ソードアート・キリトライン   作:シダレザクラ

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第10話 誓約の二刀流 (2)

 

 

 あたしの浮かれ具合は近年稀に見るレベルだったのと思う。

 どれくらいのものだったかと言えば、第55層が氷雪地帯だと知っていたにも関わらず、防寒装備をアイテムストレージに確保し忘れていたくらいには気が回っていなかった。……ありえない。

 どんだけお間抜けなことしてんのよ、あたしは。しかもその後始末を同行人にさせるとか、もう穴があったら入りたい。恥ずかしすぎる。

 

 キリトが用意してくれたのは身体をすっぽり覆う黒皮のずっしりとしたコートだった。いかにも実用性重視といった代物で、男性らしいというか無骨というか、とにかくそんな一品。……とってもあったかい。

 

「キリト、寒くない?」

 

 あたしに防寒着を融通したせいで、キリトの装備はお世辞にも厚着とは言えないものだった。本人は普段通りの装備だからこっちのほうが落ち着くとか言ってくれたけど、どう考えても強がり……っていうかあたしへの気遣いよね。

 

「寒くないって言ったら信じてくれるか?」

「無理ね」

「じゃ、寒い。とはいえ我慢できないほどの寒さじゃないから、さっさとクリアしてリンダースに戻ろうか。コーヒーくらいはサービスしてくれるだろ、店主さん?」

 

 振り向いたキリトの表情には悪戯っ子のような笑みが浮かんでいた。そういう顔をしているとさらに幼く見えるのはご愛嬌だろう。あたしも童顔ってよく言われるけど、キリトも相当なものだと思う。やけに落ち着いてるし堂々としてるから出会った当初は幾つか年上かと思っていたのだけど、こういうところを見ると同い年か年下に見えてくるもの。不思議なやつだった。

 

「喫茶店じゃないけど、まあお得意様にはサービスしてあげるわよ。コーヒーもどきから紅茶もどきまでなんでも注文してちょうだい」

「もどきってとこが悲しくなるよな。それに俺としては緑茶の香りが懐かしい。久々に飲みたくなったな」

「お茶の注文は遠慮しておいてもらえる? 次からは用意しておいてあげるからさ。それにしても、キリトって和贔屓だったりするの?」

「どうだろう、どっちかっていうと海外暮らしが長くなると日本食が懐かしくなるとかそういう感覚じゃないか」

「あー、それわかる気がするわ。あっちの味を発見したりすると無性に嬉しくなったりするしね」

 

 食事こそが最大の娯楽のアインクラッドだけに、珍味妙味美味と同じくらい微妙だったり残念な味の食材や料理が出てくる。当たり外れも結構激しかったりするのだ。だからこそ余計に食への情熱が掻き立てられるのかもしれないけどね。あの店の料理が良かったとか、あのモンスターがドロップした食材は二度と口にしたくないとか、そんな取り止めのない会話を交わしながら歩く道中は楽しかった。同時にあたしの経験してきたクエストとしてはこれ以上ないほど安全な旅でもあった。

 

 キリトの二刀流が噂に違わぬ凶悪な性能を誇るのか、それともそのスキルを縦横無尽に振るうキリト自身のレベルと熟練度の賜物なのか、いくら最前線ではないとは言え出てくる敵全て一撃で撃破してしまうというのは、恐ろしいを通り越して呆れてしまったほどだ。あたしとて55層を適正狩場にするくらいのレベルマージンは確保しているけれど、それでもあれはない。ってか無理。あたしとキリトの間には検証するだけ馬鹿馬鹿しい戦闘力の差があった。圧倒的すぎておっかないくらいだったわよ。

 

 鍛冶メインの後方支援プレイヤーのあたしだからそれだけの感想で済むけど、これを見せ付けられる攻略組はたまったものじゃないでしょうね。

 最前線に生きるプレイヤーは過酷な戦場に身を置き続けているだけに、強さへの自負と執着が軒並み高い。言葉を飾らずに言えばプライドの高い腕自慢の集まりだった。ギルド内部での仲間意識はあっても、他所のギルドには強烈に対抗心を燃やしたりするのもそういった意識が元だろう。特に聖竜連合などは血盟騎士団に並々ならないライバル意識を持っていると聞く。競争心が強いことも攻略組の特徴だった。

 

 そんな中でキリトは異色そのものなのだ。命を懸けたデスゲームで生存率の低いソロプレイヤーとして戦い続けてきた。あたしの知る限りキリトがどこかのギルドに所属したという事実はない。開始から今まで本当の意味で一人で生き抜いてきたのだ。

 それだけでも十分に目立つ存在だというのに、二刀流スキルの発現がその傾向に拍車をかけた。今では《黒の剣士》の名は、血盟騎士団団長のヒースクリフと並ぶ最強の代名詞にすらなっている。

 最前線プレイヤー、特に血盟騎士団の団員がキリトを妬むのも無理はなかった。自分達こそがこの世界をクリアする最精鋭なのだと自負する彼らが、キリトのような存在を妬まないはずがない。

 

 仮にキリトが早い段階で血盟騎士団に、あるいは別の攻略組ギルドに参加していれば問題はなかったのだろう。彼らがキリトを厭うのは同じ集団に属していないから、《仲間》とみなしていないからだ、と言うのは穿ちすぎだろうか?

 例えばキリトがヒースクリフやアスナのようにギルドのなかで活躍し、ギルドを通して攻略組に尽力していたのなら、敵愾心よりも尊敬と敬意を勝ち得たんじゃないかな、なんて思うのだけど。

 

 とはいえ、それは結局のところIfの話だった。キリトにはキリトの事情があってソロを貫いてきたのだろうし、キリトと血盟騎士団の反目とやらもあたしの知らない当人たちの事情があるのかもしれない。

 つまるところなるようにしかならず、その結果が今の現実だという、ただそれだけのことだった。

 

「うん、やっぱ良い剣だ。クエストクリアできなかったらこの剣を購入させてもらうのも手だな」

 

 またモンスターとの遭遇戦をソードスキルの一撃で終えたキリトが、二本の剣を背中の鞘に納めながら上機嫌で語りかけてきた。キリトの振るう二刀の剣の片割れはあたしが店でキリトに薦めたものだ。クエストモンスターの白竜はフィールドボスに準じる戦力を持つと聞いていただけに、たった二人で挑むことになる不安を少しでも解消するためにキリトに貸し出したのだった。

 思うが侭に剣を振るってご満悦のキリトの声は喜びに弾んでいて、まるで子供のようだ。そういえば少し前にも、剣を受け取って似たような反応をしていた女剣士様がいたかしらね、と苦笑する。二人とも欲しい玩具を手に入れたかのような喜び方だった。

 

「褒めてもらえるのは嬉しいけど、クエストクリアできなかったらとか不吉なこと言わないでよね。気が滅入ってくるじゃない」

「そうは言っても、クエスト情報も新しいのは出てこなかったんだろ? マスタースミスがフラグじゃなければ無駄足の可能性が高いぜ」

「まあそうなんだけどさ。ここまできたら成功を神様に祈るだけね」

 

 55層の北の村でクエストフラグに関する新情報が更新されていないかと期待したのだが、予想通りあたしたちの期待は空振りに終わった。その上長老らしき白髭のおじいさんの長話に付き合ったせいで既に日が落ちようとしていた。夕日は綺麗だけどそれだけで拭われるような疲労感じゃないのよね。箸にも棒にもかからない情報に費やした労苦は筆舌に尽くしがたかった。

 

 もしかしたらキリトの喜びようはそんな積もり積もったストレスの発散口を発見したからなのかもしれない。生き生きとモンスターを狩る姿にはライフワークとは別の凄みが感じられてならなかった。理由が理由だけに笑い話にしかならないでしょうけど。

 キリトの気持ちもわかるだけに特に何も言うことなくキリトの戦闘風景を見ながらついていく。圧巻としか言えない戦闘を繰り返す同行者の姿に頼もしさを感じる一方、手持ち無沙汰な自身の現状を省みると切ない。

 

 あたし、やることないなぁ。

 キリトが強すぎてあたしの出る幕がない。出発する前にモンスターは全部俺が相手をすると言っていたが、まさしく有言実行だった。あたしに求められているのは本当に《同行してクエストフラグを満たす》以外にはなさそうだ。戦力外通知を受け取った身としては寂しくもあるが、余りに隔絶した実力を持つプレイヤーを前にして我侭を言っても仕方ないだろう。そもそもキリトが急いでる要因は防寒着を奪い取ってしまったあたしにもあるのだから、文句を言うのは恥の上塗りだった。

 ……格好悪いなぁ、あたし。

 

「リズ、止まれ。そのまま水晶の陰に隠れててくれ。……どうやらお出ましらしい」

 

 出発前の高揚はどこへやら、一人落ち込んでいたあたしの意識を引き上げたのはキリトの鋭い静止の言葉だった。

 明らかに今までのキリトとは異なる声音に、一瞬であたしの警戒も高まった。見れば前方に空間が歪んだような派手な燐光が散っている。クエストモンスター、殊に巨大モンスターの出現を告げる演出だ。

 少しずつ無機質なポリゴンが生物的な輪郭を作り出していき、やがて巨大な翼竜の姿の全貌が露わになった。氷雪と水晶のエリアに生息するモンスターらしく、青白い鱗に覆われた皮膚はいかにも固そうで、その防御を抜くのは難しそうだ。

 この手のモンスターには片手剣よりメイスや斧のような鈍器や重量武器のほうが有利なものだけど……。

 

「キリト、あたしも手伝ったほうがいいんじゃない?」

 

 いくらレベル差があってもやはりソロは危険だった。長時間前衛に立つことはダメージ判定のリスクを加速度的に増やしていく。なんでもない一撃を致命に変えてしまうことだってあるのだ。だからこそプレイヤーは最低限ペアを組んで探索に出る。スイッチ行動を取れないことがソロプレイヤー最大の弱点だった。

 レベル的にはあたしでも対抗できる敵だ。だからこそキリトが主力には変わらなくても、その負担を減らすことくらいはあたしにだって出来るはず。そう思ったからこその提案だった。

 けれど。

 

「必要ない」

 

 キリトの答えは無情も無情の一言だった。間髪入れずに返された一刀両断の断り文句に数瞬あたしは呆然としてしまう。

 

「……すまん、言い過ぎた。別にリズを侮ってるわけじゃないんだ。ただ俺はずっとソロだったから、一人での戦いに慣れてる分連携が苦手だ。だからここは俺に任せてくれるとありがたい。……そうだな、念のため転移結晶を用意して見物しててくれるか」

 

 バツの悪い様子で付け加えたキリトの声は苦みばしっていた。言い過ぎたというより、どこか自分自身で発した言葉に戸惑っている、そんな印象を受けた。キリトのそれは思わず出てしまった本音なのだと思うが、それにしたって随分固い声と表情だったから余計に印象深く思えたのかもしれない。

 あたしを邪魔に思ったとかそんな感じじゃなかったな、あれはもっと深刻な何かが込められているような気がする。

 

 連携が苦手だなんて、それこそ下手っぴな嘘だった。

 ソロに慣れてるというのは確かにその通りなのだろうけど、フロアボス戦を数十という数こなしてきているはずのキリトが、いまさら戦闘における連携に不安を抱えているとは考えられない。そんな危なっかしいプレイヤーならとっくにフロアボス戦から締め出されていたはずだ。キリトはソロプレイヤーだったのだから、48人のレイド枠を占めるに相応しくないと判断されれば簡単にギルド連合に干されていたことだろう。

 ふーむ、そんな下手な嘘をつくほどにキリトは動揺していたってことよね。多分、そのへんが未だにソロプレイヤーを貫いてるキリトの事情なのだろうけど。……やめやめ、面白半分で他人の深い部分に踏み込むなんて、この世界でなくてもマナー違反よ。

 

「わかったわよ。あんたが危なくなったらさっさと逃げてあげるから、せいぜい頑張んなさいな」

「悪いな。それと危なくはならないと思うけど、あいつを狩り終える時間は相当長引くかもしれない。大人しく待っててくれよ」

「え、ちょっと、それどういうこと?」

 

 キリトが戦闘に集中できるようわざと不貞腐れてみせたのだけど、果たしてあたしの試みに効果があったのかはわからない。

 あたしが疑問の声を挙げた時には既にキリトは剣を抜いて斬りかかっていた。敏捷型のステ振りをしたのかと錯覚するほど速い。

 比喩でなく目にも止まらぬ速さで白竜に肉薄したかと思うと、繰り出された鉤爪をかわして鮮やかに一刀を浴びせかけた。痛みに猛っているのか、空気を引き裂く竜の咆哮が周囲一帯に轟き、びりびりと空気を震わせたのだった。

 

 ずしりと高まる重圧の中で平然と戦えるキリトは、やはり攻略組プレイヤーなのだと実感する。あたしなんてさっきの咆哮で一瞬気おされて竦んじゃったわよ。

 村で集めた情報によると、竜の主要な攻撃手段はその鋭利な爪を利用した薙ぎ払いと、大きな口から吐き出す氷のブレス、それに竜の巨体を支える翼を駆使した突風攻撃の三種。キリトもその情報を聞いているのだから、ある程度対策を立てているとは予想していたけれど。

 

 ……あたしの眼前で行われているのは戦闘であって断じて大道芸ではないはずだ。そのはずなのだけれど、どうにも自分の見ている光景が信じられない。

 だって、だって――。

 

 ……ブレスってさ、斬れるものなの?

