ほころび始めていた何かはついに現実に姿を表す。
小泉花陽、西木野真姫の間でやりとりされたチョーカーの破壊という最悪の形で。
高坂雪穂、綾瀬亜里沙の二人は自分たちのすべきこととは何かを探す。
どこか様子のおかしい日高行人を心配しつつも、
高坂穂乃果、園田海未、南ことりの三人はただ練習に励む。
舞台に立つ者、そのための準備をする者、応援する者、それぞれが問題を抱えたまま、
一週間を過ごした。
いよいよ。
本番、当日がやってくる。
はじめに言ってしまえば、
星空凛にとって、西木野真姫というクラスメイトは、特に関心を持つ対象ではなかった。
入学式の時初めて目にし、物凄い綺麗な娘がいると思ったものの、
その後はいつも一人でいるなぁとか、退屈そうに窓の外を見ているなぁとか、せいぜいそのくらいだったのだ。
だけども、無二の親友、小泉花陽が真姫に対し話しかけ始めた時に何かが変わり始めた。
珍しかったのだ。
あの恥ずかしがり屋で引っ込み思案な花陽が自ら話しかけに行くなんて。
でも同時に嬉しかった。
前に出ない性格だからこそ、相手から近づいてみないと花陽の良さはわからない。
しかし花陽から近づいていくのならばなおのこと、その良さがわかるだろう。
結果、凛は見守ることにした。
それが、
『真姫ちゃんに、私の気持ちがわかるわけないよ!!』
『こんなの、――こんなものっ!!』
あの言葉、行動に繋がってしまったのだとするなら、
きっと凛のその選択は間違いだったの、かもしれない。
◆#35-1 “夜明け前は、なお暗い”◆
追いつけるかどうか。
いや、追いつかなきゃいけなかった。
きっと、今、声をかけないと取り返しがつかないことになる。
その思いだけで、凛は真姫が音楽室に駆け込み鍵をかけようとした瞬間、足を挟んだ。
わずか15センチの隙間で凛の丸い目と、真姫のツリ目がかち合う。
「な、なんで」
「真姫ちゃんっ、教えて!!」
真姫が動揺した一瞬で凛は扉の隙間から身体をねじ込む。
このまま押さえていたらケガをするかもしれないと考えたのか、真姫はパッと手を離し、凛はよろけながらも室内へと入る。
しかし、大きく床を踏んで体勢を立て直し、
「いったい、何があったの!?」
わからないことだらけだったから。
最初、凛は舞台の奈落の方で作業をしていた。
そこから昼休憩と聞いて戻ってきた時、何か言い争うような声が聞こえたのだ。
いったい、誰だろうとその正体を確かめようとした、凛の目に飛び込んできたのは、
花陽と真姫の姿だった。
あの温厚で大人しいという表現のお手本たる花陽が顔をゆがめるその様は、頭をガツンとやられたかのような衝撃を凛にもたらした。
そのせいで交されるやりとりを傍観することしか出来ず、
もう一度、花陽が声を荒げた時、その手が放たれた箱からこぼれ落ちたのは、
「あのハートの宝石も……」
割れたアクセサリーと思しき物体だった。
赤いそれらが散乱した時、花陽と真姫、二人が同時に青ざめたのを凛は見逃さなかった。
以前は押しつけ合っていたように見えたが、その反応は互いに大事な物だったんだと凛は思う。
充血した赤い目のまま真姫は、
「なんで追ってなんかきたのよ。アナタには、関係ないでしょ!!」
「関係なくないよ!!」
一発で黙らせるような声量で凛は叫んだ。
「凛知ってるよ!! そりゃちゃんとお話し始めたのはつい最近だけど!!」
思い返せば、初めてまともに言葉を交わしたのは、あのA-RISEの握手会の日だった。
よくよく考えてみれば、あれから一ヶ月と経っていないのだ。
