僕と君とのIN MY LIFE!   作:来真らむぷ

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#24 ONE (WO)MAN

 

 

 

 

 

 

 書類に目を通していれば、控えめなノックの音が聞こえた。

 

 南ひな子は、額を押さえていた指の隙間から扉へ目をやり、疲れを息に乗せて吐き出しつつ椅子の背もたれへと寄りかかる。そして、

「――どうぞ」

 

「失礼します」

 入室してきた鮮やかな金髪の持ち主は、目の下に対照的な鈍い(くま)を伴っていた。碧い瞳が、日に日に疲労の色を濃くしていくひな子の姿を捉える。こちらとて化粧を厚くすることでごまかせない領域に達していることは自覚しているが、学生である彼女――絢瀬絵里は派手な化粧は校則で許されていないため隠すことすら出来ない。きめ細かい白磁のような肌に浮かぶくすみは気の毒に過ぎた。

 

「お疲れの所、すみません理事長」

「私はいいんですよ、代表なんですから。それより絢瀬さんの方こそ大丈夫かしら?」

「最近、勉強を遅くまでしているので……」

 

 嘘だ。

 もちろん、そんなことはお互いわかっている。

 

「ごめんなさい……」

「いいえ、私も……代表ですから」

 

 そうだった。ひな子が学校の代表というのなら、絵里もまた生徒の代表なのだ。とはいえ、そこには大人と子供という明確な境界が存在している。

 存在しているのに、彼女にそこまで言わせてしまう現状をひな子は恥じる他なかった。

 

「それで……用件は何かしら?」

「はい、いくつか生徒会の方で入学希望者を増やすための企画を考えてみたので、その実行の許可を頂けないでしょうか」

 胸元に抱えていた、ホチキス止めされているA4のプリントを差し出される。

 

「わかりました。拝見させてもらいますね」

 受け取り、ひな子はそれに目を走らせていく。近隣の中学校にて有志による無料学校説明会、学園祭の時期を早める、制服のデザインを変更――――、

 

「どう、でしょうか」

 中には可能な案もあるが、大半が厳しい。企画するのはいい、だが時間が限られているため、ある程度即効性が高く、なおかつ実現性も高くなくてはならないことがそこに求められている。本来ならこれらを両立させなければいけないなど、正気の沙汰ではないのだ。

 そう簡単に思いつくのなら、こうして苦労はしていないのだから。

 なのだが、

「――あら?」

 最後にめくった紙に、一つ気になる文字があった。

 

 

 ひな子の顔が真剣味を帯びていくのを、正面で絵里は眺めている。

「これは……?」

 かかったと、思った。

「可能なの、かしら」

 顔を上げるひな子に、絵里は、はいと頷く。

 ここが勝負。

 

「向こうにもお伝えしたところ、非常にいい感触を持ってくれたようです」

 今一度、ひな子は視線を手元へ落とす。

 過度に装飾が施されているわけではない、必要最小限の文章が並んでいるその書面には、こう書いてある。

 

「地域活性化の為、5月5日こどもの日に、A-RISEによる中学生以下限定のフリーライブを本校で行う……」

 無論、地域活性化などというお題目は建前に過ぎない。真の目的は、それに釣られて中学生以下の子供たちに少しでも音ノ木坂学院を知ってもらい、進学の選択肢に加えてもらうことだ。

 

 この学校の良さは絵里とて、過ごしてきた3年間でよく知っている。しかし、その反面もまた、だ。

 

 まず何より、地味で知名度に欠けるという点だ。昔こそ名門で知られていたそうだが、時代の趨勢(すうせい)に取り残されてしまった。古き良き学校という言葉は裏を返せば、時代遅れに他ならない。証拠に、A-RISEを擁するUTX学園は、華やかで最先端、知名度も抜群、志願者が後を絶たないという。近隣にありながら、完全に音ノ木坂は影に隠れてしまっている。

 

 この状況を少しでも改善するために、――――使える物は使う。

 たとえそれが、ライバル校のスクールアイドルに頭を下げることになっても。

 