 

 その一言に尽きる。

 白竜の首が反り返り、その巨大な口から純白の奔流が吐き出されたのも束の間、キリトの構えた二刀の剣がソードスキルの燐光を輝かせるや否や二つの剣閃が十字を描くように交差された。すると吹雪と礫で構成された竜のブレスが《切り裂かれた》。

 冗談みたいな光景だった。《剣でブレスが斬れる》、これ、アインクラッドの豆知識として話したら何人が信じてくれるかしらね。

 

 道中の雑魚モンスターはキリトが一刀の元に全て切り伏せてきたけど、ボスクラスの白竜を相手にしても一方的な戦いなのは変わらなかった。

 激戦を思わせる激しい動きの応酬だけに、余計にキリトの凄さが強調される結果になっている。鉤爪は全てかわすか弾くかしてしまうし、ブレスはその都度ソードスキルで相殺してしまう。

 まさに完封そのもの。信じ難い光景に本当に現実なのかと頬をつねってしまったくらいだ。

 

 不思議なのはそんな圧倒的に有利な戦いを進めるキリトが攻撃には消極的なことだ。ダメージをほとんど負うことなく剣の間合いに入り込み、白竜に斬りつけはするのだがソードスキルを一度も攻撃に使っていない。

 おかしい、ソードスキルを仕掛けるだけの隙は十分にあるはずなのに、キリトはわざと戦いを長引かせているようだった。

 

 そういえば、白竜に向かう直前に長引くかもしれないとか言ってたわね。キリトは初めからこうするつもりだった?

 でも、どうして。そんなことをする意味なんてどこにあるの?

 いくらキリトが凄腕でも、戦闘を長引かせてその中で一度もミスしない保証なんてない。どんな戦闘でもその天秤の一方にはプレイヤーの命が乗せられているのだ、敵は倒せる時に倒してしまうのが鉄則のはずだった。

 けれどキリトはそうしない。いつでも終わらせられる戦いを手加減してまで続けようとしていた。

 

「遊んでる……わけじゃないわよね?」

 

 自分で口にした内容なのに全く信じていないあたしがいる。キリトはとぼけたところもあるけど、それはあくまで日常に見せる一面であって戦闘においては全く別の顔を持っていた。

 ただ速く、ただ強く、そして迅速に敵を狩る。

 一切の無駄のない戦闘運びで、わずかの反撃も許さず先手必勝の戦い方をするキリトの姿に、閃光の異名を取る親友の姿を重ね合わせたものだった。見敵必殺の言葉が相応しい戦いぶりだ。

 

 二刀流というスキルは攻撃性能を追及したスキルなのだとキリトからは説明を受けていた。そして《攻撃は最大の防御》という言葉を体現したスキルなのだと、そう話してくれたのはキリト自身なのに。

 今のキリトはそんな二刀流の持つ特性を捨て、防御に徹してひたすら耐えている様子だった。それでもキリトのHPバーはほとんど減少の動きを見せない。それどころか時間経過と共に自動回復しているようですらある。

 

 もしかして戦闘時回復(バトルヒーリング)

 でもあれは習得条件の厳しいエクストラスキルの中でも極めて難易度の高い戦闘スキルで、しかも実用に足る熟練度を確保するためには、何度も大ダメージを受ける必要があるから使い物にならないって聞いたけど。

 アスナですら習得はともかく、熟練度上げはおっかなびっくりで遅々として進まないらしいし。完全習得なんて何時のことになるものやらと乾いた笑いを浮かべていたっけ。アスナも大概無茶する娘だから、あるいは今なら実用レベルに達しているのかもしれないけど……。

 

 総じてバトルヒーリングをスキル枠に入れるくらいならポーションを飲んだほうがずっと実用的だ、っていうのが攻略組の最終見解だった。

 そんな際物スキルを当たり前のように使いこなすキリト。わかっちゃいたけど無茶苦茶なやつね、一体どれだけの修羅場をくぐってきてるんだか。最強プレイヤーの看板には似つかわしくないけど、もしかしてキリトってばアインクラッドで一番死に掛けた回数の多いプレイヤーなんじゃないの?

 

 そんなふうに呆れながらもあたしはキリトの戦う姿から目が離せない。他人の戦う姿にここまで釘付けにされるのは、随分昔にアスナの戦いを目にしたとき以来のことだった。あの時は舞踏を舞うように細剣を操る、雅やかで可憐なアスナの姿に自失の体で見惚れたものだ。

 そんなアスナの剣舞と比べて、キリトの剣技はずっと荒々しくて如何にも男性的だ。そしてどこまでも力強さと勇ましさに満ちたものでもあった。見ているあたしの胸まで熱くさせてしまう、そんな激しい魅力に満ちた剣の舞い。

 

 それに、キリトが攻撃を控えて防御に徹しているからこそわかることもある。キリトの剣捌き、体捌きの妙は精緻極まりないものだった。

 敵の攻撃を先読みしているとしか思えない寸刻みの見切りで爪をかわし、隙あらばパリイを仕掛けて見上げるような巨体を怯ませ、竜の切り札であるブレスはソードスキルを駆使して無効化してしまう。

 

 アインクラッドでも最強種のドラゴンとソロで相対し続けて未だにクリーンヒットを一つも貰っていないのだ。それがどれほどの凄みを感じさせるものなのか、あたしは寒さとは別の意味で震える身体と高揚する胸の鼓動を抑えることができなかった。

 そしてかすり傷程度のダメージはバトルヒーリングによって回復してしまう。盾なし、しかも軽装の剣士としては破格の防御性能だった。装備に頼らないプレイヤーの技能を突き詰めた動きは見事としか言いようがない。

 

 《黒の剣士》を知る大半のプレイヤーはキリトの強さを誤解してるのかもしれない。レベルと装備、なにより二刀流スキルが黒の剣士の強さを支えているのだという認識は、きっとそれだけじゃ足りない。全プレイヤー随一のプレイヤースキル保持者、システム外の動きを洗練させたことにこそ、キリトの強さの本質がある。

 眼前で繰り広げられる二刀の剣舞を視界に捉えたあたしの頬は、熱に浮かされたかのよう真っ赤に紅潮していたはずだ。今、あたしの胸を占めている感情の名はなんだろう。感動? 希望? それとも――。

 

「リズ、顔を出しすぎだ! 敵性認定(タゲ)取られるぞ!」

 

 振り返ったキリトの焦り声に、えっ、とあたしは最初何を言われたのかわからなかった。

 半ば正気を失ってキリトに見入っていたのだとようやく認識する。もっともっとと急かすように頭に響いた声に従った結果、身を乗り出すように水晶柱の陰を脱して姿を晒していた自分の失態を自覚し、一気に血の気が引いた。

 

 ――まずい。

 

 そう思った時には遅かった。今まで成すすべもなくキリトに振り回されていた白竜が、キリトの一瞬の隙をついてその巨体を宙に浮かび上がらせ、間髪いれず両翼を大きく広げた。ここまでくれば嫌でもあいつが何をする気なのかわかる。

 爪、ブレスに続く第三の攻撃。

 翼が巻き起こす突風攻撃が猛烈な圧力を伴ってあたしの身に叩きつけられた。キリトの危惧通りにタゲがあたしに移ってしまったのか、それともキリトと諸共に翼の起こす突風範囲内に位置していたためなのか。どちらにせよあたしにその答えを求めるような暇はなかった。

 暴力的な風圧がいとも簡単にあたしの身体を浮かび上がらせ、そのままくるくると後方へと吹き飛ばされてしまった。急激な視界の回転に前後不覚に陥る寸前、何者かの手によってあたしの身体が支えられる感触がした。

 

 ……何者かだなんて、この場にいるのは一人だけなのにね。

 キリトもあたしと同じように突風の影響を受けていたはずなのに、どうやってか知らないが距離の離れていたあたしに追いつき、捕まえて見せたのだった。ここまでくると神懸かってるわ。あたしとしては感謝しかないけどさ。

 キリトに抱きかかえられたまま突風の範囲外まで飛ばされ、そこでようやく着地できた。さっきまでとは違う意味で顔が真っ赤になってそうだ、キリトの足を引っ張ることしかしてないわねあたし。落ち込むわ。

 情けない失態に溜息の一つも出ようというものだけれど、安心するにはまだ早かった。

 そもそも白竜は未だ健在なのだ。一瞬でもその存在を忘れ、地面に降り立ったことで取り戻した平衡感覚を喜んでいる場合ではなかった。

 

「来るぞ、振動とスタン効果に備えろよ」

 

 あたしの失敗など一々気にしていられないとばかりにキリトは既に臨戦態勢を整えていた。切り替えが早い。正直助かる、キリトの態度を見てあたしもぐだぐだ悩んでいられないのだと割り切ることが出来るから。

 剣を構えるキリトに合わせてあたしもメイスを取り出して備える。反省も後悔も後だ。まずいことに突風に煽られて移動した先は広く開けた見通しのよい場所だった。これではキリトに戦闘を任せてあたしは身を隠した先程のような戦い方は出来ない。

 これ以上足手まといにならないよう気合入れないと。

 そう自分に言い聞かせてメイスを握る手に力を込めながら上空を睨むと、降り立つ場所を探って旋回していた白竜が一際甲高い雄たけびを挙げて急降下してきた。

 

 ――まさかそのままあたしらを踏みつける気!? 冗談じゃないわよ!

 

 ぺしゃんこにされるのなんてまっぴらごめんだった。

 それにしてもあれだけの巨体が降ってくるとものすごい迫力だ。でかいということはそれだけで脅威だということがよくわかる。視覚の暴力だけでも背筋が震え上がる思いだった。

 

 ……それを正面から受け止めてしまうキリトの剣技については、もう理解することを放棄したほうが良いのかもしれない。

 確かにキリトの本質は磨き上げられたプレイヤースキルにあるとは思ったわよ。百発百中で成功させるパリイとか、どんだけシビアな戦闘勘をしているのかと呆れたしね。

 だからって人の十倍じゃきかない質量差を跳ね返して、正面から互角にぶつかり合うのは物理法則どうなってんのよと叫びたくなったってしょうがないじゃない。いくらゲーム世界だからって、人間が一人で竜の突進を止める光景を見て簡単に納得できると思わないでもらいたい。

 

 ただキリトはそれで良くても、キリトを支える地面は竜の質量と運動エネルギーに耐え切れなくなったらしい。

 ピシッと何か嫌な音が足元から聞こえてきたと思うと、次の瞬間キリトとあたしを中心に足元が陥没した。

 違うか、陥没じゃない。割れたんだ。 あたしたちが地面だと思ってた場所は、どうやら巨大な落とし穴を覆い隠した氷の床と積もりきった雪という不安定極まりない足場だったらしい。

 

「まずい、トラップか!? リズ、逃げろ!」

 

 崩壊した足場から無事な地面に避難することは出来なかった。あたしは予想外の崩落に完全に体勢を崩してしまっていたし、キリトは白竜の突進をソードスキルで受け止めたために技後硬直で動きを止めていた。逃げたくても逃げられるものではなかったのだ。

 落下していくあたしたちを尻目に、白竜のあんちくしょうはその場で悠然とホバリングをすることで崩落に巻き込まれるようなことはなかった。翼あるものの特権というわけだ、今ほどソードアート・オンラインに飛行アビリティが実装されていないことを悔やんだことはない。

 

 突然の落下という事態への動揺、底の見えない奈落に吸い込まれていく恐怖。あたしの喉からあらん限りの悲鳴が搾り出されたのも無理のないことだった。

 確かに穴を掘って埋まりたいとは思ったけど、こんな形で叶えてくれなくてもいいじゃない。神様の馬鹿!