共有した時間はわずかばかりで、いずれも間には花陽がいて、ようやく二人きりになれたのはA-RISEのライブの準備に加わってからだった。
それすらも大した会話を交わしたわけではない。
与えられた仕事をこなす上で最低限の、たとえば「それとってくれる?」とか「終わったからそっちの残り手伝うよ」とかのやりとりしか出来ていない。
たった、その程度でも、信じるには事足りる
何故ならば、
「かよちんにとっての友達なら。凛にとっても友達なんだから」
要はそういうことだ。
だが、
「……友達、なんかじゃなかったのよ……結局」
自らの制服の右袖を強く握って、悔しげに真姫は吐き捨てる。
「違うよっ。絶対に違う」
それでも、凛は怯まない。
当然、真姫は食ってかかる。
「……ッ、意味わかんないわよッ!! あれは、あれは……とっても、大切な……大切な……ッ」
わからない。どれほど大切な物であったのかなんて。
もしも、逆の立場なら、もっと取り乱していたのかもしれない。
でも曲げてはならない。退いてはいけない。
「真姫ちゃん、かよちんともっとちゃんと話してみて」
唇を噛んだまま、真姫はうつむく。
震える両肩を見据えながらも、
続ける。
「凛は、……凛は、あまり気が利くほうじゃないけど、でもわかるよ。踏み込むのはコワいかもだけど、嫌われることもあるかもしれないけど、踏み込んでみてよ」
言いたいことは言った。
これで拒否されるようなら、仕方ない。
膝が震えるのを隠さない。誰だって踏み込むのは怖いのだ。
傷つくのを好む人なんていないと凛は思う。
わかってるのだ、そんなことは。それなのに、近づかずにはいられない。
大切な物はそんな簡単には手に入らないから。
長い、長い時間に感じた。
密閉された部屋、防音処理が施されているせいで余計圧迫感をもたらしている。
息が詰まりそうだ。
よくわからない民族楽器の押し込まれたロッカー、鉄の兵隊にも見える譜面台の群れ、恐ろしい音を奏でそうな老いぼれオルガン。
五線譜の引かれた黒板の縁には、誰かの忘れた音楽の教科書が立てかけられている。
よれた表紙に描かれたト音記号すらも今は恨めしい。
一筋の汗が、凛の頬を伝い落ちた時、
「――――――た」
かすかな声に凛は飛びつく。
「うんっ」
疲れたように真姫はグランドピアノへよろよろと向かっていき、椅子に腰をかける。
「一緒だと思ったの」
寄り添うように、凛もその隣へと並ぶ。
× × ×
あの子が――花陽ちゃんがアイドルが好きだって教えてくれた時、わかったの。
私と、一緒だって。
アイドルっていう、まぶしいくらいに光り輝いているものに憧れてるって。
――何か、きっかけはあったの?
ええ。
昔、ある人に、チョーカーをもらったの。……ううん、違うわ、預かったの。
その人は、誰もが憧れるような本当のアイドルで、どうして私に声をかけてくれたのかはわからないけど、それでもその時、
――私の宝物よ。貸してあげる。
――いつかきっと、アナタがアイドルになったら、それを返しにきてね。
――その日まで、待ってるわ。
そんな約束を、したの。
……笑っちゃうわよね。小さかったその時はまだわかってなかったけれど、生まれた時から決まってる道がある人間にとって、それはあまりにも残酷だった。
……私は、アイドルにはなれないから。
だから、渡したの。
私と似ているけど、私とは違う花陽ちゃんにこそ、持っていて相応しいものだと思ったから。
私の代わりに、それを返してほしいって思ったから。
――それは……、
えっ?
――それは、ちゃんとかよちんに伝えた?