「本当に、あちらのA-RISEさんが話を聞いてくれたんですか?」

「はい、私たちもダメで元々と思って、コンタクトを取ってみたんですが、返答としては、もしも本当に開催するのならば、こちらとしてもぜひ協力させてほしいとのことでした」

 

 不思議なことに、こちらが音ノ木坂学院の者だと口にした瞬間、向こうの態度が変わった。マネージャーを名乗るその学生は電話越しにも明らかなため息をこぼし、こちらのメンバー約一名が非常に乗り気なので、と口を引きつらせている様子が目に浮かびそうなトーンで言っていたのを覚えている。

 意味はよくわからなかったが、引き受けてくれるというのなら、願ってもない。

 

「準備とかはどうなのかしら。いくらなんでも一週間で開催というのは……」

 決めるならば、ここだ。

「実は、もう進めてあります」

 驚きに目を見開くひな子に、

「連絡が遅れて申し訳ありませんでした。今日、最後の打ち合わせに、これから私がUTX学園まで行ってきたいと思います。なので、後は理事長の許可を頂くのみです」

 

 二人は見つめ合ったまま、六時間目の終わりを告げるチャイムが鳴る。間延びした音が校舎に融けていった後で、何かを受け入れたように、ひな子は頷く。

 

「わかりました。許可します」

「!! ありがとうございます!!」

 

 勢いよく頭を下げ、すぐさま理事長室を後にしようとした絵里を、

「待って、絢瀬さん。まだ続きがあります」

 

 続き、というのは。

 

 思わず身構える絵里に、ひな子は苦笑し、それから表情を引き締め、

「この企画の責任の全ては私が取ります。それだけは忘れないで下さい」

 ――だから、気負い過ぎる必要はない。万一失敗したとしても、一人の肩に背負わなくていいの。

 

 言外に含まれた、その思いは絵里の顔をたやすく(ゆが)ませた。それを自覚してしまった絵里は、しまったと言わんばかりに顔を背けてしまう。

 

 

「あと、」

 

 まだ何かあるというのか。

 

 ごく世間話でもするかのような口調で、

「絢瀬さんは、知っていますか。最近、うちの学校でもスクールアイドル活動を始めた生徒たちがいるってことを」

 

 事情は聞いているのだろう。彼女たち三人の内、一人は今目の前にいる人物の娘なのだから。

 生徒会室に威勢良く入ってきた姿が思い出される。スクールアイドル活動を始めるので、部活動として認可して頂けませんか、と直訴してきたのだ。さすがの希もあの時は呆気に取られていた。話を聞くだけ聞いてみれば、全国的に人気が沸騰しているスクールアイドルの存在を知り、自分たちもスクールアイドル活動をすることで音ノ木坂の存在を世に知らしめていきたいということだった。

 

 この国における、スクールアイドルの人気については絵里も承知している。妹の亜里沙も最近ではハマッているようで、家のリビングのテレビの前で踊っている姿を何度も目撃していた。クラスでもテレビや音楽の話ともなれば、必ずスクールアイドルの話題が出る。秋葉原にはアイドルショップと呼ばれているらしい、アイドルに関するグッズの専門店まである。一度だけ亜里沙に連れられて入ってみたことがあるが、あれは凄かった。理解の及ばない世界過ぎて、頭が痛くなったものだ。

 

 

 自分たちと同世代の女の子たちが、これほどまでに世間に影響を与えている。

 あんな歌で、あんな衣装で、あんな踊りで。

 

 それがやはり、理解出来ない。

 自分がこれまで見てきた世界と違いすぎて。

 

 

「……彼女たちは、まだ正式団体として認められていません。それは言ってみれば……、ただの趣味活動と大差ありません」

 

 恨んでいるだろうか、彼女たちは。

 

 当然だ、恨んでいるだろう。

 せっかくのやる気に水を差すような真似をされたのだ。この非常事態に何を悠長なことをと思ったに違いない。

 無理もないわ、と絵里は思う。自分はそういうことをしたし、言ったのだ。自己弁護はいくらでも出来る。でも同時に甘んじてそれを受けなければとも思う。

 

 そんな絵里の耳元に届いた声は優しく、

「……これは独り言だけれど、あの子たち四人は凄くお人好しだから。だから、もしも困ったことがあったら、頼ってみて。きっと力になってくれるはずよ」

 

