「今、君に会いに行く」
少年は、一歩踏み出した。

これは、自分の想いを伝えるためのお話。  





この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。
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 駄文です。
 脳を殺して読んでください。


今、君に会いに行く

 嫌になるくらい、綺麗な青空があった。

 吹き抜ける風が前髪を弄ぶ。

 立ち入り禁止のロープは目が粗くて、俺を阻むことはなかった。

 今でも鮮明に思い出すことができる。

 君が笑っていれば、それでいい。

 それだけで、よかったのに。

 息を吸って、吐く。

 何も怖くなかった。

 一歩踏み出す。

 虚空へと。

 重力に引かれ、身体は宙に投げ出された。

 逆さまになった世界で、俺は笑った。

 ハッピーエンドとは言えないだろう。

 切り捨てるだけの人生だった。

 無駄なものを切って、切って。

 手のひらに乗る僅かなものだけを。

 大事に、大事に。

 この手でつかめる物は手放したくなかった。

 

 だから。

 

「■■■■■■■■■」

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 目に映る簡素な天幕を無感情に眺める。

 また、生き残ってしまった。

 反射的に自分で自分の首を絞める。頸動脈を抑え、脳に血が巡るのを妨害しようとした。

 しかし、指は皮膚を少し押さえつけるだけで、血を止めるには至らない。

 人の首程度容易くへし折れる程度の握力があるにもかかわらず、その手には赤子の頬を撫でる程度の力しか込められてはいなかった。

 ため息を一つ。寝袋から這い出し、寝癖を無理矢理撫でつける。水が張られた桶とよれたタオルで最低限の身だしなみを整え、寝間着を脱いだ。

 左手の薬指にある指輪を見て顔を顰めるも、気にしてなんていられない。

 

 ここは戦場なんだから。

 

 明日の朝日が拝めるとは確約されていない。死に場所を求めている身としては、この上ない場所だ。

 地位はいらない。

 名誉もいらない。

 この命さえも。

 たった一つの約束を果たすため、俺は与えられた役割を全うする。

 天幕が僅かに揺らいだ。

 強く握りしめた手は見慣れた籠手に包まれている。

 純白の鎧は希望を意味すると聞いた。皮肉が効いている、そう思った。

 佩いた剣の柄を握る。今日も調子が良いらしい。

 

 さぁ、戦場に行こう。

 

 俺を■してくれる、誰かを探して。

 

 

 

 

 

 剣戟が聞こえる。今にも泣き出しそうな灰色の空の下では、あちこちで炎や雷が飛び交っていた。怒号が、断末魔が。空に吸い込まれては消えていった。

 人族と魔族の争いは長きに亘って続いていた。十や二十では足りない。僅かな休戦期間を挟みながら、それは何十年と続いているらしい。

 何度か世界地図を見たことがある。

 海に浮かぶ大陸は山脈によって南北に断たれており、北が魔族領、南が人族領と簡素に書かれていた。地図には夥しい量のバツ印が刻まれており、その全てが戦地となった場所を示していた。

 戦場跡地は酷いものだった。大地は抉れ、木々は枯れ果て、水は澱んでいた。汚染された土地では作物が育つことはなく、荒廃は急速に進み生物が生存できる環境とはとても言い難かった。

 人族が信奉する神が授ける奇跡。

 魔族が信奉する神が授ける魔法。

 全てはそれらの爪痕だと知った。

 化学では説明のできないそれらが深く根付いた世界。現代日本でのうのうと生きていた俺は、そんな場所に召喚されたらしい。

 今回戦場となったのは魔族領の砦の一つ。それは魔族領の中心部へとつながる重要拠点とされている。魔王復活を期に進軍を続けた魔族軍は人族の防衛ラインを次々と突破して攻め上がっていたらしい。しかし、ここ1年は敗戦が続き、ついには首都への逆王手がかかる寸前まで追い詰められていた。

