ソードアート・キリトライン   作:シダレザクラ

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第03話 嗤う黒猫、薄氷の呼び声 (1)

 

 

 誰かにとっての常識が、別の誰かにとっての非常識になることは往々にして存在する。

 今、俺の前には、その典型例が横たわっていた。

 

「こいつ、今度盾持ちの前衛剣士にコンバートしてもらうつもりなんですけど、本人が嫌がってまして。だからその辺りの心得みたいなものを教えてもらえると助かるんです、お願いできませんか?」

 

 朗らかに笑いながらこの集団のリーダーである彼は語る。

 

「無理だってば。私、今まで後ろから槍で突っつくことしかしてこなかったんだよ? 前に出て戦うなんて出来るわけないじゃない」

 

 瞳を揺らして答える彼女の訴えは、この場の誰にも深刻に捉えられることなく虚空に消えた。

 

「平気だって。他のギルドの知り合いにも聞いたけど、盾持ちの重装甲で固めた壁戦士(タンク)が一番生存率が高いって話なんだ。怖がりのサチに一番向いてるポジションだと思う」

 

 男が勧め、女が渋る。

 そんな喜劇とも悲劇ともつかない寸劇を眺めながら思う。

 ――お前は一体何をほざきやがっているのか、と。

 そんな呆れ混じりの罵倒が思わず口に出そうになった俺はきっと悪くない。こんな頭の痛くなる会話を聞いていれば誰だってそうなる。

 あまりに緊張感のないやりとりに何度怒鳴りつけたくなったことか。しかし今、俺の目の前で起きていることは所詮他人事で、しかも昨日まで名前も知らなかった見知らぬギルド内部の話である。この場で俺は単なる客だった。であればこそ自重して、彼らの問答をぼんやりと聞き流すに任せていたのだった。真面目に聞いているとそれこそ頭痛がしてきそうだからだ。

 

 

 

 彼らはギルド《月夜の黒猫団》。

 中堅と呼ぶにはまだまだ実力不足の、構成員5名で活動する弱小ギルドの一つだ。

 彼らに出会ったのは夕暮れ間近の半ば過疎った狩場エリアでのことだった。既に最前線が30層近い現在、10層の片隅に位置する狩場エリアを訪れるプレイヤーは少ない。このエリアのモンスターは特に経験値効率が良いわけでも、レアアイテムがドロップされるわけでもなかったからだ。上手くすれば誰ともすれ違うことなく武器強化素材を目標数確保できるだろう。そう思って下層まで降りてきた。

 

 そんな時、モンスターのターゲット保持をミスったのか、対処できる限界の数を超えて誘引してしまい、半ばパニックになっている小集団を発見したのだった。このあたりの狩場に生息するモンスターは全てプレイヤーを認識次第殴りかかってくる好戦型(アクティブタイプ)で、しかもプレイヤーを察知する範囲がこの層以前よりもわずかだが広めに設定されていた。

 特徴といえばそれくらいで、ほかに厄介な攻撃や能力値を持っているわけではないため、情報不足か注意不足かのどちらかによって、モンスターの察知範囲にもろにひっかかったのだろうと思われる。

 

 今まで非好戦型(ノンアクティブタイプ)のモンスターばかりを相手にしてきたプレイヤーにままある未熟さだ。リスク管理が甘いのである。とはいえ、そのあたりはゲーム開始以来フロアボスを除けば常にソロプレイを続けてきた俺だからこそ、一層厳しい評価になってしまうのかもしれない。

 

 彼らに目を留めたのは偶然だった。しかしその戦いぶりにはすぐに眉を潜めることになった。前衛の入れ替わるスイッチ行動をほとんど取らず、かと思えば明らかにタイミングを逸した無意味な前衛の交代を図る。前衛がモンスターを引き付けておけないから戦線の維持が難しくなり、後ろへ後ろへと追いやられてしまう。

そこに加えて索敵担当がいないのか、その暇がないのか、別のモンスターの察知範囲に簡単に引っかかって敵を誘引してしまうのだった。そのうちに増え続けるモンスターの数にパニックになったのか、集団の中でも一番動きの鈍い紅一点の槍使いが、ソードスキルの発動を忘れて闇雲に武器を振り回すようになってしまった。

 リーダー格の青年も戦術眼に乏しく戦況を覆す指示を上手く出せず、出せても技術と連携が未熟なメンバーでは適切に動けず、ジリ貧のまま戦場から後退し続け、またしても別のモンスターにひっかかってしまう。絵に描いたような悪循環が形成されていたのである。

 

 右往左往し、撤退の合図も出せない惨状を見るに見かねて助太刀に入った。

 もっとも放っておいても死ぬことはなかっただろうとは思う。一度死ねばゲームオーバーとなるデスゲームでライフがぎりぎりになるまで戦闘を続けることなどない。

 ライフが50%を下回る、つまりイエローゾーンにさしかかったなら余程の事情がない限り撤退を選択するのが常識であるし、さらに減少して危険域のレッドゾーンにさしかかろうものなら、問答無用で転移結晶(テレポートクリスタル)を利用した離脱をしても文句は言われない。

 

 そういうルールが攻略組から中層、下層組にも徹底され、大抵のプレイヤーは非常手段として転移結晶を最低一つは常備するようになっていた。緊急脱出を可能にする転移結晶の出現と共にプレイヤーの生存率は劇的に改善されていたのである。

 ただしこの転移結晶、NPC店舗では売っていない非売品であり、モンスタードロップやクエスト報酬品としてしか入手できないため、希少価値はそれなりに高い。当然、プレイヤー同士の取引による流通量は多くなかった。さほど数は出回らない事情があるために、下手な装備品より高価な値をつけられることも珍しくないのである。

 

 フロアボス戦やフィールドボスのネームドモンスター遭遇戦でもない、いってみれば何の変哲もない難易度の低い狩場で貴重な転移結晶が失われるのも気の毒だ、と仏心を発揮して助けに入った。下層プレイヤーである彼らにとって転移結晶の出費は痛いはずだ。もしも俺がそんなことを考えて助けに入ったのだと知ったら、彼らは呆れるだろうか、それとも怒るだろうか。

 脛に傷を持つ身だ、どうなるにせよ助けたらトラブルになる前にさっさと立ち去るつもりだったのだが、月夜の黒猫団のメンバーは全員が諸手をあげて助っ人を働いた俺に感謝し、礼をさせてくれとまで言ってきた。あまりに真っ直ぐかつ丁寧に礼を述べられて、数瞬の間、呆然の体を晒してしまったくらいだ。

 

 正直、彼らの申し出は断ろうと思っていた。

 人と関わることが怖い。人殺しと後ろ指さされることがどうしようもなく恐ろしい。少し前にようやくカルマ解消のクエストが発生し、数ヶ月の間背負っていたオレンジカーソルを外すことができたとはいえ、それはシステム上の解消であって俺の罪が消えたわけじゃなかった。当然だ、人を殺した罪がそんなことで消えるはずがない。――消えてたまるものか……!

 第一層フロアボス戦以来、ずっと人目を避けてきた。主街区には立ち寄ることもできなかったから、自然と情報にも疎くなっていった。そのため俺の悪名がどれだけ浸透しているかなどわかったものではない。攻略組という呼び名が定着した、最前線の連中からも腫れ物を扱うような目をずっと向けられていたのだから、面識すらない他の連中の反応なんて推して知るべしだろう。

 

 自業自得の面もある。

 人殺しの罪の重荷はあまりに大きすぎて、俺はその重さにとても耐えられそうになかった。罪科の意識が食を細くし、睡眠を摂れば悪夢を見るようになった。そして起きれば脱出不可能のデスゲーム、地獄の現実だ。日々心は荒んでいき、やがて何もかもがどうでもいいとさえ思うようになった。正しく自棄になっていたのだろう。

 第二層以降、迷宮区最奥に位置するフロアボスが控える間を発見するや、攻略会議を待たずに一人で戦闘に突入するようになった。攻略組の連中と共闘するのは、俺より彼らのほうが早く迷宮区の最奥に到達した場合だけだ。幸いなのか不幸なのか、俺の持つスキルとレベルはそんな自殺紛いの戦闘ですら許してしまうものだった。

 

 何度か一人でボスを狩ることに成功した。そしてそれ以上に死にかけ、フロアボスの部屋から命からがら逃げ出す機会が増えた。討伐に成功した回数の優に三倍の数は瀕死で逃げ出していただろう。ライフゲージがイエローになれば撤退が鉄則となっているこの世界で、イエローどころかレッドに突入しても戦い続ける俺は異端も異端だった。いつかアスナを自殺志願者のようだと嗤い、力づくで改めさせたにも関わらず、気がつけば俺こそが命知らずだと罵られる立場になっていたのである。

 

 それにオレンジプレイヤーの背負うデメリットは、何も転移門や街の施設を使えないだけじゃなかった。

 プレイヤー間の連絡手段であるフレンド・メッセージにすら制限が入る。受信はともかく送信が出来なくなることが判明したのだ。あるいはオレンジプレイヤー同士やギルド仲間になら送れる制限だったのかもしれないが、残念ながら俺はギルドに所属していなかった。というか、第一層時点じゃギルド結成はシステム的にできなかったし、もしもギルドに加入していたとしてもオレンジプレイヤーなんてすぐに追い出されていただろうけど。

 そして俺の知り合いにオレンジプレイヤーはいない。自分で言うのもなんだが、オレンジプレイヤーの友人なんか欲しくもないけどさ。

 

 その一方でメッセージ受信に制限がなかったのは茅場なりの慈悲だったのだろうか。しかしそれすらあの時の俺にとっては茅場の悪意に思えたものだ。今でも茅場の思惑なんてわからないし、あんな中途半端な制限を残すくらいなら、いっそフレンド・メッセージの機能全てを禁止してくれてよかった。そのほうがまだ諦めもついた、救いもあったかもしれない。

 当時はメッセージ受信のみ可能だったせいで連日クラインから悲鳴のようなメッセージが届いていた。第一層フロアボス戦で何が起こったのかとか、今どこにいるのかとか、すぐに会いにいくから場所を送れとか、とにかくたくさんのメッセージが届いた。

 

 ――そして全てのメッセージに返事を出すことが出来なかった。

 

 システムに妨害されていたからだけではない。あまりにみじめな俺の姿を、はじまりの街から何も言わず送り出してくれたクラインに見せたくなかった。あいつに会わせる顔がなかった。自分の都合ばかりを優先した結果がこの様かと自嘲を浮かべる日々を過ごし、休息を無視してモンスターを狩り続けている時だけが全てを忘れていられた。

 攻略組の足並みを乱す俺を疎んでいるプレイヤーから、散々に罵られたこともある。それでも俺の足は止まることはなく、重苦しい心と身体を引きずって、休むことなく迷宮区に篭る日々が続いた。 幸いだったのは、オレンジプレイヤーでも利用できる辺境の町ないし村が点在していたことだろう。そういった場所を拠点に消耗品を補充できるシステムになっていなければ、俺の命は当の昔に詰んでいた。早々に現実の俺の身体の脳は蒸し焼きにされていたはずだ。

