菜月スバルに直死の魔眼とか色々組み込んでみた。 作:繭原杏(繭原安理)
体を一本の触手が貫いた。■■■は、自身の体の延長ともいえる泥の触覚でそれを感じ、しかしまだ拘束が解けないことから死んでいないと判断した。
心臓を壊しても、人は少しだけ意識を保っていられる。きっと最後の意地か何かなのだろう――と判断するには、少し見えざる手の力は力強すぎた。
「――」
声がする。だが、空気の振動もまともに受け止められないほどに、見えない手で押さえつけられた■■■の表面は波打っていた。その体の液体性を利用して、手の檻から零れ落ちようと目論んで。
その目論見は、どうやらうまくいったようだ。砂を握るようにサラサラと零れ落ちた■■■は、拘束を脱して人型に戻った。うずくまったまま頭上を見上げれば、そこには紫に近い黒の手がうようよと蠢いていた。
嫌悪感を隠さずにそれらを「殺して」行けば、数分して漸く片が付く。この間に一切の襲撃が無かったのは、この死体が何か教えてくれるのだろうか。■■■はかつてペテルギウスだったものの肉塊を見やり、完全に
ペテルギウスがあの黒い手を維持しているのか、それとも込められた魔力で自立しているのか。
自身の直感は前者を正しいと主張し、けれど■■■自身は後者が正しいと思っていた。
「……」
どちらにせよ、この見えざる手の傍に居るのはあまりよくない。何かの拍子でまた襲われたら面倒だ。そこにおいて本能と理性は意見を一致させた。
もともと向かっていた方向へ足を進め、角を一つ曲がった後、■■■は再び迷い始めた。
もしペテルギウスが死んでいるのなら、このまま自身の本体を目指していくことに問題は無い。
だが、何かしらの手で未だにペテルギウスが生きているのなら、状況次第では本体が握りつぶされる羽目になる。本体には霊的なものを退ける結界があるが、物理に対しては全く対抗手段がない。
更に言うならば、本体の傍ではきっと殆どまともに泥を動かせなくなる。パス――というより魔力糸が繋がりが感知出来てきたから、本体の位置は凡そ予想できている。
だが、今此処で本体の下へ向かうのは正しい選択なのか?
それとも、城内を探し回って
いや、ペテルギウスが生きてるなら、生身で本体の下へ行っていてもおかしくない。ならやはり先回りするために本体の下へ向かうべきで、でもペテルギウスが本体の在処を分かっていなければむしろ■■■自身の動きでその場所を悟られる可能性もある。では、向かわない方が良いのか? それともやはり、向かうべきか?
向かうべきか、向かわないべきか。
その二つの選択に、様々な根拠と理由が渦巻き、■■■は混乱に動きを止める。
どうすればいい?
ぐるぐると廻る思考が、失敗への
正しい選択が分からない。こと、■■■にとって本体は心臓そのものである為に、判断も自然と慎重になる。
その慎重さと、理性が、あれこれと可能性を提示するだけして、動きを止めている。雁字搦めにされた■■■は、何もしないまま時間が過ぎるのを待ってしまう。
「――いけませんねぇ。何をしているのデス?」
「――っ!」
ペテルギウスの声、これで生きていることは確定したが、問題はまだ残る。
振り返りながら短剣を薙ぐが、そこには壁しかなかった。豪華な絵画に横一文字を刻みつけながら、■■■は目を見開く。どこへ消えた?
声はした。聞き間違えではない。幻聴が起こるほど複雑な構造もしていない以上、あれは確かにペテルギウスの声だ。
では、何故本体の方に向かわずにこっちに来て、わざわざ声までかけた? 本体まで案内させたいなら、それは悪手ではないか? いや、焦った俺を本体の方に向かわせようとしているのかもしれない。しかし、今の俺は足が止まっている。まさか牽制か? 本体を見つけるまで、俺に動かれたくない為の布石?
何故声を掛けられた? なんでなんでナンでナンデ――。
「何もしないなどと、立ち止まるなど――それではまるで、『怠惰』ではないデスかっ!」
「っ! またっ!」
声はする。だが、姿は見えない。
一体何故? 声をかけるという行為に、一体どんな意味がある?
