甲子園の空は、ただ蒼く。   作:高任斎

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スリーベースヒットにはドラマがある。
というか、ホームランより貴重。


1回戦:スリーベースヒット。

 息を吐き、空を見上げた。

 これが、甲子園の空か。

 

 ……まあ、変わんねえな。

 

 足元に目をやり、軽く蹴る。

 

 甲子園の黒土。

 砂って言ったほうが、らしいか。

 

 アニキの部屋に飾られている黒土を見て、『球場の黒土とそんな変わらねえじゃん』などと強がってはいたが……やっぱり別物だなと思う。

 

 息を吐き、吸った。 

 

「シッ」

 

 気合を入れ、両手で頬を叩く。

 ようやく、浮ついた感覚が消えてきた。

 

 バックスクリーンに目を向けた。

 

 相手チームのエースは、今大会で3本の指に入ると言われる好投手。

 ウチのエースもそこそこ評判が高い。

 新聞によっては、『1点勝負が予想される』なんてコメントがついていた。

 

 既に5回裏。

 スコアは0対3。 

 

 1回にエラーがらみで2失点。

 2回の1失点も、四球と記録に残らないエラーからだ。

 

 試合の展開も早い。

 開始からまだ40分が過ぎた程度……たぶん、ウチが浮ついている間に、さっさと試合を進めてしまおうって魂胆だろ。

 今思えば、3回以降の向こうの攻撃はどこか淡白だったしな。

 

 やだねえ、甲子園常連校のいやらしさってのは。

 

 まあ、うちも名門校ってポジションではあるが、4年ぶりの甲子園出場だからな。

 

『3年経てば、部員は全員入れ変わって、伝統や経験なんか残ってねえよ。だから今は、甲子園に3回出た俺の話を黙って聞いておけ』

 

 アニキの言葉を思い出す。

 

 春夏合わせて20回を超える出場経験があっても、部員は全員初出場だ。

 去年就任した監督も、甲子園の経験はない。

 前の監督は、3年連続で甲子園出場を逃した責任を取らされてクビになっちまったからな。

 

 ケチのつき始めは、試合前のジャンケンで俺が負けたことだ。

 それで、相手に先攻を取られた。

 

 攻撃のミスは、失点にならない。

 守備のミスは、即失点へとつながる。

 甲子園の雰囲気に慣れるため、まず先攻を……ってのがセオリー。

 

「荒木!」

「ハイ!」

「わかってるな、狙っていけ!」

「ハイ!」

 

 ほかの連中に聞かせるための、監督とのやり取り。

 それを受けて、チームメイトが声を出し始める。

 

『狙えよ!』

『1発頼みます!』

 

 威勢のいい言葉が続く。

 

 甲子園の声援に抗い、相手の捕手や投手に聞こえるぐらい声を張り上げる。

 

 ……まあ、この状況でホームランを狙うようなのは、素人だけどな。

 

 ホームランは野球の華だが、そこで一旦プレイが切れる。

 流れが途切れるから、勢いってのはつきにくい。

 

 好投手相手。

 3点のビハインド。

 

 ここで、俺がソロホームランを打ったところで、相手の気を引き締めるだけにしかならない。

 

 じゃあ、監督が何を考えて『狙っていけ』と指示を出したのかと言うと……ここまで完全に抑えられているチームを勢いづけるプレイを狙っていけってことだ。

 

 もう一度息を吸い、吐いた。

 

 最近はちょいと誤解されがちだが、4番打者ってのは状況に応じた打撃が求められる。

 馬鹿みたいにホームランを狙う長距離打者ってのは、高校野球では4番打者にはなれない。

 どんな打撃でもできる技術と、野球への深い理解。

 高校野球の4番打者は……古き良き時代の4番打者は、そういうものだと教えられて俺は育った。

 

 捕手の視線が俺に向くのを待ってから、素振りを一回。

 いつも通りの素振りだ。

 もう、駆け引きは始まっている。

 

 5回。

 3点差。

 打順は4番。

 

 バッテリーの第一目標は、当然俺を抑えること。

 ただ、四球と長打は防ぎたいってのが、第二目標だ。

 そうなると、バッテリーの配球は、外角低めに集められる。

 

 インコース、そして高めは長打が怖い。

 変化球はすっぽ抜けが怖い。

 

 まあ、ここできっちり変化球をコースに要求できるかどうか、そこに投げられるかどうかでバッテリーの評価が違ってくる。

 

 俺が狙うのはスリーベースヒット。

 

