僕と君とのIN MY LIFE!   作:来真らむぷ

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【前書き】
もはや懐メロですね。Kinki Kidsの「フラワー」をご用意をばお願い致します。


小泉花陽編 フラワー

 

 

 

 

 

 夕焼け染まる校庭の片隅では、面白い光景が見られている。

 

 荒い息の間に間に、

「――くっ、まだまだァ!!」

 

「いや、あの、ですから、」

「問答無用ォォォ!!」

 

 閑散とした空間に響き渡る大声を放つ大男と、それに対峙し口をひきつらせる青年の後ろでは、うろたえた少女が

「や、やめて、ください、っ……二人とも!!」

 

「――いや、待って待って!? 俺、何も、仕掛けてないんですけど!?」

「よくも……」

 

 大地を震わせるような低音が響き、青年は少女から再びそちらへ顔を向ける。

「よくも……妹を泣かせてくれたな……」

「だ、だから、何度も言いますけども!!」

「うぉおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 青年のツッコミむなしく、雄叫びと共に突進してきた筋肉の塊は、

「だ、かーらぁー」

 半身に構えた青年に腕を取られ、勢いそのまま、足下に自然に置かれた膝で軽く跳ね上げられたと思った瞬間、

 

 世界が一周した。

 

 気づけば背中から地べたへと落下し、受身が遅れたせいで全身に衝撃が走る。思わず、口から苦悶の声と息が噴出した。

「……人の話くらい、聞いてくださいって」

 

 思いの外、きれいに決まってしまった技に、青年はバツが悪そうな表情で男を覗き込む。そこに駆け寄ってくるのは、

「だ、大丈夫ですか。行人さん!?」

「いや、見ての通りの状況だけど……すいません、大丈夫ですか?」

 

「ぐぅ……お、オレは――」

 天に向かいながら男はうめく。

 

「オレは――――――――」

 

 

 

 

 

    ×      ×      ×      ×      ×      ×

 

 

 

 

 

 

 

 私、小泉(こいずみ)花陽(はなよ)には、兄が一人います。

 

 名前は、太陽(たいよう)――小泉太陽、です。

 

 名前は似ているのに、私たち兄妹はあまり似ていないと、色んな人からよく言われます。……もちろん、その主な要因はわかってるんですけれど。

 

 たとえば、体格です。兄は身長が190センチ近くあって、隣に並ばれると会話をする度に顔を上げなければいけないので、首が痛くなって困っちゃいます。おまけに兄はその……正直、あんまり隣に並ばれたくないくらいの威圧感を放っているんです。

 

 Tシャツの上からでもわかるくらい盛り上がった胸板。パツンパツンに張った袖口、何インチなのかわからないジーンズという兄の普段着を想像して頂ければ、おわかり頂けると思います……はい。

 

 お風呂あがりに自分の肉体を洗面所の鏡に映し、悦に入っている姿はもはや見慣れてしまって、家の中に不思議な生き物がいる程度の認識にまで落ちています。主食がプロテイン、トレーニング器具が部屋に散らばり、真冬でも信じられないぐらい薄着で過ごせるようになってしまったのはいつの頃でしょうか。

 

 思うに、何かきっかけがあったんじゃないかと思うんです。今でこそこう成り果ててしまった兄ですが、昔からこんな感じだったという訳じゃありません。

 

 小さい頃はむしろ、同学年の人たちと比べて背は低かったですし、体つきも華奢な部類だったと思います。それが、成長期に入ると共に縦も横も大きくなっていって……度を超してしまったんです。

 

 

「――へぇ、花陽、お兄さんいたんだな」

 カップ越しの瞳がこちらを捉えました。

 

「じ、実は……そのぅ……そうなんです」

 行人さんの行きつけだという喫茶店を紹介された私は、そこでコーヒーをご馳走になりながら相談に乗ってもらっています。

 あ、私はブラックで飲めるほど大人ではないので、ミルクも砂糖も入れてるんですけど……ってそれはいいですよね、すみません。

 

「ふむふむ、で、そのお兄さんがどうしたと?」

 

 姿勢を正し、こちらに傾聴してくれる行人さんに、

「実は、」 

 

 意を決して、

「な、なんだか……様子がおかしいんです」

 

 どう様子が変かというと、なんだか避けられている気がするんです。

 

 今までは何かあるとすぐに私に、たとえば最近、近所の交差点で事故が多いから気をつけろとか、このお米は農家の方と直接お話して、すごい安全と味にこだわって作ってるお米だと確認したから俵で買ってきた、とか。