…………。
凛の言葉にやがて真姫は首を横に振る。
「伝えて、ないわ」
「なら伝えなきゃ!!」
戻ろ!! と手を取ろうとする凛を振り払い、真姫は、
「もう、遅いわよ……あれを壊すなんて、あの子がそんな人だなんて思わなかった……っ」
声と両肩を震わせ、顔を隠す真姫にも凛は、
「違うよ!! かよちんは絶対にそんなことをするような子なんかじゃない!!」
「ちょっとアンタたち」
剣呑さを帯びてきた矢先、その声が割って入ってきた。
即座に二人がそちらへ顔を向ければ、眉根を寄せて、音楽室の入り口に立つ三年生の姿があった。
確か、二人と同じように今回のライブを手伝っていた先輩だ。時々生徒会の人たちを会話している所を見たが、矢澤先輩といったと思う。
その矢澤先輩は、凛を指差しながら、
「そっちのボブカットの方。あの子、えっと、小泉さん? 気分悪くなったみたいで早退するみたいよ。悪いけど仲いいなら、家まで送ってあげて」
「えっ!? かよちんが!?」
予期せぬ知らせに反射的に脚が動く、
――が、話はまだ終わっていないことを思い出し、上履きのラバーがキュッと音を立てる。
そこに、
「……早く行きなさいよ」
「……っ、…………ごめんねっ……!!」
真姫のうながしに頭を下げ、矢のような早さで矢澤先輩の横を突き抜ける。
すれ違った後で、「先輩ありがとうございましたー!!」という置土産が耳に届いた。
凛のせいで少し乱れた前髪を直しながら、再び真姫の方を向く。
「で、アンタだけど」
まだ何かあるのか、一人にしてくれという顔をする真姫に対し、
「――アンタ、ぼっちでしょ」
いきなり言葉の刃で切って捨てた。
辻切られた真姫は意味を理解すると共に顔を真っ赤にし、
「なっ、何よそれ!! 意味わかんない!!」
「あーあー、いるのよねー、物憂げに窓の外を見つめたり、休み時間になったらようやく一人の時間が出来たみたいな顔して教室出ていくやーつー」
まるで見てきたかのように真姫の図星を的確に突く矢澤にこに、
「な、なな、っ、ふ、ふざけないで!!」
どもりながらも、真姫は叫ぶ。
だ、誰がぼっちなものか。一人のほうが学生の本分である勉強だって集中して出来るし、昼食だって会話しながら食べたらゆっくり味わえないではないか。
一人だって困ることなんてない。
昔に戻っただけだ。
そうだ。もう慣れてる。困ることなんてなかった。
「そ、そんなの、……私の、」
本当は寂しくなんかなかったし。
「……っ、」
自分だっておんなじようにお弁当を広げて、円になりながら他愛もない話で笑いたくなんかなかった。
「私の、」
帰りはどこによってこうかなんて相談なんてされたくもなかった。
「勝手でしょ!!」
週末は映画とか、ライブとか、買い物とか、朝から一日中一緒になんか過ごしたくなんかなかった。
だから、
自分は一人だって大――
あの時かけられた言葉はガラスのこちら側だった。
――よければ、よければっ、です、だけど……わ、私、もう少し西木野さんと、お話し、したいです、な……
どもっていたとか、語尾がおかしかったとか関係ない。
そう言ってくれたのが、
どれだけ、どれだけ、嬉しかったか。
「はぁ〜〜」
喚き散らしたい気持ちを懸命に抑えていれば、嘆息しつつ、ゆっくりと歩み寄ってくるにこがいて、
「なに――――」
「ったく、そんな思いっきり泣きそうな顔して、なに強がってんのよ」
差し出されたのは、ピンク色のハンカチ。
「ツラいに決まってんでしょ。一人よりツラいことなんて、そうそうないわよ」
それが、限界だった。
× × ×
ぐるぐると。
直前までの流れだけが頭をリピートする。
きっかけはそうだ。
μ'sの先輩方がステージ上でリハをしている裏で花陽たちは準備をしていた。
朝から続いていた準備はお昼休憩を挟むことになり、
舞台脇で区切りがつくまで踊り続ける先輩らの姿に見つめていると、隣にはいつの間にか真姫が立っていた。
「……自分からは、いかないの?」
ためらう素振りを見せつつ、やがて口を開いた真姫に、
「無理だよ」
顔を舞台に向けたまま、花陽はすぐさま答える。
どこかいつもと様子の違う花陽に真姫は怪訝な顔をしつつも、まだ、
「そんなことないわよ。私よりもずっとあなたの方が――」
