俺が啖呵を切った後、辺りは水を打ったような静けさに包まれていた。
「――はぁ、みゅーずぅ?」
片眉を上げる、
「なんや、みゅーずって。石けんか?」
「ちっがうっつーの!! こう、あれだ、ギリシャ文字のM、アルファベットの小文字のuみたいなミューにだな」
空中に指で書いてみせるが、首を傾げるばかりでわからないらしい。うぐぐ……ここまでしてやる義理はまったくないがしょうがないので、俺はボディバッグからメモ帳を取り出しさらさらっと書き記すと、紋所さながらに突き出した。
「こうだ」
「ほぁ……こう書くんか」「へぇ~」
ふふん、ようやく理解が及んだようだ。感心したような紅尾と、同じ顔をする隣の綺羅が…………ん、ほわーい、
「ちょ、なんであんたまで……っ」
「あ、どうぞどうぞお気になさらず~続けて続けて」
何事もなかったように元いた位置に戻ると続きを促される。いや完璧に今ので空気ぶっ壊れたんすけど。
「ほんで、そのμ’sがなんなん?」
「いや、だから、そのぅ」
燃え上がった気炎は鎮火してしまいました。どなたかガソリンをいただけますかー!?
「その名前が出た
クールガイ日高行人、現在全力で揉み手中である。や、今のこれは世を忍ぶ仮の姿だから大丈夫、大丈夫、ノーカン。
「じゃあランキングは」
「は、……ランキングと申しますと」
お願い的なアレ?
「Gステのスコアランキングに決まっとるやろ。そんだけゆーからには、最低でも500位ぐらいにはとーぜん入っとるんやろうなぁ」
スコアランキング。
たしかフォローするファンの数やライブの実績、大会の成績などを総合的に評価されはじき出されたスコアをランキングにした――たしかそんなページがGステの中にあった気がするが1位が案の定A-RISEなのを確認し、後は適当に流し見しただけだ。ランキングも何も生まれたてで正式登録もまだな状態のμ’sにはまったく関係のない話だったのだから仕方あるまい。
だから言いようがなかった。
「いや、えーと」
「ハッ、どうせそんなことやろーと思ったわ」
あんなぁ、と紅尾は、
「Gステ500位以下なんて、寄せ集めのカスみたいなもんやで?」
さっきは一気に頭に血が上ってしまったが、いったん冷静になった今、すぐさま食ってかかりはしない。だが、なんでこいつはそんな偉そうなんだ。
「大層なこと言うからにはお前、
ない胸を張り、鼻高々と、
「に「2位ですよ、そこの彼女のいるONE-kissは」
冷たいナイフのような口調で千歳さんは紅尾を遮った。もしかして、キレてます? と尋ねたくなるぐらいにはまとった雰囲気が氷点下に達しそうである。
しかし、2位というのは本当だろうか。だとすれば、全国にウン千組といるスクールアイドルの頂上にいるワンツーが今、この場にいるってことになる。さっき紅尾が自分の顔を知らないのは信じられないといった反応を示したのはそのせいか。さっきのA-RISE側の会話を察するに、まだ1年の新入りっぽいが全国2位という自信があるのならば、理解出来なくもない。
「あんなぁ……そらアンタら1位様からすれば下に見えるんでしょうがぁ――そんな顔されるとごっつ腹立つわぁ」
「あら、それはあなたがしていた事でしょうに。自分がされて嫌なことは、相手にしてはいけないと教わらなかった?」
やだ、千歳さんかっこいい……、いけーその調子だーやれやれー!!