 

「リズ! つかまれ!」

 

 真っ白になった思考を切り裂くように鋭く力強い声にハッと意識を取り戻し、差し出されていたキリトの右手を必死で手繰り寄せる。まるでその手こそが天国に通じる蜘蛛の糸なのだと錯覚するほど、このときのあたしはキリトにただ縋るだけだった。情けない。

 

「止まれ……っ!」

 

 落下の勢いを少しでも弱めようというのだろう、キリトは左手に握ったあたしの剣を岩壁に勢いよく突き刺した。剣は弾かれることなく岩肌に突き刺さったが、それでキリトとあたしの落下スピードがゼロになるわけではなかった。

 ここが現実世界なら剣と岩壁で強烈な摩擦が発生して落下スピードを一気に落とすのだろうけど、生憎ここはアインクラッドだ。剣と岩壁の衝突によって多少なりとも効果はあったのか落下スピードが幾分緩やかになったが、だからと言って止まるわけでもない。岩肌に突き刺さった剣はほとんど抵抗なく下方へと滑り落ちていく。

 こういうのも熱したナイフでバターを切り裂くように、って言うんだろうか。

 剣と岩肌の接触面から赤いライトエフェクトが途切れることなく明滅していた。剣の耐久値がごっそりと削られている証だ。

 

 まずいわね、あたしの剣は敏捷優先で打たれたものだから、耐久値限界もやや低めに設定されている。そもそもこんな無茶な使い方自体想定されていないだろうし、長くは保たないかも。

 そんなあたしの予想通り、剣の耐久限界はすぐに訪れた。アイテムの消滅する独特の破裂音に寂寥を感じる暇もなかった。せっかく緩やかになっていた落下スピードが再び加速したことで死の恐怖が再度鎌首をもたげて忍び寄ってきたのだ。

 ここは圏内じゃない。落下ダメージでライフがゼロになることも十分ありえることだった。なんとかしなければと焦る心と、そんな焦燥を嘲笑うかのように何も打開策が浮かばない現状に絶望が広がっていく。

 

対象(ターゲット)――リズベット! 転移――リンダース!」

 

 その瞬間、キリトの張り上げた声を耳にしたあたしが感じたのは、一瞬の機転を利かせたキリトへの喝采などではなく、どこまでも胸を締め付ける切なさだった。

 落下を止める手段を失ったキリトが真っ先にしたことはあたしを逃がすことだった。散々足を引っ張り、迷惑ばかりをかけてきた足手まといの身を何よりも優先しようとしたのだ。己の身を省みず、一心にあたしの安否だけを気にかけてくれた。そんなキリトの優しさは涙が出るほど嬉しくて、そんなことをさせてしまう我が身の不甲斐なさに涙が出そうなほど悔しかった。

 しかし、そんな迅速極まりないキリトの賞賛されるべき判断も、全く反応を返さない青色のクリスタルによって不発に終わったことを知る。

 

 ――結晶無効化空間。

 

 何も今こんなときにそんな悪辣な罠を用意してくれなくてもいいでしょうに。なんて意地の悪い仕掛けを施すのよ馬鹿開発者。

 あたしの恨み節が茅場晶彦に届くはずもない。そうこうしているうちに真っ暗闇だった奈落の底が固そうな地面へと変わり、このまま叩きつけられたらライフが保てないという現実をひしひしと感じさせられた。

 

 ……やだなぁ、あたし、こんなとこで終わりなの。現実世界に戻ることなく、こんなわけのわからない世界でポリゴン結晶として散って、あっちの寝たきりのあたしの身体はナーヴギアによって脳を焼き切られてジ・エンド。そんな結末。そんな終わり。

 やりたいこと、まだたくさんあったんだけどな。毎朝寝ぼけ眼で通学して、友達と他愛ないおしゃべりで時間を潰して、テスト結果に一喜一憂して、部活もそこそこ頑張ってみたりして。それで休日には彼氏と一緒にお出かけできたら最高よね。

 

 なのにこんな終わり。

 こんな――キリトを巻き添えにしてしまう終わり方なんて。

 

「死にたく……ないよ」

 

 零れた声は今にも泣きそうな弱々しいものだった。あたしの声じゃないみたい。

 死にたくない。死なせたくない。あたしの手を掴んでいる黒衣の男の人は、きっとこのアインクラッドに囚われた皆を救う希望になれる人だ。そんな人をこんな形で、あたしのミスなんかで失わせちゃいけない。そんなことがあっちゃいけないのに。

 なのに、あたしに出来ることは何もなくて。それが悔しくて悔しくて。

 

 神様、あたしは死んだっていいですから、どうか……どうかあたしの手を握るこの人だけは死なせたりしないでください……!

 

 死の間際には走馬灯が見えるっていうけれど、あたしはそんな不思議体験をすることなどなかった。走馬灯の話がただの迷信だったのか、それとも――。

 

「大丈夫、リズは死なない。死なせるものかよ……!」

 

 それとも――あたしが死ぬ運命になかったからなのか。

 転移結晶を放り捨てたキリトは空中で器用にあたしと位置を入れ替え、そしてあたしの身体を折れるほど強く、きつく、しっかりと抱きしめた。

 囁くようなキリトの声があたしの耳をくすぐり、そのままあたしは身じろぎ一つ出来ずに固まっていた。

 全てが突然で、全てが唐突だった。相次ぐ出来事にとっくにあたしの思考回路は限界を告げていて、まともに物を考える余裕など残っていなかった。むしろこんな予想外の事態の中、刹那の思考で次々と手を打てる、危急に臨むキリトの判断能力や行動力こそどうかしていた。

 

 そんなあたしでもわかることはある。

 キリトもあたしも地面に激突する未来は避けられない。

 そしてあたしたちの位置関係はキリトが下であたしが上。

 このままだとキリトは背中から地面に激突することになり、あたしはキリトをクッションにする形でしっかりと保護されていた。落下ダメージは地面との直接接触さえ回避できればダメージを大幅に減らせる。だから、あたしはきっと助かるのだろう――あたしを守ろうとする代償に、キリトが100%のダメージを負うことで。

 

 キリトの命を投げ出した献身に、あたしは一体何を以って報いることが出来るのだろうか。

 ふわふわとまとまらない意識の中、ぼんやりとそんなことを思った。

 

 

 

 

 ソードアート・オンラインはVRMMORPGである。

 デスゲーム化されてしまったがために階層クリアにまつわることばかりが強調されるようになってしまったが、このゲームは本来戦闘だけがクローズアップされる作品ではなかった。

 もちろんこのゲームの象徴であるソードスキルに代表されるように、派手な戦闘と壮大なフィールド、難解な迷宮区タワーと迫力満点のフロアボス討伐こそがメインであることに変わりはないが、攻略以外の楽しみ方だって十分に用意されていたのだ。

 

 例えば娯楽スキルだ。俺は攻略に役立つ戦闘スキルしか取っていないし鍛えていないが、プレイヤーの中には日々の憩いに娯楽スキルを利用してストレスを発散している者もいる。筆頭は料理スキルで、これはその腕を自分のために用いるのも他人のために振舞うのも大歓迎のスキルだった。

 他にも、俺が心引かれた釣りスキルとか。柔らかい日差しと澄んだ空気に身を任せながら、ゆったりと釣り針に獲物がかかるのを待つ年配のプレイヤーの姿を見て以来、いつか俺もあんなふうにのんびりとした日常を過ごしたいと強烈に思った。

 

 または、完全な趣味スキルと思いきや攻略ギルドに必須のスキルと化した裁縫や細工みたいなものもある。戦闘と探索を繰り返す最前線の攻略ギルドには一見不要なそれらだが、実のところこれ以上ないほど役立っていた。

 その筆頭は防具をカスタマイズすることで可能になる《制服化》である。

 通常、装備品はその能力も外見も様々なのだが、裁縫や細工のスキルを組み合わせることで防御性能はそのままにある程度装備ビジュアルを変更できる仕様になっている。そうした性質を利用してギルドごとにユニフォームを用意しているのだ。別にギルド構成員全員が同一装備を常に身に着けているわけではないし、各々の装備している品は外見こそ同じでも中身の性能は全く別物なのだった。

 

 こうした視覚効果は馬鹿にできない。同じユニフォームを身に着けることで帰属集団への愛着や忠誠心が高められるし、仲間意識だって自然と強くなる。他所の集団との差別化も容易く、同時に規律ある集団として統制もしやすくなるのだ。

 血盟騎士団などその筆頭だろう。白と赤の騎士服は非常に目立つ作りになっているため、誰が見ても血盟騎士団所属の団員だとわかるし、今となっては最強ギルドの看板を背負う自覚を促しやすくなっている。ユニフォームそれ自体が誇りとなり、プレイヤーの振る舞いを自省させる効果まで付与されているのだ。誰が始めたのかは知らないが効果的な手段だった。現実世界でそういった組織統制に携わってる人間でもいたのだろうか。

 

 ……まさかヒースクリフ発案とかじゃないよな? いやだぞ、あの男が夜なべしてギルドの騎士服をデザインしたとかだったら。そんなイメージを壊すような真似は遠慮してもらいたい。

 まあ、血盟騎士団には様々な部門があるらしいから、多分服飾とかその辺を担当してる連中もいるんだろう。

 加えて血盟騎士団の、というより、アスナの功績のような気もするけど、あまりに血盟騎士団のユニフォームが有名かつ人気になってしまったせいで、無骨な鎧がギルドカラーの聖竜連合などデザイン変更を本気で検討してるらしい。そんなところで対抗意識を持ち出さなくていいって。

 ちなみに俺はその手のカスタマイズとはずっと無縁だった。装備の外見も全てデフォルトだ。

 

 スキルに限っても楽しみ方は千差万別なのだし、以前シリカと連れ立ったフラワーガーデンのような例もある。この世界は剣と戦闘だけが全てでは決してないのだ、楽しもうと思えばいくらだって楽しみ方を見出すことが出来る。それがソードアート・オンラインの魅力でもあった。

 意地の悪い見方をするのなら、それだけ気を紛らわす手段があるのだからプレイヤーが完全に絶望することはないと考えていそうな運営者の思惑が気に食わない、そんなところか。

 実際、最近は自殺者の噂など全く聞かなくなっていた。攻略を諦めたプレイヤーは戦闘に関わらない別の楽しみ方をこのゲームに見出し、ひっそりと日々を過ごすようになっている。悪いことではないと思うが、それでも茅場の手の平で踊らされている気がしてどうにも面白くなかった。

 

 つまりだ。

 何が言いたいかと言うと、俺のアイテムストレージからキャンプセット一式が出てきたところで何の不思議もないということだ。

 ごつごつした岩肌と積雪を覆い隠すようにシートを大きく広げ、ランタンやら何やらを次々と取り出しては並べていく。

 別に伊達や酔狂でアイテムストレージの保有枠を圧迫させてるわけじゃないぞ?

