エフイーターがロドスに入る前のお話

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鉄喰らう獣の懐古談

 暗闇を駆け抜ける影。エフイーターは何かから逃げるように路地を走り、突き当りの家へと飛び入る。

 真っ暗な部屋が、突然の暖色の照明に照らされる。丁寧に配置された家具の一つ、そのソファに腰掛けていた人物が立ち上がる。

 

「待ってたよ」

 

「通してくれない?」

 

「それはできない相談ってもんだよ。私がここに立っている限りはね」

 

 壁の方へと歩き、立て掛けてある槍を手にとって構える。

 

「まったく、結局はコレしかないか!」

 

 エフイーターは残念そうに、しかしどこか嬉しそうに拳を構える。

 

 

 

 

 先に動き出した相手は、殺意を乗せてまっすぐに槍を突き出す。それをわずかに半身をずらして避けると、エフイーターは一歩近づく。あて先を失った槍は、それも想定内かのように一瞬で元の位置へと戻り、空を切り裂きながら二撃目となりエフイーターを捉える。

 エフイーターは槍を避けつつ、椅子へと手を伸ばす。

 

「うおあああああ!」

 

 槍が引かれるよりも早く、椅子で叩き落とす。そして今度は、無手の相手に対して椅子を持ったエフイーターが襲いかかる。

 

 振り回された椅子を、ソファの後ろに潜り込むことで避ける。追うようにソファの背もたれに駆け上ったエフイーターに、飛びかかって椅子を手放させる。

 マウントポジションをとられたエフイーターだが、相手の拳を防ぐ。一瞬の隙をついて相手の顎を突き、よろめいたところで体勢を立て直す。

 一度距離をとって、二人とも立ち上がって構え直す。激戦の疲れすら感じさせない二人だったが、エフイーターは相手の体がブレたのを見逃さなかった。

 

 この一撃で決める。

 

 その強い意思を込めて一歩を踏み出す。二歩目は奇妙なほど静かに、そして三歩目、拳の届く距離で——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カットォ!」

 

 その言葉で相手が倒れた。エフイーターは慌てて駆け寄る。顎に綺麗に入ったからだろうか、軽い脳震盪のようだった。

 

「大丈夫!?はやく救護班!」

 

 いつものように控えていた救護スタッフが、的確に応急処置をしていく。意識を取り戻すのに、それほど時間はかからなかった。

 

「ごめん!」

 

「まったく……私じゃなかったら死んでたよ」

 

「ついつい力が入っちゃってさ~」

 

「ついで殺されたら三途の川も見られないよ」

 

「こんどお酒奢るからさ!」

 

「ったく、そんな餌で釣られ——」

 

「美味しいお刺身もつけちゃう!」

 

「……仕方ないなあ」

 

 二人が笑い合ってると、監督が駆け寄ってくる。

 

「まったくおまえらは加減を知れ」

 

「でもいい画が撮れたでしょ?」

 

「まあ、その点に関してはな」

 

 爛漫に笑うエフイーターに、監督は頭を掻く。

 

「おまえの拳についていけるのはこいつくらいなんだ、潰さないでくれよ」

 

「この程度じゃなんともない。ほら早く次のシーンを」

 

「バカモン、今日はもう終いだ。次は……期間が開くな、来週だ」

 

 監督はぺろっと指をなめて、スケジュール帳をめくる。

 

「ああ、それと」

 

 監督はエフイーターに封筒を渡す。

 

「お前宛に届いてたぞ」

 

「ん?なんだろ」

 

 封筒を受け取り、差出人を見る。顔が、ピクリと動いた。

 

「なんだったの?」

 

「いや、なんでも。それよりいつ呑みにいく?」

 

「明日は?」

 

「明日は~予定が入っちゃってるわ。明後日でいい?」

 

「うん、私はいいけど」

 

「それじゃあたしはこれで!お疲れ様~!」

 

 スタッフ全員に適当に声かけてから、エフイーターはスタジオから出ていった。

 

「大丈夫かおまえ」

 

「監督……、実際ヤバかったです」

 

「だろうな」

 

 監督は咥えていた飴を噛み砕く。

 

「あいつは……おまえがコントロールしてやってくれよ」

 

「突然何ですか」

 

「あいつにとっておまえが、唯一加減せずに立ち回ってくれる相手なんだ。だから白熱したら今日みたいに我を忘れるかもしれねえ」

 

 その実、顎に喰らうという立ち回りはしないというのが決まりだった。でないと、相手が本当に潰れてしまうからだ。しかし、エフイーターは今日、その禁忌を破った。

 そんな大事なことですら忘れてしまうほど、夢中になってしまっていた。

 

「監督の止めが入らなきゃ、今日が私の命日だったかもしれませんねぇ」

 

「……、めったなことは言うもんじゃない」

 

 監督はさらさらと何かを記し、渡す。

 

「知り合いの病院だ。いちおう見てもらえ」

 

「は~い」

 

 気の抜けた返事をしながら、荷物をまとめて帰る準備をする。

 

「ん……これは?」

 