ソレが分からないから、立ち止まらざるを得ない。それを煽るような声にも、状況が判断できていないからと、攻撃の手を休めるしかない。
「ああ、ああ――怠惰。怠惰怠惰怠惰、怠惰怠惰怠惰怠惰怠惰怠惰怠惰たいだたいだたいだたいだたいだたイダたイだたイダたいダタいだタイダタイダタイダタイダタイダァァァアアアアア!!!!」
五月蠅いほどに声が響き渡っているというのに、それがかえって居場所を特定させない。みれば、此処の通路は音を反響させやすい作りだった。
場所を移すべきか。しかし、ペテルギウスがこっちについてこないで本体へ向かえばどうするのか。その場合は、死あるのみだ。
むざむざ死ぬつもりもない■■■は、何も分からないまま行動することはできなかった。殺したいが、何処にいるのか分からないから考える。その材料は足りないけれど、動けば死ぬかもしれないから動かない。
成程、するべきことをせず、立ち止まる。
見ようによれば、それもまた『怠惰』だろう。
発狂したペテルギウスは、その姿を現さぬまま、激昂する。
「いけマセん、いけマセン――! あの方の寵愛を受けているというのに、あの方から眼差しを受けているというのに――この怠惰は、堕落は、無様は――この低落では、ぁあいけないぃぃっ!」
風向きが変わった。それだけを感知した■■■は身構え、辛うじて逃げ切ることに成功する。
「故にっ、試練ヲッ! 勤勉でアれ勤勉たレ勤勉ニなレェェェエエエエ!!!!」
四方八方から湧き上がる見えざる手。
触れたいものにのみ触れ、触れたくないものには触れない。魔術的な触腕は、片端から■■にその死を見取られ、切り裂かれて霧散する。あたりにはその残滓ともいえる魔力が充満し、薄れる度に補充されるからキリが無い。
これで十二本目。休みなく手を動かしながら、数えてきた本数を一本加算する。同時に、わき腹を掴もうとする手を、身を捩って避ける。肩を掴もうとした手に対して、右腕を泥にすることで対応し、手数の減った体でジリ貧の攻防を繰り広げる。
中心部に居てはいけない。襲われた地点から飛び出し、触手に背を見せないように城内を走り回るも、それにも限度があり、尚且つ触手の移動速度は■■■の足よりも速いようだった。
外ならこうはいかないのに、と■■■はありえない仮定を立てる。城の中にいるからこそ襲われたというのに、外に出た場合の事を想定しても意味は無い。
大体、本体の下へ向かうかどうかも結論が出ていない。今でこそ場内をむやみやたらと駆け回っているものの、それは殆ど限られた範囲でだ。触腕の殲滅速度も遅い今では、一か所に足を止めて考えることもできない。
「……いや、もしかしたら」
一つ、思いついたことがあった。いつぞやの森林で、レムの過去を見たことがあるではないか。アレは確か、魂に軽い傷が残るほどに魔力を振り絞った強化で魔眼を使ったからだが、それを応用すれば、この触腕の主の居場所も分かるのではないか?
「死を視る」という性能からは逸脱しているものの、不思議と■■■は「できる」と確信していた。自分の事だから、誰よりも正確に理解していた、という風に。
「……
水を入れた風船が破裂するように、魔力を籠めすぎた物体も爆発現象を起こす。生きている肉はその許容量が高く、代わりに自身の魔力が流れやすい。その結果どうなるのかというと、普段魔術回路に魔力を流しているときは問題ないが、何かのはずみに魔術回路からそれが漏れ出せば、体は少なくないダメージを被る。
端的に言えば、水を入れすぎた水風船のように、破裂する。
だからこそ、あの時、何故自身の強化魔術があれ程の強化を施せたのかが分からなかった。ただ、出来るということしか分からない。
「関係ない。できるのなら、それでいい」
そう。そんなことを追求する必要はない。知らなくても使えるのだから、それでいいだろう。
無理に知ろうとしなくていいのだから、知らないままでも支障は無い。
ギチリ、ギチリと毛細血管が悲鳴を上げる。いや、この体に毛細血管など存在しないのだから、それは錯覚の筈だ。時折不純物の混じった泥が魔力に耐え切れず液状化し、涙のように零れ落ちる。
構わない。■■■は、むしろ泥の涙で号泣する勢いで魔力を籠め続ける。
もちろん、反撃に出るほど集中を避けなくなったので、ただ無我夢中で逃げながら、だ。強化を別々の部位に同時行使をしているというのは、単に二回使うだけよりもはるかに負荷が大きい。
熱を帯び始めてきた肉体を、新しく泥溜まりから泥を補充することで、何とかその体温を下げることにした。
