黒神の聖女〜言葉の紡げない世界で〜   作:きつね雨

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大人になった聖女 〜黒神の聖女 番外編〜

 

 

 

 聖女の罪が白日の元に晒された日の夕方。

 

 アスティアに呼び出されたクインは王女の居室を訪れていた。本来ならばエリが控えているのだが、2人の機転により用事を与えて遠ざけたのだ。

 

「エリは悪い子じゃないけど……カズキに平気で言いそうだものね」

 

「そうですね。あの子の人柄は本当に素晴らしいですが、内緒話は苦手ですから。隠すつもりでも顔に出るでしょう。改めて私から説明しておきます」

 

 最近歳上のエリに対し、アスティアは子供呼ばわりする事が増えて来た。クインも気付いているが、指摘する気は無い様だ。まあ当事者で有るエリが何も言わない訳で、多分構わないのだろう。

 

「お酒は移動させた?」

 

「はい。暫くは時間が稼げると思います」

 

「結局あの場所がカズキに知れたのも、エリが余計な話をしたからだし。今日の大事な話し合いに不参加なのも仕方無いわ。少しだけ可哀想だけど」

 

「二人とも仲が良いですから」

 

 気が合うのか、カズキとエリはまるで昔からの友達の様だ。正直な話、羨ましい気持ちをクインも持っている。

 

「そうね……時間もないし、教えてくれる?」

 

「はい。ただ殆どは仮説で、確証もありません。それは御理解下さい」

 

「分かった。先ず確認だけど、まだ()()()()()のよね?」

 

「それは間違いなく。カズキの着替えは全て用意してますし、何より其れらしい変化もありません。初めてであれば誰もが冷静ではおれないでしょう。実際私もそうでした」

 

「ええ、私だって分かってはいても泣いてしまったわ。すぐにエリが助けてくれて落ち着いたけどね。でもそうなるとやっぱり心配よ。あの子の体つきは既に完成に近づいてると思うし、下着だって合わなくなってるでしょう? なのに()()なんて」

 

 リンディアの血を繋ぐ為には非常に重要な事で、婚約を内外に発表していない一つの要因でもあった。聖女に対して不遜とも思うが、アスティアにとっては何にも変えられない大切な妹なのだ。例えアストと結婚し姉となろうとも、其処に変化はないと確信している。

 

「恐らく、大丈夫だと思います。考えれば理屈が通りますから」

 

「加護、そして刻印……カズキだからこその不順ね?」

 

「はい。詳しくお聞きになりますか?」

 

「勿論よ。その為にクインに来て貰ったんだから」

 

 

 

 

 

 

 "加護争宴"

 

 "神々の諮詢(しじゅん)"

 

 "刻印哀歓"

 

 此れらの全てが女性に訪れる毎月の身体の変化を示している。意味なく解読された訳ではなく、それぞれにその論拠も存在した。クインは知っていた知識であっても再度研究し直して、ある結論を導き出したのだ。

 

 加護争宴……此れから産まれ来る赤子に対し、神々が競い合う。自らの加護を無垢な愛し子に授けるべく、日々戦いを繰り広げて大半は勝敗がつかない。

 

 神々の諮詢……諮詢とは所謂話し合いの意味だ。競い合うのではなく神々が集い話し合いを行う筈なのだが、戦争にも等しい其れは非常に激しいものとされ、誰もが一歩も引かない。それ故にやはり勝敗がつかない場合が殆どだ。

 

 刻印哀歓……授ける刻印を決めるために神々が心を曝け出し、時には泣き、時に歓喜する。哀歓はその悲哀と喜びを表していて、溢れた涙と歓声の所為で矢張り答えは判別出来ない。

 

 つまり、刻印を授かる人の数が少ないのは()()が理由とされている。事実、降臨した黒神ヤトも「無垢な赤子でもない限り、全く存在しないモノに加護など授けたり出来ない」とアスト達に言葉を紡いだのだ。

 

