かぜひき。
──「過労による発熱と体調不良」。
ぼんやりとした意識の中、医者を名乗る人間は今の私を診てそう診断したのを聞いていた。
考えてもみれば当然の結果だ。二か月以上ほぼ休みなし、鍛えるために身体をほぼ毎日酷使し、魔力さえ限界近くまで使い続ける。寝床はテントのちに洞窟内での寝袋。身体が休まる暇なんて寝ている時ぐらいだ。
流石にそんな無茶を続けていれば、いくら人間の体よりも丈夫で頑丈な女神の体でも体調に異変が起きる。こうして倒れたのは、今の私の体を限界以上に酷使し続けたせいなのだろう。
にしてもこうして落ち着いてやってきたことを思い出してみれば、まあよく耐えたと思う。いや、既に範囲を超えていたのだろう。それを私は無意識に気力で持ちこたえていた。だが今回精神的負担がかかり、それは崩れかける一歩手前だった。そこに安堵という最後の一撃が加わって、崩れ去った。そして今まで耐えていた分一気に症状として表れてしまい、あの日あの時私は眠るように気絶してしまった。
うん、倒れる前にラムちゃんと仲直りできて良かったと思うよ。
「……すまなかった。お前さんが女神様の体だってことに甘えて、油断してた。こうなる前に気付けず本当にすまなかった……!」
倒れてから一日経過した、私達双子の部屋の中。そこに私と彼の二人きり。
他がいないからこそ彼も私もいつもの口調でやり取りができる。だからなのか、早々に彼は頭を下げた。
「……これは、体調管理できていなかった、私の自業自得……謝る必要、ない……」
「いいや、謝らせてくれ。ラム様の件といい、今回の件といい、俺は何一つ事前に気付いてやることなんてできなかった。お前さんよりも長く生きておきながら……お前さんよりもいろいろと知っていたはずなのに……当事者ではない、第三者としての目線から物事を見れたはずなのに……!」
「……はぁ」
いつもの彼らしくないのは、私がいつもの私らしくないせいか。
なら少し。
「──傲慢もいい加減にしろ、人間」
「んなっ」
「事前に気付けた? 何を言うか人間。貴様等という種族はそんなことも出来ぬ愚かな種であろう。私より知っている? 馬鹿を言うな。たかだか百も生きておらぬ人間が何を言う。貴様が有する知識なぞ、私が有する知識の1割にも及ばぬわ。
貴様等人間など、知らねばならぬ可能性を無視し、無知を晒し、後悔してもなお同じ過ちを繰り返す生き物であろう。それがなんだ? 第三者の目で見れなかった? 人間はいつもそう言い訳しているだろう。いい加減己の種がどのような生き物であるか、産み落とされた瞬間から自覚しておいてほしいものだ」
……長いの、いつも以上に疲れる。
「……以上。見た目不相応な幼女女神からのお言葉でした」
「……お前さん、本当につい数年前に生まれた女神様か……?」
「さあ? ご想像にお任せするかな」
「……ありがとうな」
「……さて、お礼を言われるようなことしたっけ」
「……言いたくなっただけだ。気にすんな」
「そう……」
さて、じゃあ私がしたかった話をするとしよう。
元々彼をここへ呼び、傍で離れなかったラムちゃんを退出させたのは彼に謝らせるためでも、私が疲れるためでもない。
「私があなたを呼んだ理由は、もう察してる?」
「……あぁ。頼まれてたことは既に粗方調べ終わってる。真っ黒だな、あれは」
「そう、なんだっけ。経理部?」
「ああ。横領もそうだが何よりその行先だな。密かに軍事開発も進めてる。あれはそのうち教会を乗っ取って戦争でも仕掛けるんじゃないか?」
「……あるいはルウィー国軍を装って他国に攻撃を仕掛けて戦争起こさせて、互いに疲労したところを狙うとかね」
「漁夫の利ってやつか。ま、どっちにしろ横領してる時点でアウトだ。加えてもし本当にそんなことを計画していれば国家反逆罪に問われ……なくても既に犯していたな」
「うん。それは私が阻止したけど……。ねえ、だからこその
そう言って私は今考えられる可能性から、彼にあることを頼んだ。
……にしても動作の一つ一つが疲れる。これがたかが2か月休まず修行し続けた結果だとは……存外女神の体ってそこまで丈夫じゃないんだな。
……まあでも思いかえしてみれば、前の体も最初は今の体以上に弱かったし……これも女神の体なのと、ずっと前から毎朝ひっそり外に出て鍛えてたおかげってことで、もうひと眠りしよ……
──教会内では現在、女神候補生のロムが風邪で倒れ休養中だという噂が流れていた。どうやら重症らしく、ずっと寝たまま起きないのだとも。
その噂を聞いた一人の職員はそれが事実なのかどうか確かめるべく、教祖へ直接聞く。するとこう答えられた。
「申し訳ありませんが、その件に関しては黙秘させていただきます」
肯定とも否定とも取れる発言だったが、おそらく肯定なのだろう。
次に職員は、彼女の双子の妹に話を聞く。
「ち、ちがうわよ! ロムちゃんはその……ちょっと寝込んでるだけ!」
もはや肯定していることに気付いていないらしい。
これで噂は本当だと、職員は確信し……ある人物へ連絡をした。
昼間、ルウィー教会の制服を身に纏った一人の男が堂々と廊下を歩いていた。
手に持つのは下向きに花弁を開かせる、小さく可憐な白い花。それをベースとした小さな花束を両手に大事そうに抱えていた。
すれ違った職員がその男へ問う。それは一体誰宛なのか、と。
男は答える。ご病気で床に伏せられているらしい女神候補生様への、お見舞いの品だと。