 ホームランと違って、プレイが途切れない。

 クロスプレイになりやすく、セーフになった時にチームの士気を上げやすい。

 走者として投手の視界に入ることで、リズムを崩す手段が増えること。

 

 スリーベースなら、右中間狙い。

 外角攻めは、こっちにも好都合。

 

 いいことづくめのようだが、当然そんなことはバッテリーも……少なくとも捕手は分かっている。

 

 ただ、ここでネックになるのが……相手投手の評判が高いってことだ。

 投手ってのはプライドが高い。

 プライドが高くなきゃ投手にはなれない。

『ホームランを打たれたほうがマシ』ってリードをすれば、当然機嫌を損ねる。

 機嫌を損ねれば、ここまで気分よく甲子園のマウンドを楽しんでいた投手のプレイに影響が出る。

 

 わかっていても、捕手は投手が気分良く投げられるリードをしなきゃならない。

 

 ちらりと、捕手に目を向けた。

 目が合う。

 

 捕手ってのは大変だよな。

 心の中でそう呟き、笑って見せる。

 

 バッターボックスに入り、ゆっくりと足場をならす。

 ルール的には、主審の『プレイ』の声が掛かっていれば、投手は打者のそれを待つ義務はない。

 しかし、回の先頭打者の初球に関してだけは、打者は主審に注意されるまでは自分のタイミングで時間を稼ぐことができる。

 

 まあ、好投手に気分良く投げられたらたまらないしな。

 ささやかな嫌がらせ。

 それを、チームで積み重ねていくわけだが……ここまで、俺たちはそんな基本すらできていなかった。

 

 足場を固めながら、横目で主審をチェック。

 後援会の人の情報によると、この主審は、選手に話しかける前にマスクを取る癖がある。

 つまり、マスクに手を伸ばすまでは、注意はない。

 

 主審の手が動く。

 その瞬間に、俺はすっとバットを構えた。

 

 わずかな間。

 主審の『プレイ』の声。

 

 

 さて、初球の入りは重要だ。

 

 打者の俺は、外角低めの速球だけを狙う。

 セオリーだけに、捕手もそれを承知。

 

 この、セオリーの状況で捕手が何を要求するか。

 

 外角低め、外にボール1つ外した速球を要求する捕手は、性格が悪い。

 変化球、特にインコースにスローカーブを投げさせる捕手は意外性を好む傾向が強い。

 

 前者は相手にミスをさせるタイプ。

 後者は相手をのんでかかるタイプで、投手のプライドをほとんど考慮しないから、投手に嫌われていることが多い。

 

 投手が振りかぶった。

 ゆったりとしたフォーム。

 しかし、昔に比べると小さなフォームが今は主流だ。

 球の出所をぎりぎりまで隠すために、腕をコンパクトにたたんで……しなりを使って投げる。

 時速を5キロ落としても、打者に打たれない球を投げるのが良い投手の条件。

 

 小さな違和感を胸に、タイミングを取る。

 

 投手の手を離れた白球。

 

 コースは真ん中よりの外角。

 高さも、太もも付近。

 

 心の中で、捕手に向かって罵倒を吐く。

 

 ボールにブレーキがかかったように見え、すっと斜めにスライドして逃げていく。

 

「ボール!」

 

 ……中途半端なリードしやがって。

 

 空振りさせるなら、きっちり外角低めに投げさせなきゃいけない。

 ひっかけて内野ゴロを打たせたいなら、コースはともかく、斜めじゃなく横のスライダーがベストだ。

 

 まあ、投手のコントロールミスって可能性もあるが……おそらくは、そうじゃない。

 俺を抑えてやろうという気持ちが感じられなかったからな。

 

 ボールでいいやってノリで投げた球だ。

 

 息を吐き、気を取り直す。

 

 相手投手のデータを思い出していく。

 

 スライダーの後の配球。

 確か、地区予選のデータだと、速球が7割、変化球が3割だったか。

 ウチの投手は、スライダーを投げた後は指先の感覚が狂うからあんまり投げたくないって言ってたが……たぶん、スライダーの投げ方そのものが違うんだろうな。

 

 

 ワンボールからの2球目。

 狙いは変わらず、外角低めの速球一本。

 

 手を離れた瞬間に、狙い球と違うことがわかった。

 

 キャッチャーミットに収まるまでをじっと見る。

 そんな俺を捕手がじっと見て、ゆっくりと投手にボールを投げ返した。

 

 これで、ワンボールワンストライク。

 

 投手を見る。

 特に表情は変わらない。

 かなり捕手が我を通したリードだと思うんだが……納得してるのかね。

 

