余韻が残っている気がした。
目を閉じれば、熱はまだそこに残っている気がして。
まだライブが終わっていないような、ふわふわした気持ちのままでいる。
穂乃果はステージに腰掛けて、脚をぶらつかせる。
解放感からか、ふと思い立ってローファーを脱ぎ、靴下も脱ぎ、裸足になる。
なんだろう。
「……じっとしてらんないや」
誰もいなくなったステージの上に立って、もう一度あの時の楽しさを味わえないかと、
「穂乃果、ここにいたのですか」
「あ、海未ちゃん。……うん」
声をかけられ、夢うつつの状態から戻る。
「みんなはどうだった?」
――ライブは大盛況のまま、幕を下ろした。
これが結果に繋がるかどうかはこれから次第ではある。
しかし、少なくとも音ノ木坂学院という学校があるということと、
みんなに喜んでもらえたという自負は少なからずある。
何はともあれ、落着したとなればそれを祝したくなるのが人の性。
「はい、それじゃあ、また今度と言ってました。……悪い気もしましたが」
要は、打ち上げである。
今回準備その他諸々をしてくれた生徒会+有志の何人から、主役として打ち上げに誘ってくれたものの、
ごめんと言いつつ、辞退した。
なんというか、もちろん感謝も込めて参加すべきなのはわかっているが、
――先約があるのだ。
だから、こうして待っているのだが、
「あ、そういえば、海未ちゃん。ツバサさんと連絡先交換しちゃった!!」
「え、えぇっ!? 何故です!? 穂乃果の連絡先なんて知ってどうする気ですか!!」
また何かしたのでしょうと言わんばかりの顔で詰め寄られるが、
「い、いやぁ、なんか今度私たちとA-RISEの人たちとで打ち上げしようって……」
「ま、まさか、呼び出し、……か、かわいがりというやつでしょうか……」
とうてい信じきれず、打ち上げだって言ってるのに海未は物の見事に間違った捉え方をする。
さすがの穂乃果も苦笑いで、違うと思うけどなぁとこぼしていると、
「穂乃果ちゃーん。ゆーくんと連絡取れたよーっ」
講堂の外で、電話をしていたことりも戻ってくる。
「あ、ほんと?」
「うん、雪穂ちゃんたちを送った後で、なんかまた急ぎでやることがあるらしくて。声かけられなくてごめんって、でもちゃんと見てくれてたってっ」
声を弾ませることりに穂乃果も表情が緩むが、すぐに曇らせ、
「そっか、お礼言いたかったんだけどなぁ……」
「えっと、なんかね……私も言ったんだけど……、そしたら――――
楽しみに待ってろって」
首を傾げながら、一拍の間を置いて行人の言を述べたことりに、
「……どういうことでしょう?」
海未も怪訝な顔をせざるを得ない。
いったい、あの幼馴染はいったい何をしているのやら。
以前のように、少し顔を見ないなと思ったら、いきなり怪我でもされたら心臓に悪い。
すぐさま見舞いに行った病室では、あっけらかんとしていて拍子抜けしたが、それを確認するまではとてもじゃないが、何か他のことを出来る気がしなかったことを海未は思い出す。
そのくせいつもお前ら三人は心配だー心配だーと、自分ばかりが心痛に悩まされてるようなことをうそぶくが、こっちだって心配してるのだ。
それを少しくらい……わかってもらいたいものだ。まったく。
「しかもね。その後、ゆーくんが、ぐふふって笑ってたら、電話の後ろの方で男の人の高笑いが聞こえてきて……」
「なんですかそれは……」
もう時すでに手遅れの可能性が出てきたことに海未は半目になっていると、
「――少し、いいかしら?」
話題の落ち着くタイミングを見計らっていたのだろう。絵里が客席後方より降りてくる。
「あれ、絢瀬先輩? 打ち上げとかはよかったんですか?」
一番先頭に立って、今回の企画段階から指揮を執ったのだ。
労われるべき人間を挙げるとしたら、まず彼女の名が出ないはずがない。
「ええ、後で顔は出させてもらうつもりだけど。まずは今日のこと、あなたたちにお礼が言いたくて」
――本当にありがとう。
深々と頭を下げる。
とんでもないと、慌てて三人は、
「あ、頭を上げてくださいっ、絢瀬先輩」
「そうですよ!! 私たちの方こそ、お礼を言わないと!!」
「先輩こそ、企画運営お疲れ様でした。ありがとうございました!!」
口々に功労者に感謝の言葉を口にする。
そもそも絵里が企画してくれなければ、今日の出来事はなかった。
あの大勢の観客の前で歌い踊り、ありのままの感情を届け、拍手をもらった時の感覚。
あんな気持ち、今まで一度たりとも味わったことがなかった。それだけで、何回感謝しても足りないくらいなのに、
――しかし、絵里は首を振る。
「ううん、私は……結局、あなたたちの力を借りてしまったから」
そして、疲れた表情で、
「――ごめんなさい」
単なる卑屈でそう言ってるようには見えなくて、三人は言葉をなくす。
気まずい雰囲気が足元から満ち始めてきた時、
「ほら、凛ちゃんも!!」
「え、えーっ!! り、凛もぉ!?」
「当たり前でしょ、あなたも責任の一端あるんだから」
そんな空気を吹き飛ばすように、かしましい声が響き渡った。穂乃果、海未、ことり、絵里、が一斉にそちらに視線を向けると、
「あ、そのぅ……お、お邪魔します」
注目を集めてしまったことに気付いた花陽がぺこぺこし、
