黒神の聖女〜言葉の紡げない世界で〜   作:きつね雨

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10.聖女の目覚めと脱走 その顛末②

 

 

 

 

 

 

 

  夢に微睡んでいた。

 

  小さな頃の夢は決して良いものでは無かったが、誰かが手を握って「大丈夫だ」と言っているような気がして……自分が今、目を覚まそうとしているのか、深い海の底から浮き上がるように感じて体が息を吹き返していく。

 

 

 

 

 

 

 ここは……?

 

  俺は、自分が涙を流しているのを知って思わず起き上がった。

 

  なんで涙なんかを……?

 

  見覚えのない濃い青色の服の袖を使いゴシゴシと涙を拭く。周りには誰も居ないことがわかって安心した。やはり体は女、いや女の子のままのようだ。あれだけ汚れていた体も綺麗になってい仄かな良い香りがする。小さな胸に両手を当てれば、柔らかな弾力を感じそのまま沈み込む。ただ嫌な予感、感触を覚えてあの時と同じく上から覗き混んだ。

 

  下着まで着ている……いわゆるブラだろう。白い柔らかい材質の布を巻き付けたような変わった下着だ。すぐに外したかったが今は周りの状況を把握したい。

 

  俺は信じられない程サラサラとした感触を覚えるシーツを避けて立ち上がってみた。

 

  くそっ……この服ってワンピースってやつだろう?

 

  星空がデザインされたスカート部分を両手で持ち上げて、上半身を軽く傾けて確認する。

 

  最悪だ……女物の白い小さな下着、ムカつく事に可愛らしいリボンまで着いている。そして真っ白な太ももの内側、脛にも入れ墨が入っている。上からも見えたが臍の下辺り、下腹部にも同じく入れ墨があった。おそらくこれがヤトの言う刻印だろう。あまりの変化に眩暈がする。

 

  とにかく今は状況確認だ。頭を上げて周りを見渡した。

 

  少し薄暗いが、見えない程じゃない。時間は夕方前ってところか?今まで寝ていたベッドに、窓側に古めかしい机と椅子。全て日本で言うアンティーク家具に見える。扉は二つ、一つは出口でもう一つはなんだろう?歩いて近づこうとした時に敷かれた絨毯の柔らかさにびっくりしながら開けて覗きこむと、衣装部屋らしい。ウォークインクローゼットの実物は見た事がないが、こんな感じだろう。

 

  さて、いよいよメインの扉だ。開いてくれればいいが……

 

 ガチャッ、ガチャガチャ……

 

  やはり都合良くは行かないか、内鍵を回してみたが結果は変わらなかった。……つまり()()()()()()()と言う事だ。耳を澄ましてみたが、おそらく廊下があるであろう扉の向こうからは気配はしない。誰もいないようだ。

 

  よしっ、何とか抜け出さなければ……小さな頃の孤児院と院長夫妻を思い出し、脱出の手段を探す事を決める。ベッドの反対側の窓に近づいて、そっとカーテンをめくる。やはり夕方か、沈んでいく太陽らしきものが見えた。外からの監視の有無を確認しつつ、カーテンをさらに開いてココから出られないか確認した。

 

  無理だ……高すぎるし、手や足をかけられそうじゃない。ましてや小さくなったこのひ弱な体では、自分を支える事も難しいかもしれない。

 

 くそっ……くそっ……いや落ち着け、何か道具を探すんだ。

 

  すぐ近くにあった机の上には何もない。引き出しを開け中を確認する。

 

 ナイフ?いやペーパーナイフか……中々鋭そうな鋏もある。最悪は脅し位には使えるか?こちらも無駄にアンティークな装飾でお高そうだ。よしこれは頂きだ。

 

 コンコン……

 

 ん?ノックか?

 

 動きを止めて様子を伺うと再び聞こえた……誰か来たか!

 

 急いでナイフと鋏をひっ掴みベッドに戻る。手に入れた武器達は枕の下に隠した。

 

 ここは様子見だ、大人しくしておこう。シーツを足にかけ上半身だけは起こしてドアの方を見た瞬間、ドンドンドンッ!とかなり大きな音がして、情け無い事にビクッとしてしまう。

 

 続いて女の声がして、ガチャと鍵が開く音がした。

 

 すぐにドアが開き、二人の女が入って来た。女と言うか、中学生くらいの子供だろうか?二人とも美人だが、銀髪の方は別格だ。というか絶対お姫様だろこいつ……これは頭を下げた方が良いのか、そもそもベッドの上では失礼にあたるかもしれない。俺には何が正解なのかわかる訳がない。

 

「やっぱり起きてるじゃない……返事くらいしなさいよね!」

 

 ダメか……何を言ってるのかさっぱり分からない。それにマズイ……何かいきなり怒ってるみたいだ……やっぱり頭を下げないとまずかったか?