 破城槌が城門を叩く。

 足元には浅黒い肌の死体が積みあがっていた。白い肌を持つ人族とは異なるそれは、魔族であることを示している。

 敵兵は既に籠城の意思を見せており、外壁の上からバリスタや魔法をひたすらに撃ち続けていた。しかし、それを黙って見逃すわけはなく、数人がかりで練り上げられた奇跡がバリスタや魔族を燃やし尽くし、一つまた一つと焼死体が増えていく。戦況は終局へと近づいていた。ひび割れた城門を突破すれば、あとは逃げ惑う敵兵を狩るのみ。

 破城槌が門を叩く。そして、一際大きな罅が走った。

 自陣から歓声が、敵陣から悲鳴が上がる。城門を守っていた魔法が光の粒となって空気に溶けた。

 とどめの一撃だと言わんばかりに破城槌が引き絞られる。

 しかし、それが城門を叩くことはなかった。半ば程から断たれた杭は地響きを立てて地面へと横たわる。

 

「指揮官と話がしたい」

 

 一人の和風の鎧を纏った魔族が、そこには立っていた。

 

「貴様! 何をした!」

 

 人族の兵が魔族を包囲する。

 それに動じることなく、魔族はこちらを見据えていた。

 

「無視をするな!」

 

 痺れを切らした一人が槍を突き出す。

 魔族は無造作に刀を振るった。槍は折れ、首が一つ宙を舞う。

 兵の間を動揺が走った。

 

「指揮官と話がしたい」

 

 魔族の目からは強い感情が見て取れた。それを押し殺し、平坦な声で言葉を紡いでいる。

 

「俺が指揮官だ、話を聞こう」

 

 護衛から非難めいた声が上がるが、視線で黙らせる。俺が出なければ被害が拡大するだけだ。

 

「その純白の鎧、人族の勇者とお見受けする」

「だったら、どうする?」

 

 包囲を解き、兵を下がらせる。戦場は静まり返っていた。

 

「我が兵は疲弊し、城門もこれ以上は持たない。故に、ここで勝敗を決したい」

 

 刀を俺の心臓に向け、魔族は声を張り上げた。

 

「勇者に一騎討ちを申し込む!」

 

 勢いのまま魔族は続ける。

 

「この一騎討ちに拙者が勝利した場合、そちらは撤退していただく。そちらが勝利した場合は無血開城を約束しよう」

 

 その言葉に人族の兵からは不平が漏れた。

 それもそうだろう。少なからず犠牲は出るが、このまま押し切れば、いずれ城は陥落する。そして、仮に一騎討ちに勝ったとして、魔族が大人しく降伏するとは限らない。

 受ける必要がない。護衛がそう強く主張する。俺もその通りだと思った。

 

「貴様など、勇者様の手を煩わせるまでもない! 私がここで切り捨ててやる!」

 

 護衛の一人が剣を抜いた。

 対峙する魔族の目はただ凪いでいる。

 

「我が身に力を与え給え!」

 

 護衛がそう叫ぶと、光が身を包みその腕が膨れ上がった。身体強化の奇跡。単純に力を増加させるだけの奇跡だが、効果は筋肉の膨張具合を見れば分かるだろう。一般的な騎士剣よりも長さも幅も勝るそれを、護衛は軽々と振り回した。

 

「魔族として生を得たことを公開するがいい!」

 

 護衛は大上段から剣を振り下ろした。速さも申し分なく、生半可な受けでは獲物ごと叩き切られてもおかしくはない迫力があった。

 

「彼我の力量差も理解できぬとは。愚か者が」

 

 護衛の刃はただ土を穿ち、武者風の魔族には傷一つない。

 刀に付いた血を払い落とし、納刀すると同時に俺の足元に何かが落ちる。

 確認するまでもない。護衛の首だった。

 再び兵に動揺が走る。新参とはいえ勇者の護衛という実力者が死んだのだ。

 

「全員下がれ、俺が殺る」

 