風呂を嫌がり床に爪を立てる猫のように、かかとでブレーキをかける凛の手を引きながらこちらへと徐々にやってくる。
そして、抵抗する凛の両肩をぐいぐい押しているのは真姫で、今まで穂乃果達が見てきた印象とはまったく違うようなその行動に、一同は驚きを隠せぬまま、ぽかんとしている。
そうして、やってきた1年生3人は、上級生を前に切り出した。
「先輩方、あの、お話があります」
花陽はよほど緊張しているのだろう。
まばたきを何度もしながら、決意の面持ちで口にする。
「突然ですみません……でも、私、決めたんです。
――どうか、皆さんのスクールアイドル、μ'sに私も入れてください!!」
初めの一歩を踏み出すと決めた。
「小泉花陽。人前に出るのが苦手で、すぐ緊張して、運動神経も良くないです。声が小さいと怒られることもよくあります……」
そうだ。それが自分だった。
これまでの、自分だった。
だから、ダメだと。自分では無理なんだと思っていた。思おうとしていた。
本当の気持ちを抑えつけて。
――誰よりもあの光り輝くステージに立ちたいと願っていたのに。
それが、結局、明日に蓋をするってことだったんだろう。
あんなに何度も見たのに。まだ全然理解できていなかった。
さすが舞ちゃんと思う。その姿に憧れることが出来て、本当に幸せだ。
でも、これからはその憧れの方向を少しだけ変える。
テレビの向こうの憧れの存在ではなく、いつか追いつきたい憧れの存在へと。
もちろん、今も……怖い気持ちは変わらない。
どんだけ大層なことを言ったって、失敗することもある。そもそも先輩方の仲間に入れてもらえるかどうかすらもわからない。
だけど、進もうと思う。
だって、
私だって、
――――明日は無限大だって信じたい。
「それでも、アイドルに対する想いだけは誰にも負けません!!」
どうか、どうか、お願いします!! と、全力で頭を下げた。
背中にあたたかい手の感触。
それに続くように、
「西木野真姫。昔からピアノをやってて、作曲とか出来るから……力になれると思う。
誘いを何度も断っといて今更こんなこと言うのってのはわかってるけど……本当は、」
きっと迷うこともあったと思う。でも、真姫もまた決めたのだ。
「――私もアイドルが好き。どうか、私も仲間に入れてください」
横で頭を下げているのが見えた。
そして、背中の感触がもう一つ増えて、
「星空凛です。り、じゃなかった、私はその、二人みたいにアイドルが大好きってわけじゃない、です。で、でも、この前の先輩方のライブを見た時、――凄いと思いました。凛もこの学校がなくなるのに何もしないのはやだし、二人は大事な友達なので、……ええと、よ、よろしくお願いします!!」
言ってる間に、自分でも何を言ってるのかわからなくなったのだろう。
つい肩が震える花陽と真姫に、もぉ〜ひどいにゃ〜っ!! と言いつつも、凛もまたよろしくお願いしますと頭を下げた。
1年生3人のそうは言ってもやはり不安な心のうちなど知らず、
答えは決まっていた。
「3人とも、これからよろしく!!」
花陽に手を差し出す穂乃果に、
「もちろん大歓迎です。西木野さんの曲、頼りにさせてもらいます」
真姫に手を差し出す海未に、
「どんな理由だっていいんだよ、星空さん。一緒にやろうって思ってくれたことが、本当に嬉しいな」
凛に手を差し出すことり。
それぞれがその手を取り、μ'sに新たに――
「ちょちょ、ちょぁ――――っと待った!!」
割って入る声がとどろいた。
一体どこで話を聞いてたのか。
こそっと隠れて聞いてたとしか思えない客席の位置から姿を表した彼女は、席をかきわけかきわけ、
全員のいる舞台前まで出てくる。
息と髪の毛を整えると、
「アンタたち、誰か一人忘れてない」
フフンと斜め仰角45度の顔で腕を組む。
「あ、あなたは……っ!?」
外人も真っ青なリアクションを取る穂乃果は、
「――誰ですか!?」
いつも通りの間と、とぼけたことを抜かし、彼女をずっこけさせる。
「ちょっと穂乃果。……3年生の、矢澤にこ先輩です」
「え、海未ちゃん、お知り合いなの?」
耳打ちしてくる海未に対し、穂乃果も小声で聞き返す。
「えっ? い、いえその、ちょ、ちょっとご縁があったといいますか。ははは……」
露骨に目を逸らす。ビラ配りの時の件に関しては胸に秘めておかねばなるまい。
「矢澤先輩!! どうしてここに!?」
次いで反応したのは花陽だ。駆け寄ろうとするものの、その口元がしっかりへの字になってるのを見て、脚を止める。
「アンタらが好き勝手なことを言ってるから、ずっと聴いてたのよ!!」
キッと睨むものの、
「それって盗み聞きじゃあ……」
凛にツッコまれ、泡を食いながら、
「だ、黙りなさいボブカット!!」
苦し紛れにそんなことを言う。
「ぼ、ボブカットじゃないです!! 凛は凛って名前があーりーまーすぅー!!」
断固抗議する凛と何故か一歩も引く気のない様子のにこの間に、投下されたのは、
大きなため息。
「どうでもいいけれど、わざわざ漫才をやりにきたの? 違うでしょう、はやくしなさいよ」
髪をくるくるしながら、呆れ顔で真姫が急かす。
「か、かわいくないわねぇ~っ!! ヘコんで、びぇびぇ泣いてたのはどこの誰よ!?」
今にして思うと、あれは一生の不覚だったと、
「なっ、あ、あれは仕方ないでしょ!!」
