黒神の聖女〜言葉の紡げない世界で〜   作:きつね雨

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28.枯れた心

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほんの数日前まで思っていた。

 

 

 ここから見える街や、遠くに見える雄大な地平線は何度見ても飽きる事なく美しい。

 

 遥か先には緩やかな丘が重なり、雨雲だろう灰色の綿が雨を降らしている。局地的な天候なのかその周辺は晴れていて、光と影のコントラストが緑色の絨毯を薄く染め上げていた。

 

 あれは確かスコットランドの高地だっただろうか、カレンダーに切り取られた景色が美しかったのを覚えている。それと似ているが、写真では伝わる事のない迫力が自分の目の前に広がっているのだ。

 

 

 

 

 目が覚めたとき、夢を見ていたと思った。

 

 薄暗い地下室は想像の産物で、ナイフをチラつかせた大男も焦げ茶色のザンバラ頭も存在しない。白い仮面はいかにも夢らしいではないかと。だが鈍い痛みが左腕と腿から走り、暖炉の上のクリスタルの馬の姿が見えないと知った時何かが変わってしまった。

 

 ゆっくりとベッドから起き上がり、何時もの様にベランダへ出る。好きになっていた朝から見る景色は同じ筈なのに、違う。

 

 

 ……変わったんじゃない、元に戻っただけだ。

 

 

 見えていた雨雲はいつの間にか消えて、丘に降った雨粒が反射してるのかキラキラと輝いて見える。でもそれだけ、ただそれだけの事だ。

 

 

 それなのにカズキは、そこから動かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何かわかったか?」

 

「黒の間まで誰一人として目撃者がいません。いくら油断があったとは言え、有り得ない事です。手引きした者がいるのは確実でしょう」

 

 カーディルの私室に三人の姿がある。

 

 祈りを終えたカーディルは、ケーヒルの言葉に耳を傾けていた。アストも何かを考えているのか椅子に腰掛けたまま身動きはしていない。

 

「油断か……」

 

 カーディルは油断が生じた理由が充分と理解出来るため責める事が起きなかった。

 

 今のリンディア、或いは世界と言い換えてもいいだろう。外敵とは即ち魔獣であり人ではないのだ。勿論悪さをする者もいるし、犯罪が消えて無くなったわけでもない。それでも対魔獣唯一の戦闘集団である騎士団とそれを指揮する王家に敵対するのは、自らに弓引く事と同義と言っていい。ましてや数百年前と違い国外脱出するには森を抜けなければならないのだから、天秤にかけるまでもない。

 

 黒の間であろうとも警備の緊張感は薄く、カズキのお世話係に近い騎士達だったのだ。本当の意味で命すら賭けていたのはノルデくらいだろう。昨晩ノルデは其処にいなかった。

 

「一晩で帰って来たのはやはり誰かの治癒が目的か……」

 

「たとえ誰かの治癒が目的であったとしても許せはしません。治癒師のチェチリア殿の話では、両腕と身体を縛られて身動きが出来なかっただろうと……」

 

 初めてアストは口を開いたが、漏れだすのは言葉だけではなく怒りだ。誰もが家族や身近な人を失いかければ我を忘れるだろう。だが免罪符にはならない、させはしない……それがアストの心の声だ。

 

「アスト、それは皆思うことだ。今やカズキはお前の命を救ってくれた娘でもあり、アスティアの妹なのだ。つまり家族だよ」

 

 もし言語不覚の刻印は無く、カーディルの言葉を聞いていたならカズキの願いは叶っていただろう。今も心の奥深く消える事のない渇望は、砂漠の如く渇き果てて家族と言う雨を待っているのだから……

 

「カズキを傷付けた者には報いを受けさせる。 ケーヒル、頼むぞ」

 

「はっ、無論です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 漸く動いた足を部屋に向けたとき、目線の先にある扉が開くのが見えた。お姫様と侍女二人の姿が目に入って、その場に立ち止まる。ジンワリとした暖かさは消えたが、怒りが湧いて来たりはしなかった。

 

 他人(ひと)が来た、そう思って歩き出した筈の脚は動かない。

 

 足元を見てもスカートが邪魔で自分の足は隠れたままだ。膨らんだ胸は未だに慣れないが、しっかりと呼吸に合わせて動いているのに……

 

 おかしいな……?

 

 カズキは動かない身体が不思議で仕方がなかった。

 

 ジッと下を見ているとポタポタと水滴が落ちて、スカートに当たり弾けて消えていく。雨なんて降ってなかったのに通り雨だろうか……?

 

 空は青く、薄い雲は千切れて消えてしまいそうだ。

 

 カズキは見上げた視界が滲んでいって、目に涙が溜まっているのに初めて気付いた。

 

 そうか……この身体は泣き虫なんだな……

 

 他人事の様に思い、今の自分が在る意味を問う。

 

 あっさりと連れ去られて、何人も治癒した。終わったら元の場所に帰っていて、変わらぬ日常がある。また何かあればあの場所で他人を治さなくてはならないのだろう。部屋の中をキョロキョロと見渡しているお姫様達は、その間のお世話係というところか……

 

 

 もしアスティアがそんなカズキの心の声を聞けたなら……涙を流し、怒り、そして抱き締めるだろう。貴女は道具ではない、家族だと何度も伝える筈だ。

 

 けれども刻印は鎖となってカズキを縛り、解かれることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いたわ、ベランダよ」

 

 クインとエリに教えたアスティアは、恐ろしい思いをした大事な妹を抱き締めようとベランダに出る。近づくと翡翠色の瞳が濡れているのが分かって、駆け足になった。

 

