「――帰ってきたんだ」
あれもこれもと物を詰め込んだあげく、パンパンに膨らんだカバンを両手で持ち、私は久しぶりのふるさとへと帰ってきました。何年も離れていたとか、そういうわけじゃないけれど、やっぱり離れてみると自分が生まれて育ってきた土地っていうのはいいなぁって思います、
まぶしい太陽に目を細め、ちょっぴり帽子をかぶってくればよかったかなと後悔しつつ、私はパステルカラーのきれいな封筒に書かれた住所を確かめます。
「元気かなぁ……」
元から美人だったけど、きっと高校生になってぐっと大人になってるかもしれないなぁ。いつだったかプールの授業の時に確かめた胸も成長してるかも、なんてね。
それにしても……、
学校のある県は比較的夏の割には涼しいと思っていたけど、東京に戻ってくるとやはりうだるような熱気にうんざりとします。アスファルトってのは地面にあるだけで、こんなに熱をたくわえて離さないのかな。
それにしても、ここのところ荷造りとかで忙しくて眠れなかったせいか、なんか……変かも。あまり元気がわかないというか、気だるい感じがします。
暑いなぁ。
一歩一歩足を動かすだけで、汗が吹き出て。
暑……い。
あれ、おかしいな、いくら暑いにしてもこんなに汗って出てくるのかな――って思った時にはもうすでに遅くて、私は自分の体が傾ぐのをまるで他人事のようにどこか感じていました。
「――丈夫――!? ――聞こ――」
誰かが呼びかけている声がどんどん遠くなっていって、
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「――本当にありがとうございました!!」
私は限界ぎりぎりまで腰を折って、頭を下げる。そんな私に、
「いやいや、気にしないでいいよ。いきなり倒れてびっくりしたけど、幸い軽い熱中症なだけで良かったね」
目の前で朗らかに笑みを浮かべるお兄さんは、私の恩人です。道ばたで突然倒れた私を介抱し、最寄りの病院まで運んでくれたなんて、いくら感謝しても足りません。
「本当に大丈夫? なんなら送ってくけど」
「だ、大丈夫です」
「……そっか。わかった。それじゃ気をつけてね」
お兄さんは私にまだまだ冷たい500ミリの新品のペットボトルをくれると手を振りながら去っていきました。
よかったぁ、体調を崩したのは私の不注意だったけど、それでもいい人はやっぱ世の中にまだまだいるんだなぁ。しかもこの街にいてくれたというのがまた嬉しくて。
温かい気持ちになるのを感じながら私は、お世話になった病院の名前を懐かしく思いながら、目的の家まで再び歩き始めました。
インターホンを押します。だけど、いくら待っても応答がなくて、私は自分のツイてなさを嘆きました。
途中少し迷子になりながらも、ようやくたどり着いたのに、まさか留守だったとは。
ようやく会えると思ったのに。
力なくため息もこぼれましたが、仕方ありません。
「――あのー」
「ひゃ、ひゃい!?」
もしや、不審者に間違われてしまったのかもしれません。私は目をつぶったまま振り返って、ち、違うんです。私は、この家の人の友達で、そんなつもりじゃなくてと弁明して、
――やっぱり君か。
予想していなかった言葉に、私は間抜けな言葉を出しながら目を開きました。
「――お、お兄さん?」
そこに立っていたのは、介抱してくれて、つい数時間前に別れたばかりのお兄さんでした。
「え、え、なん、で?」
それは俺の台詞なんだけどな……と、頬をかきながらも、お兄さんは説明してくれました。
なんでもこの家の人と夕方から地元の夏祭りに行く約束をしていて、迎えにきたお兄さんは門の前で立ちつくす私の姿を見つけて、声をかけてくれたのだそうです。
「そうだったんですか……」
あれ、ということはつまり、
「もしかして、――真姫ちゃんのお知り合いですか?」
驚いた表情でお兄さんは、そうだけど、君は真姫の……友達? と質問を返してきました。
友達。
どう、なんだろう。
私はそう思っているけど、真姫ちゃんはどう思ってくれてる、のかな。
――真姫ちゃんを初めて見かけたのは、中学三年生に上がった始業式の日でした。
クラスが変わり、全員が新しい出会いに浮き足立っているのに、ただ一人、窓際の席で頬杖をつきながら外を眺めている子――それが真姫ちゃんでした。
ざわめきの中でまるでその空間だけが切り取られて、一つの絵みたいで、私はついため息をこぼしてしまったことは今でも覚えています。
あのきれいな子は誰だろう。私は周りの子に尋ねました。
――ああ、西木野さん? たしか下の名前は真姫さん、だったかな。いつも一人でいるけど、すごいキレーだよね。それでいて成績はいつも一番だし、家も病院を経営してるらしくて、お金持ちらしいよ。
聞けば聞くほど別世界の人のようで、平々凡々な私からすれば雲の上の存在でした。それは私以外の他の人にとっても同じみたいで、特別って言葉が一番ぴったりくると思う扱われ方をしていたと思います。
何か芸術の作品みたいに、ガラスのケースの中にあってそれを眺めている。それでもきっと良かったのかも知れないけれど、私の身体は勝手に動いていました。
友達の止める声も聞かず、私はその席へと近づいて、
――真姫ちゃん。何を見てるの?
