席は隣同士だった。
それもそのはず。
しかし、そのことを知るよしもない
まだあの日高とかいう男が隣ならわかる。だが、どういうわけかこの会場にいるのは、あまり顔を突き合わせたくなかった学校の先輩――
こっちこっちとはしゃいでいる穂乃果に、周囲の視線が向けられている。そのせいで顔が火照るのを感じつつ、小走りで真姫は距離を詰め、
「な、なんでアンタがここにいるのよ!」
「うん、あのね、ユキちゃん――あ、うん、ユキちゃんっていうのはね、私の幼なじみなんだけど」
「それは知ってるわよ!!」
真姫の叫びに、穂乃果は笑みを浮かべる。
「ほんと? やっぱりもうユキちゃんは西木野さんと仲良くなったんだね」
「だ、誰が仲良くなったのよ!! 意味わかんない!! 言っておくけれど、あの件に関して今日は――」
「うん、今日は――いっぱい楽しもうね!!」
思わず、真姫は固まった。
周囲のざわめきが耳に入らなくなった。
100パーセントこうだ、と予期していた反応とは違ったことに真姫の思考はフリーズを起こす。
「大丈夫? 西木野さん?」
穂乃果に心配され、再起動した真姫はすぐさま食ってかかった。
「じゃ、じゃあなによ!? アンタ、あの人にお前も頼めとか言われたんじゃないワケ!?」
「ううん、違うよ? ユキちゃんはそんなこと言ってない」
じゃあ、一体、なんて――
「楽しんでこいって」
――え?
声を発するより先に、闇の
「わぁ、始まるよ!!」
つい身をすくめてしまっていた真姫の手を穂乃果が握る。抵抗する間もなく。だが、振り払う気は不思議と起きなかった。
会場に充満していくのは期待だ。
ステージに立つことを許された三人の登場を誰も彼もが焦がれるのだ。
これは心臓の高鳴りなのだろうか――隣の穂乃果が叫ぶ。
真姫も周りの空気に感化されるように、声を出してみた。
この熱さに加われた――そんな気がして、口元が緩む。
それを見ていた穂乃果も満面の笑みだった。
そして、音の奔流が襲いかかってきた。
腹の底まで響いてくる低音のワブルベース。歪ませたシンセリフ。往年のロックファンをニヤリとさせるイントロ。
一際、歓声が高まったのはそれが彼女たちの伝説のデビュー曲だったからだ。
どこかの誰かが「Private Wars!!」と叫ぶ。
無論言われなくてもわかっている。
徐々に音量が上がり、それが頂点に達したとき、
闇を切り裂いた光の中に、三人のアイドルが立っていた。
黄色い声、野太い声、大人の声、子供の声、全てが入り交じったかのような観客の高ぶりに混じり、穂乃果も真姫も叫んだ。
このとき、この場所にいた全ての人の心が一つになる。
『――A-RISE!!』
観客の言葉に彼女たちは口を開き、「Private Wars」を歌い出すことで応える。
“
続く、“
しかし、この二人の攻撃に耐え抜いた猛者でさえも彼女の前ではひれ伏す以外ない。
ただ存在しているだけでその場を輝かせる事が出来る才能を持つ者をアイドルと呼ぶのなら、
彼女をおいて、それを冠する者は他にはいないのだから。
昨年のラブライブ覇者、“絶対女王”A-RISEの象徴たるセンター。
“
全員の心を捉えて離さない、星の輝きに魅了される。
そう、ライブが始まったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ゆーくん、こっちだよ。早く、早く~!!」
「いや、あの……前が普通に見えまてん…………」
1メートルを越える特大のぬいぐるみ様を俺は抱っこし、更に腕にはいくつも紙袋が、あらこれ素敵なハンガーねってくらいにぶら下がっていた。
なにこれ罰ゲームなの? 腕が悲鳴を上げてるのがわかるんだけど、このデカすぎるぬいぐるみ様のせいで我慢するしかない。ってか鬱陶しいわ、このままパワーボムでも食らわしてやろうか。
さて、何故こんな状況になっているかと言うとだ。
穂乃果だけにA-RISEのチケットを渡した俺は、海未とことりに対してご寛恕を請うた。二人とも快くそのことを受け入れてくれたのだが、
南さん家のことりさんが、じゃあ、その代わり、と続けて。あれれー?