 結論が出ず、加護を与えるべき神々すらも決まらない。それどころか争い疲れた神は眠りにつき、目を開く事もなくなってしまう。

 

 それが形として現れるのが毎月、周期的に来る女性だけに起こる変化だ。

 

 太古では加護が授からずとも神々が見守っている証明とされた。刻印が刻まれなくても愛されている証として祝福の対象となる。それは当たり前の事だ。

 

「加護争宴」「神々の諮詢」「刻印哀歓」

 

 現在では全く別の言葉に成り代わったが、内包する祝福の意味に変化があろうはずが無い。

 

 必ずしも全てが上手くいく訳でないし、女性側の準備だけで終わるものではない。だから、やはり女性だけが持つ生命の揺り籠から血が流れ出るのだ。

 

 "人が、生き物が、生まれくる理り"

 

 つまり、生理だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「カズキには誰よりも強い刻印が刻まれています。人では授かる筈のない5階位の加護が。更には封印まで施されました。癒しの加護を司る白神も、呪鎖を刻んだ黒神も、非常に強力な太古から在る神々です。ほぼ最上位と言って良いほどの。大半の神は近寄る事すら逡巡するのかもしれません」

 

「本来なら毎月訪れる筈の神々の宴がカズキの側では難しい、そう言う事ね?」

 

「はい。通常なら二つしか刻まれないとされるのも、此れが根拠の一つです。争い、加護を競い合う。最後に一柱が示され、漸く刻印が刻まれます。だから、二つも刻印が在るのは奇跡とされているのでしょう」

 

「成る程ね。でもそれなら……カズキに諮詢も哀歓も起きない事になってしまうわ。子を授かる事が出来ない、そんな悲しいことが」

 

「ヤトが私達に言った事を思い出して下さい」

 

「ヤトが……?」

 

 クインは優しく、微笑を浮かべてアスティアに返した。

 

「はい。彼はこう言いました。この世界でカズキは生きる喜びを知ったと。そして幸せになって欲しいと心からの言葉を紡いだのです。ヤトが司る加護に悲哀がありますが、司るからには取り除く事も容易な筈です。聖女が望むのは家族との幸せな日々。母として子を産み育て、そして愛する喜びすらもロザリー様が示されました。ならば」

 

「ヤトがカズキから幸せを奪う筈がない……確かに、その通りね」

 

 それは確信で、揺るぎない強い信頼だった。

 

 確かにクインの仮説でしかないが、アスティアには真実だと思える事実だ。

 

「ですから、殿下との幸せが目の前にある今、カズキにその日が来るのは間近だと……そう思います」

 

「うん」

 

 やっぱりクインに話をして良かった。アスティアは心から安堵し、最近心配だった懸念が溶けて消えていくのを感じた。

 

 そして翌朝、僅かに残った搾り粕のような心配の澱も完全に消え去っていく事になる。

 

 まあカズキにとってはそれどころでは無かったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 

 

「ん?」

 

 絶対的禁酒令が出された悪夢の日が明け、カズキは微睡みの中にいた。昨晩からシクシクと下腹が痛んだが、大した事もないと誰にも話していない。多分禁酒令を出されたストレスだなと、酷い自己判断を下したのだ。

 

 まあ、流石にアレは拙かったとカズキも観念していた。何より、落下の危険を心配したクインの涙はグッと心を締め付けたのだ。()()我慢しようと眠りについた翌朝、違和感を覚えた。

 

 外を見ても薄暗く、開けた目には殆ど何も映らない。だから違和感は感覚だけだ。

 

 下半身、詳しく言えば股間周辺から感じる。はっきり言うと濡れている。

 

 カズキは自分の血の気が引く音を聞いた。

 

「ま、まさか、お、おね……」

 

 信じられない……この歳になっておねしょなんて。恐る恐る右手を這わした。濡れ具合は予想より少ないが、やはり間違いない様だ。勇気を振り絞り、下着の中に手を入れる。

 