 アドバイス、の、つもりだろうか。理事長の口調ではなく、一人の大人としての口ぶりで、ひな子は微笑する。

 

 困ったことがあれば、頼る。

 それは簡単なこと、なのだろう。きっと。

 

 心の内で頭を振るう。

 

 それにしても、今の四人というのは数え間違いではないのか。高坂穂乃果、園田海未、南ことり、の三人だ。そこに加えられた余計な一人は、もしや、あの、

「どうして、四人、なんですか?」

「あの子たちがいる所の後ろには、いつももう一人いるの。……とってもお人好しな子が」

 それが彼だというのなら、その表現は間違っていない。

 

 だが、口はこう動いた。

「……そうですか。失礼します」

 再度、頭を下げると絵里は背筋を伸ばし肩で風を切りながら退室した。理事長室の他の部屋に比べて仰々しい扉を閉めて、すぐさま体重を預ける。

 

 ぽつぽつ廊下からは生徒たちの声が聞こえてくるようになる。帰りは最近流行っているクレープ屋に行ってみようとはしゃぐ声がする。先輩のご機嫌が斜めだから、今日の部活は覚悟しといた方がいいかもとため息混じりのつぶやき。教師たちもHRを終えて職員室へと引き上げる途中、かけられる別れの挨拶の数々にテンポ良く応えている。

 どんどん、

 どんどん、増えていく。

 

 バイバイ、さよなら、がんばってねー、じゃあねーまた明日。

 

 何百回と見てきた、その中で過ごしてきた、光景が広がりつつある。

 

 直に、失われてしまうと言うのなら、

 誰かがやらなければならない。

 

「私は……」

 

 生徒会長、なのだから。

 

 

 

 

 

 

    #24 “ONE (WO)MAN”

 

 

 

 

 

 

「凛ちゃんは、放課後はどうするの?」

 

 号令とともに本日の学業は終了しましたとばかりに三々五々に散っていくクラスメイトの波を抜けて、凛の元へと向かうと、ぱっちんと、両手を合わせて、

「ごめんね、かよちん。今日、お姉ちゃんに家で宅配便を受け取るように頼まれてるから、凛、先に帰るね!!」

 

 言うや否や、風のように教室を出て行ってしまう。残されてしまった花陽は、どうしようと途方に暮れる。

 部活動への参加に締め切りなどはないが、既にクラスメイトの大半がどこに入部するかを心に決めている様子だ。しかし花陽は、このままでは特に入部を希望する部活がないため、帰宅部コースまっしぐらである。昼休みに尋ねた限りじゃ、凛は陸上部にしようかにゃ~と言っていた。ならばいっそのこと、一緒に入部するべきか。いや、だがコンマ何々のタイムを縮めることに、自分が楽しさを見出せるとは、どうしても花陽には思えなかった。

 

 一人なのは不安だが、自分の似合いそうな文化系の部活動の見学に行ってみるべきなのかな。その時、

 

 優柔不断さをいかんなく発揮する花陽の目に止まったのは、教室を後にしようとする真姫の姿だ。部活に急ぐ一団にまぎれるように、足早に廊下へと出たその背に、声をかけると、

 飛び跳ねた。

「な、何っ!?」

 予想していなかったのか、上擦った声で真姫は振り返る。

 

「ご、ごめんなさいっ」

 反射的に花陽も謝ると、真姫は過剰な反応だったことに赤面しながら、

「な、なに? どうか、した?」

 

「あ、えっと……」

 なぜ声をかけたのか、それは、

「西木野さんはもう、帰るんですか?」

 気にかかることがあったからだ。しかし真姫はそんな花陽の心を知ってか知らずか、瞳を伏せると、

 

「ええ、……私、別に部活に入る気ないから」

 いや、だが、それは、

「ええっ!? でも西木野さん、先輩方にスクールアイドルに誘われてました、よね……?」

 そう、今朝、高坂先輩は去り際に「また来るから」と言っていた。教室まで直接やってくる辺り、一回や二回断られたくらいで諦めるとも思えない。おそらく二年生のクラスもHRが終わったらすぐにやってくるだろう。

