黒神の聖女〜言葉の紡げない世界で〜   作:きつね雨

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主人公らしい主人公が漸く……


a sequel(27) 〜抗い、甦る力〜

 

 

 

 

 

 薄暗い部屋の中央、其処に一人の少女が立っている。少しずつ雲が晴れた夜空から月明かりが降り注ぎ、窓から銀色の光を届けてくれた。そして、照らされた少女の全てを映し出す。

 

 両肩を抱き、寒さに震えるように身体が揺れている。だが今は暑い季節、震える様な寒気など在りはしない。

 

 ポタリと何かが床に落ちた。

 

 雨に濡れたかの様に全身が濡れている。上半身には白い服しかかかっていないから、濡れたソレが肌に密着して柔らかい女性らしい曲線を隠せない。

 

 そして、全員が気付いた。

 

 強い酒の香り、鼻を抜ける若い草花の様な青臭い清涼感。

 

 側には白く濁ったガラス瓶がある。

 

 

 

「カズキ……」

 

 アスティアの声は皆に届いた。

 

「カズキ……?」

 

 事情を知らないファウストナの二人は、もう一度肩を抱く少女を見詰める。だが何度見ても、その姿は変わらない。

 

 ヴァツラフが贈った髪紐で丸く纏めた灰色の髪。上半身は濡れたシャツ一枚だが、腰から垂れた青い服は侍女のものだ。そして首周りは赤く爛れ……

 

「あれは……刻印か?」

 

 今頃になって気付いた黒い鎖が赤い肌を縛る様に巻かれている。それはヴァツラフと同じ使徒である証……

 

「カズキ!」

 

 愛しい妹の元へとアスティアが駆け寄ろうとした時、此方に来るなとカズキは腕をあげた。そして全員に向けた掌をそのままに、ゆっくりと目蓋を開く。少し力が抜け、身体を休める様に僅かな震えが止まる。

 

「どうして……」

 

 素直にその場に立ち止まったアスティアも、カーディルやアスト、ラエティティ達も何故かその場を動く事が出来ない。独特の、何処か神聖な空気が漂う。カーディルは先程、此処は聖殿だと言ったのだ。

 

「チェチリア様……あれはまさか」

 

 クインの視線はガラス瓶に固定されている。もう中身は少ないだろうが、珍しい色合いと鼻をつく強い香りが理解させてくれた。

 

「ええ、間違いなく"銀月"ですね……あんな物が何故此処に……もう簡単に手に入る筈は……」

 

 クイン達二人を除き、周囲の皆は怪訝な表情を隠せない。まさかカズキがこんな場所で酒盛りでもしていたというのか……見た事はないが、あれは間違いなく酒なのだ。カズキを知る者ならあながち可能性がないわけではないと思ったが、不思議なことに酒への喜びを感じない。

 

「チェチリア様……? 銀月、ですか?」

 

「銀月……確か"パウシバルの指輪"で……」

 

 ラエティティの呟きはクインに少なくない驚きを与えたが、アスティアの疑問に答えようと口を開いた。チェチリアも任せるとクインを見たからだ。

 

「ラエティティ女王陛下、その知識の深さには驚くばかりです。あの物語では()()()は違いますのに……あの酒は正式名称を銀月と言いますが、遥か昔には別の名で呼ばれていました。アスティア様……その名は"クク酒"です」

 

「クク酒? ククの葉を使ったお酒?」

 

「いえ、違います。葉ではなくククの花を原料にしたお酒です。森を失って久しい私達では、入手する事すら困難になっていました」

 

「クイン、ククに花なんて咲くのか? 作り話だと……」

 

 アストは思わず聞いてしまう。

 

「数年に一度だけ、銀月が丸く空を彩る時に咲く大変貴重な花です。小さく真っ白な花弁で、その枚数は三枚とされています。私も直接見た事はありませんが……咲く周期も不規則で、未だ解明はされていません。ましてやこの時代、いえ救済の前では」

 

「でも……お酒、なのよね?」

 

 カズキの()()を知るアスティアも思わず呟く。だが、それを聞いたクインは笑う事なく返した。むしろ哀しげに……

 

「元々は違うのです……"パウシバルの指輪"では、こう表現されています」

 

「…… 右腕を失い血を流す戦士に聖女カーラが話しかける。これを飲みなさい、偉大なる戦士よ。銀の月はいつ迄も貴方を見守っています……ね」

 

 クインの言葉を引き継いだラエティティは何かを知ったのか、佇むカーラを眩しい光を見る様に目を細めている。ヴァツラフだけはまだ理解が及んでいないようだ。

 

