ノンストップで神社へと至る階段を駆け上ったことりを待っていたのは、難しい顔で行人の持つタブレットを覗き込んでいる穂乃果と海未の姿だった。
「ご、ごめんなさい!! 昨日の夜から今朝まで、ちょっとどたばたしてて……」
今にも泣きそうな声の調子で、ことりはまず最初に謝罪する。ついさっきスマホを見たときに表示されたメッセージアプリ上でのやりとりは、それぞれの文面から緊急を要するものだったというのが伝わってきた。いくら気づかなかったとはいえ、その場にその時、加われなかったという大失態を犯してしまったのではないか。
頭を下げたまま肩を震わせる幼なじみに、行人は泡を食ったように立ち上がり、
「あー、ほらほら泣かない泣かない、大丈夫だから、な、ことり、別に誰も怒ってない。そうだろ、穂乃果、海未?」
「大丈夫だよ、ことりちゃん。まだそんなに話し合ってなかったし」
「……私はあれで起こされました」
抗議と怨みの念を込めてじぃーっと睨む海未に、行人は穂乃果の陰に隠れる。
「で、でも……」
「既読がなかったし、反応もなかったからな。寝てるか、何か事情でもあったのかって、それぐらい察せるわ。何年の付き合いだと思ってんだ」
「ゆーくん……」
嬉しいが縮こまっているせいでまったく様になっていない。やれやれと海未も額に手をやる、その一瞬の隙で行人はガッツポーズをしてしまい、すぐさま反省ゼロとバレる、という感じに、全力で墓穴を掘っていた。
「はぁ……どたばたと言ってましたが、ことり? 何かあったんですか?」
「うん……、昨日はちょっとお客さんが泊まってて」
「それじゃ、しょうがないよ。ね、ユキちゃん」
後ろで人差し指をつっつき合わせていた行人を穂乃果は振り返る。
「や、だから俺は納得してるっての」
再び穂乃果の陰から抜け出すとことりに、
「もう大丈夫なのか?」
「うん、さっき知り合いの人に迎えに来てもらうって言って出ていったから」
迎え? どういう事すかと内心首を傾げる行人も、まぁいいかと気にせず流す。
「それでゆーくん、昨日のあれって……? URLが貼ってあったけど……」
まだリンクの先へ飛んでないのなら、実際に見せたほうが早い。行人はタブレットをことりに向けて差し出し、
「――これだ」
高精細な画面に表示されているのは、どうやら、
「これって、――Gステ、だよね?」
首肯すると行人は、
「そこにあるBBS、ようは掲示版だな」
指で画面をスクロールしながら、ピンと来ていない様子のことりにかいつまんで説明する。
スレッドという、タイトルに掲げられたテーマ・お題に関連する書き込みの集合体。そこでは不特定多数の人々が情報を交換したり、議論したり会話を楽しんでいる。無論、Gステというスクールアイドルのポータルサイトに用意されているのだから、それに関したスレッドが無数に連立している。
ちらとことりが見る限り、ランキング5000位以下のスクールアイドル達をひたすら応援するスレッドや地方アイドル遠征費カンパのためにひたすらバイトするスレといった文字があった……意味はあまりわからなかったが。
「昨日、このGステの掲示板を適当に見てたんだ。で、たまたまその時一番上に来ていたスレッドを開いてみたら、こいつがあった」
スレッドのタイトルは、『これから期待出来そうなスクールアイドルを紹介するスレ』
そして、行人の指差す書き込みに、
「こ、これって――――!?」
貼られた動画の再生ボタンを押した瞬間、何遍も繰り返し聴いたあのピアノのイントロと共に、ピンク、ライムグリーン、アクアブルーの衣装に身を包んだ三人の女の子がステップを刻み始めた。
紛れもなく、それは、
「私たち……っ?」
ことりの驚愕も無理からぬことで、たしかにその動画は画質も良好とは言えず、一方向からしか撮影されていないものだったが、明らかに先日の講堂でのファーストライブのμ’sの姿が映し出されていた。
いったいどういうことなのだろうか、あの日あの場で誰かがビデオを撮っていた、つまりはそういうことで、