その職員はなるほど、と頷く。それからその花は名前や花言葉からして、とてもお似合いの品だろう、きっと喜んでくださるはずだ、と。
男はその言葉に嬉しそうに微笑み、そうだといいんだが……と答え、二人はそのまま別れた。
男はそのまま女神候補生様が眠る部屋へ。職員は自分の仕事を全うするために。
男は双子の部屋の前でドアをノックする。しかし返事はない。
確認の為、再びノックする。しかしまたも返事はない。どうやら部屋の中には寝ている姉のみ。妹はいないらしい。
すると男は廊下に誰もいないことを確認すると、素早く部屋へ入り込んだ。
よく眠れるようにか、カーテンは閉め切られ部屋は薄暗く、視界は限られる。
だが男は照明を点けず、薄暗い部屋の中を慣れた足取りで歩き、広く大きなベッドへと近付く。そこには今の状態が苦しいのか、僅かに荒い呼吸をしながら眠る双子の片割れが。
男はそれを確認すると、花束に隠されたあるものを取り出し花束を床に投げ捨て、それを大きく振りあげ、布団ごと彼女の胸に突き刺し──
「ほらやっぱり、想像通り」
「ッ!?!?」
直後、男の背後から女の子の声がした。男は驚き素早く振り返る。
薄暗い中、視界に映ったのは小さな影。その影の口が、弧を描く。
「あ~あ、残念。あなたを殺すことができなくて」
女の子は笑う。残念そうに、楽しそうに。
男は恐怖した。今の状況に、得体の知れない女の子に、そして女の子から放たれるドス黒く禍々しいオーラに。
目の前の存在は自分より小さいはずなのに、まるで自分を軽く丸呑みできてしまいそうなほど巨大な大蛇に睨まれているように錯覚してしまう。
男が死を覚悟した、その瞬間。
「──おいおい、そろそろ遊びは終いにしろよ?」
ドアが開き、一人の職員が灯りを点けながら入る。その職員の顔を見て、男は驚愕した。
その人間が、先程すれ違い僅かに会話した職員だったからだ。
そして明るくなった部屋の中、男は女の子を見て再び驚愕し、自分が刺したはずの女神候補生を見た。
そこに寝かされていたのは女神候補生ではない。それどころか生き物ですらない、茶髪のマネキンの頭部だけ。布団に隠された首から下は、それっぽくタオルが詰められただけであった。
何故だ、どういうことだ、と混乱する男。男には確かに先ほどまでそれが女神候補生に見え、尚且つ荒い寝息さえ聞こえていたのに。
それに「ふふっ、私が魔法使いだってこと、知らなかった?」と女の子は……女神候補生ロムの姿をした彼女は答える。
その言葉を聞いて男は察した。自分が幻視、幻聴の魔法を掛けられていたのだと。
だが疑問は尽きない。そもそも何故自分が今日この時、この部屋で来ることを予見していたのかと。
それに彼女は「んー」と人差し指を顎に当て、それから口に当て、答える。
「そこはほら、秘密ってことで」
茶目っ気あるその仕草に、男は短く乾いた笑い声を漏らし、膝を折り項垂れる。
自分はもう終わりだと、男が諦めた瞬間であった。
慌ててやってきた警備兵に捕らえられた人間……暗殺者は、抵抗することなく連行されていった。一応証拠写真として刃が長い特注品のナイフが布団にぶっ刺さった光景を鑑識が撮って、そのナイフを回収していったけど……説明用にしか使わないだろうとのこと。何せ私達の部屋に不法侵入してる時点でアウト。その上殺人……殺神未遂(?)で、当の本人が目撃。女神候補生という肩書や普段からの行いもあって発言の信頼性も抜群。
てな感じにあの人間は諸々の順序を踏んで、薄暗い箱に送られるだろうけど……
「にしてもあの男、よくもまあ凝ったことしたな。見舞いの品にこの花を選ぶとか」
「……あなたもその花を知ってるの?」
「ああ。『スノードロップ』だろ? 花言葉は『希望』、『慰め』って。二つ目はともかく、一つ目や名前はお前さんらルウィーの女神にはお似合いの花だよな」
「そこだけ見るならね。でもある地域では、それとは別の花言葉があってね……」
「ほう?」
「──『あなたの死を望む』。ふふっ、お姉ちゃんとラムちゃんはともかく、私にはとってもお似合いな花だよね」
貰う側としても、与える側としても。
床に捨てられた花を見て、そう言った。
「っ……」
「おっと。……また熱が上がってきてないか?」
「……かもね……。まだ頭がぼんやりする……」
「なら寝て……って、こんな状態のベッドじゃ寝たくないよな……。待ってろ、すぐ新しいベッドを用意する」
「ん……あとごはんも……」
「はいはい」
ふらついた体を支えられ、ひとまずその場のベッドへ寝かされる。
さて……ごはんとは言ったけど、これはまた寝そうだ……
あぁでも次に起きたら、ミナちゃんへの説明か……面倒だなぁ……
まぁある程度の説明は彼に任せてるし、いっか……
「それで、誰がこの策略を?」
「私です。……と、言いたいのですが……」
「分かっています。またあの子なのですね……」
「ええ……」
「どこまでがあの子の考えで?」
「部屋へおびき出すところまで。噂や偽物は私が考えました」
「……まさか、あなたの提案がなければ……」
「偽物は本物になっていたでしょうね……」
「……本当に、あの子があなたを選んでよかったと、心から安堵します……」
「はは……お心遣い、痛み入ります」
彼女は眠る。前とは違う、今はまだ不自由な体を持って。
次に目覚めたとき、自分に何が起こるかも考えられずに。