 ベッドまで漏れ伝わってない事を祈りながら。

 

 指先にヌルリとした何かを感じた。

 

「う、うそ、だ!」

 

 思わず飛び起き、膝までしかないスカートを捲り上げだ。ワンピースのパジャマだから左手で支えた。暗いからよく見えないが、白い繊維にシミがあるのが分かる。続いて下着を指で挟み、一気に膝下までずり下げた。

 

「あ、あ……」

 

 最悪だ……凄くビシャビシャだし、何か汚れている様に見える。もうベッドに振り返るのすら恐怖になって固まってしまった。

 

 どうしよう……もうすぐクインも来るだろうし、証拠隠滅の時間も知恵も浮かばない。

 

 その時、漸く陽の光が聖女の間に降り注いだ。遮光性などないカーテンだから、一気に部屋が明るくなる。そしてカズキが見たくない、信じたくない現実が視界に飛び込んで来た。

 

「……血?」

 

 見れば下着も捲り上げたパジャマの一部も、さっき下着の中に突っ込んだ右手の指先も赤い。鮮やかな赤ではなく、何か根源的な生命力を感じる強い色だった。

 

「ああ……せい、り」

 

 カズキの知識にも当然に其れはあり、元の世界では初潮と呼ばれる女性に訪れる身体現象だろう。おねしょじゃなくて良かった……頭の中に声は踊るが、固まった身体は一向に動かない。フワフワとした非現実間と、何やら熱に浮かされた様なボーッとする感覚。

 

 自身が女である事に違和感は既に無い。アストから聞いた言葉は幸せを運んだし、何となく将来の家族の姿を想像したりもした。恥ずかしいけど温かくて、フニョフニョした柔らかな気持ちを持て余すだけ。

 

 だが、今見えている現実が起こした衝撃は消えたりしない。

 

 ノックの音がしても、クインの朝の声も耳に入ったけど、石のようになった心と身体はやっぱり動かない。

 

 パタパタと回り込み、カズキの専任侍女は少しだけ絶句した。それでも瞬時に立ち直ると、薄く浮かぶ笑みと合わせて声をかけてくる。

 

加護争宴(かごそうえん)刻印哀歓(こくいんあいかん)……神々の諮詢がカズキにも訪れたのですね……良かった、本当に良かった……」

 

 何やらクインが難しい言葉を呟くが、言語不覚も助けて意味は分からなかった。だが何処か幸せそうだから、怒ってる訳じゃない様だ。

 

「大丈夫です。カズキ、最初は誰でも驚くものですから。直ぐに戻るので待っていて下さい」

 

 そう言うとクインは足早に退室して行く。軽く黒髪を撫でて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 直ぐに戻ったクインはテキパキと準備を整えた。

 

 お湯、多めの柔らかな綿、替えの下着、専用の当て布、お腹を温める為の道具。その道具はカズキが見たら小さめの"湯たんぽ"と思ったかも知れない。そんな余裕は無かったが。

 

「痛みますか?」

 

「少しだけ」

 

「痛む様なら言って下さい。温めたら和らぎます」

 

「うん」

 

 言葉は返るが、何処かボンヤリしている。今はクインがゆっくりとお腹をさすってくれていた。カズキは横になり、天井を見上げるくらいしか出来ない。

 

「先程も言いましたが、最初は誰もが驚くものです。でも幸せで素敵な事ですから。一体どんな神々が争っているのか……きっと誰よりも沢山集まっているのでしょうね」

 

 カズキの瞳に疑問符が浮かぶが、何を聞いたら良いかも分からず口を閉じる。でも黙っているのも何故か嫌で、とにかく何かを言いたくなった。

 

「クイン、ベッド、汚く?」

 

「ふふ、大丈夫ですよ。もしそうでも叱ったりなんてしません」

 

「そう」

 

 その時、ノックの音と同時に扉が開け放たれた。当然に入室の許可など間に合ってない。早起きが苦手な筈のエリが蘭々と目を輝かせて飛び込んで来た。

 