「見てみろ、この書き込みはただURLだけが貼られてるんだ。それまでの流れをまったく無視して、紹介文とかを書かないで、急に貼られてる」
その直後の反応も、『いきなり貼って、なんだよ?』『>>1を読め。まずはそこからだ』といったような風当たりの強い、当然のものだった。が、徐々にその流れが変じていく。動画を見たスレッドの住人たちの一部が、『すげぇいい曲じゃん! どこのアイドルだこれ!!』『衣装もみんなカワイイ!!』『やばい、ちょっと鳥肌立った……』好意的な感想を寄せ始める。
「す、すごい……」
ネット上の単純な感想、だからこそ素直な感想の数々にことりは心を奪われ、しかし行人は、
「ああ、だけど問題はここら辺の書き込みの後だ」
行人の説明では、どうやらこの掲示板の書き込みはクリップというアクションをすることで、同じGステ内でのSNSにてつぶやけたり、ブログにのっけるなど連動出来るようになっているらしい。
そのせいなのだろうか。
急激にファーストライブの動画に対する
「え、なん、で?」
行人も乱暴に頭を掻き、
「俺も最初はそう思ったよ。いくら何でもここからスレの勢いが加速し過ぎてるってな。で、ちょっと調べてみたらすぐにわかった」
動画に対してつぶやいていたアカウントの数々がリストアップされる、その中でもっとも早く反応していたのが、
「これって……A-RISEの?」
目をしばたたかせ、ことりは上目遣いで行人に正解を確認する。口をへの字にして、認めたくないのかたまたまその場に転がっていた玉砂利の一つを蹴飛ばし、
「そ、綺羅ツバサがこの動画をクリップしてつぶやいたんだ『私も、詳細希望っと♪』ってな」
うわぁもう最悪じゃー!! と行人は頭を抱えて、その場で回り始める。数十万ものフォロワーを抱えるツバサが反応を示したことで、瞬く間にGステ内に拡散され、情報元であるスレに人が大挙した結果、書き込みが激増したのだ。
だが、どの書き込みも詳細を知りたいというだけで、答えを持ち合わせているものはついぞ現れなかった。
そう、事の展開がわかった途端、胃がきりきりと痛み出したこの男を除いては。
「うわぁ、すごい、今もなんか書き込み増えてるよ」
「もうスレを独立させた方がいいという意見も出始めてますね……」
ねぇ神様教えて、俺なんかした!? そこにいんでしょ!? 本殿の方へ叫び始めた誰かさんをよそに、穂乃果と海未もことりに預けられたタブレットを覗き込んでいる。
――ゆーくんが昨日あんな勢いでメッセージを送ってきたのは、これのせい……。とりあえず経緯は納得したものの、まだ頭の理解が追いつかなかった。これがいったいどれだけ凄いことなのか、前年のラブライブ優勝者、ナンバーワンスクールアイドルが、無名アイドルに対するたった一つの書き込みに言及したこと。
深い深い海底に転がっていた石ころに突然光が当てられ、サルベージされた。しかもそれがネット上を駆け巡る大ニュースに発展したということに等しい。
「でも、妙ですね。一体、誰がこんな書き込みをしたんでしょうか……」
その海未の発言に、全員の動きがぴたと止まる。
「……そこだな、あとはその人物はいったい何故、どうやってこの動画を撮影したのか」
ことりからタブレットを返してもらい、再生が終了しリプレイボタンが表示されていたのを行人はタップすると、もう一度最初から流し始める。
「でも、ユキちゃん。ステージから見て、携帯とかビデオカメラをあの時持ってた人はいなかったと思うよ?」
じっと動画を見つめながら行人は、
「俺も後ろから見てた限りじゃそんな奴は一人もいなかった」
少なくとも手に何かを持って構える動作をしていればどうしたって目立つ物なのだ。あの薄暗がりの中でもそんなに目立っている人間はいなかったよなと行人は考える。
正面から安定して撮られている映像は――
「ん? というかこれ、固定カメラか?」
「え、そうなの?」
よく見ようと身を寄せてくる穂乃果にしかめ面になりつつ、
「ああ、手ぶれもないし、ズームしてるっぽいから画質が劣化してるって考えると」
