黒神の聖女〜言葉の紡げない世界で〜   作:きつね雨

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14.聖女が名前を呼ばれる日①

 

 

 

 

 

 

 

 クイン=アーシケルは両手で抱えられる小さな木箱、その上に重ねられた紙の束と共に長い廊下を静かに歩いていた。

 

 今日は白神も泣いているのか、朝から雨がザーザーと降り続いている。叩きつける雨音は只でさえ静かなクインの足音を完全に覆い隠し、そのまま流れていった。

 

「雨は嫌い……」

 

 嫌な事を全部洗い流すなら少しは好きになるかもしれないが、そんな気の利いた事などしてはくれない。 癖っ毛のクインは濡れるとぐにゃりと曲がる髪のせいで雨の日は憂鬱なのだが、それを認めるのが嫌なのだろう。

 

 聖女が住む黒の間までの道のりは、もう決して遠くはない。

 

 今日、クインが祖父コヒンと共に解読した刻印についてアストやアスティアに伝える事になっている。 そして王であるカーディルへいつ、どう伝えるのか考えなければならない。 これはカーディルへの信用の問題ではなく、王として決断を迫ることになるのは明白だからだ。

 

 黒神ヤトが刻んだ刻印は大きな力を与え、あの子を聖女とした。

 

 そう、あの子は間違いなく聖女なのだろう。

 

 言うなれば、黒神の加護を一身に受けた"黒神の聖女"だ。

 

 それを知っているクインだが、それでもアレを加護とは認めたくはない。

 

 ーーあれは、呪いだ。

 

 クインは不遜と知りながらも、黒神ヤトに怒りを覚えているのを自覚していた。 小さな、たった一人の少女に言ったのか……命をかけて世界を救え、と。

 

 雨は歩く足音を消してはくれても、クインの怒りは洗い流してはくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 アスティアとエリは一足先に黒の間に来ていた。しかし最初の第一声は、挨拶ではなく呆れと怒りへ変わる。

 

「おは……なんて格好をしてるの!」

 

 黒髪の少女は、部屋着さえ放り投げて下着姿でドアを開けたのだ。 すぐ側には警備の騎士2名が立っているのも気にしていない。

 

 慌ててドアを閉めた二人は、もう一度少女を見て言葉を失った。

 

「刻印……? 身体中に刻印が……」

 

 どうやら下着姿になって、洗面室の掃除をしていたらしい。植物の繊維を束ねたブラシが床に転がっているし、少女自身も少し濡れている。

 

 二人の頭の中は疑問符が頭を飛び回り、暫く動けなくなった。

 

 どうして黒の間の客人が掃除をしているのか、下着姿にもかかわらず平気でドアを開けるのか、首にある刻印だけでも驚いていたのにあちこちにある刻印は何なのか、そんな事が頭の中を駆け回っているのだろう。 少女が訝しげに首を傾けるまで、二人は動き出しはしなかった。

 

「これ……間違いなく刻印ですよね? もしかしなくてもこの子って凄い方なのでは……」

 

 妙な言い回しをするエリに呆れた視線を送りながらも、アスティアにはやっと理解出来た。

 

「兄様が事情があるって言っていたのはこの事ね。 クインが最初に呼ばれたのも納得出来るし、この後の話も刻印絡みでしょう」

 

「いいなぁ羨ましい……こんなに白神に愛されているなんて……あれ?腕の傷がもう塞がってる……」

 

 エリが腕を取って眺めた時、慌ててその腕を後ろに隠した少女を見ていたアスティアは気付いた。

 

「寒いのかしら? 急に震え出したみたい。 エリ、兄様が来る前に体を拭いてあげましょう。このまま着替えさせる訳にいかないでしょう?」

 

「そうですね、すぐにお湯を取って来ます。 少し待って下さい」

 

 エリはそう答えると、中を見られないようドアを少しだけ開けてスルリと出ていった。

 

 

 

 少女は最初自分で拭いていたが、様子を見たエリに手拭いを奪われた。 ごしごしと余りに乱暴な洗い方の為、肌が赤くなっていたからだ。

 

「もう、男の子じゃないんだから、丁寧に洗わないとね?」

 

 全くシミも黒子もない体を不思議に思いながら、エリは優しく洗う。

 

「はい、お終い」

 

 乾いた布で水分を拭き取ったエリは何故か変に嫌がる下着を付けさせて、少女がお気に入りらしい白のワンピースを着せて洗面室から連れ出した。

 

「終わった? 髪を梳かして上げるから、こっちへいらっしゃい」

 

 どうも意思疎通が上手くいかない気がして、アスティアは出て来た少女の手を取り化粧台の前に座らせる。 櫛を取り鏡に向いて座っている少女を背中から眺めた時、母アスを思い出した。それは暖かくて哀しい、でも離したくない……そんな気持ちだ。

 