いずれあの場所に立つのだとしたら相応しい。
そう伝えようとして、
「だから、違うんだよ。真姫ちゃん」
ようやくその瞳がこちらを捉える。
でも映らない。何も。
どろりと、
そして気づけば、言の葉は舞っていた。
「私と、真姫ちゃんは――違うんだよ」
――えっ
「な、なに、を……」
かろうじて真姫が搾り出せたのはその程度だ。
「真姫ちゃんにはわからないよ。だって……だって、」
名前の通り、花が咲くように笑ういつもとは違い、
その嫌な笑みはコールタールでもぶちまけたような気分にさせ、
「全部持ってるもん、ね」
時が止まったように、はっきり聞こえた。
脳内が理解するのを拒んでいる。
それは垂らした黒インクが、白いハンカチを浸食していくようで、無理やりわからせてくる。
わかって、しまう。
「どう、して、」
昔から言われてきた言葉だ。それは。
――真姫ちゃんは、なんでも持ってるね。
自分の力で手に入れたものじゃないのに。欲しがっていたわけじゃないのに。
どいつもこいつも、決めつけてくる。
そんなに満たされてるんだから。悩みなんてないでしょう、と。
あったら、それは贅沢だよ、と。
ふざけるな。
悩みだといくらでもある。何も知らないくせに、わかろうともしないくせに、勝手なことを言うなと叫びたかった。
でも、でも、そんな言葉を向けてくる輩とは違う。目の前の少女は絶対に違う。
そう、思ってたのに。
「――わからないわよ……持ってるんだから」
心が着火した。
「そうやって、ただうじうじしてるようにしか、私には見えないもの!!」
そうすればあとはもう一気だった。
「真姫ちゃんに、私の気持ちがわかるわけないよ!!」
売り言葉に、
「あなただって、私の気持ちなんかわからないでしょ!!」
買い言葉。
互いの声がどんどん大きくなる。講堂内に響くように、
それが頂点に達し、
「こんなの、――こんなものっ!!」
ブレザーの内側から、頭に血が上ったまま見覚えのあるケースを花陽は取り出そうとして、
つい、力の加減を誤った。
勢いよく花陽の手を離れたそれは、回転し、舞台上へと飛んでいく。
一瞬の出来事がコマ送りのようだった。
弧を描いたままケースは床に落ち、
1回大きく跳ねた。
その弾みで開いた口から、
こぼれ落ちたキラキラと輝く何か。
コツッという軽い音を立てて、
もう一度ケースが着地する。
その軌跡上に散乱した何かの中央に、それはある。
――チョーカー、だったものが。
最初は何が起きたのかを認識できず、辺りは誰かの息づかいも聞こえないくらい静まり返っていた。
たまらず体が傾ぐまま一歩踏み出した花陽は、破片の数々から目を背けて、
口元を押さえた真姫がいる。
二回、三回まばたき繰り返し、そこから感情の波が溢れ出した。
その時の……真姫ちゃんの顔が、忘れられません。
「……そっか」
青白い顔でとつとつと語り終えた花陽に、
東條希はベッドの横の丸椅子に座りながら耳を傾けていた。
あの後、ステージ上で気を失ってしまった花陽は気づけば保健室で寝かされていた。
目覚めなければよかった、とまず思う。
――最低なことをした。
取り返しのつかないことをしてしまったという後悔、自己嫌悪に、思わず胃液が逆流しそうになった。
身を丸める花陽にそっと伸ばされた手。
優しく背中をさすってくれたのが希だった。
何も言わずただ落ち着くまでそうしてくれた。
だからこそ、甘えてしまったのだろう。
もう一度、
「そっか」
頷くだけだったのが、逆にありがたかった。
慰めの言葉をかけられていたら、余計自分が許せなくなっていただろう。
ただでさえ、消えてなくなりたいと思っているのに。
ベッドの上で体育座りになっていた花陽が、自分の腕に顔を埋めようとして、
立ち上がる音が隣で、した。
「なんで人って、自分以外の誰かに憧れて、うらやましいって思っちゃうんだろうね」
使い所の不明な換気扇、
今日はいない養護教諭のデスクの上に置かれた観葉植物、
脱脂綿や包帯独特のにおいがする中、
柔らかい日差しに包まれて、希の背中が口を開くように揺れる。
「ウチも経験あるよ」
意外だと思った。
普段、学校の色々な所で見かける生徒会副会長。