そこまで言って、あ、とことりが声を上げる。
「どうした?」
「う、うん。あのね、前、放送部のお友達に借りた物を返しに行った時に、放送室に入ったことがあるんだけど、うちの放送室から、講堂の様子がモニターで見れるようになってたのを思い出して」
「では、それの映像ってことでしょうか?」
いやそれだけじゃない、海未を手で制して、
「ちょっと待て……、それじゃあこれが仮にその放送室から見れる映像を録画したものなら、もしかして――この書き込みの主が、例の放送を流してくれた人ってことにならないか?」
海未、ことりの目が見開かれると同時に、
「あ――――――っ!! そうだよ、ユキちゃん、きっとそれだよ!!」
穂乃果は、海未とことりの手を取り並ぶ。
「きっとその人が私たちのためにあのスレッドで紹介しようとしてくれたんだよ!!」
「それは、ど、どうでしょうか……?」
穂乃果に耳元で思い切り叫ばれ、のたうち回っている行人を見下ろしつつ海未は問いかける。あいてる方の手で、突っ伏し動かなくなった行人の頭を撫でて、なぐさめながらことりは、
「でも、それなら、動画だけを貼るんじゃなくて、ちゃんと紹介文みたいのを書くんじゃないかな」
あ、そっかとすぐに穂乃果は納得してしまい、腕を組みながら上体を斜めにする。
「なんでだろう?」
「わかりません。まだ情報が何もないので……」
行人の制服についた埃を海未がはたいてやると、生まれたての子鹿のような動きで行人は立ち上がる。それを手助けしながら穂乃果が、
「大丈夫……? ごめんね、ユキちゃん」
「……え? あんだって?」
耳の横に手を立て、そばだてる。そのしぐさに、
「どどど、ど、どうしよう、ことりちゃん!? ユキちゃんの耳が!?」
「ゆー、くん?」
「はい、すいませんした。もう大丈夫っす。バッチおっけーっす」
いつものやりとりが繰り広げられていることに海未は嘆息する。この幼なじみときたらまったく……、
「まぁその書き込みの主が誰かはともかくだ。結構まずいことになった」
へこへこしていた態度を改めると、
「こうして動画が認知された以上、早い所Gステに『国立音ノ木坂学院スクールアイドル μ’s』の公式ページを作らないといけない」
そう、そのためには、
「正式団体として学校側に認めてもらわないといけないということですか」
「そうなる」
生徒会の言い分を思い出す。正式団体として認可が下りるためには、少なくとも五人以上の部員が必要。それはここにいる三人の他に最低二人をμ’sのメンバーとして迎えなくてはならないということだ。
「メンバーを募集するなんて、悠長なことは言ってられない。何が何でもかき集めるしかない」
顔を見合わせる三人に対し、行人はもう一度繰り返す。
「まずいことになった。だけど、裏を返せば、――これはチャンスだ」
詳細を知りたいと叫ばれている今ならば、あの綺羅ツバサが気にかけているらしいともっぱら噂の今、それは私たちμ’sですと颯爽登場することが出来るならば、
「スタートダッシュ、切ってやろうじゃねぇか」
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通勤通学の人々で行き交う秋葉原の駅前のガードレールに腰掛けながら、
待つ間、所在なさげに足をぷらんぷらんさせながら、一晩お世話になった家を思い返している。
――あたたかい家だった。見ず知らずの自分を、たまたま行き倒れるその場に居合わせただけだというのに、ご飯もお風呂も振る舞ってくれた。いくら感謝しても足りないくらいだ。自分が逆の立場だったら同じ行動を出来たとは思えない。
「ああゆうんを、包容力ゆうんかな……」
文字通り、包み込んで、受け入れてくれるような心地よさ。物心つく前にはきっと当たり前のようにあったそれも、今では時間の壁の向こうにあって手が届かなかったのに、再び味わえた。それだけで、本来の目的であったA-RISEに対する宣戦布告よりも、東京に来て良かったと思ってしまう自分がいて、梓は思わず苦笑してしまう。