 自分のものではないゴミが入り込んでいた。広げてみれば、どこかの企業のチラシであった。

 

「ロドスアイランド……、ふーん」

 

 見覚えのない製薬会社のチラシなど、まさにゴミだった。ゴミ箱へと投げ捨てると、自分の荷物だけもってスタジオから出た。

 

 

=*=*=*=*=

 

 

「遅い……」

 

 苛立ちを隠しきれず、トントンと机を指で叩く。仕方もない。撮影が、未だに始まらないのである。

 あれから一週間。呑みの約束をすっぽかしたのはどうういう了見なのか問い詰めようときた撮影日、未だに彼女が現れる気配はない。

 

「監督?」

 

「ああ、もう少し待ってくれ」

 

 スタッフはなにやら慌ただしく動き回る。監督も先程から電話をかけまくっては連絡先にばつ印をつけていっている。

 

「ったく、あいつはいったい何してんの」

 

 発信履歴に並ぶ同じ番号を見る。ここ一週間、何度かけても不通のままだった。

 

「監督?」

 

「……、ダメだな」

 

「どういうことですか」

 

「わからん、電話も不通、家にもいないようだ。ダメ元で親戚に連絡しても情報なし」

 

「じゃあなんすか、逃げたってことですか」

 

 監督は答えなかった。いや、答えるわけがなかった。エフイーターが、撮影が嫌だから逃げるとは考えられなかった。

 

「明日までに見つからなかったら警察機関に届け出る」

 

「そんな!じゃあこの映画は」

 

「おじゃんだ。どちらにせよな」

 

 監督のその言葉を聞いて、乱暴に荷物をまとめ始める。

 

「どこに行くつもりだ」

 

「私のほうでツテをさぐってみます」

 

 できれば使いたくはなかった手である。しかし、エフイーターがいなければこの映画は成立しない。

 

「私だって、この映画に賭けているんだから」

 

 エフイーターがこの映画で賞を狙っていることは、周知の事実だった。しかし、映画は一人では成り立たない。人生を賭けてこの撮影に臨んでいる者だっているのだ。

 

 

=*=*=*=*=

 

 

「それで、私のところに来たってわけか」

 

「姐さんくらいしか、私には頼りがないもんですから」

 

 長身の女性に、土下座してまでも頼み込む姿は、画面の向こうで悪役を演じている者の所作ではなかった。

 しかし、これが唯一にして最後の一手だった。

 

「残念ながら……、情報はない」

 

「そう……ですか」

 

「力になれなくてすまない」

 

「そんな、姐さんが頭を下げる必要なんてないですよ」

 

 立ち上がって土埃を払う。踵を返したところで、引き止めるように声がかかる。

 

「戻ってくる気はないのか」

 

「言葉にしなきゃいけないですか」

 

「いや、いらんことを聞いたな」

 

 振り返って深々と礼をし、そして出口へと向かっていく。

 

「灯台下暗しって言葉がある。案外近場にいるかもな」

 

 扉を閉じる前に、それだけ聞こえる。何もなかった手がかりだったが、一つ心当たりができた。

 

 

=*=*=*=*=

 

 

「灯台下暗し……か」

 

 撮影セットの中を歩く。もう日は沈み、スタッフもいないスタジオは照明がなければ真っ暗である。

 開け離れた入り口から差し込む月明かりを頼りに、セットの中を練り歩く。

 

「さすがは姐さんだ」

 

「どうしてここがわかったの?」

 

 映画の最終決戦のための舞台の上に、エフイーターはいた。撮影のときとは逆に、肌をまったく晒していない。わざと隠してるようにも見えた。

 

「なんとなくここにいるんじゃないかって」

 

 警備員には無理を言って通してもらっていた。だからそこまで時間はない。

 

 スッと拳を構えると、エフイーターは静かに首を横に振った。

 

「……?どうして?」

 

「あたしはもう無理。あんたとは戦えない」

 

 出鼻をくじかれたといった気分だった。拳で打ちのめして、それからまたいつもどおりだと思っていたからだ。

 

「いいから構えてよ」

 

「無理だって言ってるじゃん」

 

 そう言って、エフイーターはズボンの裾をまくる。出てきた右足首には、明らかに自然ではない痕跡が刻み込まれていた。

 

「……鉱石病」

 

「そう。だからあんたと組み手はもうできない。はは、スターになるのも無理かな」

 

 エフイーターは無理して笑ってみせる。

 

「あたしはね、ヒーローになりたかったんだ。画面の向こう側の皆が魅了されるような」

 

 窓の外を見上げると、ちょうど月明かりが差し込む。

 エフイーターの方へと一歩踏み出す。

 

「あたしもね、憧れたんだ。あるアクションスターに。この力にこんな使い道があるんだって教えてくれたんだ」

 

 いつでも撮影できるようにと整えられたセットから、剣をとりだす。

 エフイーターの方へと二歩目を踏みしめる。

 

「ねえ?ちょっと、だから戦えないって」

 

「剣なら身体は触れないでしょ」

 

「だからあたしは」

 