 迷宮区攻略に徹夜で励むなんてことは俺にとって当たり前のことで、ソロである俺にとってはこの手のアイテムは本当に重宝するんだ。それはオレンジプレイヤーだった頃からずっと変わらない。

 だからそんなに目を丸くしてないで現実に帰ってこい、リズ。ここは仮想現実だけどさ。

 

「この世界の良いところは、重量制限があってもストレージに格納されてる限り、アイテムの重さを全く感じないってことだよな」

 

 仕方ないので俺から話を振ってみたりと色々手は尽くしちゃいるんだが、どうもリズの反応が鈍いんだよな。

 ここに落とされた経緯を思えば落ち込むのもわかるんだが、俺に言わせれば戦場で一つのミスもなしに上手くいくと考えること自体どうかしてる。最前線、特にフロアボス戦のような大人数が入り乱れる戦闘ではいくらでも失敗の種は転がっているし、その都度ミスしたプレイヤーを責めているようでは話にならない。

 重要なことは如何にリカバリーを上手く行い、戦線を早期に立て直すことができるかだ。とはいえ、そういった経験の乏しいリズに割り切れというのも難しいのかもしれない。

 

 職人プレイヤーはその保持するスキルによって、モンスターと戦闘を繰り返さなくてもある程度の経験値を稼ぐことが出来る。無論、モンスターを狩るのに比べれば経験値効率は多少なり落ち込むのだが、元々がアイテム作成の副産物なのだから気にすることもないだろう。

 職人クラスのプレイヤーが戦闘に出ずにそこそこのレベルを確保できるのはそういうカラクリがあった。

 

 もちろんギルド付きの職人プレイヤーと異なり、リズのようなフリーの職人プレイヤーは自身のスキルに使う金属や素材をある程度自給自足する必要から、狩場フィールドに出ることも多い。全く戦えないプレイヤーというわけでは決してないのである。

 それでも生粋の戦闘プレイヤー、殊に攻略組の面々と比べれば戦闘経験など及ぶべくもなかった。それを理解していれば、戦闘面においてリズのような後方支援プレイヤーに多くを望んだりはしないものだ。

 俺はそのつもりでリズを後衛に配していたのだし、リズとてそのあたりの事情は承知しているはずだった。それでも一目でわかるほど落ち込んでいるのは、根が真面目なせいなんだろう。

 

 さて、どうしたもんかな。人の心のケアとか俺には荷が勝ちすぎる仕事なんだけど。

 自らの失態を省みずにふんぞり返るというのも困るが、必要以上に萎縮されてしまうのも考えものだった。なにせ俺達は転落死という窮地を脱したとはいえ、未だに脱出不可能な穴底に囚われているのだ。失敗を悔やむよりも生き残りの方策を練るほうが優先順位はずっと高い。どうにかリズには立ち直って貰わないと。

 

 あの白竜との戦闘から一転、落とし穴の罠に嵌った俺とリズはどうにかこうにか命をつなぐことができた。

 高所からの落下は着地地勢が取れるかどうかに関わらず、必ずプレイヤーはダメージを負う。だからこそ山岳マップのような高低差の大きな地形を攻略する際には細心の注意が必要だった。

 いくら大型のボスクラスモンスターが相手とは言え、視野が狭まっていたことは反省しなければならないだろう。あの場面では無理に突進を受け止めるより、リズを促して回避に専念するべきだった。

 

 結局のところ、俺はリズの戦闘能力に信用を置いていなかったんだろうな。俺一人なら戸惑うことなく回避を選択した場面で、リズの存在が頭に過ぎった瞬間、白竜の突進を無力化させようと力尽くも良いところの選択をしてしまった。冷静になれずに誤った、俺もまだまだ未熟だ。

 その結果がみすみす罠に嵌められた今の有様だった、悔やんでも悔やみきれない。

 もっとも俺まで気落ちしていたら、直接の原因を作り出してしまったリズがますます落ち込んでしまうだろうから、努めて泰然とした態度を心掛けてはいたけど。

 転移結晶が使えず、壁面を登って脱出することも無理なのだ、円柱状に掘られたこの穴底からどう脱出するかの見通しはまるでついていない。しかし先行きに不安を持たずにはいられないのは何も俺だけじゃないのだから、ここは強がっておくべきだった。ただでさえ参っているリズにこれ以上負担をかけるわけにもいかない。

 

 それはともかく――。

 笑い話になると思ったんだけどなぁ。

 ちらりと視線を移せば人型に穿たれた間抜けな落下跡が見て取れる。俺とリズが落ちてきた時のものではない。この穴底に落とされ、互いの無事を確認がてら大きく減じたライフゲージを回復させ、なんとか脱出の糸口を探っていたときに俺が一計を案じた結果である。

 

 《その時、俺の脳裏に天啓が浮かんだ!》、という悪ノリも兼ねて壁走りに挑戦し、見事に失敗した。

 助走距離も足りなかったし、なにより円柱状に作成されたこの空間は単なる落とし穴とは思えないほど広大だった。そんな場所の岩壁を俺は周回状に踏破しようとしたわけで、てっぺんまで走る距離はかなりの長さになる。流石に途中で加速が衰え、力尽きて転落した。大した高さでもなかったから落下ダメージも少なかったが、その名残がどこの漫画かと思うような見事な人型の落下跡というわけだ。

 

 本気で脱出できると思って試したわけじゃないから別に気落ちはしてしない。むしろ、塞ぎこんだリズの緊張を和らげられないかと道化を気取ってあんな無茶をやらかしてみたんだけど、残念ながらそんな俺の身体を張った気遣いは無駄死にしてしまったようだ。俺に笑いの才能がないことが証明されただけだった。わかってたけどさ。

 

「キリトはさ……」

 

 ぽつりと、膝を抱えたリズが小さな声でつぶやいた。

 

「キリトは、どうしてそこまで人に優しくできるの?」

「優しい? 俺が?」

 

 目が点になった。リズがどうして急にそんなことを言い出したのかがわからない。

 そしてなにより、俺が優しい? そりゃ、自分が殊更厳しい人間だとは思わないけど、だからと言って優しいなどと言われる類の性格をしているとは思えないぞ。どちらかと言わずとも悪人と言われる側の人間だし、俺。

 アルゴに人でなしになるなと言われてから、なるべく真っ当に見えるよう、そしてゲーム攻略に協力的であろうと努力はしてきたつもりだが、実態が伴っているかと言えばそんなことはなかった。

 相変わらず生意気なガキだし、攻略組の協調の外にいるあぶれ者だし、人との接触なんて最低限しかせずにソロで迷宮区に潜ってるだけだし。うん、俺が優しいなら大抵のやつが優しいと評されるんじゃないか?

 

 第一、優しい人間は望んで殺し合いの場に臨もうなどと思わない。

 どんな理由をつけようとラフコフの連中を《狩る》ことに決めたのは俺で、そのための討伐隊を組織し、率いたのも俺だった。

 また一つ、この世界で罪を重ねた。俺はあと幾つ罪業を重ねるつもりなんだろう。

 父さん、母さん、それにスグが今の俺を見たらどう思うだろうか。嘆くか、それとも泣くか。案外叱り付けてくれるかもしれない。現実世界に生きて帰れるようなことがあったら全部話さないとな。俺がこの世界をどう生きて、そして何をしてしまったのかを。

 

「優しいわよ。さっきだってあたしを庇って死に掛けてたじゃない。そんな人を優しいって言わなくてなんて言えっていうのよ」

「リズよりは俺のほうがレベル高いんだから、落下ダメージを負うなら俺であるべきだろ? そのほうが生存率は高いんだしさ。単なる役割分担なんだから、あんまり気にするなよ」

「……それ、本気で言ってる?」

「割と」

 

 適材適所ってそういうもんじゃないか?

 

「なら言い換えてあげる。あんたって優しいくせにひねくれものなのね。素直じゃないやつ」

「まぁ、ひねくれものであることは否定しない」

 

 そこでようやく調理の済んだスープをカップに注ぎ、リズに手渡す。干し肉と香草を使った初歩料理で、スキル熟練度なしでも失敗しないお手軽なものだった。

 料理スキルは取ってないから味には期待するなとリズには言い渡しておいたが、礼を言って受け取ったリズは一口飲むとほうっと安心したように息をついた。俺も続いて出来合いのスープを口にする。元々攻略の合間に挟む小休止用に用意しているアイテム一式だ、味に期待できるものでもない。目的は空腹と無聊を紛らわすことだけである。

 

 それでも今の俺にとっては十分に美味いと言える味だった。もしかしたらリズも似たようなものかもしれない、なにせ既に夜も更けてきたというのに、最後に食事をとったのは昼前だ。長老の長話に白竜との戦闘、それからこの穴に落とされてから脱出を一通り試してみて、と随分時間が経ってしまった。空腹は最高の調味料とはよく言ったものである。

 そういえばリズが料理スキルとってるかどうか聞き忘れてた。まあいいか、既に用意してしまったのだから今更聞くことでもないだろう。

 リズが再度口を開いたのは、暖かなスープの余韻に俺が一息ついてからだった。

 

「ねぇキリト、何でドラゴンとの戦闘を長引かせたの? あんたが本気でやれば瞬殺だって出来たんじゃない?」

「瞬殺は言いすぎ」

 

 リズの余りの言い草に思わず笑ってしまった。あの白竜は確かに俺にとって苦戦するようなレベルのモンスターではなかったが、だからと言ってリズの言うような瞬殺ができるほど雑魚だと思って戦っていたわけでもない。

 

「戦闘を長引かせた理由だっけ。リズはクエストアイテムの入手フラグをマスタースミス同行って推測しただろ。でも、マスタースミスってのはあくまで俺達プレイヤーが便宜的に名付けただけで、システム的にそういう肩書きがあるわけじゃない。それじゃフラグとしては弱いかなって思ったわけだ」

 

 軽く肩を竦め、続ける。

 

「それに55層で受けられるクエストにスキルコンプリートが条件っていうのは、ゲーム難易度的に厳しすぎる気がしてさ、結構引っかかってたんだよ。70層以降のクエストでならそういうこともあるかもしれないけど、この階層のクエスト難易度を考えるとフラグ条件としては鍛冶屋同行で十分な気がするんだよな」

「言われて見ればって感じだけど……。そうなるとキリトがしてたのってフラグ条件を満たすための試行錯誤だったわけ?」

 

 リズの質問に言葉少なに頷く。

 あの白竜はクエストボスとしては弱い部類だろう。55層のフィールドボスと考えても些か物足りない強さしか持っていなかった。

 だからこそ解せない。あの出現の仕方からしてクエスト達成フラグのキーであることは間違いないのだろうが、その割に強さが釣り合わないのだ。

 中層の上位プレイヤー数人で確実に狩れるレベル、攻略組のトッププレイヤーならソロでも十分下すことが出来るレベルといったところか。それこそリズの言葉じゃないが、俺の持つ二刀流に代表される希少スキルをフル活用出来れば瞬殺だって夢じゃない。

 

 つまりあの白竜は狩るのに苦労しないクエストボスなのだ。実際にリズの話では何組ものプレイヤーたちが白竜を狩るのに成功している。そしてそのドロップ品が新種の金属やレアアイテムなどではなく、ろくでもない屑アイテムや雀の涙のコル、道中の雑魚モンスターにも劣る有様だった。

 それらを踏まえると白竜は単なる一モンスターとはとても思えない。クエストクリアのための何かを秘めているはずなのだ。

 もちろん単純にドロップ率が絞られていると考えることもできるが、それにしたってクエストを放置するほどにプレイヤーを諦めさせる低確率というのもおかしな話だった。今までのゲームバランスを考えると奇妙極まりない。

 

 そこで俺が疑ったのが、フラグ条件は複数あるのではないか、ということだった。リズの語った《マスタースミスを加えたパーティーで白竜を倒す》というだけでなく、その倒し方にも何らかの条件が課されている可能性だ。

 例えば、北の村で聞いた情報の中に《水晶を飲み込む竜》というのがある。

 このマップは氷雪と水晶の山岳地帯なのだから、竜の主食を水晶と見なす事だってできるわけだ。そこから部位欠損状態に陥らせた白竜を倒すことで身体の一部となった水晶がドロップされるようになる、あるいはブレスに混じって水晶が吐き出されることでアイテムドロップのフラグが建つ、そういう可能性も想定していた。

