黒神の聖女〜言葉の紡げない世界で〜   作:きつね雨

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つい最近すっごく涼しい日がありまして、サブタイトルの料理を作りました。人参が甘くて美味しかったのです。その時にふと思い付いただけの短いお話です。お気軽にどうぞ。


white cream stew 〜黒神の聖女 番外編〜

 

 

 

 皺ひとつない紙をテーブルに何枚も並べ、その内の一枚に白くて細い指を当てた。

 

「こっちの方が良くないかしら?」

 

「そうですかねー? カズキは小柄ですから子供っぽく見えるかもしれないですよ? まあ、何でも似合うとは思いますけど?」

 

 いつものように赤髪を丸く纏めたエリは、疑問符多めで答える。慣れたもので、王女であるアスティアも指摘はしない様だ。何方が歳上なのか、初めて会う人は首を傾げるかもしれない。

 

「確かに……そうかも。可愛いからつい着せたくなっちゃう」

 

 エリと似た様に髪を纏めているが、アスティアの銀の髪はずっと長いだろう。複雑に編み込まれた其れは宝石と見紛う程に美しい。

 

「やっぱりフィーネ(細い)が良いですよ。献身の表現にも合いますし。装飾は抑えて、もちろん色は白! それに体つきも女性らしさが際立って来ましたから、線が素敵に見えると思いますよー?」

 

「ドレスは白で良いけど、花飾りとか、さり気無くロザリー様の赤と黄金を入れたくない? カズキも喜ぶと思う」

 

「わ、素敵です! じゃあ仕立て屋さんに伝えて試作をお願いしないと」

 

「そうね。エリ、早速……」

 

「あ、でも誰に任せます? 献上の申し出だけでも凄い数ですもん。試作だけでも聖女の間から溢れそう」

 

「うっ……」

 

 少し離れた机の上に積み重なった嘆願の山がある。何枚も信心を綴った便箋、既に思案を重ねたであろう絵図、魔獣の脅威に晒された時代でも服飾の腕を磨いてきた実績。凡ゆる角度から、真心の籠った想いを書き記した献上の声達だ。

 

 黒神の聖女、神々の使徒であるカズキが身を包むドレスを捧げたい。そんな願いが顕れた文字の連なり。

 

「吃驚ですけど他国からも来てますからねー。そもそも今回のドレスって一般には御披露目が無いのになぁ」

 

「白祈の間で、兄様と二人だけだもの。式はまだ先だと皆は分かってる筈だから、ある意味で驚きね」

 

「ですよね」

 

 リンディアが紡いで来た歴史の中に、白祈と神々への報告の儀式がある。つまり披露する式ではなく、神事の為のドレスだ。白祈の間には王家の者しか入る事が出来ない。エリは勿論、クインやコヒンも、城内の誰であっても許されないのだ。当然に聖女は例外となる。つまり、献上品として納められたとしても、製作者ですら目にする事は無い。一般への披露も、だ。

 

 それを含めて依頼を掛けたのだが、いつの間にやら話は拡がり、今や国を問わず嘆願がアスティアの元へと届いていた。そもそも献上ではなく買上げの筈だったが、代金など受け取る訳にはいかないと全てに記されている。

 

「カズキはあの調子だし、私が準備するしかないけれど……」

 

 つい先日の事。なんと、黒神の聖女はドレスの選定から逃げ出した。信じられない事だが事実だ。アスティアやエリからしたら、女性として拘るだろう衣装への気持ちの薄さに一言申したくなるのだ。

 

 最近は随分と女性としての魅力が増し、時に妖しい色気を感じる瞬間すらある。小柄で細身の身体はそのままだが、柔らかな線が現れて美しさが際立って来た。そして化粧にも耐性が出来てきたのか、以前よりはマシになっている。まああくまで以前に比べてだが。

 

 ただ、衣装や下着に対してだけはイマイチなのだ。

 

「カズキって狡賢いですよねぇ。こんな時だけ"お姉様"って。言語不覚の刻印、力を失ってません?」

 

 儀式に向けドレスの話を持ち出した時だった。ちょこんと椅子に腰掛け、大人しくアスティアの会話に耳を傾けていたのだ。しかし、途中で意味を理解したのか興味を失い去って行った。その際笑顔で口にした言葉の所為で、自称姉は思わず頷いてしまった訳だ。

 

「ホントにね……困った子だわ」

 

「お任せ、ね、()()()、好き……でしたっけ? アスティア様もかなり幸せそうだったですけど?」

 

 プイとエリからの視線を躱したアスティアは話を逸らす。

 

