「ぷっはぁ――生き返ったぁ――!!」
両手を合わせ、ごっちそーさんでした!! と箸を茶碗の上に置いた少女に、ことりは感心と驚愕が入り交じった表情でつぶやく。
「凄い……本当に二合食べ切っちゃった」
いつもはひな子と二人でご飯は一合炊けば充分足りる。二合も炊くのなんてお客さん――主に行人だが、訪れる時くらいである。しかし、それをたった一人で目の前の少女は平らげたのだ。
「ご、ごめんね。あまりおかずがなくて……」
「いえ、アタシ味噌汁と納豆さえあれば、なんぼでもいけるんで!!」
事実、今日は買い物をしていなかったため、冷蔵庫にはろくな物が残っていなかった。あったのはせいぜい卵、納豆、ハムくらいで、後はインスタントの味噌汁を加えた、普通ならわびしいという印象を抱かざるを得ない献立を提供する他なかった。途中、下のコンビニでことりは何か買ってこようとしたのだが、それには及ばないと高速で箸を操りながら少女は言った。
結論として、たしかに、それには及ばなかったようである。
「ほんまに、ありがとうございました。このご恩は、しょーがい忘れません!!」
テーブルに頭を擦りつける勢いで少女は頭を下げる。
――いきなり路上で倒れた時は救急車呼ばなきゃと焦ったものだが、か細い声で「お腹減って、動けへん……」と聞こえた時はまた別の意味でどうしようと思ったものだ。
駆け寄ってきたひな子にも事情を話し、ひとまず家に上げて、何か食べさせてあげることにした、というのが現在までの流れである。
「あはは……頭を上げてください。ケガとか病気じゃなくてよかったです」
「うぅ、人の優しさが身にしみる……人情って東にもあるとこにはあるもんなんやなぁ」
目を腕でこする少女にことりは、とりあえず一息ついたみたいだし、ここまで放置していた自己紹介をすることを思いつく。
「えっと……自己紹介、まだでしたよね? 私は南ことりって、言います」
「ああっ、すんません!!」
申し遅れましたと自分のデコをぱっちーんと少女は叩き、
「アタシ、紅尾梓言います!!」
紅尾さん、か。ことりは小柄なその体躯を見て年下なのかなと予想していると、
「あのぅ、つかぬことお聞きしてもよろしいですか?」
「はい?」
「南さんはおいくつでいらっしゃいますか?」
スゴい尋ね方だなぁと頬を掻きつつ、
「十六の、高校二年生です」
「やっぱり!! いやぁなんか落ち着いた雰囲気が、こう、年上、先輩なんやろなぁ思てたんです、アタシはこの春高校一年になったばかりでして」
なるほど、やはり正解だったらしい。
それにしても落ち着いた雰囲気と言われたの初めてだった。いつもはぽわわぁーんとしてるなどと、落ち着いているというよりかは、力が抜けているだけといった方が正しい評価をされていることりにとっては、嬉しいと共に気恥ずかしさも立った。
「紅尾さんは、……どうしてあんなとこで倒れそうになってたのか聞いてもいいですか?」
「ああ、そんな敬語なんて使わんといてください。――ミナミの姐さん」
ちょっと待った。
なんかよくわからない言葉が耳に引っかかった。
非常に複雑な面持ちで、
「んー……紅尾さん、その呼び方って、なに?」
「はい!! 行き倒れかけたところを助けてもろた敬意を込めてお呼びさせて頂こう思いまして」
なんというか、梓の口調と相まって大阪の街を締めてる女帝のような感じになってしまっているのだが、大丈夫なのだろうか。いや、大丈夫じゃない。
「さ、さすがにそれはちょっと……」
「えぇ!? な、なら、ことり姐さんとお呼びしても!?」
「ま、まぁそれぐらいなら……」
ミナミの、よりはまだいいかなと思っている時点で色々とおかしいのだが、とりあえず話題を元に戻すためことりは、
「なんで、梓ちゃんはあんな所で倒れてたの?」
「……まぁそうですね。今日び行き倒れははやらんて、アタシも思います」
恥ずかしながらと梓は語り出す。
――とあるスクールアイドルに会うために大阪からヒッチハイクで東京までやってきたこと。その際、にわかには信じがたいが、着の身着のまま手ぶらでやってきたらしい。
剛胆というか、無謀というか。ことりも話を聞いて思わずぽかんと開いた口がふさがらない。
