突如現れた真っ白な巨体。その巨体に突き飛ばされ、壊れた扉の向こうへと消えていくロムちゃん。
状況を理解できなくて私達は僅かな間でも固まったまま壊れた扉を見ていたけれど、すぐそばで「グル……」と巨体の唸り声が聞こえた瞬間、正気に戻った私とユニちゃんは素早く後退し、巨体から距離を取る。
けどラムちゃんだけは動けずに、巨体の顔を怯えた表情で見つめていた。
四本脚に強靭な胴体、長いマズルに三角にピンと立った耳と、ラムちゃんをその場に射止め続ける鋭い眼光。そしてその身体のほとんどを覆う雪のように真っ白な体毛。これほど真っ白な個体がいると聞いたことはないけれど、それは確かに私達もよく見るフェンリル種だった。
「グル……」
もう一度、フェンリルが唸り、そしてその鋭い牙を見せる。
──食われる。
そう感じた瞬間、ユニちゃんは愛用のライフルを、私は女神化してM.P.B.L.を構え、突撃した。
「ラムちゃんから……離れてッ!」
振るった剣は宙を切り、後ろへと下がったフェンリルの胴体をユニちゃんのライフルが撃つ。が……
「なっ、貫通した……!?」
弾道は確かに胴体へと向かっていて、けれど弾は何の抵抗もなく胴体を素通り、壁へと着弾した。
フェンリルの胴体には穴一つもない。先ほどまでと変わらない態度を見るに、ダメージを受けたようにも見えない。
それにユニちゃんの反応を見る限り、撃たれた弾は貫通するような威力も鋭さも持っていないようだった。
「……グル」
少しの沈黙の後、短く鳴いたフェンリルは睨む矛先を私へと変えた。
一番自分から近いから……違う。今の私達の中じゃ、私が一番脅威になるって思われたんだ。
なら……
「ユニちゃん! ラムちゃんをお願い!」
「ッ……ええ! 任せなさい!」
フェンリルの睨みから解放され、ショックから呆然としているラムちゃんをユニちゃんに任せ、再び攻撃。さっきはユニちゃんの攻撃が効かなかったけど、今度は……
「グルッ……ガウッ!」
「っ!?」
銃刀から直線で放たれたビームは躱され、その勢いのまま牙を突き立てようと飛び掛かるフェンリルをギリギリで躱す。けどそれだけで終わらず、フェンリルは前脚に黒い靄を纏わせると、鋭い爪のような形になった右腕を振りかぶった。
「く、ぅぅ……!」
体勢を立て直す前に来たその攻撃を躱すことはできない。そう瞬時に判断した私は剣の面で防御。けれどフェンリルはそれを見越したように、そのまま圧し掛かるように腕に力を籠め、剣ごと私を押し潰そうとする。
その重圧は一瞬でも力を抜いたらいけないほどで、私をその場に留めるのには十分。
けれど同時に両手を使っているフェンリルもこうしている間はこの場から動けないってことで、私は一度思考を巡らせる。
このまま戦い、フェンリルを倒すか。それとも私へ引き付けている間にラムちゃんとユニちゃん、それにロムちゃんを城の外へと逃がして、私も撤退するか。
倒すのは……悔しいけど、今の私じゃ無理だと思う。ロムちゃんを突き飛ばしたあの脚力、今こうして私を押さえつけている腕力。単純な力だけでも私は負けている。
それに何より攻撃したところで擦り抜けてしまうなら、こっちの攻撃は効かないってことで……
(……あれ、まって……? 擦り抜けるなら、なんで私の攻撃を避けたの……?)
ユニちゃんの攻撃がフェンリルにとって死角から撃たれたものだったから避けられなかったのはわかる。けれど私達の攻撃が擦り抜けてしまうなら、フェンリルはさっきの攻撃も、その前のも、躱す必要がなかったんじゃ……
……もしかして私の攻撃は擦り抜けることができない? 私の攻撃は避けるしかなかった?
