黒神の聖女〜言葉の紡げない世界で〜   作:きつね雨

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20.リンディアの夜

 

 

 

 

 黒い木肌に手を添えて、その鼓動を感じているのだろうか。

 

 

 

 篝火に照らされた水面とカズキの翡翠色の瞳は、見る者に夜の闇にも映えた幻想の世界を見せていた。

 

 出会った頃肩で切り揃えられていた黒髪も少しだけ伸びて背中に触れている。 一筋の風がサラサラと髪を静かに踊らせて、首筋から耳の後ろまで刻まれた刻印を晒した。 踊る髪は絹の糸の様に絡まること無く風になびき、瞳と同じ色のドレスを着たカズキを精霊の似姿に変えてしまう。

 

 薄く紅を引いた唇からは、僅かな声を聞くことも出来ない。もし名を呼んでくれたなら、どれ程の想いに駆られるのだろうか……

 

 アストは初心な少年などでは無い。 この感情が何なのか理解している。

 

 だから思う。

 

 全ての人々に慈愛を向ける聖女に、たった一人の男が向けても良い思いなのかと……

 

 

「カズキ……」

 

 

 思わず零した呟きが聞こえたのか、カズキはその翡翠色の眼を向けた。その美しい瞳に自分が映っていることに幸福を感じ、そして罪の意識を覚える……それでも、もう少しだけ見詰めて欲しいと思うアストだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜のリンディア城は重要な場所を除きそこまで灯りを多く灯してはいない。 篝火の燃料となる木材すら、ある意味で貴重品だ。 勿論まだ伐採する場所はある。だが最も多くの木材が手に入る森は、魔獣の跋扈する魔境と化したのだ。

 

 防犯上問題はあるだろう。しかし魔獣に対抗出来る唯一の組織「騎士団」を統率するリンディア王家に牙を剥く馬鹿は多くない。

 

 ちなみに「騎士団」とあるが、その名前に反して騎馬による戦闘は余り行われない。 今はほぼ魔獣専門の戦闘集団となっているが、過去から連綿と続く国家防衛の剣と盾に、名誉ある「騎士団」の名前を冠しているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 400年以上の歴史を誇るリンディア城には美しい庭園が現在も残されている。 斜陽の時代となって久しいが、だからこそ守られてきたのだろう。

 

 

 遥か昔……森がまだ人の手の届く存在だった頃、ボタニと呼ばれた湖があった。

 

 湖の真ん中にはたった一本だけ天へと伸びる木が立つ小さな島があり、透明度の高い翡翠色の水を湛えたとても美しい湖だったと言われている。

 

 庭園はその美しかったボタニ湖と森をモチーフにしたもので、円形に掘られた人口の泉には澄んだ水が佇んでいる。 その中央に作られた小島には真っ直ぐに伸びた大木が悠々と天に向かい伸びているのだ。 小島までは点々と飛び石が配置されて、大木の袂にある白神を讃える石碑やベンチまで足を運べる様になっている。

 

 森がまだ人々の揺り籠だった時に想いを馳せる、正にリンディアが誇る庭園だ。

 

 

 普段は薄暗いその庭園に、篝火が焚かれていた。

 

 炎が水面に反射する様は幻想的と言っていいだろう。 だが不思議な事に火を付けて回っているのは庭師達ではなく、 騎士達だ。簡易的な鎧姿で剣を腰に装備している騎士達が火を回し付けて、幽玄の世界へと遷移させていく。

 

 アストが倒れカズキに救われた、あの時の小隊の騎士達だった。

 

 聖女の存在を伏せている今、それを知る僅かな人数の騎士達にアストがお願いしたのだ。 自由に散策すら出来ないカズキに、リンディア自慢の庭園を見せてあげたいと。

 

 ノルデを始めとする騎士達は、訓練後の夜間にもかかわらず協力を惜しまなかった。

 

 余談だが、ケーヒルとジョシュは参加出来ず監修のみに留まっている。

 

 見えない各所には騎士達が警護に付き、万が一の侵入者にも万全の体制を整えたのだ。

 

 アストは、感謝の気持ちを胸に黒の間に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「カズキ! じっとして!」

 

 化粧台の前のカズキは、顔を逸らして逃げようとしていた。

 

 アスティアはエリを伴い黒の間に来ている。

 

「少しお化粧するだけよ?なんで逃げるの?」

 

 もうすぐアストも来てしまうだろう。

 

 月が美しい夜の庭園に散策に連れ出す予定なのだが、肝心のカズキがこの調子なのだ。

 