「ああ、鬱陶しいっ! だが――」
頬を伝う泥の流れを手の甲で拭いながら、■■■は吐き捨てた。
魔力の染み込んだ眼球はエメラルドの基盤模様を描いており、収束するように同行を中心に円を描いている。漏れ出る魔力光は何故か青く、それが■■■本来の器官では無いことが明白に理解できた。
「――できたっ!」
振り返り、見えない手を視界にとらえ、その「終わり」から「発生」を望むように観測する。
遡るように、遡行するように、一つ一つ丁寧に、順繰りに、終着点から根本までを追いかける。
すると、見えた。この手の群れの主に、それの元々の主。現在の主の思想に、その魔力の質に、存在の情報、過去、思想。
白い雪原、雪の森。一人の少女に思いを抱いた男は、■■■な虚■の女に■■て、守■た■■■日■を壊■■、■み■られ、狂■へ■と■■る。パ■■■に■された■■名は■■■■と■い――。
――意識が戻る。
「……っ、寝てた、のか?」
頭を振り、ぼーぅっとした靄を振り払う。思いのほか、目で見えた情報が多かったのか、処理機関がオーバーフローしてしまったようだった。
「にしても、そうか。亡霊か」
これで、何故■■■がペテルギウスを殺しても、彼が死ななかったかの説明がつく。
■■■は殺す物を間違えたのだ。殺すべきは肉体では無く、その魂。
質量が無いから、行く手を壁に邪魔される事は無い。同じくその手には物理的な質量は存在しない為、壁を無視できる。
だが、そうと分かりさえすれば、後は簡単だ。壁の腹を手刀で掻っ捌き、蹴破る様に飛び込む、呆気に取られたペテルギウスの姿を見て、やはりこいつも戦闘向きの人間ではないのだと思った。
そのまま質量の無い体を、指先で殺す。慌てて体を捩って死の線をなぞらせないように抵抗したが、■■■は既にその線に指をかけていた。
「……ああ、そうデス」
何かに頷いて、彼はその魂を霧散させる。痩せこけたマッシュルームヘアーは、どうやら彼自身の特徴のようだった。それはそれで悲惨な痩せ具合だが。
「『福音』、ね。それがあればもっと楽だったんだけどな」
見た記憶を思い返せば、どうやらペテルギウスは『福音』という……なんというか、塁間的な分身を携帯していたようだ。
魂だけの存在は、自我を保つことすら難しい。人の体を乗っ取るには、並大抵の感情ではできず、狂気に至るほどの想いが無ければいけないのだったか。
当然、それだけの感情を抱え続けられるほど、人の精神は強くない、何処かで感情が弱まる一時は訪れ、その時になれば、魂だけの体は崩れ去る。
それを解決するための道具が、『福音』だ。彼はあの道具に執着し、『魂の拠り所』としていたようだった。ならば、その『福音』とやらを自身の泥で汚染し、魂を破壊してやれば早く終わっていただろう。
文字通り命のように大事なそれを持ってこなかった、という意味。そしてペテルギウスから読み取った記憶を咀嚼して、■■■は答えを出す。
「わざわざ一丁前に、対策なんざしてるのか」
面倒なことを、と■■は想った。
また一つ異物が体内に混じり、そして自身の持つ、泥に対する親和性が一段階下がっていく。
大罪司教……全員で七人か。それらを殺しきったとき、果たして泥を依り代にできるほど適応できているものか。その懸念を解消するためにも、■■■は、一刻も早く本体に戻らなければいけなかった。
だが。そうは問屋が卸さない。
「どうせ見てるんだろう? 『視た』ぞ」
そう言って■■■は周囲を見渡す。
するとそれに還すように、正面の壁が解け、溶け落ち、そして人の形になっていく。
成した形は、少女のもの。
「初めまして、狼さん」
「狼さんとは面白い呼び方だな。死ね」
苛立ち交じりの先手を、少女は交わしもせずに受け止める。だが、その一撃を少女が受ける事は無く、手前で何かに弾かれて止まった。
「『嫉妬』の権能……猿真似だったか?」
「もう、女の子にお猿さんだなんて言っちゃいけないんですよ?」
「ああそうだな。猿なのは男だな。狼も男だしな」
見るからに戦いに向いていないこの少女は、しかし、能力だけで見るなら誰よりも厄介だ。
何よりも、殺意がない。殺す理由がなくなるために、■■■は迂闊に手を下せなかった。
泥に対する親和性が下がった今、■■■は理由が無くては殺せない――一見した平凡性を取り戻し始めていた。
『躊躇い』を、得てしまっていた。
「ふふふ、お顔が怖ーい」
「……ああ、やりづれぇ」
攻めて殺しにかかってくれたら、とは思わずにはいられなかった。
世界の全てが敵に回ればいいのに。