 お母様もこんな気持ちだったのだろうかと少しだけ涙が滲んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ノックの音が聞こえてアスティアは我に返った。

 

「エリ、きっと兄様とクインだわ。開けて頂戴」

 

「はい」

 

 驚くほど指通りの良い黒髪を整えながらエリに任せ、 最後に鏡で確認し立ち上がってドアの方を向く。

 

「おはよう、エリ。 アスティア、今日も綺麗だね」

 

 カーディルと同じ事を言うアストに思わず笑顔になったアスティアは、少しだけ呆れながらも懐に抱えた木箱を見た。

 

「ありがとう、兄様。 その箱はどうしたの?」

 

「ああ、クインが持って来ていて重そうだから預かったんだ。なかなか渡してくれなかったけどね」

 

 苦笑するアストの大きな体の背後から、エリに軽く挨拶をしたクインが現れた。

 

「アスティア様、おはようございます。 殿下、何度も言いますが使用人の仕事を取らないで下さい」

 

「これだ」

 

 おどけながらアスティアに笑ってみせる。

 

「ふふふ、相変わらずね。それと……おはよう、クイン」

 

 振り返ると少女も立ち上がりこちらを見ていた。

 

「兄様、この子にも挨拶をお願い」

 

「ああ、勿論だけど、名前が分からないのは不便だな」

 

 アストはおはようと少女に言いながらも、眉間をしかめた。

 

「そうですね……何度か私達の名前を伝えましたが、分かって貰えたのかどうか……」

 

「殿下、それも含めて説明します。どうかお座り下さい」

 

 朝のこの時間は、大きくせり出したベランダで過ごすのが気持ちが良い。しかし残念ながら雨のため、クインは採光窓の側にある円形のテーブルに二人を促した。 窓は雨垂れで滲み、せっかくのリンディアの景色を隠している。

 

「クインも座ってくれ。落ち着いて話をしよう」

 

「殿下……そういう訳にはいきません」

 

 固辞しようとしたクインにアスティアも言葉を重ねる。

 

「クイン、座って頂戴。 私もそうして欲しいわ」

 

「……わかりました」

 

 二人に用意した紅茶を音も立てずに置いたクインも、これ以上は無駄と判断した上、失礼にも当たると仕方なく腰を下ろした。 そして少しだけテーブルから離れたところには、エリが椅子を二脚並べて二人で座った。 サイドテーブルには果物を用意してあり少女に食べさせてあげるのだろう。

 

 

 

 

 側に置いてあった木箱から幾つかに束ねた紙を取り出してアスト、アスティアの二人の前に丁寧に置き、その後エリにも渡したクインは木箱から更に幾つかの木製のブロックを取り出した。 端的に言えば積み木であり、球状のもの、円錐、立方体などだ。

 

「クイン……それは?」

 

「はい、後で使います。 まずは殿下もアスティア様もそちらをご覧下さい」

 

 先程置いた紙束を指し示したクインはエリにも視線を送った。

 

「エリ……」

 

 アスト達はクインの冷たい呼びかけに少し驚いて、エリを見て納得する。エリはフォークで刺した葡萄の一粒を少女に食べさせようとしていたが、少女は口を閉じて嫌がっているように見える。閉じた口に押し付けた葡萄は少し押し潰されていた。

 

「あ、あの……すいません……少し意地になってました」

 

「その子も子供ではありません。フォークは渡しなさい」

 

「はい……」

 

 渋々と葡萄の刺さったままのフォークを渡して、紙束を手に取り浮かしていたお尻を椅子に下ろした。

 

「はあ……」

 

 エリが居ると空気が緩むのを感じるが、同時に自分では出来ない事だとも理解するクインは溜息一つで済ました。

 

 

 

 

「それでは改めて、解読した刻印の説明を致します」

 

「クイン、ちょっと待ってくれ。 少しだけ目を通したが……女性の身体にある刻印を詳しく話しするのは拙いのではないか? ましてや本人のいる前でだ」

 

「はい、殿下の言われる通りです。 その事も含めて説明致しますので、少しだけ時間を頂けませんか?」

 

「そうか……余計な事だったな、すまない」

 

「いえ、とんでも御座いません」

 

「兄様も間違ってないのだし、いいじゃない。 クイン始めてくれる?」

 

 アスティアを見て頷いたクインは、もう一度少女を見て口を開いた。

 

「最初の1枚目を開いて2枚目を見て下さい」

 

 1枚目には、美しい筆致で[刻印の解読と考察]と書かれていた。クイン直筆の羽筆によるものだろう。 そして皆が紙をめくり、暫くは沈黙が続いた。

 

 

「ある程度は解っていたつもりだが、やはり驚くな……」

 

「7つもの刻印なんて、物語でも見た事ないもの……」

 

 アストもアスティアも何とか言葉をひねり出したが、やはり沈黙は続く。

 

「まずは、解読結果を説明します」

 

 クインは感情を抑えた声で告げ、二人に視線を合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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