互いがCDに手をかけ膠着したこの状況。だが、今動いたら死ぬとかそういう訳じゃない。むしろ状況は先に動かねば負ける、戦は先手必勝だ。そう判断した俺は、
「タッチの差で俺かな」
切り込んだ。
敵であるその子は、ツリ目がちで意志の強そうなその瞳でキッと俺を睨む。
「意味わかんない。タッチなら私の方が早かったわよ」
「ほほう」
まっすぐ切り結んできた。よかろう、遊んでやる。
「いいかね、まず俺の本気を出せば制服が弾け飛ぶたくましい腕と君のその華奢な腕、振りかざした時の速度は比べるまでもなく俺に分がある。さらに、俺のこのゴム人間かと思うくらい柔軟性のある腕の長さと君のその平均より少し長いくらいの腕、考えるまでもなく俺の方がリーチがあるね。以上のことから俺の方がまず間違いなくタッチが早かった。
俺は人生で一度は言ってみたかったセリフランキング三位のキューイーデーを惜しみもなく駆使することによって、説得に――、
「そんな屁理屈で納得できるワケないでしょ!!」
ガッデム。
「もともと私の方がここに先にいたんだから、それで手に取った直後にアンタが横から手を伸ばしてきて掴んだんじゃない!!」
「しょ、証拠はあるのかね!? 証拠を出したまえよ証拠を!!」
完璧に追い詰められた犯人のような言動になってしまった。おのれシャーロック……だが、ふふ、この場に証拠などあるわけがない。向こうも勝手に口から出任せを言っているに違いないのだ。フッ、ライヘンバッハの霧と散るがいい――、
「いいじゃない上等よ」
たわば!!
顔面がひしゃげるような衝撃を受けつつ、彼女は俺の背後へと声を投げる。
「ねぇ、そこのアナタ、どっちの意見が正しいと思いますか」
とっさに頭だけ振り返ると、俺とさっきすれ違ったこのコーナーにいた眼鏡をかけたおとなしそうな子が立っていた。
「えぁ、わ、私っ……?」
小脇に抱えたこの店の袋を見るに、彼女は既に買い物を済ませたんだろうな。どういう訳で再びこっちに戻ってきたのかは知らないが、予期せぬとばっちりに戸惑いを隠せない様子だった。
怯えた小動物のような動作で、俺と小娘の間を視線がさまよう。
「え、えぇと……その……」
半分泣きそうになりながら、人差し指を震えながら出し、
「そのぅ……見て、た……限りでは、そ、そちらの……」
小娘を指した。
俺があんぐりとあごを落とし、小娘がフフンと鼻で笑うと同時に、
「ご、ごご、ごめんなさい……ししし、失礼しますっ!!」
どもりながら高速で頭を下げ、女の子はピヒューンといった感じにこの場から一瞬で消えた。
そして残されたのは、
「どう? わかったら、その手を離して」
「……わかった」
力なく俺はCDから手を離しうなだれる。仕方ない。ライブに参加する前にぜひとも予習しておきたいと思っていたんだけど。まぁ基本的に早い者勝ちなのは世の常だ。敗者は潔く去るのみ。俺はカバンを持つと、
「悪かったよ。諦める」
「え、あ……」
一言謝り、俺もその場を後にしようとして、
「――ちょ、ちょっと、待ちなさいよ」
振り返る。なんだなんだ、まだなにかあるってのか。
「なにか?」
「これ……欲しかったんじゃないの?」
はぁ、何を言うかと思いきや……思わず肩をすくめてしまった。
「欲しかったけどさ。それはお互い様でしょ。君だってそれだけ欲しかった。だから、今みたいな小競り合いになっちゃったけど、そっちの方が早かったって証明されたしな」
「う、まぁ、それは、そうなんだけど……」
だから、なんなんだ、急に歯切れが悪くなったりして。
俺の怪訝そうな表情に、小娘は言葉を探している様子だったが適当なのが見つからなかったのか。急に距離を詰めてきて、
「ゆ、ゆずってあげるわよ」
は?
「は?」
心と言葉が一致した。
「待て待て、ゆずるって、じゃ今までのやりとりは、なんだっていうんだ」
「あ、あれは売り言葉に買い言葉だっていうか……その」
いまいち要領を得ないな。問い質そうとすると、
「……持ってるから」
「なに?」
「本当はもうこれ一枚持ってるからッ、今回はゆずってあげる!! 持ってないんでしょ!!」
な、なんだとぅ、まさかこの小娘、音に聞くブルジョワジーか。視聴用、保存用ってわけか。資本主義の権化というわけか!!