 

 3球目。

 狙いは同じ、外角低めの速球。

 

 インハイのボール球が来た。

 外し気味とはいえ、危険なリードだ。

 俺の狙い球を探るという意味では、間違ってはいない。

 ただ、球種とコースをばらばらに要求するリードは、投手のコントロールの感覚を狂わせるリスクがある。

 

 

 4球目。

 初志貫徹。

 

 外角低め……から、ボールになるスライダー。

 

 反応してしまったが、バットが止まった。

 しかし、バットが止まらなかったとしても空振りするコース。

 

 息を吐いた。

 

 今一つ、バッテリーというか捕手の意図が読めない。

 目的もなく、ただ球を散らしているような……そんなイメージを受ける。

 

 ちらりとベンチを見た。

 監督と目が合う。

 

 監督が右腕を強く振る。

 ヒッティングの指示だ。

 

 カウントはスリーボールワンストライク。

 ストライクを入れてくるならヒッティングカウントだが……。

 

 一旦、バッターボックスを外した。

 

 素直に四球を選んだら……怒られそうだな、こりゃ。

 

 息を吐き、吸った。

 

 よし、腹を据えるか。

 

 俺は4番打者だ。

 1点を取るんじゃなく、勝ちに行く。

 そのためには、四球じゃだめだ。

 四球じゃ、チームに勢いが出ない。

 

 捕手の視線を感じながら、素振りを一回。

 

 ゆっくりと息を吐きながら構える。

 

 好投手の評判に隠れてはいるが、このバッテリーの主導権はおそらく捕手にある。

 根拠はない。

 根拠はないが……俺がスリーベースヒットを狙うためには、その仮定を推し進めるしかない。

 

 だから、狙い球は、外角低めのボール球だ。

 球種はスライダー。

 この打席だけで2球見たからな。

 イメージはしやすい。

 別の球種なら、ごめんなさいするだけだ。

 

 俺がベストのスイングをしたら届かない場所。

 たぶん、それがこの捕手にとって最も安心できるリード。

 ここまで完全に抑えているとか、投手のプライドや、機嫌とか、全部ぶん投げて四球でいいって配球だ。

 

 俺が無理に手を出せば凡打の確率が高くなり、手を出さずに四球を恵んでもらえば……試合の展開がウチの負けに向かって流れていく。

 

 届かないからと、スタンスや構えを変えたら、その意図に気づかれる。

 だから、それは変えられない。

 

 踏み込みと、ヒッティングポイントを前にずらすしかない、な。

 

 腰を入れたスイングはできない。

 そして、打球に角度をつける余裕もない。

 

 狙いはセカンドの頭上……そのちょい左ってとこか。

 高さではなく、速さで右中間にもっていく。

 

 そのためには……いつもと違うスイングをする必要がある。

 

 いつもと違うスイングで。

 狙った方向に打球を飛ばす、か。

 

 これを求められ、成功させなきゃいけないのが4番打者のつらいところだな。

 

 

 5球目。

 

 外。

 

 そう認識するよりも早く、深く踏み込んだ。

 

 腰から上。

 上体に軸を作り、腕を伸ばす。

 タブーとされるドアスイングを意識する。

 

 外へ逃げていくボール。

 それが逃げ切る前に。

 

 微調整。

 右手首。

 

 とらえた。

 

 そのまま。

 ボールの速度とバットの反発力だけで、払うように打つ。

 

 ミスった。

 打球が低い。

 

 が、セカンドの反応が遅れた。

 

 伸ばした腕。

 その、グローブをかすめて、打球が抜けていく。

 

 それを、崩れた体勢を立て直しながら見て、俺は走りだす。

 当然、3塁を狙うルート。

 

 2塁に最も早く到達するために走るルートと、3塁に最も早く到達するために走るルートは別物だ。

 

「みっつー!」

 

 一塁のランナーコーチの叫びを聞きながら、打球の行方を確認……一塁手が、俺の走塁を邪魔しないように距離を開け、それでいて俺の視界を遮りながら移動を始めている。

 

 チクショウ、これだから甲子園常連校ってやつはよぉ。

 

 まあ、俺らも、同じことするんだけどな!

 

 打球の行方を確認できないまま、ベースを蹴った。

 

 一塁手が視界から消える。

 しかし、打球は見ない。

 視線を向ければ、それで走る速度が落ちる。

 

 俺が見るのは、3塁のランナーコーチ。

 

 判断に迷っている。

 それがわかった。

 それしかわからない。

 

 迷ったら止まれ。

 それがセオリー。

 

 しかし、5回で3点のビハインドという状況がその選択を許さない……っていうか!