 空中に指を走らせ、奇跡を行使する。魔族の前に半透明の紙が浮かび上がった。契約の奇跡。

 一騎討ちの結果を遵守し、俺が勝利した場合は無条件降伏で城を明け渡し、魔族が勝利した場合は人族の撤退と1週間の休戦をするといった内容のものだ。

 

「感謝する」

 

 内容に目を通した魔族は契約を受理する。互いの胸に紋章が浮かんだ。

 契約は絶対の拘束力を持つ。成立した以上、たとえ勇者でも抗うことはできず、内容は必ず遂行される。

 内容を非難する護衛を下がらせ、俺は聖剣を抜き放つ。神力が体を巡り、淡い光が身を包んだ。

 魔族も刀を構えた。魔力が溢れ出し、空間が軋みを上げる。

 

「参る」

 

 その言葉と同時に、魔族は切りかかった。体を循環する高純度の魔力は身体強化などせずとも護衛の数倍の増強効果を与える。強化された脚力は間合いを瞬き一つ程の時間でゼロとする。音を置き去りにする勢いで刀が袈裟懸けに振るわれた。

 火花が散る。

 聖剣はその刃を真っ向から弾き返した。

 二度、三度と火花が散る。その速度は上限を知らず、瞬きすら許されないほどの速度で刃は振るわれた。

 唐竹、袈裟懸け、薙ぎ払い、逆袈裟、切り上げ。

 それが頸を、腕を、鳩尾を、胴を、人体の急所と言える部位目掛けて伸びてくる。

 何度弾き返そうとも体勢を崩さず、必殺の威力を乗せた斬撃が嵐のように迫りくる。

 強い。

 今まで戦った中でトップクラスの武者だと思った。

 それでも。

 

「俺の勝ちだ」

 

 喉を狙った突きを掴み取る。武者は刀を捨てすぐに距離を取ろうとした。

 しかし、俺の方が速い。

 

「見事也」

 

 首が宙を舞う。

 数瞬遅れで紅い花が咲いた。

 刀を捨て、聖剣の血糊を払い鞘へと戻す。

 純白の鎧には傷一つすら見当たらない。

 護衛に持たせていた軍旗を受け取り、天に掲げる。

 

 地鳴りのような勝鬨が上がった。

 

 

 

 

 

「勇者様! 怪我は、怪我はないでしょうか!」

 

 契約通り城門は開かれ、魔族の多くは捕虜として捕らえられた。人族は前線を上げ、後方支援部隊が合流し、砦は飲めや歌えやのお祭り騒ぎとなっている。

 戦争中に何をしているのか、と思わなくもないが、兵も人間だ。命のやり取りは過度の緊張を強制し、精神をすり減らす。精神の疲弊は馬鹿にはできない。現代では精神病という言葉がポピュラーになるほど、精神は人のコンディションに影響を及ぼしている。明日を生きるため、万全の状態を維持する必要があり、それに適しているのは休養だ。今日の戦いを乗り切った兵たちに、俺は休息を与えた。見張りなどの一部を除き、兵は思い思いに夜を過ごすことだろう。

 

「外傷は……大丈夫そうですね。しっかり確認足しますので、脱いでください」

 

 勿論、休息は俺にも与えられている。城壁の最上部に陣取り、月を眺めていた。暗闇を照らすそれはどこにいても変わらず、優しく輝いている。

 

「脱いでください!」

「聖女様、落ち着いてください」

 

 肩を掴まれ、急かすように前後に揺すられた。流石に無視することができず、腕を掴んで止めさせる。

 戦場には場違いな純白のドレスに身を包んだ女性が目の前にいた。その女性は、人族の間では聖女として崇められる人物だった。

 

「俺は見ての通りです。怪我もございません。心配は無用です」

「勇者様、その鎧は修復の奇跡を内包しております。ですから、見ただけでは怪我の有無は判断できません。わたくしは、貴方様が傷ついていないか心配なのです。ですから、わたくしを思うならその鎧を脱いでください」