東京に着くと幸運なことにそのアイドルと会うことが出来た。がしかし、問題は帰りである。行きと同様にヒッチハイクしようとした梓も、今度は上手くいかなかったらしい。他の交通手段を取ろうにも財布の中は、アイドルに会うために買う必要のあったCD代でギリギリだったらしく、宿も取れず、また大阪を発った昨晩から丸一日何も食べていなかった空腹を満たすことも出来ず、という絶望の中で――ああ、なったんです。
からからと笑いながら語った梓に対し、傾聴していたことりはひたすら反応に困っている。
とにかく運良く見つけることが出来てよかった。あのまま路地に倒れていたらまず間違いなく警察沙汰になっていただろう。
「そんな時に現れたことり姐さんは、天使や……いや女神がおる……思いました!!」
そんな後光が差してそうな感じで登場したつもりはまったくない。
「ほんま、ありがとうございました!! このご恩は紅尾梓、一生忘れません!!」
もう何度目かになる謝意を表し、梓は――玄関へ向かおうとする。最初はおトイレかな? と思ったことりも、場所を教えた覚えはないし、礼儀知らずではなさそうな梓が断りもなく行くのかなと疑念を抱き、
「梓ちゃん……どこ、行くの?」
今まではずしていたキャップをかぶると、つばで表情を見せぬように、
「これ以上ご迷惑をおかけするんは、もーしわけが立たへん、です。まぁ、もう冬ってわけでもあらへんし、今晩はどーにかします」
「どうにかって……、だ、ダメだよ!!」
つまりはこう言っているのだ。お世話になりました。これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいかないので、自分は外で一夜を過ごします、と。
「もう夜も遅いし!! 冬じゃない、って言ったって外で寝たりなんかしたら、風邪ひいちゃうよ!? な、何より梓ちゃんは女の子なんだから、そんなのダメだよ!!」
まくし立てるようにことりは引き留めようとするが、
「ほんま……優しいなぁ。ことり姐さんは」
でも、と梓は首を横に振り、
「ええんです。……慣れてますから。心配せんといてください、こう見えてもアタシ、生まれつき丈夫ですし」
強情だ。どうすれば納得させられるのだろうか。このままでは本当に出ていってしまう。焦る気持ちの中で、こんな時、ゆーくんだったらどうする――、ゆーくんなら――、
「梓ちゃん!!」
「は、はいッ!?」
離れた隙間を埋めるべくつかつかと歩み寄って、ことりは梓の両肩に手を置いて、
「行っちゃ、ダメ!!」
「は、はいィ――?」
「行ったら、私、泣いちゃうよ?」
「えぇッ!? ちょ、待って下さい!?」
「もうわんわん泣いちゃうよ? 尊敬してくれるって言ってくれたのに、カッコ悪いとこ見せちゃうよ?」
構図が反転していた。今度あたふたする番になったのは梓で、ことりの予期せぬ行動に頭の中のツッコミ機能は停止していた。
「梓ちゃんは、私にそんなカッコ悪いことさせたくない、よね?」
それはある種のわがまま。他人の意志などお構いなしにただ自分の意志をおしつける、まったくタチが悪い類の。
何故なら、わかっててやってるから。理解したうえで、なおも相手の行動を止めたいから、なりふり構わず納得させようとする。相手の弱みにつけこむことも辞さない。
とどのつまり、恩を着せる。律儀そうな梓ならば、きっと、
「――ずっこいわぁ、ことり姐さん……そんなことゆーたら、ご迷惑おかけするしかないですやん」
降参したのか両手を挙げる梓に、ホッとした様子でことりも梓の肩から手を離す。やっぱり、これをされちゃうとね、と、かつて同じことを言われたセピア色の光景がよぎるのに苦笑しつつ、
「いいんだよ。今夜は泊まっていって」
そんなやりとりをしている二人のもとに、濡れた髪を拭きながらひな子が洗面所の方から出てくる。
「あら、二人ともどうしたの?」
「お母さん、お風呂あいた?」
「ええ、いいお湯よ」
その会話が終わるのを待って、家主であろうことりの母に梓は深々と、
「ご迷惑を承知で言います。どうか一晩、アタシを泊めて頂けませんか……?」
「お母さん、私からもお願いします」
頼み込む隣で、ことりも頭を下げる音がする。本来ならまったくその必要はないのに、そんなことをさせてしまった自分に梓は豆腐の角に頭をぶつけたくなる。
「――ええ、ぜひとも泊まっていって」
「……っ、ありがとう、ございます」
