黒神の聖女〜言葉の紡げない世界で〜   作:きつね雨

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40.マファルダスト⑦

 

 

 

 

 運搬組が離れて行くのを見守っていた。

 

 西の森からは少し距離がある野営地には、森人達が思い思いに寛いでいる。森でのひと仕事を終えた皆は、近くの小川で汚れを落として疲れを癒していた。

 

 身体中に塗り込んでいた泥は乾き、獣臭の強い毛皮も薄汚れて汗の匂いもキツかったのだ。森人である以上慣れたものだが、それでも解放感には抗えないのだろう。

 

 馬車が平原の遥か彼方に消えていき、ロザリーはホッと息を吐いた。

 

「姐さん、お疲れ様でした」

 

「ああ、お互い様だよ。嬉しい悲鳴とは言え、凄い成果だねぇ」

 

 西での狩猟は想像を超えて、質・量ともに過去最高だった。しかも予定より2日以上早く終了したのだ。見渡せばマファルダスト一行に笑顔が溢れ、乾杯を繰り返している。

 

 隊商は商売ではあるが、同時にリンディアの補給線でもある。皆が誇りを持ち、家族と故郷の為に命を賭けているのだ。そこに喜びがあるのは当然だった。

 

「「我らの聖女様に!!」」

 

 カズキを囲み何度目とも知れぬ乾杯の声が上がり、皆が歯をむき出して大声で笑う。カズキに笑顔はないが、何処か浮ついた雰囲気を漂わしていた。何より目線は自身の手元に向かっているようだ。

 

 カズキの手にも木製のカップが握られている。薄っすらと紅い頬を見れば、注がれた液体が何なのかは明らかだった。

 

 ロザリーは一瞬止めるべきかと足を踏み出しかけたが、今日くらいは良いかと苦笑する。勿論飲ませるのは今の一杯が最後だが。

 

「聖女様がおられるだけで、何処か明るくなりますなぁ」

 

 フェイの呟きはマファルダスト一行の総意だろう。 

 

 カズキ自身が何かをする訳ではない。普段はロザリーと一緒にいるが、何時も厳しいそのロザリーにも笑顔が増えた。カズキは滅多に笑う事はないが、それでも極稀に薄っすらと笑みを浮かべる時がある。皆は幸運の笑顔と有難がっていた。

 

「まあ、化けの皮が剥がれて、お転婆聖女とバレちまったけどね」

 

「ははは……いいじゃないですか。神々の使徒であっても、普段は一人の少女。皆喜んでますよ」

 

「例えばアレかい?」

 

 指差した先でリンドが鼻の下を伸ばし、チラチラとカズキを見ている。ロザリーにとって頭の痛いのは、聖女様の酒癖だけではない。恥じらいと言う言葉は聖女には無いのか、兎に角スキが多いのだ。注意したくても言葉は通じないし、今も際どい姿勢を気にしてもいない。

 

「……まあ、アレは良くないですが……」

 

 リンドが馬鹿な顔をしてカズキの胸元を見ているが、本人は気付いてもいない。それどころか前屈みで干し肉を取るものだから、襟元が開いて危うく素肌が垣間見える。今は大丈夫だが、スカートで膝を立てる事もしばしばだ。

 

「はあ……」

 

 その深い溜息は、お転婆娘への愛情の裏返しなのだろう。なによりフェイには懐かしさすら感じる。ロザリーの愛娘フィオナもお転婆で、よく溜息をついていたものだ。

 

 眩しい光を見るように目を細めたフェイは、リンドを懲らしめるべく輪に向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明日以降の天候を確認する為、ロザリーは焚かれた火の灯りから離れ空を見上げた。

 

 皆の騒ぎ声は聞こえるが、光が薄れた事で美しい夜空が目に入ってくる。地平線や緩やかな丘の稜線からも、はっきりと輝く星々が見える。だが、星の光の瞬きが何時もより多いとロザリーは気付いていた。

 

「直ぐにではないが、崩れるかもね……」

 

 一度テルチブラーノに戻っても良かったが、雨雲から逃げるなら南にそのまま向かった方がいい……ロザリーの頭の中には明日からの予定が組み上がっていく。雨は馬車での行程に想像以上の負担を強いるのだ。テルチブラーノに戻れば足止めを喰うかもしれない、せっかく稼いだ時間も無駄になるだろう。

 

 真上を仰ぎ見たロザリーは、そのまま南に向かう事に決めた。南限の町センは遠いが、結果的にそれが効率的だと判断する。

 

 そんなロザリーの耳に砂利を踏みしめる足音が響いた。

 

 振り返ると両手にカップを持つカズキがゆっくりと歩いて来ていた。液体が満たされているカップの所為だろう、少し用心深く歩く様はロザリーには微笑ましく可愛らしく見える。

 

「態々持って来てくれたのかい? ありがとうね」

 

 差し出されたカップを受け取り笑顔が溢れる。薄暗い今も翡翠色の瞳は輝き、ロザリーを捉えていた。

 

 カズキは笑顔を見せたロザリーに安心したのか、手に残ったカップに両手を添えて星空を見上げる。カズキが居た世界とは比べるのも烏滸がましい星の海に、暫し静かな時間が流れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 合っているのか確認など出来ない以上、只の妄想なのかもしれない。

 

 カズキは不思議な感覚を持て余していた。

 

 言葉は相変わらず解らない。人の名前だって一人として知る事など無かった。なのに最近ふと気付いたのだ。

 

 それは余りに急で、最初は遂に妄想癖まで患ったのかと諦観したものだ。だが耳に入る音だった物が何か単語になって響き始めた。頭を振っても、以前と比べ物にならない柔らかい頬を叩いても変わりはしなかった。

 

 間違いなく相手は大人の女性なのに、カズキを孤児院に捨てたあの女と変わりはしないのに……

 

 

 カズキの精神は持っていた暴力性が静まり、少しずつ穏やかに変わっていく。この世界に来た頃は昔と変わらず内心汚い言葉を吐いていたし、全てが敵に見えていた。それは女性の身体を持つ事による変化なのか、カズキ自身も気付いてはいない。

 

 逃げ出したあの部屋で会った連中すら悪意など無かったのではと感じる自分がいる。

 

 裏切られた筈なのに、拷問としか思えないあの治癒の強制も他人事のように思う。

 

 銀髪の王子様やお姫様、天敵金髪侍女やお間抜け侍女は敵などではない?