 瞳の色に合わせたミディ丈のドレスは何とか着てくれた。昔アスティアにアスから贈られた一着だ。 肩の刻印が露出し、右胸の癒しの刻印すらほんの僅かにあらわれていて、それが少女を少し大人びて見せている。 随分と伸びた髪も櫛を通して整えた。 後は薄く紅でも引こうとしたところでこの有様だった。

 

 エリは小指に紅を取り、何とかカズキの唇に引こうとすればあっちへこっちへ顔を逸らすのだ。

 

「こらっ! カズキ動かないで!」

 

 我慢出来なくなったアスティアは、後ろから両手でカズキの頭を挟んで押さえた。 大きな声に驚いたのか少しだけ体を揺らして大人しくなったところでエリに指示を出す。

 

「エリ! 早く!」

 

「はいっ!」

 

 もう諦めたのか動かなくなったカズキの唇に、淡い色の紅が引かれてアスティアとエリは溜め息をついた。

 

「もう、どうして嫌がるの? 見て、凄く綺麗よ」

 

 鏡に映るカズキは確かに綺麗だが、本人は少しムスッとしているのが可笑しかった。

 

「ふふっ……手間のかかる妹ってこんな感じなのかしら? なんだかとても楽しいわ」

 

「アスティア様、 名前が判って本当に良かったですね。 言葉は通じなくても少しだけ近づけたと思えますから」

 

「……そうね。 カズキが聖女だとしても、こうしていると可愛らしい女の子としか思えないわ。 これからもっと沢山の幸せがある事を教えていかないとね」

 

 

 

 刻印の意味するところが判明した日、アスト達はカーディルに全てを伝えた。

 

 そして出た結論は、カズキをもっと知る事。

 

 クインの示した結論は、もしかしたら正しいのかもしれない。でも刻印だけを見てもカズキが誰なのか、何者なのかは分かる筈がない。

 

 カズキに知らしめるのだ。 自分は世界から、人々から愛されているのだと。 自己犠牲? 贄? 血肉を捧げる? 一人の少女が抱えるには重い運命を私達が支えるのだと。

 

 生け贄などには絶対にさせない。

 

 その先に何かがあるとアストもアスティアも感じるのだ。 理屈ではない、間違っていない答えだと強く確信している。

 

 自身を顧みない慈愛は確かに美しい。 だがそれは、本当にカズキの願いなのか? 乏しい自己愛は作られたものではないのか? 人の思いが届かないなんて、そんな悲しい事を許したりしない……

 

 アスティアが癒し、救う。

 

 ーー黒髪の聖女を。

 

 

「カズキ、 もうすぐ兄様がくるわ。 私も行きたいけれど、今日は兄様に任せるつもり」

 

 通じてなくともアスティアは話し掛ける。 それも決めた事だ。

 

「凄く綺麗なところなのよ? 魔獣なんていなかった昔の森に、それは美しい湖があったの。 それを想ってつくられた庭園なんだって……」

 

「ボタニ湖よ。 今もある筈のそこには、もう人は辿り着けないけど……私もいつか見てみたいな。 その時はカズキも一緒に行きましょう?」

 

 鏡越しに見るカズキの翡翠色の目には困惑しか見て取れない。

 

 伝わっていないのだ。

 

 アスティアは涙を見せないように、アストが来る筈のドアに振り返った。

 

 

 

 

 

 

 

「アスティア……? 大丈夫かい?」

 

「兄様……大丈夫。カズキをお願いね?」

 

「ああ。 アスティアは行かなくていいのか?」

 

「カズキを見てたら泣いてしまいそう……そんなの嫌だから」

 

「……わかった。 あの庭園を見たらカズキだって驚くさ。 ノルデ達が張り切りすぎて心配なくらいだからね」

 

 少しだけ笑う事の出来た妹の額に口づけをして、アストはカズキを見た。

 

「凄く綺麗だ……さあ、行こう」

 

 アストはカズキの手を取り、黒の間から連れ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アストから見ても、カズキはあちこちに興味があるようだ。

 

 廊下、階段、たまに扉を開けて中まで見る程だ。 時にアストを見て様子を伺うのが面白い。

 

 ゆっくりと階下に降りて行くと、遠くにノルデ達が準備してくれた庭園と篝火が見えた。 上空には銀色の月が浮かび、柔らかい光をアスト達に届けている。

 

 カズキは茂みの向こうや柱の陰を確認していて、待機していた騎士達に驚いていたりする。 その都度こっちだよと声を掛けて手を取り誘導していった。何故騎士達が隠れているのが分かるのか不思議だったが、古傷を持つ者にジッと視線を送るのを見て分かった気がした。

