黒神の聖女〜言葉の紡げない世界で〜   作:きつね雨

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17.森の胎動

 

 

 

 森人(もりびと)、と呼ばれる者達がいる。

 

 

 森に分け入り薬草や希少な樹液、霊芝や一部昆虫類を採集する人々、或いは森に生息する獣を狩り持ち帰る者達を総称してそう呼ぶ。

 

 昔はそれぞれの村には何人もいたし、ある程度管理された森の浅いところなら子供達の遊びや冒険の場の一つとして日常の風景に溶け込んでいただろう。

 

 森は恵みを齎すもので、人々の生活に寄り添う存在だった。

 

 しかし今、森とは恐怖と憎しみの対象となり、人に死と滅びを運ぶ代名詞となった。

 

 300年前から現れた魔獣が、恵みをもたらす揺り籠を奴等の棲まう恐ろしい巣に変貌させてしまったのだ。 森に入る狩人達も冒険する子供達の姿はない。

 

 

 森は変貌してしまった。

 

 

 森人と呼ばれる生業は……騎士達と並び畏怖と尊敬、そして僅かながら異物を見る目を向けられる、そんな人々だ。

 

 そんな森人達は必ず3人以上でしか森には入らない。

 

 採集や分業においてもそれ以下では効率が落ちる。

 

 しかし何よりも重要なのは、魔獣との遭遇だ。 森人達には魔獣に遭遇しない為の知識が受け継がれているし、経験も積む。しかしどれだけ森を熟知したとしても、魔獣と出遭えば死からは逃れられない。

 

 一人が倒れても、残った二人が別々の方向に躊躇なく逃げるのが森人が決めた絶対の掟なのだ。生き延びた者はその事を家族に伝えなければならない。その覚悟を持つ者こそが森人と呼ばれるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イオアンは身体の半分はあろうかと思える濃い緑と茶色に染められた背負袋を担ぎ、腰の小剣に手を添えながらひたすら無言で歩いていた。

 

 袋には使い古された小型のランプ、手彫りだろう木製のコップ、テント代わりにもなる外套、いくつかの革紐、大小数本のナイフが括り付けられている。 そして後ろには似た姿の二人が追従している。 二日前の昼に王都リンスフィアを出た3人は、南部の森を目指し見晴らしの良い丘をゆっくりと登り続け、あと少しで丘の頂上というところまで来ていた。 何年も掛けて大勢が踏みしめて来たのか、丘には曲がりくねった轍のように道が出来ている。

 

「あと少しだ」

 

 後ろの二人も知っている事と思いながらも自分に言い聞かせる様に呟いた。 休息予定地は丘を越えた先にある。もうすぐ夕闇が訪れる時間だが、休息地に間に合って胸を撫で下ろした。 闇の中で休息の準備などは御免だからだろう。

 

 

 

 

 

 外套を広げて鞘に入れた小剣で支え革紐で予め立てられている柱に括り付ける。そうして簡単な寝所を作ったイオアンと二人は、次に持ち込んだ廃材に燃える水を掛けて火を起こした。 これから簡単に食事を作り明日に備えしっかりと身体を休めなければならない。

 

「ローゼン、ヤッシュ。 疲れはどうだ?」

 

 頭をすっぽりと覆っていた毛糸編みの帽子を取り、髭で覆われた口を僅かに動かしてイオアンは聞いた。

 

「ああ、問題ないよ」

 

「はい、大丈夫です」

 

 イオアンは、二人の若者をその鋭く尖った両目で確認し、また燃える炎に視線を戻した。

 

「爺さんこそ大丈夫なのか? 引退してもおかしくない歳だろう?」

 

「ふんっ。お前に言われるほど耄碌しておらん」

 

「そんな事を言ってるんじゃない。まだまだ爺さんには教えて貰う事も多いが、体力だけはそうはいかないからな」

 

「ローゼンさん、心配ならそう言えばいいのに」

 

「ヤッシュ、また殴られたいか?」

 

 まるで兄弟の様に燻んだ赤毛を短く刈り込んだ二人を視界に収めながら、イオアンは明日入る森の事に考えを巡らせていた。

 

「明日は、夜が明ける前にここを発つ。 森には朝日が昇る頃に着くだろう。 だがつい最近も南部の森で魔獣と遭遇し、大きな被害が出たらしい。何かあればすぐに森を出る。わかってるな?」

 

「分かってるって。油断と慢心は森が死を運ぶ、だろ?」

 

「……そうだ、わかったなら無駄口を叩かず早く飯を食え」

 

「へいへい」

 

「……見張りは何時もと同じだ。ヤッシュ、いいな?」

 

「はい」

 

 残りの焼き締めたパンと薄めたワインを一気に流し込み、森人の3人はそれぞれが眠る準備を整えた。

 

 

 

 

 

 翌朝明けやらぬ時間に休息地を出た三人は、森が視界に入る場所で立ち止まり、岩陰に背負袋を降ろし僅かに離れた森を睨んだ。

 

 括っていた革紐を緩め袋から上半身を覆う程の毛皮を縫い合わせた上着を取り出す。 まだ獣臭も残っているそれを着込むと、更に地面に水を垂らして泥状にした土を体中に塗りたくっていく。 森人達が受け継いできた魔獣避けだ。彼等の間では、森に溶けると表現される。

 

 いくつか取り出した皮袋とナイフを持ち小剣を確認する。 背負袋はここに残し、帰りにまた回収するのだろう。 全員に手慣れた様子が窺えた。

 

 

「よし、いいな? まずはククの葉を採集に行く」

 

 ローゼンもヤッシュも昨晩の様な軽口は叩かず頷くだけで済ました。

 