 

 けれど、そんな救済措置で戦闘自体は切り抜けられても、精神的には限界だった。

 ベータテストの経験を多少なり生かせる8層あたりまでならソロでも生き残る芽はあるのかもしれない、それでも10層を越える前に俺は死ぬことになるだろうという漠然とした予感はあったのだ。第一層でディアベルに残した言葉は俺の本心だった。近い将来俺のHPバーは消し飛び、俺の命は誰の目にも止まらない場所で、孤独な戦場の露となり散っていくのだろう、そう思っていた。

 終わりを望んでいた自分がいることも否定できない。死んで楽になりたいと思ったことは一度や二度じゃなかった。

 

 未だにあの日の夢を見る。

 この手に握った剣が人の身体を容易く貫いた悪夢。現実とは違うゲーム世界ならではの無機質な感触と、それ以上にあっけない死。なにより、あの男が最期に俺へと遺した呪詛……。血生臭い生物の終わりなど全く感じさせない世界だというのに、あの瞬間確かに両手が真っ赤に染まって見えたのは、同族殺しを禁忌とする動物的本能でも刺激されたのだろうか。

 

 俺は本当の両親の死を覚えていない。物心ついた後、人の死に触れたのは祖父の老衰くらいのもので、それも両親から報せを受けて病院に駆けつけたときには既に臨終を終えていた。まるで眠るように横たわっていた祖父の死に様に、終ぞ死の実感を感じ取ることはなかった。

 だというのに、この作り物の世界で強烈に死を叩きつけられるというのは一体どんな皮肉なのだろう。かつて感じ取れなかった人間の終わりが、このゲームの世界でこそリアルに感じ取れてしまう。そんな俺の感覚がおかしいのか、それともこの世界がおかしいのか、俺にはもうわからなかった。俺にとっての現実とゲームの境界線は、俺が他者の命を奪ってしまったあの瞬間、確かに破壊し尽くされていたのだと思う。

 

 目の前で終わりを迎えた人間の死が、はじまりの街を発って以来、ずっと現実感覚を喪失していた俺を無理やり正気に戻した。ここはゲームの中であっても、同時に現実なのだと突きつけた。そうして俺は、現実逃避を続けたままゲーム開始から一ヶ月という時間を過ごしていたのだと今更に自覚したのである。

 正気ではなかったから、俺はゲーム開始一ヶ月で出た千人を超える死者を単なる数字としか捉えられず、結果としてキバオウの義憤をこれっぽっちも理解しようとしなかった。怒り狂うあの男を他人事と冷ややかに眺め、滑稽な姿だと侮ってすらいた。一体俺は何様のつもりだったのか。

 そして死の恐怖を実感してなかったからこそ、ソロなどという何時死んでもおかしくないプレイスタイルを当たり前に選び、恐れずモンスターと戦い続けていられたのだろうと思う。

 

 PKという最悪の犯罪が、俺にこれ以上となく現実を叩き付ける劇薬となった。そしてここが現実なのだと強烈に思い知らされた時には既に俺の手は真っ赤に染まっていて、今度は罪の意識に自身の命を見切ったからこそ、モンスターを相手に怯まず戦い続けることが出来るようになった。運命の神様とやらがいるのなら、よっぽどそいつは皮肉が好きらしい。

 多分、桐ヶ谷和人の精神のままだったら開始一ヶ月で死んでいた。現実感覚を喪失したキリトだからこそ一ヶ月を生き延び、生き延びたからこそ《人殺し》の十字架を背負ってしまった。いくら思い悩もうとも起こってしまったことが変わるはずもなく、ただ後悔だけを抱えて、惰性に流されるまま剣を振るってきた。

 

 多分、俺は死んでいたんだろうと思う。あの時、彼女に出会わなければ。

 誰も近寄ろうとせず、誰も近寄らせようとしてこなかった亡霊のようなプレイヤーに、ただ一人強引に接触を図った物好きがいた。フロアボスにソロで何度も挑んでいる馬鹿に興味を持ったのだと、そう人を食ったように笑った女は名をアルゴと言った。

 見慣れないファッションアイテムであるつけ髭をチャームポイントのごとくペイントし、小柄な身体のほとんどを覆う陰気なマントを身に纏った隠者そのままな印象。気怠げな独特のイントネーションで話す口調の珍妙さもあって、物好き、変わり者という表現がこれでもかと当てはまる女だった。

 

 俺が彼女とまともに話すようになったのは、何度かまいて追いつかれての鬼ごっこを繰り返してからのことだ。索敵と隠形を中心にスキルを鍛え上げ、攻略組にも顔が広い情報屋の彼女は俺の目撃情報を集めることも難しくなかったらしい。そうして持ち前のスキルとその情報網を生かして逃げる俺を何度も補足してみせた。ついでにアルゴのステ構築は敏捷一極、俺より足が速かったせいで、一度補足されるととても逃げ切れないというおまけ付き。

 

 視界に映ったら逃げる。索敵に引っかかったら逃げる。人の口の端に彼女の名が乗れば逃げる。

 我ながらひどい対応をしたとは思うものの、負けず劣らずアルゴも無茶苦茶だった。今となっては笑い話にもなるが、あの時は真剣に逃げていたのだし、度々俺の前に現れてお節介を焼いていくアルゴを本気で疎ましく思っていた。

 冷静に考えれば俺はアルゴにストーカーをされていたのである。とはいえ客観的に見れば、アルゴはキリトという犯罪者を追う女刑事だったのかもしれない。俺がオレンジプレイヤーで、アルゴがグリーンプレイヤーだったことは確かなのだから。

 

 色々言ったし言われた。

 弱音をこぼしたし、情けない姿も見られた。

 お姉さんぶったアルゴに慰められた気恥ずかしさは黒歴史認定をしたいほど身悶えるに値する出来事だったが、そうした諸々のおかげで俺が持ち直したことも事実だった。公私にわたってというのも変な表現だろうけど、アルゴとの関係はまさしくそのものずばりだったわけで――。

 攻略組との橋渡しから情報、アイテムの売買に交換、武器防具の強化や修繕に至るまで本当にアルゴには世話になった。本人はそ知らぬ顔で「にゃハハハ、ギブアンドテイクだヨ、キー坊」なんて、ことあるごとに(うそぶ)いていたけど。間違いなく、この先ずっとアルゴには頭が上がらないんだろうなと、そう思う。

 人殺しの罪は消えず、他人の目も怖い。それでもなんとか生きていこうと思えるようになったのだ、アルゴ様様である。

 

 

 

 そうした望外の幸運に助けられ、物資不足という過酷な環境下の戦闘を常にソロでしのいで来た俺から見て、目の前で交わされる月夜の黒猫団の会話は、危機感を覚える以上に愕然とするものだった。

 もしかしてこれが最前線に生きる攻略組とそれ以外のプレイヤーが持つ意識の差異なのだろうか? 会話の焦点がピンポイントに大はずれなのに、それを誰も指摘することなく罷り通ってしまっている。恐ろしいことに彼らは自分達の言葉がいかに的外れなものなのかを欠片も理解していない。そのことをひどく危ういと思ったのだ。

 

 犯罪者の烙印とPKの罪を背負ってから五ヶ月近い時間が経過して――。

 

 人の目を恐怖する一方で人恋しさに飢えていた。そんな自身の迷走した想いに引きずられるようにして黒猫団の誘いを拒絶しきれず、お互いの無事を祝い合う賑やかな食事会に参加して、ようやく人助けの実感が伴ってきた矢先だった。安堵の思いが一転、溜息をこらえ、頭痛に頭を抱えてしまう有様に、どうしてこうなったと嘆きもしよう。

 別に月夜の黒猫団のメンバーが険悪な雰囲気になっているとかではない。むしろリアルでも同じ高校、同じ部活の仲間だと名乗った彼らの仲は全ギルド中でもトップクラスに良好なものではないだろうか。和やかな談笑が繰り広げられ、非常にアットホームな雰囲気が醸成された食卓は活気に満ちていた。助っ人の礼だと食事と飲み物が振舞われる中、当初は彼らの連帯感の強さに目を瞬かせたものだ。

 

 しかし、これは本当にどうしたものだろうか。

 手持ち無沙汰な現状を飲み物を口にすることでなんとなく誤魔化してはいたものの、そろそろ限界だろう。

 月夜の黒猫団は弱小ギルドだ。これは構わない。別に全プレイヤーが攻略組に参加しなくてはいけないはずもなし、彼らのように仲の良い友人同士で楽しく生活を送るというのも悪くないだろう。

 

 俺だって出来るなら攻略組なんかより中層以下の階層でのんびり過ごしていたいと思うことはある。命がけの最前線なんて冗談じゃないと悪態もつこう、だからと言って逃げてよいものでもなかったけれど。

 誰かがこのゲームを終わらせなければ現実世界への帰還が叶わないこと以上に、攻略に有利なスキルを幾つも発現させている俺がのうのうと後方で遊んでいるなんて許されるはずがなかった。そしてそれ以上に、最前線の死線以外に自分の居場所はないのだという、強迫観念にも似た思いが常に俺の胸の内に渦巻いていた。

 

 いや、今は俺のことはいいか。

 思わず思考を逸らしてしまうのは、ますます磨きがかかった対人コミュニケーション能力の欠陥のせいだ。あんなことがあったのだから仕方ないと自分を慰めてみたりもするのだが、結果として絶賛ソロプレイ驀進中の俺は、一日に他人との会話ゼロで剣を振り回している日常も珍しいことではなかった。

 

 アルゴやクラインは別にしても、アスナやエギルのような攻略組の幾人かのように顔を合わせればそれなりに話す相手もいる。しかし元々顔を合わせる機会自体が少ないのだからどうしようもない。それに攻略組のプレイヤーのほとんどがギルドという帰属母体を持つようになった現在、元オレンジプレイヤーかつソロプレイヤーという俺の立場ははみ出し者もいいところだった。

 そんな俺がこんな暖かな空気のなかで仲良し五人組に、それも今日会ったばかりの彼らに辛辣な意見をぶつけるとかできようはずがない。というかしたくない。

 

「あんたら戦い方下手すぎ、そのうち死ぬよ」

 

 とか言えるはずがないし、言いたくもなかった。

 でもなぁ……。

 言いづらいからといって放っておくのもどうかと思うのだ。見て見ぬフリをすれば後々問題が噴出した時には手遅れということになりかねなかった。だからといって良い伝え方も思い浮かばないのが困りものなのだが。

 まずいことに俺がここでストップをかけない限り、彼らは非常に危険な選択をしてしまうはずだ。本人らに間違った選択という自覚ないし疑いがこれっぽっちもないのだからどうしようもない。ただし、論理的な判断からではなく感情からの反発だろうけども、当事者であるサチという黒髪の少女だけは問題点を指摘しているのだ。

