真姫より渡された日高舞のチョーカーを返すことを決意した花陽は、「音ノ木坂学園にA-RISEがやってくる」という掲示に沸き立つなか、凛をその手伝いに誘う。
また舞によって、とうとう彼女の元プロデューサーである
沈黙は金。
それも仕方のない話で、言葉も行動も許可が下りていないからだ。勝手に何かしようものなら、どんな目にあわされるかわかったもんじゃない。
ツバを飲み込む事すら躊躇われるような、密閉されたスタジオ内の空気の重たさに音を上げそうになった時、ようやく、
「――もう少し、前へ」
重心を傾けた瞬間、かなりの質量をもった物体が鼻先をかすめた。ブンという音と共にふわりと浮いた前髪が元に戻り、俺は何が起きたのかと目を瞬かせる。
Q.コンマ数秒前までと何が変わっていたのか。
A.それは紺さんが片手に持っていたギターをバットよろしく振り抜いた体制になっていたことです♪
全身に冷や汗が吹き出る。
い、いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、
今、目の前を死がよぎったのだ。
間違いなく、あの速度で、フルスイングで。5キロはあるギターが直撃したらお陀仏である。なのに、
「冗談です」
笑っている、笑ってはいるのだが、持ち前のぶっちゃけ邪悪極まりない笑みを紺さんは、浮かべる。
「ぇへ、へっへへ……」
俺はといえば、気持ち悪い、渇いた笑い声を発してごまかす他ない。
脳裏で点滅を繰り返す『
あ、相も変わらず、洒落にならない冗談が大好きっすね、この人……無論、「死ぬわ!!」とツッコむなんてことは、とてもじゃないが出来ない。
ネットで、『紫藤紺』で検索をかけてみればわかる、同時に『喧嘩最強』とか『総長 病院送り』とか『ライブ 血祭り』とかとかとか物騒すぎるキーワード候補いっぱい出てくるから、いやマジで。
そんなサブカル雑誌の『芸能界喧嘩最強伝説特集』に毎回名前が挙がるほどに、若い頃から色々とまぁヤンチャやってきた人にそんなこと無理無理。命を粗末にするもんじゃありません。
俺は膝が笑いそうになるのを必死で耐えていると、紺さんは背を向け、何事もなかったように部屋の隅にまとめてあるスタンドにギターを置く。
ちゃんとそれが手から離れるのを見届けてから、俺は気づかれぬようにそっと安堵の息を吐いた。
「――それで、おめおめと私の前に顔を出せた理由を聞かせてもらいましょうか」
振り向きざまに袈裟斬りしてきた紺さんの言葉に、
「ぃや、それは……その」
辛うじてそれだけ絞り出して、明確な理由を――舞さんに言われてしまったから程度しか持たない俺は、ゆがみかけた表情を隠すためにうつむく。自分の足下へ目を落とすと、紺さんが近寄ってくる気配がする。
視界に加わった黒光りする革靴に、俺は観念して顔を上げた。
身にまとった威圧感に加えて、背がほぼ頭1個ぶん高い紺さんに後ずさりしそうになるのをこらえ、頭上から降り注ぐ絶対零度の視線を受け――
「ぃづッ!?」
折られるかと思う勢いで俺の左手を掴んだ紺さんは、自分の目の前へと俺の手を引き寄せる。万力のごとき握力に口から呻き声が漏れるが、紺さんは特段意に介さない。
「爪は切ってない。タコも消えてしまっている。――最後に弾いたのは、いつだ」
「……半年前に、少し。…………それぐらいです」
眉がひそめられ、紺さんの顔が強張る。俺が身を固くした瞬間、
手が離される。
吊り上げられたかのような体勢になっていた俺は、そのせいで尻餅をついてしまう。
床という底から天を仰ぐように、ライトを背にそびえる紺さんに目を細める。
「――骨身に刻め。最初に、そう言ったはずですが」
一語一語が、刺さっていく。
「――1日12時間、明日死ぬとしてもやれ……忘れた、わけじゃない、です」
忘れてなんかない……忘れる訳がない。どれだけ、どれだけやったことか。
――血が滲んだって、好きだからやったんだ。
でも、それは紺さんが、言外に指摘したように、もはや昔のことになってしまっている。
セピア色の思い出は、鍵のかかった箱に詰めて、心の深層に沈めた。
「ハァ……」
明らかに落胆したようなため息の後、
「そっちの部屋に移りましょう」
当然の反応も、やはり実際に耳にしてしまうと、全身をねじ上げられたかのごとく悲鳴を上げてしまいそうになる。
まだ逃げることは叶わない。
……もっともここに来てしまった以上、自業自得なのだが。
ずぶずぶと沈んでいく。
そんな錯覚を覚えながら、俺は、紺さんの後に続く。
#33 “アリジゴク”
× × × × × ×
