菜月スバルに直死の魔眼とか色々組み込んでみた。   作:繭原杏(繭原安理)

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黒ノチニ赤ク染マレ

 その足取りはまるで、熱病に浮かされた病人のようだった。

 立ち止まってもすぐには気付けないだろう遅さの歩行は、その怠さと吐き気を緩和するために前かがみになり、時折壁に手をついてまで体幹がグラついている証拠。

 その病人のようなありさまに反して、顎から垂れる脂汗はたった今拷問を受けてきたような苦痛に歪む顔から滴っている。自覚してかいまいか、自然と呼吸は浅くなり、その口端からは僅かに膿のようなゲル状の半固体がブクブクと泡立ちながら垂れていた。

 その膿のような何かは到底人の口から生まれたようには思えず、それに比べれば吐瀉物など虹ほど綺麗だと言えるだろう。悍ましいを通り越して理解を拒みたくなるようなそれの色は、注視してみれば黒色なのであろうことが分かった。如何なる臓器の腐敗がそのような色を生むのか、知りたくもないし、起こることもないだろう。

 

 余人が見れば体調を気遣い、その症状を良く見た後に悲鳴を上げて逃げだしそうな姿。だが幸いながらか、■の歩く廊下には一切の人影が――本来、城で給仕や掃除等々の用を務める使用人ですら、見受けられなかった。

 それ故、誰も■の歩みを妨げられない。その背には点々と黒い染みが残っており、それの大本が何なのかと辿ってみれば、背に硬貨程度の大きさの穴が開いていることに気付ける。だが、そこから血が溢れる様子は無い。

 靴に水が染み入っているように、歩く度にじゅぶじゅぶと音が鳴る。それを不快に思う余地は無く、愚直に■は歩き続けた。

 

 此処までの異常に気が付かなかった■は、もしかすれば何時如何なる時よりも彼らしく、現実から目を逸らしていた。彼の中で彼は今、平凡に王城の中で挨拶などを交わしながら廊下を目指していたのだから。

 

 

 

 エミリア……エミリア……。

 脳裏に浮かぶのは一人の少女の顔。銀髪で、耳が尖っていて。

 ああ、思い出せる。体が怠い。けど、問題ない、元気だ。廊下が長い。疲れているのだろうか?

 意識が途切れている間に何があったのかは分からない。もしかしたら、何かすられたかもしれない。けど、お守りもペンダントも盗られていない。その他の確認は後にして、今はただ歩く。エミリアに会うために。

 

 どうしても、エミリアに会いたい。この激情はどんな名前なのだろう。会いたくて会いたくて仕方ない。縮み上がる程に寂しくて、震え上がるほどに心細い。

 

 まっすぐに廊下を歩き、そして何度目かに手が触れた扉を見て立ち止まる。

 

 「はぁ……ぁあ……」

 

 声が上擦ったことに気付かず、俺は見覚えのある扉――現在使用している客室に入る。

 まず部屋の真ん中にはソファー。俺の家のリビングぐらいの広さの底は、高そうな花瓶やなんやらで飾り立てられてはいるが、どうにも鼻につく様な高級感が無い。正面に見える窓から日が差し込み、窓枠の影が迎え合わせのソファーの間の机に掛かっている。

 左と右には扉があり、そこから各々の部屋に繋がっている。大きさはこの部屋と同じくらい。俺と、エミリアとレムで二部屋。ロズワール、ラムで二部屋。

 ああ、右手前の扉は俺の部屋への入り口だ。今は用が無い。壁伝いに部屋を歩き、エミリアの部屋に続く扉をノックする。

 それは木製の、高級そうな扉だった。黒壇製、というのだろうか。硬質で黒光りするそれには、可愛らしく「エミリアとレムの部屋」とネームプレートに刻印されている。俺の方は何もない。客人扱いだから仕方がないな。

 そもそもなんでこんな部屋の作りになっているのかも微妙だが……それは気にすることではないだろう。

 出るときに出辛いし、きっと逃亡の際に~とかなんかだろう。となると犯罪者扱いされてるような気もしてくる。

 

 いや、それは良い。今はエミリアだ。

 まずはノックだ。ああ、この扉って高級な木材を使っているからか分からないけど、いい音するんだよな。

 

 手を握り、人差し指と中指の関節で扉を叩くが――音が返ってこない。

 

 「……?」

 

 もう一度ノックをしてみるものの、結果は同じ。木を叩く様な、硬質な音はしない。

 いや、これは……壁?