煽り耐性のない真姫が我慢できるわけもなく、顔を真っ赤にしながら参戦する。
花陽は友人二人と、世話になったと感じている先輩の口喧嘩にただおろおろとその場を右往左往するだけである。
穂乃果、海未、ことりもどうしたものかと対応を考えあぐね、
「――とりあえず、矢澤さんの話を聴きましょう」
年長者としての自覚か、絵里がこの場をまとめるべく動いた。それに乗っかり、海未もことりも、にこと1年生たちをそれぞれなだめに走る。
どちらも承服致しかねると言わんばかりに不満そうなのをどうにか納得させ、とにもかくにも一旦リセットをかけると、
「アンタたち、勝手にウチのスクールアイドルを名乗ってるみたいだけどね!!」
ふんぞり返って後方バク転しかねない勢いで、
「誰の断りがあって活動してんのよ!!」
講堂中にその甲高い声が響き渡った。
ぃえっ!? と、最初の言い出しっぺである穂乃果があげた声に、にこから皆の視線がそちらに移る。
「い、一応、先生とか生徒会長……絢瀬先輩、には訊いたんですけど……」
も、もしかして、他にもお伺いを立てるべきだった相手がいたのかなと、焦る穂乃果に、
「もう一人いるでしょ!! スクールアイドルをする以上、学校から正式団体の認可を受けないといけないんだからっ」
「あっ」
わかったと手を叩く穂乃果に、にこは今度は前のめりになり、
「理事長!! ことりちゃんのお母さんに聞かないと」
そのまま倒れた。即座に鼻を押さえながら立ち上がり、
「違うわよ!!」
「えぇ~……じゃあ、わかんないです……」
なんだこの恐ろしく察しの悪い後輩は、と地団駄を踏み、
「そこの生徒会長なら、当然知ってるわよね!!」
びっと指差された絵里は、急に話題を振られたことに戸惑いつつも、心当たりを語り出した。
「矢澤さんは……うちのアイドル研究部の部長なのよ」
「アイドル研究部!? そんなのあったんですか!?」
全然知らなかったと素直に驚愕する穂乃果と同じような反応を、海未もことりもしている。
目下、部活動選びが悩みの1つである1年生たちもそれは変わらないようで、
「そ、そんな部活があったなんて……っ!?」
「えー、でもおかしいよ。そんな部活があったらかよちんが気づかないはずないと思うにゃー」
「私も……誰かいたのなんて知らなかったわ」
口々に放たれる「知らない」という言葉に歯ぎしりを隠さないにこを横目で窺いつつ、
「部長、というよりかは……その、元、部長と言った方が正しいのかしら……」
「どういう意味ですか?」
首を傾げることりに、
「アイドル研究部は去年、部員が1人……矢澤さんだけになってしまったから、今年度からなくなる予定だったの」
――たった1人の部活動。
それははたして、部活動と呼んでもいいものだったのだろうか。
目を見開いたまま固まっている真姫のことに気づかないまま、にこは、
「……あくまで予定だったでしょ。これから……入るかもしれないじゃない」
絵里にとって、それは反論しようと思えば出来た。去年の段階で、廃部まで彼女には1年の猶予を与えられたのだ。
その間に、新たに入部してきた者も数人いたはずだ。だが、数ヶ月と経たずに、彼女の元からは去っていった。
そう、希からは聞いている。
「だから……高坂さんたちがもし今後スクールアイドルとして本格的に活動していくなら、部活動の位置づけ的には、アイドル研究部と入れ替わりという形になるはずだったの」
学校の認可が降り、正式団体ともなれば当然、毎年予算が組まれることになる。各部が熾烈な予算争いを繰り広げる中で、過去には揃っていたとはいえ、現在部員が1名しかいない部を……いつまでも存続させておくことは許されない。
そのため、絵里は自分と希の2名を加え、μ’sが正式団体としての条件を満たした状態で申請を出したため、新たに「アイドル活動部」として「アイドル研究部」と入れ替えることを考えてはいた。
もしそうなると、現在、アイドル研究部の所有する部室なども当然没収ということになる。
正当な理由こそあるが、そこに横たわっているのは人間の感情である。追い出されるにこからしたら、追い出すμ'sを面白くないと感じるのは理解できる。
「矢澤先輩……」
花陽のつぶやきは全員の気持ちを代弁するものだったのだろう。
「すみま――」
「謝んじゃないわよ……あたしは、謝って欲しいわけじゃない」
一歩進み出て頭を下げようとした穂乃果より、にこの方が速かった。
「なんで……なんでアンタたちみたいのが、ろくすっぽアイドルがなんであるのかすら、わかっていないようなのが、スクールアイドルを始めたのかって、最初は思ったけど……」
――でも、と、
本当に、感情の滲んだ声で、
「今日のライブ……悔しいけど、凄い良かったわ」
――アンタ
――……がんばんなさいよ。
それだけ。と早口に言い終えると、背中を向けて出口へ立ち去ろうとして、
「……待ってよ」
真姫だった。
「何それ……何それ意味わかんない!!」
髪を振り乱してまで、呼び止める。
「それでいいわけ!? 一人よりツラいことなんて、そうそうないって言ったのそっちじゃない!!」
あの言葉は、忘れない。絶対に、絶対に、一人のツラさを知っているからこその言葉だった。
その部活動で何があったのかまでは真姫もわからない。
