菜月スバルに直死の魔眼とか色々組み込んでみた。 作:繭原杏(繭原安理)
「おっと、これはこれは……ええ、ええ。随分と嫌われてしまったようで」
痩せこけ、窪んだ顔の男が泥溜まりから延びた触手を交わして、そういった。
そのお道化た口調にますます神経を逆なでされ、■■■は自分の片腕も泥に還してペテルギウスを殺しにかかる。
四方、八方。床からとは言えど、壁や天井にもぶつかって様々な角度から襲撃するそれらを、ペテルギウスはまるで
その余裕綽々な態度に、■■■は奥歯を噛み締め、反吐を吐く様に毒を吐いた。
「なぁ、お前らは一体何がしたいんだ? なぁ。うじゃうじゃうじゃうじゃと湧いてきやがってよぉ。ゴキブリでもこうはいかない。流石人間ってところか? あぁ?」
「いえいえ。ワタシ、別に貴方様の癪に触れるようなことをしたいわけではありません、ええ、そうデスとも。これでもワタシ、
かくかくと首の折れた人形のように首を振りながら、ペテルギウスは手を振った。
その余裕の滲み出る態度からますますの激情に駆られ、もう片方の手も泥に還そうと―
――まて。
なんで、俺はこんなにも
いや、これはまるで、何かの衝動を植え付けられているみたいな……。
■■■は自分の不自然さに気が付く。ラインハルトと対峙した時にはカラカラと笑う余裕のあった自分が、此処に至って腹の奥底に奇妙な熱湯を流し込んだような感覚を覚えている。見れば、触手の攻撃もかなり雑なものになっていて、これでは体を軽くずらすだけで避けられてしまうありさまだ。
「――スーッ。……ハァー」
体の強張りと、後頭部で頭の内側を焦がす感覚を抑えるために、■■■は深呼吸を真似る。泥でできた体には酸素を取り込む必要もなかったが、「深呼吸で冷静さを取り戻す」という習慣が染み込んでいるために体の制御が幾分か戻ってきた。更に取り込んだ竜の心臓が呼吸という行動につられて大量の魔力を吐き出した。どうやら、この心臓は■■■の自発的な行動でしか魔力を引き出せないようだった。
澱を洗い流すように心地良く魔力が体に染みわたり、改めて自身の存在を確かに頭を冷やす。
「
自身の腹――丹田のあたりにある奇妙な異物に意識を向けて、それの解析を始める。
「――
そして、苦々しげに顔を顰めることになった。
魔術的なウイルス―‐“因子”とでも呼ぶべきものが、混ざり込んでいた。
それは2種類存在し、片方は今しがた獲得した――恐らく、コルニアスを殺したことが原因だろう――もの。
そしてもう片方は、
此処までくれば、もうわかる。理由は分からないが、この大罪司教と名乗る者たちは、■■■の体内にこれらの“因子”を埋め込むことが目的なのだろう。
そんなことをして、何になる?
「――いや、どうでもいいか」
不純物の混じった体では、純正の「■■■■■の■」からかけ離れる。そこから流用できた「絶対殺害権」の効力が薄まる。
するとどうなるか。今、こうも容易く攻撃をかわされて――
絶対殺害権は、意識的に発動できるものではない。一種生物的な圧――本能に働きかけるものだ。常時発動することは可能だが、それを意識的に使おうとすれば、ずぶの素人が威圧を使いこなせるようになるのと同じくらいに時間がかかる。
つまり、■■■には無理だということだ。そんな時間があれば、外から大量の泥を呼び込んで、直接ペテルギウスを押しつぶした方が早い。
いや、泥の操作も鈍い。少量なら問題ないが、人以上の体積となると怪しくなってくる。それはこの城の中にいるからか、それとも、不純物が混じったためか。
ギリッ、と歯噛みする。この苛立ちも、偏に因子の獲得によるものだ。
苛立ちを解消するため――ペテルギウスを嬲り殺すには、不純物が邪魔で、不純物を取り除けば、ペテルギウスを殺す理由がなくなる。
さて、どうするか。現状、因子を取り除く手段がない■■■は、今持てる手でペテルギウスを殺す方法を探ることにした。
ラインハルトにやったように、泥の檻を作るか?