 

 僅かに息を乱しながら、聖女は頑なに意見を曲げない。戦場から帰る度に繰り返されるこの問答を俺は面倒に思っていた。しかし、逆らうことはできない。忌々し気に聖女の左薬指を見た。そこには俺のものによく似たデザインの指輪が嵌っている。

 

「夜風は身体に悪い。部屋に戻りましょう」

「はい!」

 

 整った顔立ちで、華が開くように笑顔を浮かべる聖女を連れ、俺はあてがわれた部屋へと移動する。

 

「それでは、確認しますね」

 

 何がそんなに楽しいのか。笑顔の聖女に促され、俺は純白の鎧を解除した。全身を覆うそれが無くなったことで僅かながら開放感が生まれる。簡素なインナー姿の俺を聖女は真剣な表情で見つめ、時折小さな手を触れさせた。回復の奇跡を使ったのだろう。僅かに蓄積した疲労が抜けていくのを感じる。最後に両手が頬に添えられ至近距離で瞳を覗かれる。

 

「……堪能しました。流石勇者様ですね。本当に傷一つありませんでした」

 

 夕食をお持ちします。そう言い残して聖女は退室した。

 大きなため息を一つ吐き出す。インナーから部屋着へ着替え、ベッドへ身を投げ出す。弛緩した体はマットレスによってしっかりと支えられていた。

 しばらくそうしていれば控えめなノックが聞こえる。返事をすれば、バスケットを手にした聖女が部屋へと入ってきた。慣れた手つきでテーブルのセッティングを済ませ、席に着くよう促される。

 食事前の祈りを捧げる聖女を待ち、いただきますと手を合わせてからバスケットに手を伸ばした。夕食は見慣れたサンドウィッチだ。中身が落ちないよう気を付けながら手に取り、頬張る。あわせて出された冷えた水でそれを流し込み、黙々と食事を続けた。

 

「魔族は前線を後退させ、重要拠点で籠城。余剰戦力を首都に集結させているようです」

 

 食べ終わるタイミングを見計らったように、聖女は切り出した。

 

「中央は?」

「補給部隊が到着次第進軍、敵を殲滅せよとのことです」

 

 無茶苦茶な命令に思わず頭を抱えた。焚火を囲み、肩を組んで歌う兵士の姿を思い出す。

 この指令が届くのは何度目だろうか。戦場で勝利を納める度に、拠点を制圧する度に。さらに進めと命令が下りた。初陣からここまで休む間もなく。

 戦えば、誰かが死ぬ。敵は無抵抗に切り捨てられるのではない。進むにつれて、一人、また一人と部隊からは人が減っていった。そこへ、補給と称して新たな兵士がやってくる。

 顔触れは短い間隔で入れ代わり、初期に配属された兵士は護衛を含む僅か数名だけだった。

 

「無理だ。今回ばかりはどうしようもない。補給が来たところで、死体が増えるだけだ」

「申し訳ありません……」

 

 俺の言葉に、聖女はただ俯いた。

 思わず舌打ちが漏れる。聖女に当たることが見当違いであることは理解していた。それでも、命令の理不尽さに不満を漏らさずにはいられなかった。

 

「一つだけ、朗報があります」

 

 爪を噛むのを止め、視線を上げる。聖女の瞳には躊躇いと不安が混在していた。

 

「魔王と思われる人物が確認されました」

 

 その瞬間、部屋には強い風が吹き荒れた。聖女の金糸のような髪が乱れる。内在する神力が溢れ出し、煌々と部屋を照らす。

 

「信憑性は?」

「確かだと聞いております」

 

 その言葉を聞き届け、俺は聖女を退室させた。

 勇者として召喚された理由。それは、魔王を討つことだ。それさえ熟してしまえば、忌々しい呪いも解ける。

 

「ようやく死ねる」

 