だけど一度だけ、たまたま放課後、校舎内を歩いていたときにある部屋を見つけたことがある。
部屋の扉には、テープが張られ、その上にはマジックで『アイドル研究部』と乱暴に書かれていた。
そんな部活はたしてあっただろうかと目を疑った真姫も、そのアイドルを研究する部という名前に興味をそそられなくはなかった。
しかし、扉に備えられた窓は完全にカーテンによって遮断されており、中を覗くことはできない。
普通の部活動なら多少なりとも人のいる気配がするものだし、ましてや新入生が入学してきたばかりの時期、解放されているのが当然だった。
それなのにあの部屋は、まるで誰かが来ることを拒んでいるようで、異様だった。
でも、もしも、その固く閉ざされた扉の向こうで、たった一人の部員がいたのだとしたらどうだろう。
あの時、立ち去ってしまった自分にとってのガラスが、あの扉だとしたらどうだったのだろう。
決まってる。
一人ぼっちの誰かは、隣に寄り添ってくれる友達を、仲間を、求めていたに違いないのだ。
「ふん、一緒にすんじゃないわよ。あたしはもう慣れたしへーきなの。こんなの。
それよりアンタ、せっかく仲直りしたなら、つまんないことで、もうケンカすんじゃないわよ」
違う。平気な訳がない。
なのに、何故行こうとするのだ。
そっちへ行ってしまったらもう――
「――にこっち、向かう方向が逆なんやない?」
出口に手をかけようとした瞬間、反対側から開けられ、
笑みをたたえ、腕を伸ばした希が通せんぼした。
「の、希、なんでアンタがそこにいんのよ!! どきなさい」
首を横に振ると、
「いーや、悪いけど、たった今から通行止めになったんよここ」
笑みを浮かべたまま、指を気持ち悪い速度でワシワシと動かし、
「まぁ無理矢理通るっていうなら、多少覚悟してもらうことになるけどねぇ~」
や、やられる……っ、と咄嗟に後ろに引いたにこに、希は扉を後ろ手に閉めながら距離を詰める。
そして、
「みんなー!! ちょっとにこっちが言いたいことあるらしいから聞いてあげてー!!」
勝手にそんなことを言い出した。
やめなさいよ!! と抵抗むなしく、不思議な力で操られてるかのように、にこは向きを反転させられる。
「ちょぁっ!? な、なんだってのよ、何も言うことなんかっ」
「素直になれなくてごめんなさーい!!」
黒衣のように、にこの肩の後ろ辺りに頭を隠すと希は、
「はぁっ!?」
「にこにーはぁ、ちょっと素直になれない子だからぁ、こんなツンツンした態度取っちゃったけどぉごめんなさぁ~い」
声色を巧妙に真似て腹話術を始めた。だが、納得のいかないにこはなおも、
「誰よ、そのキャラ!! もう少し似せなさ――」
「今から言うことが本当の気持ちなんだけどぉ~、聞いてくれる?」
いや、だから、もっとそういうことを言うときは首の角度とか目元を潤したりとか、リップクリーム塗りたくったりとか準備が――
「え、え、え~、な、何それ、きっ、聞きた~い!!」
よほど恥ずかしいのかリンゴのようになっている真姫が、最初にわざとらしいにもほどがある反応をした。
それに呼応するように、
「わ、私も聞きたいですっ!!」
「凛も知りたい!!」
1年生たちのわざとらしいノリ方に、
「…………な、何よそれ……」
「ありがとぉ~!! えっとね、にこぉ~」
希はそこで顔をようやく出して、自分の耳のそばに手を立てると、まるでにこが耳打ちしているようにして、
「ふんふん、……えぇ!? にこっち、ずっとμ’sに入りたかったん!?」
高坂さん、たしかμ’sって!! とわかりやすいパスを放り、
「ええっ!! そうだったんですか!? 私たち、ちょうどメンバー募集中なんです!!」
受け取った穂乃果は目で合図を送り、
「なにぶん、1年生の子たちも入ったばかりでして、まだまだ私たちだけでは力不足なんです。だから、どこかに頼りがいのある先輩がいないものかと……」
海未は大げさに嘆き、
「それにアイドルについても、全然うとくていつも怒られちゃうんです。だから、そういうのに詳しい人に入ってもらえたら、とっても助かるなって……」
ことりも胸の前で手を組む。
最後に託された絵里は、一つ頷くと、優しい微笑のまま、
「そんな人に、ちょうど心当たりがあったから。私からもぜひお願いしたいくらいの人なんだけれど」
耳元で、
「――だって。どうする?」
覗き込んでくる希がいて、
「……は、何よ、アンタ、たち」
上げた顔は、
わさびを我慢してるかのような顔だった。
「そ、そこまで言うなら……し、仕方ないわねっ。このう、宇宙No.1アイドル矢澤にこが、アンタたちにアイドルのなんたるかを教えて上げるわよ!!」
鼻をすすると、
「だいたいアンタたち、部室の一つもないでしょ」
過去のアイドルのライブ映像とか、雑誌とか勉強することは一杯ある。
いつかみんなで見ようと思っていたものがあの部屋には山ほどある。
――にこには、ついてけないよ。
――私たち、そんなに本気じゃないし。
――ばいばい。
今度は、うまくやれるだろうか。自分の想いを押しつけることなく。
――いつか、まだまだガラ空きのこの講堂を埋め尽くせるような、そんなスクールアイドルになってみせます!!
――アイドルに対する想いだけは、誰にも負けません!!