 

 

 そうやって視線をあちこちに飛ばしていたが、庭園が近づくと流石に興味を惹かれたらしい。 月明りを反射する水面や、中央の小島と樹木に視線を奪われるカズキに今日の目的地を伝える。

 

「カズキ、あれがリンディアの庭園だよ。 私もこんな時間に来る事はなかったが、変わらず美しいものだな……」

 

 湛えられた水には水生植物が疎らに浮き、離れた小島にも花々が咲いているのが見える。 周辺にいくつも焚かれた篝火がゆらゆらと風に揺れていた。

 

 カズキは水の中が気になるのか、覗き込んだりしている。

 

「カズキ、こっちだ」

 

 飛び石のある場所へ案内して、ゆっくりと歩き出すと足が止まった。

 

「どうした?」

 

 引く手に抵抗を感じたアストは、カズキの顔を見て問うた。残る手でドレスの裾を押さえてみたり横にずらしたりする。

 

「ああ、足元が見えないのが怖いのか……すまない、男には分からない感覚だからな。アスティアは気にせずにいたから気付かなかったよ」

 

 アストは暫し考え、少しだけ泉の側から離れてカズキの横に並んだ。

 

 そして僅かにしゃがんで背中と膝裏に腕を回し、軽い小さな体を持ち上げる。 石の様に固まったカズキが可笑しくて、アストも思わず笑ってしまった。

 

「ははは、大丈夫だよ。 落としたりしないさ」

 

 歩き始めると怖いのか、アストの服を掴んで少し震えている。そうしているうちに再び飛び石まで来たアスト達は、そのままヒョイヒョイと渡って行った。

 

 

 

 島に辿り着いたアストはカズキをそっと下ろして大木を見上げ、自分とカズキへ言い聞かせるよう呟いた。

 

「この木に名前は無いんだ、態とそうしてるらしい。 理由も分からなくなってしまったけどね」

 

 カズキは俯いてまだ震えているが、そこまで怖かったのだろうか?とアストは心配になってしまう。

 

「怖かったかい? いきなりだったから……すまない」

 

 アストは通じないと知りながらも声を掛けた。

 

「ここに連れて来たのは、この木を見せたかったんだ」

 

 見上げると枝葉が風に揺れてサワサワと鳴いている。

 

「言い伝えがあるんだ。 この木に触れて耳を澄ますと、逢いたい人や亡くした人の声が聞こえるって……」

 

 そう言うとアストは幹に手を当てて目を閉じた。

 

「……?」

 

 カズキは首を傾げている。

 

 

「カズキが逢いたい人の声が聞こえたらいい」

 

 

 アストはカズキの手を取りその手を幹に添えさせ、数歩離れて優しく見守った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カズキは不思議に思っていた。

 

 化け物との戦争に利用するとか、慰みものにするとか警戒は解いてはいけないと思っていたのだ。

 

 ところが最近もその様な気配すらない。

 

 お姫様が現れてはドレスを試着させられるのは勘弁して欲しいが、お飯事(おままごと)や人形遊びの一環だろう。意識せずに動かなければ良いだけだ。

 

 どうも冷遇されている感じがしない……そう困惑している。

 

 脱出の可能性は捨ててはいないが、もう少し様子を見るか? と考えていた矢先だった。 お姫様と侍女がいつもの様に扉を開けて入って来たと思ったら、若草色のドレスらしき物を被せられ、髪をいじくり回し始めたのだ。 またか?と油断してたら口紅を塗ろうとするものだから、何とか逃げようとしていた。

 

 だが全ては無駄だったのだ。 結局口紅をベチョッと塗られて辟易したところで王子様の登場となった。

 

 逆らう訳にはいかない筆頭が連れ出した以上、ついていくしかない。 だがこれはチャンスなのでは?とカズキは意識を切り替える。

 

 経路、階段、窓、扉を観察しても王子様は何も言わない。 階段をずんずんと降りて、久々に土を踏む事すら出来た。

 

 行くか? そうして茂みや柱の陰に逃げ込む算段をしていたら、気付いてしまった。 見えないところに、鎧姿の兵士が潜んでいる。 しかも傷痕も痛々しい歴戦の勇士たる威容だ。

 

 お前は逃げられないとでも言いたいのか!と憤慨する聖女がそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 もうその後の事は思い出したくない。

 

 

 

 

 

 庭園らしき所は確かに美しかったが、そんな事は吹き飛んでしまった。敗北感に打ちのめされて、黒の間のベッドの隅に丸まってふて寝した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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