 

 それが最近は私の方から話しかけてもそっけない態度をとって、トレーニングという自分の世界に閉じこもってしまうんです。

 一度や二度なら、私の勘違いだと思うんですけど、この前なんか、せっかくいい機会だからと利き米の大会に誘ったのに、すげなく断られてしまいショックでした。なのに、その大会で出されていた、10種のお米を後日買ってきたのは、なんだかよくわかりません。

 

 そこでふと話すのをやめると、

「…………」

 無言でジト目になっていた行人さんは、

 

「いやその、随分とシス……い、妹思いのお兄さんなのね」

「そう、なんでしょうか……」

 

 行人さんの言葉にもなかなか実感がわきません。それはそうと、せっかくなので以前携帯で撮った兄の写真を見てもらおうと取り出します。

 

「どれどれ――ブフォッ!?」

 手渡したスマホの画面を覗き込んだ行人さんは口に含んでいたコーヒーを盛大に吹き出しかけて、間一髪、口元を押さえることで飛散を防ぎました。

 

「だ、大丈夫ですか!!」

 気管支がとんでもないことになっている様子の行人さんに、机に備え付けのペーパーナプキンを手渡します。

 

 若干涙目になった行人さんは、どうにか立ち直ると、

「ガタイ凄ぇな!? 二の腕と胸筋なんだこれ!? 業務用ブロック肉じゃんか、ええ!!」

 

 立ち上がってまでツッコミを入れた行人さんが店中のお客さんの視線を集めてしまいました。私は小声でそれを指摘しつつ、横目で同情すると語ってくるマスターさんに、軽く頭を下げます。

 

「し、失礼しました……はは、は」

 苦笑しながら、周囲に謝罪する行人さんは、

「花陽には悪いけど、お前のお兄さんからこれは想像できなかったぞ……」

 着席します。

 

 そうなりますよね……、私だって凛ちゃんや真姫ちゃんにこんな兄がいたら唖然としますし。

 

「えーうん、まぁとりあえずだ。様子が変わったっていうなら、何か、きっかけになる出来事があったって考えるべきだろ」

 

 心当たりはないのか、と問われ私は考えます。

 

「――あ、そういえば、」

 気のせいかもしれませんけど、

 

 もしかしたら、あれがきっかけだったのかもしれません。

 

 なんだ、と続きを促され、

「この前……」

 

 

 

 

 

 ――私の通っていた小学校は、音ノ木坂学園が危機に瀕しているように、少子化のあおりを受けていました。

 

 もともと、私がランドセルを背負っていた時から、近隣の学区の小学校との統廃合のうわさが流れていたんですが、去年、とうとうその計画対象リストに私の学校が載ってしまったという知らせをお母さんが教えてくれました。

 

 もちろんすぐに同じ学び舎で6年間を過ごした凛ちゃんとも連絡を取って、思い出話を交わしながら、時間の無情さとでもいえばいいのでしょうか、そういったものに切なさを感じずにはいられませんでした。

 

 同じ感情を抱いていたのは私たちだけではなかったようで、すぐに元クラスメイトのお友達から連絡が回ってきました。

 

 同窓会の誘いです。

 

 詳しく話を聞かせてもらうと、なんでも卒業生たちがそれぞれの学年で思い出の詰まった校舎に集まって、同窓会を開いているということでした。

 断る理由なんてなくて、すぐに私も参加することを決めました。幹事を務めてくれた何人かの尽力もあって、すぐに当時お世話になった担任の先生やお友達のみんなが集まってくれたのには感動しました。

 

 中学校に上がってからというものの、まったく訪れる機会のなかった校舎へ足を踏み入ることが出来た時は、こんなに古くて狭かったかなと、改めて成長してしまった自分と変わらずそこにあり続ける学校の違いを……実感してしまいました。

 

 廊下を振り返れば、何度先生に怒られても廊下を走ってしまう凛ちゃんと、それを早足で追いかける私の後ろ姿が見えるような気がして、いつまでも廊下に立ち尽くしていたんです。

 

 そうして同窓会を終えたことをお母さんに話すと、同じく卒業生で、私達の先輩にあたる兄の学年も今度、同窓会を開くということを教えられました。その時はやはりみんな名残惜しいんだなと大して気にもとめませんでしたけど、

 

 

 

 

 

「その同窓会が終わった後くらいから、前にも増して兄がよそよそしくなった……と、思います」

 腕を組みながら、目をつむり頷いていた行人さんは、よし、と指を鳴らし、

 