 空に浮かぶ三日月のように、自然と唇が弧を描いた。

 携帯食料と水を革袋へと放り込む。ベッドシーツを破り、その切れ端に書置きを残した。護衛には就寝すると言い、部屋に人を近づけさせないようにする。

 窓を開ければ、冷たい風が首筋を撫でた。

 

「今、君に会いに行く」

 

 そうして俺は、夜の砦を抜け出した。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

「敵襲! 敵襲!」

 

 太陽が地平線から顔を出す頃、魔族陣営は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。

 防衛のために築いた防壁や簡易砦からは火の手が上がっている。水の魔法で消火を試みるも、奇跡によって起こされた炎はその輝きを失うことはない。

 

「消火を急げ! 見張りは何をしている! 奇襲を許すとは何事だ!」

 

 指揮官の声が空虚に響いた。また一つ、防衛ラインが突破される。

 

「本隊に連絡を急げ! この役立たずが!」

 

 怒号は配下の動きを竦ませるばかりで、状況は悪化する一方だ。

 

「まぁまぁ、そう怒りなさんな」

 

 場違いなほど緩んだ声が聞こえた。

 何重にも防護の魔法を掛けた防壁が吹き飛ぶ。そこから現れたのは朝日を反射する白銀の鎧。

 あちこちで防壁が焼け落ちる。

 防壁の崩落に巻き込まれた兵士の悲鳴が。友を失った者の慟哭が。そして、深い絶望が戦場を満たす。

 前線は既に崩壊していた。

 

「魔王に伝えろ。勇者が首を取りに来たぞ、と」

 

 伝令兵の前にナニかが落ちる。あれほど五月蠅かった指揮官の声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。

 腰が抜け、尻餅をつく。兵士の膝は笑っていた。

 

「こ、殺さないでくれ……」

 

 完全に怯えた様子で、額を地面に擦り付ける。

 無様な命乞いを、勇者は冷めた目で見つめていた。

 

「……火はすぐに消える。消火活動は止めて負傷者の回収と治療に当たれ」

 

 兵士が顔を上げた時、既に勇者の姿はなかった。

 太陽が昇る。日差しからは確かな温もりが感じられた。

 その温もりに、兵士はただ涙を流した。

 

 

 

 

 

 迫りくる魔法を切り払い、白刃を躱し、頸を刈る。ただ、それだけ。

 太陽が天にかかる時間となっても戦場は薄暗かった。分厚い雲が空を覆っている。一雨来るかもしれない。

 既に魔族の防衛陣は瓦解していた。あちらこちらで白炎が上がり、悲鳴が木霊する。

 聖剣は血を滴らせ、純白だった鎧は泥に汚れていた。それでも止まることはできない。

 

「さぁ、かかってこい」

 

 氷の魔法を使う魔法使いを斬った。

 二メートルを優に超す武闘家を斬った。

 不可視の矢を放つ弓兵を斬った。

 立ちはだかる障害は全て切り伏せた。

 また一つ、死体が転がる。何人たりともこの歩みを止めることはできない。

 前へ、前へ。

 地平線に、一際大きな城門が見えた。魔族の都を守るそれの前には、数えきれないほどの兵士が整列している。

 その先頭に漆黒の全身鎧を纏った騎士が見えた。

 ついに、ついに見つけることができた。

 

「人族の勇者だ」

 

 聖剣を正眼に構える。脚を開き、重心を落とす。

 

「魔王」

 

 くぐもった声は短くそう答える。それ以上の言葉は不要と言わんばかりに、禍々しい剣を抜いて構えた。

 空気が張り詰める。神力と魔力が膨れ上がり、その余波が戦場を駆け抜けた。

 始めに痺れを切らしたのは、魔王でも、勇者でもなかった。

 暴風と言っても過言ではない状況で、ただ一滴の雫が天より落ちる。それは重力に引かれて真っすぐに地面へと向かい、小さく弾けた。

 光が爆ぜる。

 彼我の距離を一瞬で踏みつぶし、互いの獲物をぶつける。互いの身から噴き出す力が地面を割り、大気を攪拌した。

 両者の力は拮抗し、刃は耳障りな音を上げている。気を抜けば瞬時に聖剣を持っていかれそうなぐらいの圧が両の腕から伝わってきた。魔剣から吹き上がる黒炎が鎧越しに身体を炙る。

