電話が鳴っていた。
奇しくも、ちょうど買い物から帰宅した彼女を迎える形となっている。彼女は所帯じみたスーパーの袋の中から、牛乳や豆腐、野菜といった冷蔵庫にすぐに入れなければならない物のみを手早く詰め込むと、はいはいはいとおざなりな返事をしながら受話器を取る。
もしもし、日高です――――って、
え、今、時間大丈夫かって? 大丈夫よ、専業主婦様はね、基本ヒマなの。今だってちょうど街をぶらつきながら夕飯の買い物してきたとこ。
晩ご飯の支度? いいのよ、どうせ帰りになんかつまんでくるでしょ、あの子。それにステイって言ったらちゃんと我慢するわ、それくらいしつけてあるし。
あはは、それで、何?
……お礼?
あはは、何バカなこと言ってんのよ。穂乃果ちゃんにお礼を言いたいのはむしろこっち。
……ありがとね。音ノ木を助けるために、立ち上がってくれて。
あはは、私に言わないでよって、いーじゃないの、元生徒会長さまの娘なんだから、あんたの育て方が正しかった証拠よ。ホント……嬉しかったわ。
お互い酸いも甘いも、思い出みんなあそこに詰まってるもんね。
しかもそれは二代続けて……あんたんとこは三代か。それはちょっとうらやましいかなぁ。あの子が女の子だったら、間違いなく音ノ木坂行かせてたし、というか行くだろうし。
くすっ、それは困るって? まぁそれはそうかもねー。
懐かしいなぁ。ウン十年経った今でも、やっぱ昨日のことみたいに思い出せるもんね。……はいはい、ウン十年じゃないです、あたしが悪うございました。まったくそんなこと言ってると小じわが増えるわよ。
うっ、ちょっとこれは諸刃の剣だったかも。
――まぁそんなことはいいのよ。
覚えてる? うちらが生徒会やってたときも一回だけそんなの噂が流れたの。
うん、今でいうチェーンメールって言うのかな? いわゆる不幸の手紙ってやつね。あれもそうだけど、結局ありもしない噂話がどんどん勝手に広まっていっちゃうのよね。
で、『音ノ木坂学院が廃校になる』なんて噂が、どこの誰が流したのやら……流れ始めた。
ある日いきなり、学校に登校してきたら、その話題で教室中が持ちきりなんだもんね。いつも昨日のテレビのアイドルが格好良かった、かわいかったとかそんなような会話ばっかりなのに。
そりゃ、あたしも面食らったわよ。いきなり挨拶もそこそこに「ねぇ、なんかうちの学校が廃校になるって聞いた!?」って、――何よそれ!? ってなるわよ。
今にして思えば、そんな訳あるはずないって笑い飛ばせるけど、やっぱりあの年頃ってなんていうか、変に純粋だったから、本当にそうなんじゃないかってみんな信じ込んでた。
今の子たちはどうなのかしらね。色んな情報が氾濫してるけど、逆に耐性あったりするのかしら。
――ま、いっか。
えーと、そう、それでそんな噂に立ち上がったのが、我らが生徒会長様。そ、和香、あんたよ。
あたしより後に登校してきて、学校中を席巻していたその噂について教えてあげたら、驚くより早く、
「――そんなこと絶対させない!」
これよ。いやぁ、あの時の和香は本当にかっこよかった。いつも一見真面目そうだけど、付き合ってみたらわかる全然そんなことない抜け作っぷり――あはは、許してね。あんたには迷惑もかけたけど、それ以上に
それなのに、まったく、ああいう時はいっつも真っ先に立ち上がるのよね。
すぐにそれ以上噂を広めないように各教室に説明しに回ったっけ。大人たちは悪なんて前時代な価値観がまだまだはびこってた時代だったもの、不良も多かったし。
だから、先生たちにナイショで、出来ることをやろうって言い出したのもあんた。
具体的な行動を考えたのは、瑠璃。
苦笑しながら、縁の下の力持ちをするのがひな子。
で、どういう訳だか色んなとこに振り回されるのがあたし。
――ちょっと笑わないでよ。あたしだって我慢してるんだから。
カエルの子はカエルなら、カエルたちのグループはもちろんカエルたちのグループなのよね。血は争えないというかなんというか……穂乃果ちゃんたちを見てるとそう思うわ。
まぁでも、あたしたちの他にも生徒会のメンバーは後輩ちゃんたち含めて頼りになったけどね、
生徒指導の先生に見つからないように、こっそりと学校存続のための署名活動とか今思い出しても勇気あったわね……我ながら若いって恐ろしかったわ。でもあの手この手を駆使して、全校生徒の八割――
さっすが。覚えてる、か。
807人。
凄い数よ、ほんと。まぁあの頃は今より生徒も多かったけどね。集まった署名用紙が電話帳みたいになってて、放課後まで居残って、紐で綴じたの覚えてる。その後のささやかな自分たちだけの打ち上げもね。全員満身創痍だったけど、やり切ったって充実感に包まれてた。
――うん、まぁ全部無駄になったんだけどね!