 三歩目を皮切りに、いっきにエフイーターへと詰めよる。慌てて近くの剣を取って斬撃を受ける。

 

「ちょっとまって!」

 

「待たない」

 

「もう!」

 

 力で無理やり突き返し、エフイーターは体勢を立て直す。

 

「言って聞かないなら力でわからせるまで!」

 

「それでこそ」

 

 瞳に、純粋な殺意が灯り始める。

 

 どちらからともなく、動き始める。振るわれた剣は、空を切る。最低限の動きで避け続ける。まるで打ち合わせていたかのような打ち合いだった。

 エフイーターは、次第に洗練されていく動きをしっかりと捉えていた。いまでこそ一方的に剣を振るえている。しかし、すぐに相手の剣にのまれてしまうと本能的に感じ取っていた。

 

「じゃあこれなら!」

 

 またもや、夢中になりすぎた。剣をフェイントとした足技。よく使う手ではあった。しかし、その振るわれた右足には、鉱石病の痕跡がある。直接の接触は、避けるべきだ。

 

「しまっ」

 

 後悔してももう遅かった。遠心力の乗った足はそう簡単には止まらず、しなりを持って相手の首をかりとろうと迫る。

 

「そうだね、こんなのはいらないよね」

 

 剣が落ちる音がする。両手をつかった腕による防御で、右足はピクリとも動かなくなってしまった。

 

「ほらボサッとしてたら死ぬよ!」

 

 エフイーターがほぼ反射で避ける。撮影中では禁忌の顎狙い。一瞬でも避けるのが遅れていたら、あたっていただろう。

 

「このっ!」

 

 拳を握りしめる。入れてはいけないスイッチが入る感覚。人を傷つけないように長らく封じ込めていた力が、じわりじわりとにじみ出てくる。

 

 エフイーターは笑っていた。久しく忘れていた、真剣勝負の感覚。いつもは抑えていた感情が、むき出しになる。より本能に近い部分での戦い。相手か自分かが止まるまで終わらない戦い。それが楽しくて楽しくて、仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうして止めるの」

 

 マウントポジションをとったエフイーターは、その問いに即答できなかった。もうガードする体力も無いのか、相手は無防備だ。拳を振り下ろせば、確実に勝つことができる。しかし、その手は振り下ろされる前に止まった。

 

「私は人殺しになりたいわけじゃないから」

 

「ヒーローなんでしょ。悪役は殺さなきゃ」

 

「わかってる」

 

 エフイーターは立ち上がって、そして手を差し伸べる。

 

「あんたは悪役じゃない。だからこれで終わり」

 

 納得いかない様子で、地面に身を投げ出している様子を眺める。

 

「撮影にはもう戻らない」

 

「うん」

 

「女優もやめる」

 

「うん」

 

「だからもう、追ってこないで」

 

「……うん」

 

 エフイーターは使った剣を片付けて、それからスタジオから出ていこうとする。

 

「待って」

 

「……なに?」

 

「ヒーローは、辞めないで」

 

「無理だよ」

 

 満身創痍のはずが、フラフラと立ち上がって何かを投げつけてくる。エフイーターは難なくキャッチした。

 

「これは……製薬会社のチラシ?」

 

 広げれば、ロドスアイランドという会社のチラシだった。

 

「どういう風の吹き回し?」

 

「そこに行って。行けばわかる」

 

 ボロボロだというのに無理に動こうとするのを止めるには、了承するしかなかった。

 

「わかったから!動かないで!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、相手は崩れ落ちた。駆け寄ってみると、息は整っている。疲労と怪我で、意識を失ったようだった。

 

 

 サボって漫画を呼んでいた警備に救急車を呼ぶように行ってから、エフイーターはスタジオから出る。

 

「ヒーローか」

 

 右手には、ロドスアイランドの広告が握りしめられていた。

 

 

=*=*=*=*=

 

 

『今年の最優秀俳優賞は!』

 

 テレビから、そんな声が聞こえてエフイーターはつい目を向ける。そのスポットライトを浴びる人物を見て、笑顔が漏れ出る。

 

「あ!この人見たことある!」

 

「映画の役者さんでしょ!」

 

「悪者をバッタバッタ倒してるのみたことあるよ!」

 

 子供たちに質問攻めにあいながら、エフイーターは「実はね」と切り出す。

 

「えっ?この人とエフイーターお姉ちゃんで映画に?」

 

「何回もね。すごく強いんだよ」

 

「エフイーターお姉ちゃんよりも?」

 

「う~ん、どうだろ」

 

 普段なら余裕だと豪語する彼女らしからぬ発言だった。

 

「よし、それじゃあ映画見よっか!」

 

 子供たちは騒ぐのをやめて、利口にスクリーンの前に座る。

 

「あっドクター!ドクターも一緒にどう?」

 

 肯定の言葉を返してきたドクターを引き込み、上映を始める。

 

「どんな映画なのか?そうだね……」

 

 少し考えて、そして口を開く。

 

「まだ悪役を演じていた頃の、私にとってのヒーローのお話」

 



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