どうしてもにじんでしまう視界をやはり帽子で隠し、梓は一層頭を下げる。やはり、こういうのには慣れていない。
「最近は泊まってくれる人が少なくてさびしいくらいだったものね、ことり」
「え、うん……? たしかに穂乃果ちゃんも海未ちゃんも――」
「違うわ。くすくす、ゆ、き、と、くん」
ぼふん、と爆発したのかと梓は思った。にこにこと非常に楽しげな様子で母の口から紡がれた、その摩訶不思議なワードによって尊敬に値することり先輩は目をぐるぐる回し、
「な、何を言ってるのか、こ、ことりにはぜんぜんわかりませーん!!」
「あらそう? ふーん、そっかぁ」
やはり親御さんなだけあって何枚も
二人をよそに肝に銘じていた梓は、急にことりに手を握られ、
「ふぇ……う、うぅ、もう、梓ちゃんいこっ!!」
「え、あ、ちょことり姐さん!?」
「風邪ひかないようにちゃんと温まってね~」
ひらひらと手を振られるが、ろくに返答も出来ずに梓はことりに引っ張られていった。そして、明かりのついていない廊下の中で唯一の光源となっている洗面所兼脱衣所へと押し込まれる。
「あのことり姐さん、風呂ならまず先に姐さんが入って下さい。アタシは最後で結構で――」
最後まで言えず、
「梓ちゃん、い、今のは何でもないからね」
「今のって……えー、ゆきなんたらってのですか?」
「そ、それ!! 別に、何でもないから!!」
何でもなくはないだろう。あからさますぎて、逆に触れないでおこうと思ったぐらいなのに。あの発言に対して、あの反応だ。そういうのに疎い梓であっても、だいたい想像はつく。
「まぁええんとちゃいます? 気になる男子がおっても」
「だ、だから、ち――が――う――よぉ――!!」
真っ赤な顔で顔をぶんぶん振るうことりに、あかん、こらかわええわぁと梓が調子に乗りかけた瞬間、ことりの目つきが――ジト目に変わった。
「梓ちゃん、脱いで」
「ほへ? や、あの、せやからアタシは」
静かにこぼすことりに気圧され、語尾が小さくなる。廊下に出る扉はことりの後ろにあり、逃げることは不可能。それどころか、じりじりと距離を詰められているせいで遠のいてく始末だ。完全に追い詰められている。万事休すである。
「か、堪忍してください。ことり姐さん!! 頼んます、この通り!!」
両手をすりあわせるも、
「んー? ダ・メ」
いつの間にかとってもいい笑顔なことりに、梓は、悟る。
――やっぱ、親子ですやん。怒らせたら、
「さぁ、脱ぎ脱ぎしましょうね~」
ア・カ・ン。
ことりのと、いつもは穂乃果や海未に貸している来客用のパジャマを抱えたひな子は、風呂場から聞こえてくる賑やかな声に、扉の前で足を止める。
「ちょ、頭くらい自分で洗えますって!?」
「わぁ、こうして姉妹みたいに一緒にお風呂入るの夢だったんだぁ~」
扉のノブに手をかけゆっくり開く。邪魔をしないように。
すりガラス一枚を隔てた向こう側では、二人の影が重なるように動いている。どうやら本当に頭を洗ってあげているらしい。
微笑するひな子は、二人のパジャマを置くとそっと自室へと向かっていく。
さて、彼女たちが身体の洗いっこをしているその間である。
真っ暗なことりの部屋の机の上、女の子女の子したキャラクター物のマスコットや明日の授業で使う教科書やノートの隣に置かれているスマートフォンの液晶に、メッセージが表示されている。
暗闇の中で、まるでそれだけがぼんやりと浮かび上がっているようで、
ゆーくん
『おいこれどういうことだ、とんでもないことになってんぞ!!
http://g-station.net/bbsch/..........................』
残念ながらそのメッセージはしばらく表示された後、バックライトの消灯によってなくなってしまう。やがて、バスタイムを終えたことりと梓がこの部屋に入ってきて、仲良く布団を並べて語り合っている内に寝てしまい、気づくことないまま、
夜が明ける。
【あとがき】
ことりハウ巣での一幕でしたん(サービスシーン含む)。
以前、行人の風貌がどんなものかといった質問を頂いたのを思い出し、
ちょっと挿絵機能を使ってみることにしました。いや、もう頭の中でイメージが出来上がっている方はご覧にならなくても、一向に問題はございません。ちょっち興味あるかもという人はよろしければどうぞ。だいたいこんなイメージです。
【挿絵表示】