そりゃそうよ、だって根も葉もない噂だもん。昔のハゲ親父だった理事長の所まで乗り込んでって、あんたが署名を突きつけた時の、は? っていう腹立つ表情、あぁもう! いまだにイラつくわね!
はぁ……そうそう、こってり絞られたわよ……思わず嘘泣きでもしてやろうかと思ったわ。
それで、その後、全校生徒に説明しろって言われて……、
はい、そう、あんた。
あんたの追い込まれてからの、ここ一番って時は尊敬してるわ。
壇上に上がって、ざわつくみんなに一言。
「――皆さん、やりました!」
しおらしくしていた、あたしたち生徒会メンバー全員漏れなく吹き出したわよ、そりゃ!!
やめてよ恥ずかしいって? お断りよ、これでも褒めてるつもりなんだから。
それにあの割れんばかりの拍手と口をあんぐり開けてる先生たち。さいっこうに気持ちよかったもの。もう十回くらいやりたかったくらい。
――なんてね。
あーやだやだ、なんか、やっぱ年取るごとに昔話が長くなってる気がするわ……ってやめやめ、歳の話終わり。
……穂乃果ちゃんは凄いわよ。あの頃のあたしたちはあくまで学校の中だけで完結してた。だけど、穂乃果ちゃんたちは大変よ。学校の中だけじゃなくて、外まで戦っていかなくちゃいけないんだから。それの怖さ、どれくらいなのかしらね。
――うん。
あたしも信じてるわ。だって、穂乃果ちゃんの目、昔のあんたと同じくらい輝いてるもの。いやむしろ、勝ってるくらいよ、なんてね。
……大丈夫よ。そんな戦い、一人で戦わせるわけないじゃない。海未ちゃんもことりちゃんも、隣についてる。あの子だって……まぁ色々あるけどね、それくらい言わなくてもやれるように今まで育ててきたつもりよ。
だから、あたしたちはどーんと構えて、穂乃果ちゃんたちをただ信じて応援してればいいの。
――、ふふ、最初も言ったでしょ。こちらこそ、ありがと。
今度そっちが暇なときぜひお茶しましょ、うん、うん。
「ただいま――、お袋ー、ちょっと穂乃果たちと打ち合わせするから晩飯遅らして……って、お電話中ですかお母様……」
「お邪魔しまーす!」「お邪魔します」「お邪魔します♪」
「あーあー、しーっ、しーっ、お前ら静かにしろって。そういうの大事だけど」
背後から聞こえてきた声に、彼女は笑みを浮かべると、
「晩ご飯、うちでご馳走してあげてもいい?」
ありがと。一言告げて、そっと受話器を置いた。
そして、自信を持った表情で一つ頷くと、振り返る。
「お帰りー行人。それに穂乃果ちゃん、海未ちゃんも、ことりちゃんも。晩ご飯、腕によりをかけて作るから、がっつり食べて、がんばってね」
――応援してるわ。
時には毛色の違ったお話を。
いやぁ、書いてみたいお話だったので、つい。本編マダァな方はごめんなさい、も、もちろん、書いてますヨ。
前話で非常に多くの感想や評価を頂きました読者の皆様、そして本作の推薦をしてくださったko.taro様、本当にありがとうございます。毎回、新しいのを頂く度、小躍りしています。
この作品を楽しく書けているのも皆様のおかげです。これからもお付き合いよろしくお願い致します。