 容易に想像できる光景は真姫も同じだったのか、渋い顔をすると、

「だから、来る前に早く帰るの」

 こうしている今も、いつ廊下の角からダッシュで現れるのか気を払っている様子の真姫に、チクリと刺さる胸の痛みを隠しつつ花陽は、提案する。

 

「もし、よければ、ですけど」

 テニスを誘ったときと同じように、でも今度はどもらず、

「一緒に帰りませんか?」

 

 

 5秒ぐらい、物の見事にぽかんと口を開けて固まっていた。

 

 その硬直を解いたのは、階段の方から響いてきた「いった――い!!」「だ、大丈夫!? 穂乃果ちゃん」「うう……お尻打っちゃった」「階段なのに走ろうとするからです!! まったく穂乃果は――」

 

 聞き覚えのある声の数々で、そちらに気を取られた花陽の手を真姫は慌てて掴むと走り出す。え、え、と脳が理解するより早く、声から離れるべく廊下を一直線に駆け抜けて、怪我しない程度に速度を緩めて階段を降りて、階段裏の物陰に身を隠す。

「え、っと……西木野、さん?」

「しっ、黙って」

 

 しばらく言われるがまま黙っていると、頭上からリノリウムの床をタッタッタと跳ねる足音と共に「あれ、やっぱもう帰っちゃったのかなぁ」「かもしれませんね……」「どうする? 穂乃果ちゃん」

 がっくり肩を落とす、穂乃果の姿が真姫の肩越しにちらっと見えた。なぐさめるように肩を叩いていることりに対し、

「でも、しょうがないよね。また明日、お願いしに行かないと!!」

 

 ポジティブに思考を切り替えた穂乃果の発言に真姫の身体がビクッと動く。顔を確認すると、本気で迷惑そうな顔をしていた。

 それが少し面白くて、くすりと笑うと、花陽に向かって無言で真姫は口を尖らせる。失礼だったかなと唇を押えれば、お返しとばかりに鼻で笑われた。西木野さんって、

 

 意外と、お茶目なんだな――そんな感想を花陽が抱くと同時に、

 

「――そんな所で、何をしているのかしら」

「あ、…………生徒会長」

 再び頭上で、声がした。

 

 入学式や全校集会などで聞き覚えのあるその声の持ち主は、穂乃果と違い一歩一歩を踏みしめるかのような足音を立てながら、降りてきた。

 人目を引く天然のブロンドの髪の持ち主は、この学校でも一人しか真姫も花陽も知らない。

 

「えっと、私たちは、μ’sの新しいメンバーになってくれそうな子を勧誘しようと思って……」

 腕を組む、生徒会長、絢瀬絵里は言葉にこそしないものの、そのなってくれそうな子というのがこの場のどこにも見当たらないがと、目で伝えてくる。

 

「それは……」

 ごもっともな話である。海未もろくに反論出来ず、自分のブレザーの裾を握る。ただこの状況だけを切り取って見てしまえば、ただ階段で騒いでる三人組でしかないのだから。

 事実、絵里の目にはそう映ったのだろう。

 

「遊んでいる暇があるのなら、もっと自分たちの実力を磨くべきよ」

「ち、違うんですっ、本当に」

 ことりも必死に訴えようとするが、

 

「南さん、あなた、すぐにリズムがもたつく癖があるわ。曲があらかじめあるのなら、少なくともそのリズムだけは、ちゃんとメトロノームで確かめて、頭に染み込ませなさい。寝ても覚めても頭の中ではそのリズムが鳴っていて、どう崩れてもすぐに戻せるように」

 ピシャリと、はねのけるように、

「園田さん、何かを怖がるみたいに一つ一つの動作が小さくなっているわ。あと、以前、何か別の踊りでも習っていたのかしら。基本は出来ているけれど、その身振り手振りだけで表現しようとする癖、現代のダンスには合わないから。頭の中から、抜きなさい」

 最後に残った、

「高坂さん、逆にあなたは動きに無駄が多すぎる。素人なりに元気よくと言えば聞こえがいいかもしれないけど、あれじゃあまりにも素人過ぎて見るに耐えないわ。舞台に立った以上、自分じゃない、誰かに見られている。まずはそこから意識して」