「穂乃果ちゃんがライブに行っている間、お買い物に付き合ってほしいな♪ 海未ちゃんと一緒に」
と思ってる間に、
「ダメ?」
「ダメじゃないっす」
そう答えてしまった結果だ。
若干海未が白い目を向けてきていたが、し、仕方ないんです。だって、あの上目遣いは禁じ手でしょう。
「やったね海未ちゃん!!」
まぁ喜んでいるから、よしとするか。なんて思ってしまったのが運の尽き。
どうやらスプリングセール中らしい某ショッピングモールで、ま~~ぁ~~、買うわ買うわ。いちいち俺にこれどうかなって感想訊いてくる上に、最初は遠慮していた海未もことりと一緒に見てもらう内にダークサイドに堕ちてしまい倍々ドン。こんなところで友情パワーは発揮しなくていいです。
「やっぱり、持ちましょうか……行人くん?」
「いやいや、なんのこれしきハッハッハ」
「でも……思い切り足がプルプルしてますけど」
「これはアレだよ、人体の七不思議って奴なんだよ!! バイブレーション機能付きなんだよ!!」
くっそ、素直に助けを借りられるかよ。意外と面倒くさいんだ男の子っては。
ただお兄さん、ちょっと休憩したいんすけど。
ことりが発した声の方向を感覚を頼りに、誰かにぶつかってしまわぬよう気をつけながら近づいていくと、ぬいぐるみ様が俺の手から勝手に浮いた。
急に開けた視界の先には、自分で大事そうにぬいぐるみ様を抱きしめながら、
「お疲れ様。ゆーくん。ちょっと休憩しよ?」
「ごどりざぁーん!」
「よしよし♪ 海未ちゃんも休も?」
「そうですね。それじゃ私はそこのフードコートで飲み物でも買ってきます。何にしますか?」
「んーと、ホットミルクティーがいいな。ありがと、海未ちゃん。ゆーくんは?」
「ぼく、くりーむそーだがのみたい」
「……幼児退行を起こしてますが」
「これはこれでかわいいからいいんじゃないかな♪ よしよし♪」
「はぁ……とりあえず行ってきます」
海未が買いに行ったのを見届けて、俺は紙袋の数々をベンチに置くと腕を揉んだ。痛つつ、これ帰りも持つんだよな、うわぁ……なんだか大変なことになっちゃったぞ。俺、傷物にされちゃったかもしれない。
「よくもまぁ買ったなぁ、こんなに」
「ごめんね。穂乃果ちゃんや海未ちゃんに着てもらいたいなってお洋服ばっか見てたら、ついつい」
そうか、言われてみるとコスチュームの参考とか色々あるんだろう。まぁでも、羽振りいいよな。
「なぁことり、お前もしかしてバイトでもしてんの?」
何の気なしの質問は、
「なな、な、なに言ってるのかな、ゆーくんは。こ、ことりには全然わかりませーん」
実にわかりやすい態度をあらわにさせた。
いやもうダウトもダウトだろこんなん。わかりやすすぎ。俺みたいにニヒルでクールでポーカーなフェイスを見習え。
でもマジでやってるとは思わなんだ。いったい、何をやってるんだろうか。高校生のアルバイトの定番といえば、コンビニとか飲食店あたりだけども。うーむ。
そうして、無言で考え込んでいた俺に対し、ことりはおそるおそるといった様子で、
「お、怒ってる……?」
「いや別に。音ノ木坂はバイト禁止ってわけでもないし、むしろ自分でお金を稼いでるって事の方が偉いんじゃないか?」
「ほ、ほんと……?」
「まぁそらそうだろうよ。偉いよお前」
「…………」
――ありがと、と危うく聞き取れないくらいの小ささでことりは発した。おかしいな、もっと胸を張っていいんだぞ。
「ってかアレだ。どんなバイトやってんだ?」
「あ、うん……それはね……」
指先をつんつんし出した。なんだ、言いにくいのか? ま、まさかいかがわし……いや、こいつに限ってそんなことはないか。
「飲食店とかじゃないのか?」
「い、飲食店は飲食店だし、接客業ではあるんだけど……」
よくわからん。
いまいち要領を得ないが、まぁ武士の情けで深くは追及しないでおいてやるか。
「まだ慣れてないから……でも、いつかゆーくんにはお店に来てほしいな」
「よかろう。保護者の一人として、勤務先の調査くらいはしてやる」
「約束だよ? えへへ」