「はいはいそこまでそこまで。文ぽんも落ち着いて」
綺羅さんになだめられ、千歳さんは眼鏡の位置を直す。一見クールビューティーのようだが、第一印象を改める必要がありそうだ。
煽り煽られ紅尾の顔が怒りに染まる。しかし綺羅さんが、
「いやーごめんね紅尾さん。それでPVの件なんだけど」
「そんなんいらんわ。東京くんだりまで来たんは、さっきの宣戦布告をするためや。第一ONE-kissのアタシがアンタんとこのPVに登場するなんてどんなスペシャルこらぼれーしょんやねん。敵のPVに登場して花を持たせるなんできるか!!」
やれやれと統堂さんが肩をすくめる。優木さんは変わらず微笑を浮かべたまま。綺羅さんは手を頭の後ろで組み、
「うーん、それはそれで面白いと思うんだけどなー」
ピシャリと千歳さん。
「ツバサ」
「はいはい、わかってますよぅ~」
じゃあと、緩みきっていた顔が変ずる。たったそれだけで周囲の雰囲気も一変する。
気づけば、俺も後ずさっていた。
恐い? いや、そんなはずはない。せいぜい150センチ前半であろう、小柄な少女に怯える理由がない。なのに何故、俺は、生唾を飲み込むのだろう。
きっとそれは、あえて言語化するならば個の人間としての存在感、あるいはオーラとでも呼ぶべきものに本能的に屈しているからだ。
器が違うという言葉があるように。
綺羅ツバサという少女の器が内に抱えるナニカが他者、それこそ俺ごとき凡百の器に注がれた時、容易く溢れてしまう。彼女に――飲まれてしまう。
「
――かかっておいで?」
女王の返答が発された。
同時にゾクッと腰のあたりから鳥肌が上ってくる。
途轍もない化け物がこっちを向いた。そんな感覚。
何が思ったよりもオーラがなくて拍子抜けだ。数分前の俺をひっぱたいてやりたい。ひれ伏しそうになる圧倒的なカリスマ。何千、何万というファンを魅了する人間が、ただの女の子なわけがない。
しかし、対する紅尾は圧倒されつつも、攻撃的な笑みを浮かべて、
「……上ゥ等ォ――ッ!!」
そう吠え、やるべきことはやったとばかりにA-RISEに背を向ける。うなじから垂らされた三つ編みがその勢いによってふわりと上がり俺の鼻先をくすぐりそうになる。
入り口にいた店員さんも慌てて道をあけるようにどく。闊歩する紅尾を邪魔するものは、
「そうだ紅尾さん、一つ教えといてあげる」
綺羅さんの言葉。
「……なに?」
歩みを止めた紅尾は振り返らず聞き返す。
「下から這い上がってくる人たちをあんまりナメてると足下をすくわれちゃうよーってね。たとえばぁ……」
あ? 何故そこで俺を面白そうに見る。
「――そのμ’sの高坂穂乃果さん、とかね」
おぬしなに口走ってんのとツッコむより先に、ギィと歯を食いしばる音がし、
「……いちおー覚えといたるわ。そいつの名前」
関西娘、
完全に置いてけぼり状態だった他の三人の女性ファンたちへのフォローを即座に行うべく、まず動いたのは千歳さんだ。
「お騒がせしてすみませんでした。それではこれから順番にツーショット写真撮影やサインを執り行いたいと思います」
頭を下げ謝罪をすると、本来の予定をようやく始める旨を述べる。これでようやく嵐は去ったのだろうか、後は適当に堪え忍べば解放されるのだろうか。帰ったら間違いなくベッドに倒れ込む、俺の気力よ、それまで持ってくれよ……!!
そんな天に届けようとした祈りは、
「じゃあ、キミからね」
腕に絡んできたナンバーワンアイドルによってはじかれた。ただでさえ疲労している脳の処理が完全に追っつかない。
「え、ちょ」
「英玲奈、あんじゅはちょっちお願い。文ぽーん」
俺以外のファンへの対応を統堂さん優木さんに頼み、あだ名を呼ばれ、嘆息しながら千歳さんがこちらにやってきて、
「ジャンケンに勝った紅尾さんが辞退されたということで、PV登場の権利はあいこだったあなたが繰り上がりってことになります。おめでとうございます」
「……は?」
いや、いやいやいやいや、
「いやー、めでたいねぇおめでとー!!」
ちっとも、まったく、皆無。嬉しくない。周りの皆さん、拍手しないで、やめてお願い。これは何、ドッキリ? 悪夢? ナイトメア?
「後で、お手数ですが連絡を頂けますか。こちら私の連絡先です」
ブレザーの内ポケットから取り出した名刺を千歳さんは俺に差し出してくる。反射的に、両手で受け取ってしまう。肌触りのいい上質な紙には『UTX学園 スクールアイドル A-RISE 専属マネージャー
そしてその下には千歳さんの携帯番号やアドレスと思しき英数字が並んでいる。やった、眼鏡美人の連絡先ゲットだぜーなどと普通ならスキップで喜ぶはずでも、まったく気持ちが高ぶらない。これが普通の出会い方なら、A-RISEの関係者などという余計なのなしでボーイミーツガールしたかった。
俺もいらんわと辞退したいくらいだが、紅尾の場合はイレギュラーもイレギュラー、二人も辞退したらアライズの面目丸つぶれである。この状況下でノーと言える日本人になれたら俺は、そいつにこの権利を喜んで譲渡します。
「は、はは、ど、どーも~」
ひとまず頂戴すると千歳さんに微笑まれてしまう。やめてそんな顔しないで、心が揺らぐでしょ!!