 

 脳天を撃ち抜かれたような顔をしている三人それぞれに放った言葉の銃を絵里は収める。

 

「いくらでも、直すべき所はあるはずよ。もう一度言うわ、

 ――遊んでいる暇は、あるのかしら?」

 見下ろす彼女を見上げる穂乃果は、やがて、

 

「……練習」

 隣の二人から返事がなかった。ならもう一度。

「練習しにいこ!! 海未ちゃん、ことりちゃん!! はやく!!」

 一分一秒を惜しむようにその場から駆けだした穂乃果を、海未とことりは絵里に一礼だけ返し、すぐさま追いかけていった。

 

 それを冷ややかな目で見送った絵里は、はぁと息をしぼり出す。

 また余計なことを言ってしまった。

 この場に希がいればなんと言っていただろうか。苦笑しながらまた、えりちらしいなどと言ってくるのだろうか。こんなののどこに私らしさがあるのかと幾度となく認識を改めるよう求めても、いつもどこ吹く風と流されてしまう。

 

 やれやれと肩をすくめた絵里が、階段を下り始めた矢先、

 かわいらしい、へくちというくしゃみが聞こえた。宙に浮いていた片足を戻し、怪訝そうにくしゃみの聞こえた階下を覗き込むと、

 二人、片方はティッシュで鼻をかみながら何度も頭を下げて、もう片方は呆れたように額を押えている、

 

 そんな一年生たちがいた。

 

 

 

 

 

 

 

「そう、……あまり迷惑なようなら、私から彼女たちに言い含めるけれど」

「べ、別にそこまでしてもらう必要はないですっ。たしかに迷惑ではありますけど」

 奇妙な構図が出来上がっていた。

 

 真姫と絵里が並び、その一歩後ろを花陽がぼーっとした顔で歩いている。女の子同士といえど、こうも綺麗な二人が揃うと見とれてしまうものだ。

 

「小泉さん、あなたは大丈夫なの?」

「え、あ、は、はいっ!?」

 突然話を振られ、花陽は水でもかけられたかのように背筋を正す。

 脳内ではアタフタしつつも、流れを整理する。学校を出るまで生徒会長の絢瀬先輩とご一緒することになって、それから、たしか辛うじて聞いてた単語から推察するに、高坂先輩たちが西木野さんを勧誘しに何度も足繁く訪ねてくることに話題が及んだのだ。それで、今、同様の迷惑を被っているのではないか、絢瀬先輩は聞いているのだ。

 

「私は……大丈夫です。先輩たちも西木野さんが目的だったみたい、ですから」

 正直に答えれば、すぐに絵里も納得したように真姫との会話を再開する。

 

 そうだよね、うん。

 そんなものなのだと、花陽は思う。

 

「一ついい? あなたたち、実際やるやらないは別として、スクールアイドル自体は好きなのかしら?」

「はいっ!!」

 それでも、これは即答出来なきゃアイドルファン失格かな、と横を見ると、

 

 頷くべきか真姫が迷っていた。まだ少ししか話をしていないが、アイドルに対する造詣の深さを窺わせる発言はいくつもあったし、何より、A-RISEの握手会に参加していたのが証拠だ。

 真姫は花陽の視線に気づくと、頬を赤らめた後、

「私も……です」

 誰にも目を合わせず、答えた。

 

 すると、

「そう、ならちょうど良かったのだけれど」

 突然歩みを止めた絵里は、小脇に抱えていた紙の包みを玄関前の掲示版に広げる。

「あ、て、手伝いますっ」

「ありがとう」

 端にまとめて刺さっていた画鋲を何個か抜いて、絵里が押さえる上段をまず留める。

「貸して、私もやるから」

 手のひらに載せた画鋲を取って、真姫が下段を留めていく。その間、絵里が身体を離したため、今まで見えなかったそのポスターの内容が、

 

「……えっ?」

 一度見、

「えぇっ!?」

 二度見した。

 

「何よもう、小泉さん? どうした――」

 

 信じられない文面が、貼られている。

 声こそ発さなかったものの、しゃがみ、下からポスターを見上げた真姫も驚愕に震えている。

 

「い、一体どういうこと!?」

 カエルのように、その告知に顔をつける勢いで真姫が飛び上がる。

 

 ――5月5日、こどもの日にA-RISEがやってくる!!