 

 加えて白竜の攻撃パターンを掌握したら止めは鍛冶屋であるリズに務めてもらうことで、《鍛冶屋が白竜を倒す》というフラグも満たそうと考えていたのだ。そのどれかでも当たっていれば御の字というつもりで。

 

「その、キリト、改めてごめんなさい。そういうキリトの努力全部あたしがぶち壊しちゃって……」

「説明不足だった俺も悪い。リズだけに責任があるわけじゃないよ」

 

 あの時の俺の不可解な行動の真意を聞き出したリズは、両手で抱えるように持っていたカップを置くと居住まいを正して深々と頭を下げた。神妙な声で謝罪の言葉を口にする姿は心底申し訳なく思っているのが伝わってきて、慌てて俺もリズにフォローを入れたのだった。

 俺自身、口下手を自覚してるなら相応に弁を尽くして説明しておくべきだった。リズの失態は何もリズ一人が背負うような代物ではない。俺の口にした言葉はまぎれもなく俺自身の本心だったのである。

 

 それっきり、お互いに押し黙ってしまった。

 まずいな、ただでさえリズは落ち込み気味だっていうのに、沈黙が長く続くと余計に空気が重苦しくなるだけだ。俺だってそんなギスギスした空気になるのはごめんだし、何か手を打たないと。この場で切り出す不自然じゃない話題、何かあったっけ? あ、そういえば。

 

「そうだ、俺もリズに謝らないと」

「急になによ?」

 

 唐突な俺の宣言にリズは面食らったように目を瞬かせた。驚くと余計に子供っぽく見えるんだよな、リズって。

 

「リズの貸してくれた剣、壊しちゃったからさ。後で弁償するよ」

「ああ、そのこと。別にいいわよ、弁償なんてしてくれなくて。あたしを助けてくれようとした結果だもの。そのおかげでこうして元気にしてられると思えば安いもんよ」

「そういうわけにもいかないって。あれ、売ればラグーラビットの肉なんて目じゃない金額がつくはずだろう。咄嗟のことで後先考えてなかった。本当にすまん」

 

 壁に突き刺すならエリュシデータを用いるべきだった。利き腕をリズに差し出した判断を間違っていたとは思わないけど、せめて剣帯の交差を逆にしておくべきだったな。それが結果論とわかっていても悔やまれてならなかった。

 

「だからいいってば、あんたも大概律儀ねぇ。……そうだ、なら剣の弁償の代わりに色々聞かせてよ」

「その程度で許してもらえるなら構わないけど、何か聞きたいことでもあるのか?」

「そりゃもうたくさんあるわよ。そうね、まずはキリトがどうして剣一本しか持ってなかったか聞きたいわ。確か壊れたとか言ってたっけ、それって今回みたいに耐久限界で壊しちゃったの? まさかメンテ不足だったわけじゃないわよね?」

「いや、メンテはしたばかりだったよ。装備品は全て万全の状態に整えてたし、今回みたいなイレギュラーもなかった」

「じゃあ、どうして?」 

 

 問いかけられて、思わず口ごもった。ここまで話しておいてなんだが、本当にこの先を口にして良いのかという思いがある。剣の代金の代わりとリズは口にしていたが、別に俺が口を割るのを渋っても追及したりはしないだろう。多少は文句も言うかもしれない、それでも言いたくないことを無理に話させようとはしないはずだ。その程度にはリズの人となりを理解していた。

 

「キリト?」

 

 押し黙った俺を見て不安になったのか表情を曇らせるリズ。

 沈黙は長く続かなかった。一度大きく息をついて心を落ち着かせる。

 多分、俺の弱さだったんだろう。一人胸の内に閉まっておくことができなかった。それだけのことだ。

 

「リズはさ、《武器破壊(アームブラスト)》って聞いたことあるか?」

「小耳に挟む程度には知ってるわよ。ソードスキルをぶつけ合う時に、武器の脆い部分に叩きつけることで部位欠損を意図的に引き起こす高等技能のことでしょ。効果分類としちゃパリングの上級派生技だけど、ソードスキルシステムに規定されてないからシステム外スキルだって呼ばれてるやつね。あたしは実際に使われてるところは見たことないけど」

「判定がえらいシビアでそうそう実戦で使える技能じゃないからな、見たことがないっていうのも仕方ない。武器破壊は元々ソードスキル相当の技を使ってくるモンスター対策に開発した技術なんだけどさ、幸か不幸かプレイヤー同士の戦闘にも応用できる技だったんだよ」

 

 俺の言葉の意味を悟ったリズの顔色が悪くなる。まあそういう反応になるよな。

 

「それってつまり……剣が壊れたのはプレイヤー同士の戦いが原因ってこと? 決闘じゃ、ないのよね?」

「残念ながらな。命を賭けた本気の戦いだったよ。そこで俺の剣は武器破壊を仕掛けられて壊されたんだ。まったく、間抜けにもほどがある」

「間抜けってどうして?」

「そりゃ、武器破壊の技術を開発して公開したのが俺だからだよ。開発というより発見って言ったほうが正確かもしれないけどな」

 

 武器破壊がプレイヤー同士の争いに使えると気づいていなかったわけじゃない。気づいていたからこそ、あえて対モンスターのシステム外スキルなのだと強調して情報を流した。そもそも武器破壊は通常のプレイヤー戦闘、つまり決闘で使って良いような技能じゃないのだ。腕試しの場でいちいち勝利のために武器を壊すなんてどんなマナー違反だって話である。

 プレイヤーが手塩にかけて強化した武器を壊すことは攻略に不利にしかならないのだから、対プレイヤー戦で武器破壊を仕掛けるのは禁じ手に近い。だからこそ、出来ればモンスターにだけ向ける力であって欲しかった。そんな俺の願いは儚く散ってしまったけど。

 

「武器破壊の開発者がキリトってのも驚きだけど、あんたの剣を壊した相手って、まさかラフコフ……」

「当たりだ。ギルド《ラフィン・コフィン》団長PoH。やつにやられた」

 

 リズの声は尻すぼみに小さくなっていった。

 準備は時間をかけて秘密裏に進めたとはいえ、ラフコフ討伐戦を終えた後には大々的な発表をしたからな。リズにも俺が最近ラフコフを潰した事実は知られていたらしい。

 ……やはりラフコフのことなど話すべきではなかったと後悔した。

 今度こそリズの表情は青褪め、身体は強張り震えていた。その恐怖がどこからくるものなのかを考えるのは憂鬱だ。

 殺人集団であるラフコフか――そんな連中と斬りあった俺か。

 

 別に武器破壊は俺だけのユニークスキルじゃない。システムにない純技術的なスキルだけに、可能性に限れば全プレイヤーが使えるものだ。ただその成功判定を引き出すのが非常に難しいため、実戦で使えるプレイヤーが少ないというだけのことである。

 敵の放つソードスキルの先読み、その剣の軌道に合わせた的確なソードスキルの選択、武器の脆い部分に寸分違わず剣撃を合わせることの出来る技量、そしてそれら全てを可能にするだけの間合いとタイミングの見極め。

 これらを一瞬の内に纏め上げてようやく武器破壊は可能になるのだった。

 

 武器破壊は俺だけのスキルではないのだから、当然他のプレイヤーに使われることだってある。それが偶々殺し合いを演じたPoHだったというだけのことだ。

 とはいえ、今回の場合は痛み分けだろう。俺の剣がやつに折られたように、やつの《友切包丁(メイトチョッパー)》も俺の《エリュシデータ》で叩き折ってやったんだから。はっ、ざまあみやがれ。

 

 それでも後悔は残る。

 

 あの時、そのまま返す刀でやつの首を落とせていたら――。

 やつのHPバーを吹き飛ばせていたら――。

 

 何度そう思い、そして同じ数だけそんなことを考える自分の冷酷さに自己嫌悪を繰り返したことか。

 つくづく嫌になるな。殺人ギルドなんて看板を背負うトチ狂った連中にも、そして薄汚い自分自身にも嫌気が差す。

 

「……ラフコフ討伐戦には血盟騎士団は参加しなかった。キリトが参加させなかったって聞いたけど、どうして?」

 

 俺の顔を見るのが怖いのか、それとも別の理由によるものなのか、リズは俯きがちにぽつりと疑問を口にした。

 やけに詳しいな、情報源はアスナか? 会談の場にはヒースクリフと俺だけだった。そこで決定したことをヒースクリフから副団長のアスナだけは聞いていたのだろう。そこからリズに情報が流れたと考えるのが自然だ。それは別に構わない。ばれて困るようなことまであの男が話すこともないだろうから。

 

 血盟騎士団は重要な意思決定の全てをあの二人が担っている。決断の数だけなら攻略組を主導するアスナのほうが上だが、最終的な決定権はヒースクリフにあるため、俺はアスナを通さずヒースクリフにだけ話を通した。 攻略組の戦力を引き抜く以上、あの男には最低限の話を通しておく必要があったし、討伐失敗のリスクを考えると後始末には攻略組筆頭としてのヒースクリフの力を借りるしかなかったからだ。

 個人的にアスナにはあまり聞かせたくない内容だった、というのも否定はしないけど。

 

 『血盟騎士団は討伐戦に参加させるな』という俺の要請を受け入れたとはいえ、血盟騎士団内部の事情を考えればヒースクリフは自分の独断という形は避けたかったのだろうか?

 必要とあらば全てを己の内に秘めて口を閉ざす男なのだから、今回の件は最終的にアスナの理解を得られると考えたから話したのだろう。アスナにどの段階でラフコフ討伐戦の裏事情を語ったのかまでは知らないけど。

 

 順当に考えれば討伐戦を終えた後の公式発表に前後して、かな。

 ラフコフに計画が漏れないようずっと水面下で進めていた作戦だっただけに、ヒースクリフも情報の秘匿の重要性は理解していたはずだ。腹心のアスナ相手とは言え、軽々に漏らしたとは思えない。

 ……そういえば、リズを紹介して貰った時もアスナはずっと何か言いたそうにしてたな。今思えばあれはアスナに何も話さず、ラフコフ討伐の準備から実施までした俺に対して物申したいことを必死に我慢していたのかもしれない。

 

「血盟騎士団を参加させなかったのは攻略のためだよ。血盟騎士団は攻略組の支柱であり、全プレイヤーの希望だからな。言ってみれば神輿だ。神輿が血に塗れちゃ心から応援できなくなるだろ? それに攻略組全体の士気も下がる。だからラフコフ討伐からは外した。その手の汚れ仕事は他に相応しいやつがやればいい」

「それがキリトだって言うの? 討伐参加者で名前を明かしたのはキリトだけだった。そんな役目があんたには相応しいって?」

「元ベータテスター、元オレンジプレイヤー、軍にはビーターと呼ばれて嫌われ、攻略組ではソロとしてうろちょろ動き回る鼻つまみ者なのが俺だ。そのくせ全プレイヤーでも屈指の希少スキル保持者で高レベルプレイヤーでもある。戦うことにかけちゃ俺の右に出るやつなんて早々いないぜ。だからこそラフコフ討伐にはうってつけだった」

 

 ヒースクリフくらいだろうな、俺が一対一で確実に勝てると思えないのはやつくらいのものだ。あいつと直接戦ったことはないが、実際に決闘をするとなると間違いなく俺の分が悪い。

 ヒースクリフの神懸かり的な先読みと攻守最優のスキルである神聖剣。この二つを抜いてクリーンヒットを与えるのは至難だった。

 何度シミュレーションを繰り返しても、奴に俺の剣が届くイメージは朧げでなかなか固まってくれない。攻略組最強の看板は伊達じゃないということだ。

 

 もちろんヒースクリフ以外にもアスナを筆頭に優れた戦闘能力を持つプレイヤーは多数存在する。しかしその誰を相手にしても一対一に限定すれば俺の優位は動かないと断言できた。それくらい俺の持つスキルとレベルは反則級のものだった。