「んじゃ、今から行ってみるか」

「……え? どこに、ですか?」

「その小学校だよ、まぁアテが外れるかもしれないけど、実際に行ってみた方が何かわかるかもしれないしな」

 

 ぽかんと放心してしまいました。それからようやく、

「え……えぇ!? 今日は、祝日ですよ!?」

 

 普通の土日ならともかく、解放されていない可能性の方が圧倒的に高いんですから、勝手には入れません。

 

「…………」

 私の言葉に、行人さんは押し黙って、伝票を取ると、

 

「俺、一度、学校に忍び込むのやってみたかったんだ」

「いぇえ!?」

「大丈夫、何かあっても俺らの歳なら青春の1ページで済む!!」

 

 お、親指を立てられても、と口にする前に、行人さんは会計をしにレジの方へさっさと行ってしまいました。ど、どうなってしまうんでしょうか、これ。行く流れなんでしょうか。た、たしかに、元はといえば私から相談した件ですし、……で、ですが、でも、だ、

 

「だ、誰か……誰か助けてぇ――――!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ~~~~~」

 石段に腰掛け、大げさなため息をつく行人さんに、

「い、意外とあっさり入れましたね……」

 

 そうなんです。やはり母校を訪れる人が近頃多いらしく、校長先生が祝日だというのにわざわざ学校に来て、校門を開放して、入り口の所に座っていらっしゃったんです。

 幸いなことに、校長先生は私がお世話になった先生がまだ勤めていらして、私の顔も覚えていてくれたので、事情をある程度話した上で、ちゃんと正式に許可をもらいました。

 

 ただ、行人さんはこの学校の卒業生ではありませんから、どうしようと困っていると、勝手に交渉を始めた時は驚きましたけど……。

 

「――ってわけでして、ちょっとだけ許して頂けないでしょうか」

「……そうだったの。花陽ちゃん、夢を叶えたのね」

 

 自分の身元を明らかにしたうえで、私がスクールアイドルをやっていることを先生に打ち明けた行人さんは、せっかく花陽さんの思い出が詰まった場所なので、何枚か彼女を含めたこの学校の写真を撮らせてはもらえないかと思って参りました、という旨をスラスラと並べました。

 

 先生とは昔、何度もお話をさせてもらう内に、自分の夢――アイドルになりたいことについて語ったことがあります。でも、そんな何年も前の、たった一人の生徒の夢のことを、まだ覚えていてくれたなんてと、目に温かいものがこみ上げてきてしまいました。

 

 その結果 校長先生は、

「わかりました。そういうことなら、私が応援しない訳にはいかないわ」

 と、入校を許可してくれたんです。 

 

「あっさりと入れたこともあるんだけど、……あの校長先生、凄いいい人だったから、ちょっと罪悪感が……」

 唇がへの字に結び、胸を押さえた行人さん。

 

 そんなことを言うのなら、最初から嘘をつかなければいいのにと、思わず笑いが漏れてしまいます。誰も傷つかないような優しい嘘、といえどです。

 

 ただ、私、その、思うんですけれど、

 

 そんなに気になるのなら、

「な、なら……本当に、しましょう」

 

 顔から火が出そうになりながら、

「わ、私でよければ……――撮ってくれませんか?」

 

 自分でも、驚きました。

 私は、こんなことを言えるような人間だったかな、って。

 

 で、ですが言ってしまったことに変わりはなくて、前言を撤回するわけにもいきません。ただ、どんな反応をするのか、してくれるのかを心待ちにしている自分も不思議なことにいるみたいで、若干うつむきかけた顔をすぐに上げると同時に、

 

 カシャ。

 

 不意に聞こえたシャッター音がどこから発されたのかと、きょろきょろしてしまってから、小さいカメラをこちらに構えた行人さんが、

「では、お言葉に甘えまして」

「えぅ……カ、カメラ……?」

 

 人差し指を立てて、

「そうです。まっ、こういうこともあろうかと、ってやつ?」

 ストラップをつけたカメラを手首に提げて、笑う行人さんに私は呆気に取られてしまいます。

 

 その間に、「せっかくだし、色々見て回らせてもらおうかな。花陽の思い出スポットとかさ。よし、じゃあまずはあっちだ」と、勝手に歩き出してしまうんです。私の向いていた方向が逆だったのですれ違い様に、頭をぽんぽんと軽く叩かれ、

「ありがと」

 