 前衛へのコンバートなんて無理だ、と。

 

 彼女の言葉は正しい。論理的だろうが感情的だろうが、導き出したその答えは俺の意見と同じものだった。

 一度の戦闘を見ただけの俺の評価を彼らが信用するしないはともかく、サチと紹介された女の子が前衛へのコンバートを拒否するのは極めて正しい主張なのだ。しかし残念ながら彼らのリーダーであるケイタはサチの言葉を深刻に捉えていない。このあたりはリアルでも気安い関係だというのが悪い方向で発揮されてしまっているのかもしれない。

 

 月夜の黒猫団はたった5人の弱小ギルドであり、レベルも低く装備品の質も良くない。攻略組はおろか、中層を中心とするプレイヤーのなかでも下から数えたほうが早い程度の実力しかないはずだ。下層エリアのプレイヤーとしてならそこそこマシというところだろう。そうした判断を下す程度には戦闘が下手だった。

 そんな小集団のなかでもひときわ動きの鈍いプレイヤーがサチだ。月夜の黒猫団は元々精強なプレイヤーが揃っているギルドというわけでは間違ってもないが、それでも彼女はその弱小ギルドの足すら引っ張っている。パーティーの一員としてほとんど貢献できていないのだった。そしてその事実を本人が一番わかっていることだろうと思う。生来のものなのかどうかはわからないが、言動の端々に他のメンバーに遠慮している節があった。

 

 サチは根本的に戦いに向いていない。

 攻撃、防御、回避、牽制、連携。戦いに必要な技術全てが未熟だった。なにより憂慮すべきことは、彼女にはモンスターと戦うことへの極度の怯えがあったことだ。モンスターと接触する瞬間、何度も目を閉じて身体を硬直させる場面が見受けられた。《サチは怖がり》というケイタの評は、冗談でもなんでもなく憂慮すべき事実だろう。断じて軽く流して終わりにして良い問題ではなかった。

 

 黒猫団のメンバーはそんなサチの様子に気付いていないのだろうか?

 いや、気付いていて放置するような人柄でもなさそうだ、気付いていないのだろう。だから彼女を前衛に、壁戦士(タンク)という最もモンスターと接触の多い過酷なポジションを任せようという意見が出たのだ。

 月夜の黒猫団の前衛が不足しているのは事実、役割が浮いているのがサチしかいないというのも事実、盾持ち重装甲プレイヤーの壁戦士が最も生存率が高いというのも事実、だからこそ足りない役割を今ひとつ戦力になれないサチに任せることで、ギルド全体のレベルアップを図ろうとしているのだろうと思う。それが結果的にサチの、そしてギルド全体の安全にもつながるのだとリーダーのケイタは判断した。

 

 その思惑はわかる。わかるんだが――。

 ケイタの構想は理屈の上では間違っていない。しかしそれを現実に落とし込めるかと言えば否でしかなかった。サチには前衛として壁戦士(タンク)を務めるだけの適性が圧倒的に不足しているからだ。将来的にはともかく、現時点でサチに前衛を任せようとするのは無謀以外の何者でもない。そしてその選択はサチ本人だけでなく、ギルド全体の危機につながりかねなかった。彼らは危険な選択をしようとしているのだ。

 月夜の黒猫団と知り合って数時間、一度の戦闘を見ただけの俺ですら気付けたギルドの抱える問題点に、当事者たちが誰も気付いていない。唯一気付いているのか、あるいは単純に怖いと考えている本人は、不満こそ表すが強い抗議まではしていないようだった。

 

 総じて彼らは危機感が足りないのだろうと思う。もしかしたらそれは彼らを含めた大部分のプレイヤーに共通する問題なのかもしれない。

 デスゲームが開始されて既に半年近く経った。開始当初に比べればモンスターとの戦闘で死者が出ることもほとんどなくなり、第25層で甚大な被害を出した攻略組も、戦力の再編が完了したことでここ最近は脱落者を出すことなくフロアボスを撃破できている。まず順調だといっていいだろう。

 

 だからこそ中層、下層のプレイヤーの危機感が薄くなるのも仕方ないのかもしれない。もしかしたら現時点で一番危機感と焦燥感を感じているのは攻略組ではなく、はじまりの街で外部からの救出を待つことを選んだリタイア組のプレイヤーたちの可能性もある。未だ外部、すなわち現実からの接触はない。現実世界側からの救出の気配は欠片もないのである。

 その一方でプレイヤーの技術が上がり、攻略情報も揃ってきた関係で狩りも安全に行えるようになり、日々の生活において切迫した危機感や焦燥感が鳴りを潜めるようになったと考えれば、黒猫団の面々の楽観さも理解できないわけではない。

 

 しかし、大抵こうした油断が後のしっぺ返しにつながるものだ。

 デスゲーム開始当初のベータテスターが自身の知識と腕に過信を抱いて自滅したように、戦闘に慣れてきた一般プレイヤーが同じ轍を踏まないなどとは誰も保証してくれない。事情こそ異なるが、精神的に疲労を抱え込んで集中力を切らし、何度も危機に陥った俺のような例もある。危機感の欠如は集中力の欠如にもつながりやすい。

 ほんと、どうしたものだろう。

 そんな途方に暮れていた俺の思考を引き戻したのは黒猫団リーダーのケイタだった。

 

「それでキリトさん。つかぬことをお聞きしますが、キリトさんのレベルはどれくらいでしょう? ソロで活動してるみたいですし、相当高いと予想してるんですけど」

 

 どことなく内緒話をするように潜めた声を耳にして困惑してしまう。

 レベルを尋ねる程度なら重大なマナー違反とまでは言わないが、パーティーを組んで共闘するような場合でもなければ徒に選ぶような話題ではない。これがスキル構成やステータス構築まで踏み込むようだと悪質なマナー違反になる。

 彼らはギルドメンバー紹介の際にメンバーのレベルとかギルド内の役割まで開帳していた。リーダーのケイタと前衛を務めるメイス使いがギルド内の最高レベルで18、シーフ風の短剣(ダガー)使いの男と槍使いの男が17、最も低いのが同じく槍使いのサチで15。月夜の黒猫団に前衛が不足しているという悩みも、そのときにケイタ本人が口にしていた。

 

 こうした警戒心のなさも心配の種の一つだった。大抵のプレイヤーはスキルやステータスはもとより、レベルや装備を大っぴらに公開したりはしない。気心の知れた信頼できる相手、命を預けられるパートナー相手でもなければ、自らの生命線である個人情報をやすやすと教えたりはしないものだからだ。それとも攻略組やベータテスターのほうがこうした意識では少数派なのだろうか?

 ケイタたちの無防備な情報開示姿勢が、もしも俺の歓心を得るための打算であり、演技であるなら逆に心強いくらいなんだけど……。

 俺や攻略組の多くが当たり前に抱く猜疑心とは無縁の場所にいる、ある意味純真なプレイヤー集団の存在に自然と難しい顔をしていると、遅まきながら自分の発言がマナー違反だと気付いたのか、もしくは単純に俺の気分を害したのかと勘違いしたのか、「もちろん無理には聞きません」と付け加えたケイタだった。その申し訳そうな低姿勢に知らず苦笑が漏れてしまう。

 

「ケイタ、敬語はやめよう。俺に敬語はいらないし、俺も敬語は使わない。この世界で現実の年齢どうこうもマナー違反だしさ」

 

 それが暗黙の了解でもあった。ロールプレイとはまた少し違う。

 この世界では生き残るためには誰もが剣を持って戦わねばならない。となると自然、強い者、戦闘の上手い者、集団を統率できるだけのリーダーシップを発揮できるプレイヤーが皆の頼りとされるようになる。

 かつてクラインは、この世界は現実と異なるルールで動くようになると口にしたが、まさしくその通りだ。ただそれは現実と異なるというか、より正確に言えば原始社会の価値観への回帰に近いんじゃないかと思う。要は生きるための知恵だ。年齢や見た目よりも腕っぷし。より単純な論理に支配された世界。

 偶然か必然か、誰が音頭をとったわけでもないそのルールに、暗黙のうちにプレイヤーは意識を切り替えたのである。

 

 それにしても、レベルか。俺のレベルって攻略組――というか全プレイヤー中でトップクラスの筈なんだよな。つくづくあの経験値三倍ブーストの恩恵はでかい。しかも自暴自棄になっていた時期は昼夜問わず戦闘しかしていなかった。攻略組のなかにもレベル至上主義の連中はいるが、そいつらと比較しても病気レベルの戦闘密度だったんじゃないだろうか。

 経験値ブーストのスキル情報はいまだなし。そろそろあのスキルが特殊獲得仕様の希少スキルだと認めなければならないだろう。前提条件の複雑なエクストラスキル、下手をすればたった一人のプレイヤーにしか発現されないと囁かれている、超希少であるユニークスキル扱いの可能性もある。俺の持つスキルは他のプレイヤーにとっては垂涎の的だろう。だからこそ後ろめたくもあるのだけど。発現条件がわかり、誰でも習得できるとなれば攻略も人任せにできるし、攻略スピードも飛躍することだろう。つくづく惜しい。

 

 気付けば月夜の黒猫団全員に視線を向けられていた。場も静まり返り、俺の返答を待っている状態だ。だんまりを決め込めるような空気じゃなかった。

 ……仕方ない、面倒になったら逃げよう。

 そんないつも通りの全力で後ろ向きな決意を固めた。

 

「俺のレベルは59だ。多分、攻略組でも頭一つ飛びぬけてると思うよ」

 

 もしかしたら頭二つくらい飛びぬけてるかもしれない。現在の最前線が29層。安全マージンの目安が現在階層プラス10レベルだと言われている。もう少し詳しく内情を語るならば、現在の攻略組の平均レベルが39をわずかに下回る程度で、トッププレイヤーが45に届こうかという所だった。

 《ソードアート・オンライン》の経験値獲得システムは固定制ではなく変動制だ。すなわち各モンスターの設定レベルをプレイヤーの現在レベルが上回れば上回るほど、同じモンスターから獲得できる経験値は減少してしまう。そういう仕様になっていた。

 

 現在の攻略速度を維持するのならば安全マージンは15が限界だ。もう少し攻略速度を落とすなり、あるいは装備やスキルが充実して、今よりも効率的にモンスターを狩れるようになれば20に届くようになる。そして恐らくはそこで頭打ち、それ以上の安全マージンを確保しようとするならよっぽど規格外のスキルなりが必要となる、というのが俺とアルゴ双方の見解だった。

 もちろんこれらの分析は、現在のゲーム難易度が維持される限りにおいての話である。

 

 こうした事情を踏まえれば俺のレベルがどれだけ抜きん出たものか、いっそ異常とも言えるものなのかもわかろうと言うものだ。なにせアルゴ曰くの規格外スキル持ちこそが俺なのだから。