 未だかつて感じたことのない濃密な死が首筋を撫でた気がした。背筋に冷たいものが走る。

 それを振り払うように神力の出力を上げる。白炎が煌々と光を放つ。膠着状態が破られ、僅かに魔王の剣を押し込んだ。

 不利を悟った魔王が素早く身を引く。それに合わせて勇者は大きく踏み込んだ。

 一息に放たれる剣線は三つ。

 唐竹から切り替えしての水平切り、そして突き。

 三度火花が散った。

 頭蓋、胴、喉を襲う斬撃は全て魔剣に阻まれる。

 お返しとばかりに繰り出された蹴りが腹に突き刺さる。

 ボールのように体が吹き飛び、数度地面を跳ねた。

 勢いが衰えたところで地面を蹴り体勢を立て直す。幸いにして追撃はなかった。

 腹部に手をやれば、堅牢なはずの鎧がひび割れていることが確認できる。すぐに修復の奇跡を行使した。

 

「降伏する気は?」

 

 不協和音のような声が投げかけられる。

 ダメージを奇跡で抜きつつ、それを悟らせないように油断なく剣を構える。

 

「人を待たせているんだ。こんなところで止まれはしない」

「それは残念」

 

 返事を聞き終えると同時に魔王が攻勢に出る。

 初撃は肩を狙うような鋭い突き。

 弾いた剣は滑らかな軌跡を描き、今度は腕へと走る。

 それを下がることで回避した。

 お互いの剣が届かない距離。示し合わせた様に手のひらを向け合っていた。

 

「炎よ」

 

 互いの手から炎が放たれる。純白と漆黒が混ざり合い、爆ぜた。

 爆風に逆らわずに距離を取り、爆炎が治まると同時に地を蹴る。

 密度を増した神力と魔力が鬩ぎ合う。

 炎を纏う剣が。

 隙を突くように放たれる体術が。

 互いを飲み込まんとする奇跡と魔法が。

 幾度となく交差する。

 地面は抉れ、雨が降り注ぐ。

 魔族の兵はただ見守ることしかできなかった。助太刀としてそこに踏み込めば瞬時に身が磨り潰される。そんな確信が得られるほど、勇者と魔王の戦いは次元が違っていた。

 膠着した状況を動かしたのは勇者だった。

 魔王の剣を跳ねのけ、至近距離で白炎を叩きこむ。

 流石の魔王も堪らず大きく後退した。その鎧には、細かな傷が目立つ。対照的に、勇者の鎧は純白に輝いていた。

 

「お前は何のために戦っている?」

 

 構えを解いた勇者は魔王に問うた。

 魔王は僅かな困惑が見て取れた。一向に仕掛ける気配を見せない勇者を怪しみつつも、切っ先を下げて応じる姿勢を見せる。

 

「仲間のために」

「その仲間は大切か?」

「大切でないもののために、戦うなんてことはできない」

「本当に?」

 

 魔王の困惑が更に深まる。

 それを感じ取った勇者の神力が急に膨れ上がった。聖剣を八双へとゆっくりと構える。

 魔王もそれを受けて魔剣を構えなおし、全身から魔力を迸らせた。

 

「俺にとってはあいつが全てだ。だから、それ以外を悉く切り捨てられる」

 

 交錯は一瞬。

 上段から放たれた聖剣の一撃は、迎え撃つ魔剣を切り裂いた。

 

「お前の覚悟は温すぎる」

 

 驚愕を露にする魔王を聖剣が襲う。

 

「じゃあな」

 

 勇者が別れの言葉を告げた。

 聖剣は必中の距離にまで迫っている。

 

「……まだ、死ねない!」

 