 元々攻略組の中でも飛び抜けたレベルを持つ俺だ。そして二刀流はヒースクリフの神聖剣と並んで明らかに逸脱した性能を持つスキルである。少なくともこの二つと伍するスキルが発見されるまでは、俺とヒースクリフの二強体制は崩れないだろうと思う。

 

 だからこそ俺がラフコフ討伐を主導する役目に相応しかったのだ。戦闘力に限ればこの世界屈指のプレイヤーであり、今更声望も何もない薄汚いソロプレイヤー。何よりPKの前科持ちの俺こそがラフコフなどという犯罪者集団を相手にするには適任だった。

 PKさえ躊躇わないプレイヤーが討伐隊にもいるのだというプレッシャーが、奴等に自分達こそが狩られる側にあるのだということを理解させてくれる。

 

 それくらい思い切らないとラフコフの連中を相手に互角の勝負に持ち込めないだろう。PKを楽しむ強者であり、狩人であると自らを自覚するラフコフの精神的優位を崩さない限り、奴等からの投降も期待できなかったからだ。

 実際に俺がPKを覚悟して戦えるかどうかはともかく、牽制の意味だけでも俺の名は有効だと思った。投降が期待できれば被害を少なく出来る。

 できれば双方に死者ゼロで戦いを終わらせたかった。夢物語だろうと夢を見たかった、というのは俺の甘えだったのだろう。

 ラフコフ討伐に参戦し、その戦いの中で死んでいったプレイヤーにはどれだけ頭を下げても足らない。俺の計画に賛同し、協力し、そして帰らぬ人となったのは一人二人ではなかった。それだけ多くのプレイヤーがあの戦いで逝ってしまった。

 

 俺一人で片をつけられるのならそうしたかった。そうすべきだったと今でも思う。

 しかしあのクリスマスの夜、朽ちかけた教会でPoHらと対峙したことで、ソロではどうにもならないことを思い知らされた。その後はやつらに気付かれないようひっそりと、しかし確実に討伐の計画を進め、奴等の根城や構成人数の情報を集めた。

 幸いだったのはクラインと《風林火山》、ディアベルと《青の大海》、そしてシュミットを筆頭とする《聖竜連合》の一部隊の協力が然したる苦労もなく得られたことだ。そのおかげでラフコフに倍する討伐人数を編成することに難航することもなかった。そこに攻略組きっての人格者かつ実力者であるエギルの協力も得られたことで、戦力としては十分なものとなった。

 

 俺がPoHを抑え、クラインとエギルがそれぞれザザとジョニー・ブラックを抑えた。俺が先陣を切って突入する役割だったため、全体の取りまとめはディアベルに頼んだのだが、俺よりよほど上手く集団をまとめあげてくれたと思う。

 皆、獅子奮迅の働きを見せた。

 

 やらなければやられる、あの緊迫感はフロアボス戦以上のものだったろう。鋭利で冷たい感覚が背を走り続け、熱狂と狂騒がプレイヤーの正気を侵そうと忍び寄る、狂乱の宴とも言うべき最悪の戦場だった。二度と味わいたくないと切実に思った。

 その戦いの結末は既に発表されている。最終的にPoHのやつを取り逃がしたとは言え、幹部クラスも含めてラフコフの構成員の大半は監獄送りとなり、一部はあの世へ送られたのだからラフコフは壊滅したと評して問題ないだろう。俺たちは確かにラフコフに勝利した。

 

 それでもまだ終わってはいない。あの男、PoHを捕らえるまで俺と奴等の戦争は終わらない。

 

 取り逃がしたPoHの動向はようとして知れなかった。唯一というには大きすぎる懸念材料だけに、やつがこの先どう動くかは最大限警戒しなければならないだろう。それでも、ひとまずアインクラッドに蔓延っていた悪意の連鎖は止められたはずだ。

 PoHと言えど十分な手足の数がなければ大々的には動けない。そして犯罪を扇動していた悪の精神的支柱であったラフコフが壊滅し、そのトップが行方知れずなのだから、オレンジギルドの活動も自然縮小されていくだろうと思われた。

 度を越えた犯罪には攻略組も断固たる決意で対処に当たるという姿勢を見せることが出来たことも大きい。PKのような重犯罪に対する抑止力としての効果も十分期待できた。

 

 なにより俺が死なない限り、俺自身の存在がオレンジプレイヤーへの警告になり続けるはずだ。大々的に俺の名をばらまいたのは、余りに犯罪が目に余るようならば処刑人《黒の剣士》が貴様の首を狩りにいくぞ、と無言の内に脅しあげる効果を期待していた。

 まるで都市伝説かなまはげだと失笑してしまいそうだが、案外狙い通りになるんじゃないかと考えている。ラフコフの悪名はアインクラッドを席巻していた。ならばそれを叩き潰した俺の悪名もまた千里を走るだろう。アルゴにでも頼んで本気でその手の噂を流してみるか? 悪くないかもしれない。

 

 そんな風に《なまはげ剣士キリト》誕生の可能性を密かに検討していた俺だが、そんな馬鹿な考えを見透かしたかのようなタイミングでリズが重い口を開いた。

 

「確かにキリトは強いわ、アスナが自分よりずっと強いって言ってたのもわかるわよ。でもさ、どうしてあんたがそこまでしたの? そんなことまでしなきゃならなかったの?」

 

 震えた声はリズの感情そのものだったのだろう。けれど、俺にはリズの抱く気持ちの正体まではわからなかった。怒りだったのか、恐れだったのか、それとも同情だったのか。

 わからぬままに俺は答える。

 

「二刀流が必要だったんだ。死者を出さずに拘束する、そのために一番必要なスキルが二刀流だった」

 

 すなわち、俺だ。

 さすがにそれだけじゃ伝わらなかったのだろう。訝しげなリズの様子に意を決してアイテムインベントリを呼び出し、そこから一本の剣とスローイング用のピックをオブジェクト化した。どちらも特殊仕様のプレイヤーメイド品だ。それをリズに手渡し、一歩下がる。まるで被告席に立っているような気分でリズの反応を待っている自分が滑稽だと思った。

 

 俺の手渡した剣とピックを見たリズの反応は劇的だった。

 その大きな瞳を目一杯開き、次いで俺を強くきつく睨みつける。先ほどまでのどこか弱弱しい調子ではない、その目には烈火のごとく怒りの炎が燃え盛っていた。

 

「キリト、あんた《これ》が鍛冶屋にとっての《タブー》だって知ってて作らせたの?」

「ああ。グリムロックに無理を言って作らせた。あいつには最後まで反対されたけどな。勘違いしないでくれよ、グリムロックはその剣を打つことに反対したんじゃない、俺がその剣を使うことに反対したんだ」

「そりゃ止めるでしょうよ! 麻痺効果を付与した片手剣にスローイング・ピック! こんなの人に――プレイヤーに向ける意図がなければわざわざ作ったりなんてしないんだから!」

 

 リズの怒りは当然だった。

 職人クラスという呼び名は通称でしかないが、それでも彼ら彼女らには武具の作り手としての誇りがある。自分達の作り出す武器や防具がアインクラッド攻略の大きな力になっているのだという自負があるのだ。彼らが武具を作るのはあくまでゲームクリアのためであって、プレイヤー同士の争いを助長させるためでは断じてない。

 

 麻痺効果のような状態異常を引き起こす武具はアインクラッドには多数存在する。しかしそれをメインウェポンとして使うプレイヤーはまずいない。なぜならそうした特殊な武器は軒並み攻撃数値が低く狩りには不向きであり、加えて耐久値限界が非常に低く設定されているからだ。

 あまりに脆く、メンテナンスをきっちりしていても間に合わない速度で武具が消耗し、やがて消滅してしまう。そのうえ、目玉となる状態異常を引き起こすにはモンスターの状態異常耐性が高すぎてほとんど効果がないのだ。ダメージが通らず、耐久値は最低、状態異常にも期待できないとなればその手の特殊武装が流行るはずもなかった。

 

 ――唯一、犯罪者ギルドの連中を除いては。

 

 ラフコフの中では特にジョニー・ブラックが好んで麻痺毒を仕込んだスローイング・ピックを使っていたように、対プレイヤー戦では絶大な効力を発揮するのが状態異常系の武装の特徴でもあった。

 ゲーム上の死が現実の死となった現在、職人クラスのプレイヤーがこうした特殊武装を忌み嫌うようになったのは至極当然のことだろう。自分の作り出した武器で人殺しが為されるなど悪夢でしかない。

 

 真っ当な職人プレイヤーはこういった武装が完成してしまった場合、市場に流さずそのまま廃棄してしまうのが一般的な反応だった。そして、この手の武器作成依頼を持ち込むことは《私は犯罪者です》と看板を背負っているのと同義のようなものだ。

 だからこそリズはこうして怒りを露わにしているのだった。俺が犯罪者プレイヤーと疑われる装備を持ち歩いていること、なによりその装備を意図的に職人プレイヤーに作らせたのだと知って。

 

「グリムロックとかいう人もよくあんたの依頼を聞いたものよ。まさか、脅して言うこと聞かせたとかじゃないでしょうね」

「それこそまさかだ、俺だってそこまで鬼じゃない。……グリムロックとは色々あってな、その縁で無理を聞いてもらえただけさ」

「鍛冶屋にタブーを犯させてまで麻痺毒仕込んだ武器を作らせるなんて、並大抵の縁じゃないんでしょうね。……犯罪者プレイヤーを監獄に放り込むために拘束する、その手段としての麻痺特化武器。なるほどね、確かに二刀流使いのあんたなら使いこなせるか」

 

 リズの皮肉に俺は返す言葉を持たない。被害を最小限に抑えるためという名目はあれど、俺が渋るグリムロックに無理やり承諾させたことはまさしく外道の所業だったのだろう。人に向ける刃を鍛えろと、そう迫ったも同然なのだから。

 グリムロックは俺を恨んだだろうか、恨んだだろうな、どうしてそんなことをさせるのだ、と。

 

 ラフコフには攻略組に比肩する精強なプレイヤーが多数所属していた。レベルだけならばそれこそ攻略組の上位に食い込んでくるような猛者もいたはずだ。多分、彼らはこのアインクラッドで最も安全で効率的なレベリングを追及した集団だったのだと俺は睨んでいる。

 攻略組のレベルが飛びぬけて高いために、中層プレイヤーや下層プレイヤーは攻略組のやり方こそが最も効率の良いレベル上げなのだと勘違いしているが、真に最高効率のレベリングをするなら迷宮区の探索など出来ないのだ。正確に言えば未知のマップに挑んだりはできない。慎重と忍耐を期する迷宮区探索は、それだけで時間当たりの経験値効率を落とすのだから。

 

 では最も効率的なレベリングとは如何なる方法なのか。

 簡単だ、時間効率の最も優れた場所で長時間狩りをする、これだけだ。攻略組が通り過ぎ、攻略情報の集まった高効率モンスターのたむろしている狩場。そういった条件のエリアを探してひたすら敵を狩るだけだった。

 それにアインクラッドは広大だから、攻略組ですら知らないレベリングスポットが存在していてもおかしくない。というか、聖竜連合あたりなんかそうした狩場を幾つか独占しているんじゃないかと実しやかに囁かれているし。風評被害とまでは言わないけど、普段が普段だからそういうところでは損してるギルドだよな。

 

 アインクラッドでは不定期にモンスターの出現頻度や種類が変わることはわかっているが、その変化はあくまで緩やかなものである。

 俺がこのゲーム開始当初に考えていた《攻略には参加せず、攻略済のマップでひたすら安全な狩りをする》層であり、その中で飛びぬけて頭の良い方法を選んだのがラフコフの連中だったのだと思う。人によってはずる賢い狩り方だと非難するかもしれないけど。

 

 しかし、そうでもなければラフコフのように、階層移動に制限を抱えるオレンジギルドの構成員が、攻略組に追随できる強さを維持し続けられるわけがないだろう。俺達が相手をしたのはそういう敵だった。だからこそ殺さずに監獄エリアに送り込むことは至難だったし、双方に死者も出たのだ。