 

 もう一人がカーテンを開けると、部屋が明るくなった。

 

「はぁー……確かに綺麗な子ですねー……。でも不思議な髪だし、目もあまり見ない色だなぁ……」

 

 更に赤毛の女が近づいて来て、じろじろとこちらを見ながら何か呆れた様に口を動かした。

 

 くっ、やっぱり何かまずったか……恐らく礼儀がなってないとか、そんな事を言ってるんだろう。銀髪の娘が赤毛の頬を抓ったのはよく分からないが……彼女達の後方にあるドアは鍵が掛かってない筈だ、逃げるか……?こんな子達をぶん殴る訳にも……なんだ?殴るって考えると胸がザワザワする……気持ち悪い……

 

「驚かせて御免なさいね?私はアスティア、アスティア=エス=リンディア。このリンディア王国の王女よ。こっちはエリ、私の侍女」

 

 銀髪娘が何か話しているが、どうせ意味もわからないなら聞いてもしょうがない。とにかく逃げないと……鍵が開いてるチャンスなんてココしかないだろう。ドアの向こうに誰かがいない事を祈る。

 

 俺が逃げる事を考えているのが分かったのか、更に怒りに満ちた青色の眼で睨み付けてきた。

 

「ちょっと……挨拶くらい出来ないの?こっちをちゃんと見なさい!」

 

 うお!首を絞める気か!?見た目以上にヤバいぞコイツ!

 

 思わず後退りしたら、ベッドから落ちた。痛え……

 

 とにかく意思疏通が出来ない事を伝えれば許して貰えるかもしれない。口や喉に指を指してみる。

 

「あなた……喋れないの?」

 

  困惑する表情を見せた銀髪お姫様は何かを呟いた。伝わったか?

 

 

 

 

 

 

 

 しまった……赤毛侍女がさっきナイフと鋏をパクった引き出しを開けて動きが止まったぞ……?盗んだのがバレたか……背中から冷や汗が出るのを感じて思わずベッドから腰が上がる。混乱の極致にいた俺に目の前のお姫様が紙に何か書き俺に見せて来た。

 

 

 あぁ……これは……

 

 

 知らない単語だとか、そういうのじゃない……()()()()()()()()()()()

 

 それが分かってしまった。さっきから聞こえる二人の言葉も綺麗な声とは思えるが、何かを察して感じることも不可能だ……ヤトは呪いと言っていた、正しく呪いだ。こんな……こんなの、どうしたらいいんだ……

 

 知らない場所に閉じ込められて、言葉を交わす事が出来ない?あの頃の孤児院の時のように、悲鳴を上げる事も、こんな少女の体では抵抗だってまともに出来やしない。

 

 腹の底から絶望感がヒタヒタとせり上がってくるのを感じて、思わず涙が溢れてしまった……くそっ、なんで簡単に涙なんか……男のくせに情け無い。

 

 

 クソッタレ!

 

 

 枕の下にあったナイフと鋏を引っ掴んで、俺はドアの外に走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クイン、アスティア、エリと合わせ4人で客室のある方へ歩きながら話しを続ける。

 

「クイン。確か鍵を外から掛けたと言っていたが……」

 

「はい、間違いなく掛けました。中からあの子がドアを開けるのは不可能です」

 

 アストは、アスティアとエリが何かを言いたそうにしているのを見て分かってしまった。

 

「兄様、ごめんなさい……私が話をしたくてエリに鍵を開けさせたの。私の所為だわ」

 

 エリも俯き唇を噛んでいる。いつも笑顔を絶やさないエリには珍しい表情だった。

 

「そうか……それはいい。何かあったのか?」

 

「……特別なことは……でも私……あの子に少し怒ってしまって……喋れないなんて知らなくて、挨拶出来ないのって……」

 

「喋れない?あの子は話せないのか……?」

 

 思わずアスティアを見詰めてしまう。アストは自身の怪我を治す時に声も上げずにナイフを突き刺した事、それに馬車の中で声無き悲鳴を上げていた事を思い出して理解した。そして、胸が締め付けられるのを自覚する。

 

「兄様も知らなかったの?」

 

「ああ、あの子は殆ど眠っていたからな……いや、それどころかあの子の名前すら知らないんだ」

 

 

 

 

 

「殿下、あの部屋です」

 

 クインの案内で辿り着いた部屋に入ると、仄かに優しい香油の香りがした。見るとベッドからは枕が落ちている。シーツも乱れあの子がついさっきまで寝ていた事を知らせていた。

 

「一体何故逃げたんだ……?あの子はどっちに?」

 

「ドアを出て左手に走って行きました。迷っているような様子は特に……」

 

「エリ、間違いなく走って行ったのね?」

 

 クインはエリに問い質すが、アストは不思議に感じた。

 

「クイン、それが何かあるのか?」

 

「いえ、気になる事が少し……あの子は眠り始めて今日まで一度も意識が戻っていないのですよね?怪我もあり食事すらしていない今、走り出したとは……体力すら戻ってない筈です」

 