「仕方無いわ。忙しいでしょうけれど、クインにも協力を仰ぎましょう」

 

 対外的にも知己の多い聖女専属の侍女ならば、助言を貰うのに最適だ。何よりも、他の追随を許さない明晰な頭脳を疑う事もない。

 

「頬が赤いですよ?」

 

「エリ、黙りなさい」

 

「ひ、ひたいでふぅ!」

 

 何時もの様に頬を両手で抓った。強めに。

 

 柔らかな頬を引っ張り、何処まで伸びるのか調査が開始された時、居室の扉から規則正しい音が届く。これ幸いと立ち上がったエリが近付いて声を掛けた。

 

「はい、何方様でしょうか?」

 

「クインです。アスティア様に……」

 

「あっ、クインさん! 今開けますねー」

 

 本来ならばアスティアにお伺いを立てる必要がある。しかしエリはあっさりと扉を開けた。それを見たクインは勿論、アスティアも溜息を溢す。ちなみに、後程クインから厳しい叱責を受ける事になるが、其れを知らないエリはニコニコと笑っていた。

 

「……失礼します。アスティア様、少し宜しいでしょうか?」

 

「クイン、構わないわ。私も用事があったから。先に用件を聞きましょう」

 

 背筋が真っ直ぐだから、クインの高めな身長が益々際立つ。凛とした美貌と癖毛の金髪。碧眼を軽く伏せて、忠誠を誓う王女へ頭を下げた。

 

「ありがとうございます。用件ですが……」

 

 

 ○

 

 ○

 

 ○

 

 

「アスティア様、クインさん、見つけました!」

 

 侍女や護衛すら伴わず、姿を晦ましていた聖女発見の報は思ったより早かった。

 

 リンディア王国は世界を見渡しても最大で、強い羨望を集める巨大な国家だ。その国唯一の王女であるアスティアは国民にも愛される王族の一人と言えるだろう。本来であれば自らが城内を歩き回り、そして探し物をするなど考えられない。しかし残念な事にリンディアでは日常になっていた。理由は単純で、御転婆な妹の所為だ。まあ昔ほどに走り回る事は無くなったけれど。

 

 まさかと思いながらも酒類の貯蔵庫を覗いていた二人に、嬉しそうに報告を持って来たエリが声を掛けたのだ。

 

「良かった。何処に?」

 

「厨房です。御案内しますねー」

 

「厨房? お腹でも空いたのかしら?」

 

「其れは無いと思いますが……カズキは少食ですし、朝もしっかりと摂っていました」

 

「クインが言うなら間違いないわね」

 

 内心で色々と考えながら二人はエリについて行く。貯蔵庫からは大して離れていないために直ぐ到着した。報告の通り小柄な後ろ姿が見える。

 

「またあんな格好で……はぁ」

 

 室内着とは言わないが、薄手のシャツワンピース一枚、細い腰には太めのベルトが目立つ。空色した淡い色合いは可愛らしいが、淑女が外を歩き回る服装では無かった。最近益々らしさが増した身体の線。お尻は随分丸くなり、つい先日も下着を新調したばかりだ。黒神の聖女に不埒を働く者など城内には居ないが、姉として不安が湧き上がる。

 

「カズキ、少しは恥じらいを……何をしてるの‼︎」

 

 呆れた物言いは一瞬で悲鳴染みた叫びへと変わってしまう。王女らしくない素早さでパタパタと駆け寄った。何故ならば、カズキの両手が真っ赤に染まっているからだ。何より左手の指からは出血が見えた。そして反対側の右手には鈍い金属光を放つ長めの刃物。形状から包丁と知れたが、聖女の過去を知る三人は血相を変えるしかない。

 

「エリ! 血止めを……治療箱を早く!」

 

「はい! 直ぐに!」

 

 クインには珍しく、包丁を乱暴に奪い取る。顔色は青くなり少しだけ涙も浮かんでいた。

 

「まさかまた誰かの為に⁉︎ カズキ、貴女にはもう"贄の宴"が無いのよ! 封印だってされてるし、血肉を捧げても……!」

 

「痛い」

 

「当たり前でしょう! お願いだから無茶を……」

 

「……此れは」

 

 よく見れば、傍に置いてある皿に大き目に刻まれた赤い何かが積まれている。其れは僅かに血も滴り、新鮮だと訴えかけてきた。滋養に良いとされる種類の肉だ。

 

「カズキ、もしかして料理を?」

 

「うん」

 

 つまり、料理中に誤って指を切ってしまったのだろう。そもそも此処は厨房で、考えてみれば当たり前だ。しかし何度も見て来たのだ、我が身を顧みない聖女の姿を。

 