「はい。それこそが銀月の名の由来、別名クク酒は……毒消し、化膿止め、病除け、凡ゆる効能がある万能な薬酒。しかし、最も良く知られた力は鎮痛……つまり……」

 

 此処で初めてクインはアスティア達を見て、短い言葉を紡いだ。

 

「痛み止め、です」

 

 

 

 

 

 全員が銀月に照らされた少女を見る。

 

 かなりの量を飲んだのだろう、その頬は赤く染まっている。そして身体中に振り掛けたのか上半身は濡れていた。

 

 両手を下ろした事でカズキの肢体は明らかになり、その女性らしい起伏ははっきりと露わになった。ノルデも見た薄紅色の下着は誰の目にも映り……薄っすらとだが、右胸と下腹部に何かが見える。

 

「カズキ……もう一度、抗うのか……」

 

「間違いなくそうでしょう。ヤトの封印に挑み勝つ……それはきっと厳しい、そして痛みとの……」

 

 ラエティティは耐えられず、両手を口に当てて出そうになる声を抑える。最早真実は明らかになり、自分は神の奇跡の前に立っているのだと心が震えた。

 

「ではカーラは……」

 

「ヴァツラフ、恐らく直ぐに分かる。子供への慈愛は誰よりも深い。今度こそ、必ず」

 

 小さな子供への愛は、カズキが聖女と成る前から持っていた強き慈愛なのだから……過去を知るアスト達は確信すらあった。

 

「アスト……」

 

「兄様、見て……!」

 

 カズキは息をついたのか、誰が見ても明らかな程に身体に力が入った。まるで祈りを捧げるかの様に、あの瞳を閉じたのだ。

 

 短い、いやもしかしたらずっと長いかもしれない時間が流れた時、変化が起こる。無音……あるとすれば、カズキが噛み締める歯が泣く音か。

 

「ぐ……うぅ……」

 

 右腕を失った時でさえ笑顔を浮かべたカズキが、苦しそうに小さな悲鳴を上げる。痛い程に手を握り、血の流れが止まって白く変わった。ブルブルと震え出し、立っているのさえ辛そうだ。それでも止まらない……何故なら……

 

「聖女カズキ……刻印か……」

 

 ヴァツラフの声に誰一人答えられない。目を覆いたくなる更なる変化が起き始めたから。

 

「ああ……血が……カズキ……」

 

 言葉はアスティアが発したが、それは皆が思った事だった。

 

 

 

 

 

「あの刻印は、言語不覚。ヤトに依って刻まれた呪鎖。カズキから自由な言葉を奪い、絶えず縛っています。その呪いは聖女の刻印、癒しの力をも封印する。しかし……同時にカズキを守っているのです、ラエティティ女王陛下」

 

「守っている?」

 

 クインは失礼を承知でカズキから目を離さずに言った。その声は皆に届き、ヴァツラフは拳を強く握る。

 

「5階位の刻印は聖女といえど御しきれず、放っておけばたちまち魂魄を削ってしまう。救済を果たす程のカズキの魂魄は、いとも簡単に消え去るのです。ですから……ヤトは封印しました」

 

「では、聖女様は……」

 

「はい……封印されているのは癒しの力のみ、象徴たるもう一つの刻印は決して……3階位はカズキにとっては小さなものなのでしょう……」

 

「慈愛……」

 

「その通りです、女王陛下」

 

 

 

 二人の会話は聞こえているが、アスティアはそれどころではなかった。愛する妹が今も一人戦っているのに……ただ立っている様に見える? 違う……カズキは誰も経験した事のないヤトの力に抗っているのだから。

 

 ジワリとカズキの首筋から血が滲み始めた。刻まれた鎖から次々と赤い液体が溢れてくるのだ。

 

「ああ……」

 

 よく見れば鎖はまるで首を絞める様に、細い首に喰い込んでいく。だがカズキは負けじと押し返しているのだ。

 

 絞まるたびにカズキの美しい眉は歪み、歯を食い縛る。

 

 今直ぐにでも駆け寄り、抱き締めてあげたい……でもカズキはそんな事など望んではいないのだ。

 

「頑張って……」

 

 だから、祈るしか出来ない。

 

 あの日の様に、祈るだけ……

 

 アスティアは膝をつき、両手を重ねた。でも目は決して離さない。せめて、共に……

 

「う……駄目……」

 

「カズキ!」

 

 フラリと倒れそうになったカズキだが、耐え切って声を荒げた。それは酷く珍しい。

 

「来ない、で!! 大、丈夫!」

 