 慌てて振り返っても、行人さんはこちらを気にした素振りもなく校舎の方へと向かっていきます。

 私は……その場で叩かれた場所を自分の手で触りながら、ゆるんでしまった口元を元に戻しつつすぐにその後を追うのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 校舎内部を回り、当時のことなんかを話しながら、写真を撮ってもらいました。

 

 撮るぞと言われると、何度やっても表情がこわばってしまうのは、もう運命づけられたものなのかもしれません。自然な表情なんて出そうと思っても出せませんよ……、だって自然は自然なんですから。

 

 だからというわけではないのでしょうが、行人さんはちょうど私の気が抜けた瞬間を狙って、シャッターを切ってきました。

 今の絶対、情けない顔をしてましたとか、目つぶっちゃってたんじゃないですかっていくら言っても、撮った写真は絶対に見せてはもらえませんでした……うう。

 

 一通り、校内を案内し終わると、私たちは校庭へと再び出てきました。写真は撮れても、やはり兄の変化の手がかりは掴めないままで、行人さんは背伸びをしつつ、つぶやきます。

 

「何か、意外と転がってるんじゃないかと思ったんだけどな……」

「……はい」

 

 ですが、たしかに、そう簡単にうまくいくわけもないのでしょう。せっかくここまで来たのに残念ですが……仕方のないことだと思います。

「これからどうする?」

「……あ、じゃあ最後に……」

 

 私はある方向へと指を差しました。

「花壇の方を見てっても、いいですか?」

 

 もちろんという声を受けて、私たちは校庭の西側の外れにある、今では空っぽになってしまった鶏小屋の近くの花壇へと向かうことにしました。

 

 いつしか早足になっていた私が――それに気づき、歩みを止めると、

「どした?」

 

 追いついて、隣に並ぶ行人さんに、

「昔……ここではみんなが花を……育てていたんです」

 

 しゃがみ、()()()()花壇の土を撫でながら、

「私、水やり当番、だったので……毎日ちょっと早く来て……凄くいっぱい咲いてたんですよ、昔は、パンジーとかヒマワリとかコスモスとかサルビアも、鳳仙花(ほうせんか)百日草(ひゃくにちそう)とかも、です」

 

 長い間、水も撒かれてないのでしょう、パサパサに渇いた土は生命を育むようなものではなくなってしまっています。

 

 ――名前が花陽だから。

 そんな小学生らしい理由で水やり当番に推薦された私は、断ることも出来ず引き受けてしまいましたが、最初、あまり嬉しくありませんでした。季節を問わず基本的に毎日しなければならないこともそうですが、何より、みんなの花を大切に育てて、枯らしてはならないという責任が怖かったんです。

 

 でも、

 

 いざ、水をやり始めてみると、意外と楽しかったんです。じょうろにたっぷり水を入れて、花壇の端から端まで順番にかけていく。たったそれだけのことのはずなのに、花たちが喜んでくれるのが伝わってくるんです。

 それがわかると、義務感なんてものはなくなっていて、自発的に私がやりたいと思うようになっていました。

 

 結局、卒業するまで毎年当番に立候補し続けたのは、今ではいい思い出です。

 

「そっか」

 行人さんの声を耳にして、はいと頷きます。

 

「どんどん……変わっちゃうんですね」

 時間は絶えず流れていて、止まってはくれません。

 

 それをとても残酷だと思ってしまうのは、いけないことなのでしょうか。大切な物を大切なまま取っておきたいと思うのは、ダメなのでしょうか。

 

 ここにあった、色とりどりの花たちをまぶたの裏に描けば、ツーと頬を涙が伝っていくのを感じます。

 

 その時、

 

 砂利を踏みしめる音が聞こえて、 

 

 

 

「――花、陽?」

 聞き慣れた声に振り返れば、思わず見上げる大きな大きな――

 

「何故、泣いてる?」

「え、あ、これはその……」

 

 どうしてだか、この場に姿を現わした兄の瞳が隣の行人さんを捉えた途端、眉がつり上がって、

 

「キッサマ……が、花陽を泣かしたのか……!!」

「へ? 俺ですか?」

 

 突如、矛先を向けられた行人さんがうろたえる暇もなく、まるで不動明王みたいな形相になった兄は、

 

「許さん……ッ!! うおおおおおおおお!!」

 体当たりをかますように行人さんに突進するのでした。

 

 その後の展開は…………―――――

 

 

 

 

 

 

 

    ×      ×      ×      ×      ×      ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――あまり人前に出るのを好まない、引っ込み思案で恥ずかしがり屋な女の子。 