 攻略組の連中とは個人的な親交、親密な付き合いがほとんどないため、俺の詳しいレベルやスキル情報は出回っていない。そのせいか問い詰められることも今までなかったものの、そろそろ攻略組にも俺が経験値ブースト系のスキル持ちだと疑われているのではなかろうか。レベルの差は戦力の差に直結する。フロアボス戦を共にしているプレイヤーの中では、俺の戦闘力の異常に気がついている者のほうが多いはずだ。

 とはいえ、元オレンジプレイヤーを物怖じせずに直接詰問できるプレイヤーがどれだけいるかはわからない。攻略組ではエギル、アスナ、ディアベル、ヒースクリフ。攻略組ではないがクライン。可能性のある幾人かの顔は思い浮かぶが、一人を除いて皆良識派というか人が良いのでそうそう突撃はしてこないだろう。

 《血盟騎士団(Knights of the Blood)》団長ヒースクリフ、あの気に食わない男以外は。

 

「それと俺のスタイルは盾なし片手剣だ。前衛ではあるけど前線を支える盾持ち重装甲型は専門外だから、アドバイスとかは期待しないでくれよ」

 

 俺の専門はあくまで攻撃特化仕様(ダメージディーラー)だ。壁戦士のステ振りや戦闘時の動き方については定石でしか語れない。その程度のことなら俺に聞くまでもないし、ケイタたちとてそうした最低限の知識は持ち合わせているだろう。

 戦闘スタイルまで開帳したのは彼らの好意への返礼としてだった。知ってか知らずかギルドの内情までぽんぽん話してくれた彼らへの、俺なりの誠意である。悪意ならともかく、好意に対しては誠実に対応したかった。

 

「レベル59?」

「マジ?」

「え、でもソロなんだよな。え、それで59?」

「キリト……すごいんだね」

 

 驚きすぎて固まったままのケイタを尻目に、他のギルドメンバーも目を白黒させて信じられないとばかりにつぶやく。

 ああそうだろうさ、俺だって自分のことじゃなければ信じられないよ。何度かの偶然に助けられていなければ俺はとっくに死んでる。それくらい無茶なことをしてきたし、安全度外視の戦いを繰り返してきた。大多数のプレイヤーからすればHPがイエローゾーン、レッドゾーンに突入しようが、気にせず敵を殲滅しようとするバーサーカーなんぞキチガイ沙汰でしかない。だからこその現在レベルでもあるのだけど。

 返す返すもそんな俺を諌めてくれたアルゴには感謝の念しかわかない。

 

「……そっか、キリトさえよければ僕達のギルドに入って欲しかったんだけど。さすがにそれじゃ僕達がキリトの足手纏いにしかならないな」

 

 最前線プレイヤーか。

 そう呟いて無念そうにため息をこぼすケイタだった。しかし俺はそんなことよりも、初対面のプレイヤーをギルドに迎え入れたかったのだと口にしたケイタにこそ驚いていた。

 月夜の黒猫団はその構成メンバー全員がリアルでも知り合い同士で、その上極めて親密だ。そこに助っ人に入った多少の恩人とはいえ、見も知らぬ他人をギルドに招きいれようとするのは不自然だった。前衛にコンバート予定のサチへ指導でもして欲しいのかと思っていたのだが、その程度ならギルドに迎え入れてまで頼む必要もない。戦闘面に関しての情報は攻略組でも最優先で収集されているし、更新された情報は日々発信されている。集団での役割に沿ったスキル構成や無難なステータス傾向を知るくらいたいした手間でも出費でもないのだ。

 それに教師役が欲しければ、それこそ情報屋にでも当たればいい。幾ばくかの報酬でそれなりのプレイヤーを紹介してもらえるはずだ。

 

 このアインクラッドで何が難しいと言えば、プレイヤー間の信頼関係を育むことだった。死が隣り合わせのこの世界で、命を預けあえるプレイヤーを見つけるのは相当に難しい。

 しかし現状、腕の未熟さは別として月夜の黒猫団のメンバーは十分まとまっているし、日々の生活に困窮しているわけでもなさそうだ。そこに軋轢を覚悟してまで外部から新メンバーを加える必要があるとは思えなかった。高レベルプレイヤーに寄生したいという思惑は、俺のレベルを聞いて引き下がったことから考えづらい。

 となると。

 

「なあケイタ、もしかして攻略組を目指しているのか?」

 

 現状、必要のない新メンバーの増員を図る。強硬に反対しているわけではないが、気の進まない様子のサチを熱心に戦力化しようとしている試み。俺が攻略組だと知ったケイタに見え隠れする羨望と落胆。

 そこから考え付くのは今より上にいきたいという思いだろう。中層プレイヤーに甘んじるのではなく、最前線に参加しようという狙いが見える。そのための戦力アップを考えているのだとすれば、一応の説明はつく。

 俺の感じた違和感そのままの推測だったが、それ以外には思いつかなかった。単純に俺が気に入ったからギルドに迎え入れたいとかいう妄言よりはよっぽどしっくりくる。そんな俺の言葉にケイタは最初困ったような顔で逡巡していたが、一度深呼吸してからしっかり頷きを返した。

 

「ああ、キリトの言う通りだ。いつかは最前線でゲームクリアのために戦いたいと思ってる。もちろん今のままじゃとても無理なことは理解してるよ。あくまで将来的な目標で、今のところ僕だけの考えだ」

 

 なるほど、だから他のメンバーは全員ケイタの言葉に驚いているのか。自分一人の考えだと口にした通り、相談するのはこれからだったのだろう。となると、俺が口にするのはまずかったか?

 

「キリト、攻略組の君から見て、僕達一般プレイヤーと攻略プレイヤーの差はなんだと思う?」

 

 それは好奇心からの質問というより、どこか自分の考えを確かめようとしているかのようだった。

 妙なことになったと内心でため息をつく。面倒ごとになったら逃げると決めていたが、これはこれで予想外の展開だ。

 

「一番大きいのは情報量の差かな。レベリング一つとっても効率が段違いなんだ。そして最前線ではレベルが低かったら話にならないし、有力ギルドが主催する攻略会議にだって低レベルプレイヤーは参加させない。そんなことをすれば自分達が危険だからだ」

「うん。それに加えて僕は意思の差が大きいんじゃないかって思ってる」

「意志?」

 

 そりゃあ、モンスターと戦闘するに当たって冷静な判断力を維持し続けたり、気に入らない相手だろうが戦場では命を預けあって助け合おうと協力しなきゃならない。立ち止まることの許されない過酷なレベル上げが半ば義務であることも合わせて、意志とか覚悟が大事だというのはわかるけど。

 

「そう、意思だ。もちろん情報力とか組織力の差だってあると思うよ。でも僕はなにより一番意志の力が大事だと思ってるんだ。僕らのような中層以下のプレイヤーは衣食住を賄う最低限のコルを稼ぐため、そして少しのスリルと娯楽を楽しむための安全な狩りしかしない。でも最前線に挑む攻略組は違う。共に戦う仲間のために、そしてこのアインクラッドで生活している全てのプレイヤーの解放のために、自ら危険な戦いに飛び込んでいくんだ。そういう使命感みたいなやつかな。その差はとても大きいと僕は思う」

 

 俺に語りかけるケイタの口調は穏やかではあったが、そこには隠し切れない高揚があった。自分自身の言葉に熱くなっているのだろう。そして注意深く観察すれば頬の紅潮にも気付くことが出来る。見た目は純朴な青少年といったケイタだが、その実、熱血漢なのかもしれなかった。

 しかし使命感ね。

 果たして攻略組のなかにそれほど大層な志を胸に戦っているプレイヤーなどどれだけいるものやら。

 人の心が覗けるわけもないから推測でしかないが、ケイタが口にしたような全プレイヤーの開放のために命をかけているプレイヤーなど少数派だろう。というか皆無かもしれない。大抵の連中は自分のため、自分がデスゲームから脱出するために戦っている。あるいは生粋のゲーマーみたいな連中は単純に強い装備、優越のためのレベル上げを優先している節だってある。俺自身、生き残るために効率の良いプレイを目指した結果として攻略組の末席にいただけのことだし、誰かのために戦ったことなんてなかった。ケイタの言う使命感なんてこれっぽっちも持ち合わせていないのだ。

 

 理想に燃えるケイタの思想は尊いものだろう。そんな彼が実際の最前線プレイヤーたちを知って攻略組をどう思うかに悪趣味じみた興味がないではない、というのはともかくとして。なによりケイタ自身が攻略組に参加することで、攻略プレイヤーたちの意識が変わる可能性もわずかながらあるとは思う。

 思うがしかし……。

 率直に言って、綺麗な言葉だとは思うが感銘を受けるようなものではない、というのが正直な感想である。わざわざそんなことを言ったりはしないけど。しかし俺には絵空事としか思えないケイタの言葉は、ギルドメンバーに十分感銘を与えるものだったらしい。歓声をあげてケイタの首根っこを抱えたかと思えば、「そんなことを考えてやがったのか。やるじゃねえか、この、この」と囃し立てた。他のメンバーも暖かな視線を向けたり賛意を言葉にしたりで、概ねケイタの言葉に賛成の雰囲気になっていた。

 

 これは……本気でまずいことになったか?

 お祭り騒ぎ一歩手前の一同のなかで、ただ一人暗い雰囲気を漂わせているサチがぽつんと浮かび上がっているように見えた。周囲に遠慮してか微かに笑顔を浮かべてはいても、その瞳には見間違えようもない恐怖が刻まれている。

 多分、彼女の反応こそが正常なものなのだろう。モンスターと戦うということは死ぬ可能性があるということだ。そして攻略組を目指すということはより強いモンスター、より難しい迷宮探索、撃破困難なフロアボスを相手にするということにつながる。飛躍的に危険が増すことになるわけだ。それを怖いと思う。当たり前だ。臆病であろうがなかろうが、サチの反応は至極真っ当なものでしかなかった。

 

 異常なのはむしろ他の黒猫団メンバーであり――俺のような攻略組プレイヤーの方だ。

 命の危険、死の恐怖への感覚がひどく鈍ってしまっているのだろう。それは日々繰り返される戦闘や探索がルーチンワークと化し、この世界の常識とルールに慣れてしまっている証左でもあった。現実世界での感覚を忘れてこちらに順応してしまっているとも言える。

 攻略組はそんな自分に気付いていて、その上で可能な限り安全策をとって慎重に攻略を進めている。俺とて一時期はともかく、最近は狂戦士まがいの無茶な突貫は自粛しているし、フロアボスにタイマンで挑むような馬鹿な真似はしていない。

 

 では、月夜の黒猫団はどうだろうか。

 綺麗な理想に燃えるリーダーを筆頭に、死を恐れる感覚を鈍らせてしまっているメンバー達。低いレベルに未熟な腕しか持たない彼らが、臆病なくらいの慎重さを発揮して堅実にレベル上げと装備の拡充を続けられるだろうか。