「その後は深部から戻りながら、樹液を集める。霊芝は見つけたらでいい。 欲はかくな。 おかしな物を見つけたら必ず教えろ」

 

 イオアンの淡々とした言葉には、ずっしりとした重みがあった。 練達の森人は一種独特の迫力を持つ。 それは若い二人にはまだ無いものだった。

 

 

 

 

 

 イオアン達3人は、一定の距離を保ちながらほぼ平行に展開している。 約20歩分だろうか? これは採集物の発見の為であり、同時に3人同時に襲われないよう工夫されたものだ。 必ず両者は視界に収まる様に動き、大木等の裏側に姿が隠れた時はそれが現れるまで待ち前進する。 時間は掛かるが、長く先人から受け継いだ森人の知恵だった。

 

 イオアンは真ん中にいて、両方に気を配りながら四方に視線を送り森の深部を目指していた。苔生した地面は柔らかく、踏む度に青臭い香りと湿り気を帯びる。

 

 この辺りは木々が密集しており、所謂安全な場所と言える。 魔獣は体が大きく、木々が打ち倒されていない場所は即ち活動域ではないことの証明でもあるからだ。

 

 声は出さず手による合図だけを頼りに進む一行は、目的地であるククの葉が群生する水辺まで到着した。

 

 無言で採集を始めるローゼンとヤッシュを視界の隅に入れながら、イオアンは周りを警戒して周辺の確認をしていった。 これも勿論役割が決めてあり湖と言って良いこの場所は、同時に開けている為魔獣が現れてもおかしくない。

 

 

  足跡や草木の変化を見逃さない様に注意深く確認を終えたイオアンは、ようやく一息つく事が出来たのだった。

 

 

 

 皮袋一杯にククの葉を詰めたローゼンとヤッシュは、イオアンに合図を送った。 これだけあれば、小さな子供の命を何人も救えるだろう。 万能の薬草と呼ばれるククの葉は、熱冷まし、痛みや化膿止め、何より子供が罹患する風土病の特効薬として知られている。 典薬医、薬医には絶えず需要があり、治癒院等では在庫を切らせる訳にはいかないものだ。蝋燭から燃え上がる炎と同じ形をした葉姿は、森の奥深くでしか目にする事が出来ない。

 

 イオアンは地図を再度確認する。 森は変化することから沢山の注意書きが書き込まれていて、森人にとって宝と言っていいものだろう。

 

 今いる此処もかなりの深部だが、今から向かう場所は別の意味で危険なところになる。

 

 魔獣の活動域により近づく事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 樹液の採取は多くの時間が必要だ。 ある種類の木の幹に、専用の工具で穴を開ける。 そこに親指程の太さの金属で作られた筒を差し込み、少しずつポタポタと流れ出る樹液を受けるのだ。 種類によっては1日から一週間程度で一杯になる。 しかしイオアン達が仕掛けたのは、約一ヶ月前だ。 それだけ粘性も高く、同時に希少でもある。 ククの葉と合わせ今回の目的の一つだ。

 

 

 

「おかしい……」

 

 イオアンは何かの違和感を覚えていたが、それが何なのか分からずに思わず呟いた。立ち止まり周辺を見渡す。 離れた二人は怪訝な顔をして、イオアンを見ている。樹液採取の最初の目的地まであと少しというところだ。

 

 ゆっくりと歩みを再開したが、違和感は拭えないままだった。

 

 

 

 

 そのまま何事もなく、樹液も回収出来た事でイオアンはとりあえず深呼吸をした。

 

 次の回収地点を目指すため、地図を広げて目的地の方角を見た時だった。

 

「地形が違う……」

 

 イオアンの記憶にない、地面の陥没や盛り上がりがあるのだ。木々はあるし、苔生した地面もある。 しかし何かが変わってしまっている事に漸く気付いたイオアンは、急いで二人に撤退の合図を送ろうと左右を見た。

 

「ヤッシュ……?」

 

 いつも視界に入れている筈のヤッシュが見えない。 イオアンは慌ててローゼンを探す。

 

 さっきまで樹液を回収していたローゼンの姿すら消えている。

 

 

 

 

 ーーーーグルルルル……

 

 直ぐ後ろから獣の様な唸り声が聞こえたイオアンは、咄嗟に小剣を抜き振り向いた。

 

 そこには……

 

 赤い壁が見えた。 無毛の肌、異常に盛り上がった筋肉、太い前足の巨大な爪、滴り落ちる涎……

 

 どうやってこんな近くまで……?後退りながらも魔獣の背後に避けられた茂みと黒い穴が見えた。

 

 地中だと……?

 

 深部とはいえ、ここは森人の活動圏内だぞ……木々の根も深い地下を潜るなど、こんな事ある筈がない……イオアンは絶望感を覚えながらも、必ず生きてこの事を報せなければならないと強く思い行動に変える。

 

「本能の赴くままに人を襲う獣では無かったのか……!」

 

 これは大変な事だ。 魔獣が計画的に森の地中を進み、リンスフィアを襲う、いや侵攻するつもりだとしたら……

 

 イオアンは全ての荷物を放り出して、大声で叫んだ。

 

「ローゼン!ヤッシュ! 生きてるなら、走って逃げろ!!魔獣が侵攻の準備をしていると伝えるんだ! 地中から……グハッ……」

 

 鋭い痛みと熱が走り、イオアンは自分の腹から赤い何かが飛び出しているのが見えた。

 

「く、くそっ……ローゼン……ヤッ……シュ……」

 

 無理矢理持ち上げた頭で見開いたイオアンの目には、二人が魔獣の側に倒れ、その原型すら留めていない姿が目に入った。

 

 遠のく意識には、妻や子供、孫達が不安そうにこちらを見ている気がしたが、それもすぐに消えて……暗い闇が訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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