 麻痺の成功率は補助武装のスローイング系の武器よりは剣や槍のような主武装を使った方がずっと高い。しかし特殊仕様の武器は数々の弱点を抱えているため、まともに打ち合えばすぐに耐久限界がきて消滅してしまう。

 PKを生業にしてるような連中を相手に武器を失えば、その末路など言うまでもない。だからこそメインの武器で切り結ぶ合間に補助武装に頼るという戦い方しかできないのだが、その例外が俺だった。

 

 二刀流。

 両手に武器を装備できる俺なら片手にメイン武器を、もう一方に麻痺付与のサブ武器を握って戦うことも出来た。俺が先頭に立って切り込み、片っ端から麻痺を食らわせることでラフコフの無力化を図ったのだ。

 剣の耐久値限界が訪れるたびにアイテムストレージから新たな武器を取り出して戦い続けた。最終的に何本の剣を失ったのかなど数えたくもない。まったく、どこぞの剣豪将軍にでもなった気分だ。剣豪将軍は末路があれだからあまり重ね合わせたくないけど。

 

 それでもPoHを相手に麻痺剣で戦う余裕はなかった。

 PoHは一体どこでそれほどの技術を磨いたのかと疑問に思うほど、狡猾で洗練された剣の使い手だ。武器破壊を殺し合いの最中に成功させるという一事を以っても、アインクラッドで有数の実力者に数えることができよう。

 加えて討伐隊は生け捕りが前提で、ラフコフは最初から俺達を殺す気で戦闘を展開していたのだ。もちろんPoHも例外ではなかった、この差はあまりにでかい。

 

 三桁に迫るような数のプレイヤーが大挙して狭い洞窟内を舞台に戦っただけに、その混乱の規模も相当だった。そのせいで肝心要のPoHを見失い、逃げられたのは間違いなく俺の失態だった。……少なくとも、俺にやつのHPバーを完全に吹き飛ばす気概さえあれば取り逃すこともなかっただろう。人を相手に斬り合っているという意識がどこかで俺の剣筋を鈍らせていたことは否めない。

 

 それでも、あのままPoHだけに全霊を傾けていられれば結果も違ったはずだ。しかし俺は討伐隊を呼びかけた身として、賛同してくれたプレイヤーを可能な限り無事に帰す義務があった。PoHとの一騎打ちだけにこだわってはいられなかったのである。

 その判断が吉と出るか凶と出るか。全てはこの先のPoHの動向次第だ。願わくば、PoHにはゲームがクリアされるまで潜伏したまま大人しくしていて欲しいものだ。

 

「わかんないわよ、あたしにはあんたがわかんない。どうしてそこまでするの? そりゃ、ラフコフは危険極まりない癌集団だけどさ、なんだってそんな躍起になってあんたがやつらと戦わなきゃならなかったわけ?」

 

 リズの目にはもう怒りは浮かんでいなかった。代わりにあったのは不可解で異質なものへの疑念と、どうしようもない現実を前にした、諦観にも似た疲れが見え隠れしていたように思う。

 俺と同じような年齢だとするなら現実世界のリズは高校生だ。あんなヘドロのように薄汚い思想を垂れ流す連中と係わり合いになるはずもない。殺人を権利などと公言する悪意に満ちたプレイヤーがたむろし、舌なめずりをして待ち構えているような暗澹たる世界に関わって良い人間じゃないのだ。

 好んで人を殺そうとするクレイジーな連中も、そんな連中に剣を向け、かつ滅ぼそうとする俺のような人間も理解の外だろう。

 

 ……随分と遠くまで来てしまった。

 このアインクラッドに囚われる前、十四歳の平凡な中学生だった俺は――桐ヶ谷和人という名前の人間は、きっともう何処にもいない。戻れるものなら戻りたいと思う一方で、この世界を生き抜くためには桐ヶ谷和人ではなくキリトが必要なんだと、そう冷徹に判断できてしまう自分が嫌だった。

 ゲームだと、ロールプレイなのだと割り切るだけで済むのならどんなに良かったことか。あるいは、この世界の死が現実世界の死ではないのだと頑なに妄信できたのならば、そして全てを遊び(ゲーム)だと割り切ることが出来たのならば、それはどれほど甘美で――おぞましい安息だったろう。

 

 ――ここが俺の現実だ。良いことも悪いことも、嬉しいことも悲しいことも、そして罪も罰も、その全てが俺の現実。

 

 それを否定してはならない、否定してしまえば後は堕ちていくだけだった。

 ソードアート・オンラインは俺達プレイヤーの人生をとことん捻じ曲げてくれたが、それは人間性だって同じだと思う。

 時が経つに連れてオレンジギルドが雨後の筍のごとく現れたように、殺人ギルドなどというイカレタ集団を組織したPoHのように、そしてそんな連中をこの剣で切り伏せようとした俺のように――致命的なまでに人間性を歪なものへと変えてしまった。そんな人間が他人に理解を求めることこそおこがましい。

 だからこそ俺がリズに求めたのは彼女の理解と納得なんかじゃない、間違ってもそんなものを俺が望んではいけなかった。

 

「それが俺の取るべき責任だからだ」

「責任?」

「ああ、犯罪者プレイヤーを調子付かせた原因は間違いなく第一層で俺が犯したPKにある。あれのせいでプレイヤーの犯罪に対する自制が緩んだ。加えて、システムが用意した抑止力であるオレンジの烙印も、早い段階で俺が解消の手段を発見してしまった。それで一部のプレイヤーの倫理観が完全に崩壊したんだ。今現在生き残っているプレイヤーが七千人強。その内一割を超えるプレイヤーがオレンジか元オレンジなんて言われてるんだぜ、いくらなんでも異常だろう?」

 

 総人口に対する犯罪者の率がとんでもないことになっている。無論ここは現実世界とは環境が異なりすぎるし、一概に比較して良いものではないのだろうが、それでも一割を超えるというのは空恐ろしすぎる数字だ。

 

「……異常だっていうなら、こんな世界こそが異常よ。脱出不可能なデスゲームに放り込まれた人間、そのどれだけの割合が犯罪に駆り立てられるかなんてデータ、それこそ誰も持ってないんだから気にしたってしょうがないじゃない。第一オレンジプレイヤーの総数なんて噂話の類でしょ。信憑性なんてどこにもないわよ」

「そうかもしれない、そうじゃないかもしれない。でも、どちらにせよ引き金を引いたのは俺だよ。PoHの奴にはっきり言われたんだ、俺がやつらにとっての《先達》だってな。あの時、俺は何も言い返せなかった……」

 

 お前と俺は同類なのだと突きつけられて吐き気がした。冗談じゃないと思うと同時に、否定できる言葉でもなかった。どんなに言を費やしたところで、かつての俺の過ちが消えるわけではないのだから。

 

「だから……だからキリトは戦ったの? 犯罪者プレイヤーが増えたのは自分の責任だからって、それだけの理由で?」

「俺にとっては大きすぎる理由だよ。やつらと同じプレイヤーキラーとして、命を懸けて戦う義務が俺にはあった。それが犯罪者プレイヤーの手にかかった人達への、せめてもの責任の取り方だったから」

「馬鹿……!」

 

 空気を鋭く引き裂く甲高い叫びが木霊した。

 あの聖夜の対峙を思い出して自嘲に唇を歪めていた俺だったが、リズの悲鳴のような叫びに虚をつかれたように固まってしまう。いや、むしろ叫びと同時に飛び掛るような勢いでリズが迫ってきたことにこそ、驚かされたというべきか。

 気もそぞろに独白などしていたものだからまったく警戒していなかった、だからこそリズの手で容易く地面に押し倒されたのも仕方ないと言えば仕方ないのだけど……危ういことをする。下手をすればリズのカーソルがオレンジ化してしまいかねない乱暴さだったぞ。

 

 そうして俺はその場に大の字で転がり、リズはそんな俺の胸倉を掴み上げんばかりの勢いでそのままのしかかってきたのだった。

 何を、と抗議する間もなかった。する気も起きなかった。それほどリズの声は切羽詰まった余裕のないものだったし、なにより――リズの目からは大粒の涙が止めどなく溢れて零れ落ちていた。

 それだけで俺の口を封じるには十分だ。怒りと悔しさに頬を紅潮させてくしゃくしゃに顔を歪めるリズの姿に、俺は告げる言葉を持たなかったのである。

 

「キリトの馬鹿……! キリトは、キリトはあんなやつらとは違う……!」

「リズ?」

「責任なんて、そんなの嘘よ。そんなのってない。あたし、許せない。ううん、絶対許さないからね。キリトがタブーの剣を使ったことも、ラフコフ討伐隊なんてものを組織したことも、まして同じ人間のプレイヤーを斬ったことも……絶対許してなんてあげないんだからっ!」

「……ああ、それでいい。PK――人殺しなんてあっちゃいけない。許しちゃいけないんだ」

 

 それが正常だよ、リズ。

 

「違うわよ! あたしが許せないのは、どうしてキリトがそこまで責任を背負わなくちゃいけないのかってことよ! そんなになるまでキリトが追い詰められなきゃいけない理由なんてない! 誰かがやらなくちゃいけないことなら、そんなのキリトじゃなくても良いじゃない! この世界にだって大人はいるんだから、あんなワケわかんない危ない連中をキリト一人に押し付けたりしないでよ! 子供にそんなことやらせないでよ!」

 

 それはリズの慟哭そのものだった。

 リズが許せなかったのは、人を殺した俺の罪でも、責任を取ろうという独り善がりの決意でもなく、ただただ無慈悲で悲しみばかりを繰り返すこの理不尽な世界へと向けた嘆きそのものであり、それが故の叫びだった。

 

 《誰だってつらい思いを抱えて生きている、こんな世界に閉じ込められて当たり前に笑っていられるやつなんていない》。

 

 長い時間をこの世界で過ごし、アインクラッドのルールにもすっかり順応し、ついにはこの箱庭世界へ安住してしまうかのように着々と生活基盤を築いてきた。余裕も出来た。それでも不安は尽きない。

 誰だって笑顔の奥に疲弊と諦観を押し隠して日々を過ごしているのだ。リズだって例外じゃない。攻略組のサポートを選んだプレイヤーだからこそ抱える憂慮だってあるだろう。

 

 彼ら彼女らは戦闘スキルの研鑽を犠牲にしてサポートスキルを磨く。そこには必然としてゲームクリアを他者に委ねるという選択が付き纏うのだ。

 俺達攻略組は自分達の手でこのゲームを終わらせるのだというモチベーションと、日々進む攻略に手応えを得ることもできるが、職人クラスのプレイヤーにそれはない。あるいは俺達以上に、進まない攻略に苛立ち不安を募らせる夜だってあるだろう。

 現実世界を思い、自分自身の将来を憂いて悲嘆に暮れることだって――。

 誰もが理不尽を飲み込もうと四苦八苦しながら戦っている。リズの叫びは、そんなどうしようもない現実を象徴するかのような哀切極まる慨嘆が込められていた。そして、それは同時に俺を哀れんでのものだったのだろう。あるいは、リズの優しさか。

 

 リズの怒りと涙を心底ありがたいものだと思う。そして、俺には過ぎた気遣いだとも。

 この世界では子供も大人もない。剣とモンスターの前には皆が平等な一剣士に過ぎず、石と鉄の城が全ての異世界なのだ。誰もが自分の命を守るだけで精一杯な世界、それがアインクラッド。理不尽を嘆いても始まらない、俺達の生きる現実だった。

 

「……リズ。俺が、俺自身で決めたんだ。子供とか大人じゃない、この世界で生きる一人のプレイヤーとして、そしていつか現実の世界に帰ることを願う一人の人間として、今やらなきゃならないことをやっただけだ。誰のためでもない、誰かに強制されたわけでもない、どこまでも俺自身のためにやったことなんだよ。だからリズ、君がそこまで怒ってくれる必要はないんだ。――でも、ありがとな。俺のために泣いてくれて」

「だって……だってこんなのあんまりじゃない。どうしてそんな……。うぅ、キリト、キリトぉ……!」

 