 安堵の息を吐いたクインの肩と髪が揺れた。そして、奪い取り握り締めていた包丁をコトリと置く。

 

 アスティアはそれでもカズキの手を離さない。

 

「とにかく切り傷を処置するわ。手を洗いなさい」

 

「料理、まだ、終わる」

 

「駄目よ。大体食べたいモノがあるなら誰かに伝えて……」

 

 カズキ本人は自身の立場を全く理解していない。いや分かってはいるが、聖女だ何だと傅かれるのを避けている。リンディア王家すら横に置ける、神にも等しい女性なのだが。

 

「そう言えば……お酒を我慢する様になって、カズキから何か欲しいって頼まれた事、無いかも」

 

 幸せな日々の中で気付かなかった。アスティアはカズキに聞こえないよう呟く。例え耳にしても、長い言葉は伝わらないかもしれない。でも、何となく聞いて欲しくなかった。

 

 衣服も食べ物も、装飾品やお化粧だって……何一つ要求をして来ない。刻印が何か影響しているのだろうか。そんな風に思ってしまう。そして不安そうな表情を感じたのか、カズキも静かになった。

 

「……あ、ごめんなさい。何を作ってたの? 誰かに頼むから」

 

「ん、無理」

 

「無理って……城の料理長は」

 

「アスティア様」

 

 その呼び掛けに反応して隣に立つクインの顔色を伺った。

 

「恐らく不可能と言う意味で無く、別の言葉かと。駄目、などでしょうか」

 

「つまり、自分で作りたいって事かしら?」

 

「はい。カズキ、なぜ料理を?」

 

「ん。元気、帰す、食べる。心配」

 

 瞬間は分からなかったが、少しだけ赤らむ頬を見て姉は察した。

 

「もしかして、兄様に?」

 

「……殿下の疲労を鑑み、体力のつく料理をと。そう言う意味でしょう」

 

 答えが見えたとき、エリが戻って来た。

 

「とにかく傷はそのままじゃ駄目よ。いい?」

 

「うん?」

 

「……兄様に作りたいんでしょ? きっと喜ぶわ」

 

 どうやら許可が下りたらしいと、カズキにも笑みが浮かんだ。

 

「……可愛い」

 

 ついボソリと溢す。

 

 何度見ても、その微笑に魂魄を奪われてしまう。そんな罪つくりな妹の手は小さくて、でも包み込む様な慈愛を湛えているのだ。

 

 

 ○

 

 ○

 

 ○

 

 

 

「殿下、如何しました? 近頃溜息が多いですぞ?」

 

 国内の治水に関する打ち合わせを行い、ひと段落した時だった。見事に禿げ上がった頭を手で撫でながら、クインの祖父であるコヒン=アーシケルが問うて来たのだ。

 

「いや、何でもない」

 

 何でも無くはない。答えたアストも十分に分かっている。ただ、心に渦巻く不安を言葉にするのが情けないだけだった。

 

「貴方様は大変に立派な王子ですじゃ。しかし失礼ながら、人生に於いては未だ若輩者でもある。悩みは尽きぬ物ですが、誰かに話すだけでも違うものですぞ?」

 

 恐らくコヒンには心当たりがあるのだろう。態々指摘しないのは、正に年月を重ねた年長者の心配りかもしれない。

 

「大丈夫だ」

 

「誰でも良いのです。陛下でも……いや陛下は不向きですが」

 

 あっさり不敬を曰うが、息子であるアストも同意なので指摘する気もない。間違いなくイヤらしい笑みを浮かべて揶揄って来るのは明らかなのだ。

 

「……そんなに分かり易いか?」

 

「ほほ、殿下が頭を抱える理由など城の誰もが分かっておるでしょうな。あの御方も罪つくりな女性ですのぉ」

 

 現在世界最大であり、未来すらも燦々と輝くリンディア王国。その次代の王であるアスト=エル=リンディアはたった一人の女性に思い悩まされているのだ。

 

 救済を果たした黒神の聖女に並び立つ男にならなければ……アストはそんな風に自身を奮い立たせて来た。其れはある意味で功を奏し、父であるカーディルからも褒められる機会が増えている。だが……そんな王子としての立場など、今は何一つ役に立たない。

 

「カズキは……私との結婚を本当に喜んでくれているのだろうか……最近分からないんだ」

 

 滅多に弱音を吐かない。其れが王子アストの側から見た印象だろう。国を代表する騎士でもあり、戦いの中で心身共に磨かれて来た。例え魔獣を目の前にしても足は震えず、握った剣が折れる事もない。だが、勝てない相手は何処かにいるものだ。