 ……難しいはずだ。そこまでの忍耐と慎重さを求めるには彼らの言動は軽すぎる。

 できるものなら天を仰いでため息を盛大につきたいところではあったが、単なる客でしかない俺がそんな不景気な真似をするわけにもいかないだろう。それに月夜の黒猫団の行く末に不安はあるが、決してその不安が的中するとは限らないのだ。単なる杞憂になる可能性だってあるのだし、すぐに最前線に戻る俺があれこれ気を回すのは余計なお節介なのかもしれない。

 

 それに他人の心配ばかりしていられるほど余裕があるわけでもなかった。生き残ることに全力を傾けることを忘れてしまえば、今度は俺のほうこそ命の憂き目にあってしまう。

 俺にできるのは彼らの無事を祈るだけだと言い聞かせて不安を紛らわせようとする、その白々しさにため息の出る思いだった。

 一頻り騒いで満足したのだろう。放置する形になった客人を思い出したのか、ケイタはわざとらしくこほんと咳払いをして場を仕切りなおそうとした。そんなリーダーを三人の男が忍び笑いでからかっている様子を半ば無視して、前後を思えば不自然極まりない、本人にとって精一杯気を引き締めた真剣な顔でケイタは口を開いた。

 

「なあキリト、君の言う通り僕達は攻略組を目指したい。そこで君にお願いがあるんだ。最前線にいる君から見て僕達はどう見えるか、どうすれば君達に追いつけるかのアドバイスが欲しい。そして、時間があるときだけでいい、僕達の手助けをしてもらえないだろうか」

「ケイタ、それは……」

「虫の良いことを言っていることはわかってる。キリトの迷惑になることを口にしてるって自覚もある。でも、今の僕らが少しでも早く最前線に追いつくためには、今のままじゃとても無理なんだ。頼む、この通りだ」

 

 そう言って深く頭を下げるケイタだった。

 ……それはそうだろう。今日、月夜の黒猫団が苦戦していた狩場は最前線から遠く離れた下層エリアの一つである。そんな場所で足踏みしているギルドの実力を一番把握しているのはリーダーであるケイタのはずだ。そして一番歯がゆく思っているのもケイタだろう。現状の改善に自分達より秀でたプレイヤー、特に実際に最前線を経験している俺のようなプレイヤーの協力は今のケイタからすれば喉から手が出るほど欲しいはずだ。

 しかしそこに俺のメリットはない。この階層にだって武器強化素材を必要としていたから来たのであって、経験値やコルの効率を考えたら論外の狩場でしかない。その程度の階層で足踏みしている弱小ギルドを最前線に通用する強豪の一角になるまで育て上げる。ケイタが言っていることはそういうことだった。

 

 確かに攻略組の戦力が増えることは喜ばしいことだ。その分だけデスゲーム脱出が早くなるし、攻略組の一員である俺にとってもメリットが生じる余地はある。

 しかし、いかんせん非効率すぎるのだ。単純に攻略組の戦力を増やしたいなら中層で頭角を現している別のギルドを支援したほうが早い。何も好き好んで弱小ギルドを育て上げることもない。そこに費やす時間と労力だって並大抵のことではなかったし、なにより自身の強化に当てる時間を犠牲にして、それだけの手間をかける価値が月夜の黒猫団にあるかと言えば否でしかなかった。

 深く頭を下げたままのケイタにどういって諦めさせるかと悩みながら、他のギルドメンバーの様子を伺う。しかしさっきまで馬鹿騒ぎをしていた男連中は揃って真剣な顔で俺の返答を待っているだけだった。助け舟は期待できない。

 

 とかくこの世はままならないことばかりだ。

 内心の嘆きを押し殺して、いっそ一刀両断の断り文句にしてやろうかと考えた時、視界の端にサチの不安そうな表情が映った。

 月夜の黒猫団のメンバーで一番レベルが低く、最も戦闘の下手な気弱げな少女。だというのに壁戦士の役割を期待され、前衛剣士へのコンバートを打診されている槍使い。最悪の事態が訪れるのなら、真っ先にこの少女に死神の鎌は振り下ろされるのだろうという嫌な予感があった。

 ……仕方ないか。嫌われ役には慣れてるもんな。

 ケイタに頭を上げさせ、覚悟を決めて答えを返すべく深く息を吸う。

 やっぱり厄介ごとになる前に逃げるべきだったな。そんな後悔も今更のものだった。

 

「ケイタ、悪いけど今の月夜の黒猫団に協力は出来ない。それと攻略組を目指したいというのなら、最低限サチのポジションを槍使いのままにすることだ。彼女に前衛なんて無謀だよ。理想を言えば、彼女は戦闘に出すべきじゃない」

 

 和やかなアットホームギルド、月夜の黒猫団が醸成する暖かな空気が一瞬にして凍りついた。

 俺の言葉が彼ら全員に浸透するのを待って続ける。彼らの受けたショックを思えば胸も痛むが、こちとら口下手で説得スキルなんてこれっぽっちも持ち合わせていないガキなのだ。彼らを冷静にさせて一人ひとり説き伏せるなんて芸当とても出来やしない。

 決闘システムを使って叩き伏せればいいとかなら、黒猫団全員を一度に相手にしたところで難なくいけるんだけどな。説得(物理)システムとか実装されてくれないだろうか。

 

「攻略組のアドバイスが欲しいって言ったよな。なら遠慮なく言わせてもらうけど、今日の戦闘を見ていた限り全員戦闘が下手すぎる。レベルどうこうじゃない、フルダイブ環境下におけるプレイヤー自身のスキルのほうだ。システムに規定されたステータス、習得したソードスキルを全く生かせていない。いつかはじまりの街付近ならソードスキルさえ使えれば困ることはないって言ったけど……上を目指すなら当然それだけじゃ足りないんだ。特に複数のモンスターを同時に相手どるノウハウが全くないように見えた。ケイタはリーダーらしくまだ周囲に気を配る余裕はあったみたいだけど、他の皆は目の前のモンスターしか見えてなかった、サチに至ってはソードスキルの発動すら忘れてたしな。今のまま上を目指そうとするのは止めてくれ、死ぬだけだ、ってのが俺の意見だよ」

 

 怒涛の連撃ならぬ容赦ない口撃である。

 もはや黒猫団メンバーの顔は蒼白だった。これだけ駄目出しすれば怒り心頭で怒鳴られそうなものだが、それ以上に辛辣な意見に言葉もないようだった。もしかしたら俺は見た目年下だし、人相だけなら軟弱者にしか見えないこともあって、ここまで悪し様に言われたことが信じられなかったのかもしれない。まあいい。黙っていてくれる分には好都合だ。

 

「サチ以外は地道に鍛えればそれなりに伸びると思う。もちろん相応の時間は必要だし、攻略組に遜色ない強さになるかどうかまではわからないけど。ただ、サチだけは今のままなら前線に立たないほうがいい。いや、立たせるべきじゃない」

「キリト、僕から求めたことだけど、それは言いすぎ……!」

 

 身を震わせるサチを気遣ったのか、未だ表情は固かったがケイタが割って入ろうとした。

 しかしそんなケイタに悪いと思いながらも右手を差し出し押さえつけるように黙らせ、改めてサチと向かい合う。槍玉に挙げられたサチは怯えたように全身を竦ませ、恐々とした目をしていた。そんなサチの弱々しげな表情を目の当たりにして胸が痛んだ。

 サチは今、何を思っているのだろう。私達のことを大して知らないくせに好き勝手言わないで、とかかな?

 

「サチ、君のポジションは中衛の槍使いだ。遠距離攻撃の手段がほぼない現状、後衛と言い換えてもいい。求められる役割は前衛のフォロー、機を見ての遊撃、詰めのソードスキル。可能なら周囲の警戒や後衛仲間の護衛あたりなわけだけど」

 

 場合によっては前衛のHPが注意域ないし危険域に落ち込んだときにスイッチし、戦線の建て直しを図ることも含まれるわけだが、それは言うまい。

 

「そうした槍使いの仕事を今の君はまったく出来ていない。そして君自身も力不足を自覚してる。ここまでで何か訂正したいこと、言い返しておきたいことはあるか?」

「……ううん、ない。全部キリトの言う通り」

 

 サチは今にも泣き出しそうな顔で頷いた。

 しかし、こうと決めて悪し様に批判なんてしてるわけなんだけど、罪悪感がマッハでやばい。女の子を責め立てて泣かす寸前とか、外聞悪い以前に俺の心が保ちそうにないんですけど。ああ、もう、今日は厄日だ……!

 

「プレイヤースキルの問題が一番わかりやすかったのがサチだから例に挙げたけど、それは多かれ少なかれ黒猫団の全員に当てはまる。ただ、その欠点はレベルや装備と一緒で、場数を踏んでいけば自然と解消されるものなんだ。得手不得手はあっても時間さえかければそれなりに習熟できる」

 

 生きてさえいれば、とは言わない。技術と安全はどうしてもトレードオフの関係になる。はじまりの街付近の雑魚ばかりを相手にしていては、どうしたって身につかないスキルだってある。システムではない、人の側の技能というやつだ。

 力押しだけ、ソードスキル一発だけでは通用しない戦局で、生き残るためにシステムと自身の経験値を組み合わせ、知恵をしぼって戦う。日常的に強力な敵との戦いに身を置く攻略組と、安全を最重要視するそれ以外のプレイヤーの間に横たわるのはキャラクターレベルや装備の差だけではない。心構え、胆力、技術、連携。意思や覚悟の差と一言で言うには無理が過ぎる。フルダイブ環境だからこそ、システム外であるプレイヤー自身のスキルがより重要になってくるのだった。そして、こればかりは一朝一夕でどうにかなる性質のものでもない。

 

「なんだよ、解決できるならそれでいいじゃねえか。なあ、そうだろ」

 

 メンバーの一人が敵愾心を思わせる様子で口を挟んだ。続けた言葉は鬱屈した空気を和ませようとしたのか、どことなく不満そうな口ぶりではあったが明るい声だった。しかし効果はさほど感じられない、重苦しい雰囲気は継続していた。

 サチは俯いたまま、ケイタは困った顔だったが、俺としてはここで舌鋒を和らげるわけにはいかない。はっきり言ってしまえばここまでが前振りだ。きついことは言ったが内容そのものは当たり前のことを言っているだけでしかない。それを冷静に受け入れられるかどうかは別問題だとも思っているけど。

 

「その通り、何も問題ないよ。プレイヤースキルの問題だけだったならわざわざサチのポジション変更を止めたりしない。モンスターと戦うことをやめろなんて言わない。第一、そこまで口出しする権利なんて俺にはないしな」

「だったらどうして」

「――このままだとサチが死ぬからだ」

 

 場が再び凍る。今度は先の比ではない、痛いほどの沈黙が場を支配した。

 正確に言えば、『サチの死ぬ可能性が非常に高い』となるが、俺はあえて断言してみせた。そうしたほうが説得力が増すし、なにより俺が本気で言っているのだと否応なく理解させられるはずだ。