 そして残った銀月を口に含み、更に首へ回し振り掛けた。

 

「絶対……こんな、の、大した……」

 

 細切れに呟く言葉は強く、そして儚い。

 

 もう半分は酒に変わったのではと思うシャツは、よりベタリと肌に這う。だから、次の変化に皆が気付いた。

 

「クイン……あそこは」

 

「……ええ、間違いなく。あれは癒しの力、聖女の刻印です……そして其処には封印が」

 

 柔らかな起伏を見せるカズキの胸、右胸の上あたりも赤く滲み始めたのだ。白いシャツは少しずつ赤く染まっていく……首元からも血が流れ込み、すぐに赤色のシャツへと変わってしまうだろう。

 

 それを隠す様にカズキは自分の肩を再び抱き抱えた。聖女の刻印は隠されたが、苦痛に耐える表情を見れば戦いが続いているのは明らかだ。

 

「大丈夫……必ず、助ける、よ……待ってて……」

 

「カズキ……君は」

 

 聞こえたそのカズキの言葉、それは間違いなく救済の日に呟いた。あの時、アストの腕の中で薄っすらと笑顔を浮かべ紡いだのだ。そして世界は……

 

 皆の前に聖女の奇跡が訪れようとしていた。

 

 最初は音だ。

 

 チチ……チチチ……

 

「な、何の音?」

 

 チチチ……

 

 カズキは鬱陶しくなったのか、髪紐を乱暴に取った。濡れたとは言え、元々老人の様な灰色の髪はバサリと背中に垂れる。留めていた跡も残り、グニャリと曲がっている。軽く引っ張ればブチブチと千切れそうな……そんな弱々しい糸だ。

 

 次は光、白い光。

 

 小さな火花、白い花が咲く。音と共に……

 

「背中……?」

 

「違う、髪だ……カズキの髪の先から……」

 

 チ、チチ、チチチチ……

 

「髪色が……」

 

 その呟きは誰のものだったか。

 

 灰色が黒に、いや優しい夜と同じ漆黒に。

 

 生え変わっているのではない。その証拠に根元ではなく毛先から変化は起こっていく。

 

「ぐ……」

 

 苦痛に耐えるカズキの声が響く。だけど、封印は少しずつ破られているのだ。

 

「もう少しよ……頑張ってカズキ!」

 

 アスティアの声が届いたのだろう。その変化は急激だった。

 

 チチチチチチ……!

 

 パァ!!

 

 一気に白い花が咲くと、一瞬だけ視界が消えた。余りの眩しさに見る者は眼を閉じるしかない。

 

 そして、再び視力が戻ってくるーーー

 

 其処に……

 

 一人の美しい女性が立っている。大人になりかけの、少女から大輪の花へと変化するほんのひとときの美。

 

 濡れていた筈の髪は、一本一本が風に揺れる。絡まる事など有りはしないと、それぞれが空中で踊り始めた。

 

 サラサラ、サラサラ……

 

 艶やかな漆黒の糸は稀有な輝きを放ち、銀色の月光を反射する。

 

 キラキラ、キラキラ……

 

 言語不覚を刻まれていた細い喉は、元の肌を取り戻していく。赤く爛れた肌は本来の艶が戻った。最初はジンワリと変化が始まったが、ふと気付いた時にはシミ一つ残っていなかったのだ。

 

 まだ終わらない。

 

 光を閉じ込めていた目蓋が上がり、長い睫毛にも月の光が降りていく。横顔だけれど、その瞳の色は間違いのない翡翠色。今まで何度も見た筈なのに、カーラと同じ色なのに……

 

「なんて……美しい……」

 

 今なら分かる。カーラの瞳の色も封印されていたのだ、と。ラエティティから茫然と感嘆の声が上がった。

 

 同じ色。でも明らかに違う。

 

 光の当たる角度で深みが変わった。宝石だったり、ボタニの湖だったり、若草や木々の色すら纏う。それ自体が光っている訳ではないのに、ボンヤリと不思議な輝きを放っている。

 

 コトリ……

 

 残っていた銀月の瓶を床に置き、カズキは佇み待つ皆に身体を向けた。

 

 全員に目を向けて、フゥと息を吐く。

 

 それすら絵になるのだから、神々の寵愛とは恐ろしいものだ。

 

 まだ痛むのだろう、時々顔を顰める。しかしカズキはあっさり無視して、聖女としての言葉を紡いでいく。

 

 五人の孤児が眠る部屋に、涼やかで凛とした声音が広がっていった。

 

 

 

 

 

 




聖女、復活。
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