 魔王は折れた魔剣で聖剣の腹を殴りつける。

 必殺の威力を込めた切っ先は首から逸れ、漆黒の兜を吹き飛ばす。

 

 純白が広がった。

 

 

 

 

 

 人族特有の肌の色に真っ白な髪。そして、アメジストのような瞳。

 それはおおよそ魔族とは思えない容姿の人物が、そこには立っていた。

 額から血を流しながらも、折れた魔剣を構え、その双眸は俺を見据えている。

 聖剣がカタカタと鳴った。手が震えている。

 手だけではない。腕が、足が、細かく震えていた。

 

「ずっと逃げてきた」

 

 鼓膜を揺らす声に、思わず涙が溢れそうになった。

 

「嫌なことからは目を背けて、耳を塞いで。手を引かれるままに歩いてきた」

 

 風になびく髪は変色してしまっているが、見間違うはずなんてない。

 

「でも、それじゃダメだった」

 

 苦痛に歪む唇が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「あたしがいるだけで、誰かが不幸になる」

 

 表情には深い影が差していた。

 

「なら、あたしが居なくなればいいって、生きることから逃げた」

 

 知っている。忘れたことなんて、一瞬たりともなかった。

 

「逃げて、行き着いた先で、あたしはまた優しさに甘えて」

 

 何かを飲み込むように、ゆっくりと息を吸っている。

 

「また不幸を生んだ」

 

 魔剣の柄が軋んだ。

 

「こんなのはもう嫌。だから……」

 

 瞳に一際強い光が宿った。

 

「あなたを殺して、あたしは前に進む」

 

 黒の魔力が膨れ上がった。

 俺は無言で聖剣を構える。

 上段に構えられた折れた魔剣が深い深い闇を纏った。

 合図はなかった。正確に言うならば、必要なかった。

 振り下ろされる魔剣に対し、俺は聖剣を手放した。

 目を見開く様を見て思わず笑みが零れる。

 僅かな躊躇いの後、魔剣は俺を切り裂いた。

 込められた膨大な魔力は雲すら両断し、天から一筋の光が差し込む。

 

「どうし、て……」

 

 アメジストが濡れていた。

 

「どうして、どうしてどうしてどうして!」

 

 鎧の維持ができなくなり、光になって解けていく。見下ろせば、左肩から斜めに裂傷が刻まれていた。思い出したように傷口から血が溢れ出す。立つことすら儘ならなくなり、身体を預けるように前のめりに倒れた。

 差し出された手に優しく抱き留められ、地面と衝突することからは免れる。

 仰向けに寝かされ、視界には見慣れた顔が広がっていた。

 

「どうしているの! どうして!」

 

 ここまで取り乱す姿を見るのは二度目かな。

 そんな場違いな思考が脳裏を過った。

 何度も何度も問いかける声はいつも心地よく感じていたのに、今は少しだけ頭に響いた。

 唯一動かすことのできる左腕を使って、頭ごと寄せる。

 唇で言葉を塞いだ。

 思い返してみれば、これがファーストキスかもしれない。ファーストキスはレモンの味と聞いていたが、感じられるのは鉄っぽさだけだった。少しだけ、残念に思う。

 腕が疲れて、唇は自ずと離れていった。視線だけが交わり続ける。

 一瞬、意識が途切れた。もう長くないかもしれない。

 なけなしの力をかき集めて、回復の奇跡を行使する。表れた光は弱弱しかった。

 それでも、ないよりかはましだ。

 体の感覚は消え失せていた。

 それでも、これだけは伝えなければならない。

 気力だけで声帯を震わせる。

 

「エリカ……愛してる」

 

 ちゃんと届いただろうか。

 まぁ、いいか。

 最期に君に会えたのだから。

 目蓋を閉じる。

 

 

 

 あぁ、温かいな。

 

 

 

 

 

 




 読了ありがとうございました。
 続編の構想はありますが、次回更新は未定です。

 感想・評価よろしくお願いします。


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