 心から歓待をしてくれた上に、まがりなりにも一度ギルドに誘ってくれた相手である。危険を知りながら問題を放置するくらいなら、多少なり危険の芽を摘むために動いたっていいはずだ。その程度の良心は俺だって持ち合わせている。

 

「根本的にサチには戦いが向いてないんだ。モンスターと戦うこと、命をかけて武器を振るうことを心底怖がってる。だからこそ前衛なんて論外だし、出来ることなら戦闘メンバーから外したほうがいい。月夜の黒猫団が攻略組を目指すならなおさらだ、サチを連れて行くべきじゃない」

「いや、ちょっと待ってくれキリト。確かにサチは少し怖がりだし、まだまだ戦闘に不慣れではあるけど……」

「……だったらケイタ、サチがモンスターに攻撃するたび目をきつく閉じて、モンスターから攻撃されるたび身体を強張らせて震えていたことも、《少し》で済ませる気か?」

 

 俺の言葉にケイタはまず驚きを浮かべ、それからサチに勢いよく振り向いた。サチはそんなケイタに答える余裕もなかったのか、気弱げな表情を浮かべたままじっと俺に縋るような視線を向けてくる。否定してほしかったのか、それともこれ以上責めないでくれという無言の懇願だったのか。

 たった一度の戦闘、たった一度の観察だ。それで全てわかったなどとは言わないし、言えない。間違っている可能性もあるだろう。それこそ部外者の俺が口出しすべきことではないのかもしれない。しかしここまできたら言いたいことは言わせてもらおうと決めた。

 

「攻略済みの狩場で格下のモンスターを相手にしてるだけなら、今まで通りサチも参加すればいい。前衛にするっていうのは無謀だけど、今のポジションでならどうにか戦えるはずだ。でも、もしケイタがそれでも上を目指したいのならサチを戦闘に連れていくべきじゃない。ケイタが目指す場所は強力なモンスターがうろつき、未知のマップが広がり、凶悪なトラップが仕掛けられている、比喩でなく《何時死んでもおかしくない》場所だ。極めつけに攻略組の総力で挑んでなお死者が出るフロアボスを相手にすることにだってなる。そんな神経のすり減る過酷な戦場に、サチのような適性に乏しいプレイヤーを連れ込むべきじゃないんだ。そう、俺は思ってる」

 

 もはや言葉もなかった。

 ケイタは難しい顔で腕組みをしたまま黙りこんでいるし、サチは切なげな眼差しを俺に向けたり、時折心配そうにケイタに目をやったりしている。他のメンバーも気まずげに視線を交し合っているだけだ。

 別にサチをギルドから外せとか言ってるわけじゃないんだ。何なら生産スキルや商人スキルを主体とする後方支援プレイヤーになるって手段もある。有力ギルドの連中はそういうギルド付きの商人や職人を抱えているケースだって珍しくはないのだ。もちろん月夜の黒猫団のような少人数ギルドでは生産職のように後方支援一辺倒というのは難しいことではあるが、そういう選択肢だって取ろうと思えば取れる。

 

 その辺りも説明してみたのだが、どうも反応は鈍い。俺の意見に反対というより、情報そのものの整理が追いついていないという感じだ。

 一気に言い過ぎたか。

 予想通りと言えば予想通りに後悔しながら、頭の中で素早くこれからのことを計算する。流石にこの状態を放置してばっくれるのはまずいだろう、人として。

 

「ケイタ、この宿屋ってまだ空き部屋あるか?」

「ん? あ、ああ、確かあったはず、だけど」

 

 思考に沈んでいたケイタから心ここにあらずの頼りない返答を貰う。

 

「なら今日はこれでお開きにしよう。俺も遠慮なくずけずけ言ったせいで気まずいし、ギルドメンバーだけで話したいことだってあるだろうからさ。俺が言うのもなんだけど、これからのことはメンバー全員でよく相談したほうがいいと思う」

「……うん、そうだな。キリトの言う通りだ。僕ら全員、真剣に考えてみることにするよ。キリト、君はここに泊まっていくみたいだけど?」

「本当はすぐに最前線に戻るつもりだったんだけど、これだけ月夜の黒猫団のみんなを引っ掻き回しておいて何もしないっていうのも寝覚めが悪い。明日の昼頃まではこの宿に滞在してるから、もし必要なら声をかけてくれれば力になるよ。上の情報が欲しければロハで教えるし、他に相談したいことがあるなら出来る範囲で協力する。もちろん、何もないならないで放っておいてくれても全然構わない。それでいいかなケイタ」

 

 半ばヤケの出血大サービスである。

 しかし協力を約束しておいてなんだが、出来れば放っておいてほしいのが本心だったりする。そして何事もなく最前線に復帰したかった。

 

「いや、とても助かるよ。ありがとう」

「感謝されることじゃないと思うけどな。それじゃまた明日」

 

 簡単に挨拶を交し合って席を立つ。

 個室を借りる手続きを済ませるためにフロントを目指して歩き出したが、なんだかなし崩しに弱小ギルド、月夜の黒猫団と関わりあいになってしまったことに頭が痛くなる。彼らの歓待を断らなかったのが悪かったのか、それともわざわざ波風立たせるような辛辣な物言いをした俺の自業自得だったのか、つらつらとそんな考えないし後悔が浮かんでは消えていく。

 

 ――それにしても。

 月夜の黒猫団は俺が元オレンジプレイヤーだということに気付かなかったのか、気付いていてその上で隔意なく接してきたのか。

 グリーンカーソルに戻ったとは言え、オレンジプレイヤーだった事実まで消えていたわけではないし、元オレンジプレイヤー、元ベータテスター、さらにははじまりの街での大立ち回りと、キリトというプレイヤーには悪名の立つ要素がふんだんにあった。中層、下層のプレイヤーとほとんど交流がないことを差し引いても、俺が誰であるのか気付かれないというのは虫の良すぎる願いだと思っていたのだが……。俺の悪評はそれほど知られていないのだろうか?

 

 第一層フロアボス戦での顛末をディアベルがどのように説明したのかを俺は知らない。知ることが怖いと逃げ続けてきた。

 あるいはそれがこの先彼らとの諍いの種になるかもしれない。

 そんな漠然とした不安に眉をしかめ、やりきれない気分に自然と重い息をついた。

 この世界から脱出できる日はまだまだ遠い。か細い希望を縁に必死の想いで剣を振るう毎日。そこにきて予期せぬプレイヤーギルドとの邂逅、なし崩しの関与。前途多難そのものだった。

 

 

 

 

 

「まいったな、あれが最前線でもトップレベルを誇る《黒の剣士》キリトか」

「《黒の剣士》?」

「うん、誰が呼び始めたのかは知らないけどね。みんなも最前線をソロで活動し続ける凄腕のプレイヤーの噂くらいは聞いたことがあるだろう? 最近ではそう呼ばれているらしい。それと、はじまりの街でゲームマスターらしきアバターに突撃したプレイヤーのことは覚えてるよね、あれもキリトだよ」

 

 僕の言葉に驚き半分感心半分の表情を返す仲間達。その反応を見るに彼が黒の剣士キリトだと気付いていなかったらしい。まあそれも仕方ないか。攻略組など僕らからしたら雲の上の存在であるし、彼らが下層まで降りてくることは滅多にない。攻略組を密かに目標としていた僕以外の黒猫団メンバーが普段顔を見ることもない攻略組の情報に疎くても仕方ないだろう。

 ……想像以上の人物だった。

 はじめは同名の別人かと考えていたのだ。当たり前だ、こんな下層エリアで最前線プレイヤーを見る機会などまずないし、適正レベルに見合わない狩場で長時間モンスターを狩るのもマナー違反だった。特に高レベルプレイヤーが低レベルプレイヤー向けの階層でモンスターを乱獲するのは、狩場荒らしとして盛大に嫌われる。場合によっては非マナープレイヤーとしてバッシングを受けかねないのだ。そうした事情もあって、当初キリトと攻略組の黒の剣士は結びつかなかった。

 

 さらに言えば、出会いが鮮烈だったわけでは決してない。

 むしろとぼけたような声で助太刀を提案してきた彼からは歴戦の凄みなどまったく感じられなかった。複数のモンスターを相手取る彼を見たときも、戦い方が上手いとは思ったがそれ以上ではなかった。鎧袖一触に敵を切り捨てるわけでもなく、敵の攻撃を時にかわし、時にはじき、正確な剣戟を数度繰り返しているうちにいつのまにか戦闘は終わっていた。思い起こすとソードスキルは一度も使っていなかった。だからこそ派手だとは思わなかったのかもしれない。しかしまったく危なげのない戦い方だった。

 そんな腕の立つソロプレイヤーを見てチャンスだと思ったのだ。

 彼を引き込めれば戦力は一気に上がる、密かな目標として胸に温めていた攻略組参加が近づく。そう思って勧誘を決めた。サチの指導どうこうはあくまで話の取っ掛かり程度に過ぎなかったのである。

 

 しかし彼のレベルを聞きだしたとき、すぐにその正体に気付いた。

 安全マージンを考慮すると現在の最前線プレイヤーのレベル平均は30そこそこだろう。トップクラスでも40に届くかどうか。そんななか、キリトの口にした59というレベルは信じるのが難しいくらいぶっ飛んだレベルだった。これが彼の口にした言葉でなければまず嘘を疑ったはずだ。

 しかし嘘ではないはずだ。そんなつまらない嘘をつくようなプレイヤーではない。

 全てが始まった日。

 あのはじまりの街の大広場で誰もが絶望する中、一人敢然と茅場晶彦に剣を向けた剣士。それが彼、キリトだった。思えば僕が攻略組を目指したいと考えたのは、あの日の彼の真っ直ぐで眩しすぎる姿に憧れたからなのかもしれない。そう考えると面白い縁だなと思う。

 

「おいおい、はじまりの剣士って言えば、初のオレンジプレイヤーだろ。第一層フロアボス戦でPKをしでかしたっていう。でも、あいつのカーソルはグリーンで表示されてたぞ」

 

 そう、それもあって、僕もはじめは別人だと思ったんだ。

 

「元々オレンジからグリーンに戻すカルマ浄化クエストの存在は囁かれてたんだ。キリトの様子を見ると発見されたみたいだね。そのうち情報も出回るかもしれない」

「って、大丈夫なのかよ。そりゃ、はじまりの街のあいつがキリトだってんなら俺達一般プレイヤーの恩人には違いないけどよ、オレンジプレイヤーだったんだろ? ケイタ、お前知っててうちのギルドに誘ったのか」

「そのへんは心配いらないと思うけどね。オレンジになったのも、フロアボスの重圧に錯乱して同士討ちを始めたプレイヤーを止む無く斬ったって話だったし、そもそもキリトが悪意を持ってプレイヤーを襲うようなやつなら、とっくに攻略組の手で監獄エリアに送り込まれてるんじゃないかな」

 

