦しげに喘ぐような調子だった。あるいは悪いガスを吸ったのかもしれない。きみの命は、今に尽きようとしていた。

 死に物狂いできみの身体を抱え、割れた窓ごと吹き飛ばすようにして身を躍らせた。そのまま浅い小川に飛び込んで、転がるようにして纏わりつく火を払う。

 

 絶え絶えに荒い呼吸を整えながら、焼け爛れたきみの顔を呆然と見つめた。

 心臓の音がうるさい。思考がまとまらない。今にも慟哭したかった。私のせいなんだ。私がきみと関わったからきみはこんな目に遭ったんだ。頭のどこかではわかっていて、それでもきみに甘えたんだ。あまりに浅はかで、あまりに愚かだった。

 

 どうか私を憎んでほしい。そんな思いが胸をよぎった。

 同時に激しい憤りが沸いた。虫のいい話だ。さっきまで許してほしいだのと散々願ったくせに。

 

 せめて私も死ぬべきだろうか、心からそう思った。それしかないのだと。何の償いにもならない。それでも罰にはなるかもしれない──

 

 

 不意に、胸の前で組まれて硬直していたきみの腕から、何かが落ちて水音を立てた。

 

 それは一枚の写真立てだった。頑丈そうな鉄枠とガラス板に守られて、中のフィルムは無事だった。あの桜の大樹の下、大勢のこども達に囲まれたきみと私が楽しげにはにかんでいる、在りし日を切り抜いた一枚の写真。

 

 

 そうだ、きみは多くを私にくれた。歌も、踊りも、想い出も。笑顔さえ、きみに出会うまで私は持ち合わせていなかった。私は与えられてばかりだった。何も──なにも、きみに返せないままだった。このままきみを見送って、そのまま私も死のうだなんて。一体どれだけ恩知らずなんだ、私は!

 

 助けたい、そう思った。いいや、これは願いなんかじゃない、誓いだ。私の全身全霊をかけて、きみの命を救ってみせると。他の誰にでもなく、私は、私ときみの二人だけに誓い立てた。

 

 そう決めてからは迷うことなどなかった。事態は一分一秒を争っていて、恐ろしい速さで死の淵へと沈み込んでゆくきみを繋ぎ止める必要があった。だから真っ先に、きみの時間を止めた。きみの肉体と現世との境目に介入し、そのごく限られた空間内においてのみ世界の摂理を書き換えて、数百万分の一という程度にまできみの時間を停滞させた。その周囲を棺桶の結界で覆い、あらゆる齟齬を緩衝・分散することで術者と対象への負担を軽減した。空を飛べなかったのが嘘のように、体も、魔力も、思うがままに扱えた。無感情に力を振るえるのが魔女だとするなら、今の私はなんだろうか。

 

 ──なんでもいい。ただ、きみのための誰かであれば。

 

 感情のままに大魔術を乱発した代償は大きかった。足りない分の魔力は未来から前借りするほかなくて、相当命を削ってしまった。生きられたとして、あと百年保たないというところだろうか。寿命の八割は捧げたかもしれない。けれど、それさえ今はどうでもよかった。重要なことはただ、私の命が尽きる前に、きみを救う術を見つけられるかどうか。私の一世一代をかけた、時間との戦いが始まった。

 

 

 

        ○

 

 

 

 仔細は省こう。簡潔に言おう。私は、この勝負に王手をかけた。今はこの手記を書きながら、きみにおはようを言うための最後の準備をしている。

 

 きみを喪ってからの十年間、私がしてきたことは大きく三つに分けられる。

 ひとつ、治療術式の方針を立て、全体の算段を組み上げること。正直な話、これが三番目に大変だった。概要は後述するとしよう。

 ふたつ、魔法陣を構築すること。目的から逆算してどんな陣が必要かを求め、必要な素材を調達し、実際に描き出す。時間はそれなりにかかったが、これはまだ楽な工程だった。

 みっつ、きみの身体の再生──というよりも、再構成。脚や背中といった、まだ火傷の程度が軽い部分なら治癒が追いつくものの、火元に近かった首や顔ではそうはいかない。熱変性した蛋白質は再生のしようがないからだ。結果、培養したきみの体組織を、これまで一年にわたって少しずつ移植することで元の状態に戻してきた。その際、きみの時間が動き始めないよう、空間ごと切り取って作業を進める必要があったから、これも大工事になった。細心の注意は当然として、そもそも膨大な魔力が必要不可欠だ。また少し寿命を削ったかもしれない。これは二番目に難しかった。成功率は二分の一(⑪)、下手をすればそれ以下かもしれなかった。それでも、ここまでやり遂げた。