財布の中に丁寧にしまうと、綺羅さんに引っ張られるまま、いつの間にか構築されていた撮影スペースへ立たされる。
ポラロイドカメラを構える店員さんが撮ってくれるらしく、おそらくその場で出来たてほやほやの写真にサインしてもらうという流れになるのだろう。
しかし、いかんせん勝手がわからん。だってしょうがないんです、初めてなんです。そんなカチンコチンな俺に、
「あはは、別に写真を撮るだけだよ」
そこにはアイドルという言葉が挿入されるのはわかっておいでですかな、このお嬢さん。と、
頭では反論したくとも口には出せない。
だって、密着してるから。
ダメダメ、これダメだわ。なんかいい匂いするし、柔らかいし。頭がフットーしそうだよぉ!!
ほわわぁ~んてしちゃう、マジで。
店員さんも苦笑してらっしゃるが、いや無理だから、だって男の子だもん。
「キミ、携帯は持ってる?」
「持ってますけど……、も?」
手の平を出されたのでスマホを載っけると、
「すみませーん、こっちでもお願いしまーす!!」
哀れ我がいとしのスマホちゃんは店員さんのもとへと心変わりしてしまった。
なんということでしょう。え、もしやあれでも写メるのか?
もはや
「それじゃ撮りまーす」
アホなことを考えていたら心の準備が出来ずじまいで進行する。
「はーい、どうぞー」
俺の腕に抱きついたまま、ピースする綺羅さん。
俺は何、どうすればいいのん? こういう時の正解のポーズって何。ピース、サムズアップ、変顔、アイーン、ウィッシュ、選択候補が次々と脳裏をよぎり、
血迷った俺は、指鉄砲を作り、親指の上に顎をのせるシャキーンのキメポーズで激写された。
一枚撮られた瞬間に凄まじい後悔が襲ってきたのでポーズを変えようとしたら、同じく変えようとした綺羅さんとタイミングが重なり、
――思わず二人して見つめ合いながら笑ってしまった。
瞬間、店員さんは華麗な手さばきでカメラから俺のスマホに持ち替えて既に撮影を終えていた。なんか非常にイヤ~なタイミングだった気がしてならない……、これからはスマホにはパスコードをかけることを固く誓った。
カメラから排出された写真と共にスマホを返されると、すぐさまマジック片手の綺羅さんに写真を抜き取られた。
「キミ、名前は?」
「え?」
「や、ほら最近は結構私のサインとか転売されてることも多くてねー。やっぱそれって悲しいし、せっかく書くならその人に宛てて書きたいなって思ってるわけなのだよ、ウン」
さいですか。まぁそう言う理由ならわからなくもない。実際有名人のサインってよくネットオークションとかで取引されてるみたいだしな。
「日が高いって書いて日高、行う人で行人」
「ほいほーい、サラサララ~って感じで、はい行人くん」
あっさり名前で呼ばれたせいで、反応が遅れた。
いらないの? とでも言いたげな顔をされ、慌てて俺は写真をもらう。その反応を正直だなぁと笑い、彼女は、
「もしも、推しが英玲奈やあんじゅだったら、私でごめんね~。あ、まぁでも大丈夫か」
一人、面白そうに繰り返し頷く。次の人が待っているのでスペースから移動するよう店員さんに指示され、俺は怪訝に思いつつも動こうとして、
「――次会った時は、高坂さんの話、聞かせてね」
振り返った時、すでに次のファンと会話を弾ませていた綺羅ツバサに、俺は、
決して抜け出せない底なし沼に片足を突っ込んでしまったような、そんな気分を抱く。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「――どうかしたの」
え、と凛は半歩先を行く真姫の声に振り返る。
「店を出てから、後ろを気にしてばかりいるけれど」
「え、あ、そう、だった……?」
「ええ」
自分では気づかなかったが、言われてみればたしかに何度も後ろを振り返っていたかもしれない。指摘されたということは、近くにいて気になるぐらいには同じ行動を繰り返したのだろう。ちょっと恥ずかしかった。
凛、真姫、花陽の三人は握手会に参加し店を出た後、そのまま流れで大通りを歩いている。歩行者天国となり、うごめく人の波と化した通りの端に寄りつつ、時折街頭に出て客引きをしているメイドや人目を集めている親子コスプレイヤーなどに視線をやり、凛は改めて秋葉原はスゴい所だと感じていた。
「……もしかして、あの男になんか変なことでも言われたの?」