それにしても、
今朝誰よりも早く起き、書き置きを残してこっそり去ろうとしたら、そんなことはお見通しと言わんばかりに親子共々玄関の前に待ち伏せされていた時は仰天した。
見つかった物は仕方ないと、本当は外の交番辺りで貸してもらおうと思っていた電話を借りて、先輩に連絡を取れた。事情を話す内に、電話口の向こう側の声が冷えていくのを感じたときは、こっちの肝も冷えたが、どうにか迎えをよこしてもらえると聞いた瞬間は安堵したものだ。
帰る算段がついたことをことりとひな子に話すと、胸を撫で下ろしていた。それで、二人が自分のことのように心配してくれていたことに、ようやく気づいた己を梓は恥じた。
結局、迎えが来るまでの間、朝ご飯を頂き、昼の分のお弁当までもらってしまった。何から何までお世話になりっぱなしやな……と梓は思う。
最後にことりと互いの連絡先を交換し、「このご恩はいつか必ずお返しします、本当にありがとーございました!!」と限界まで頭を下げて別れる際に、「また来てね」と背中に投げかけられた時は歯を食いしばって涙をこらえるので精一杯だった。
また涙腺が緩みそうになったのを頬を叩くことでごまかしていると、法定速度ギリギリの速度で、黒塗りの高級セダンが走行してきて梓の近くで完璧なブレーキングを披露し停車した。
唖然とし、固まっている梓のもとに、運転席から降りてきたその若い男は、
「お待たせして申し訳ございません。お迎えに上がりました、梓様」
優雅に一礼するのだった。
埃一つ付いてないのではと疑いたくなる漆黒のスーツ、ご丁寧にウェストコートまで着て、白手袋でハンドルを握るような執事という人間が、実際にこの世にいることを梓は信じることが出来なかった。しかし、それも高校に上がり、現在のようにこうして目の当たりにすることで信じざるを得なくなった。
「――
「いいえ、梓様。お嬢様から頼まれていますので、お気になさらず」
「後で、
「それがよろしいかと」
バックミラー越しに微笑まれても、梓は恐縮してしまう。わざわざ迎えに来てもらったのだから、むしろしなくてはともまた思う。
「でも、よく二時間で大阪から東京まで車で来れましたね?」
普通なら新幹線で三時間、車なら六時間はかかるはずなのに、どんな手品を使ったのだろうか。しかし、
「ええ、不可能を可能にするのが執事ですので」
百パーマジの声で簡単に返されると反応に困る。
こ、これはツッコんだ方がええんやろうかと思いつつ、あまり触れてはいけないと判断し背後を振り返る。来るときは、あれが東京かーと感慨深くなった高層ビル群がどんどん遠ざかっていく。
「梓様」
「はい?」
「楓様より伝言を預かっております。よろしいでしょうか?」
「は、はぁ、お願いします」
それでは失礼致しますと、空咳をして声の調子を整えると茶野は、
「――帰ったらお説教やから、覚悟しとき」
聞き慣れた先輩の、つまり女性の声が発された。
「え、ちょ、茶野さん!? 今の声マネですか、ホンモンか思いましたよ!?」
「ええ、レコーダーですので」
スチャと片手で差し出されたICレコーダーに、車内だというのに器用に梓はずっこける。本革のシートの感触を頬で味わいつつ、なんやそれとぼやいてしまう。
まぁそれでも、
「……でも仕方ないです。勝手に突っ走ったんはアタシですから」
無言が生まれ、軽い揺れと走行音だけが間をつなぐ。
「――わたくしが聞いてもよろしいのかとは思うのですが、東京はいかがでした?」
「そーですねぇ、ごっつ疲れましたけど、……ふわぁ」
気が緩んだのか。このまま横になっていたらすぐにでも眠ってしまいそうだ。というかもう睡魔はすぐそこまで来ていて、
「でもま……かなり収穫は、あったんちゃうかって、思い……ます……」
まぶたが、
「帰ったら……、調べんと……、あの、こ、うさか、ほ、の……」
落ち、
後部座席からやがて漂ってくる寝息に茶野は、
「お休みなさいませ」
とささやいて、
梓と茶野、二人の乗った車は西へ、西へと向かっていく。