同時に操れる泥の量が圧倒的に少ないのだから、出来て網のような物をかぶせるだけだ。動きを止めることはできないだろうし、そもそもあの男はその場から動いてすらいない。
では、触手の起動をもう少し考えるか? フェイントを織り交ぜて、一太刀浴びせるか。
それも無理だ。今そうしているところだが、ペテルギウスは手慣れた様子で攻撃をかわしている。まるで考えが読まれているかのように、四方八方から襲い掛かる触手のの包囲網の隙間を縫って交わす。
「――さテ、それでは僭越ながら、ワタシも反撃させてもらいましょうか」
そう言うと、ペテルギウスは歯を剥き出して笑い、その背から勢いよく無数の手を――
「なァッ!?」
半透明のそれは、魔力の色に黒く染まり、けれど尋常の目では捉えられないことを直感する。これは死を捉える視界の副産物、見れないものを見ているのだろうと、頭の片隅で思い当たる。
少し視辛いが、その触腕に浮かぶ線は見て取れる。問題は、その腕があまりにも膨大で、あまりにも、無秩序に動いているということだ。
「――いや、驚くことは無い。いつも通り、いつも、通り……?」
無数の触手を持つ怪異と対峙したことならある。いや、あったはずだ。
その経験はあるはずだし、遭遇した時の知識のある。ただ、体で覚え込んだ対処法が一向に出てこない。
ああ、そうか。泥の体は任意操作で、意識的に動かさない限り、よほど染み付いた動作以外はできないのだろう。そうでなければ、まるで、過去が無かったことになったかのようではないか。
それはおかしい、だから、■■■は前者の仮説で納得した。そうすることにした。
「随分と便利そうな手だな。お茶でも一杯入れてくれねぇか?」
「いえいえ、いえいえいえ……っ! あの方から授かったこの
この手は救われぬ者たち……信じぬ者たちに差し向けるべき、救いの手なのデス。ええ、決して、そのような催事に用いるものではありマセん――!」
地雷に触れたのか。突如として気迫が増したペテルギウスに、■■■は面倒な奴だと舌打ちする。
まあいい。仕方ない。そう心中で呟いて、■■■は片腕を再構成し、歪な両の短剣を握り直した。
「そうか。じゃァ――殺し合オウか」
「ああ、アアっ――! 試練を、苦難を、課題を、寵愛を――っ! それがワタシの役目ならば、魔女の寵愛を受けた意味こそ、それなれば……ああ、愛を、愛を! 愛を愛を愛を愛を愛をををおおおおオオォォォオオオ
!」
ガリガリと頭を掻き毟り、脳に救う虫を掻きだそうとでもするようなペテルギウスに、■■は飛び掛かった。
「ああ――」
「シッ!」
やはりペテルギウスの触腕――見えざる手もまた任意操作で、だから意識が逸れている今が攻め時だろうと懐に飛び込み、短剣を振るう。
グリン、と天井を仰いだペテルギウスの目が下を向く。視神経がぶちぶちと音を立てそうなほど急に眼球が回ると、指を軽く動かし、見えざる手によって懐の■■■を弾き飛ばした。
泥の塊を殴ったような音と共に、少しだけ先の床に■■■が仰向けに倒れようとする。その腹は大きくへこんでいて、内臓を模した泥が零れ出ていた。
その体を数多の触腕で締め上げる為、ペテルギウスは身を震わせた。激情のままに身を動かし、愛に応えるために指先を潰す。其れこそが『魔女教大罪司教 ペテルギウス・ロマネコンティ』であるのだから。
「――、――」
喉が詰まる。哀しみで喉が塞がれ、涙で溺れそうな、そんな感覚を覚えた。
悲しい? 何故だ。自分は愛に応えている。魔女の寵愛に応えるこそが至福で、勤勉たることこそが至上で、故に今この瞬間は至高の時だ。悲しむことは無い。何故、自分は悲しんでいる。
その困惑で、一拍動作が遅れる。幸いながら、その一拍で逃れ出ることができるほど触腕の方位は甘くなく、また■■■の戦闘技能も高く無かった。
「が、ァッ」
締め付けられた苦しみで、■■■は人のように呻いた。宙に浮かぶ■■■は、見える者の目で見れば一つの繭のようにも映るだろう。あまりにも入念な、十重、二十重にも重ねられた見えざる手による拘束は、十全に■■■を縛り付けた。