 

 小泉太陽は己の妹をそう評価する。

 

 初めて、父に連れられ、新生児室に並んだしわくちゃの赤ん坊たちの中の一人を指さして――あれが、お前の妹だよと教えられた時からずっとそうだったと思う。

 他の赤ん坊がやりたい放題泣いているのにも関わらず、どこか控えめに遠慮するように泣いている子が、花陽だった。

 

 爪先立ちになり顔を覗き込む太陽の肩に手を載せ、父はこう言う、

 ――お前もこれでお兄ちゃんだ。これからは妹を守れるようにならないとな。

 

 ――このちっちゃいのを守るの?

 若干釈然としない気持ちのまま、太陽はガラス一枚を隔てた向こうの生き物を見つめる。

 

 ……たしかに弱そうだ。ちょっと小突いただけで簡単に大ケガを負ってしまうかもしれない。これはきっと、か弱い生き物というやつなんだ。ならば、やっぱり誰かが近くにいて守ってやらなければいけない。だったら、

 

 ――しょうがない、ちょっとぐらいやってみるかな。

 

 

 

 

 

 時計の針を進めよう。

 

 両親にとって待望の女の子だったらしい花陽は、祖父母も含めてそれはもう溺愛された。母はかつてアイドルを夢見た少女であり、途中で諦めてしまった夢を、娘に託そうとかねてより考えていたらしい。

 

 かくして、花陽に英才教育が施されることになったのだが、これがまた母親もステージママを目指す訳ではなかった。ボイス、ダンストレーニング、ファッション、メイク、立ち居振る舞いなどなどを、毎日みっちり教え込む――といったことは一切なく、愛娘にはひたすら歴代のアイドルたちのビデオを教育の一環として見せ続けた。

 

 あまりにも親子で毎日見ている物だから、太陽も本当は他の番組やゲームをしたかったのにも関わらず、我慢せざるを得なかった。もっとも付き合って見ている内に、次第にアイドルの魅力がわかってきてしまったのだが。

 

 だが、そんな幼少期を過ごせば、誰もがアイドルに憧れる元気印の美少女に成長する保証はどこにもない。

 

 事実、花陽はアイドルに憧れていたが、多少他を押しのけてでも前に出ようとする積極性などは皆無だった。それは裏を返せば、優しく育ってしまったということでもあるのだが、何か口にしようとしたときにどもってしまったり、そもそも何度か聞き返さなければならないくらい小さい声だったりと、自信のなさが表れているような欠点もまた存在しており、普通に考えてこのまま何も変わらなければアイドルなんて夢の又夢だった。

 

 そんな妹のために何が出来るのだろうか。

 

 ずっと見てきたからわかる。アイドルになってみたいという気持ちならば、きっと花陽は誰にも負けないのだと、胸を張ってそこら中に宣言できる。

 

 兄として出来ること。

 

 それは――自信を持って生きる事を示すことじゃないのかと思ったとき、太陽は迷わなかった。

 

 背はいつもクラスで低い方から数えて初めの方だった。成長期に入り、周りとどんどん差が開いていくことが焦燥を掻き立てた。ただでさえ小さい背を恥じるように丸めて、うつむくことも多かったのだ。

 

 それをやめた。

 

 ひたすら牛乳を飲んで、小魚をかみ砕いた。マッチ棒のような身体のままでもいけないと思い、トレーニングを始めた。最初は十回もできなかった腕立てが、上体起こしが、日々を重ねる内に、いくらでも出来るようになっていく。激しい運動をするようになれば、腹も空くようになった。茶碗一杯のご飯が、二杯、三杯となり、いつしか丼一杯に変わっていく。骨と皮だった身体に、いくつも筋が入るようになった。それを鏡に映して眺めるだけでいくらでも時間を過ごすことが出来た。カレンダーの月が次々と変わっていく。初めは母、次は父、そしてかつて見上げていた友人達と目線が合うようになっていく。気づけば、あれほど悩んでいた背丈の問題は解決していた。それどころか、周りを追い越してなお、成長は止まらなかったくらいだ。

 

 無我夢中で、走り続けた結果、太陽は自分に自信を持っていた。

 

 ――これなら、

 

 オレの背中はどうだ、と妹を振り返る――どうだ、花陽、もっと自信を持っていいんだ、お前なら――

 

 

 愕然としてしまった。

 

 