 あれ? 此処ってエミリアの部屋じゃ……。

 だいぶ疲れているようだな。扉の横を叩いたのだろう。

 

 頭を抱えながら顔を上げ、左右を見渡す。

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「どういうことだ?」

 

 もしかして、知らない部屋にでも入ってきたのだろうか。

 いや、だが割り振られた部屋はここだ。ここ数日過ごしてきたのは、この部屋で間違いない。

 だが何故エミリアの部屋が無いんだ? 男女別室……というわけでもないし。

 振り返ってみれば確かに反対側にも部屋があった。ロズワールの部屋だ。

 事情を聴こうと、俺はそっちに入っていく。別に野郎とラッキースケベイベントは起こしたくない。

 

 「ロズワール……居るか?」

 

 「あーぁあ、いるとぉもさ」

 

 その返事を聞いて、俺は部屋に踏み入った。

 

 「まだ入っていいとは返事してないんだぁがねぇ」

 

 「何言ってんだ、同じ風呂入った仲だろ」

 

 「……私の記憶には、無い話……。これは、確定かな」

 

 「ん? どうした?」

 

 「いーぃや、なぁーんでもないさ」

 

 そうか。

 

 ロズワールはその部屋の中で、ワイングラスを傾けていた。

 カーテンを閉め切って部屋を暗くしていたために、雰囲気だけはあったが……こう、悪の組織の幹部みたいな感じの雰囲気だ。

 脇に控えているラムが、ボトルのラベルをロズワールが見えるように抱えている。やはりメイド服で、それが違和感ではあるものの……やっぱり悪の組織といった雰囲気が拭えない室内だった。

 踏み出してみると、足元には絨毯が敷かれていることが分かった。廊下に敷いてあるような奴だが、此方は余り踏み固められていなくてふわふわだ。

 

 「ロズワール。エミリアたんって、何処だ?」

 

 たん……。

 ああ、そうか。そういえばたん付けしてたな。俺は。

 

 「ん? ()()()()をいってるんだーぁね?」

 

 「……は?」

 

 頭が、真っ白になった。

 

 

 

 

 

 

 ……いや。いやいやいや。

 まてまてまてまて。うん、きっと聞き間違えだ。ロズワールがエミリアを知らないわけが無いだろう。

 

 「いやいや……何言ってんだよ、ロズワール。エミリアたんだよ、エミリアたん。レムと一緒にあっちの部屋に泊まっている」

 

 「ふぅーむ」

 

 ワイングラスを机に置いて、顎に手を当てる。

 おいおい、そこまで考えるようなことか?

 いや、確かに部屋が消えてるのは奇妙だろうけどさぁ。事実起こってるわけだし。

 何であるはずの部屋が消えんだよ。どう考えてもおかしいだろ。

 

 「あー、スバルくん?」

 

 「なんだ?」

 

 そのままロズワールは神妙な顔をして、問いかけてきた。

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ねぇ」

 

 「いやいやいやいや……いやいやいやいやいや」

 

 どうしたんだ?

 いや、本当にこいつロズワールか?

 目の前のこいつ(ロズワール)が、まるでエイリアンに乗っ取られたかのように別人に見えて、俺は思わず身構えた。

 逃げるより、殺した方が簡単だから。

 

 視界の端でラムが戦闘態勢をとったが、気にしない。ワイン瓶を持ったままでは戦闘なんぞできないし、それを置くそぶりが無いからだ。

 

 「そりゃ知ってるだろ……同じ屋敷に一週間もいたんだぜ?」

 

 執事にならなかった周もあることを鑑みても、一週間は同居人の名前を覚えるのに十分すぎる時間だ。

 だというのに……ロズワールは俺の事を何だと思っているんだ?

 

 「いーぃや、スバルくん」

 

 嫌な予感がした。

 いきがつまって、呼吸が浅くなる

 

 「そもそーぉも君、レムに会ったことあったっけ?」

 

 「……あるに、決まってるだろ。いい加減俺でも、切れるぞ。エイプリルフールはまだまだ先だぜ?」

 

 「エイプリルフールはさておき……ふむ」

 

 「――っ、だから! 何を悩むことがあるんだっ! 俺がレムの事を知ってるのは、そんなにもおかしいのかよ!」

 

 「()()()()()()()()

 

 そう平然と返されて、むしろ俺の方がおかしく思えて。

 俺は、間抜けな息を漏らした。

 

 「――へ?」

 

 唐突に、ラムが口を開く。

 そうだ、あの桃髪のメイドだ。

 

 「失礼ながら――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。もしレムの行方を知るのであれば、是非ともお聞かせ願いたいのですが」

 

 「え……? いや、だって……」

 

 俺は、レムと一緒に魔獣を殺して。ああでもこの周では俺がメィリィに交渉したからそれは無くなってて……。

 いや、でもおかしい。レムが居なくなぅている筈がない。前の周だって、俺はレムに連れられて王城に帰ったはずで。

 

 「そもそも」

 

 ロズワールがそういうと、俺は思考を中断してラムからそっちに視線を戻した。

 握りしめた拳には手汗が滲んでいて、それに気づいた俺は手を広げてそれを服の裾で拭った。

 

 「スバルくん――エミリア様の部屋とは、何のことだい?」

 

 息苦しい。

 

 「なんの、事って……そりゃ、エミリアたんの泊まっている客室の事だよ! 何で部屋が急に消えてんだ――っつ!」

 

