菜月スバルに直死の魔眼とか色々組み込んでみた。 作:繭原杏(繭原安理)
風化し、苔生した壁に手を突きながら歩く。ずきずきと痛む目の奥は、きっと視神経に同化した魔術回路の悲鳴だ。
王城の地下に張り巡らされた地下道は、何ともありきたりな建設理由――つまりは貴人たちの逃走用経路として設置されたものだ。建城以来まったく使用されなかった通路は、その秘匿性も一役買って、何一つ手入れのされていない状態だ。
さらに、何をとち狂ったのか軽い迷路状態になっているものだから、かれこれ数時間は歩かされた気がする。錯覚かどうかは、日も差し込まない――その日すらもう登らない世界では、確認できない。
当然、こんなところに時計があるわけもない。時間感覚が壊れているかどうかの確認さえも、出来なかった。
……。
蜘蛛の巣というには聊か角ばった迷路的な地下道は、それでも柱が無ければ成り立たない為に所々に城の基礎となる部分を残しながら出来上がっている。面積の半分は、城を支えるための柱でできたデットスペースだった。
その為に、逃走用経路と銘打ちながら面倒な迂回路の多い地下から上がると、肺に染み入るような生温く唇と喉を焼く様な腐臭に
「ぅぉえ゛っ……!」
泥の体で徘徊していたために忘れていたことだが、他の者たちが当然のように徘徊していたので忘れていたことだが、地上は本来、地獄そのものといった様相を露わにしているのだ。
城の中はまだ、自身が今わの際――という表現でいいのかは疑問だが――に発動した「邪を退ける」結界でマシな環境を保てていた。だが、一度停止されたそれは役目を終えたとみなされ、効力を失い、現状無防備に劣悪というのも生温い環境下に身を晒すことになっているのである。
幸いなことを探すならば、この腐臭がまるで空気と同じように、重くも軽くもなく、沈殿も流動もしないということか。これが此処の空気だとでもいう様に我が物顔に臭う腐臭は鼻が曲がる段階を通り越して脳を焼くほどに激烈だった。
崩れ落ち、膝を突くまでの間に息を吸ってしまい、まるで寄生虫に侵されているように鈍痛が脳を蝕んだ。二日酔い、とはこのような感じなのだろうか。這いながら階段を転げ落ちると、少しの空気を引きずりながら地下の空気を取り戻す。埃臭く、ダニやらの死骸や乾いた排泄物が舞っていそうな空気だったが、それでも地上と比べればましだ。
転がり落ちた際にあちこちをぶつけたせいで、体中が鈍い痛みに支配された。徐々に引いていくが、脳の鈍痛がそれを紛らわせてくれていた。やがて痛みは仄かな暑さに変わり、触れなければ痛まない程度には回復した。
その頃には頭痛もだいぶましになり、漸く冷静な思考で判断できるようになった。
「嘘だろ……まさか、ここで暮らさないといけないのか?」
辺りを見渡すと、明かり一つない通路が広がり、それに沿って現れる無数の線が眼球の根元を断裂しようと飛び込んできた。目を閉じ、深呼吸をして、光景を思い返す。暗すぎる地下道もそうだが、何よりも見えた
まるで吸い込まれそうな……その線自体に、微小な引力が発生しているような、そんな脆さ。触れるまでもなく、薄皮一枚隔てたところで指が沈み込んでしまいそうなほどに色濃いそれらは、ただ単なる死の情報の集合体では無く、明確な概念の体を成していた。
……やはり、ペテルギウス戦で行った魔眼の『強化』が原因なのだろうか……。
「いやまて、なんで魔眼を強化できたんだ? 魔眼ってのは『眼』に宿るもんじゃなかったのか?」
少し唸ってみて、持ち合わせの知識でこの現象を解釈してみようと足掻く。
本体でもないのに泥の体で魔眼を扱えた理由。あの時、泥の体にも存在していたものはなんだ? 意識? それは精神か? 魂か? 脳味噌か?
それとも、泥の体には目も移植されて……いや、それは無いか。ラインハルト戦でさんざっぱらバラバラに切られて、それでも魔眼の魔術回路に瑕がついていないのはおかしい。というか大体、この視界が単なる魔眼ならセイバーが真っ先に目を潰して終了だ。それぐらいの技量は持ち合わせている奴だし、実際一回くらいは頭を目ごと輪切りにされた覚えもある。
とすると、今持っていること「死を見る視界」は単なる魔眼の能力じゃない。では、なんで『強化』できたのか?