 会場 音ノ木坂学院講堂

 

「この通りよ。地域活性化の名目で、うちでA-RISEに中学生以下の子たち向けのライブをしてもらうの」

 腰に手を当て、ポスターを指差しながら絵里は告げる。

 

「す、凄いです!! う、うちの学校にあのA-RISEが!?」

 衝撃の後にやってきた興奮のあまり、花陽はカバンを肩から落としてしまう。それを拾い上げつつ真姫は、

 

「……でも、なんで……」

 その一見気の強そうな双眸(そうぼう)に映るのは、そのポスターの隣に貼られた、μ’sメンバー募集の紙である。スペースの都合上の関係があるとしても、このポスターは当てつけにしか見えない。

 

 眉をひそめる真姫に対し、絵里は、

「音ノ木坂学院を知ってもらうためよ……」

 

 彼女とて、真姫の言いたいことはわかるのだろう。だが、まだスクールアイドル活動を始めたばかりの穂乃果たちが有名になる確証、そんなものはどこにもないのだ。可能性はあっても、100%ではない。

 

 A-RISEでさえ、2年かかった。

 去年のラブライブで優勝したものの、その前年は本選に出場することすら叶わなかったのだという。

 

 スクールアイドルで名を上げ、学校の知名度を向上させる。

 

 そんなの、奇跡がいくつも重ならなければ届かない。

 ならば、それにすがる訳にはいかないではないか。不確定なものに全てを賭けるような真似は数百人の生徒が載ったこの身体では出来ない。

 

 少しでも、少しでも、可能性が高いものに頼ってしまう。

 

「二人とも、スクールアイドルが好きならこのイベントを手伝ってくれると嬉しいわ。……正直手が足りてないの」

 よくよく見れば当日手伝ってくれる人も募集中と記載されていた。

 

 目を輝かせる花陽とは対照的に、顔を曇らせる真姫に、それじゃ、もしも手伝ってくれる気になったら生徒会まで声をかけてと言って、

 

 絵里は、向かい始める。A-RISEの待つ、UTX学園へと。

 

 

 

 

 

 

     ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ――私立秋葉原UTX学園は、驚くべき事に開校してからいまだ10年と経っていない。

 

 近未来的な意匠を施されたビルは、高層階まで様々な施設が詰まっており、展望カフェテリア、大規模なホール、トレーニングセンター、ダンススタジオ、温水プール、などなど、生徒が快適に学生生活を送れるようにという大義名分で揃えられた最新鋭の設備を持つ、その歴史の浅さに反して現在最も入学倍率の高い学校である。

 

 これらのいずれも最高峰の設備が整っている原因は、主に優木陽(ゆうきよう)グループの財力があってのものだ。

 戦前の財閥の流れを汲む優木陽グループは国内に数十の企業を抱え、日本の産業を動かす歯車として、非常に大きな役割を果たしている。

 名を冠している通り、グループの中核企業は優木一族によって経営されている場合がほとんどだが、その本家に生まれた二人の姉弟の上が、A-RISEのメンバーの1人、優木あんじゅである。

 

 本家の令嬢が進学する学校が優木グループのUTX学園だったのはいささか予定調和ではあったが、元よりあんじゅの曾祖父に当たる優木清十郎(せいじゅうろう)は商いを営む家に生まれてなければ教師を目指していたと家族に語っていたとされ、そのせいか教育関係の分野に優木グループは深く進出していた。

 

 そして、とうとう学校経営へと乗り出したのが件のUTX学園である。しかし、現在でこそ飛ぶ鳥を落とす勢いのUTX学園ではあるが、開校当初はさほど生徒が集まらず、前途に陰りが広がっていた。それを切り裂く光明となったのが他でもない、

 ――A-RISEである。

 

