穂乃果を家まで送り届け帰宅した俺は、風呂上がりの頭を拭きながらスマホをいじっていた。
穂乃果がもしもスクールアイドルのような活動を新たに始めるなら、あの二人を誘わないはずがない。かしまし三人娘と言ってもいい、あの幼なじみの少女たちだ。
どちらも古い付き合いで、それこそ夕方になるまで泥んこになって遊んだとかそのぐらい幼い頃の記憶から持っている。
時刻は午後十一時前。本当ならどちらも連絡を取りたいところだが、おそらく床に就くのが早い海未のことだ。もうすでに夢の世界にいるだろう。あいつ睡眠邪魔されると般若化するからな……下手に携帯にメッセージを送って万一起こしてしまったら呪詛を送られかねない。
俺の人生の基本方針は「いのちをだいじに」だ。そう、若い身空でこの世を旅立つ気はさらさらないので――よし、今回はパス。
ことりの方はまぁまだ寝てないだろ、たぶん。試しに『こんばんは」とメッセージを送ってみる。
すると物の数秒も経たないうちに返信が来た。
『(。・ω・)ノ゙ コンバンワ』
お、やっぱ起きてたか。よかったよかった。
『久しぶり、今、少しだけ電話出来ないか?』
メッセージが既読になり、返信の代わりに俺のスマホが着信を告げた。
「もしもし、」
「あ……ゆーくん?」
なんでそんなおっかなびっくり第一声を発するかな。怯えさせるような真似をしてしまったかと後悔する。なんというかことりの声は、責めていないのに罪悪感をかき立てられやすい……気がする。
「ああ、久しぶり。夜分にいきなりごめんな」
「ううん、大丈夫だけど。どうしたの?」
まぁ世間話をクッションとして置くのもやぶさかじゃないが、時刻が時刻だしあらかじめ少しだけって言っていたので単刀直入に話そう。
「実はさ、穂乃果から聞いたんだけど、今音ノ木坂がピンチなんだって?」
「あ、……うん。穂乃果ちゃんから聞いたんだ。もしも今のまま、入学希望者が集まらないようなら三年後に廃校になっちゃうんだって」
消え入りそうな声音から、ことりの心痛が伝わってくる。ことりの母親は音ノ木坂の学院理事長だ。今回の事態に一番頭を悩ませたであろう人の一番近くにいる人間、それがことりなのだ。思うところはいくらもあるだろう。
またこいつも何かと周りの人間気遣って、一人で抱え込むタイプだからなぁ。
だから、言ってやらないとな。
「そうか……でも、そうはならないんだろ?」
「……え?」
「あいつが言ってたよ。スクールアイドルになって、学校を救ってみせるって」
通話口の向こうで、息を飲む音がする。
「俺が言うのもなんだけどさ、穂乃果は、やっぱ普通のやつらが無理だろうなって思うことに突っ込んでいけるやつなんだよ。それで痛い目見たりもするけど、最終的にはどうにかして結局丸い感じに収めちまう。そんなやつが、やるって言ったんだ。なら、きっとことりが思ってるようなことにはならない」
言いたい事を言うと、沈黙が二人を繋いだ。
あり、俺、なんか、変なこと言ったかも。カッコつけてたかも。いや、てか思いっきりだな!