――その人の後ろからついてくる人たちが、隣に並んでくれる人たちが現れたのなら、
――終わらないよ。
前とは違う。
目の前の後輩達が口にしてきた言葉は、自分の思いにも負けてなんかいない。
だから、どうか、
「せいぜい遅れないように……ついてきなさい」
何かを隠すように、背を向けて顔をこするにこに、
深く頷きながら希が、
「――うんうん、要するに、私も仲間に入ーれーて、っていうわけやね」
「もういいわよぉっ!!」
ビシッと、そのままありがとうございましたとはけてもいいぐらい理想的なツッコミを入れたにこに、穂乃果が、海未が、ことりが、花陽が、凛が、真姫が、絵里が、駆け寄っていき、
「矢澤先輩!! これからよろしくお願いします!!」
そんなに嬉しそうに駆け寄られるとまた目頭が熱くなる。うっとうしいと憎まれ口を叩きつつも笑ってしまう自分の顔の筋肉は一体どうしたのかとにこは思う。
「これで、いちにぃさん……えぇっ、す、凄いよことりちゃん、一気に9人になっちゃった!!」
「うん、これならゆーくんも安心してくれるんじゃないかなっ」
「一気に本格的なグループになった感じがしますね」
はしゃぐ2年生たちに目を細めつつ、希は、
「さてと、素直になってもらったところで……もう1人もやね」
自分が入ってきた扉に向かっていくと、待たせてごめんね、入って、と、
一歩、横にずれ、おそるおそる入ってきたその人物を迎え入れる。
「戸川……さん?」
花陽が名を口にするなり、その少女――戸川夏紀は土下座しかねない勢いで頭を下げた。
そのいきなりの謝罪に、面食らいつつ、花陽は、
「ど、どうしたの!?」
「っ、ごめん!! …………花陽ちゃんのカバンにあったあのチョーカー、壊したのあたしなの」
心臓が鷲掴みにされたかと思った。
「え……、え、だ、だって、あれは……私が……」
投げてしまって壊したはずだ。
「違うの。本当はあたしが……」
言い終わる前に泣き出す夏紀に、真姫が黙っていられなかった。
「ちょっと、どういうことよ!! ちゃんと話して!!」
今にも掴みかかりそうな勢いの真姫の腕をとっさに凛が握る。
「ま、真姫ちゃんっ」
見かねた希がすぐに、
「ごめん、ちょっと変わるな」
夏紀より直接聞いた事情を話し始めた。
――簡単にいえば、気に入らなかったのだろう。
真姫のことを。
そして、その標的は本人ではなく、仲良くなりたそうにしていた地味な花陽だった。
狙いやすい所から狙われたというわけだ。
だから、夏紀は花陽に近づいた。会話を交わしつつ、見えてきた花陽の真姫に対する羨望とその裏にある嫉妬心。
そこにつけこみつつ、少しイタズラをしてやろうと思ったらしい。
気になっていたのは、授業中もしきりにその存在を確かめるようにしていた何か。様子を窺ううちにそれがアクセサリーであることと、どうやら花陽が真姫に大切な物であるそれを渡したがっているということがわかってきた。
こいつを少し隠してやろうと最初は考えていたらしい。
幸い、ライブの準備で慌ただしい期間中、機会はいくらもあった。
そして、ついに決行したのは、花陽と真姫の間が決定的にこじれたライブ前日。花陽が作業に励む頃合いを見計らって、夏紀は荷物を漁った。
だが、カバンからケースを取り出し、それを開こうとしたとき、つい手先が狂ってそれを落としてしまったのだという。
偶然かはわからないが、勢いよく机の脚にぶつかったそれは、いともたやすく割れてしまった。
この時点で、血の気が引いたらしい。
動転しつつも、その破片を指を切りながらもかき集め、再びケースに戻したはいいが、壊れたものは元には戻らない。
動転したまま、その場から逃げ出してしまうも、結局良心の呵責にさいなまれその場に戻ってくると、花陽の手から例のケースが放たれた瞬間に立ち会ってしまう。
唖然としてる間に事態は進み、泣きながら駆け出した真姫とその場にへたり込み倒れた花陽に、それが自分が壊した物のせいであるなどとは、到底言い出せない状況になった。
どんな状態なんだろうかと、花陽が運び込まれた保健室の前で中の様子に聴き耳を立てようとしていると、やがて中から副生徒会長――希が出てきた。
廊下にただ一人うろたえるままでいた夏紀に、希はどうかした? と話しかけ、
「――そっか」
誰かに話して楽になりたかったというのもある。途方に暮れていたというのもある。いずれにせよ、希に救いを求めるように夏紀はこれまで経緯を打ち明けていた。
「……悪いという気持ちはあるんやね?」
険しい顔のまま希は、夏紀の真意を確かめる。もちろんだ、こんなに
「なんて考えてるようなら、この話はここで終わり。先生方にこの話を持っていかないといけない」
「そ、それは!?」
まずい。保護者に話が行き、弁償とか、
「あなたがしたことは、お金で解決出来ることじゃないよ。人の想いを踏みにじろうとした。これはそういうことなんだよ」
自分にとって大切な物があるかと訊かれた。あると答えた。
それは何かと訊かれた。
――昔、おじいちゃんが生きていたときに、どうしても欲しくて買ってもらった、くまのぬいぐるみだ。
おじいちゃんが入院しているのに、どうしても病院で他の女の子が持っていた当時流行っていたそのぬいぐるみが欲しくてねだったのだ。
当時もうすでにがりがりにやせ細っていて、青いパジャマから見える身体は肋骨が浮かび上がっていたのを思い出せる。
骨のような腕にはいくつか点滴がつながっていたのに、それをはずして、抜け出して、買いに連れて行ってくれたものだ。
そのぬいぐるみは今も自室のベッドの上に、
「そんなしょうもないものが宝物なの?」
瞬間的に頭が沸騰した、
「なっ――!!」
「あなたがしたのはこういうこと。踏みにじるってのはそういうことなんだよ」
細めた目の向こうは、笑っていない。
「少なくとも、もしも私がそれをされたら許せないな」
「……ぁ」
自分がしたのは、そういうことだったのか。誰かの大切な宝物を軽率に扱おうとして、
「あ、あたし……」
「どうすればいい、って?」
もう一度、
「悪いという、気持ちがある?」
静かなる怒気にすくみ上がる。
「……はい」
そこでようやく空気が和らいだ。
「――なら、まずは謝らんとね」
「本当に、ゴメン……なさい……っ」
「――勝手ね。ホント」
底冷えのする声で真姫は吐き捨てるように言う。