俺が小娘のバックにいる計り知れない存在に恐れをなしていると、
「――ん? あれ?」
ってか、今まで気づかなかったが、よくよく見れば音ノ木坂の子だ。制服のいまいち着慣れてない感じからすると新一年生といった所だろう。意外と穂乃果達とどっかで知り合いだったりしてな、ははは、そう上手くはいかないか。
「な、なによ。文句ある?」
「いや色々あったけど、ゆずってくれるならありがたくお言葉に甘えさせてもらう。ありがとう」
押しつけるようにしてきたCDを受け取ると、小娘さんは足早に俺の隣をすり抜けようとするが、
今度は俺がその手を引き留める。
「ちょ、ちょっとな――って、え?」
「んじゃ、俺もこいつをゆずるよ」
俺は懐に入れていたチケットを一枚、彼女の手に滑り込ませた。
「こ、これってアラ――」
しーっと口元に人差し指を立てて、俺は小声で耳打ちする。
「一枚余ってるんだ。気にせずもらってくれていいよ。じゃ」
彼女が戸惑っている内に俺は会計を済まし、声をかけられる前に店から出ることに成功した。
いやはや、実際助かったのは事実だった。アイドルのライブというのは観客も訓練されている強者たちが多いらしく、予習は必須と逸太から言われていたのだ。今週末ということはもう明後日ということであり、時間がない中、新譜を聴けないというのは非常にまずい。それを解決できたのがまず一つ。
もう一つは、逸太に英語の課題ノート提供と引き替えに手に入れたチケットであるが、てっきり一枚だと思っていたら、もう一枚ついてきた。
いわゆるペアチケットというやつだ。
実は本来なら儲け儲けと喜ぶところなのに、この二枚という数が厄介だった。仮に俺ともう一人誰かを誘うとしたら、あの幼なじみ三人娘から一人選ばないといけない。天下のA-RISEのライブともなれば、三人とも興味津々だろう。そのくせ、互いに遠慮し合って、結局どういうわけか海未とことりが身を引いて穂乃果になるという絵面が目に浮かぶ。
なんというか、それもあんまよくないよなと俺は思うのだ。
かといって俺が行かず二枚提供したところで今度は一人が余る計算になる。どうしたもんかと思案していた所にたった今の出来事があったのだ。
うん、まぁいいだろう。二枚もCDを買おうとするぐらいの熱狂的なファンだ。喜ばない訳がないだろうし、もしも同じチケットを持っていたとしても、彼女の方が俺よりかは有効活用してくれるだろう。
「いやぁ善哉善哉~」
善行というのはああやって巡り巡っていくのだ。ラブ&ピース。明日は世界が平和でありますように。
茜さす夕日に俺は染まりながら、進路を変える。
仕方あるまい、遠回りになるがコンビニでちょっといいスポドリ買っていってやるか。
そう遠くない世界のどこかで、汗水垂らして運動している誰かさんたちがいるだろうから。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あざーしたっという、若い店員の声を背に俺はコンビニを出た。
「くっ、誘惑に負けてじゃがりっ子を買ってしまった……」
私を買ってという声が聞こえたんだから仕方ない。真夜中に目に涙を浮かべながら頂くとしよう。ビニール袋の中身をのぞき込みながら、神田明神へと向かう。
そういえば土曜の明日は音ノ木坂は休みだろう。俺の学校の方は土曜が半ドンなので、もしも午前中からうちで練習するつもりなら伝えとかないとな。
平日はスーツ姿のお勤め人たちで溢れている秋葉原も、今日は花金だ。忙しい仕事の中でようやく一息つける週末の前に、多少羽目をはずせる夜を頭に描きながら、最後の力を振り絞っているのだろう。
心の中でこの国を支える彼らにエールを送りながら、裏通りへ入った時だ。
うら若き少女の叫び声が聞こえた。
「!? あいつら!?」
神社の方から聞こえたその叫び声。考えるより早く足が動く。
くそ、変な虫が出たとかその程度のオチにしてくれよ、ケガしたとか変質者とかそういう笑えないオチは御免だからな!!
全力で階段前まで走り、そのまま三段飛ばしで駆け上ろう――、
「ちょっと、何すんのよ!?」
今、何か、視界をよぎったような。いやそんなの関係ない!!
どっかで見たような巫女さんがどっかで見たようなツリ目の女子高生の胸を背後からけしからんしてたような気がするが、
ええい!! 関係ない!! そう、ちょっと確認するくらい、関係ない!!
ビデオの巻き戻しのような動きで俺はバックする。
「んー、まだまだ発展途上やなぁ~」
「ちょ……離しなさいよ!!」
「だけど、可能性は感じさせる――って、あれ? 日高くん?」
「うぇ――あっ」
やっぱりどこかで見たことがある二人は同時に俺の姿を認めると目を丸くした。そして、俺は、
「いや、あの……また会ったね……」
なんとも言えない顔で二人にそう言った。
真姫ちゃん、やさしい! \やいゆえよ/