それが最初の言葉でした。はじめはまともに会話にならなくて、くじけそうになった時もあったけれど、
私は意識して、みんなが呼ぶ西木野さんじゃなくて、素敵な名前である真姫ちゃんと呼び続けるようにしました。
挨拶程度だった言葉のやりとりが徐々に増えていきます。きゅっと引き結んでいた唇が次第に笑うようになりました。
いつだったかそんな日々の中でふと真姫ちゃんはこう言いました。
「私と一緒にいると――変なふうに見られるかもよ?」
最初は憧れだったかもしれません。でも私は出逢ったときから、強く思ったんです。
仲良く、なりたいな。と。
だから――――、
「そっか……」
勝手に昔話をしだしたのに、最後まで聞いてくれて、すごく優しそうな顔で微笑んでくれたお兄さん。真姫ちゃんにとってどういう人なのかはわからないけど、やっぱりいい人だなぁ。
腕時計を見ながら、私は告げました。
「もうそろそろ行かないと……」
「あれ、待たないの?」
「はい……そうしたいのは、やまやまなんですけど……実はこれから私、外国に留学しに行くんです」
それは決めたこと、です。決まったこと、じゃなくて、決めたこと。でも、
「別々の高校に行ってから、忙しくて、なかなか会えなくなっちゃって。日本を発つ前に、どうしても真姫ちゃんに一度会いたくて来ちゃったんですけど。あはは……今日はツイてないみたいで、会えないみたいです」
どうしてだろ、語尾が震えちゃうな。
「色々とありがとうございました。尾崎って子が来たってことを、もしよかったら真姫ちゃんに伝えてくれませんか――」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
なんだか、くすぐったい気分だった。
普段は浴衣なんか着ないから、身を包む反物の心地よさに慣れていないせいかもしれない。
もう何度鏡を見たかわからないけれど、どこか変なとこはないかを確認しては、その度にすぐ大丈夫と納得する。
まったくなんでこんなことやってるのかしら。私は内心自分自身に呆れつつ、時間を確認した。
「え、嘘……」
お店の人に着付けを丁寧にやってもらっていたせいで約束の時間を過ぎていた。ある程度余裕を持っていたつもりなのに、和服がこんなに時間かかると思っていなかったせいだ。
とにかく、まず一言謝らないと。
私がスマートフォンをオンにすると、そこには何回も電話が来ていたという通知がいくつも表示されていた。発信元はいずれも先輩からだ。急いでかけ直す、コール音が鳴ったと思うとすぐに、
「――もしもし、真姫か?」
「ごめんなさい! ちょっと浴衣の着付けをしてもらってて、電話に出られなくて!」
怒られても文句は言えないと身を縮こめる私に、強い言葉は降ってこなかった。
「あのさ、少し二人きりで話したいことがあるんだ。先に神社行ってるから、本殿の裏の雑木林の方へ来てくれないか?」
「ええ? ……わかった」
何があったのだろう。普段の時のおちゃらけた声のトーンではないせいで、私は変と思いつつも、予定していた神社へと足を向けた。心なしか足取りは、駆け足になっていたと思う。