 怪我と聞いてアスティアが目を蹙めたのがクインには見えたが、今はそれを説明している時間はない。それに少し思い当たる事もある。まさかとは思うが……そうクインが思考を深め始めたとき、アストの声で我に返って意識を戻す。

 

「たしかに……力を振り絞って逃げたとしたら、何処かでまた倒れているかもしれないな……」

 

「そんな……!私の所為だわ……兄様どうしよう……」

 

「大丈夫、ここはリンディアだ。俺たちが直ぐに見つけてあげればいい」

 

 アストはアスティアの柔らかい髪を優しく撫でて、目から溢れた涙を拭ってやった。

 

「よし手分けして探そう。怖がっているなら、何処かに隠れているかもしれない。不用意には近づかないよう気をつけよう」

 

 皆が動き始めたとき、後ろから小さな声がした。

 

「あ、あの……」

 

 エリが顔を上げて恐る恐るアストに話し掛けた。

 

「エリ、どうした?」

 

「あの、客室にあった紙切りのナイフと鋏が無くなっていました。飛び出す時に何かを掴んで出て行ったので、間違いないと思います。何かおかしな事を考えて無ければいいなって……」

 

「ナイフ、鋏……か……」

 

 

 魔獣の一撃に倒れた後、あの子は自分の手を躊躇なくナイフで傷付けた。その行為にどんな意味があるのかまだ分からないが、そうしてアストを助けたのだ。まるで傷付いた人を助けるためだけに在るような……聖女、そう聖女だ。あの子は聖女なんだ……アストの頭の中にある可能性が浮かんできた。

 

「まさか……?」

 

「兄様……?」

 

「また、自分を傷付けて誰かを……?」

 

 アストは黒髪の美しい少女が、あの時の様に声のない悲鳴を上げているのが目の前に浮かぶ。そしてそれを許せない自分の強い気持ちを自覚した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうやらこの辺りには人は少ないみたいだ。少し息を吐き、すぐ側にある茂みに身を隠した。

 

 部屋からの脱走には成功したが、此処はまだ城内だ。下に降りる階段はすぐに見つかり、人の気配に気を配りながらここまで降りてきた。このワンピースには当初うんざりしたが、濃い青色は暗くなった闇に紛れるのに最適だ。星空まであしらっているのは皮肉が利いている。首に巻いていた布切れは邪魔になって階段の側にあった大きな植木鉢に突っ込んでおいた。すぐに見つかりはしないだろう。

 

 呼吸が落ち着いたのを確認して、もう一度そっと周りを見回す。さあここからだ……今から夜も深まり益々暗くなる。現代日本と比べ街灯もなく真っ暗な場所も多いだろう。窓から見えた街に逃げ込み身を隠して時間が過ぎるのを待つ。楽観的だが、たった一人の小娘にそこまで血眼になって探す事もない筈だ。

 

 とにかく絶対に捕まってたまるか……逃げ切ってみせる。逃げ切った後の事はその時に考えよう。今までもそうしてきたし、一人で生きて来たんだ。

 

 茂みから少しだけ離れたところに煉瓦を積んだ二階建の建物が見える。室内を照らす明かりも少なく死角も多い。まずはあそこまで移動するか……

 

 そう決めて、素早く腰を低くして音を立てない様に移動する。誰にも見つからずに明かりの届きにくい煉瓦の壁に張り付く事が出来た。

 

 いくつかの窓からは明かりが漏れているが、この小さな体なら下をくぐって行けば大丈夫だろう。ゆっくりと進み建物の角まで来たところで、その向こう側から声が聞こえてきた。

 

 ちっ……ここまで来て……さっきの茂みまで戻るか?いや、先ずは様子を見よう。腰を落としそっと角から声のした方を見た、見てしまった。

 

 

 ドンッ

 

 

 ああ……まただ、また俺の心臓が大きな音を立てて跳ね上がった。

 

 俺の視界に飛び込んできたのは、木製の巨大な台車の様なものだ。殆どには何も載っていないが、赤いペンキで濡れている……いや、あれは血だ。それも大量の。そして一台だけ何かが乗っている。人だ、鎧らしきものが砕けて脇腹から血を流して呻いている。さっき聞こえたのはあの男の声だろう……建物の中から何人かの怒鳴り声のようなものが聞こえる。

 

 ああ、逃げないと……早く……逃げ……

 

 俺の手には、鈍く光るナイフと鋏がある。ほら、()()()()()()

 

 助ける……助けないと……血が、血が沢山流れている。死んでしまう……あの化け物だ……奴らにやられたんだ……許せない……

 

 大丈夫……俺が、逃げる……助ける……すぐに……早く……

 

 俺の意思は何かに塗り潰されていく。

 

 くっ!ヤト、アイツ……一体俺になにを……

 

 俺は……奴の……思い通りには、ならない……ぞ……

 

 ふらふらと歩き出す自分はもう何かに操られた人形のようだろう。いつのまにか横たわり歯を食いしばり呻く男が俺の目の前にいる。

 

 俺は右手に持った鋏を強く握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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