 

「ふむふむ、何故そう思うのです?」

 

「元々感情表現に乏しいのは理解している。過去の影響や言語不覚もある以上、カズキに罪は無い。だが、ドレスの選定からも逃げ出したらしいし、何と言えばいいか……結婚を意識してくれていると思えないんだ。もしかしたら……」

 

「ふむ?」

 

「あの娘には慈愛の刻印がある。何より自身の幸福など二の次にしてしまうだろう? 私の気持ちを裏切れない、悲しむ事が分かるから断らなかったのかもしれない。そう考えてしまうんだ」

 

 正直な話、コヒンは呆れていた。

 

 孫であるクインからも聞いているが、相思相愛とはコレだと誰もが思っている。きっとリンディアに深く名を刻む王夫妻となるだろう。決して、カズキが聖女である事だけが理由ではない。其れは想像や仮説ではなく確信だった。

 

 救済の日。カズキは皆の心を感じ、そして見たという。

 

 寵愛する神であるヤトが紡いだ筈だ。聖女カズキに幸せを運んだのはリンディア王家の面々であると。家族としての愛を授けたのはカーディルやアスティアであり、クインやエリ、そして何よりもロザリーであろう。だが、()()()()()()()愛したのはアストなのだ。そうヤトは言葉にしたではないか。あの時、呪いに近い封印が解かれた意味、其れが全てを物語っている。

 

 随分あとになってだが、孫より詳しく聞いていたコヒンにとって当然の考えだった。

 

「恋は盲目、よく言ったものじゃのぅ……」

 

「何だって? 聞こえなかったぞ?」

 

「いやいや、何でもないですじゃ。殿下、決して下世話な意味でありませんぞ? 寝所は共にしておらんのですかな?」

 

「バカな事を言わないでくれ。カズキは幼いところがあるし、さっき言った様に気持ちだって定かじゃない。望みもしない事を強制したくないんだ」

 

 アストらしい清廉な言葉、そう受け取ることも出来るだろう。しかしコヒンの頭に浮かんだのは別の言葉だった。

 

 そう、ヘタレ、と。

 

 これはカズキの友人であるエリの証言だが「殿下が望めばアッサリムフフで間違いありません。もし違ったら? その時はお寝坊を二度としないと誓います!」だそうだ。城内の皆ですらヤキモキして、そして半分楽しみながら眺めているのに。

 

「ふーむ、そうですなぁ……」

 

 ゴチャゴチャ考えずに陽が落ちたら聖女の間に行きなされ。艶やかな黒髪と肌に指を這わせ、そして翡翠色の瞳をジッと見詰めれば良いのです。そう言いたい気持ちを何とか抑えて天井を仰ぐコヒン。見れば益々暗い表情になるアスト。

 

 そんな重い空気が漂い始めたとき、執務室の扉が軽やかに叩かれた。誰かの来訪を告げたようだが、特に予定は無かった筈と二人は首を傾げる。

 

「何だ?」

 

「アスト、私」

 

 警護の騎士の反応を待ったが、響いたのは予想と違う声だった。聞き間違うなど有り得ない。

 

「カズキ?」

 

「うん」

 

 心から愛する婚約者、そのカズキの話をしていたからアストは酷く慌てた。何となく声も震えてしまう。

 

「は、入っていいよ」

 

「手、ごめん、一杯」

 

 クインには遠く及ばないものの、最近は慣れて来たから意味を捉える事が出来る。つまり、手が塞がっていて扉を開けられない、御免なさい。そう言う意味だろう。さっきのノックだけは誰かが行ったのか。

 

「待ってくれ」

 

 ドタバタと駆け寄り急いで扉を開けた。愛しい人の姿が目に入ったが、同時に何やら美味しそうな香りが鼻をくすぐる。見渡しても騎士達の姿は見えない。きっと気を利かせてくれたのだ。

 

「ありがと」

 

 上目遣いだ。見上げながらカズキは言う。その仕草だけでアストの胸は高鳴った。静々と入ってきたカズキの両手には大きめの銀色に光るトレーがある。その真ん中には真っ白な皿が二枚。片方は白パン、もう片方には何かの煮込みだろうか。肉らしきものが幾つも浮かんでいる。

 

「ど、どうしたんだい?」

 

「ん、お腹、食べて」

 

「私に?」

 

「うん」

 

「ああ、クインか誰かに頼まれた……イタッ」

 