謝るくらいなら、最初からするなと思ってしまうのはダメなのだろうか。どうしても罵倒の言葉は次から次に浮かんできて、我慢が利かなくなりそうだ。
その度、掴まれた腕を離さないとばかりに強くなる
言葉の代わりに息を吐き出して、真姫は一歩下がる。
「任せるわ……一番迷惑を被ったのは、あなたなんだから」
裁量権を、花陽へとゆだねた。
もともと裁ける権利は、当事者である花陽と真姫にしかない。だからこそ、周囲はまだ事態をよく理解していないが、固唾を飲んで見守る。
「…………私は、」
ゆっくりと、花陽が口を開く。
「アイドルは、……特別じゃなきゃダメだってずっと思ってた」
一瞬だけ、花陽が横目で真姫を捉える。
「でも、今回のことがあってわかった。特別なとこがあっても、……同じなんだって」
みんな何かしらの悩みを抱えてて、大きさが違ったり、形が違ったり、色が違ったりするけれど、
「それがわかったから……、私はやるって、ようやく決めることが出来ました」
勝手に無理だと決めつけること。明日に蓋をしてしまうようなこと。
「私は、ダメなとこが一杯あるけど……とてもじゃないけど特別なんかじゃないけど、」
そこから、一歩踏み出す。
「でも、やります」
胸を張って言い切った。
「だから、どこまでやったのか。責任もって最後まで見ていてください。私がこうなったのも、――夏紀ちゃんの責任でもあるから」
それを、
「約束してくれたら、私は、許します」
夏紀の肩をやさしく抱いて、
「どう……かな?」
ほほ笑む花陽を、信じられないように見つめる夏紀の瞳は、照明の光を反射しつつ、浮かび上がるしずくがあって、
「約束……っ、する。ごめん、なさいっ……」
日頃の姿を忘れるくらい、わっと泣き出す夏紀の背中をさすりつつ、
「それにね――」
先輩より渡されたものを懐から取り出し、それに気づくのは誰よりもやはり、
「――えっ」
真姫だ。
花陽が取り出したケースに、収まっていたのは、
「ど、どうしてそれっ!?」
見間違えるはずもない。
あの、チョーカーだったはずの、ハート形のルビーを台座にはめた、
「……矢澤先輩が直してくれたの。この、ネックレスに」
そう、ネックレス。
包まれていた花びらこそなくなってしまったものの、新しい形となって、それはしっかり花陽の掌上にある。
細身のチェーンから下がったそれに、
自分とまったく同じ反応をした友だちに、
その震える手を取って、
「やっぱり、私より真姫ちゃんに似合うな」
赤が似合う彼女にそう、
「私も言わなきゃ。ごめんね、そして、ありがとう真姫ちゃん」
――――渡すのだ。
前、教えた言葉を、花陽は覚えているだろうかと希はその光景を見ながら思う。
――雨が降るのを嫌がったらダメだよ。
「うぅ~~~~~~二人ばっかりずるいにゃー!! 凛もまぜてぇっ!!」
「私も!!」
「ちょっと穂乃果!? というか、なんで裸足なのですか!!」
「私も♪」
「ことりまで!?」
――だって、
「雨がなくちゃ、乾いたままじゃ、芽も出ないし、虹も出ない。……なんてね」
涙にもきっと意味がある。
「何か言った? 希?」
「ううん、なんも」
「それより、」と絵里と、「ちょ、わ、私も!?」と戸惑うにこの腕を取って、
「さぁ、ウチらも楽しそうやし、まざろ!!」
その円に加わっていく。
♪MUSIC:きっと青春が聞こえる/μ's♪
× × ×
カーペットの感触で目が覚めた。
「ん……んぁ?」
目だけを動かし、自分がどこにいるのかを確認する。少なくとも自分の部屋ではないようで、え、え、なんでなんでと思考が眠気を吹っ飛ばすほどパニックに染まり、
「ひぎっ」
バキバキに強張った身体が悲鳴を上げた。
「そうだ……うげぇ、昨日泊まったんだった」
同時に色々と思い出される。
こうして、床に転がったのも日付が変わった
手伝いといっても、俺は渡されたPCで千堂に言われるがまま、こことここをカットしてつなげろとか、色彩調節でもっと画面にメリハリをつけろとか、
喉が渇いたからコーンスープ買ってこいとか、PCのせいで部屋が暑いから扇げという指示に従って……、
いや待て、
後半おかしくない?
俺、真夜中にコンビニまで走っておまけに小銭すらもらった覚えないんですけど。
両手に、必勝とか祭とか書いてあるうちわ持って汗だくになりながら扇いでやってた気するんですけど。
「お、おのれ……っ」
今になってふつふつと湧いてきた怒りに、この家の主を血眼になって探そうと、
――はらり、
足下に落ちたのはメモ紙一枚。
荒々しく一歩踏み出した拍子にどうやら俺の作業していた机から落ちたらしい。
拾い上げると、
『みんなの反応が怖いので探さないで下さい
ゆりひこ』
「気持ち悪ッ!?」
何、コイツ、メモだとこんなにキャラ違うの!? いつものクソ態度デカいのはどうした!?
いや、つか、どういう意味だ。みんなの反応って――
「ってことは……っ!?」
スリープモード入っていた机上のノートPCの電源を入れ、起動までのわずかな時間すらもじれったくて、マウスでカツカツと机を叩く。
耳慣れたOSの起動音の後、即座にブラウザを立ち上げる。昨日のうちに登録しておいたブックマークよりGステに飛ぶと、
程なく、表示される。
国立音ノ木坂学院
μ's
昨日、穂乃果がもともと作っていたしっちゃかめっちゃか公式ページを結局1から作り直した。
それが今、画面上にある。
元々用意されていたテンプレがあったから助かったが、もしもなかったら穂乃果のまさに、あっちこっち話題が飛びまくる奇天烈文章の修正だけに時間を取られ、とてもじゃないがデザインまで手が回らなかっただろう。
それはともかくとして、寝落ちする前に完成した記憶があったようななかったような非常に曖昧だったページは、たしかに公開設定がなされていた。
思わずもれた安堵のため息を空中に手で散らし、俺は通知を知らせるページ上部の赤いアイコンをクリックする。
飛んだその先では、その名の通り自分の管理するスクールアイドルに対する更新情報が随時通知される。
その通知ページの「New!」に位置づいているのが、
――『ライブ動画』についての情報だ。
「っし!! 千堂やったな!!」
微調整や、最後に動画のサイズを圧縮するエンコードでえらく時間がかかるが、朝までにはなんとかしておくという言葉に二言はなく、
俺が起きる前に、
無事、投稿しておいてくれたらしい。
「さすが、“世界の”だよ!!」