「カズキ!」

 

 あと一歩で手が届く……アスティアが両手を開いた時、カズキが後退りして距離を取った。

 

「カズキ……? どうしたの……?」

 

 初めて会ったあの時と一緒だった。ベッドで上半身を起こしたカズキに挨拶をした最初の時。刻印の存在を知らず、無理矢理に顔を掴もうと両腕を伸ばしたのだ。

 

 優しい妹がアスティアだけでなくクインやエリも警戒している様子を見て、酷く狼狽してしまう。それ以上逃げ出したりはしないが、アスティアは動けなくなった。

 

「……アスティア様……今は無理にしない方が良いでしょう。まだ落ち着いてないのです」

 

 クインの冷静な言葉に、カズキの体感した恐怖を垣間見てアスティアの胸は締め付けられる。

 

「そんな……どうして……」

 

 連れ去られたカズキに何があったか聞いた訳では無かったが、左腕に巻かれた包帯が物語っていた。

 

 ゆっくりと近づいてカズキの右手を両手で包むと、特に抵抗は無く俯いたままだ。振り払われたら泣いてしまうと思っていたアスティアは、少しだけ安堵して部屋の中に導いて歩く。

 

「エリ、温かいお茶をお願い」

 

「はい!」

 

 どうして良いか分からなかったエリは、役割を貰ってキビキビと動き出した。 

 

「クイン、怪我の具合は本当に大丈夫なのね?」

 

 何度も聞いた事をまた聞いてしまう。二人がテーブルの側の椅子に隣り合って座るのを見たクインも再び丁寧に答えていく。

 

「はい。酷かったのは太ももの刺し傷ですが、縫合もしなくて良い程度でしたから……ただ……」

 

 悩んだクインだが、アスティアとカズキを見て全てを伝える事にした。

 

「両腕には鬱血があり、胴体には擦過傷も見受けられたと聞いています。今はもう回復していますから分からないだけです」

 

「……? どういうこと?」

 

「……両腕を縛られ、胴体にも何らかの拘束具を付けられていたと推測されます。身動きを出来なくして無理矢理に聖女の力を行使させられたのでしょう……ですから……今はまだ精神が不安定でしょうから、先程のカズキの態度も理解出来ます」

 

 ガチャン……!

 

 エリにも聞こえたのだろう、用意していたカップが音を立てた。

 

 アスティアは我慢していた涙を止められなくなったが、同時に沸々と血が沸き立ち涙など気にならなくなる。強い怒りはアスティアの心を掻き乱し、視界は狭まって周りの音もしなくなった。

 

「許せない……絶対に……」

 

「はい、許せないでしょう。ですが私達に出来る事は復讐ではありません」

 

「我慢しろと?」

 

 アスティアには珍しい怖気を感じる声にもクインは怯まずにはっきりと答える。

 

「我慢ではありません。神々が、そして殿下が必ず罰を与えるでしょう。でも、アスティア様にしか出来ない事があります。カズキに寄り添い、心を癒し、守りましょう。聖女は人を癒しても、自らの心を癒しはしない様ですから」

 

 アスティア様ならお分かりでしょう……最後に優しくクインは囁いた。

 

「ええ……勿論、勿論よ……」

 

 エリが用意した紅茶の香りが立ち昇って、アスティアの鼻腔をくすぐる。濡れていたアスティアの蒼い瞳は既に渇いて、外を眺めるカズキを見つめていた。

 

 クインは知っている。

 

 アスティアは若き少女だが、誰よりも強く優しい一人の女性なのだ。刻印などなくとも、彼女も一人の聖女だと。

 

 リンディアは負けはしない……カーディル、アスト、アスティアがいるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 またいつもの日常が始まった。

 

 違ってしまったのはカズキが逃げ回る事がなくなり、アスティアが導くままに素直になったことだろう。

 

 お揃いの服も、下着も、化粧だって拒みはしない。 

 

 もともと眠り姫ではあったが、ベッドに横たわる時間が増えてきた。

 

 アストには近づく事もなく、目も合わさない。

 

 クインに怒られたりしなくなったし、お転婆でもはしたない少女でも無くなった。

 

 そして美しさに磨きがかかって、比喩でなく人形のようになった。瞳は宝石の如く輝くが、感情をうつしたりしない。以前も表情の乏しい娘ではあったが、それはより顕著になっていった。

 

 

 

 アスティアは挫けそうな気持ちを奮い立たせて、今日も黒の間の扉を開く。

 

 必ず妹を助けると誓ったのだからーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リンディアの王都リンスフィアーー

 

 王都民の間で最近良く聞く噂話があった。

 

 

 

 滅びに瀕した世界に救いが差し伸べられた

 

 神々の加護を遍く(あまねく)受けた少女がいる

 

 刻印が幾つも刻まれた身体

 

 陛下をはじめ王家は反撃の準備をしている

 

 魔獣達を駆逐し、森を取り戻すときが来る

 

 戦争は近い

 

 

 珍しい黒髪と綺麗な翡翠色の瞳

 

 黒の間に住むその少女はどこまでも美しい

 

 司るのは慈愛の心と癒しの力

 

 

 知ればそう呼ばずにいられない

 

「聖女」と

 

 

 誰もが天を仰ぎ祈りを捧げる

 

 聖女が降臨した、と

 

 

 

 名を「カズキ」

 

 ーー黒神の聖女「カズキ」が舞い降り

 

 ーー世界は救われる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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