 多分、リズ自身も己の内から湧き上がってきた激情を持て余していたのだろう。リズは止め処なく溢れ出る涙を拭う間もなく、俺に縋りつくように身を預けて涙に暮れていた。

 俺の胸に顔を押し付け、そのまま嗚咽を漏らして泣き伏すリズの姿はあまりに痛々しいもので、彼女にかける言葉一つ浮かばなかった。そんなに悲しむことなんてない、リズが痛みを覚える必要なんてないのに……。

 

 俺の話が原因で泣かせたというのに、そこで俺が慰めるというのもおかしな話だ。本来ならリズの親友であるアスナでも呼びに走るべきなのだろうが、生憎とそんなことをできる状況でもない。弱弱しく嗚咽を繰り返すリズをこのまま放っておくことも(はばから)れて――。

 結局わずかの躊躇いの後、そっとリズの背中に右腕をまわして規則正しく撫で、左手はあやすようにリズの髪へと優しく添えた。俺は大丈夫だ、だから何も心配いらないのだと、そうリズに伝わってくれることを祈って。

 

 本当に俺のことは心配ないんだよリズ。

 どれだけ俺の手足がぬかるんだ汚泥に捕らわれようとも、日毎に重力の頚木(くびき)が増していこうとも、俺のゲームクリアを希求する心は些かも減じていない、戦い続ける意思はこれっぽっちも折れちゃいないのだから。

 だから、何も問題は――ない。

 

 

 

 

 

 俺の弱さがリズを泣かせた。

 ラフコフ討伐の詳細なんか話すべきではなかったし、話さずに済ますことだって出来た。だというのに俺が口を割ってしまったのは、あの日の戦いで再びPKを犯してしまった罪業に、俺自身が耐えられなかったせいだ。胸の内に抱え込んだ罪悪の一端を少しでも外に吐き出してしまいたかった。そして、誰かに俺を糾弾し、裁いてほしかった。

 そんな俺の弱さと迷いが俺自身の罪を吐露し、あの戦いに無関係だったリズの涙へとつながった。

 

 一年と半年以上も前――。

 右手に握った剣が初めて人を貫き、その事実を自覚した夜、筆舌に尽くしがたい吐き気と罪悪感にのた打ち回った。もう二度と人を斬るものかと誓った。俺は第一層のPK以来後悔に後悔を重ねてきて、それなのに俺はラフコフを、PoHを捕らえるためにプレイヤー同士の殺し合いの場に臨んでしまった。必要なことなのだと自分に言い聞かせて、迷いなどないのだと必死に思い込んで。

 

 そして、俺はまたPKの罪を犯した。

 窮地の仲間を救おうと無我夢中で剣を振り回し、気づけば俺はこの手で人を斬り、その人生を終わらせてしまっていた。

 それも、二人。

 

 ラフコフ討伐戦からまだ一週間と経っていない。

 空元気など結局空元気に過ぎなかったというわけだ。クラインもエギルも、あるいはディアベルやシュミットも、俺のしたことは仕方なかったことなのだと口を揃えて言った。アインクラッドを席巻したラフコフの脅威は、もはや見過ごせるはずもない大きさにまで膨れ上がっていたのだから、と。

 

 わかってる、どうしようもなかったということくらい俺だってわかってるんだよ。自分自身で討伐隊を組織したんだ、そこで何が起こるかくらい覚悟していた。……覚悟していたつもりだった。

 

 戦いが終わっても、俺の背に日々積み重なっていく怨嗟の重みが確実に俺の心を蝕んでいく。

 俺が何より怖いのは、ラフコフ構成員を殺めた事実が、かつてのPKよりも俺に与えるダメージが格段に少なかったことだ。以前は後悔に後悔を重ねて罪科の重みに押しつぶされ、繰り返すモンスターとの戦いの中で死のうと消極的な自殺すら選んだ。

 だというのに、PKの可能性を知っていて事に当たった今回は、重苦しい罪悪に苦しみながらもどこかで割り切ることが出来てしまっていた。

 

 ……悪夢だった。この変化を俺は成長などとは思えない、悪い意味でこの世界に馴染んでしまっている自分を自覚した瞬間、サッと血の気が引いてしまったことを覚えている。きっとあの時の俺は顔を真っ青にして震えていたのだろう。

 

 だからこそ、俺のために泣いてくれたリズの気持ちが嬉しかった。それは剣とモンスターと人の悪意の力に、成すすべもなく引きずられていく俺にはあまりにもったいない優しさだったから。

 当たり前のことに怒り、嘆き、そして笑うことが出来る。そんな真っ直ぐなリズの気性は清涼そのものでとても心地良い。アスナが親友だと自慢げに話していたのも頷けるというものだ。リズにはそれだけの魅力がある。同性にとっても、そして異性にとっても。人を惹きつける輝きを放っている少女だった。

 

 そんなリズは今、俺の胸に身体を預けたまま泣きつかれて眠ってしまっていた。

 ただでさえ雪山を踏破した疲れがあり、白竜を相手に戦闘もこなしたのだ。加えて罠にはまって死を覚悟するような深い落とし穴にひもなしバンジーさせられた。最悪を重ねたように穴底から脱出する手段もなく閉じ込められた事実は、リズの精神を追い込みに追い込んでいたことだろう。そこに止めとして俺があんな話をぶちまけてしまったのだから、張り詰めた緊張の糸が切れたって全くおかしくなかった。

 

 というか、俺もわざわざリズに止めを刺すようなことをするなって話だ。わかっちゃいたが気遣いの出来ない男である。自分自身に幻滅するのも一体何度目なのやら、そろそろ飽きてきたくらいだ。

 リズの桃色の柔らかな髪に目を落とし、ゆっくりと、そして何度も指を通す。櫛でもあればいいのだが、生憎そんな気の利いたものを俺が用意しているはずもない。そもそもこの世界で櫛を使って髪を整える意味ってあるのか? いや、もしかしたら男の俺にはわからない女の世界の嗜みとかがあるのかもしれない。そんな馬鹿なことを考え、自然と微笑が浮かんだ。

 

 のんきなもんだよな、俺も。

 状況は何も変わっていないのに、今はこんなにも穏やかな気持ちで身体を横たえている。

 アイテムストレージから寝袋(シェラフザック)を用意してリズに使ってもらおうかとも考えたものの、泣き疲れて眠りに落ちてしまったリズを起こすのは忍びなかった。それに俺自身が人肌の恋しさに飢えていたのだろう、今はリズから離れたくなかった。……リズには悪いが今夜はこのままにさせてもらおう。

 不埒な真似をするつもりはないのだから、異性の胸で眠りに就いたリズにも油断があったということで納得してもらえばいいさ。……納得してもらえれない気が盛大にするけど。むしろ納得しちゃ駄目だけど。

 

 リズの手がしっかり俺の服を握っているせいで、起こさずに離れるというのも難しいのだと改めて言い訳を繰り返し、そのまま力なく目を閉ざしてしまう。リズを抱いた暖かさが心地良い。

 この世界では他人の息遣いも心臓の鼓動も碌に感じ取れず、唯一、人の生を実感できるのが温感センサー、すなわち体温の暖かさだった。俺も、そして、もしかしたらリズも、この暖かさに縋って今日という日を生きているのかもしれない。ふと、そんなことを思った。

 

 俺もいよいよ眠くなってきた、頭がぼんやりしてどうにも思考がおぼつかない。リズと同様、俺だって今日は緊張の連続だった、いつもより眠りが深くなりそうな気配にすっかり抵抗の意志も弱まってしまっていた。

 もういいや、明日リズに怒られよう、そして謝ろう。そうしようそうすべき。

 そんな言い訳にもならない言い訳を内心でつぶやいて程なく、俺の意識は睡魔に負けて暗転していった――。

 

 

 

 

 

 なぁリズ。君は俺のために怒り、泣いてくれた。本当に嬉しかったよ。でも、俺にそれを受け取る資格なんてないんだ。

 君の何故という問いに、俺は義務だとか責任だとか色々理由を付けた。もちろんそれは俺の本心だし、決して嘘なんかじゃない。

 

 でもな、俺が殺人ギルド討伐を決めた一番の理由は、俺が怖かったから、俺が奴等に恐怖したからなんだよ。この世界で出会い、心を交わした大事な人達を、殺人ギルドの連中に殺されるかと思うと怖くて恐ろしくて夜も眠れなくなった。友達の大切にしていた仲間がラフコフに殺されたのだと知って、そいつまで奴等に殺されるんじゃないかと想像してしまった時、目の前が真っ暗になったんだ。そして、心底ラフコフの連中に恐怖して――許せなくなった。

 

 だからあの冬の日、朽ちかけた教会で無謀と知りながらも怒りに任せて奴等と対峙した。奴等と暗闘を続ける中で巻き込んでしまった娘だっている。俺は何時だって感情のままに動き、その都度間違いを犯し続けてきた。贖いというのなら、一体どれだけの人達に贖う必要があるのかすらわからない。

 

 オレンジプレイヤー跋扈(ばっこ)の責任だとか、攻略の障害を除くためだとか、そんな言い訳にも似た理屈を捏ね繰り回して、必死で強くあろうと自分を取り繕ってきた。強者としての《黒の剣士》を演じ続けてきた。そうしなければ奴等に対抗できないのだと、何度も、何度も言い聞かせて。

 

 その挙句、俺はゲームクリアのためという大儀を掲げて、大儀という名の建前で攻略組の力を借りることだってしてしまった。

 俺は奴等と殺し合いになる可能性を重々承知の上で攻略組の皆に協力を頼み込み、血みどろの戦争に巻き込んだ。ソロの限界を思い知って、俺一人ではどうにもならない諦観と己の無力に胸を掻き毟りながら助けを求め、死なせたくないと願う連中まで血生臭い死闘に駆り立てた。――そして一緒に戦ってくれた仲間からも死者を出してしまった。

 

 あの男――PoHは怪物だ。PoHだけじゃない、奴等は皆、人殺しを厭うことなく剣を振るえる狂人だった。俺にはもはや奴等が尋常でない狂気を孕んで動き続ける、人の形をした化け物にしか見えなくなっていた。

 

 物語で怪物を退治するのは何時だって勇者の役目だ。けど俺は勇者になんてなれないから……だから殺人者(レッド)と渡り合うには俺自身が怪物になるしかないのだと思った。他者を殺めることすら許容してしまう外道、奴等と同じ穴の狢、唾棄すべき人でなしに。もしもラフコフメンバーの捕縛が不可能ならば、その時は俺自身の手で、と最悪を覚悟してあの戦いに臨んだ。

 

 なのにあの時、PoHの命を奪うことに恐怖した俺は怪物にすらなれなかった。恐れを知らぬ勇者にはなれず、闇深き怪物へ変ずることも出来ず、虚飾の仮面を剥いで残ったのは人殺しの罪に怯える子供だけ。……何者にもなれない無様な15歳のガキでしかなかった。

 

 プレイヤー同士の殺し合いなんて、どんなお題目を唱えたところで許されるはずがない。それでもラフコフを止めない限り、日を追う毎に犠牲者の数は増えていく。その死者の列にあいつらが加わるなんて許せるはずがなくて――。

 だから考えた。

 攻略と贖罪。義務と因縁。犯罪と抑止。倫理と殺人。仲間、約束、そして、俺自身の未来。

 考えて考えて考え抜いて、そうして俺はこの道を選んだ。選んで、踏み越えた。それは多分、踏み込んじゃいけない境界線で――。

 

 だから。だからこそ。

 

 リズ、君はこの世界を生き抜いてくれ。絶対に死ぬんじゃない。

 お前達を無事、現実世界に帰す。今の俺はそのために生きているんだから――。

 

 




 《転移結晶》に独自設定を追加。強制転移させるにはパーティーを組んだプレイヤーが対象の時のみ可能、かつ接触の必要もあり。
 《制服化》カスタマイズは独自設定です。
 また、状態異常付与の武器が対人特化、《武器破壊》が無制限ではなくソードスキル限定に変更しているのも拙作独自のものです。

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