ふふ、一張羅の白タキシードを披露する時が遂にきたようだ。ことりの同僚の方にやだ何あの人……ステキ……、とヒソヒソされちゃうかもしらん。
俺が颯爽登場する様を夢想していると、今度はことりの方から、
「――ゆーくんは、まだ音楽は続けてるんだよね?」
「……趣味だからな。……続けてるよ」」
露骨に間を開けてしまうくらい、
この話題は嫌だった。
「もしよければ……また演奏、聞かせてほしいな」
「まぁ、機会があれば」
お茶を濁したまま俺はこの話題を終わらせようとする。ちょうどトレーにドリンクを3つ載せた海未が戻ってくるのが見え、俺はそれを受け取りに立ち上がる。
俺が近づいてくるのを認めた海未は、肩をすくめ仕方なさそうな顔で、
「ご所望のクリームソーダで――」
「持つよ」
「あっ、……ど、どぅも……ありがとうございます……」
すくい上げるように海未の手からトレーを受け取る。
「行人……くん? ……何か、ありました?」
「いっやぁ! 早く食べたかっただけでげすよ、アイス、アイスゥ!」
いつも通りだ、変わらない。ソレを心の内に留め、擬態しよう。だが、脳裏にチラついた顔は、
「西木野さん、か」
俺のこぼした言葉を耳ざとい海未は拾ったのだろう。
「穂乃果は……大丈夫でしょうか」
思わず、俺も空を仰いだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
立て続けの三曲の後で、乱れた息を整えるようにMCが始まっていた。マイクを取ったのは、綺羅ツバサで、
「皆さーん! こんにちは!!」
たったそれだけの言葉で会場は狂乱の声を上げる。
その多分に漏れず真姫も叫んでいた。
さほど遠くない距離に憧れの存在が立っているのだ。画面越しではなく、この眼で捉えることが出来て、スピーカーを介さず、しっかり生の声で歌ってくれている。
周りの熱量、一体感も。
たったそれだけのようで、ここまで変わってしまうのだ。
「これが……アイドルの、ライブ……」
クラシックのコンサートでは決して味わうことの出来ない、モノ。
「スゴい、スゴいスゴいスゴーい!! ね、西木野さん!」
「え、ええ……」
なんだか自分の隙を見せてしまったような気がして、顔が熱くなるのがわかった。照明がステージ上にしかなくて、助かったと真姫は思う。
ただ同時に、
「アンタ……スクールアイドルやるんでしょ? こういうライブ、見たことないの?」
ある意味初々しい穂乃果の反応が不思議だった。
「うん、バンドのライブとかにはユキちゃんについてって何度か行ったことあるけど、スクールアイドルのライブを生で見るのは初めてなんだ!!」
やっぱり。
口ぶりでわかった。結局、思いつきから始まった程度。その程度なのだ。よくも知らないのに、ただ学校を助けたいという思いだけで始めようとする。
だったら、やめておいた方がいい。きっと傷つくだけなんだから。だから、私は――
その時、だった。
「――私たちA-RISEは、今年もラブライブ出場を目指します!!」
宣言と共に、会場が割れんばかりに震えた。
あまりの声量に興奮よりも、真姫は耳を押さえようとしかけて、隣の穂乃果がぴょんぴょんと飛び跳ねながらステージに手を振っていることに気づく。
ツバサが観客達に、どうどうどうとなだめるジェスチャーをするにつれて、興奮は徐々に収まっていく。だが、その中にあってなお、穂乃果はやめようとしない。
イヤな予感はしていた。
もしもこの場にいたのが、日高行人、園田海未、南ことりならば、あるいは止めたのかもしれない。だが現実として、この場にいたのは西木野真姫であり、残念なことにまだ彼女の制御の仕方を心得ていなかった。
そう、止めることが出来なかったのだ。
「はいはいはーい!!」
元気よく文字通り大手を振る穂乃果の姿はステージからでも、目立っていたのだろう。小首を傾げたツバサが、こちらの存在を認めたと思った瞬間、
「――私たちも、ラブライブ出場を目指します!!」
静まりかえった会場の中で、その宣言が響いた。
Private Warsのイントロはやっぱニヤニヤしまする