 

 そして今日に至り、これから最後の段階に入る。もちろん難易度は桁違いだ。

 

 前段階の時点で、きみの肉体はきみとは別物に作り替えられた。幸運にも脳への影響は小さく、救出時点で軽い酸欠程度で済んでいたものの、その他の体組織のおよそ五割が以前のきみとは入れ替わっている状態だ。つまり、十年前の本来のきみと、私が今年複製したきみが混在したちぐはぐな状態ということになる。脳に宿る魂は年月を経て肉体にも浸透していくものであるのに、体の半分にそれが宿っていないのだから、いくらきみから生じた細胞とはいえ、これでは拒絶反応を免れない。

 

 そこで最終段階では、ちぐはぐなきみの肉体と魂を馴染ませることに主眼を置く。具体的には、肉体──とくに脳──の壊死を防ぐために止めていた時間を再び動かし、絶えず齟齬を起こすきみの肉体が壊れないよう修復し続けて、魂が体に染み込むのを待つというもの。言ってみればそれだけの、仕上げとしては単純な過程。この空間に敷いた魔法陣もそれを強力に補助するものだ。

 とはいえ、言うほど簡単なわけはない。馴染むまでにどれだけの時間がかかるか、治すそばから崩れ続ける拷問じみた荒療治がきみにどれほどの苦痛を強いるか、全く見当はつかないのだから。

 

 それでも、やるしかない。正しいものかと悩み続け、考え続けた方法がこれだ。もう一度きみに会いたい、その一心で進み続けた十年が、報われるのだと信じるしかない。

 

 

「────展開」

 

 詠唱はいらない。改良を重ねた魔法陣は起動にただ二言しか要しない。あらゆる準備、あらゆる覚悟をここに重ねた。

 きみの顔へと手を伸ばす。代謝と呼吸と循環を代替し、時間停滞を複合させた生命維持装置を外せば、いよいよ後戻りはできない。このマスクはある意味、決戦の火蓋そのものだ。きみと見る明日を、私たちの平穏を取り戻すため、今鉄火場に飛び込むんだ。

 

「────起動」

 

 短く、ただ一言。足元を莫大な魔力が循環し、碧い炎のように立ち上がる。

 

 震える手に力を込めて、きみの口元を覆うマスクを外す。

 

 視界が、極光に包まれた。

 

 

 

 一瞬の後、眩い光が晴れるのを待たず、きみの身体に手を当てると、おかしな現象が起こっているのがわかった。

 暴れている。そう形容するのが正しいだろうか。触れた指先から伝わる体温は、燃えるような熱さと凍てつく冷たさを行き来していた。予想通り、尋常ならざる拒絶反応が起こっていたんだ。それを抑え込むように、部屋全体を覆う魔法陣の結界が治癒を促し、同時に熱を奪うことで炎症を抑えている。どうにか拮抗し、崩壊や剥離は防げているようだった。それでも、時折身体のあちこちに綻びができる。術式による自然治癒が追い付かない部分があるようだった。その度に私が外部から治癒を施す。それを繰り返して、なんとか保たせるといった危うい均衡が続いていた。

 

 君の顔を覗き込む。うなされるような、ひどく苦しげな表情だ。口からは聞いている私でさえ胸の詰まるような呻きが漏れる。無理もない、何度も死に、その度に生き返らせるような無茶をしているのだから。それでも、きみは折れないと確信していた。

 

 気の遠くなるような時間だった。薄碧い光の立ち込めるなか、絶えず自壊するきみの身体をただ無心で治し続けるうち、自他の境界すらもあやふやになるような不思議な感覚にとらわれた。

 

 今にも倒れこみそうなほど苦しい。吐きそうだ。細胞のひとつひとつがばらばらに弾けて、どろどろに溶けて、全身から流れ出してきそうだった。自分なのに、自分じゃない。自己矛盾に陥った現在形の症状を、質を伴って追体験していた。

 

 望むところだ、と思った。この痛みでさえ、きみが今も生きている証、戦っている証なんだ。

 

 痛い。熱い。冷たい。痛い。蛹のようにどろどろした苦痛に抗わず、さらに一段入り込む。すると、見えた。感じられた。閃いた。やっぱりそうだ、この痛みこそが、膠着した状況を収拾する切っ掛けになると確信した。

 

 きみの苦しみが、この手を通じて私に流れ込んでくる。頭が爆発するように熱くて、腕や足先は千切れそうに冷たい。体の中に温度差があって、それを埋めようと何かを送り合っている。それは熱であり、もっと密度の大きいなにかであるようにも思えた。たとえば、そう、記憶のような。

 肉体には、時間とともに魂が宿る。元々のきみに宿る魂の重さが、後から移植された組織には足りていないんだ。そして、その重さに類するものが記憶だとしたら。元の身体が憶えていて、作り物の身体が知らない記憶をここで再演することができたら。

 

 

 ──やるしかない。私には、それができる。

 

 

 もとより、私のすべてはきみにもらった。きみと過ごした日々のすべてが、私の身体を作っている。思い出すことは容易だった。忘れたことなんてなかった。この身の内から湧き出す声を、ただ解き放つだけでいい────!!