 

 迷ってないで指示出せや、こらぁ!

 何のためのランナーコーチだ!

 

 心の中で叫びながら、右中間に視線を向けた。

 そして、一瞬で視線を戻す。

 

 まだ、打球に追いついたところ。

 タイミングは微妙。

 

 自分の仕事しろぉぉっ!

 

 指示を出せなかったランナーコーチに向かって心の中で叫びながら、俺は2塁ベースも蹴った。

 

 塁間、約27メートル。

 時間にして、約3秒(願望)。

 

 この時点で、もう60メートルほど全力疾走してんだよ!

 速度ぐらい落ちるっての!

 

 時速140キロの送球で、1秒で約40メートル。

 時速110キロなら、1秒で約32メートル。

 右中間最深部からでも、ダイレクトなら3塁までは3秒とかからない。

 

 ただし、内野手の中継を挟むと約1秒の余裕が生まれる。

 捕球、送球動作、送球の3つ。

 コントロールミスも含めて、ギリギリのタイミングなら突っ込む価値があると言われる所以だ。

 

 しかし、2塁を蹴った俺にはもう確認ができない。 

 送球は、俺の背中からくるからだ。

 

 そのためのランナーコーチ。

 

 3塁に向かって爆走しながら、視線を向けた。

 

 アカン。

 あの反応、アウトっぽい。

 

 もう、遅い。

 止まっても2塁に戻れない。

 

 絶望に向かって走る。

 

 ……って、絶望してる場合じゃねえ!

 

 勝負だ。

 

 選択肢は2つ。

 

 俺の走塁ラインを3塁手の真正面にとって、その視界を遮ることで捕球ミスを誘うのがひとつ。

 しかしこれは却下。

 

 打球が飛んだコースと、外野手が追いついた位置をきっちり確認できなかったため、送球コースを正確に予測できない。

 だから、3塁手の視界を遮るための走塁コースがわからない。

 目立たないし話題になることもないだろうが、これは1塁手の目隠しプレイによる貢献だ。

 

 なら、もう一つの選択を。

 

 わずかに、俺は進路を外に膨らませた。

 これでまた、わずかだが時間のロスが生まれる。

 

 しかし、こうすれば3塁ベースに向かって急角度で斜めに滑り込むラインがとれる。

 これで、3塁への送球と、俺の走り込むラインをクロスさせられる。

 

 3塁手を見る。

 

 目線。

 グローブの位置。

 

 こんなクロスプレイの時、キャッチボールとは違う練習が必要になる。

 

 まずは、ランナーの身体から外れた位置にグローブを構えること。

 送球がランナーに当たることを防ぐためだ。

 

 だが、それは小学校レベル。

 

 相手の送球に対して走者がぶつかりにいくのは守備妨害だが、『偶然』ならこれは反則ではないとされる。

 

 繰り返すが、送球は俺の背中方向からくる。

 俺は、送球を見ることができない。

 見えないものに、ぶつかるなんてことができるはずないよね!

 だから、『自然な動き』の中で送球が身体にぶつかったとしても、それはすべて偶然でしかない!

 送球の方向にグローブを構えるなんて、カモでしかない。

 

 なので、中学レベルになると、受け手は逆の位置にグローブを構えて走者を騙す。

 走者に守備妨害をさせないためだ。

 あるいは、余裕がある状態なら走者がとることのできるラインから外れた位置に構える。

 走者が塁間で走っていいラインは、ルールに大まかな範囲が定められているから、そこを外れた位置に構えれば、たとえ送球が身体に当たったとしてもその時点で守備妨害だ。

 もちろん、クロスプレイのタイミングでそんな大きく外す余裕なんてものは生まれない。

 

 だが、今俺が、俺たちがやっているのは高校野球。

 それより一つ上のレベルが要求される。

 

 グローブの位置はギリギリまで動かさない。

 そこが標準。

 受け手がグローブを構えなくても、状況を判断してベストの位置に送球する。

 練習の積み重ねと、信頼。

 

 もう一度、ランナーコーチに視線を向けた。

 

 本来なら、ランナーコーチが送球を見て、その逆の方向にスライディングを指示する。

 タッチする距離が広がれば、それだけ時間がかかるからだ。

 

 今、ランナーコーチは、方向を指示せずにただ『滑れ!』とだけ指示している。

 これは、学校によってお約束が違うのだが、『タイミングがきわどい』を通り越して『ほぼアウト』の状況だ。

 

 送球を見ているランナーコーチが方向を指示すると、送球にぶつかりに行く指示を出したってのがばればれになるからね、仕方ないね!