 そしてそのまま手を横に振り、壁にぶつかってあわてて引っ込める。バキリという音が聞こえて、俺は後で骨が折れていないかを確認しようと思った。

 だらりと脇に腕を下げて、俺はロズワールの言葉を待つ。

 

 「……エミリア様に割り振られた客室……スバルくん、いいかい?」

 

 「なんだよ」

 

 息苦しい。

 

 「エミリア様に、部屋は割り振られていないーぃよ?」

 

 「はぁ? ……はぁ!? 有り得ねぇだろそんなん! だってエミリアは王選候補――」

 

 息が、苦しい。

 

 「――だからさーぁ、スバルくん。そこからおかしーぃんだよ」

 

 

 

 俺は、ロズワールがにやりと笑みを浮かべたのを見ていなかった。

 それはそれは愉快そうに、嘲笑気味に吊り上がる口角は、顎に当てられていた手によって覆われていたのだから。

 だから、飛び出したのはそこに不穏な空気を感じてではない。

 ただ、続く言葉を聞きたくなかっただけだ。

 

 だから。

 

 黙らせろ。黙らせろ(コロセ)

 

 

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 死亡、報告。

 

 エミリアが、既に死んでいた……?

 

 何故。

 何時。

 どうやって。

 誰に。

 どうして――!?

 

 此処へは報告に来た――つまり、死んだのはもっと前。でもおかしい。それだと、辻褄が合わない――合わせられない。

 

 合わせられない?

 いや、ちがう。「合わない」だろうが。

 合わせられない、だとまるで……。

 

 「エミリア様は、君を屋敷に運び込むと同時に死んだ。だから葬式をして、それを報告するためにおうとにきたんじゃーぁないか……わざわざ一週間もかけた葬式を、忘れたのかね?」

 

 「……黙れ」

 

 聞こえない。

 

 「いーぃや、黙る必要は感じないねぇ。そもそもスバルくん。なんで君はエミリア様が生きてると思ったんだい?」

 

 「黙れ」

 

 「もしエミリア様に似た人影を見たのだとしたら――ああ、それは、もしかすれば本物の『魔女』かもしれなーぁいねぇ」

 

 「黙れ……」

 

 「そうでなくとも、エミリア様を詐称する可能性がある人物は捉えておかなくては――」

 

 「黙れっ! ぁあああ――っがあぁぁ……!」

 

 「――いけない、っと。よくやった、ラム」

 

 ロズワールにとびかかる。それと同時に、鼻頭を強く打った。

 蹲って、俺は顔を抑えた。鼻から流れ出しているこれは、血か? 少し粘着質な所を見るに、鼻水かもしれない。

 

 「うーぅん。揶揄うのも頃合いかぁね」

 

 「ロズワール様?」

 

 ああ、痛い。

 痛い痛い痛い。

 

 「ほら、ラム。転移魔法は身を寄せてないと使えない……もう少しよりなさい」

 

 「はっ、はい……」

 

 痛い痛い痛い痛い痛い。

 何故痛い? どうして痛い? どこが痛い?

 鼻だ。鼻があるから痛い。

 

 『――』

 

 「――っと、こんな感じかね」

 

 「ロ、ロズワール様……」

 

 「ぁ、ああ……」

 

 痛い痛い痛い。

 痛いんだ。痛みが痛くて、辛くて苦しくて。

 

 『――、――だ』

 

 「ん? なぁんだね」

 

 「私まで……良いのですか?」

 

 「……ぁぁああ――」

 

 「いぃんだよ。だって君は」

 

 痛くて痛くて、痛くて痛くて痛くて痛くて――ッ!

 

 『――、お前のせいだ』

 

 だって、だって――!

 

 『()()、お前のせいだ』

 

 「――ぁぁああああああ!」

 

 喉が痛い。気付けば俺は叫び出していた。

 頬を伝う涙を振り払うように、歯を食いしばるように。

 そしてふと気が付く。

 何で痛いのか――人だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 じゃあ、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 それはいい考えだ。

 

 輪郭が溶けた。

 

 

 

 

 ――時が、「停滞」する。一秒が永遠に思えるほどに引き伸ばされ、刹那が無限に拡大する。

 

 服、皮膚、肉、血管筋肉、骨に至るまで。それらが溶けあい、融和して、混ざり合って。

 停滞した世界でも気付かない、コマが抜け落ちたような変化が、広がる。

 滴る雫が、絨毯に落ちるよりも先に、混ざり合って――黒に染まる。

 

 輪郭が溶ける。

 黒に染まる。

 質量が膨らみ、硬度が下がる。

 

 死んでいく、置き換わっていく、変化して変性して変質して汚染されて、曝け出す。

 枠が外れて臨界を超えて、肉が裂けて()が流れ出して。

 ■は泥となり、溜め込んだ悪意を示すかの如く膨張し、氾濫し、汚染して――津波にも似た災害を撒き散らす。

 

 ――それは正に、『地獄の顕現』であった。

 

 

 

 ――aaaaaAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!

 

 産声が上がる。

 生誕祭だ。




世界が、「黒」に染まった。
なら次は、きっと「赤」だろう。

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