不意に真姫がそんなことを言う。
「や、やだなぁ、どうして? 西木野さん」
まだ入学してそう時間は経っていないものの、既にクラスの中では若干浮いた存在として見られている真姫の発言の意図が読めなくて、――事実、言い当てていた部分もあったからなのだが、凛はうろたえた。
「当選番号が発表された後くらいから、なんか様子がヘンだったから……別に、私の勘違いならいいんだけど」
「ああ、いや、うん、そういうわけじゃないん、だけど」
意外だった。だって、……友達というわけじゃないのに。そんな他人のことをつぶさに見ているなんて。いつもつまらなそうに窓の外を眺めている教室の真姫からは想像できなかった。
「――言われてみるとそうだよね。凛ちゃん、大丈夫?」
「か、かよちんまで!? もーっ、凛は大丈夫だよ!!」
A-RISEと握手をしてからというもの、ずっと夢の世界へ旅立っていた花陽がようやく返ってきた。大好物のごはんを頬張っている時と同じくらい幸せそうな表情をしていたから、よほど嬉しかったのだろう。
「でも……、日高さんの言ってた、あの時の子ってどういう意味だろう」
たしかに気になる。実はどこかで見かけて知っていたということなのか。
露骨な咳払いに注意がそちらに向く。
「た、たぶんあれじゃないかしら、ほら、私とあいつが前あそこでA-RISEのCDの初回版を取り合っていたでしょ? その時、小泉さんもあの場にいたから」
「え、あ、あの時の人が日高さんだったのぉ!?」
そっかぁ、と納得した花陽には見えない角度で、なんで私がフォローを……などとぼやく真姫に、凛は不思議そうに首を傾げている。
「と、とにかくあの男にあんま近寄らない方がいいわ!!」
「え、でも……そんな悪い人には見えなかったけど」
「そんなの見た目だけよ。内側では何を考えてるかわからないわ」
「そ、そうかな?」
初めて真姫に反論するように、凛は口を挟む。
「星空さん……?」
「あ、いや、そのね、見た目とのギャップが激しい人ってのももちろんいるけど、そうじゃない人も一杯いるんじゃないかにゃーって思っただけ、思っただけだよ!!」
胸の前で両手を振るって、あくまで思っただけと強調する凛を、じっと見つめていた真姫はやがて目をそらすと、
「それじゃ、私はこれで」
なんとなく一緒に歩いていたが、ここで別れようと二人の進行方向とは違う路地へ身体を向ける。
「――あ、」
「なに?」
何事かを口にしかけた様子の花陽に、歩み出す前だった真姫は尋ねる。
「あの……クラスでも、西木野さんに、話しかけても……いいですか?」
以前言えなかった言葉を花陽は吐き出した。
沈黙。
返答の代わりにわかりやすく朱に染まった顔で、
「す、好きにすれば……!!」
まるで逃げるように真姫は駆け出す、あまり体力に自信がある方ではない身体がストップと訴えるまで走り続け、最後に角を曲がり、後ろに誰もついてきていないことを確かめてから、彼女は電信柱にもたれかかり息を整える。荒い息の合間に聞こえてくるのは、こみ上げてくる気持ちを抑えきれない、
フフ、という笑い声だ。
珍しい誘いだった。
ひな子の方からことりに、たまには親子二人きりで外食をしようと切り出してきたのは何ヶ月ぶりだろうか。最近は本当に、毎日のように音ノ木坂の存続のために方々を駆けずり回っていることは知っている。朝はことりが起きる頃にはすでにスーツ姿で化粧をしていて、夜はことりが風呂に入り、明日の宿題だなんだを片付けている頃に玄関から物音と共にため息が聞こえてくる。
疲れた様子を見せぬよう気を遣ってくれているのはわかっていても、少し痩せたその顔を見ているとことりは何も言えなくなってしまう。
そんな日々を繰り返す中で、何か自分にしてあげられることはないのか模索していたことりにとって、母からの誘いを受けない理由はなかった。
行人の家での練習を終えて、しばらく書店などで時間をつぶすと、待ち合わせ場所の秋葉原駅前でことりはひな子を待つ。休日なのに、いや、休日だからこそ、と午前中は支援者との会合に出席していたひな子が現れたのは、予定した時刻を一時間以上過ぎてからだった。
「ごめんね、ことり!!」
「ううん、大丈夫だよ。お母さん。メールしてくれたし」