「カズキ〜!! 良かったね! はい、これお土産!」

 

 寝姿のカズキに果物が突き出され、ニコニコ顔が眩しい。何故か少しだけイラッと来るのが不思議だ。

 

「あ、ありがと?」

 

「エリ! いい加減にしなさい!」

 

 後から入ってきたアスティアはツカツカと近づくと、エリの頬をいつもの様に引っ張った。

 

「ひたた……ひたいでふ、アズディアざま」 

 

 涙目になったエリだが、引っ張る力は弱まったりしない。寧ろ強くなったかも。

 

「全く! こんな日に限って早起きして!」

 

 クインは黙っていたが、少しはしたない王女にも注意はしない。つまり同じ気持ちなのだ。

 

「そっちで反省してなさい、本当に困った子ね」

 

 睨んでいた碧眼は優しい色に変わり、クインが用意した椅子に腰掛けた。そしてカズキの頭を緩やかに撫でて、愛する妹を見詰める。そこには聖女にも負けない慈愛が在った。

 

「吃驚したでしょう? でも大丈夫、私もクインもいるわ」

 

 エリが自分を指差しているが、誰一人見ていない。

 

「ありがと」

 

「今は大変だと思うけど、カズキは母になる準備が出来たの。怖いけど、でも凄く素敵な事だと思わない?」

 

 まだよく分からないのだろう。美しい瞳には不安な色しか見えない。だからアスティアは用意していた言葉を紡いだ。

 

「カズキ、たった一日も忘れた事はない筈よ。貴女を、全てを賭けて愛してくれたロザリー様を。あの方はカズキにとって誰なのかしら?」

 

「……お母さん」

 

「そうね。アスお母様、お母さんも兄様と私を守るために魔獣の前に立ち塞がった。寂しいけれど、決して色褪せたりしない優しい人よ」

 

「うん」

 

 慈しむ心は撫でる手から伝わって、カズキに届く。もしかしたら全ての言葉は伝わってないかもしれない。それでも、アスティアは止めたりしなかった。

 

「カズキは、誰よりも優しくて幸せなお母さんにだってなれるの……その大切な最初の日が今日。そう考えたら、素敵だと思わない?」

 

 言葉は紡がれなかったが、コクリと小さく首を振った。それだけで見守っていた全員に笑顔が浮かんだ。赤い頬を摩るエリも優しい空気を感じて笑う。

 

「今日はゆっくりしていなさい。食べられるなら此処に運ばせるし、兄様にはうまく言っておくからね」

 

 アストを思い浮かべたのだろう、聖女の頬も赤くなった。

 

「可愛いわ……でも、お酒はもっと我慢しないと駄目になったから、頑張りなさい」

 

 少しの驚きと疑問。カズキはアスティアとクインに視線を配った。

 

「アスティア様の言う通りです。お酒を飲むと子供に良い事などありません。元気な赤ちゃんだって病気になりますから」

 

 至極当たり前の事をクインは言葉にした。態々言わなくても誰もが知っているし、カズキを叱る時すら伝えた事はない。

 

「走り回って転んだりしたら、どうなるか分かるでしょう?」

 

 何度言っても聞かず、凡ゆる勉強からも逃げていた聖女。隠れて酒を飲むのは当たり前で、最近では森人が集まる小さな酒屋で目撃例もあったほどだ。

 

 だからアスティアもクインも余り考えずに言葉にしたのだ。女性にとって余りに当たり前で、教え込む事でもないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 諮詢や神々の争いが聖女の元を訪れたその日からカズキは走り回る事が少なくなり、回数や時間こそ僅かだが勉強も頑張る様になった。

 

 そして何よりも……

 

 赤ら顔になる事も、突っ伏して眠る事も、酒を所望する声すらも……

 

 

 カズキは少しだけ大人になったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 




番外編終わりです。
ありがとうございました。

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