慌てて取り繕うように、
「ええと、そうそう、あれだ、うん、俺も手伝うしさ。つかそうだよ、それつたえるんだよな。えと、はは、そうだ。休みの日とかさ、練習場所に困ってたらしくてさ、俺ん家の庭使うことになったんだよ」
ああ、やばいなんかどんどんテンパってきた。口ばかりが勝手に回る。
そんな俺に冷水をかけるように、耳元を笑い声がくすぐった。
「くすくす」
「あ~、もうあれだ、今の全部忘れてくれていいや」
「……そんな事しないよ。ずっと覚えてる」
いや、結構忘れてほしいんすけど……ホントに。口が引きつるのを感じつつ、
「今のゆーくんのお家で練習できるって話は、本当、なんだよね?」
「ああ、さすがに嘘は言わないよ」
「うわぁ久しぶり~、楽しみだなぁ」
「期待されるような設備はなんもないけどな。えっと、確認してなかったけどさ、ことりも海未も穂乃果と一緒にスクールアイドルやるんだろ?」
これではずしてたらいよいよ俺は豆腐の角に頭をぶつけたほうがいいな。
「うん、わたしも、音ノ木坂が大好きだから!」
……よかった~と、内心の安堵を悟らせないようにしていると、
「ゆーくん、ありがと」
ぼそっと言うものだから。気恥ずかしくなって頬を掻いてしまう。
「まぁ要するにだ。なんで電話しようと思ったかって言うと、その事と……応援してるからがんばれよって言ってやるかって思ってさ。ただ無理はすんなよ。お前ら三人組は俺からしたら見ていて危なっかしいんだ」
「え~、ことりはそんなのわかりませ~ん」
「とぼけんな。忘れてねぇからな。お前たちが幼稚園ぐらいで、公園で遊んでたらいつの間にかいなくなっててさ。必死に探したら、でっかい樹の枝の上に乗ってた時は心臓止まるとこだったわ」
あれは忘れられない。ここら辺の子供たちの中じゃ俺が一番年長だったからな。穂乃果たちと比べればたかだか一コ上なだけだが、子供の時分の一歳上というのは随分と違う物だ。扱いもみんなのお兄ちゃん的な扱いをされる。ええ、そうなると子供だから増長して、年上ぶるというわけですね。なので率先して皆の面倒を見ていたわけですよ。
そう、そんな俺に面倒をかけるのが毎回決まって……穂乃果、海未、ことりの三人組だった。
今でこそ、穂乃果のストッパー役として機能している海未も小さい頃は凄い引っ込み思案だった。とにかく良くも悪くも突っ走る穂乃果にくっついているせいで、海未もだいぶ迷惑を被っただろう。ことりは時々悪ノリするくせがあるからな、同情すべきかは少々審議がいる。
「懐かしいな……ゆーくんは覚えてる? あの時の夕焼け」
「悪いが俺はそれどころじゃなかったんでな……景色を見る余裕はなかった」
こいつらを見つけたら、いきなり枝が折れるんだもんなぁ。止まった心臓を吐き出す所だった。間一髪で穂乃果は上の枝を掴み、海未とことりは幹にしがみついてそのまま滑り落ちてきたからよかったものの、とっさに二人の下敷きになった俺は普通に打撲を負った。
おまけに無事に連れ帰ろうと思ったら、涙目の二人とケロッとしてる一名、大木の枝が折れている状況証拠、そして何故か薄汚れている俺という構図の所に他の子供たちが呼んだらしい親連中がやってきた。
俺の必死の弁解もむなしく、女の子を泣かせるんじゃないというお袋の愛の鞭によってめでたく打撲の数は追加された。
「改めて考えると、苦すぎる思い出だ……」
「私は今でも覚えてるよ。凄くきれいだった」
おい、それはそれでいいけど、一人の尊い犠牲の上に成り立ってるからな。勝手に風化させんなよ。泣いちゃうぞ。
「はぁ……まぁそんぐらいだよ、用件は。お前らはもう明日から行動すんのか?」
「うん、明日は学校の前に穂乃果ちゃんと海未ちゃんと朝練があるから……本当はもう少しゆーくんとおしゃべりしたいんだけど……」
「あーあー気にすんなって。お前はいちいち考えすぎなんだよ。俺のことはあれだ。王様の耳はロバの耳だって叫ぶ穴のようなもんだと考えてくれ。だから、いつでも愚痴でもいい世間話でもいい、なんでも聞いてやるからとにかく抱えすぎんなよ?」
再度の沈黙。ね、寝落ちじゃないよな? などという考えがかすめた矢先、
「……ゆーくんはいつも、私が言ってほしいなって言葉を言ってくれるね」
――どういう意味だと聞き返すより先に、
「おやすみ、今日はいい夢が見れそうな気がするな」
「……ああ、おやすみ。風邪ひくなよ」
通話終了のボタンを押した俺はスマホを布団へと放った。まぁ深く考えないでいいか。はてさてこのまま俺もダイブして寝ることも出来るが……その前に、
「調べ物をしてからだな」
いそいそと検索ボックスにキーワードを打ち込み始めた俺をよそに、絶えず時計の針は進んでいく。
結局、その日俺が布団の中に入ったのはことりとの電話から一時間以上経ってのことだった。
うっちーの脳トロボイスを文字で再現するのは至難の技ですぞ……