タクシーから飛び出てきたひな子は勢いよく謝罪する。直前に送られてきていたメールには、よほど急いでいたのが窺える誤字が多々あり、またその文面から伝わってくる申し訳なさにことりは事情を察していた。会議が長引くのは結論が導き出されないからだ。そしてそれはすなわち、それだけ音ノ木坂の窮状を表していることに他ならない。
どれほどその細い身体で戦ってきたのだろうか。
お疲れ様の言葉でどのくらいいたわれるのかわからない。それでも投げかけると、ひな子は疲れを吹き飛ばしたかのように笑ってくれる。
「じゃあ行きましょうか。ことりは何が食べたい?」
「私はなんでもいいよ。お母さんが食べたいものが、食べたい、かな」
「そう? それじゃあ今夜は――」
再び、タクシーに乗り込み行き先を運転手に告げたひな子は、
「フレンチにでも、しましょうか」
ソムリエの手によって、グラスに白ワインが注がれる。
ありがとうとアルコールによって紅潮した頬を緩ませて、ひな子は眼下に広がる東京の夜景に見とれている娘に、
「そう言えば、ことり」
「うん、なに?」
宝石箱と形容しても過言ではない光景から目を離し、ことりは対面に座るひな子に向き直る。ホテルの高層階にダイニングを広げるフレンチレストラン。周囲を見回せば、誰も彼も身なりの整った紳士淑女ばかりで、女子高生相応の私服のまま訪れてしまったことりは萎縮してしまった。こういった場所はひな子に連れられて度々経験があるが、いまだに慣れない。普通のファミリーレストランとかでも私は全然構わないのに、と、ことりは思う。
とはいえ、そんな気分も一口料理を味わえば、吹き飛んでしまった。見た目も美しい料理の数々は、味も当然のように笑顔にならざるを得ない素晴らしい物だった。
「この前のライブの衣装見たけれど、凄く可愛かったし、よく出来ていたわ」
「あ、ありがとう……」
面と向かって言われるとやはり照れる。
「やっぱり将来はそっちの道に興味があるのかしら」
「うん……今のところはだけどね」
ワイングラスを傾けながら、ひな子は、
「実はお母さんの知り合いに海外でファッションデザイナーをやっている人がいるんだけどね。その人に今までことりが縫い上げた服の写真を一度送ってみようと思うんだけれど、構わない?」
「え……」
それは、どうなのだろうか。
プロの、しかも海外で活躍しているデザイナーの人に自分のデザインを見てもらえる。そんなまたとないチャンスなのは確か。だけど、そんな大それた事をしてしまってもいいのだろうか。
いつものことりならば、ここで躊躇しただろう。だが、この時だけは違った。
もちろん昔からの夢だからというのもある。しかしそれ以上に、スクールアイドルを始めて、隣に並ぶ幼なじみ二人に改めて思うようになっていたのだ。
――穂乃果ちゃんは、いつも私を引っ張ってくれる。そして、その行動力でどんなことでも成し遂げちゃう。
――海未ちゃんは、いつも正しいことを教えてくれる。そして、そのまっすぐさは私が倒れそうになった時でも強く支えてくれる。
そんな二人に比べて、私はどうなんだろう。私に出来ることといえば、少し人より洋服が好きで、少し縫えるくらいで。とてもじゃないけど、自信は持てない。
でもそれを褒めてくれるゆーくんや、お母さんがいてくれる。
――なら、がんばってみようかな。
どうせ素人の学生なのだ、プロから褒められるはずがない。ちょっとぐらい勇気を出してみよう。
そんな思いが、紡がれる。
「えと、じゃあ、お母さん、よろしくお願いします」
食事を終えた、ことりたちが秋葉原へと戻ってくる。自宅のマンションの前までタクシーで届けてもらい、ひな子が料金の支払いをしている間にことりは車を降りた。
ついさっきまでは見下ろしていた風景も、こうして地べたに足をつければ見上げる形になる。
そんな不思議な感慨を抱きつつ、くるくると軽い足取りで回っていると、
誰かにぶつかった。
「きゃ、ご、ごめんなさい!?」
慌てて、謝ることりの目の前でその誰かは、
「………………あかん、もう、限、界…………」
ゆっくりと地面に倒れた。
◆#19 クロスエンカウンター◆
【あとがき】
みなさんのリクエスト全て目を通させて頂いております。ニヤニヤしてしまうようなアイデアの数々ありがとうございました。
発表のタイミングはまだまだ先になるとは思いますが、私も書くのが楽しみです。
うぅ、ずびばぜんちょっと11話のせいで、顔面大洪水状態でして……
ま、前が見えぬぇ……