 前線の情報を伝え聞く限り、オレンジプレイヤーとなりながらもキリトはずっとボス攻略戦に参加し続けたらしい。その事実はPKを間近に見ていたほかのプレイヤーから見てもキリトの行動は批判できるものじゃなかった、ということだと思う。そうでなければ今頃キリトは攻略組から弾き出されているだろう。ボス攻略に参加するなど不可能だったはずだ。そうした諸々の推測も含めて説明すると、少なくともキリトが僕らに危害を加えるような危険人物ではないということは理解してくれたらしい。

 仕方ないことでもある。PKをしたということは、つまり間接的に人を殺した、ということだ。それがいくら止むを得ないことだったと言っても、はいそうですかと流すようなことは誰にもできないだろう。

 

「サチはキリトのこと、どう思った?」

 

 だから空気を変える意味でもサチに話題を振ったのだが。

 

「サチ?」

 

 サチはすぐに僕の呼びかけには気付かなかった。ぼうっとした表情で視線の焦点もおぼつかない。二度目の呼びかけでようやく戻ってきたようだ。この世界では肉体的な意味での疲労が存在しないのだから、精神的な疲れだろうか。

 

「あ、ごめんなさい。それでケイタ、なにかな?」

 

 慌てたように居住まいを正す幼馴染の姿を見て、思わず笑みがこぼれるのを止められなかった。そんな僕の態度にサチが目で抗議するのもいつものことだ。

 

「キリトのことだよ。サチはどう思ったかな、って」

 

 実は割と緊張していた。

 あえて抽象的に投げかけたのも、キリトの推測が正しかったのだという決定的な事実を告げられるのが怖かったからなのかもしれない。

 僕とサチはずっと一緒だった。それこそこのゲームに囚われる前から、幼馴染として長い間同じ時間を過ごしてきた。だというのに、僕はサチがモンスターと戦うことにずっと怯えていたのだと気付かなかった。いや、サチの恐怖をいつもの怖がりなのだと考えて真剣に捉えていなかったのだ。

 だけど、キリトは一目でサチの内心に気付き、指摘した。そのせいだろうな、ひどく情けない気持ちでサチに向かい合っている。

 

「すごい人だなって思うよ。少し戦ってるところを見ただけであんなに色々気付いちゃうんだもん。それに強いだけじゃない、とっても優しい人だと思う。今日会ったばかりなのに、私の、ううん、私達の心配までしてくれてる。きついこともたくさん言われたけど、それも全部私達のことを心配して言ってくれたんだと思う」

 

 抽象的な問いかけだった分、キリトの信頼性がどうこうの感想ではなかった。そもそもサチにとってはそんな議論自体不要なものだったのかもしれない。言葉を聞くまでもなくキリトに好意的であることがわかる。さらにいえば、心なしかいつもよりサチの声に力がこもっていたように聞こえたくらいだ。

 今日、キリトに僕達のなかで一番扱き下ろされたのはサチだった。戦いに向いてない、上を目指すなら戦闘から降りて後方支援に努めろ、と散々に叩かれていたのだ。だというのにサチに落ち込んだ様子は見られない。むしろ昨日までのサチよりもずっと伸び伸びとしているように見える。愁眉が晴れたという感じだった。

 やっぱり、か。

 半ば予想していたことだが、サチのその姿に確信を得た。

 

「なあサチ。キリトの言ったことだけどさ、サチが震えるほど戦いを怖がってるっていうのは本当なのか」

 

 恐る恐る問いかける。

 サチはすぐには答えなかった。僕達に遠慮しているのか、しばらく迷ったように視線を手元に落としては上げ、という動作を繰り返してから、やがて小さく「うん」と肯定して続けた。

 

「モンスターと向き合うたび、槍を握って振り回すたび、怖くて震えてる自分がいるのがわかるの。黒猫団のみんなと一緒にいられるのは嬉しいけど、街の外に出るのはいつだって恐ろしかった。夜、一人でいるとどうしようもなく不安で胸が張り裂けそうだった。できることなら、はじまりの街を出たくなんてなかった。……ごめんね、ケイタ。臆病な私で本当にごめんなさい」

 

 知らなかった。気付かなかった。サチがこんなにも苦しんでいることに僕は気付こうとすらしなかった。現実でも控えめなサチだったから、言いたいことの半分も言えないその性格をよく知っている僕がもっと慮るべきだったのかもしれない。

 はじまりの街を出て狩りをしようと決めたのは僕だが、他のメンバーから反対が出ることはなかった。よくよく考えてみればサチに言い出せるはずがなかったのだ、はじまりの街を出たくないなどということは。

 もとよりサチ以外の全員が冒険に賛成していた。最悪の場合は一人はじまりの街に残されてしまうという想像もしたはずだ、そんな状況でサチが反対に回れるはずもない。

 

 ……僕はずっとサチに無理を強いてきたのか。

 苦い思いを噛み締めるように手で顔を覆う。

 サチに申し訳ないと思う自分がいる。情けないやつだと自分自身を罵倒する声も聞こえる。そして身勝手なやつだと嘲笑う自分自身すらいた。

 サチのことを思えばキリトの言う通り、攻略組を目指すことなんて考えずに下層に留まるべきなのだろう。時間さえかければ中層プレイヤーくらいまでは手が届くのかもしれない。キリト自身、僕らの未熟な腕は時間が解決してくれると口にしていた。しかしそれではキリトのいる最前線にはいつまで経っても追いつけない、いつかを夢見ているだけで、決して届かなくなってしまうことは間違いなかった。

 キリトという最高クラスのトッププレイヤーと知り合えたことは慮外の幸運なのだ。この機会をどうしても無駄にはしたくない。そう思ってしまう僕はサチの幼馴染失格なのかもしれない。サチの安全よりも上を目指すという僕自身の夢を選びたい、優先したいと考えてしまっている。

 

「ごめん、サチ。気付いてやれなくてすまなかった」

「ううん、ケイタが悪いんじゃないよ。悪いのは臆病な私なんだから、謝るのは私のほう」

「いや、それでも僕は謝らなくちゃいけないと思うんだ。これまでのこと、そしてこれからのこと……」

「これから?」

「うん。キリトには止められたけど、それでも僕は上を目指したい、攻略組に追いつきたいんだ」

 

 僕の言葉にサチの表情が曇る。その目には隠しきれない怯えがあった。

 キリトの言った通り、確かに注意深く観察すればサチの様子にも気付けるし、気付けたはずだった。元来サチは隠し事の上手くない女の子だった。考えてみれば当たり前か。

 

「もちろんサチにこれ以上無茶をさせる気はないよ。キリトの助言を有り難く貰っておこうと思う。サチには戦闘以外の補助スキル、生産とか鍛冶にシフトしてもらって僕達の攻略の手助けをしてもらえたらなって思ってる。サチは人見知りだから商人スキルとかよりは向いてると思うしね。サチはそれでいいかな?」

「う、うん。それならなんとかなる、かな?」

 

 冗談ぽく続けた僕に自信のない返事とぎこちない表情でサチは頷く。自信がないというよりは罪悪感と安堵が半々で複雑なのだろう。それに月夜の黒猫団はずっと一緒にやってきた。そこから一人距離を置くことになる不安と後ろめたさもあるのかもしれない。

 

「どうするにせよ、コルを稼ぐためには最低限狩りには出なくちゃいけないしね。元々荒事は僕達男の仕事なわけだし、サチはあんまり気にする必要はないよ。な、そうだろみんな」

 

 他のメンバーに話を振ればすぐに肯定を返してくれた。

 その様子にほっとした様子のサチを尻目に、これからのことを考える。キリトは相談に乗るとは言ったが、明日の昼には最前線に戻るつもりでいるはずだ。元々僕らが攻略組を目指すことには否定的だったということもあるし、キリトが僕らのために骨を折ってくれる理由もない。相談に乗ってくれるだけでも本来は破格だった。

 それでもこの縁は無駄にしたくない。どうにかならないものだろうか。

 ギルドに入ってくれと誘っても無理だろう。キリトにメリットが一つもない。

 それなら――。

 

「とりあえずこんなところかな。それじゃサチ。キリトに明日の朝食の時間と僕らが食事を一緒に取りたいこと、その後相談があるって伝えてきてもらえないかな。そしたら今日はもう休んでくれて構わないからさ。僕らは明日からの方針をもう少し話し合ってから休むことにするよ」

「ん、わかった」

 

 おやすみなさい、と丁寧に告げてサチが部屋を出て行こうとする。

 

「ああ、一応キリトにサチが戦闘から外れることも伝えておいたほうが良いかもしれないな。随分サチのこと心配してたみたいだし」

「もう、からかわないでよね、ケイタの意地悪。みんなも知らないから」

 

 扉を出る寸前、ことさら明るい声でサチの背中に投げかけた。僕の言葉をからかい混じりの揶揄と受け取ったサチが怒ったような声で反論したが、感情表現が隠せず表情に出やすいこの世界では羞恥に染めた頬の鮮やかさを隠せようはずもない。そんなサチの初々しい様子に他の連中も口笛を吹いたり暖かい視線を送ったりとさらにからかい倒されたサチは、一言抗議してから逃げるように扉を開けて立ち去った。

 そんな一連の出来事を一服の清涼剤にしたように部屋に和やかな空気が戻る。

 サチには悪いが十分効果があったようだ。

 

「さてと。それじゃあみんな、サチにも言ったけどこれからのことを相談したい。聞いての通り僕は攻略組に参加することを目標にギルドを運営したいんだ。もちろん強制じゃないよ。サチのようにモンスターと戦うのが怖いなら後方支援に回ってもらうし、最前線を目指すことに反対なら遠慮せず言って欲しい」

 

 僕の言葉に顔を見合わせ、目で何かを確認し合って頷く三人。もっとも、返答は予想できる。

 

「俺達もさっき言った通り、ケイタの意見に賛成だぜ」

「同じく。元々、そろそろ次のステップに進む機会だって納得して階層を上がってきたわけだし」

「反対する気はないぞ」

 

 その通りだ。はじまりの街周辺で満足できていたのなら僕達は元々こんなところまで来ていない。命を賭けたゲームの世界に閉じ込められて、外からの助けを待つだけじゃなく、僕達自身にも出来ることがあるはずだと思い立って攻略に参加することを決めた。

 もちろん熟練のプレイヤー達にはまだまだ及ばないことはわかっていたが、生活のためだけの狩りに満足していないのは僕だけの思いではなかった。今回明らかになったサチの事情を別にすれば、他のメンバーは多かれ少なかれ現状に不満があった。だからこそ僕の目標にすぐに賛同してくれたのだろう。

 

「ありがとう。それじゃ明日からの具体的な方針を立てよう。サチが抜けるのは痛いけど、それで立ち行かなくなるわけじゃない。キリトみたいなソロで活動してるプレイヤーだっているわけだから、今のメンバーでも攻略組を目指すことは不可能じゃないはずなんだ」

「それはそうだけど、ギルドとしての戦力を考えた場合前衛が一人というのはやっぱり安定しないことに変わりはないだろ? それでなくてもうちのギルドは攻守に安定感のある片手剣士がいないんだから。そのあたりはどうしようか?」