本人が絶賛逃亡中なのをいいことに拍手した。
千堂に俺がμ'sの手伝いをしてること伝えたその日、俺は放課後、やつに半ば拉致される形でこの家まで来た。
曰く、見せたいものがあるとのことで、俺はまたまた嫌な予感に苛まれながら、出された茶に一服盛られてないか警戒していた。
やがて、築二三十年といった具合の古びれた一軒家の居間に、千堂はノートPCを持ってくる。
向かい合う形で、正面に腰を下ろし、
「待たせたな」
「なぁ千堂、もしかして、お前一人暮らし?」
たとえば玄関には大量の靴とか、居間には各人の持ち物が転がっているとか、そういった家族の生活感というものがないようで、俺は開口一番にそんなことを訊いてしまう。
「ん、ああ。ここには俺一人しか住んでいない」
「そっか」
大変だなと月並みなことを言うべきか迷っていると、
「自分で望んだことだ。俺は実家から勘当された身でな」
いきなり重めのワードをやつは口にした。
ようやく口をつけたばかりの茶が苦く感じる。いやうん、反応に困った。
「そうだった、のか……」
「もともとこの家は親戚の持ち家でな。余っているから好きに使っていいと言われたから、その言葉に甘えてるんだ」
あまり立ち入っていい話題なのかもわからず、俺は渋い顔でうなずく他ない。
そんな俺の内心など露知らずといった顔で、千堂は蛍光灯に突撃を繰り返す虫を見上げながら、
「まったく代々弁護士の家系になんて生まれるもんじゃない……」
色々と察する部分もあるが、誰しもが何かしらの悩みを抱えてる。奇人と称されている千堂とてそれは同様なのだろう。
……他人のことは言えない。だが、そうすると俺にも湧いてくる疑問が当然ある。
「どうして……いきなり俺にそんな話を?」
すると、失念していたとばかりに
「そうだったな。見てもらいたいものがある」
これだ。とPCを開くなり、すでに接続されていた動画サイトを指差す。
「……これは?」
返事代わりにプレーヤー上の再生ボタンを押すと、
その動画が始まった。
動画の実際の時間は五分に満たなかったのだと思う。だが、体感はその倍以上あるように感じた。
最初に、画用紙のような質感の画面が広がり、
そこに「Butterfly-fe」というロゴが表示される。
蝶という意味が表わす通り、やがて画面の端よりなんとも言えない淡い七色の蝶が飛んでくる。
同時に眠気を誘うような環境音楽、いわゆるアンビエントがBGMとして流れ始めた。
音楽の浮遊感を表現するように、ゆらゆらと画面を移動する蝶は、黒い蜘蛛の巣に引っかかる。
不安感をあおるように、BGMには徐々にノイズが混じり始める。
すると、やはり正体を現す蜘蛛。こちらは、グロテスクさを強調するようなタッチで、まるで絵筆で荒々しく描き殴ったような輪郭を持っていた。
逃れることも出来ない蝶へ、蜘蛛は近づいていき、
無表情な蜘蛛の多眼がどアップになり、
ブラックアウト。
粉々になった七色が、画面に残される。
そして、それを再び画面端から這い出てきた灰色の芋虫が平らげていく、その度七色を取り込み芋虫の身体が発光し始める。
ひび割れたその身体から顔を出したのは再びの蝶で、
グチャ。
前触れもなく現れた革靴に踏み潰された。
後には七色のはずが、赤一色の飛沫だけ。
最後に、
「directed by Yurihiko Sendo」と表示され、
そこで再生が終わる。
頭を殴られたような感覚は久しぶりだった。
畑違いだがアイツ並の、ほとばしりまくっている、
「……センス爆発だ」
ほぼ最上級の褒め言葉を献じたというのに千堂はふんぞり返ると、
「当たり前だ」
おなじみ鼻を鳴らすと、
「こんなものは、俺さえいればいくらでも作れる」
こめかみにビキと井桁が浮かぶのを感じる。
いやまぁこの男が自信家なのはもうなんかよくわかってますけども……、いくらなんでも、こんなもの発言はどうかと思う。
「は? いやだって、お前、これ、凄い――」
違う、と千堂は湯呑みを荒々しく置く。そのせいで、中身の緑茶が跳ね、机に飛び散った。
「再生数とコメントを見ろ。これはこれで海外からも評価されている。それはいい。だがな――」
真剣そのものの、瞳が俺を捉え、
「――俺が撮りたいのは、今、ここでしか撮れない映像だ」
今、ここにしか、ないもの。
それは――、
「たとえば、なんだっていうんだ」
生唾を飲み込みながら、尋ねれば、
「スクールアイドルだ」
「い?」
目が点になった。
「す、すくぅるあいどる?」
「ああ、今、ここでしか、撮れないもの、それが、スクールアイドルだ!!」
いかん、何言ってんだこいつって思ってしまった。落ち着け、落ち着け行人。まずは理由を訊くんだ。
「な、なしてスクールアイドルなのん?」
田舎の小学生みたいな口調になった。ずず……と一口、茶で喉を潤すと千堂は、
「俺は高校を卒業したら、そのままアメリカに行く」
そう、だったのか。
急に今後の自分の進路についての言及になり、戸惑う。が、その話題に関しては、俺とて無関係ではない。
無関係ではないのだが、自分の進む道などわからないとそっぽ向いてばかりいるのが、俺だ。
もうすでにこれから生きてく上で、どこに向かって歩んでいくのかを決めた目の前の男が、途端に遠くへ行ってしまった気がした。
「それまでに今ここでしか撮れないものを撮りたい。去年からの段階で色々検討していたんだがな。
――去年のラブライブを見て、ようやく腹が定まった」
……ラブライブね。度々耳にする単語だが、俺はまだ実感が伴っていない。
スクールアイドルならば誰しもが目指す頂点を決める場所。
それはわかるし、わかった。だが、あいつらにとっては関係のない話だ。そんなものを目指すためにやっているわけじゃない。
「あそこの舞台裏で描かれていたのは、まさしくドラマだ。今生きる青春をひたむきに輝かせようとする少女達。大衆が好む格好の題材だ」
再び、湯飲みを荒々しく置き、今度は立ち上がると俺を見下ろしながら人差し指を突きつけ、
「その青春のきらめきを撮らなくてどうする!!」
「いや、お前いま直前で大衆が好む格好のとか思い切り言ってたろ」
台無しだよ台無し。
図星をついたのか、千堂は咳払いでごまかすと再びあぐらをかき、
「ともかく、俺はスクールアイドルを撮りたいんだ」
「えぇ……俺に言うのかよ、それ」
間違ってない? 相手。
ため息をこぼした瞬間、
「お前も必要だろう?