徐々に、酸に溶かされていくように手が解かされていく。痛覚は通わぬものの、五感に属さない感覚器官でその不快を感じたペテルギウスは、流石魔女の目の欠けるお方だ、と思われた。いや、思った。
頭を掻くことを止め、煩わしい掻痒感に苛立ちながら、その苛立ちを行動として表す。
「さァ、さァ――ッ! 立ちなさい、足で立ちなさい――! 立て立て立て立て立てェェァァァアアアアアア゛ア゛ア゛!」
蹲るように腰を曲げ、喉から血を出さんばかりに叫ぶ。自分の手で首を絞め、爪を突き立て、或いはその指に歯を立てる。醜悪としか言いようのない発狂は、突如として鳴りを潜める。
「――何故立たないのデス? ああ、貴方ならいかようにもできるはず。なのにそれをしない……何故?」
何故、何故、と。
呟きは蠅の羽音のように連なり、唇が鼠の心臓が脈打つように震え始める。
「何故、何故、何故何故何故何故なぜなぜなぜなぜ、なぜなゼなぜなぜナぜナゼなぜナゼナゼナゼナゼェ――!」
ああ、そうか。
そうなのか。
「まだ、足りないのデスか? まだ、まだまだ、まだまだまだ――ッ、足りないというのですかッ!」
ええ、ならば増やしましょう、与えましょう。
何故ならワタシは、「勤勉」なのだから。
「寵愛の証よ、もっと、もっともっともっと――試練を与える手助けを――!」
そう叫び、ペテルギウスはする必要のない限界間近の権能行使をし始めた。
その負荷によって体の毛細血管に幾分かが弾け、目から血の混じった涙が流れ、叫びすぎた喉は血を吐き出した。
限界を超えた感情を発散するために、臨界を超えた興奮を処理するために、ペテルギウスはその頭を激しく壁に打ち付ける。頭蓋を砕かんばかりに、激しく、激しく。
その痛みも感じないと言いたげに、自身の内から起こる感情の奔流に恍惚とし始める。これこそが、魔女の寵愛の証明。そう感じながら、ペテルギウスはエクスタシーを感じるまでに至る。
肉の重みも、皮の抑圧もない。けれど実体は確かとして在り、体を操る感覚が確かな手ごたえとして帰ってくる。その至上の境地に酔いしれ、■■■の事を完全に忘れ去っていた。
「ああ、脳が震える――」
歓びのあまり、無意識に言葉が零れ落ちた。それほどまでに感情の奔流が悦ばしく、口一つすら制御しきれなくなるほどに夢中だった。
だが、乱高下の激しいペテルギウスの気質が、その興奮を鎮静させる。先程迄の乱れっぷりが嘘かのように、ペテルギウスの目には冷静さが戻り始めた。
「失礼、興奮しすぎました」
強く潰しすぎ、ぐちゃぐちゃの泥の塊になった■■■に対してペテルギウスがそういった。損害は一方的なもので、形では■■■の被害が甚大に見えても、その実ペテルギウスの見えざる手が既に半分も削られていた。
そのくせ、泥の肉体には欠片も損害が与えられていないのだから、理不尽この上ない。
その事が悦ばしく、ペテルギウスが微笑む。歯を剥き出しに、ケタケタと笑うことが、ペテルギウスにとっての微笑みだった。
ケタケタと笑うペテルギウスは、だから気付かなかった。いや、冷静に■■■を見ていても気づけなかっただろう。
■■■は潰され慣れてきた体の中で、静かに、泥溜まりの操作を行っていた。
――死ね。
そう囁く口はもうないが、ペテルギウスはそんな声を聴いたと錯覚した。
次の瞬間に、ペテルギウスは鋭い串のような物で心臓を刺し貫かれ、それが■■■の操る泥だと遅れて理解する。
串は自分で大きく捩じりくねり、ペテルギウスが事態を理解したころには傷口がみしさーに掛けられたようにぐちゃぐちゃの汁状となっていた。その際の痛みすら、ペテルギウスは感じなかった。
あまりの痛みに、肉体の神経が情報を伝達しなかった、ということにしておくべきか。それともペテルギウス程の狂人ならば、この程度の痛みを感じることもできないのか。
「ああ」
心臓を潰され、死の間際にいるにもかかわらず、ペテルギウスは喜びに口角を釣り上げる。
やはり、魔女の寵愛は正しかったと。狂おしいほどに喜ばしく。
そしてペテルギウスは死んだ。
その殻から魂が抜け落ちた。
余り賢すぎると、いざというときに躊躇いすぎて、結局何も選択できずに終わる。
だから頭は空っぽの方が良いんだ。それぐらいの方が、かえって賢く動ける。