 自分なりに精一杯、伝えようと思って、がんばって、きっと伝わっている、伝わってくれている、そう思っていたのに、

 妹は、あまり変わっていなかった。

 

 おどおどした態度、聞こえない声、すぐ気持ちを押し殺して我慢してしまう癖。どれもこれもが、あの時のままだった。

 

 一生懸命走っていたのは自分だけだったのだ。

 

 それを理解した、太陽は、脱力する他なかった。これでは、これでは何の意味もない。オレだけが幸せになってどうするのだと。

 

 ――でも、今更、何が出来るというのか。

 これだけ時間をかけて、また新たなことをやり始めろというのか。それで妹が幸せになれるというのなら、いくらもやろう。それで、()()()変われるのなら、いくらだって捧げてやろうと思った。

 

 でもその保証がないのなら、どうすればいいのか。

 

 次に走るべき方向を、太陽は見失ってしまった。

 

 そんな矢先だった。

 

 早いもので高校に入学した花陽がスクールアイドルを始めたと聞いて、太陽は耳を疑った。

 

 ――どういうことだと。

 

 そんな、そんなことが出来てしまうやつでは、お前はなかったじゃないか。お前はもっと、ステージにのぼった誰かを指をくわえて、本当は羨ましいくせに笑ってごまかす、そんなやつだったじゃないか。オレの知ってる花陽は……花陽は……、

 

 それをきっかけに、明らかに妹は変わっていった。太陽の知らない花陽になっていってしまった。遙か後方にいたはずの存在は、いつしか地平線の向こうにいて、手が届かなくなっていた。

 

 ……もう、どうやって接していいのか、わからなくなってしまっていた。

 

 ステージの上で歌い、踊り、観客の視線を集め、笑みを崩さない妹が怖くなってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぅ……お、オレは――」

 天に向かいながら男はうめく。

 

「オレは――――――――兄貴失格だ!!」

 

 嗚咽が混じっていた。

 

「誰よりも……、花陽が望んでいたアイドルになることを願ってたはずなのに。いざなってみれば、それがオレの手で導くことが出来なかったことにすねてる……ッ。他の誰かがそいつを成し遂げたことが悔しくて仕方なくなってる!!」

 

 クソォッ!!

 赤く焼けた空を仰向けのまま睨み、太陽は手の甲で固いグランドの土を何度もなぐりつける。

 

「情けねぇ…………畜生、情けねぇ!!」

 

 たまらず兄に駆け寄ろうとした花陽を、腕が制する。

「…………待て」

 

 たった一言だけ告げて、行人は太陽の側に立つ。

 

 

「――なら、かかってこいよ」

 

 見下ろしたまま、無表情で、

 

「そんなに悔しいなら、そこでギャーギャーわめくんじゃなくて、こっちに向けろよ――」

 

 

 

 ――出来ねぇのか、()筋野郎(きんやろう)

 

 それが契機だった。

 

 怒号と共に行人の足に絡みついた太陽は、その体重でもって強引に行人を引き倒した。逃げる隙も与えず、下半身を押さえつけたまま太陽はマウントポジションを奪う。

 

「ハァッ……ハァッ!!」

 興奮状態のまま服の襟を握りしめる太陽に行人は、

 

「お前じゃ無理だったんだよ」

「な、に……!!」

「何度でも言ってやる。お前じゃ、花陽を変えるのは無理だったんだよ」

 

 上下が逆転してなお、まっすぐ太陽を見据えたまま視線を逸らさない。

 

「キッサマァ……ッ!!」

 

 お前に、お前に何がわかるというのだ。

 

 衝動的に振り上げた拳は、

 

「――やめて、お兄ちゃん!!」

 

 決して振り下ろさせないと、強く抱きしめた花陽によって、動きが止まる。

 

「花、陽……」

 

 泣いていた。特徴的だった赤のアンダーリムの眼鏡はもう、家ぐらいでしかつけなくなった。外に出るときはコンタクトに切り替えるようになったのも、高校に上がってからだっただろうか。 

 

 ――またやっちまった。

 

 兄貴が、妹を泣かすなんて、最低だ。

 

 自分のしでかしてしまったことに、腕から力が抜けていく。

 

「――でも、それはあいつら……いや俺たちも一緒なんですよ」

 再び、行人の口が開く。

 

 うな垂れた太陽の耳にそれは吸い込まれていく。

 

「俺たちだから花陽を変えられたわけでもないです。……きっかけはそうだったのかもしれない、けど、変わることを決めたのは花陽自身です」

 

 花陽、自身。

 