――廃校の危機にある学校のスクールアイドルのために」
「おい」
俺はμ’sを手伝ってるとは教えたが、詳しい事情まで語った覚えはない。
つい声が強張る。
「ふん、そのくらい休み時間の間にリサーチ済みだ。音ノ木坂学院は来年度の新入生募集の中止――すなわち、廃校を検討しているらしいな」
確かに調べようと思えば、いくらも調べられることだが、こいつ……、
「そんな中で、新たにスクールアイドルを立ち上げる? どう考えても不自然だ。いったいどういうつもりなのか」
そういや、学年主席だった。
「仮説としては三つあげられる。一つ目、やけくそ。この際だから最後にやりたいことをやる。二つ目。思い出作り。大方そういった言葉の大好きなミーハー女が集まったのだろう。唾棄してやりたいな」
人差し指、中指と立てて、最後の薬指と共に、
「そして、三つ目。――入学希望者を増やすための宣伝塔となる。理屈としては過疎化の進む地域の町おこしと同じだな。新規で話題になりそうな新しい祭りを立ち上げ、知名度を上げたそれでもって観光客を集める」
さぁ正解はどれだと言わんばかりの態度を取るが、他にロクな選択肢を用意してない時点でお察しだ。
わかってはいても、斟酌されていない言葉にどうしてもつっけんどんになる。
「……宣伝塔で、悪いかよ」
「なぁに、俺はそれを非難するつもりは毛頭ない。むしろ賞賛したいくらいだ」
なら、どういうつもりだ。
「簡単だ。俺にも1枚噛ませろ」
それは、つまり、
「その音ノ木坂のアイドルグループの映像、俺に撮らせろ」
現状、スクールアイドルの活動に関する情報はほぼ全てGステというプラットフォーム内で収集できる。
たとえば、次のライブの告知であったり、イベント参加情報のような、普通のメジャーアーティストの公式コミュニティのようなものを場所を借りて、開くことが可能なのだ。
そこには、過去のライブ映像であったり、新曲のPVも至極当然のように置いてある。
俺も最初は驚いたが、たしかに他の有名スクールアイドルのコミュニティを見ると、ホームビデオのようなただ動画を撮っただけのものは存在しない。
いずれも、カット割りが施され、編集済みのものばかりだ。
この動画サイト全盛の時代、最も重要視されるビジュアル面で見劣りがするというのは、それだけで土俵にすら立てていないことになる。
この領域では俺はただの素人以外の何者でもない。
その点、自らの映像作品で実力を示した千堂が自分から任せろと言ってきたことは、これ以上ない申し出だと思う。
本来なら、こちらから土下座しなければいけないのかもしれない。ただ、そうだとしても、これだけは言っておかないといけない。
「あいつらのためなら……俺は何でもしてやる」
――今回だけは、
――もう一度向き合うと決めたから。
「千堂、赤の他人のお前にそこまでやってくれとは言わない。でも、少なくともお前が持ってる才能を全力でぶつけてくれるなら、」
姿勢を正し、頭を下げる。
「俺の方がお願いしたい」
頭上で羽音を立てていた虫は、用事を思い出したのか。音が飛び去っていく。
きっと外に出て行ったのだろう。
すぐには返ってこなかった反応に、周囲の環境が気になり始めた時、
「言ったはずだ。不沈船に乗ったつもりでいろとな。目高」
ご近所迷惑になりそうな高笑いが聞こえ、思わず苦笑した。頭を掻きながら、顔を上げる。
誠に遺憾なのだが、
なんとなく、こいつとはしばらく付き合う羽目になりそうな、
そんな気がした。
なら、
「目高じゃない、日高だ。相棒の名前くらいちゃんと覚えろ」
不承不承ながら手を差しだし、互いにわかっていたように、握ることなく叩き合う。
「この俺を誰だと思ってる。ゆくゆくは、
“世界のセンドー”となる男だぞ。――日高」
などと、大層なことを言ってのけた。やつの姿は素直に男としても、ちっとだけカッコよかったと褒めてやりたいのだが、
『みんなの反応が怖いので探さないで下さい
ゆりひこ』
これである。
「いやないわ……」
完全に脱力した。
まったく、今回のために家からカメラだ三脚だなんだを持ってきた挙句、音ノ木坂まで数十キロの機材を運び込まされたこっちの身にもなれ。
床に大の字になり、このまま二度寝でも決めてやろうかと考えていて、
――そのせいで、
見過ごしていた。
「――――?」
もう一度マウスを触り、つい三時間前にアップされたばかりの動画情報をスクロールすると、
「………………………は?」
最初は、まだ寝ボケてるのかと思った。だが、何度瞬きしても、その文字と数字の羅列は、
変わることなく表示されている。
ススメ→トゥモロウ【μ's】
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コメント数 423
ためしに更新ボタンを押してみて、
ススメ→トゥモロウ【μ's】
再生数 13,033
コメント数 463
生唾が喉を下りる、
>正体不明のスクールアイドルってこの子たちか!?
>カバーなのこれ!? オリジナルかと思った!!
>みんなかわいい~
>ファンになる!
>ツバサちゃんからきました!
>元気もらった。今日もがんばろー
>超行きたかった;; 次のライブいつですか!! 絶対行きます!!
コメントの数々が動画上を流れるのを俺は、
「……いったい、これからどうなるんだか」
ただ、眺めることしか出来ない。
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ついに揃ったみたいな、的な?