偶然ではなく、何か理由があるんだとしたら、それは何か。
この戦闘で通じる攻撃を、あわよくば弱点を探り、そこを突き、倒すことで勝利する。
それが一番確実に勝つ方法だと思うけど……
(……逃げよう)
例え通じる攻撃を見つけたとしても、弱点も見つけられたとしても、それを上回る戦闘力を敵は持っている。私じゃ勝つことはできない。
戦力に余裕はない。このまま戦っても勝利はない。なら一度撤退して、希望を残す。
それは私がギョウカイ墓場で見たあの子の戦い方。いつか守護女神の跡を継ぐ女神候補生としてあまり良くない戦い方かもしれないけど、この場で無茶を通す必要はないって思うから。
「ユニちゃん、ラムちゃ──んんっ!?」
私が囮になるから、二人は下に落ちたロムちゃんを保護して逃げて。
そう言おうとしたとき、私の目の前、フェンリルの腕へと真っ直ぐに剛速球で飛び、すり抜けていく何か。
一歩コントロールを間違えば私の顔へと直撃しそうなそれにヒヤリと背筋が凍り、恐る恐るそれが何か確認すると、そこに合ったのは砕けた氷塊の残骸と壁の大きな凹みだった。
「許さない……!」
そう声色に怒気を含ませ、杖先をフェンリルへと向けるのはラムちゃん。さっきのはラムちゃんが放った『アイスコフィン』だったようで、杖の先には再び同じものが魔法で形成されようとしていた。
「ロムちゃんを傷つけたこと、絶対に許さないんだから!!」
「ま、待ってラムちゃん!」
「うるさい! ネプギアは黙って倒されるのを見ていればいいの、よっ!」
先ほどまでの恐怖が全て怒りへと変換されたかのように、私の静止も聞かず語尾と共に杖を振り下ろし、氷塊を発射する。けど……
(やっぱり、当たらない……)
氷塊は再び擦り抜けて壁に新たな凹みを作るだけ。先に飛んできた氷塊もそうだったから多分と思ったけれど、やはり氷属性の魔法は効いていない。
それでもめげずに氷塊を作っては発射するラムちゃんへ顔と共に意識を向けたのか、私へと伸し掛かる力が弱まる。
これなら抜け出せる。けどそれはつまり再びフェンリルの標的がラムちゃんへと移りつつあるということ。
このままじゃラムちゃんが危ない。助けなきゃ。
すぐにそう考えた私は機械羽の出力を上げ、押し返そうと力を込める。
フェンリルは動きのあった私へと意識を戻した。けど再び押さえつけようとするのではなく、こちらの動きに合わせて私から離れ、地面へと四肢を着ける。
そして今度こそラムちゃんへとその眼光を向けた。
一瞬でも怯むラムちゃんのその隙を見逃すわけはなく、飛び掛かろうと一度姿勢を低くするフェンリルへ、絶対に傷つけさせまいとラムちゃんの前へ割り込み防御姿勢を取る私。
一触即発の場面。次の瞬間にはその巨体との衝突を覚悟しなければならない。
そんなピンと張り詰めた緊張の糸をあっさりと切ってくるのも、あの子らしいといえばらしいのかもしれない。
「はい、ストーップ」
パンパンと両手を叩きながら何事もなかったかのように部屋へ入ってきたのは、フェンリルに突き飛ばされ下へと落ちたはずのロムちゃん。この戦闘場面には似つかわしくないのんびりとした声色と、額から血を流した痕があるにも関わらずどことなくダルそうに見える表情のロムちゃんに思わず声をかけそうになるも、言いたいことが多すぎて何から言えばいいのか、口の中で言葉が渋滞する。
結果的に何も言えない私や何も言わないユニちゃん達に構わず、ロムちゃんは堂々とした足取りで私とフェンリルの間で立ち止まり、そして首を横、私達へと向け、一言。
「これ以上この場所を傷付けないでね」
その言葉には、目には、味方であるはずのロムちゃんからの、僅かばかりの敵意が含まれていた。
「……はぁっ!? いや何言ってるのよ!? 今戦闘中で、そんなこと気にしてる場合じゃないでしょ!?」
予想外の言葉を処理するのに少しばかり時間をかけた私達がようやく理解したとき、最初に反論したのはユニちゃん。その表情には怒りというよりも困惑が強く映っている。
けれどロムちゃんはユニちゃんの言葉に反応することなく、フェンリルへと顔も体も向けて、一言。
「あなたも、暴れちゃ、めっ」
まるで子どもに言い聞かせるような言葉遣いに、もはや呆れてきてしまう。
それは相手がモンスターで、知性のない種族で、言葉が通じるわけないと思ったのと、ロムちゃんを突き飛ばして、その怪我を負わせた本人(本犬?)なんだよって思ったから。
だから私達よりも距離が近くなったロムちゃんのことを、フェンリルは襲うかもしれない。そう思って警戒するよう声をかけようとしたとき、フェンリルは飛び掛かる姿勢のまま口を開く。
『女神に指図される謂れなど、無いッ!』
「ッ、逃げてロムちゃんッ!!」
頭に直接届くように聞こえる低い男の人の声がして、不思議に思うよりも先に言葉が攻撃の意思を示していることに気付き、叫ぶ。
けれどロムちゃんは無警戒のまま。このままじゃ危ない、守らなきゃと脚が床を蹴りロムちゃんの前へ出ようとするけれど、それよりも早く床を蹴ったフェンリルの爪がロムちゃんへと迫っていて。
「──『マテ』だよ、
ピタッと。フェンリルの動きが止まった。
まるで時間が止まったかのように、腕を振り下ろす体勢のまま固まり続ける。
それは私がロムちゃんの前へ出ても変わらず、動かない。
……ううん、動けないのかもしれない。
その目が大きく見開かれているのは、驚きからだろうから。
そしてフェンリルの視線と私達の視線はロムちゃんへと釘付けになる。
驚愕と、困惑と、疑問。それらが含まれた視線を受けたロムちゃんはなんともなさそうに、一言。
「よくできました」
にこりと優し気な笑みを、フェンリルへと向けていた。