 とっくに力を抜いたというのに、まだまだ目をつぶったまま腕を放さない妹を太陽は見つめる。

 

 弱い存在なのだと、守ってやらねばならないのだと、ずっと、思い込んでしまっていた。

 けれど、どうだろう。今、暴力に走りそうになった自分を、身を挺して止めようとした。これが、弱い存在なのだろうか。いや違う、最初は弱かったのだろう。それでも、

 

「そうか……オレは……結局自分の事ばかりで、花陽を信じることが、出来なかったんだな……」

 

 ようやく、わかった気がした。

 

「――強く、なってたのか。花陽」

 

 やっぱり、兄貴失格のバカ者じゃないか。あまりの自分の無様さに笑えてくる。太陽は自分の顔を手で押さえようとして、

 もう一度掴まれる。

 

「失格なんかじゃないよ!! それは違う!!」

 今まで聞いたこともない大声で怒る妹は、

 

「私、そんなにお兄ちゃんが私のことを考えてくれてたなんて、わからなかった。でも……当然だと思う、スクールアイドルを……μ’sを始めるまでの私は……ドジでおっちょこちょいで……自信がなくて、いつもおどおどしてて、他の人から見たら心配で仕方ない子だったと思う」

 

 でもね、と太陽の下になったままの行人へと優しい眼差しを向け、

「あの時……すっごく勇気を出して……、ずっとなりたかったアイドルになれた時から、私、このままじゃいけないって思ったから。同じ舞台の上で、すごいキレイな、色とりどりのライトを浴びているメンバーのみんな、他のスクールアイドルの皆さんたちを見てて、私もああなりたいって思ったから!! だからみんなのおかげ、お兄ちゃんも行人さんもそうだよ。周りのみんながいてくれたから、私、ここまでがんばれたから」

 

 ――ずっと心配かけて、ごめんね。ありがとう、もう大丈夫だから。もう、自分でがんばれるって言えるから。

 

 ずっと人の背中に隠れていた少女が独りで立つことの宣誓を、

 

「…………辛いことがあったら、すぐに言え……それでもオレは、お前の兄貴なんだ――」

 

 ――応援してる、よ。

 

 今、受け入れた。

 

「はい!!」

 

 掴まれた手はそのまま差し伸べられた手へと変わった。大人と子供のように大きさに違いのある手は、それでもしっかりと握られている。そんな二人の握手を組み敷かれたままの行人が口端を上げながら見つめていることに二人は気づかない。

 

 でも、とやがて花陽は、

 

 しばらくその予定はないですと、付け加え、

 

「私は、――花陽は、とっても幸せですから!!」

 

 まぶしい笑顔を浮かべる妹は、自分より圧倒的に小さいのに、太陽にとって、とても、

 

 大きく見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

    ×      ×      ×      ×      ×      ×

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても、どうしてお兄ちゃんはここに?」

 

 若干、先ほど押し倒された際に腕を擦りむいたらしい行人さんは今、水飲み場の方に傷を洗いに行っています。残った私たち兄妹は花壇の近くの丸太製のベンチに腰掛けながら話をしていました。その距離はもう気まずさを感じさせるようなものではなく、家族の距離感に戻れたのだと、思います。

 

「お前、昔、水やり当番だっただろ?」

「あ、……知ってたの?」

「あれだけ毎日水やりしてればな。気づくさ」

「そっか、そうだよね……」

 

 そんなことを言うけれど、いつも見てくれていたのかもしれません。

 

「この前、ここでオレたちの学年の同窓会があってな。その時、むかし卒業前に埋めたタイムカプセルを掘り返したんだけどよ。中に、手紙と一緒にこいつが入ってたんだ」

 

 ポケットから取り出したそれを兄は私の両手の上に載せます。よく錠剤とかを小分けにするために使うような、小さいジッパーのついたプラスチック袋の中には、

 

「……種?」

 と思しき物体が詰まっていました。

 

「だと思うんだが、わかんねぇんだ」

 

 話を聞けば、手紙に少しだけ書いてあったのはこれが「夏の花」の種であるということだけだったらしく、兄自身もなにぶん昔のことだから、どうして入れたのかも覚えていないらしいです。

 

「花陽は、わからねぇか?」

「うん、種だけじゃちょっと……」

「だよな、せっかくだし、この寂しくなっちまった花壇に植えようと思って、今日は来たんだけどよ」

 