 

 

 私は、

 

 

 

『────────────────────』

 

 

 もう一度、うたっていた。

 

 

 ──思い出して、思い出して、思い出して。

 

 全身をひとつの楽器のように。声の限り歌い、命の限り笑う。きみがくれた歌で、きみがくれた笑顔で、きみがくれた想い出のすべてで以てきみの魂に呼びかける。私を、もう一度、視て。

 

 虚ろな瞳に、私の姿が映るように。真正面から呼びかける。

 

 

 果たして、変化は起きた。

 

 

 きみの目から、一筋の涙がこぼれた。

 

 同時に、きみの身体が爆発的に熱を持った。これはきっと、魂の咆哮だ。私の声が聴こえた、私の顔が見えた、それに応えようとしているんだ。脳に刻まれた私との記憶を、私を憶えていない全身に向けてありったけ送り込んでいる。魔法陣の冷却と治癒をはるかに上回るすさまじい熱量が、きみと私の肌を焼いた。

 

「構う、ものか──────!!!」

 

 全身全霊を魔力へと変換し、意識すら手放す勢いで治癒に回す。

 

 生きようとするきみと、生かそうとする私。絶対に負けられない最終戦争の幕を引くように、再びの極光が空間を塗りつぶしていった。

 

 

 

 

         ○

 

 

 

 次に目が覚めたのはいつだったろうか。何十分、何時間、あるいは何日か眠っていたかもしれない。鼻腔をくすぐるやさしい匂いに惹かれるように、ゆるゆると意識が浮上した。

 

 ────ぅ、

 

 ────ょぅ、

 

「おはよう!!」

 

 声に引っ叩かれるようにして覚醒した。そうだ、私はきみを救えただろうか。まだ視界と意識は霞がかっていた。あれだけ無茶をしたのだから当然だろうとは思う。思うのだけど。はやくこの目を開きたい。だって、この声は───

 

「……おはよう。ごめんな、心配かけちゃって」

 

 きみだ。きみがいた。暗闇の先、霞の向こう、真っ白にやさしい朝日のもとに、片時も絶えず想い続けたきみの姿があった。私は嬉しくて、うれしくて、声も出せないままきみに飛びついた。きみはそれを大事に抱き留めてから、申し訳なさそうな笑顔でもう一度おはようを言った。

 

 違う、違うんだよ。そんな顔をしてほしいわけじゃないんだ。けれどもそれを上手に伝えられるほど、私は頭がよくはない。だから、もう一度きみを強く抱き締めて言った。

 

「……別に、心配なんてしてないからね。これは、ほら、私の国では挨拶みたいなものだから」

 

 きみは目を白黒させて、それから吹き出した。これは一杯食わされたって面白そうに笑った。曇り一つないその笑顔がまぶしくて、それなのに少し悔しくもあった。確かに心配していたけど。笑ってほしいと願ったけど。私の知るきみはいつも余裕しゃくしゃくで、その顔を崩してみたいとか思って。

 

 私は、きみにキスをした。

 

 ──やっぱり、王子様なんて柄じゃない。

 

 歯と歯のぶつかる不格好なキスはあんまりにも風情がなくて、いろいろと台無しになってしまった。結局、どちらかというと私のほうが照れている。寝坊助なお姫様以外にも配役上の問題は山積みなようで、私たちの物語は、なかなか始まってはくれないみたいだった。

 

 

 

 




■■ 問題文 ■■

物騒な空気がただよう時代。
平穏を取り戻したかった少女は、マスクを外すことにした。
どういうこと?

■■ 要素一覧 ■■
①仮面
②綺麗だった
③私なりのささやかなプレゼント
④顔に液体がかかる
⑤桜の写った集合写真が重要
⑥涙が流れる
⑦うたう
⑧みんなで踊る
⑨時計の針は進み続ける
⑩ペットボトルが重要
⑪1/2の確率
⑫眠くて仕方がない
⑬少女は自分以外誰も知らない秘密を抱えている
⑭「私の国では挨拶みたいなもの」
⑮なかなか始まらない


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