 綺羅ツバサが始めたスクールアイドル活動に統堂英玲奈が、そして優木あんじゅが加わった。最初は、本家のお嬢様が始めた道楽としてしか見られていなかったが、ある時を境に急激にその人気を伸ばし始めていく。学園の経営陣が英断を下したのはこの後である。全面的なA-RISEのスクールアイドル活動に対する協力、これを彼女らに対して約束した。

 人気を博し始めたとはいえ、当時のA-RISEのファン数は1000人程度だったという。それに対して、いくらあんじゅがいるとはいえ、そこまでの支援を取り付けることが出来たのか。

 

 

 

「一体、何があったのかしら……」

 道すがら、絵里は改めてUTX学園が成功した理由を調べた情報を読み返しながら、浮かんだ疑問を思わずつぶやく。

 だが、当然のようにそこに答えは与えられない。

 集めた情報には載っておらず、またそもそも答えがあるのだろうかと絵里は思う。首を振って、そびえ立つUTX学園の校舎であるビルを見上げる。

 

『――本当に、ウチも一緒に行かないで大丈夫?』

 

 ふとよぎる希の言葉。気持ちは嬉しかったが、放課後はアルバイトに精を出している彼女を無理に連れていく気はなかった。やんわりと断った絵里に、希はカチコミ応援してるな、などと言っていたがあれはどういう意味だったのだろうか。

 ……まぁいい、置いておこう。

 深呼吸を繰り返す。

 

 意を決すると、絵里はビル内へと足を踏み入れる。生徒たちが学生証を通し次々に出てくるゲートの前の受付にて、自分の身元とアポイントを取っている旨を告げると、確認された後で、ゲスト用のIDカードを手渡された。

 

 ――そちらでゲートを通り、すぐのエントランスホールに掲げられた大きな風景画の下にあるあちらの休憩スペースでお待ち下さい。すぐに迎えに上がるとの事です。

 

 指示されたことに従い、絵里は休憩スペースのベンチへと腰掛けた。UTXの白のブレザーに対し、音ノ木坂の紺のブレザーは非常に目立つ。周囲から好奇の視線を向けられることに落ち着かず、絵里は天を仰いだ。

 

 吹き抜けのホールは見上げれば、どこまでもフロアが連なっている。2階、3階ぐらいまではこの場所からでも生徒たちの姿が窺える。どことなく皆品が良さそうに見えるのは、気のせいではないだろう。事実、良家の子女たちも多いと聞いている。

 

 知らず、ため息をこぼした時、

 

「――お待たせしました」

 少し息切れしながら、かけられた声に絵里は立ち上がり、会釈する。

 

「すみません、少し立て込んでまして、」

 息を整えるUTX学園側の女生徒に、

「大丈夫ですか?」

「ええ、ご心配ありがとうございます。お見苦しいところをお見せしました」

 

 女生徒は苦笑しながら、

千歳(ちとせ)文乃(あやの)です。UTX学園の生徒会長兼A-RISEの専属マネージャーを務めています」

 すでに自己紹介自体は以前別の場所で顔合わせした際にしてあるのだが、改めてといった風に文乃は己の名と役職を口にし、手を差し出す。

「音ノ木坂学院の生徒会長を務めています。絢瀬絵里です」

 同様の形式で絵里も返し、微笑を浮かべながらその手を握り返した。

 

「立ち話もなんですから、ついてきて下さい」

 さすがに往来の激しいこの場で話すようなことはなく、先導を始めた文乃に絵里はカバンを持ち直し、ついていく。

 

 歩き出せば、より一層好奇の視線が強まったような気がする。文乃の方も自覚があるのか、すみませんと身内の累をわびてくる。

「基本刺激が少ないですから、他校の人が来ているなんてみんな珍しがってるんですよ」

 

 そういった所は、どこも変わらないのねと絵里は思う。音ノ木坂だったとしても、自分が他校の生徒を引き連れていたら物珍しさで視線を集めてしまうだろう。

 気にしてませんと答えると、

 

「あとは、絢瀬さんが綺麗だからかもしれませんよ」

 不意をつく形で褒められ、絵里の頬に朱が差した。予想通りの反応だったのか、くすくすと文乃は笑い、ようやくからかわれたのだと理解する。

 

「べ、別に……私は」

「謙遜しないでください。その足の長さとかうらやましい限りなんですから」

 