 

 

 黄金色の瞳を持つ赤毛の女性の名前。

 

 ()()()()()

 

 最近つい目で追ってしまう。視線に気付いて笑顔を見せられると慌てるが、それも嫌ではない。

 

 今も隣に座って二人夜空を眺めている。

 

 カップに唇を当てて、チラと横顔を見つめてしまう。 

 

 合っているのか、そもそも名前なのか聞く事も出来ない。それでもこの世界に飛ばされて、初めて言葉らしいものに触れた。拘ってしまうのもしょうがないとカズキは無理矢理に自分を納得させていた。

 

 だから、擽ったい、柔らかい、カズキはそんな感覚を持て余している。

 

 

 

 

 カズキの視線に気付いたロザリーは、指通りの良い黒髪に手を伸ばした。

 

「大して手入れもしていないのに、信じられない手触りだね……肌も荒れてないし、何処か良い香りもする。不思議な娘だよアンタは」

 

 鬱陶しいだろう顔はしているが、手を払ったりはしないカズキにロザリーは調子に乗って頬を撫でた。

 

 流石に驚いたのか、ビクっとしたと思うと立ち上がって去って行った。

 

「ははは! 悪かったよ!」

 

 すっかり暗くなった闇夜に、ロザリーの笑い声が響き渡っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 臀部に刻まれた憎しみの鎖は色が薄れている。

 

 脛の自己欺瞞は階位が一つ下がり1階位に変化した。

 

 姿形は変わらなくとも、首回りの言語不覚は2階位となった。

 

 そして……聖女封印の力は明らかに衰えていく。

 

 

 カズキ本人は勿論、共にいる時間が長いロザリーすら気付いていなかった。

 

 クインやコヒンが居れば直ぐに判っただろうが、今は望むべくも無い。

 

 変化は少しずつ、しかし間違いなく始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガタガタと揺れる御者台の上から後ろを振り返れば、あれだけ青かった遥か彼方の空が灰色に染まるのが見えた。

 

 随分離れたから影響はないが、ロザリーの予想は間違っていなかったようだ。しかし流れ出した雲とは逆に進むマファルダストには今も燦々と光が届いている。

 

 リンディアは平原と丘の国で、ずっと遠くまで見渡すことが出来る。雄大な風景は何処までも続き、空と大地のコントラストは美しい。灰色の雲や雨すらも景色を彩る絵の具でしかない。

 

 感情の乏しいカズキでも、あのベランダから見る景色は気に入っていた程だ。

 

 

 

「次の野営地では薪は節約するからな」

 

「やっぱり南は大変なんですか?」

 

 珍しくフェイとリンドが馬を並走させていた。フェイが知る知識をリンドに伝える為だろう。リンドは素行こそ褒められたものではないが、目や耳が良く剣の扱いも中々のものだ。将来有望な森人と言って良かった。

 

「ああ、そうだ。南は最もリンスフィアに近い森があり、防衛の町もセンしかない。その分森の奥行きもあるから、魔獣との遭遇率も下がるがな」

 

「なら、木材も多く手に入るんじゃ?」

 

「いや、そうとも言えないな。何故か南は森に入って活動すると一気に遭遇率が上がるんだ。ただ入っただけならそうでもないんだが、採取や狩猟はかなりの危険を伴うと言われている」

 

「その分実入りも多いが……最近は騎士もやられたからな、西とは違うぞ」

 

 フェイには森人イオアンの姿も頭に浮かんだが、リンドには言っても意味がないと口にはしなかった。

 

「そうですか……それならセンで補給すれば……」

 

「勿論補給はするが、あそこは騎士の町だからな。森人に合う物資が少ないのさ……訓練所もあるし、新人騎士達で溢れているぞ」

 

「うへぇ、五月蝿そうですねぇ……」

 

 フェイはお前が言うなと呆れたが、これも無駄と捨て置く。

 

「リンド、お前は筋が良い……それは姐さんも認めている。だが、まだ浮ついた根性だけは気に入らない。聖女様への接し方といい、遊びじゃないんだぞ」

 

「うっ……すいませんってば……あの事なら随分謝ったじゃないですか……」

 

「相手は神々が刻印を刻んだ使徒、聖女様だぞ。不埒な考えを持つんじゃない」

 

 えーっという顔をするリンドにフェイは頭が痛くなった。

 

「フェイさんの言う事も分かりますけど、あんな美人見た事ないんですよ? おまけに何処か男らしいと言うか、落差がまた堪らなくないですか?」

 

 惚れない男がいる筈ないですと開き直るリンドに、フェイは放っておく事に決めた。

 

 神々の怒りを買うか、その前にロザリーの更なる制裁が待つだろう。フェイも余計なとばっちりは御免だった。

 

 

 

 南への旅路は特に事件も無く、マファルダスト一行の目線の先に平原ではない景色が見えて来た。

 

 テルチブラーノより面積は広い。ただ監視塔が目立つ程度で、町全体は低い建物が連なっている。森の監視、騎士達の訓練所、僅かな店や宿、鍛冶師達が腕を振るう町。

 

 南限の町センはすぐそこまで迫っていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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