徐々に人が集まりつつある神社では祭り囃子が鳴っていて、参道に沿って集った屋台の客寄せと相まってこれぞ「祭り」といった様相を呈していた。その人々の合間を縫って私は指定された雑木林の方までやってきた。賑やかな所から、ほんの少し距離を置いただけで静かになるその場所に――先輩は立っていた。
「おっす。はは、それがさっき言ってた浴衣か、似合ってるよ」
「と、当然でしょ。でも、あ、ありがと」
誉めなかったら承知しないんだから! とそれまでは息巻いていたものの、実際口にされるとやっぱり嬉しいけれど、気恥ずかしい。
「遅れてごめんなさい。それで何?」
爪先で玉砂利を軽く蹴りながら、先輩はやっぱりどこか変な感じだったけれど、やがて私に歩み寄ると封筒を取り出して、
「ある人から渡してくれって頼まれた」
ピンク色のかわいらしい絵柄の封筒の表には、
『真姫ちゃんへ』
その柔らかく丸い字に、見覚えがあった。
「こ、これって……え? なんで?」
封筒と先輩とを交互に見ながら、どういうことかを把握しようと努める。だけど、先輩は無言でその封筒を差し出したままでいた。戸惑いつつもゆっくりと受け取って、中に入っていた便せんを取り出す。
♪BGM:Best Friend/Kiroro
『真姫ちゃんへ
突然でごめんね。
この手紙を読んでくれているということは、お兄さん、行人さん?(っていうらしいですね)がちゃんと真姫ちゃんに手渡してくれたのだと思います。たまたま知り合っただけなのに、色々とお世話になってしまって、行人さんには頭が上がりません。
なんでいきなり手紙なんかって思うよね?
実は、私、外国に留学することになったの。えへへ、真姫ちゃんのびっくりしている顔が目に浮かびます。そして、その出発は、今日です。
ごめんね。もっと早く言えなくて。
何度も筆を執ろうと思ったんだけれど、書こうとすると、なんて伝えればいいんだろう、真姫ちゃんはどう思うんだろうって考えると、文章が思い浮かばなくて、どうしても書けなかった。
こんな直前にならないと、意気地なしの私には、書けなかった。
そんな私が、どうして留学なんて大それたことをしようと思ったのか。
きっかけをくれたのは、真姫ちゃんだよ。
どうしてって真姫ちゃんは言うかもしれないけど、私ね、ずっと真姫ちゃんに憧れてたんだ。
いつも凛々しくて、間違ってることがあるなら指摘できる強さがあって、うらやましくなっちゃうくらい綺麗でって、うん、このぐらいにしておこうかな。
そんなすごい真姫ちゃんみたいになりたくて、トロい私なりに頑張って、やってみようって思ったの。
だから、ありがとう。真姫ちゃんのおかげで変われた人がここにいます。
やっと伝えたかったことが書けた気がするな。
しばらく、お別れするのは嫌だけど、またきっと会おうね。その時にはもっと私、自分に自信を持てるようになってるから。
真姫ちゃんもスクールアイドル頑張って!
行ってきます。
いつでも、どこにいても、応援しています。あなたの友達 尾崎まこ より』
いつも。
「まったく、なん、なのよ、これぇ……」
いつも、いつも、いつもそうだ。あの時、卒業式翌日の湯島天神にお礼に行ったときもそうだった。
――真姫ちゃん。私……本当は、真姫ちゃんと一緒の学校に行きたかった。真姫ちゃんと一緒に……音ノ木に行きたかったよ!