 それなりに容姿を褒められる機会はあるが、その度にどう反応していいのか困る。謙遜しすぎは嫌らしく、調子に乗れば嫌われてしまう。正解の反応などはたしてあるのだろうか。

 

 結局、沈黙を選ぶ他なかった絵里に、文乃は笑みを深くするとちょうど開いていたエレベーターへと乗り込む。

 この時間帯ともなれば降りてくる生徒ばかりで昇る生徒は少ないのか、他に誰かが乗り込んでくる様子もなかったので扉が閉まった。

 文乃は高層階のボタンを押すと、壁によりかかる。

 上昇を始めたエレベーターは、ガラス張りで、秋葉原駅前の風景がどんどん遠ざかっていくのがわかった。エレベーター特有の沈黙を保たねばならない空気の中で、絵里は、

 

「あの……」

「はい?」

 何か、と視線で問う文乃に、

「今回の話、本当にお受けしてくれてありがとうございました」

 身体を折って謝意を示す。

 

「……その言葉を私が受け取るわけにはいきません。後で、別の子に言ってあげてください」

 それはどなたです、かと聞き返すより早く、エレベーターは目的の階へと到着してしまう。『開』のボタンに手をかけたまま、文乃は絵里に降りるよう促す。

 

 あまり普段は使っていないフロアなのか、活気の感じられない廊下へと出れば、背後の文乃が、

「すみません。先に私はメンバーを呼んできますので、つきあたりの部屋に入って待っていてもらえますか?」

 示した先にある扉を確認して、わかりましたと頷くと、お願いしますと文乃は行ってしまった。

 

 廊下を直線上に進めばいいだけなので、特段迷うこともない。茜差す廊下をローファーとリノリウムが奏でる音でリズムを刻みつつ、歩む。文乃のあの口ぶりだとA-RISEのメンバーを呼んでくるということでいいのだろうか。だとするならば、間もなく実際に初めて会うことになる。そんな考えをしながら、扉に手をかけ――開いた。

 

 ロの字に置かれた長机、板書の後も見当たらない光沢を放つホワイトボード、地平線の彼方に没しようとしている西日が差し込み、部屋全体が赤に染まっている。

 その中に、それはいた。

 

 黒いジャケットに白の仮面をかぶった何か。仮面に描かれているのは、三白眼と裂けんばかりに吊り上がった口。

 

 それがこちらを振り返っていた。

 

「…………」

 悲鳴すら出なかった。

 

 口がぱくぱく動くだけで、何も絞り出されない。

 

 何かが一歩近づいてくる。

 

 腰が抜けた。

 

 もう一歩近づいてくる。

 

 落ちたカバンの口から筆箱や教科書が散乱する。

 

 どんどん、

 

 近づいてくる。

 

 それは昔、深夜に見てしまったミステリードラマの、いまだに思い出して、もしもあれが現実に現れたらと考えると夜に眠れなくなる怪人にそっくりだった。

 

 とうとう、とうとう現れたのだ。

 

 足は言うことを聞かない。

 

 どこかで神経が断絶でもしてしまったかのように、動かない。

 

 なのに、動かそうと無駄なあがきをする。

 

 その間に、一歩、また一歩と距離を詰めた、怪人が目の前に立った。

 

 とっくに恐怖のメーターは振り切っていて、歯の根がかみ合わない。

 

 怪人はこちらに手を伸ばし、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのまま、自分の仮面を取ると、

 

「ばぁっ、なんつってー、いや絢瀬、俺だよ俺俺」

 

 突如出現した見知った顔に絵里は、

「ひ、日高……くん?」

 

 

 

 ようやく声のその役割を思い出した。

 

 

 




【あとがき】
 静かにしろい……何度だって、皆さんのあたたかい声援が……わだすを甦らせる。何度でもよ。

 しっかし、最後のキャラは、あれこれ新キャラかな?

 事後報告になって申し訳ありませんが、原作名もあるし、もういらないかなと思い、タイトルのラブライブの部分を消去致しました。
 今後は「僕と君とのIN MY LIFE!」で行きたいと思います。

 さぁて、次回も色々仕掛けて参ります。

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