実際に話したことこそなかったが、周りの評判を聞く限りすごい面白い人らしいという認識だった。社交性が高く、周りを楽しませる人気者。ならそれこそ、羨ましがられる側の人間ではないのか、と、
つい反応してしまう。
「……その時、その気持ちはどうしましたか」
ひょっとしたら答えを持っているのではないかと勝手に期待して、
「今もずっと、持ち続けてるよ」
拍子抜けした。
だが、わかってると言わんばかりに希は、振り返って微笑み、
「そんな気持ちにさせた人には、今もずっと憧れてる。うらやましいと思い続けてるよ」
何が言いたいのかよくわからなくて、
途方に暮れる花陽は指を気持ち悪く動かしながらにじり寄ってくる希に気づかず、
「ワシワシ〜っ!!」
「ぇ、わ、キャッ、やめっ、やめてください!!」
ものの見事にモミングされた。
ふむふむ、これはもうすでに有望やねと、確かめるように一揉み、二揉みされ、
「だ、誰か助けてぇ〜〜っ!!」
ガラガラっと、
「かよちん、大丈夫!?」
室内に飛び込んできた凛は、花陽が先輩にモミングされている光景に目が点になる。
「な、なにしてるの……?」
矢澤先輩に花陽の体調が優れないと聞いて飛ぶように駆けつけたというのに、
これはどういうことなのだろう。
生徒会副会長の先輩に、横から胸元へと腕を回されているこの図は凛にとっては理解不能というか、レベルが高かった。
「んふふ〜、元気出るかな〜ってね」
「で、出ませぇ〜ん!!」
涙目で抗議されたので、パッと手を離した。その間際、耳元で、
――雨が降るのを嫌がったらダメだよ。
問いただす間もなく希は、
凛に大丈夫だとは思うけど心配だから帰りはお願いできる? と尋ね、
はーい! という元気な返事を満足げに受け、じゃあねと講堂へと戻っていった。
「どういう……意味だろ」
難解な謎かけを投げかけられたのだろうか。
だとしたら、
とてもじゃないが答えは出せそうにない。
「かよちーん……、も~、かよちん!!」
目の前で大きな声を出されビクついた。何回か呼んでるのに無視するんだもんと凛はふくれっ面で怒ると、
急に真面目な顔に戻って、
「……これからどうするの?」
どうすればいいのか。
謝ればいいのか。
あんなことをしてしまったのに。
逃げればいいのか。
背中を向けて耳をふさいで。
ぐるぐると、やはり思考はまとまらず、堂々巡りを繰り返す。
「……わからない」
うめくように、花陽は手のひらへ目を落とす。
そこに、重ねられた手が、
「――凛は知ってるよ。かよちんが何を本当はしたくて、何をすべきかってこと」
暖かい手は続ける。
――でも、教えない。
「かよちんなら、絶対わかるよ」
そうして、
凛は、かよちんのカバン持ってきたよ。両手にぶら下げたそれを持ち上げ、
えへへと、笑うのだった。
× × ×
当日。ちょうど30分前のことだ。
『待ち合わせは音ノ木坂の校門前で!』
そんな指定をされたものだから、高坂雪穂と絢瀬亜里沙はザ・五月晴れの陽気の中、こうして待っている。
だのに、
「お兄ちゃん遅いなぁ……」
一向にやってこない待ち人に、ついつい雪穂の口からも困惑が漏れる。
『A-RISE こどもの日限定、フリーライブ!!』
もうすでに開場は始まっており、こんなの入学式か文化祭でもやっているのかという勢いで、同年代の中学生や小学生、その付き添いが音ノ木坂の校門をくぐり講堂へと吸い込まれていく。
さすがA-RISEだ。
にこ先輩とか、色んな人たちが告知を頑張ったとはいえ、ここまで集客することが出来たのは本当にA-RISEの力によるものだろう。
その前座が目的の人間など、おそらくは今ここにいる二人だけだ。
だけど関係ない。
自分たちにだって出来ることは、きっとあるはずだ。
頼りになるはずの相方へと顔を向ければ、
「お兄ちゃん? ユキホはお兄ちゃんもいるの?」
ついさっき、こぼしたぼやきを拾われた。
「ああ、えっと、お兄ちゃんってのは血が繋がってるわけじゃなくて」
「……? 血がつながってないお兄ちゃん?」
いやそうじゃない。
なんだその設定は、とツッコみたいのをこらえながら、
近所に住んでる幼なじみのお兄さんだと説明する。
「へえ〜、どんな人なの!?」