会話のタイミングを見計らっていた。
授業中、カバンに入れた例のあれが気になって仕方なく、花陽は数分おきにごそごそとカバンの中に手を突っ込んでは、ちゃんとそこにあれがあるのを確認していた。
ケースに脚が生えているわけでもなかろうに。
もちろん勝手に逃げ出すわけがないのは理解していても、やめられなかった。
長く感じられた一日の授業が終わりを告げ、ようやく花陽は意を決した。
――話しかけよう話しかけようと思っても、その後、嫌われちゃったらやだなとか頭で余計なことをどうしても考えてしまい、朝から今の今まで真姫に話しかけられないでいたのである。
HRの挨拶を終え、クラスメイトが放課後に向かって動き出した瞬間を逃してはならない。
と、勢い込んだせいでバランスを崩し、半ば机に突っ込むようになりつつ、花陽はカバンを肩にかけた真姫に話しかけた。
「ま、真姫ちゃん、待って!!」
「きゃっ、ちょ、ちょっと、大丈夫?」
「う、うん、気にしないで」
むしろこの勢いを借りないとずっと言えずじまいだ。
「き、昨日の……これ、なんだけどっ!!」
手汗で汚さないよう花陽が、おっかなびっくり差し出してきたケースに、真姫はすっと、目を細める。
「ああ、それ……」
わざわざここまで持ってきたということは――と、真姫にも察するところがあったのだろう。えっとその、と花陽がくちごもるのに先んじて、
「それはもうアナタに上げたものよ。返されても、困るわ」
「え、で、でもっ……」
差し出した手をそっと押し戻され、花陽はまたも言葉をなくしてしまう。
「今日からライブ色々と準備するって、さっき廊下で生徒会の人たちが言ってたわ。手伝うなら、早く生徒会室に行ったほうがいいんじゃない?」
話をすりかえるように真姫が続けたことに対し、
「え、ま、真姫ちゃんは!? ライブの準備、てつ、だわないの……」
最後は消え入るような強さで。
動揺を隠せず花陽の瞳が揺れる。
「……ええ」
「どうして……」
あれほどアイドルが好きだと語ってくれたのに。そんな簡単にせっかく、間接的にでも携われる貴重な機会を諦めてしまうのか。このチョーカーだってそうだ。どこで手に入れたのかは知らない。知らないけれど、手にすることが出来たのだ。自分とは違う。運も、顔も、頭も、家も、何もかも、笑ってしまうくらいの“差”がある。
ささくれ立つ。
波紋が広がる。
黒が蝕んでいく。
抜け出せない何かに沈む。
「ず――――」
その時、ちょうど側を通りかかり、耳に入ったのか。
「――へぇ、小泉さんもやるんだ」
隣に並んだ誰かに花陽はたじろぎ、
「――……え?」
「奇遇だね、あたしたちもやろうと思ってたんだぁ」
わりとゆるめな音ノ木坂の校則を破らぬ範囲で、軽いウェーブがかった黒よりの茶髪が視界をよぎり、
「えっと、あの……」
急いで、記憶のアルバムを大急ぎでめくり、
「戸川、さん?」
そうだ。たしか、
ただ同じクラスでも、華のあるグループの中心人物であることは、遠目から見ていただけの花陽でもわかっている。正直な所、ちょっと苦手なタイプかもと思っていたのだが、
「やだなぁもう、夏紀でいいよ。――さっきの話だけど、それならさ、一緒にやろうよ」
実に気さくに誘ってくるものだから、花陽は戸惑いを隠せないでいる。ほとんど今まで喋ったこともなかったのにどうして……と、その心を見透かしたように、
「小泉さん……ううん、花陽ちゃんとは、実はね、ずっと仲良くなりたいと思ってたの」
「え、そ、そうだったんですか……?」
「うん、そだよ」
髪を耳にかけながら、自然と顔を寄せられていた。ほんのり香るシャンプーのにおい、若干着崩した白シャツから覗くうなじ。
自分をどう見せるのが一番いいのかをよく理解しているのだと、あまりそういったことを実行に移したことのない花陽にとって、夏紀の一挙手一投足は刺激的だった。
「――そう、アナタもやるの」
一瞬忘れかけていた真姫の発言に、花陽は顔の向きを戻す。
「うん、――西木野さんはやらないんでしょ?」
一拍、間。
「……気が変わったわ」
苦々しげに答え、真姫は肩にかけていたカバンを垂らす。
その反応に、夏紀は笑みを深める。
花陽は妙な空気が漂い始めたのをどうにかしたほうがいいのかなと思いつつも、事情が飲み込めず、両者を見比べることしか出来ない。
そこに、
「かよちーん、何してんのー? 早く行こーよ」
花陽より更に事情を知るよしもない凛がひょこっと顔を出す。
「あ、り、凛ちゃん……」
助かったと胸を撫で下ろすもつかの間、凛を
「そっか、星空さんもやるんだ。それじゃ、みんなで行こっか」