強化の魔術っていうのは、強化する対象の事を良く把握していないと成功しない筈だ。最初期の頃は全力で強化しなければ花瓶一つ殺せなかったものだから、バンバン強化していた覚えがある。そのイメージとして、視神経――
……そもそもが、成功するわけの無い行動。じゃあ、何で成功したんだ? まさか俺の『強化』が特別製ってわけでもないだろう。戦場帰りの爺さんに教えられたものだが、この魔術自体は本ッ当にありふれた代物だと聞いた。
「考えれば考えるほど可笑しいな。なんで昔の
自分の手で自分の体を持ち上げて空を飛ぼうとするのと同じくらい馬鹿な行動。ゲームの中でバグとして成立するならともかく、現実でそんなことができるわけもない。それが、
「なら、なんで……」
此処までだった。
『できる筈の無いことができた』、ということは分かったが、その理由までは分からない。
いや、頭の良い奴だったら或いは分かったのかもしれないが、少なくとも今は、今の■■■には分からなかった。
だからこそ仕方なく、妥協して思考を止めて、次の事を考えた。
これからどうするか。
行動方針。
地上に出ることは難しい。目の粘膜及び、口内と気管を『強化』すれば短時間の活動も可能だろうが、■■■個人の生成できる魔力では活動時間はたかが知れている。限界まで節約すれば半日。身体能力の強化なんてのに割いたら――つまりは残る大罪司教に襲撃を受けたら、そのリミットは大幅に縮まる。
下手すれば、空気が合わずに死ぬくらいに。異国の水が合わない以上に、異世界の空気が合わずに死ぬ。
思えば、そもそもが違う世界ならば大気の窒素濃度からウイルス迄もが違って当たり前なのだろう。根拠なく「呼吸してもなんも危険はない」と盲信してたが、今の状態こそが本当の『異世界の危険性』なのかもしれない。今更なことだが、日本でネット小説を読み漁っていた時分に戻りたくなってきた。手垢の付きすぎて吐き気すら催すような考え無しの作品を馬鹿にしながら、その謂われずとも安全の保障されたい世界を旅する主人公たちが羨ましくなって来た。
「かといって、ここら辺うろつくのも、なぁ……」
地下道は逃亡用だ。避難用ではない。泥に溶けた貴族の記憶を掘り返し、確信に至ったことだ。今代に引き継がれていない用途や知らされていない用途もあるかもしれないが、手入れがされなくなってから大分経つ。保存食も腐っていることだろう。缶詰すら発明されていない時代であることだし、瓶詰なんかは何か月持ったものか……。
つまり、こんな場所をうろついても飢え死にするだけだし、何か成果を見込める余地もない。そういうことだ。
地上ならまだ……飢饉の折には木の皮を剥いで飢えを凌いだとも言うし、腹を満たせなくもないものが手に入る希望がある。
呼吸できる場所でうろつくか、息するたびに死にかける場所で食料を調達するか。
迷う必要はない。
「取り敢えず、そこら辺探して見っか」
ほら、マスクとかなんか見つかるかもしれねぇし、と。
■■■はヘタレた。
この地下道まで落ちてきたところ、つまりは 対カペラ戦の戦場までの探索の結果、見つかったもの。
瓦礫、小さい瓦礫、罅の入った壁、穴の開いた天井、差し込む明かり――“光”でない所がミソだ――後は滴り落ちる少量の泥くらいか。
食料どころかまともに口に入れられそうなものもない。予想していたことだが、溜息が出そうだ。
今なら鼠だって踊り食いできそうだ。そんな空腹に思考を冴えさせながら、此処等が臨界点だろうと判断する。これ以上の飢餓は思考の余裕を奪う。「苦しい」だけじゃなく、「辛い」が混じってくるだろう。
第一、動くためのエネルギーは何処から持ってくるつもりだ? 今はまだ大丈夫だが、何も食わずにいればその内終わりが来る。
「地上、出るしかないのか?」
いや、まだ奥がある。
探索を続けるべきだ。