 足先から痛みを感じて下を見れば、カズキがグリグリと踏み付けている。ほんの少しだけ頬も膨らんでいるようだ。珍しい感情の発露にアストは戸惑う。しかし同時に幸せな気持ちが溢れて来た。

 

「……もしかして、カズキが作ってくれたのか?」

 

「そう」

 

「でも何故」

 

「アスト、元気、小さい」

 

「え?」

 

「心配、ダメ?」

 

 ついさっきまで暗闇の中を彷徨っていた。行き先も出口も、希望すらも見えていなかったのに。比喩でなく、アストの視界は一気に開けて眩い光が降り注いで来たのだ。

 

「まさか! 嬉しいよ!」

 

「良かった」

 

 フンワリとした微笑。言葉に出来ない感情が溢れて来て、胸の中が熱くもなった。

 

 執務室の中央に配置されたテーブルにトレーを置き、更には椅子も引いてくれたようだ。言葉は無いが、どうぞと聞こえた気がする。ドギマギしながら無言のままにアストは座った。

 

「はい」

 

 白い布に包まれていたのはスプーンだ。

 

「ありがとう。此れは……何だい? 見た事のない料理だけど」

 

「うん?」

 

 とんでもなく嬉しいが、初めて見る煮込み料理にアストは戸惑っている。色合いが大変珍しいのだ。

 

 まず()()。ドロドロとしたスープ、そんな感じだ。野菜も見えるが、目立つのは肉だろう。良く煮込まれているのが分かる。しかし味の想像がつかない。リンディアの煮込み料理といえば茶色に濁ったものが殆どなのだ。

 

「んー、昔、あり、普通」

 

「昔?」

 

「も、もしかして、カズキ様の居た世界の料理ですかな?」

 

 黙って見守っていたコヒンだが、流石に我慢出来なかったようだ。研究熱心で博識な爺様でも、全く異なる世界の食べ物など知るわけがない。

 

「そう」

 

「儂にはありませんかの?」

 

「ない、今」

 

「そ、そうですか」

 

 ガクリと首を折り、乗り出していた体も椅子に預けた。本当に残念そうだ。実際には厨房の寸胴に残っている。しかし言葉足らずのカズキでは仕方無いのだろう。後でねと伝えたつもりだが、今はアストの反応が大事なのだから。

 

「カズキの居た世界……頂くよ」

 

 例え口に合わなくてもきっと幸せだ。アストは強く思った。スプーンで軽く掬って野菜と肉ごと頬張ると、ホロホロと崩れて行く。そして優しい甘さと柔らかな旨味が口内に広がった。上品に顎を動かしゆっくりと咀嚼する。カズキも見つめる中、暫く沈黙が支配していた。

 

「……美味しい。本当に美味しいよ、カズキ。初めて食べたのに、何処か懐かしい気持ちになる」

 

 まだ食べ足りないとアストは次々に口へと運んだ。誰が見てもお世辞などではない、それほどに食べ進めて行く。

 

「パン、付けて」

 

「ああ」

 

 パンを手に取り、白いスープを付けてみる。ドロリとしているから垂れたりしないようだ。それも我慢出来ないとばかりに噛み付く。王子としての作法など明後日の方向へ飛んでしまった。

 

「これも最高だ……こんなに合うなんて」

 

 ほんの少しも残したくないとパンで拭い取る。そして最後の一切れを食べ終わる頃には悩みなど欠片も存在していなかった。全てがあっさりと消え去ったのだ。

 

 因みに、最後の希望も消え去ったコヒンは絶望感を隠していない。一口だけでもと思っていたらしい。

 

「カズキ、ありがとう」

 

「ううん、元気、大きく」

 

「ああ、分かってるよ」

 

 最近勝手に沈んでいたアストを心配してくれていたのだ。

 

 感情表現が乏しい? 言語不覚が何だって?

 

 アストは、内心で自身を叱り飛ばすしか出来なかった。カズキはこうやって私を見てくれているじゃないか……もし恨めしそうに此方を眺めるコヒンが居なければ、目の前に立つ彼女を思い切り抱き締めただろう。

 

 だから、今は気持ちに蓋をして明るく声を出した。

 

「本当に美味しかったよ。この料理の名前は何て言うんだい?」

 

「ん、名前は……」

 

 

 

 翡翠色した瞳が映す先には自分が居る。言葉少なでも心を通わせる事だって。ああ、これ以上の幸福があるだろうか……アストは早く夜が来て欲しいと、初めてそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




久々のカズキ達は如何だったでしょうか? 思い切り自己満足のお話ですけど、感想など頂けたら嬉しいです。

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