 

 アウトのタイミングなのに送球にぶつかりに行くってことは、『多少』不自然な間合いでスライディング体勢を取らなきゃならない。

 偶然なら許されるが、故意なら許されない。

 

 1試合に1回どころか、高校球児としての3年間で多くて数回。

 そんな貴重なプレイのためにも、俺たち高校球児は練習を積み重ねていく。

 

 よりによって、甲子園の舞台でその成果を見せるチャンスが来ちまったか。

 

 視線を3塁手に戻す。

 もう、ランナーコーチはあてにはできない。

 ここからは、3塁手と走者である俺のタイマン勝負。

 

 歩幅を小さく、回転を速くする。

 いつでもタイミングを合わせられるように、だ。

 

 3塁手の目線、グローブの動きや仕草で送球の方向やタイミングを読み取る。

 そして、『偶然』を装って送球にぶつかるタイミングでスライディングに行く。

 それも、できるだけ不自然さを感じさせないように、だ。

 

 全部やらなきゃいけないのが、4番打者でキャプテンのつらいところだな。

 しかし、もうこれしかない。

 

 3塁に向かって走っていきながら、集中を高めていく。

 

 時間が凝縮されていく感覚。

 

 グローブは動かない。

 もう、送球が大きくそれているという可能性はない。

 

 3塁手に余裕を感じる。

 おそらく、ほぼストライク返球。

 

 まだ、間合いが遠い。

 しかし、タイミング的にはそろそろか。

 

 目標はベースの左。

 3塁手の目の前を斜めに横切るライン。

 

 ヘッドスライディングは却下。

 俺の背中で、送球を止める。

 

 タッチをかいくぐるフックスライディング?

 

 ダメだ。

 不自然過ぎる。

 

 なら……足じゃなく右手でベースをキャッチするスライディング、か。

 

 決めた。

 やるしかない。

 あとは、タイミング。

 

 3塁手を見る。

 

 目線。

 動いた。

 

 遠い。

 しかし、今。

 

 地面を強く蹴る。

 飛ぶ。

 見た目は下手クソなスライディング。

 そして、ベースをつかむ右手を大きく伸ばす。

 

 左手は伸ばさない。

 それは露骨すぎる。

 

 3塁手の表情が歪むのが見えた。

 

 勝利の確信と、左肩への衝撃が同時に来た。

 

 3塁ベースの左を通り過ぎながら、右手の手首をベースの隅にひっかけ、身体を回すようにして勢いを殺していき……最後は腹ばいに。

 体勢の立て直しに時間がかかるため、送球が後ろに逸れたとしても本塁突入は難しい。

 

 地面に転がったまま、ランナーコーチを見る。

 笑顔。

 

『上手くやったな』

『まだ、はええよ。つーか、お前のせいだよ!笑ってんじゃねえよ!』

 

 無言の会話。

 

 上手くやったつもりではある。

 しかし、審判の判定はまだだ。

 

 タッチプレイそのものがなかった以上、塁審はわざわざセーフのコールなんかはしない。

 つまり、守備妨害というコールが出るか出ないかだけ。

 

 俺はすぐに立ち上がり、ベンチに向かって高く右手を突き上げた。

 

 勢いだ。

 ここは、勢いで流す!

 

 盛り上がる観客席。

 

 この試合、チームの初ヒットがスリーベースヒット。

 

 もっと盛り上げるんだよ!

 塁審が『怪しいけど、3点差だし、盛り上がりに水を差すのもあれだな』と思ってしまうぐらい盛り上げるんだよ!

 おら、応援の1年と2年、もっと空気読め!

 

 何度も右手を突き上げながら、塁審と3塁手には視線を向けない。

 

 やがて、次の打者がバッターボックスに向かう。

 

 大丈夫だ。

 もう、大丈夫だ。

 守備妨害のコールは出ない。

 

 よしっ!

 

 黒く汚れた手で、そのまま頬を叩いて気合を入れる。

 さあ、ここから反撃だ! 




前半の格好良さから後半のバタバタ具合のギャップに笑っていただけたら嬉しいです。
まあ、打撃に関してはこれがコンスタントにできるなら、相手投手のレベルにもよりますが、たぶん超高校級ですからね。

相手チームの1塁手の動きは、たぶん経験者じゃないとわからないと思います。
それと、捕手がこういうリードをすると投手のモチベーションが下がることが多いです。

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