「あ~、ケイタがキリトのやつを誘ったのってそれもあるのか。確かにうちのギルドは武器が打撃属性と貫通属性に偏ってるよな」

「かといって慣れ親しんだ武器と役割だ、せっかく育ててきたスキルを変更してまで変えるとなると」

 

 うーん、と全員で考え込む。

 元々サチのコンバートは槍使いが被っていることと、片手剣使いの不在、前衛の不足のもろもろを解決するための一手だった。

 成長の遅かったサチなら武器変更をしても全体に与える影響は少ないという目論見もあった。

 しかしこれからはサチ抜きで戦闘を考える必要がある、それも効率の良いレベル上げまで踏まえてだ。

 

「どこのギルドにも所属してないソロプレイヤーを探してみるか? 上を目指す以上戦力の補充は必須だろう?」

「信用できねえやつを迎え入れるのはごめんだぜ。俺は出来れば今のメンバーのまま上を目指したいな。一時的に他のギルドと協力とかできないのかケイタ?」

「難しいな。うちは元々共同作戦とかしたことがない。他のギルドから助っ人を貸してもらうにしても、思い当たる知り合いはいないし」

「やっぱそうか。そうなると結局キリトのやつに戻ってくるんだよなあ。信用のおけるソロプレイヤーかぁ。ケイタ、お前色々考えてるんだな」

 

 それは褒め言葉だったがあまり嬉しくなかった。僕も手詰まりなことに変わりはない。

 

「新規メンバーに反対するわりにはキリトのことを認めてるんだな」

「そりゃ、噂で聞くのと実物を見るとじゃ印象は別になるさ。サチも言ってたように、俺らの戦いを一回見ただけであれだけ言えるんだから相当な腕なんだろうしな。それに初対面のサチをあんだけ心配してる姿を見ちまうと、無駄に反発してる自分が馬鹿馬鹿しくなった」

 

 おどけたように肩を竦めるコミカルな動作に他のメンバーからも小さな笑い声が響く。いささかわざとらしくはあるが、ムードメーカーの面目躍如といったところだろう。

 

「ケイタ、良かったのか?」

 

 不意に真剣な声で問いかけられて目を白黒させる。

 

「よかったって、何が?」

「サチのことだよ。まだまだ憧れ程度だろうけど、キリトのやつに惹かれ始めてるのはお前だってわかってるはずだ。なのにどうしてサチをわざわざ一人でキリトの部屋に行かせたんだ。お前はサチのことを憎からず思ってるはずだろ?」

 

 このあたり遠慮のない友人関係というのは厄介なものだと思う。サチに伝わっていないことが幸運なのか不運なのか、どうもメンバー全員が面白半分お節介半分で僕とサチの仲の進展を期待している節がある。ありがたいことではあるのだろうが、こういうことは大抵当人にとっては有り難迷惑だったりするのが難しいところなのだった。

 

「そりゃあ、サチにしても自分のことをあれだけわかってくれる異性が相手なら好意の一つ二つ抱くだろうさ。男として悔しいと思う気持ちもあるけど、サチの事情を考えると今はキリトの傍にいるほうがいいんじゃないかと思ったんだ」

「……冷静なんだな」

「幼馴染のことなんだ、サチがどういう女の子なのかはよくわかってる。こんな異常な環境に放り込まれてたくましく生きていけるようなやつじゃない、あいつはもう精神的に限界だったはずなんだ。そんなサチに気付いてやれなかった僕が言うことじゃないかもしれないけどね。少なくとも今のサチは僕ら黒猫団よりキリトを心の支えにしたいと感じてるんじゃないかな。もちろん無意識にだろうけどさ」

「あー、確かにサチにとっちゃ強くて優しくて頼りになる、しかも顔も良い王子様になるのか。ライバルは強力だな、ケイタ」

 

 けらけらと笑う姿からは毒気が全く感じられないのが幸いだ。これが悪意からのものなら遠慮なくぶん殴っている。

 

「からかうなよな、これでも結構気にしてるんだ。まあそれはともかく、僕達が目標に近づくためには是非ともキリトの力を借りたいっていうのが正直なところかな」

「信用の置けるプレイヤーではあるし、腕も確かなことは間違いないからな。しかしレベル59か、未だに信じられんな」

 

 ため息混じりの感嘆には心底同意する。嘘ではないだろうと思っても、レベル20に届かない僕らからしてみると文字通り雲の上の数字だった。

 

「けどまあ、キリトのやつ言ってることはきついけど、割とお人よしっぽいしなあ。案外全員で頭下げれば力貸してくれるかも。ここは土下座の一つでもして泣き落としてみるか?」

 

 月夜の黒猫団総出で土下座行脚か。なんとも珍妙な光景を想像して噴き出した。

 

「効果的かもしれないけどやめておこうか。幸い相談には乗ってくれるって言ってるんだから、僕達の習得スキルやスキル熟練度をキリトに話して、僕らのレベルに丁度いい効率的な狩場を紹介してもらおうと思ってるんだ。後はフレンド登録かな。ギルド勧誘は無理でもこの先キリトの助けを借りることが出来れば攻略組にもぐっと近づく。僕が考えてるのはこのくらいだけど、みんなはどうかな」

 

 それぞれが表情を改めて頷く。

 特に反対されることなく賛成してもらえてほっとした。あとは明日キリトに当面の方針とこれからのお願いを相談すればいい。

 ただ、問題はキリトへのお礼なり恩返しなりの方法がまるっきり思い浮かばないことだ。最前線のプレイヤーに下層エリアで手に入るようなコルやアイテムを贈ったところで喜ばれるとは思えない。かと言ってキリトの手伝いを出来るほど僕らは強くないわけで。

 予期せぬ激動の一日は終わったが、新たな難問にベッドのなかで頭を痛めることになりそうだった。

 

 

 

 

 

 昨夜の黒猫団への駄目出しから明けて翌日。

 久方ぶりにまともなベッドで休んだせいか身体の調子が良い。

 この世界では純粋な意味での肉体的疲労は存在しないため、精神的な疲れだったのだろうが、やはり街中の宿という安全地帯で休息を取るのは大事だと再認識する。半ば命を見切って過ごす時間が長かったせいか、街できっちり睡眠を取るという意識が希薄になって久しい。

 その一方で睡眠時間を長く取るくらいならその分狩りに時間を費やすべきだと考える自分がいるあたり、どうにも救いようがない人間なのだと自嘲する。それが重度のネットゲーマーゆえなのか、あるいは人殺しの罪科を忘れるために生死の狭間である戦闘に没頭したいのか、どんな理由にせよろくでもないものでしかあるまい。

 とっくの昔に桐ヶ谷和人という善良な一般市民はいなくなり、ここにいるのは薄汚い獣のような剣士キリトでしかなかった。

 

 ……駄目だな。安全な場所で、無為の思索が許される時間を過ごしていると、どうも思考が内に内にこもってしまう。こんなだからアルゴにもクラインにも心配ばかりかけるんだ。まったく進歩しない。

 一度頭を振って鬱々とした思考を振り切り、部屋を出る。その際にいつもの癖で完全武装を始めようとする自分に気付いて一人赤面したことはご愛嬌だ。装備を解除し、安全の保証される街中だからこそできる簡素な部屋着のみ身に着けて食堂に向かう。

 ケイタは昨日の俺の話を聞いてサチを前線から遠ざけ、後方支援に専念してもらうことを口にしたらしい。その上で攻略組を目指したい、とも。それらのギルドとしての方針を携えて俺の部屋を訪ねてきたサチは、安堵と罪悪感が半々の表情をしていた。これ以上命を賭けた戦闘をしなくて良いという思いと、一人戦闘から逃げ出してしまう後ろめたさからのものだったのだろう、サチの顔はひどく複雑な色合いを帯びていた。

 柄じゃないと思いながらもしばらくサチと雑談を交わし、沈みがちな彼女を時に宥めるように言葉を紡いだのは、あまりに弱弱しい様子に放っておけないと思ったからだろうか。

 

 いつかアルゴに言われたことがある。

 こんな異常な世界に放り出されて、当たり前に笑っていられるヤツなんていない。俺がつらいと思っているように、誰もが泣きたい気持ちをこらえて戦っているのだ、と。そして、続けてこうも言ったのだ。

 

「もしキー坊を頼ってくるやつがいたら助けになってやりなヨ。キー坊は他人と関わるのが怖いんだろうけどサ、せめて相手から求められた時くらいは応えてやってほしいナ。お人よしになれとは言わなイ。でも、人でなしになったらオネーサン許さないゾ!」

 

 そう言われて、それでも人目を避けるようにソロで活動を続けてきて、思いがけず小さな、しかし暖かなギルドと出会った。

 長居をする気はないし、これ以上深い関係を築く気もないが、それでも悪くないと思えた。彼らの危なっかしさに頭を痛めてはいても、それはそれ、これはこれというやつだろうか。一晩ぐっすり寝たおかげか妙に余裕が出来ているようだった。

 迷宮区に潜り続ける殺伐とした生活で余裕ができるわけもないか。

 

 自嘲か呆れによって小さく笑みを浮かべ、しかし今は一人ではないということに遅れて思い当たる。やばい、骨の髄までソロプレイヤーになっているのかもしれない。幸いというべきか、朝食の席に同席するサチは眠たそうに目をこすっていてこちらに注意を向けてはいない。

 昨夜、思いのほか談笑時間が延びて夜更かししたせいか寝不足なのかもしれない。この世界で寝不足というのもおかしな話だが、生活の習慣が崩れたりすると寝起きが悪くなったりするから不思議だ。このあたり現実に準じた反応であることはわかるにしても無駄に細かい仕様である。

 

 他のメンバーはまだ集合していなかった。約束した時間はそろそろのはずだが、と首を傾げる。

 彼らは揃って寝坊だろうか? この世界では起床時間をシステムによってきっちり設定できるのだ、寝過ごすというのはありえないことなのだけど。それとも何か買出しにでも行ったのだろうか?

 そんなことをつらつらと考えていた時、少しばかり乱暴に食堂に通じる扉が開かれた。先頭にケイタ、後ろに残りのメンバーも揃っている。扉が乱雑に開け放たれた反動で穏やかならぬ音がのどかな朝の空気をかき乱し、今にも船を漕ぎ出しそうだったサチがびっくりした顔で目を瞬かせていた。慌しく部屋に飛び込んできた彼らの様子に苦笑を浮かべ、「おはよう」と声をかけようとして――尋常でなく青褪めた彼らの顔色にようやく気づいた。

 

「大変だ、サチ、キリト! 圏内――それも宿の個室でPKされる事件が起きたって……!」

 

 底知れぬ人の悪意が、まざまざと噴き出そうとしていた。

 

 




 オレンジプレイヤーのペナルティとして、フレンド・メッセージに制限が入るのは拙作独自の設定です。

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