そこら辺はやはり女の子なのか、興味津々と身を乗り出す亜里沙にたじろぎつつ、
「いや、その、なんていうかなぁ……」
小さい頃から、姉に振り回されている姿を多々見てきたが、そんなあの人を形容する言葉とはなんだろう。
思い浮かぶのは2.5枚目、残念な人、もう少し頑張りましょう、とかロクでもないものばかりで、
ふと様子を確認すると、期待を膨らませている亜里沙に、うっと言葉が詰まる。
「えーっと、……ね?」
もう深く考えることはやめだ。
パッと思いついたのをそのまま口にする。
「ほっとけない人、なんだよ」
どっちの意味でもと付け加えて、もう一度亜里沙の顔を窺えば、?を両頬にくっつけていた。
その後でそのほっぺを膨らまし、唇をとがらせて、
「むー、ユキホ、わざと難しい言い方してる」
「あはは、だよね、ごめんごめん」
たしかにその自覚もあった雪穂は、すねる亜里沙に謝りつつも、
――でも、やっぱり、そうなんだよ。
自分だけに聞こえるような大きさでつぶやいて、
「そういえば、亜里沙はどんな人を誘ったの?」
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、むふーと胸を張ると、
「カッコいい、私のゲローィ!!」
一拍おいて、
「ゲr……なに?」
なんかちょっと汚い気がして、言うのがためらわれた。
伝わらなかったことに亜里沙は、もう一度適当な言葉を探し、
「あっ……えっと、そうだ、ヒーロー!!」
「ヒ、ーロー?」
雪穂の頭の中では赤いメットを被って爆発を背景に、ポーズを決めるヒーローが描かれている。
ゲテモノ系の悪役怪人を蹴飛ばすのと同時に、
「うん、ヒーロー!」
お、おう、と雪穂が頷きを返した時、
「――待たせたっ!! ごめん、二人とも!!」
最初、どこの戦場から帰還してきたのかと思った。
いくつか鉄の棒のような物が飛び出したリュック2つを身体の前後に抱え・背負い、更には小さなショルダーバッグをたすきがけした行人が現れる。
あまりの重装備に雪穂も亜里沙も目を丸くし、
「ゆ、行人お兄ちゃん、ど、どしたのそれ……?」
「わあっ、行人さん、なんですかこれ!?」
思わず二人は顔を見合わせた。
――なんでこの人のこと、知ってるの?
互いの顔にそう書いてある。
「悪いけど、ぜぇ、話は後だ。二人ともチケット持ってきてるな?」
説明もせずに汗だくの行人は二人の手に2枚ずつチケットが握られているのを確認する。
「よし、1枚は俺と、もう1――」
その背後よりぬっと現れたのは、
「ここか」
今すぐ舌なめずりでもしそうに、音ノ木坂の校舎を見回す
どこぞの輩とは違い、ショルダーバッグを1つ提げただけの軽装である。
当然ながら汗一つ垂らしていない。
「なるほど、
涼やかにコメントするその様に、どこぞの輩の堪忍袋の緒が切れた。
「つか、」
ぜぇぜぇ息を切らし、
「なんで、……俺の、方が、機材重いんだよ!!」
その比率は9:1になるだろう。
無論、行人と百合彦、どちらが9かは言わずもがなである。
「監督が重たい物を運ぶわけがないだろう」
「だぁ、俺はいつからお前のアシスタントになったんだ……」
残された力を全て注ぎ込んで呪詛を吐こうとする行人に対し、百合彦は表情を変えず、
「――どこぞの女子たちのために、俺に手伝えることなら何だってする。そう言ったのはどこの――」
「わぁわぁ〜〜!? しーっ、しーっ!!」
泡を食って、行人は人差し指を口の前に立てる。
「ふん、まぁいいだろう。先にセッティングをしておく」
お前も落ち着いたらすぐに来いと言い残すと、百合彦は雪穂のチケットを取り、大きいリュック2つを軽々と持ち上げ校内へと入っていく。
「はぁ……持てんなら最初から持てよ……」
服の袖で汗を拭う行人に声をかけるべきか二人が迷っていると、
「っし!!」
己の頬をはたくと表情を引き締め、雪穂と亜里沙の肩に手を置き、
「二人に手伝ってもらいたいことがある」
「はい、何をやればいいですか!!」
戸惑うこともせず即答する亜里沙に、行人の方が驚きながらもニヤっと笑い、
「監督曰く、悪だくみ、だ」
【あとがき】
本日午後七時頃より、
後編:#35-2「明日のススメ→」
もちろんあの曲をご用意をば、お願いします。