その判断は、きっと理性に寄ったものではなかった。
恐怖だ。恐怖が■■■を追いやった。
痛みへの恐れが、苦しさへの恐れが、真綿で首を絞めるような恐怖すら飲み込ませるほどの首輪をつけた。
リードを引っ張られて行き付いた先が逃走用通路の更に奥であり――
そこで■■■は、案の定、出くわした。
――餓鬼をご存じだろうか。
仏教の六道においては餓鬼道に生まれた者の事を指し、常に飢えと渇きに苦しむ。
その為か、飢餓の極まっていく途中の――腹水が溜まり、ガリガリにやせ衰えながら腹だけは太っているように見える状態で描かれることが多い。
ふと、そんな知識を思い出した。
その少年は、まぁ普通に思い浮かばれるスラムの孤児のように襤褸布を纏い、アフリカかどこかの欠食児童のように瘦せ衰えていた。髪を切る鋏すらないのか、その髪は地につきかねないほどに長く、その要因一つとして彼の低身長があった。
150cmぐらいだろうか。■■■の胸に届くかどうかといったその体は、もはや立っていることを賞賛したくなるほどに貧相だった。嫌らしく、そして嘲笑するように歪む瞳には妙な力があって、そういう種類の目はどこかで見たことあるような気がした。
驚くことに、その歯は白かった。それが分かったのは、偏に彼が歯をむき出すようにニタニタと笑んでいるからだ。垂れ下がる前髪の隙間から覗く片目は、泥でも混ぜたような緑色だった。その三白眼を「目つきが悪い」と吐き捨てるには、■■■も聊か躊躇うほどに、彼は
「……なんだ、てめぇ」
絞り出した声は、自分でもわかるぐらい掠れていた。もう少しはっきりとした声を出せたと思っていたが、錯覚だったのだろう。
答えなんてわかり切っていた。問う必要までもない。彼は『暴食』。欠食児童の身なりをして、ただ只管に食い漁る罪を背負った、何とも皮肉に見える大罪司教だ。
だが、戦場で名乗るは騎士の華よと言わんばかりに――実際、彼は騎士でも何でもなかろうに、名乗りの義務を彼は果たした。
「魔女教大罪司教」
ああ、そうだろうさ。
「『暴食』担当……ライ・バテンカイトス」
そこで彼は両腕を広げ、心底楽しげに歓迎した。
「ようこそ――僕たちの狩場へ、俺たちの餌場へっ!」
唾の混じった、歓喜の声を上げた。
「いやぁ。私たちとしても準備が万全じゃなくてさ。儂たちはそんな戦場にはいきたくないわけだ。外はあっぶない泥があるしさ、必然、僕たち等がこの城に集まるのも決まっていたような物さ。決まっていた物さ」
ギラギラと目を輝かせながら、称賛の声を投げた。
「いやぁ――。それでも、それでもでもでもっ、此処まで生き残るだなんてっ。期待通りで、予想通りで、待望通りだけれど……それでもっ、ああ、感謝を述べさせてもらうよ!」
陶酔の息を吐きながら、感謝の声を捧げた。
「ありがとう、有難うっ! 此処まで来てくれて――僕たちの餌になってくれて! 愛とか義侠心とか憎悪とか執念とか達成感とか、そういう感情を長々と延々と溜め込んでぐつぐつ煮立って煮込まれて、煮え滾ったそれが喉を通る満足感っ!
――それも君のそれは並大抵の非じゃァない。釜で毒沼を煮た様な、悪意という悪意を三日三晩に込んだような、胃凭れしそうなほどに
■■■は断言した。
「ああ、嗚呼! この世に君に勝る美食が存在するだろうか、君を覗いて僕たちを満足させえる食材が存在しえるだろうか――ないね、ないな、ないよ、ないさ、ないとも、ないだろうさ、ないだろうとも、ないだろうからこそ! 暴飲! 暴食っ!」
こいつは、
「それじゃっ、イタダキマスッ♪」
恋に恋する乙女のように、興奮のあまり頬を赤く上気させながら、
魔女教大罪司教、『暴食』担当、ライ・バテンカイトスは涎を撒き散らしながら覆い被さるように飛び掛かった。
「……糞がっ」
何の痛痒も与えないその抱擁に対し、■■■は決死の退避を選択した。