泣いて、しまうぐらいなら、
「なんで、……なんで、もっと早く言ってくれないのよ……わからないわよ。言ってくれなきゃ……わからないじゃない」
人付き合いが得意じゃなかった。言わなくても察することが出来るほど聡くもなかった。だから向こうから話しかけてくれる存在が、どれだけ嬉しかったか。後になってからじゃないとわからなかった、それこそが、
「友達、だったんだな」
本当に、そうだ。心から、そう思うから、
「うん……私にとって、最初の、本当の友達……っ」
今生の別れというワケじゃないんだから、泣かないの、西木野真姫。泣くなんて、らしくないじゃない。
ぬぐってもぬぐっても出てくる涙に耐えられなかった。
会いたかった。一度でいいから、会いたかった。
でも、その願いは叶わない。
「――だってさ、尾崎さん」
はずなのに。
先輩が後ろ手に回してた何かを私に向けて、
「――よかったぁ」
「ウソ……」
小さなスマートフォンの画面の中では、たしかに、あのいつもの天然そうな彼女の顔があった。
「まこ、ちゃん?」
「うん、ようやく、名前で呼んでくれたね、真姫ちゃん」
ビデオ通話だ。今、この場にいるわけじゃない。私がいるのは神社の薄暗がりで、向こうはおそらく空港にいる。物理的な距離だけを言うなら、何十キロも何百キロもある。
それでも、伝えられる。この気持ちを。
「ごめんなさい、ずっと謝りたかった。一度も……名前で呼んであげられなくて。まこちゃんはずっと私のことを名前で呼んで、くれてたのに」
「ううん、気にしないで、友達なんだから」
その言葉は、いつだったか私がまこちゃんに、一緒にいるとあなたまで変に見られると言ってしまった時に返してくれた言葉。
だって、大事だったから、迷惑をかけたくないと思って、拙なかったけど、素直には言えなかったけれど、精一杯の強がりで私は言ったの。なんでこんな言葉しか出せないんだろうって、後悔したけど、まこちゃんは笑顔で言ってくれた。
――気にしないで、友達なんだから。
あの時、私は言えなかった。けれど、今なら言える。
「――ありがとう」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
それから、まこちゃんの飛行機の時間が来るまで、私たちは取りとめのない話を続けた。校則の厳しい学校でも、抜け道はあってどうにかμ’sの音楽は聞くことが出来てたよ、とか。こっちの音ノ木坂の先輩にはどこかまこちゃんに似てる先輩がいて、いつも振り回されてる、とか。
でも、ライブの時もそうだけれど、いつまでも続けばいいと思う時間にも、やっぱり終わりというのはやってくる。
「行ってらっしゃい、まこちゃん」
「うん、行ってきます。真姫ちゃん」
言った後で、まこちゃんは忘れていたと慌てるように、
「そこにいるんだよね? お兄さん、じゃなかった行人さん! 私が、伝言だけお願いして行こうとしていたとき、『そういうのは自分で言わないと伝わらないよ』って引き留めてくれたから、真姫ちゃんとこうしておしゃべりできました。本当にありがとうございました! それと真姫ちゃん……」
画面の向こう側だというのに耳打ちするジェスチャーをしたので、私もスピーカーに耳を寄せる。
「真姫ちゃんが幸せそうで良かった。素敵な出会いがいっぱいあったんだよね? あんなカッコいいお兄さんはそういないよ! ファイト、真姫ちゃん!」
「なっ!?」
「――またね、真姫ちゃん」
通話が終了し、ホーム画面に戻っても私はずっとスマートフォンを握りしめていた。
まったく、突拍子もないことをいきなり言い出すあたり、本当にあの人に似てるんだから。
私に自分のスマートフォンを渡してから、少し離れていた先輩のもとへ、やがて近づこうとすると。
「…………」
距離を取られた。
「ちょ、ちょっと!?」
うつむいたまま、背を向けて、こっちを見ようとしない。その様子が、どうにも不自然だったから、
「もしかして……? 泣いてる?」
「い、いやいや、そんなことない。別に俺は今、顔ぐしゃぐしゃになんかなってない。ニ、ニヒルでクールだからな! 固ゆでなんだよ、俺は、か・た・ゆ・で!」
「なら、顔見せなさいよ」
「ダメ、今はダメ、無理無理ー」
まったく。鼻をすすってる時点でバレバレなんだから。私は巾着袋の中からハンカチを取り出すと、
「使ったら?」
瞬時にそれで顔面を拭き、チーンと鼻をかむと、ようやく振り返って、
「ふ、ふん、待たせたな」
「まだ目が赤いわよ」
「うそォ!? いやー見ないでーマキサンのエッチー!!」
まったくいつもはこんな調子なのに、まこちゃんにはどんな対応してたのかしら。私は嘆息しつつ、いつしか和太鼓の音も加わっている参道の方へと先輩の腕を引っ張り、
「せっかく来たんだから、楽しみましょ」
「っとと、あのさ、そういや、尾崎さん。お礼の言葉は聞こえたんだけど、その後は何を話してたんだ?」
首を傾げる先輩を横で見つつ、
――素敵な出会い、か。
「秘密、よ」
私はそう言って唇に人差し指を立てる。
Sidを読んでから、ずっと書きたかった短編です。執筆中もずっとKiroroのこの歌を流していました。よろしければ皆さんも聞いてみてください。