パンと両手を合わせて提案する。どういうこと? という顔を凛はしてから、
「戸川さんも手伝いするの?」
「うん、あと
「そうなんだ」
納得した凛は、表情を強張らせたままの真姫とその様子をちらちら窺う花陽が気にはかかったが、この流れで一旦わかれて別々に行くのも変かと、
「うん、……じゃそうする?」
星空さんは運動神経凄いよね、いやいやそんなことないよーと話ながら歩き始めた凛と夏紀にやや遅れて、無言で後に続く真姫に、
何故だか花陽は言葉をかけることができなかった。
知らず、持ったままのケースに力を込めながら。
× × × × × ×
「ワン、ツー、スリー、フォー、ここで腰に手、振り返ってぇの、――――」
中心の穂乃果が、腰を曲げ、あごに手をやる。左右の海未とことりは、対称になるよう片手で穂乃果の肩を掴み、空いている方の手を高く伸ばす。
「ビシィッ!!」
そして、そのまま静止。
携帯音楽プレーヤーを接続したスピーカーは、穂乃果が自室をほじくり返し見つけた日高舞のシングルCD『ススメ→トゥモロウ』から変換したmp3の再生を終了する。
いわゆるダンスの最後のキメを終えた三人は、きっかり五秒後、ほぼ同時に地べたにへたり込んだ。荒い息を整えながら、互いをねぎらい合う光景がそこにはあった。
――週末。それも日曜になっていた。
来週の今日、つまり次の日曜にはもうライブ当日。
わずかな準備期間を無駄にすることは出来ないため、穂乃果らは土日を練習に費やすことに異論はなかった。だが、以前からの流れがあるとはいえ、行人の家の場所を借りている手前、一言、声をかけるというのが礼儀というものだ。
金曜の夜、ギリギリになってしまったが、三人を代表して海未が行人に連絡すると、電話口でもわかる
『ああ……好きに使ってくれていいよ。ただ、手伝えるかは……わからんけどな』
一体どうしたのか、体調でも崩したのかと気遣うより先に、『そんじゃ、……がんばれよ』と切られてしまった。
それから
そんな様子を見れば、当然のように、
「――なんかさ、ユキちゃんちょっとヘンじゃない?」
「……やはり、穂乃果も気づいてましたか?」
にぶそうな穂乃果でさえも言及してくる。
縁側に腰掛け、
たったそれだけのことが、どこか物足りなく、不安をもたらしてくる。
「うん、なんか朝、挨拶した時も、ぽけーってしてるかと思えば、急に難しい顔で考え込みだしたりって感じだったし……」
もしかして熱でもあるのかなぁと穂乃果がつぶやき、かもしれませんね……と海未が頷くと、沈黙を保っていた、
「――大丈夫だよ、きっと」
「ことりちゃん……」「ことり……」
ことりが桃色のタオルで汗を拭いながら、
「昔も、あんな感じになることあったから」
どこか嬉しそうに声を弾ませることりに、思わず穂乃果と海未は顔を見合わせる。
「そう、なのですか?」「え、そうなの?」
互いに問い返すが、……ということはつまり、穂乃果と海未は答えを持ち合わせていないことを悟る。
そんな二人に、
「穂乃果ちゃんも海未ちゃんも、中学校の時は、剣道部で結構忙しかったもんね」
丁寧にタオルを折り返して、もう一度、
「大丈夫だよ。だって――」
不安を吹き飛ばすような笑みで、
「だって、ゆーくんだもん♪」
釈然としたわけじゃない。でも、何が何やらわからなくても、妙な説得力があった。
だからだろうか、腹の底からわき出るように、穂乃果も海未も気づけば笑っていた。
――だねっ。
――ふふっ、それもそうですね。
それくらいには、三人と一人には積み重ねた時間がある。
こっちがいくら心配しても、男の子ってやつなのか、やせ我慢をして、かと思えば、こっちが困ったときにはそっと手を差し伸べてくる。
そんなヤツなのだ。あの幼なじみは。
だったら、
「私たちは、私たちにできることをやろっ?」
珍しくことりから発せられた積極的な言葉は、和菓子屋元気娘のやる気を着火させるには充分すぎるものだった。
「うん、そうだねっ!」
よーしと、天に腕を伸ばし、
「それじゃあ、もう一回、最初から!!」
そんな庭先の三人のやりとりは、わずかに開く2階の窓の向こうでも聞こえたことだろう。
そっと、カーテンが揺れている。
【あとがき】
(つд⊂)カユウマ
誰ぞ火を持てい! 杉の山林でファイヤーキャンプじゃ! 東南の風、呼び込んでやる(ズビビ
巨神兵でもいい! 薙ぎ払うんだよ、あれだよあの山を狙え、そーだ……よーく狙え、あれちょこれ距離近(チュドーン
お待たせしました。この第二章(?)も残りわずか(フラグ)。ライブに向けて、せっせとお膳立てお膳立て。