 まさかこんなことになるとはなと、喉の奥で笑う兄は、

「まぁ昔の種だし。ちょこっと調べたけど、発芽するかもわかんねぇみたいだしな」

 

 たしかに、昔の種です。撒いたところで、芽が出てくるかもわかりません。ですが、

 

「それでも、私、植えてみたいな」

 

 その返答を予想していたのでしょうか。兄は、じょうろかなんか探してきてやるよとすぐに立ち上がり、校舎の方へと向かっていきます。その進行方向にはこちらに戻ってくる行人さんの姿もあり、距離が近づくと、二人は何事かを交わし始めました。

 

 もしかしたら、またさっきみたいなことになるんじゃないかとハラハラしながら、それを見守っていると、意外にもあっさり会話は終わったようでしたが、すれ違いざまに兄は行人さんの背中をはたき、おかげで行人さんは前につんのめっていました。

 

 苦笑しながらこっちにやってくる行人さんに、

「だ、大丈夫ですか!? すみません、兄がなんか叩いてたみたいですけど」

「ん、おお、全然大丈夫」

 

 今のやりとりが気になった私はいったいどんなことを話したのかを聞いてみました。

 そしたら、いきなりさっきのことを謝られたから、お互い様だと言ったのだそうです。続いて、その他にはどんな会話をしたのかと尋ねると、

 

「あの身のこなし、格闘技でもやってるのかとか、どこでどう花陽と知り合ったのかとかだけど……まぁ叩かれたのは、最後に長い付き合いになりそうですねって言ったのが原因かもな」

「長い付き合い、ですか? 兄と行人さんが仲良くしてくれるなら私も、嬉しいです」

 

 あー、微妙にそういう意味ではと頬を掻く行人さんに私は首を傾げます。何かずれたことでも言ってしまったんでしょうか。

 

 すると咳払いをし、私の手に載った小袋を指差すと、

「そいつは?」

「はい、何かの、花の種、だそうです」

 

 行人さんは、じっと小袋を見つめてから、花壇へと視線を移し、さらに兄の向かっていった方向を一度、振り返り、ぼそりと、

 

「変わっちまうことばっかだよな。いいことも、悪いことも全部ひっくるめてさ」

「……はい」

 

 本当に、そうだと思います。街も、学校も、友達も、……私でさえも。

 

「だけどさ、変わらないものも、やっぱ俺はあると思うよ」

 

 その視線の先には、――じょうろは見つからなかったんでしょうか。両手に並々と水の入ったバケツを持って、上下させながら再び校庭に現れた兄の姿があって、思わず笑ってしまいながら、

 

「そうですね……くすっ、昔から、あんな変な感じでした……ふふっ」

 

 でも、だからこそ、変わらないものの大切さに気づけるのかもしれません。

 

 隣で、しかしあの筋肉はすげぇ……どうりでめちゃくちゃ重いわけだ、とこぼしている行人さんを横目で窺いつつ、

 

「あ、あの、これから種を植えたら……、定期的に水をその、あげに来たり、その、他の植物を植えたりしなければいけないと思うんですが、」

 

 あれあれ、やっぱ私、臆病です。だ、誰か助けてと思いつつも、こればっかりは、他の人じゃなくて、自分の口では言わなければならないので、身体中からあの時みたいに勇気をかき集めます。そして、大きく息を吸ってから、

 

 

 

「花が咲くその時も、一緒に――いてくれますか」

 

 

 

 

 

 

       ♪MUSIC:フラワー/Kinki Kids♪

 

 

 

 

 

 




【あとがき】
 もう、ゴールしてもいいよね……? 私、がんばったから……もういいよね? 休んでも……

   パーン
(・8・)
  ⊂彡☆))Д´)ノ ゴーブッ

 お待たせしました。かよちんゴメンティヌス。でもそのぶん、盛りだくさんで、兄筋肉とか兄筋肉とかねモリモリでしたね。
 はい、ということで、これにてμ’s誕編シリーズひとまず終了でございます。ウェミちゃんから始まり、これ9人分……え、マジ? などと思ってた頃が懐かしい……9人ってちょっとありえなくなーい?

 途中、本編を進めてほしいというごもっともな意見も何度か頂戴しましたが、お許しください、このシリーズ、それはそれで意味があることになる予定……は未定です。

 さておき、実は私の作者ページからtwitterアカウントに飛ぶことができます。日常やら作品やら更新報告その他諸々のことをほざいておりますので、もしもよろしければお気軽にフォローしてくださると嬉しいです。

 それでは、次回も、――かよちんからのスタートです。

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